羊宮妃那が、「高松燈」に出会った時
──ここからは、これまでの「MyGO!!!!!」での約3年間の活動についてお聞きできればと思います。かなり遡ってしまうのですが、「燈役に選ばれた時」はどんなお気持ちだったのでしょうか?
羊宮氏:
本当に、待ちに待った結果でしたね。
なので、シンプルに嬉しかったですし……嬉しすぎて心臓がバクバクする感じがありました(笑)。
──オーディション時に、なにか手応えなどはあったのでしょうか。
羊宮氏:
手応えは……正直、わからなかったですね。
まだ事務所に所属して1年も経たない中で受けさせていただいたオーディションだったこともあり、「手応えとは?」みたいな。まだそのくらいのレベルでした。でも、オーディション自体は全力で臨んでいました。
──ちなみに、最初から燈役でオーディションを受けられていたんでしょうか?
羊宮氏:
最初から燈ちゃんでオーディションを受けさせていただきました。
あと、条件に「年齢」があったんです。
私が生まれたタイミングがよかったから受けられたオーディションだったので、それもすごくありがたかったですね。だから、すべての運命が噛み合ったオーディションだったなぁと思います。
そこで、ふたつのテープを出させていただいて……ひとつは弱々しくて、かわいらしい声で。もうひとつは、凛々しい声で出していました。
……で、忘れもしません!
カラオケに歌を練習しに行っていた時に電話がかかってきて、「テープが通りました。スタジオに行きます!」と言われて、電話をきったあと、もう泣きました!
──それは運命の瞬間ですね!
羊宮氏:
その時、ちょうど私が自信をなくしてしまっていて「私には何もないんだ……」と思っていたタイミングでした。だからこそ、このチャンスを絶対に逃したくないと思って、スタジオ収録に挑んだ覚えがありますね。
──少し話が戻りますが、羊宮さんにもカラオケで歌を練習されている時代があったんですね……。
羊宮氏:
私、ずっと歌が下手だと思っていて……周りに上手い子しかいなくって、ずっと自分が下手だと思っていたんです。どれだけ練習しても「下手だからな」と思ってしまうから、とにかくカラオケに行っていました。
──「歌うこと」自体はお好きだったんですか?
羊宮氏:
そこは好きでした。
でも、下手だとは思っていましたね。
──ですが、燈というか「MyGO!!!!!」の歌は、キャラクターとして歌うと考えた時の中でも、割と難易度が高めなのではないでしょうか。
羊宮氏:
実は、当初の燈ちゃんの設定はいまとは少し違っていて……いろいろ変わっていく中で、「苦手だとか下手だとか言っている場合じゃないな」と、より見つめ直すことができました。
でも、見つめ直す中で、心は折れるというか……本当に何回折れたかわからないくらい。そこを含めて、いっぱい向き合い続けていましたね。

──羊宮さんが燈役として3年間活動される中で、なにか「高松燈」というキャラクターの見え方・捉え方が変わったところがあれば、お聞かせください。
羊宮氏:
「みんなのことを考えるようになった」と思います。
それが一番出ているのが、「音一会」だと思います。
「音一会」は、”歌を届ける先の君”という存在が初めて出てきたんですよね。
──実際、それまでの曲には「届ける先」が出ていなかったんですか。
羊宮氏:
それまでの「迷星叫」「名無声」「潜在表明」は、“誰かわからないあなた”に対して歌っていたんです。「自分と同じ思いをしているような誰かに届くといいなぁ」とか、「自分自身の叫び」とか。
ある意味、無責任というか……「届く人に届けばいいなぁ」といった歌が多かった中で、「音一会」は“君”がいてくれたから、生まれたものがあるし、見える景色が変わったんだよということを歌っている。そこに対する「ありがとう」という歌なんです。
燈ちゃんはこの3年間でそんなところが大きく変わったかなと思います。
──「(燈自身の)心の叫び」から、段々と「誰かに聞いてもらうための音楽」に変わっていったんですね。
羊宮氏:
そうですね。
それこそ、「MyGO!!!!!」の1st LIVEである「僕たちはここで叫ぶ」は、テーマ通り、ただ自分たちの思いで作られた音楽を叫んでいたんです。実際にステージに立っている私たちも、めちゃくちゃ叫んでました!
