「プレイヤーに同じような体験を何度もさせない」を目標にバトルを設計
──そんな「ロマンシングが足りない!」と指摘が入ったバトルをどのように手を入れ、『サガ』シリーズ特有の感情が揺れ動くバトルに作り上げていったのでしょう。
河津氏:
プロジェクトで掲げていたのが「プレイヤーに同じような体験を何度もさせない」ことでした。
そもそも、プレイヤーに同じ行動を繰り返させることは、ビデオゲームにおけるひとつの手法ではあるんです。RPGですと「同じ敵と何度も戦ってどんどん強くなっていく」「コマンドを決定し続ける」などが挙げられます。
そんな中で、同じことが起きないように、同じように見えても少し変化があるようにすることで、常に新鮮な体験をしてもらえることを目標としていました。
──具体的にどのような変化を盛り込んでいったのでしょうか。
河津氏:
本作のバトルは、タイムラインという形で味方と敵がどんな順番で行動するかを可視化しているのですが、その並び順は毎ターン入れ替わります。
入力できるコマンドは同じなんですが、ターンごとにシチュエーションが変化していくんです。そのなかで、バトルとして「ヌルくなり過ぎず、かといって追い詰め過ぎず」という緊張感のバランスをとりつつ、面白さを演出していくのが勝負所でした。
柴田氏:
そんな今作のバトルのキモとなっているのが、「オーバードライブ」と「独壇場」のふたつのシステムです。
「オーバードライブ」は条件を満たすことで追加の連携攻撃ができるシステムになっています。バトル中に連携すればするほど「連携率」という値が加算されていき、一定以上に達することで、もう一度連携が発生するんです。これにより同じ状況でのバトルでも変化が生まれるようになりました。
「独壇場」はひとりで連携するシステムで、タイムラインの左右隣の2マスに誰もいなかった場合に発動します。バトルが進んで敵も味方も少なくなってくると、チマチマした戦いになりがちだったのですが、今作ではこの「独壇場」があることで最後まで「やるかやられるか」の緊張感のあるバトルが味わえるんです。
──パーティがひとりだけになるという絶望的な状況でも大逆転を狙えるし、逆に敵が1体だけになっても最後まで油断ができないということですね。
柴田氏:
そうなんです。このふたつが嚙み合った時は「面白いバトルになっている」という手応えを感じました。
──今作に限りませんが、河津さんは『サガ』シリーズ全体でバトルについてはどのように関わられているのですか?
河津氏:
もちろん要所要所では議論はするのですが、基本的にはバトル担当のスタッフにお任せです。
今作はフリーシナリオであることもあり、プレイヤーが自由に物語を進めていく中で、ゲームとしての面白さを担保する必要があるんです。その面白さをバトルに担ってもらうというのが今作、もっというと『サガ』シリーズにおけるゲームデザインとなっています。
ですから、バトル担当のスタッフには、常にゲームとしての面白さを追及してもらいたい。そのために独自に動いてもらっていますし、僕からはあまり口を出さないように心がけています。バトル側からすれば、思うところがあるんじゃないかなと思いますが(笑)。
柴田氏:
おっしゃる通り、基本的には任せていただいています。ただ、時々ピンポイントで強いオーダーが飛んでくることはあって。
今作だと「バトルでの回復なし」「ショップもなし」がそうですし、「独壇場」も前作のバトルの反省を踏まえて、河津さんが入れたいと強くプッシュされて導入したシステムでした。
「はい・いいえ」じゃない選択肢
──『サガ』シリーズは、先ほど話にあがったバトルに限らず、シナリオについても感情の振れ幅が大きいように感じます。とくに選択肢は独特ですよね。
河津氏:
それについては、初めて『ドラゴンクエスト』で選択肢を見た時に「もったいないなあ……」と感じたことが影響しています。
ローラ姫がプレイヤーに「私も連れて行って」と言った後、「はい・いいえ」と選択肢が出るじゃないですか。あの時、僕はどうして「はい・いいえ」の選択肢なんだろう? と思ったんです。
──と言いますと?
