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セガ社員と「創業からのセガの歴史」を振り返ってみた【PR】

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セガ、家庭用ゲーム機から撤退。そして合併へ

で、そういう流れもあってドリームキャストが期待したようには普及しなくて、2001年には家庭用ゲーム機からの撤退を表明します。そんな風にかなり経営的にも危ない感じになってる中で、CSK大川会長が多額の私財をセガに寄付してそのままお亡くなりになるという。大川さんと話した事あります?

いやもう、雲の上の人なんで……(笑)。

私は大川さんにプレゼンしたことありますね。大川さんがいなかったら、たぶんセガという会社はないはずです。当時の部長だった中裕司さんが「大川さんが居てくれたおかげだっていうのはみんな覚えておけよ」って言ってたのを覚えてます。

ドリームキャストっていうハードを出す前に、そもそも作るかどうかっていう検討をするじゃないですか。サターンも分が悪くなって、家庭用ハードは諦めてソニーや任天堂のサードパーティとしてやろうか、とか。その時に「最後にもう一回挑戦しよう」って言ったのが大川さんだったとか。その大川さんが「これからはネットワークだから、ネットワークのハードにしろ」っていう号令を出したんですね。それでドリームキャストの設計のコンセプトに大川さんの思想が入っているので、不振は自分の責任だという事で私財を投入したのかもしれません。

でも、先見の明はすごいですよね。本当に「ちょっと早かった」っていうだけの事で。ドリキャスが撤退する時にビルゲイツに談判しに行って、「ドリームキャストのソフトをXboxで動くようにしてくれ。じゃなきゃドリームキャストのユーザーに申し訳ない」ってお願いしたとか。マサチューセッツ工科大学に多額の寄付したとか。偉人としてのエピソードが多い。

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その後、2004年にセガとサミーが経営統合するんですけども、サミーの里見会長が苦しかった時代に大川会長が資金を出してサミーを救ったっていうのがあったそうなんですよ。これはサミーの社史なんかには書いてあるらしいんですけど。だから、里見会長は最後まで大川さんが夢を見て、愛着を持っていた会社であるセガが危ない、だからなんとか手助けしよう、という意味もあって経営統合したそうです。

おー、なるほど。あの経営統合で何か変わりました?

変わりましたよ。資金繰りが劇的に改善されました(笑)。あの合併が発表された時、世間的にはサミーとセガが経営統合ってなるとサミーがセガを吸収合併した、みたいに取られがちなんですが、立場的には対等なんですね。その上でセガのセガらしさを失わないような形になっているので、現場で不自由があったりっていう事は少なかったんじゃないかと思います。だからもし、今のユーザーの皆さんが、当時のセガらしさを今のセガにも見て頂けるのであれば、そういう事があったおかげなのかなと思います。

その一方でアーケードではヒット作を連発

なるほど……。ちょっと、時代が戻るんですが、これは僕の個人の趣味として『スパイクアウト』の話をしたくて。僕、当時『スパイクアウト』がめちゃくちゃ好きでセガワールドに通ってたんですよ。

そう。ドリームキャストも色々動いてる中で、名越さん【※】は『スパイクアウト』みたいにアーケードでも着実にヒットを重ねてましたね。

※名越稔洋
89年入社。現在はセガゲームス最高開発責任者及びセガ・インタラクティブ取締役CPO。『バーチャレーシング』『バーチャ』などにCGデザイナーとして参加。代表作に『デイトナUSA』『スパイクアウト』『スーパーモンキーボール』『龍が如く』など。

あ、『スパイクアウト』って名越さんなんですね。

そうそう。

だから『龍が如く』には『スパイクアウト』の血が流れてると思います。

あ、確かに。ゴロツキいっぱい出て来るし。街で暴れまわるっていう。

3Dアクションで、街で戦うっていうのは、『スパイクアウト』からの流れですよね。

で、僕『スパイクアウト』めっちゃ好きで、地元の布施のセガワールドにめっちゃ通ってたんですよね。100円で1時間とか遊べて。

そう。だからお店はあんまり儲からないから『スパイクアウト』を入れたがらないっていう……(笑)。

そう! でも僕、店員さんとも仲良かったから、「『スパイクアウト』は儲からないかも知れないけど、『スパイクアウト』目当ての客が待ってる時間に他のゲームで遊んだりして結果的には儲かるんだから絶対撤去しないでね!」って言いまくってました(笑)。

なので、『スパイクアウト』もそうなんですけど、ドリームキャストがなかなか苦しい戦いを強いられている中でも、アーケードはヒット作がどんどん出てるんですね。『スパイクアウト』、『ダービーオーナーズクラブ』【※】とか。

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※ダービーオーナーズクラブ
このデカい筐体をゲームセンターで見た事がある人も多いはず。ゲーム業界で初めてICカードによる情報保存システムが採用された。アーケードゲームに「続き」の概念が初めて持ち込まれた瞬間である。ヨッピーの友人がこれにハマって死ぬほどお金を使った。

『ダービーオーナーズクラブ』がアーケードのカードゲームのはしりですよね。

そうですね。それでそのあと『WCCF』『甲虫王者ムシキング』『オシャレ魔女 ラブandベリー』『三国志大戦』って続きます。

あー! 『三国志大戦』! 『三国志大戦』はね、僕三国志好きだし物凄く面白そうでやりたかったんですよ。

これはね、当時『サクラ大戦』とか『ぐるぐる温泉』とか作ってた人たちが、コーエーが出してた『三国志インターネット』っていうLANで遊ぶ対戦ゲームを10年とかずーっとやってて。

