今週末の4月15日(土)、東京・吉祥寺に新しい映画館がオープンする。その名も「ココロヲ・動かす・映画館◯」。
聞き慣れない名前だが、海外の新作映画やレトロな名作映画を上映し、オリジナルのコンテンツも流す予定。
3階建ての建物には3スクリーンを備え、1階は通常の映画館、2階は飲食しながら映画やライブを楽しむカフェ型スペース、3階は映画に関連した展示やイベントを開催するスペースとなるという。
ところでなぜ、電ファミニコゲーマーで映画館のオープンを取り上げるのだろうか?
実はこの映画館、運営母体は「バイオハザード」シリーズや「鉄拳」シリーズといったタイトルの制作に関わってきたゲーム制作会社、「デジタルワークスエンターテインメント」だというから驚きだ。
ゲーム会社が映画館? 一体そこにどんな狙いがあるのだろうか。
同社の樋口義男社長に、開館に至った経緯や映画への思い、ゲームと映画のシナジー効果などについて尋ねてみた。
座席にコントローラー!? ゲーム×映画だからできること
――今週末に吉祥寺にオープンする映画館ですが、運営がデジタルワークスエンターテインメントさんだと聞いたときは、大変驚きました。
樋口義男社長(以下、樋口氏):
弊社はコンシューマー・スマホ向けゲームの企画開発、ゲーム内のCG制作などをやっています。私の最終的な目標は「オリジナルキャラクターの版権をいかして、ディズニーに負けないグローバル企業になる」ことなので、実はそのための施策として映画館を始めることにしたんですよ。
ちなみに、開館日の4月15日は、東京ディズニーランドの開館日(1983年4月15日)と一緒です(笑)。
――ディズニーとは! いきなり壮大なお話ですが、いったいどういうことなんでしょうか。 映画館とゲーム事業のシナジーが気になるところですが……。
樋口氏:
今は企画段階なんですけど、たとえば将来的には座席にコントローラーをつけられないかなと思っているんですよ。
――コントローラーですか?
樋口氏:
そうです。たとえば、映画なんだけど最後の10分間だけは観客がそれぞれバトルするようにするとか、やってみたいんですよね。エンディングも、それぞれの戦い方に応じたマルチエンディングになる。全国の映画館でマルチ対戦とかさせたいですよね。
――どういう感じなんでしょうか。
樋口氏:
うちがつくったひとつのコンテンツをいろいろな映画館でいっせーのせで流して、マルチ対戦の結果で各映画館で観られるエンディングが違う、なんていうのもおもしろいなと思っていて。そういうふうに、全国区で盛り上がることがしたいですね。
バトルじゃなくて、一定のところまでストーリーがすすむと選択肢が出る、アドベンチャーゲーム的な映画もおもしろいかもしれませんよね。そういう参加型映像をつくってみたいなと思っています。
――聞いているだけでワクワクしてきました!
樋口氏:
今はメディアミックスといっても「映画をやるのでその販促の一環としてアプリを出します」というようなパターンが多いと思うんですよ。どちらかがどちらかの宣伝コンテンツでしかなくて、別にシナジーが生まれてない。
ゲームと映画がインタラクティブなコンテンツになっていて、ゲームをプレイした結果映像が流れたりするようなコンテンツなどをつくりたいんですよ。それはやっぱりゲームも映画も映画館も、全部を自分たちでつくらないと難しい。
――なるほど、そのための自社設備なんですね。
樋口氏:
ゲームだけなくCGアニメの制作も始めたので、その知見をいかしたオリジナルコンテンツをこの映画館で出して、それをあとでゲーム化していくといった横展開を将来的にはしていきたいなと思っています。アニメがウケるかどうかは全然わからないですけど、まあ自社の映画館で流すぶんにはタダですし(笑)。
――しかも、お客さんの反応が見られますもんね。
樋口氏:
そうそう。反応を見てから世に広げていくというようなことができる。
――じゃあもう、将来的には、ゲームもアニメも映画もやるマルチコンテンツの企業を目指しているんですね。
樋口氏:
その通りです。その最終目標がディズニーなんです。
「ココロヲ・動かす・映画館○」という名前に込めた思い
――ちなみに「ココロヲ・動かす・映画館○」という名称にはかなりのインパクトがありますけど、どういう意図なんでしょうか?