やはり、「生きているバンド」として、燈ちゃんたちがどう成長していくのかは、ステージ上での演じ方に趣を置いていることが多いです。もちろんライブごとのテーマなどもあったりするので、それも捉えつつ「次はこの子がどんな成長をするのかな」といったことを想像して決めていたりします。

いまこそ聞きたい、活動初期の「キャスト未発表だった時期」
──ライブなどを含め、これまでの約3年間の活動の中で、特に印象的だった・思い出深い時期などがあれば、お聞かせください。
羊宮氏:
転機があったのは、2024年に開催したツアー……MyGO!!!!! ZEPP TOUR 2024「彷徨する渇望」ですね。このツアーはだいぶ大きかったです。
「MyGO!!!!!」のライブには、それぞれテーマが設定されているんです。でも、それは明確に発表されるわけじゃなくて、「こういう意図があって……」と決めていたりします。でも、ツアーは何公演もあるわけじゃないですか。
そこで、自分たちが見せたい成長と、やりたいテーマと、プラスでみなさんが楽しんでくれるようなパフォーマンスが、まとまらないというか……どれかを取れば、どれかを大事にできないんですよね。燈ちゃんとして活きるものを取るのか、それとも客観的なものを取るのか。
いろいろな取捨選択を迫られるシーンが多くて、ひとつの転機になったのかなぁと思っています。ある意味、「皮をめくらなければいけない」というか。
──やっぱり、ツアーは何度か続けるうちに変わっていくところはありますよね。
羊宮氏:
私は、あえて変えていましたね。
単純に毎ライブ毎ライブで成長していくものではなく、「ここではこの成長があり、こっちではこの成長がある」ところにプラスして、ライブのテーマに合わせた成長を表現していました。
もちろん、ツアーの中で自分として成長するものもあるのですが、そこをメインにすると私のアーティストライブになっちゃうんです。そうではなく、「燈ちゃんならどう成長するか」というのを見せられないと、キャラクターとしてのライブにはなりません。そこは、ずっと抱えているものですね。

──2023年のMyGO!!!!! 4th LIVE「前へ進む音の中で」では、ようやくキャストのみなさんが発表されましたよね。あの「発表された時」は、実際どんなお気持ちだったのでしょうか。
羊宮氏:
あの時は、まだ気を引き締めていました。
感動は……あんまりなかったです。
というのも、「MyGO!!!!!」を応援してくださっている方の中には、やはりキャストが出てくることを望まれていない方もいるはずなんです。それは、「いろいろな世界観で楽しんでいらっしゃった方々の、ひとつの楽しみ方を奪う」ということにも、変わりはないです。
そして、「MyGO!!!!!」のキャラクターが『ガルパ』【※】に追加されるのも、この4th LIVEのあとで発表されました。そこでも、『ガルパ』がずっと大好きな居場所である方々にとって、「知らないバンドが突然追加される」となった時、やっぱり大好きな居場所が踏み荒らされているように感じる方々もいらっしゃると思うんです。
そういう、「いろんな意見や考え方があるだろうな」というのがずっと頭にあったので、ステージ上で燈ちゃんとして演じている側面もありつつ、心の中では責任感を感じていました。
※『バンドリ! ガールズバンドパーティ!(ガルパ)』
『バンドリ!』のリズム&アドベンチャーゲーム。2017年より運営されており、2023年にゲーム内にも「MyGO!!!!!」のメンバーが登場した。
──発表の嬉しさより、責任感の方が勝っていたんですね。
羊宮氏:
だから、そのあと「こういう風な言葉が多かったら、これを投稿しよう」と、3枚くらいにわけて、SNS上でみなさんに送るメッセージを決めていました。「こう感じられた方にはこのメッセージを」と。あの時の投稿内容はよく覚えています。
そのくらい慎重になっていた部分でもあったので、「やっと公開できる!」みたいな嬉しさは全くなかったですね。
──実際に4th LIVEは会場で拝見させていただいていたのですが、たしかに羊宮さんだけキャスト発表時に感情が爆発しているような感じがなかったんですよね。他の方は感極まっていた中で、羊宮さんは割と冷静だったといいますか。
羊宮氏:
でも、裏ではボロッボロに泣きました(笑)。
本当に、それまで抱えていたものが自分の中で爆発したというか……やるせない気持ちや怖さなどが、逆に舞台裏で爆発してしまいました…。
──実際のところ、4th LIVE以前のキャスト未公表の時期はどんな心境で活動されていたのでしょうか?