河津氏:
「はい・いいえ」だと、個人的には「事務的な表現」の印象がするんですよね。たとえば、その「はい」を「いいよ」にするだけでも、プレイヤーが受け取る印象や感情がすごく変わるじゃないですか。
もちろん、あれは堀井雄二さんの味と言いますか、「はい」と選択することに意味を込めていたのだと思いますけど、プレイヤーからすれば「俺はひとりで旅をしたいんだよ!」と、「はい」を選びたくない気持ちもある。
その結果、当時は「『いいえ』を99回選び続けたら断れる」みたいな伝説も生まれて、それを信じて延々と「いいえ」を選び続ける人間が間近にいたりしましたし(笑)。
──ハマっていたプレイヤーで同じ想いの方は少なくないと思います(笑)。
河津氏:
その点では、『ロマンシング サ・ガ』のガラハドに関する選択肢はわかりやすい例かなと思います。
彼の持っているアイスソードを入手するのが目的のイベントで、「お願いして譲ってもらう」か「殺してでも奪い取る」かの選択肢があるのですが、純粋な「はい・いいえ」とは選択肢を選ぶときのプレイヤーが受ける感情が違ってきますよね。
これはプレイヤーが「殺してでも奪い取る」を選べないようにあえてショッキングな表現にしているんです。でも、殺して奪うこともできる。葛藤があるなかで、どう行動するか決断する……それこそが、まさにプレイヤーの選択じゃないですか。
プレイヤーが自分を主張する場を作れた。これはそれまでのゲームとは異なるものを作れた実感がありました。自分にとって、RPGの遊び方を広げられたと思う部分でもあります。
自分の感性を信じていない。シナリオに必要なのは技術
──先ほどバトルについてはある程度お任せしているとのお話がありましたが、『サガ』シリーズのシナリオについて河津さんはどのように関わられているのですか?
河津氏:
バトルと違って、関わりという意味だとかなり深いと思います。シナリオ執筆は複数人で担当していますが、最終的に僕が原型が残らないくらいほとんどいじっちゃいます。担当してくださった人には申し訳ないんですけど……。
──バトルとは真逆ですね。ディレクターがシナリオについてそこまで管轄するというのはなにか理由があるのでしょうか?
河津氏:
「二度手間を防げること」が一番の理由でしょうか。全体のシナリオ構成を知っているのは自分だけなので、それぞれの担当者とやりとりして修正してもらうより、直接自分が書いちゃったほうが早いんです。
とくに“てにはを”のニュアンスは、人によって受け取り方が微妙に違ってきますし、それ自体が書き手の個性としても現れます。そうすると、人が書いたものだとしっくり来ないものがどうしても出てきてしまう。
その部分を修正するためのやりとりが発生すると、自分にも相手にもストレスが溜まってしまって、何を書いてもダメみたいなことにもなるんですね。
──修正のためのやりとりに時間と労力が発生してしまうのは、複数人体制の悩みですよね。
河津氏:
ただ、「泣かせる話」や「ギャグ話」などは自分よりも得意な方がたくさんいらっしゃいますから、そういうシナリオはそのまま使います。自分はそういった話を上手く書けませんので(笑)。
──河津さんのシナリオやテキストは先ほどの選択肢がそうですが、プレイヤーの感情を揺り動かしてくる表現が特徴になっているじゃないですか。ああいった表現を生み出す際の工夫とか、考え方みたいなものはあるのでしょうか。
河津氏:
「モノづくりに感性は大事」とよく言いますが、自分は感性については信じていないんです。そんなものは存在しないんですよ。
必要なのは技術であって、それを磨いてやるしかないと思います。文章にしたって、大半は技術ですからね。感覚的なものが入る余地ってないはずなんです。
先ほどお話した『ロマンシング サ・ガ』でガラハドからアイスソードを手に入れる際の選択肢も、「お願いして譲ってもらう」と「殺してでも奪い取る」と極端なものを並べる技法でしかないんです。
理詰めで楽しさを演出している感じはあります。自分としては、感性に頼って書いているわけではないという意識は強いですね。
──『サガ』シリーズの印象的な台詞やテキストの数々が技術で書かれていたとは驚きです。
河津氏:
自分は、翻訳モノの小説を読む機会が多かったので、それも文章に影響しているように思います。
英語から翻訳されたストーリーって主語述語があって理詰めに書かれているじゃないですか。日本人が書いた文章だと、あのような感じにはならないんですよね。それもあってか、自分は翻訳調の文章が好きなんです。
谷崎潤一郎の小説とか読んでいると、「や、やめろよ……!」とゾワゾワするほど感じちゃう性質なものでして(笑)。どちらかというと、ちょっと他人行儀な感じの文章が好きなんですね。