樋口氏:
一般的な名称にするのが嫌だったんですね。映画を観ていて、ゾワゾワって背筋が気配を感じるときあるじゃないですか。あの、身体が自然にグワァーってなる感じ、心を動かされている感じこそが、映画の醍醐味だと思っていて。そういう作品を上映する場所なんだから、もう「心を動かす」って入れちゃうのが一番いいんじゃないかと考えたんです。
――ストレートですね。でも「〇」は……?
樋口氏:
テストで点数がいいときに「〇」って書いてあるちょっとうれしいじゃないですか。あれです。名前が長いので、通称としては「ココマル」なんて呼ばれたいですね。浸透するまでは「ココロヲ」で検索していただければ。とにかくインパクトを残せているならいいんです。
――最初から建物まるまる用意したのがすごいですよね。どこかの施設のワンフロアを借りるなどの選択肢はなかったんですか?
樋口氏:
やはり、まるごと自分たちの小屋というものが欲しかったんですよ。やりたいことをいろいろやるにしても、どこかの一室を借りるのだと周りにご迷惑がかかるかもしれませんし。現在の立地はちょうどぽかっと空いていて隣接した建物がないので、いい立地だなと思っています。
――映画上映のための機材や椅子などは、2016年に閉館した広島のシネツインさんから譲り受けたと聞いています。シネツイン、私も行ったことがあるので、閉館のニュースを聞いたときは残念だったんです。でも、こうして当時の設備と東京で出会えるとは。
樋口氏:
シネツインのみなさんには大変お世話になりました。彼らとはいろいろ話したんですけど、印象に残っていることがあって。
――なんでしょう。
樋口氏:
今って、シネコンが全盛期じゃないですか。その影響だけではないけれど、東京でも徐々にミニシアターが減っている。そしてシネコンで上映しているような作品は地方のミニシアターにはやってこないから、東京のミニシアターの元気がなくなると地方も困るんだそうです。なので、「東京でミニシアターが減っていくと自分たちも困るから、もし映画館をやるつもりならぜひ自分たちの機材を譲るので頑張ってほしい」と言ってもらって。
――実にいい話ですね……。
樋口氏:
シネツインさんには35mm【※】もあったんですけど、「いいよ、持って行っちゃって!」と言われて、譲っていただきました。
※35mmフィルム
映画撮影・上映の際に広く使われていたフィルムの規格。近年は映画のデジタル化が進み、フィルムで上映できる映画館は急速に減少しており、機材の製造販売も縮小している。
――35mm! 今やものすごく貴重ですよね。
樋口氏:
ものすごく大きいので、持ってくるときに結構お金がかかりました(笑)。デジタル上映の機材に関しても、1000万円はくだらない上質なものをいただきまして。どれもとにかく大きいので、ちょっと大変でしたけど、そういったものをいいタイミングで譲り受けることができたのはラッキーでした。
――そうしたら、フィルム上映もできるわけですね。
樋口氏:
椅子も、本当に座り心地のいいフランス製のソファーなんです。横幅も広くて、一人ずつに取っ手があるのですごく座りやすいですよ。デザインやインテリアについても、自分たちでいろいろプロデュースしたいなと考えています。それこそディズニーみたいに。
ニコファーレに学んだ「ダイナミック上映」
樋口氏:
上映方式はいろいろ工夫したいなと思っていて、たとえば「ダイナミック上映」というのを考えています。
――どういったものなのでしょう?
樋口氏:
ドワンゴさんの「ニコファーレ」ってあるじゃないですか。以前うかがったときに、映像の上に流れるように文字が出てくるのがすごいなと思ったんですよ。あれとはちょっと違うんですけど、本編の映像にプラスアルファをして、左右のスクリーンでプロジェクションマッピングのようなことをしたら、作品に対する没入感も上がるんじゃないかなと感じたんです。
――本編を流すスクリーンの他に、左右にもスクリーンをつくると。どういう映像を流されるイメージですか?
