スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』が2018年4月20日に日本でも公開されました。
まずは本作の公式サイトに書かれているストーリーの一部をご紹介しましょう。
「2045年。多くの人々は荒廃した街に暮らす現実を送っていたが、若者たちには希望があった。それはVRの世界、「オアシス」 。 そこに入れば、誰もが理想の人生を楽しむことができる。
ある日、そのオアシスの創設者、ジェームズ・ハリデーが亡くなり、彼の遺言が発表された。“全世界に告ぐ。オアシスに眠る3つの謎を解いた者に全財産56兆円と、この世界のすべてを授けよう。
突然の宣告に世界中が湧き立ち、莫大な遺産を懸けた壮大な争奪戦が始まった。現実でパッとしない日常を送り、オアシスに自分の世界を求めていた17歳のウェイドもまた参加者の一人だ。
オアシスで出会った仲間たち、そして謎めいた美女アルテミスと協力し、争奪戦を勝ち残ろうとするウェイド。 しかしそこに世界支配のため、すべてを手に入れようとする巨大企業、IOI社も出現して……。」
また既にCM等でご存知の方もいると思いますが、この「オアシス」という世界には80年代のポップカルチャーを中心にあらゆる作品のキャラクターが登場します。例えば『ガンダム』や『ゴジラ』、『ストリートファイター』に『オーバーウォッチ』……
すごくないですかっ!? スピルバーグの映画にあんなキャラやこんなキャラが出てくるんですよっ!
そんな『レディ・プレイヤー1』には、たくさんの「楽しみ」が詰まっているんです。80年代ポップカルチャーを懐かしんだり、VRの可能性を感じたり、登場しているキャラクターを探したり、ガンダムに燃えたり。
ゲーム・アニメ・音楽・映画が好きな人なら全方向に楽しめる! めっちゃ楽しい映画なのでみんな見てほしい!!
……普通に『レディ・プレイヤー1』を紹介すると、こういう感じになります。たしかにその通りで、80年代から始まるオタク文化をこれでもかというくらい肯定的に打ち出しているので楽しいんです。
でもこの映画、80年代ポップカルチャーというデコレートが効いていますが、実はこの物語は、僕らが愛してやまない“オンラインゲーム”をとりまく物語であり、そこで育まれる愛や友情を真正面から表現している「オンラインゲーム賛歌」であると言えるんです。
そうです、これはあのスティーブン・スピルバーグが監督した「リアル」と「ゲーム」を交互に行き来しながら描かれる「僕達の物語」なんです!
文/マイディー
ということで、本稿はオンラインゲーム『FINAL FANTASY XIV』のドラマ作品『光のお父さん』の原作者であるマイディー氏による、映画『レディ・プレイヤー1』の紹介記事である。
吉田直樹×マイディー FFのドラマ化という前代未聞の偉業と人生の中でのオンラインゲーム【FFXIV 光のお父さん:対談】
「オアシス」 自体はVRワールドと表現されているが、ゲーマー的にこれは「VRMMO」である。
また公式サイトでは「3つの謎を解いた者に全財産56兆円と、この世界のすべてを授けよう」と書かれているが、より詳しく説明すると、謎を解くことで鍵が手に入り、3つの鍵をそろえるとイースターエッグが出現。
このイースターエッグを最初に獲得したプレイヤーが、56兆円と「オアシス」 のすべてを手にするのだ。
ただイースターエッグとはいうものの、その存在自体はヒントと共に公にされており、報酬を求めて多くのプレイヤーがこのゲームに参加しているため、「オアシス」 内のエンドコンテンツと言ったほうがわかりやすいかもしれない。
このイースターエッグを探すプレイヤーたちは「エッグ・ハンター」(通称「ガンター」)と呼ばれており、主人公の少年もガンターだ。
そして主人公とその仲間たちは、エッグ・ハンターのランキングで1位から5位までを独占しているため、いつしか「ハイ5」(ハイファイブ)とプレイヤーたちから呼ばれるようになる。
本作では、そんなハイ5を中心としたゲーマーたちと、「オアシス」 を自社の利益のために利用しようとする巨大企業「IOI社」との戦いが繰り広げられるが、描かれる物語は「リアル」と「ゲーム」を交互に行き来する「僕達の物語」だ。
そういう意味では、マイディー氏の『光のお父さん』、あるい『ソードアート・オンライン』や『.hack』に近しい作品とも言える。
だが、ゲーマー視点で書かれた『レディ・プレイヤー1』の記事をほぼ見ないため、電ファミニコゲーマーはマイディー氏に本稿の執筆を依頼した次第だ。それでは本編をご覧頂こう(編集部)。
仮想現実の世界が、今生きているリアル世界よりも魅力的になってしまった未来のお話。
物語の舞台は2045年、近未来のディストピア。環境汚染が進み、世界の政治もうまく回っておらず、人々は汚れてしまった世界に何の夢も持てなくなってしまった。
そんな面白みが何も無いリアルから逃避するように、ほとんどの人類が「オアシス」 で遊んでいる、というが『レディ・プレイヤー1』の基本設定。
そのため、劇中ではVRゴーグルを着けている人たちが町に溢れかえっている。この設定、オンラインゲームに熱中してしまった経験がある人なら「わかる」ってなるんじゃないでしょうか。
「オンラインゲーム」が楽しいと思えるのは、そこに自分以外の人がいるから。
リアル世界の人間関係に疲れていたとしても、オンラインゲームはその現実を一旦棚の上に置いて違う世界での人間関係を楽しむことができるから。
