囲碁や『StarCraft』の次は、23年間、誰も勝っていないゲーム
──個人的に『EVE Online』は、MMOジャンルの中で最も複雑なゲームだと思うんです。DeepMindがこれまで挑戦してきた囲碁や『StarCraft』と比べて、EVEはどれくらい複雑で、攻略が難しいゲームだと考えていますか。
Hilmar氏:
まず、DeepMindがやってきたことを振り返ってみましょう。彼らが最初にマスターしたのは、Atariのゲームでした。『Pong』のような、80年代のごくシンプルなゲームです。
次が「AlphaGo」です。人間の棋譜データを学習させることで、まず碁を打てるようにした。そして彼らは韓国へ行って対局し、あの「37手目(move 37)」【※】に至りました。
※37手目(move 37):2016年3月、AlphaGoが世界トップ棋士のイ・セドル九段との第2局で放った一手。人間のプロがまず打たない発想の手でありながら勝利に結びつき、AIが人間の定石を超えた象徴として語り継がれている。

その次に作ったのが、「AlphaZero」です。これは人間のデータを一切使わず、自己対戦だけで碁の打ち方を学ぶAIです。そしてAlphaZeroは実際に、碁の新しい打ち方を解き明かしてしまった。
ちなみにですが、AlphaZeroの影響で、現在の碁は以前とは違う打ち方をされています。
ある意味、AlphaGoとAlphaZeroのおかげで、碁はかつてないほど人気になっているのです。
──AIが人間を打ち負かして終わり、ではなく、碁というゲーム自体を豊かにしたわけですね。
Hilmar氏:
その次が「AlphaStar」、つまり『StarCraft』です。
碁と『StarCraft』の違いは何でしょうか。碁は、すべての情報がボードの上にあります。対局者は双方とも、盤上のすべての石が見えている。
一方の『StarCraft』には、隠された情報があります。いわゆる「戦場の霧(フォグ・オブ・ウォー)」【※】です。敵が何をしているのか分からない。
だからAIは、敵の動きを”想像”する必要があるのです。
※フォグ・オブ・ウォー:ストラテジーゲームで、自軍ユニットの視界外がマップ上で隠される仕組み。プレイヤーは偵察を通じて敵の動きを推測する必要がある。

──その「AlphaStar」も、最終的には人間のトップ層に届く実力に到達しました【※】。Atari、囲碁、『StarCraft』と、着実に難度が上がってきたわけですが、その先にある『EVE Online』はどうでしょうか。
※AlphaStar:DeepMindが開発した『StarCraft II』のAI。2019年、公式サーバーのランク戦で最上位ランク「グランドマスター」に到達し、アクティブプレイヤーの上位0.2%に入る実力を示した。この成果は科学誌「Nature」にも掲載されている。
Hilmar氏:
「AlphaStar」から『EVE Online』へは、巨大なジャンプがあります。なぜならEVEには、始まりも終わりもないからです。
それ以前のものはすべて、「勝つことができるゲーム」でした。しかし、『EVE Online』は違います。
人間の人生に勝利がないように、この23年間、誰も『EVE Online』に勝っていない。このゲームは「プレイするゲーム」というより「生きる人生」に近いのです。
だから、長期の計画を強く要求されます。
これは、AIの「記憶」──AGIの用語で言う「コンテキストウィンドウ」【※】の管理──に、かなりの負荷をかけます。
※コンテキストウィンドウ:AIが一度に記憶・参照できる情報量の上限。これを超えた古い情報は保持できなくなるため、数十年に及ぶ計画のように「その間ずっと物事を覚え続ける」必要がある長期タスクほど、AIには難しくなる。
しかもEVEは、ゲームそのものが絶えず変化し続けます。だから、覚えるだけでなく、学び直し続ける負荷も非常に大きい。
──囲碁のように盤面を読み切る能力だけでなく、何年にもわたる記憶と学び直しが要求される。AIにとってはまったく別次元の挑戦になるわけですね。
Hilmar氏:
さらに言えば、AIは大勢の人間たちと混ざり合わなければなりません。潜在的には数十万の人間や、数十万のAIエージェントが、同じ世界にいる可能性があるのです。
これは、我々自身の現実の”プレビュー”として、非常に興味深いものだと思います。我々はこれから、AIエージェントやロボットなどとともに、現実を生きていくことになる。EVEは、それを事前にシミュレートする方法でもあるのです。
つまりDeepMindとの取り組み、すなわち「EVEをプレイし、マスターできるようになるか」という課題を通じて、いま挙げた要素のすべてが、丸ごとストレステストされることになります。
AIの実験場は『EVE Frontier』──新世界には”怖いこと”を試す自由がある
──囲碁や『StarCraft』では、DeepMindには「人間のトッププレイヤーに打ち勝つ」という明確な目標がありました。それに対して『EVE Online』には、そもそも「勝利」という概念がないわけですよね。では、一体何を目標としているんでしょうか。
Hilmar氏:
今回の目的は、リサーチ・パートナーシップです。つまり我々は、AIをリサーチし、EVEをリサーチするための研究提携を結んでいるのです。目的は、AIについて、そしてゲーム、特に『EVE Online』についての、新しい秘密を解き明かすこと。
実際、碁で起きたことが、まさにそれでした。AlphaGoは「最強の人間を超える」ことを目指しましたが、その過程で、碁というゲームそのものを変えたのです。
──AIとの勝負が、結果的に碁というゲームを豊かにしたわけですよね。
Hilmar氏:
碁はいま、以前よりエキサイティングな、違う打ち方をされています。そして碁というゲーム自体も、かつてないほど大きくなっている。「37手目」以前よりも多くの人が、今日、碁を打っているのです。
AIは碁をマスターすることで、より良くなった。
そして碁もまた、より良くなりました。
私は今回の提携でも、同じことが起こると強く信じています。それこそがパートナーシップのゴールです。AIをより良くし、『EVE Online』を人間にとってより良いものにする。
いずれ、こう言えるようになりたいですね。「『EVE Online』は運営30年を超えたいまも、史上最高の状態にある。DeepMindとやってきた仕事のおかげだ」と。
──DeepMindのAIは、『EVE Online』のサーバー上で実際に活動するのでしょうか。それとも、あくまで研究のみで表には出てこない?
Hilmar氏:
私たちは、EVE Onlineの技術を基盤としつつ、実際に運営されているゲームとは切り離した特別な研究環境を準備しています。その環境では、AI同士が対戦できるようになります。
つまり本番のサーバーとは切り離された、実験用の環境ですね。