樋口氏:
たとえば今、『ゾウのはな子』という映画をつくっています。井の頭動物園にいたはな子の70年間の歴史を描く内容なのですが、その映画でやるとしたら、ラストで子供時代のはな子が横のスクリーンに現れてどんどん大人になっていくというような仕掛けをしたらおもしろいんじゃないかなと考えていますね。
――それはたしかに、他の映画館ではできないですね。しかも樋口さん、映画の制作からかかわっているんですか。
樋口氏:
そうなんです、もう全部自分たちでやろうと思ってます。映画監督もやっちゃおうかなと思ってますね(笑)。
――海外の映画の買い付けもされているんですよね。既にブラジル映画『ニーゼと光のアトリエ』などを配給されていますが、映画ファンにとっては嬉しいかぎりです。私は日本で公開される南米映画はすべて観ているんですが、これもいい作品でした。
樋口氏:
それはありがとうございます(笑)。みんなが公開しないような作品は、もう私たちが買い付けたらいいんじゃないかと思ったんですよね。台湾をはじめとしたアジア映画にはいい映画がすごくいっぱいあるんですけど、日本じゃなかなか公開されない。自分で見たり、人と話したりした作品のなかで「これが公開されなかったらもったいないな」と思えるものを買い集めています。
――「ココロヲ・動かす・映画館○」で流す映画は、自社配給のものだけですか?
樋口氏:
いや、そんなことはないです。自社が3割、他社が7割くらいのイメージです。たとえばグザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』も上映します。
――自分たちで制作するものや買い取ってくるもの以外だと、どういう映画を上映するつもりですか?
樋口氏:
昔の名作なんかもどんどん上映したいですね。たんにコンテンツとして見るなら、今は気軽に家で観られるんだけど、大きなスクリーンで暗い中で集中して観るというところにも、映画の体験としての価値があると思うんですよ。往年の名監督の名作がスクリーンで観られる機会をもっと作って、映画ファンだけでなく、いろいろな人が気軽に足を運んでくれる場所にしたい。たとえば『ニュー・シネマ・パラダイス』をやりたいと思ってますね。
――まさに映画館で観たい映画ですね!
樋口氏:
さっき「ダイナミック上映」のアイデアを話しましたけど、名作を上映するときもまた違った仕掛けを考えていまして。たとえば、『ニュー・シネマ・パラダイス』のときには横に隠し幕をつけておいて、ラストでそこがさーっと開いて生演奏が始まるとか。もう、私も泣いちゃうかもしれない(笑)。女性向けの演出もいろいろやりたいなと思ってまして。館内でアロマをたくとか。
――そういうことも、自社で建物を持っているからできることですよね。
吉祥寺のクレープ屋も復活!?
――この立地自体は、もともとは何があったところなんですか?
樋口氏:
最初に見つけたときはゲームセンターだったんですよ。ケーキ屋やパチンコ屋だったときもあったかな。
――映画はまったく関係ないうえに、ずいぶんコロコロ変わっている(笑)。
樋口氏:
場所的にはいいところなんですけど、吉祥寺駅前っていろいろなお店があるから、ケーキ屋とかだと厳しかったでしょうね。なんとかその負のジンクスを覆したいなと思っています。
――場所は少し違いますけど、吉祥寺では、「爆音映画祭」で映画ファンに知られていた「バウスシアター」が2014年に閉鎖しています。
樋口氏:
あれは残念でしたね。私、西荻窪に住んでいたこともあるので、バウスシアターがあることによって地域が形成されたイメージがすごく強くて。
――私もよく行ってました。映画館にあったクレープ屋さんのクレープも何度も食べてました。
樋口氏:
あ、そうなんですか? 実はおそらくそのクレープ屋さんだろうというお店が今でも密かにやっているのを発見しまして。
――えっ!
樋口氏:
あの近くのちょっと見えにくいところで細々とやられているんですよ。うちの映画館がちゃんと始動したら、その方をお呼びしてクレープをいっしょに焼きたいななんて思っています(笑)。
――やはりバウスの後を担う、という気持ちもあるんでしょうか?
樋口氏:
たしかに、Twitterとかを見ていると、そういう期待感を持ってくださっている方が多いですよね。バウスの後を引き継げるかというとまだわかりませんが、影響はすごく受けています。だからこそ吉祥寺につくったのはある。バウスシアターをフィーチャーする「リメンバーバウス特集上映」【※】というのを企画していまして。
※リメンバーバウス特集上映
バウスシアターをトリビュートする上映企画。4月15日~28日開催。上映する作品は『ウィズネイルと僕』、『ホドロフスキーのDUNE』、『気狂いピエロ』、『勝手にしやがれ』、『地獄の黙示録』など12作品。
――おお。
樋口氏:
バウスシアターの歴史の展示とか、彼らが上映していた作品を上映させていただくとか、いろいろ仕掛けます。クレープ焼いてもいいし(笑)。
――クレープも食べたいです(笑)。ちなみに、樋口さんご自身は、主にどういった作品を好んで観るんでしょうか?