羊宮氏:
私が活動初期から書いている「MyGO!!!!!日記」というものがあるんですが……キャストが発表されていなかった時期は、ファンのみなさんと触れ合うたびに、安心しているような言葉が綴られていました。
なにかの動画が公開されて、そこにコメントがついたり。ライブに来てくださった方のコメントを見たり……そういう触れ合いがあるたびに、安心していたのだと思います。
でも、日記の最後に書かれている締めくくりなどを見返すと、「いつの日か、もっとみなさんに届けられる歌が歌えますように」といったことが書いてあるんです。
だから、みなさんの言葉を温かく受け取りつつ、「燈ちゃんとして、もっと歌を届けられるようにするにはどうすればいいのだろう」といったことをずっと考えていたのだと思います。
歌が苦手だった。向き合うのも苦しかった。でも
──さきほど、印象的だった時期としてツアーを挙げていただいたと思うのですが、なにか他に「MyGO!!!!!というユニットとして転機が訪れた時」などはございますでしょうか?
羊宮氏:
やっぱりツアーが私の中では大きかったのですが、初めてみんなでいっぱい話し合いをしたのは、2023年8月のMyGO!!!!! 5th LIVE「迷うことに迷わない」でした。
あれは、TVアニメ『It’s MyGO!!!!!』が放送している時……しかも、#9の燈ちゃんが「バンドなんてやりたくなかった……」と言って終わったところで、リアルライブをしなくちゃいけなくなったんです。
ライブって、やっぱり楽しいものじゃないですか。
でも、アニメでみんなの心が一番離れた時に、ライブだったので。それで、すごく話し合いになって……。
一同:
(笑)。
羊宮氏:
やっぱり私としても、「どんな気持ちで立てばいいんだろう……!?」と思っていました。
もちろんリアルライブとアニメとでは世界線が違うので、問題はないのですが……でも違うからといって、普通にやるだけではみなさんが置いてけぼりになるし、楽しめない人たちもいると思うんです。それにライブって、皆さんがいてくださって、初めてライブをする意味があると思うんです。なので、いっぱい話し合いをしました。
──ちなみに、そこではどんな話し合いをされたのでしょう?