柴田氏:
そのお話を聞いて、すごく腑に落ちましたよ(笑)。
河津氏:
そうなの?(笑)
柴田氏:
自分が『サガ』シリーズで好きなのが選択肢なんですけど、あれって「罰せられない」じゃないですか。ガラハドを殺してアイスソードを奪ったとしても、周りのキャラクターからボロクソに責め立てられたりしませんし。
ただ、自分の心の中に「やっべえ……ガラハド殺しちゃったよ……」と罪悪感は残る(笑)。あの“他人行儀な感じ”が自分にとって『サガ』の好きなところなんですね。
かつてTRPGで体験した感動をデジタルゲームでも再現したい
──少し本題から話はそれるのですが、河津さんは他作品はよく遊ばれるのでしょうか。
河津氏:
昔はウォーシミュレーション(戦争系のゲーム)が好きで、そればかり遊んでいましたが、最近はプレイする時間がとれないこともあり、あまり触れられていないですね。
1990年~2000年あたりは洋ゲーをよく遊んでいたのですが、アメリカで任天堂さんの「SNES」【※】がものすごく売れた影響で、日本的なゲームが増えて自分が好きな洋ゲーが減ったこともあり、離れてしまったんです。
※SNES:Super Nintendo Entertainment Systemの略。日本国外で販売された任天堂の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」の名称。
──デジタルゲームに限らず、TRPGやアナログゲームも嗜まれていたとお聞きしています。
河津氏:
それらも最近は機会がめっきり減ってしまいましたけどね。昔はプレイヤーとしてもゲームマスターとしてもTRPGはかなり遊んでいました。
そのときのTRPGで体験したさまざまな感動をデジタルのゲームの中にも入れたいという思いがすごくあります。そのころの経験は『サガ』シリーズでも活かされていますね。
──『サガ』シリーズで活かされているというのは具体的にどのような体験なのでしょう?
河津氏:
TRPGで遊んでいると、演技や会話や立ち回りがすごく上手なプレイヤーと出会うことがあるんです。
その人のプレイを第三者の視点から見て「すごいなお前!」って興奮している時の感覚をデジタルゲームでも再現したい思いがあるんですね。
──上手なプレイヤー、ですか。
河津氏:
TRPGは会話をしながら物語を進めていく遊びなのですが、起きるイベントや結末はある程度は決まっているんですね。その結末へ向かう時、場がグッと盛り上がるようなロールプレイがメチャクチャうまい人がいるんですよ。
そういう人と一緒に遊んだときの感動はものすごくて、その体験を自分の関わるゲームでも取り入れたいと昔からずっと思っているんです。
──その「お前、すげえじゃん!」と感動を覚えた具体的なエピソードってあるのでしょうか?
河津氏:
ちょっと長くなりますけど……いいですか?
──ぜひぜひ!
河津氏:
では…………昔、フリーの冒険者がいまして、仲間たちと一団を組んでいたんですね。自分はその一団のボスだったんですけど、今は引退して解散し、仲間たちも店を営んでいたんです。
自分は宿屋をやっていたんですけど、ある日、ならず者に襲撃されてしまい、自分は重傷を負って意識不明に。副団長をやっていた「マリア」という名の奥さんが殺されちゃうんです。
その事件を昔の仲間が、もうひとりの仲間がいる修道院に伝えに行くんです。ただ、その報せに行く仲間と修道女は昔、付き合っていて別れた設定なんですね。
それでいざ、修道院に行ったら「何しに来たんだ!」って痴話喧嘩が始まってしまって、一向にマリアが殺されたという本題が始まらない。
TRPGですから、この後の流れはマリアが殺されたことを伝えることで確定しているんです。でも延々に痴話喧嘩が続いてしまって、ついには修道女から「もういいから出ていけ!」って言われてしまうんですよ。
それで、その仲間が家から出ていくその瞬間、振り返ってぼそりと「マリアが死んだ……」と。
周りのプレイヤーみんなが絶句ですよ! 一気に場が静まりきって「うわー、すげー!」ってなりました。まさに舞台を観に行ったような感じで、こんな体験を味わえるのかと感動したんですね。
──昔付き合っていた設定から本筋とは関係ない痴話喧嘩をすることで、マリアが殺されたことを告げるシーンを劇的に演出したということですよね。プレイヤーのアドリブで。
河津氏:
そうなんです。この先に起きる出来事はわかっているのに感動しちゃう、という。これをデジタルのゲームでもみんなに体験してもらいたい、と常々思っているんです。
自分がこれまでゲーム作りを続けていられるのは、その時の彼のおかげかもしれません。