樋口氏:
いろいろですね。エンタメ系だったらそれこそ「スターウォーズ」シリーズが好きだし、アート系も好きだし。あと、『イル・ポスティーノ』というちょっと男くさいドラマの展開されるイタリア映画とか。なんか、ダメ男が好きなのかもしれません。
――ダメ男(笑)。
樋口氏:
一生懸命頑張ってるんですけど、やっぱりちょっと幸せになりきれてないような人間が出てくる作品が好きですね。ちょっと自分を投影しているところもあるかもしれません。仕事がうまくいっていても恋愛がうまくいってないとか、その逆とか。私の人生も、そういうことの連続なので(笑)。
フラれるたびに行ったディズニーランド
――というわけで、ここで樋口さんの人生についてお伺いしたいんですが(笑)、やはり映画がお好きなんですか?
樋口氏:
ぼくは子供のころから映画が大好きなんです。もともとは、ゲームよりも映画との馴染みのほうが深いんですよ。小学校3年生のときには、もう映画館に一人で観に行ってたから。
――樋口さんご自身はどちらのご出身なんですか?
樋口氏:
千葉県です。市川というところに住んでいたんですが、ディズニーランドがすごく近いんですよ。女の子にフラれると、ディズニーランドの周りをバイクでウロウロしてました(笑)。
――青春ですね(笑)。
樋口氏:
そうでしたね。ディズニーランドに行くと、なにかすごく癒されるという気持ちがあった。一人で周りをウロウロするだけじゃなく、友達と園内にも遊びに行ってました。そのうちに「将来は、こういうエンターテイメントの作り手を目指したいな」という強い願望が生まれたんです。
それでディズニーの歴史本を読んだら、映画で財をなしてからテーマパークを作ったというのが書いてあった。それで、映画監督を目指そうとしていた時期もありました。実際に映画監督の見習いもやってましたし。
――ただ映画好きだから映画監督を目指したのではなく、ディズニーの影響がその時点であったんですね。
樋口氏:
実は私、吉本の養成所に入ってお笑いの修行をやってた時期もあるんですよ。ナインティナインさんとか、ココリコさんとか、ロンドンブーツ1号2号さんとか、あのあたりと同じ頃です。
――えっ、それは何歳のときですか?
樋口氏:
23、4歳ですね。1年ぐらい舞台にも立ってましたよ。本当に勉強になったんですけど、やっぱり自分がお笑いで一番になるのは厳しいなと思い知りました。
「1000万円あげる」と言われて会社を始めた
――そこからどういう経緯でゲーム業界に?
樋口氏:
お笑いを諦めたときに「まずはお金を貯めよう」と考えて、思いついたのがゲーム業界でした。美術系の大学で絵の勉強をしていたので、自分の得意分野で勝負しようと考えたんですが、単なる絵描きじゃ食えなくて。ちょうどプレイステーションの全盛期だったんですよ。
――あー、なるほど。
樋口氏:
アキバに置かれたハードが一瞬で売れちゃってましたもん。30台くらい置いてあっても、すぐにパーッとなくなっちゃう。これは将来性があるぞと思いました。それでコーエーさんにたまたまアルバイトで入れてもらって。そこからソニーさんに移りました。『レジェンド オブ ドラグーン』の背景を描くなど、いろいろなタイトルに携わって勉強させてもらいました。
――そして、ソニー・コンピュータエンタテインメントでの経験を経て、独立されたと。
樋口氏:
その頃はゲームがとんでもなく売れる時期が続いていたんです。2001年にデジタルワークスエンターテインメントを設立したんですが、最初は自分のアパートで会社を始めて。メンバーをインターネットで募集していたんですが、1人入れると仕事が増えてまた1人増やす……というのが延々と続きました。半年で10人ぐらいになっちゃいまして、自分の寝るところがなくなっちゃった(笑)。
――それでオフィスを借りられたと。
樋口氏:
はい。その頃に代々木八幡に引っ越しました。資金がショートしそうな時期もあったんですけど、ひとつ人生の転機が訪れました。
ある会社に営業に行ったらそこの社長が「キミおもしろそうなんで、1000万円あげる」って言ってくださったんですよ(笑)。さすがにびっくりしましたよね。「これは……抱かれろということか?」なんて邪推しましたもん(笑)。
――タダで1000万円貸してくれるわけがないと(笑)。
樋口氏:
そこで思い切って「分かりました! じゃあ、1000万円を私にいただけますか!」と答えたんです。そうしたら、ちゃんとした誠実な方で、きちんとしたかたちで1000万円を投資していただきました。
――それはすごい経験ですね。
樋口氏:
その1000万円によって、ちゃんとした株式会社をつくれました。とはいえ、1000万円って、パソコンやソフトを買うと意外となくなっちゃうんですよ(笑)。それで途中資金がショートしかけたときもありましたが、なんとかうまくいって、1~2年後にはもう50人規模になりましたね。
ヒヤヒヤしながら引き受けた『幻想水滸伝』
――初期はどんなゲームを受託されていたんですか?