羊宮氏:
それこそ、「ライブに合わせて#10を一緒に流せないのか」とかですね。
他にも、「ライブに来る方限定でURLをお配りできないのか」「ライブ前に#10を流すことはできないのか」とか、いろいろなアイデアを話し合っていました。でも、どうしてもそれはできなかったんです。
──いまのお話で、当時のことを思い出しました。まさにアニメが一番大変な時期にライブをすることになって、ファンのみなさんも「週末のライブはどうなるんだ!?」と、いろんな意味で盛り上がっていたような記憶があります(笑)。
羊宮氏:
まさか、「#9まで来て、まだまとまらない」とは思わないじゃないですか(笑)。
もし『Ave Mujica』さんが先に放送されていたら、『It’s MyGO!!!!!』を見ても、みなさん「わかるよ、わかる。まとまんないよね!」と思えていたのかもしれないのですが……やっぱり『It’s MyGO!!!!!』が先行しているので、みなさんヒヤヒヤしていたと思います。
だからこそ、5th LIVEは納得がいくまで話し合いましたし、アニメ終了後のライブでもある「ちいさな一瞬」は結構感動的なものになったと思います。「詩超絆」を初めて披露したのも、「ちいさな一瞬」でした。
──実際に羊宮さんが「MyGO!!!!!」として3年間活動されて、いま改めてどんな心境なのか、ということもお聞きできればと思っていました。さきほど「カラオケで歌を練習されていた」というお話も出ていましたが、あの頃と比べた時の変化などもお聞かせください。
羊宮氏:
そうですね……「努力ってすごく大事だな」と思いました。
私は、お芝居に関しては本当に無知のまま、ただ「やりたい」と思って始めていたんです。もちろん、演技をする中で「自分は下手だな」と思ったりしたことも何回も何回もあったのですが、それ以上に、「楽しいな」と思っていたんです。
だから、お芝居に関しては「なんでこんなに下手くそなんだ」「こんなお芝居じゃ使い物にならない」なんて思いだけで足が止まることはなかったんです。ただただ楽しくって、いまできていないことが悔しくても、次の日には「じゃあ次はここからスタート!」と頑張れていました。
滑舌が悪くて言えないことがあっても、台本をたくさん読み返したりして、がむしゃらに、必死になって頑張ってきました。でも、歌に関しては……
──なるほど、お芝居と歌が逆だったというか。
羊宮氏:
歌って、馴染みあるものじゃないですか。
みんなとカラオケに行く中でも、身近に「歌える人」はいっぱいいました。
そのうえで、歌が好きだったり、歌が上手い人たちもいっぱい周りにいたんです。だから、より「自分の声は歌が上手い人のものじゃないな」「自分の歌い方は音痴だな」と思うことが、何度も何度もありました。「自分は上手くなれないな」と、めちゃくちゃ思っていました。
なので、歌を頑張ろうと練習に向き合い、少し自信がついたとしても、何かできないことにぶつかると、”やっぱり私は下手なんだ”という鎖のようなもので、スタート地点に戻されるような…お芝居の練習のときの気持ちとはまた違った気持ちがたくさん、たくさんありました。何回心がスタート地点に戻ってしまったかわかりません。
戻るたびに、”やっぱり私はだめなんだ”というキズもすごく深くて……でも、それでも歌と向き合い続けてこられたのは、燈ちゃんという存在があったからです。役者として、燈ちゃんを生きられるのは私だけなので、精一杯向き合い続けました。
今では、昔よりも歌をお芝居みたいに楽しめている自分がいます。
──ある意味、歌をお芝居の領域に引き込めたんですね。
羊宮氏:
もちろん、生きている中でまだまだ難しいこともたくさんあると思います。
だから、「努力すればどうにかなる」というのは、綺麗事でもあるかもしれません。
でも、私自身が「努力は必ず報われる」と思えるのは、この数年間苦しんでも逃げなかった自分の過去が自信に繋がっていると思うので、私のお話で「努力は無駄ではない」と、何かやりたいことを頑張りたい皆さんの、少しでも力になれたら嬉しいなと思います。
──では、カラオケで歌を練習されていた時期は、あまり「歌うことは楽しい」と思われていなかったのでしょうか。
羊宮氏:
ヒトカラは楽しかったです!
でも、「上手くなるために、自分の歌と向き合う」となった瞬間、本当に苦しかったんです。自分の音源と上手い人の音源を聞き比べて、「なんでこういう空間にならないんだろう」「なんでこういう節回しにならないんだろう」と。それを再現しようとすると、息苦しくなって呼吸が上手くできなくなったりとか。
歌は楽しいけど、向き合おうとすると楽しくなくなっちゃうんです。でも、上手くなるためには、そこと向き合わなきゃいけない……その繰り返しでしたね。