しかも、オンラインゲームは神様が創った世界ではなく、人が創った世界なので、ありとあらゆることがプレイする人にとって気持ちよく創られている。
だから詰みそうになっているリアル世界より、「オンラインゲーム」の世界のほうが楽しくなってくるのは当たり前なんですよね。特にこの映画みたいに、荒廃した現実世界にそんな楽しそうな仮想世界があったら、なおさら逃避が加速すると思います。
ただ、僕はオンラインゲームが好きで好きで、毎日オンラインゲームでいろんな人と遊んでいます。日夜オンラインゲームの持つ可能性や楽しさを多くの人に知ってもらおうと活動しています。
そんな僕でも、劇中でVRゴーグルをつけて変な動きをしている人が町に溢れる光景を見ると、直感的に「これはヤバいな」って思ってしまいます。
それはこの映画が、オンラインゲームが「人生の逃げ場」として進化した未来を描いているから。
そしてその風景を、僕たちオンラインゲーマーは、とても身近な風景に感じるからです。これが、オンラインゲームを愛するものとして痛い所を突かれた、この映画の「ウッ」となる部分でした。
でも断っておきますが、スピルバーグ監督はこの映画でオンラインゲームをディスっているわけではありません。こうなる「危険性」もたしかにあるよね、というメッセージを伝えてくれているのだと僕は思います。
オンラインゲームの自キャラは理想の自分の姿である。
多くのオンラインゲームは、自分が操作するキャラクター「自キャラ」を自由にクリエイトすることができます。
その技術はグングン進化し、ブラッシュアップされて自分の理想を形にすることができるようになってきた。人間誰しも自分の容姿を自由にクリエイトして生まれ変われるなら、理想の自分を作り上げるでしょう。
オンラインゲームはそんな理想を詰め込んだキャラクターで冒険し、多くの人との繋がりができていくゲームです。だからこそ、仲間と冒険を重ねることで、徐々に友情のようなものが芽生え、交流は深まり繋がりが強くなっていきます。
で、盛り上がったノリで誰かが言い出すのです……「今度リアルで会って、飲みにいこうぜっ!」と。
「お……おう……まあ……そ……うん。」
鈍い返事の奥にあるのは、言葉にできないような謎の「罪悪感」。本当の自分はこんなにかっこよくはない……本当の私はこんなにかわいくはない……。
嘘をついているわけではないのに、何故か申し訳ない気持ちが沸いてくる。自分で作った理想の姿を通して繋がったこの関係……本当の自分を見たらきっとガッカリされるに違いない……という心配が付きまとう。
果たしてそんな状態で育まれる「愛」や「友情」は本物と言えるのでしょうか。これも本作のテーマです。
ただ、まぁこういうのって、実際に「えいや!」と会ってみたら、杞憂だったってわかったりするのがほとんどだったり。
逆に言えば、容姿に左右されず本人が発する言葉だけで繋がった友情だったりするので、内面はもうわかりあっているわけですしね。おじ様が「女子高生です!」って言っていた場合は保証できませんが……。
仮想現実で知り合った仲間との「愛」と「友情」は本物か……このあたりの回答も『レディ・プレイヤー1』ではうまく描かれています。それも「夢」や「希望」を感じる、とても素敵な形で。
オンラインゲームの持つ、「夢」や「希望」と「危険性」を提示した上で、それに向かうオンラインゲーマーの姿勢を指し示す。
オンラインゲームが「人生の逃げ場」になった世界で、作られた理想の姿を持つ自分。
そこで知り合った仲間達との「愛」と「友情」の冒険物語。この映画は近未来を舞台にしているものの、現代のオンラインゲームの「危険性」と「夢」と「希望」が詰まっています。
僕が『レディ・プレイヤー1』を見て、心打たれたのは「“リアル”は“仮想現実”より素晴らしいよ!」という提案ではないところ。そして「“仮想現実”は“リアル”より素晴らしいよ!」とも言わないところ。
「リアル」には「リアル」でしか味わえない感動があり、「仮想現実」では「仮想現実」でしか味わえない感動がある。
その双方を自分の中で「共存共栄」させることで人生はより豊かになるんだよという提案。これはまさに、オンラインゲームを人生の逃げ場にしない、唯一無二の考え方だと思います。
僕らは普段、多くの人が生きる「現実社会」で暮らしています。
人の本質を「身体」ではなく、「心」と考えるならば、たくさんの「心」が集まり、言葉を交わしていくオンラインゲーム、仮想現実の世界はもはやもうひとつの「社会」と言えるのかもしれません。
「現実社会」と「仮想現実の社会」、二つの社会を生きることで、世の中の全てを現実と仮想の二元論で捕らえ「共存共栄」させていく。
それは人にとって大きな財産になるのではないでしょうか。そうなれば、現実世界の庭に咲く一輪の花を見たとしても、素直に美しいなと感じるかもしれません。
……そしてもうひとつ、RX78-2のガンダムが登場するシーンでZZガンダムのポーズをとるのは、「かっこいいから」らしいんですよ。
なんでもスティーヴン・スピルバーグ監督は御年70歳ということで。僕らはいくつになっても「ガンダムかっこいい!」って言っていいんだって……そう勇気付けられたのが何よりの収穫かもしれません。
『レディ・プレイヤー1』は、僕達オンラインゲーマーにとってそういうことを気づかせてくれる映画でした。
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“ゲームに関係する映画だ!”ということで、編集部ではさっそくレビューを執筆していただきました