樋口氏:
初めての仕事は「ペルソナ」シリーズでした。アトラスさんに訪問したら「じゃあ仕事あげるよ」と快く言われまして、しかもビックリするぐらい金額が良くて。ちょっと驚きましたね。
――具体的にどんな内容だったんでしょうか。
樋口氏:
導入部分や途中で流れるムービーですね。それを担当したら「じゃあ次も」というかたちで、継続して仕事をいただきました。コナミの「幻想水滸伝」シリーズもやりました。たしか『Ⅳ』のときですね。でも、コナミさんから「60人くらいの規模の仕事だけど、できる?」と言われたとき、まだ30人しかいなかったんですよ。
――えっ、それで引き受けたんですか?
樋口氏:
ここで「できない」って言ったら、もうおしまいだなと思ったので、「できます!」と断言しましたね。コナミさんが会社を見に来ることになったときにはもう友達連中を集めて、人がいるように見せた(笑)。
――今だから言える話ですね(笑)。
樋口氏:
それでなんとか契約までいって、仕事をやりきって。「幻想水滸伝」の仕事を機に伸びていったと思います。おかげさまで、最初に投資いただいた方にも、2年後には3倍ほどお返しできました。
――すごい! 今にして思えば、その方は非常に見る目のある方だったということですよね。
樋口氏:
彼にはいろいろ影響を受けました。よく言われていたのが、「樋口くん、早く会社を100人にしないとダメだよ」ということですね。まだ数人しかいないころから言われていて、当時はまったく想像もしてなかったんです。でも、そうやって言われると「自分にもできるんじゃないかな」と思えるようになってきた。やりたいことはまず言っちゃうと、具体的にイメージできて実現しやすくなるんだ、と学びました。
今回の映画館も、具体的な計画をかためるよりも「まず作っちゃおう」と思って作っちゃったんですよ。
レベルファイブとの出会い
――その方から学んだことが今でも生きているんですね。ほかに、決定的な出会いはありますか。
樋口氏:
それはやはり、レベルファイブさんの日野晃博さん【※】との出会いです。
※日野晃博
1968年生まれのゲームクリエイター。レベルファイブ代表取締役社長。複数のゲーム制作会社を経た後、1998年に同社を設立。2007年に発売した『レイトン教授と不思議な町』をはじめ、『イナズマイレブン』シリーズなどヒット作を次々と世に出している。2013年には『妖怪ウォッチ』の企画に携わった。
――どういう経緯で知り合ったんですか?
樋口氏:
ソニー時代に一緒だった人と日野さんが知り合いで。それで私が独立してから仕事を頼まれたんだけど、最初はお断りしていたんです。要求されたクオリティが高くてうちでは厳しいと伝えたんだけど、断ったのに、またいらしたんですよ。「そこまで言うんだったらお受けします」ということで、お仕事を受けた。
――それは、すでにレベルファイブが名の知られるようになった後ですか?