──人間のプレイヤーがいない世界で、AI同士が戦争や経済活動を繰り広げているわけですか。その次の段階も、すでに見えているんでしょうか。
Hilmar氏:
その次のフェーズは、おそらく『EVE Frontier』の中で行うことになるでしょう。Frontierは新しいゲームなので、”怖いこと(スケアリー・シングス)”を試す自由が、より大きいからです。
このステップ1(プレイグラウンド)とステップ2(Frontier)を完了して初めて、我々はより良く理解できるようになります。本体である『EVE Online』で何をするか、をです。
言うまでもなく、『EVE Online』の中には、そこで生きている人々がいます。そして、それは彼らにとって非常に意味のあるものです。だから、そこに何をするかについては、非常に慎重でありたい。
いまの時点でもアイデアはあります。ただそれらは、プライベートプレイグラウンドと、Frontier内での実験を通じて、形作られていくことになるでしょう。
──個人的には、違った展開にも期待してしまいます。例えば映画『ターミネーター』のスカイネットのような強力なAIが、いつの日かライブサーバーにやってきて、宇宙征服を目指し、あの世界をとんでもない危機に陥れる。EVEのプレイヤーとしては、そんな展開すら正直エキサイティングだろうな、と。AIがあの世界の「住人」になる可能性は、ないんでしょうか。
Hilmar氏:
ああ、それで言うと、EVEのプレイヤーたちからも指摘されていることがあります。『EVE Online』はNPC(ノンプレイヤーキャラクター)だらけです。そして彼らは、あまり賢くないし、あまり面白くもない。
いまNPCの移動や制御を担っているのは、旧来型(オールドスクール)のAIです。もしDeepMindと一緒に作るような強力なAIがあれば、その体験を大幅に強化できるでしょう。考えるだけでわくわくするようなアイデアは、いくつもあります。
ただ、繰り返しになりますが、プライベートプレイグラウンド、そしてFrontierでの実験というステップを、順に踏むことが重要です。それを経ることで我々ははるかに賢くなり、AIについても、EVEについても、多くのことを学べるはずです。

プレイヤーはすでにAIと生きている──運営はその半歩先へ
──研究対象としてのAIが興味深いことは、よく分かりました。一方で、プレイヤーの側から見るとどうでしょう。AIの時代は、EVEのプレイヤーたちに何をもたらすんでしょうか。
Hilmar氏:
興味深いことに、EVEのプレイヤーはすでに、テクノロジーの扱いに非常に長けているんですよ。
彼らはAIツールを使ってアライアンス(※いわゆるギルド)を運営し、情報システムを構築し、プロパガンダを作り、ミュージックビデオまで作っています。プレイヤーたちはすでに、AIを相当使いこなしているのです。
だから我々はしばしば、自分たちのプレイヤーに追いつこうとしているか、よくてもその半歩先を行こうとしているにすぎません。
──運営がAIを「与える」のではなく、プレイヤーの方が先に使いこなしている。いかにもEVEらしい話です。
Hilmar氏:
つまり、複数のことが同時に進行していくのだと思います。我々はDeepMindとの仕事を通じて、AIとEVEについてさらに学んでいく。プレイヤーたちはプレイヤーたちで、ゲームをめぐる自分たちの企み(マキネーション)の中で、AIの実験を続けていく。
そして、このゲームはサイエンスフィクションのゲームであり、AIは言うまでもなくSFの大きなテーマです。これらすべてが1つの体験の中で混ざり合い、みんなで解き明かしていくことになるでしょう。