樋口氏:
いや、まだパブリッシングをしていない時期ですね。でも、そこから『レイトン教授と不思議な町』がヒットして日野さんとレベルファイブが一躍有名になった後に、また連絡があったんです。「サッカーゲームを作りたいんだけどプログラマーが全然いないから、福岡にプログラマーを派遣してくれないか?」と言われまして。それで、うちのメンバーに相談してパッと福岡に行ったんですよ。そのときに作ったのが『イナズマイレブン』です。
――なるほど! ということは2007、8年のあたりですね。
樋口氏:
あとで聞いたら「あの頃、いろんな会社に電話したんですけど、どこも福岡までプログラマーを派遣してくれる会社なんかなかったんだよ」と話されていました。そのときのフットワークや仕事ぶりを買っていただけて、「イナイレの2は君たちに任せるよ」ということになったんです。
4人しかいないのに、80人入るオフィスを借りた
――そして、その縁が『二ノ国』などにもつながり、さらに会社が拡大していったと。
樋口氏:
『二ノ国』の仕事は本当に印象に残ってます。スタジオジブリさんがゲームを作るって、ほとんどないですからね。直接話し合って開発しまして、最終的には社内でも、ジブリさんの作品と遜色のない背景を制作できるようになった。苦労も多かったですけれど、やりがいのある仕事でした。
といっても、会社が順調に成長したというわけでもないんです。当時、私は「このまま日本でやっていても埒が明かないな」と思いまして、海外に拠点をつくることにしたんです。しかし、中国でやろうとしたら大失敗した(笑)。
――海外だと文化も違うから大変ですよね。
樋口氏:
そのときの反省をいかして今度はベトナムで出直しました。最初は3、4人しかいなかったんですけど、大きいところを借りちゃえばあとは人を入れざるを得ないなと思いまして、いきなり80人入るところを借りちゃいました。
――人数の20倍の場所を(笑)。
樋口氏:
でも、1年くらいしたら100人くらいになったんですよ(笑)。海外の人員で開発したものというと、クオリティの面で敬遠する取引先も最初は多かったんですが、うちはちゃんと日本から管理できる人材を一定数派遣していまして。実際に仕事をした企業にクオリティを納得していただけてからは、最初から海外での開発でOKというところが増えていきました。
――そうやっているうちに、今では100人どころか数百人規模まで会社が大きくなったと。
樋口氏:
従業員数は、国内外あわせて600人くらいまで大きくなりました。
次なる夢は、自社テーマパークのオープン
――ちなみにアニメも作られているとおっしゃってましたが、どんな作品なんですか?
樋口氏:
『爆裂ナイン』という野球の作品をつくっています。舞台は近未来なんですけど。
――近未来というと、SFなんですか?
樋口氏:
そうそう。2040年くらいに宇宙戦争が起きて、地球はまるごとゴミ処理場になってるんですね。そこで子供たちが唯一楽しめる遊びが野球なんです。で、そうやって暮らしているときに宇宙全体の王様のような人が、全宇宙を対象とした野球大会を開催することを宣言する。そこで優勝した人はなんでも言うことを聞いてもらえるということで、特殊能力を持った子供たちが地球を救うために野球の試合に臨んでいくというような話です。
――なかなかシビアな世界観にしたのには、理由があるんでしょうか?
樋口氏:
以前仙台支社の社員の子供たちといろいろ話して、震災のときのことを聞かせてもらったんですね。それで、何か大きな力などによって挫折を経験した子たちが自分の夢をあきらめずに追っていくような青春ストーリーをつくりたいなと思ったんです。
――そういえば、社員の方からは反対されなかったんですか? 映画館を始めるなんて。
樋口氏:
それはもう……反対する前にやっちゃうから(笑)。いつの間にかやってた、という感じで。一応5年ほど、アップリンクさんが運営している映画のワークショップに通っているんですよ。
――アップリンクと言えば、まさに東京のミニシアターの代表ですね。
樋口氏:
大学生とかといっしょに、「こうすればビジネスとして成り立つ」ということをアップリンク代表の浅井隆さんに教えていただいています。そういうのもあるし、「映画を撮りたい」とは前から言っていたんですよ。
――実現する前に口に出していくのが樋口さんのスタイルですもんね。
樋口氏:
はい。そして2020年に向けては、テーマパークも作りたいと考えています。
――それはどういったイメージなんでしょう。
樋口氏:
台湾に行くと、アート村と映画館とお店屋さんが融合したような施設があるんですね。セミプロや素人に近いアーティストたちが自分でつくったものを売っていたり、劇場があったり、ちょっとしたオブジェがあったりして。
東京で「アート」って言うと、なんかもう堅いイメージじゃないですか。そういうのが全然なくて、すごく楽しそうなんですよ。あの台湾で見たような場所をつくりたいなと思って、2020年に向けていろいろ仕込んでいるところです。
――やはり場所は吉祥寺でしょうか。
樋口氏:
いや、吉祥寺はちょっと土地が高いからな……(笑)。東京近郊がいいですけど、船橋とかだと、ディズニーランドに行った帰りに立ち寄れていいかもしれません。そのためにも、今は自社のオリジナルコンテンツを強化していきたいですね。
――テーマパーク、楽しみにしています。ありがとうございました!