そうそう。10年ぐらいやってた(笑)。

お昼休みにお弁当食べながら。発売当初は90年代だったので、そこから2000年になってもずっとやってて、そのメンバーのうち何人かが「俺たちも三国志のゲーム作りたいね」って。それで出来たのが『三国志大戦』なんです。

僕ね、ゲーセンで見ててめちゃくちゃ面白そうだったから、やってた友達に「『三国志大戦』どうなん?」って聞いたんですよ。そしたら「面白いよ。面白いけど月に5万とか10万とか平気で飛ぶよ」って言われて断念しました(笑)。

私はサッカーがすごい好きだから、『WCCF』が出た時にゲームセンターに行くたびに数万円ぐらい使っちゃうので、「セガで貰った給料をセガに払うってなんなんだ」って思ってました(笑)。

「これ流行るなぁ」と思ったのが、作ったスタッフが会社帰りにゲーセンに飛び込んで一生懸命やってるんですよ(笑)。カードとかは開発スタッフでも絶対もらえなくて、作ってるスタッフもレアカード欲しくてひたすらやってて、要らないハズレのカードが会社でデバッグ用にどうぞみたいに山積みになってたっていう。

マリオ&ソニック発売で奇跡の和解?

カードにハマってお金を溶かした人は多いだろうな……。で、2007年の『マリオ&ソニック AT 北京オリンピック』発売で奇跡の和解? ですか?

別に任天堂さんと仲が悪かったわけではないので(笑)。

自分はずっとセガ派ですけど!

任天堂さんのハードは本当に凄いなと思ったのが、ゲームキューブやゲームボーイアドバンス向けに『ソニック』を出した直後、2002年に国際フォーラムでやったセガのイベントに小学生が来るようになってビックリしたんですよ。今まで『バーチャ』とか『サクラ大戦』のティーン以上のファンばっかりだったので、プレイ待機列の身長差がすごいんです。

私は『エターナルアルカディア』のゲームキューブ版を出す時に任天堂に企画の説明に行ったんですよ。そこで京都の本社に行ったんですけど、めちゃくちゃ感動しました(笑)。「私、ずっとセガに居るのにまさか任天堂に来る日がくるとは……!」って(笑)。

あー! わかる! 僕もこの間仕事で京都に行った時に、何気なく車を運転してたら向こうからだんだん任天堂のロゴが近づいて来るんですよ。「うわーーー!写真撮って写真!」ってめちゃくちゃテンション上がりましたね!

(笑)。

で、今のセガってどうなの?

本当はセガの歴史って、これまだまだ続くんですけど、もうちょっと時間がヤバくて、宮崎さんも「これから生放送だ!」って居なくなっちゃったし! ここから先は「割と最近」っていう感じになってくるのでまた別の機会に触れられればなと思うんですけど、本当に申し訳ないです! 6時間くらい時間とっておけば……!
で、さっき話の中で94年~95年がピークっておっしゃってましたけど、その頃を例えば100として、今はだいたいどれぐらいですか?

これまた難しい質問を……。会社としては、あの頃よりむしろ良くなってると思いますよ。過去のセガって、例えば北米版ジェネシスがスーパーファミコンとアメリカでは互角の戦いをしたとか、アーケードで大成功して業界を引っ張ったとか、良い話もたくさんありますけど、うまくいかなかったことも多かった。ドリームキャストなんかはハードが売れるたびに赤字、みたいな話もあったじゃないですか。出て行くお金と入って来るお金のバランスが良くなくて、その辺を大川さんがゲーム業界に対する思い入れだけで埋めてたと言いますか(笑)。当時の僕は新人で、そういうことは後でわかってくるんだけど。

セガだけが変化したわけではなくて、ユーザーもマーケットも競合も全部変わっているので、点数をつけるのはちょっと難しいかなぁ…。

95年に20年後には、セガが任天堂ハードのゲームを作っているとか、携帯電話向けに3Dグラフィックのゲームを提供している。しかも無料で、とか、もう想像を絶する変化ですもんね。

ゲームを発売したあと、10年間も運営開発が続くとか。そういう環境では、人員、コスト、収入なんかを複数年にわたって計画をきちんと作る、というのは重要にはなっていますね。95年当時も経営にかかわる人は、やっていたと思うけど。

ディレクターはともかく、当時の現場のデザイナー、プログラマーはとにかくゲームを完成させることがすべてでしたよね。

そう。ゲームを完成させるのにとにかく人集めろ、「次に寝るまでが今日。」というノリはあった。

今は、若手でもDAUとかARPPUとか普通に話してます。「働き方改革」もやっているし。

セガも大人になった、って事ですかね……。

大人になるまでに60年かかりましたけどね(笑)。(了)


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そんなわけでいったん座談会から離れてセガ社内からメガドラミニ発売前夜祭の生放送中、楽しそうな宮崎さんと奥成さん
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そして生放送終わり。ホロ酔いで上機嫌の宮崎さんにありがたいお言葉を頂きに来ました。

今日は長時間お疲れ様でした! かなり端折りながらとは言え、色んなお話を聞かせて頂きましたけど、過去の話は散々しましたので最後に未来の話を聞こうと思って。この先セガはどういう方向に向かうんでしょうか。

またざっくりとした質問だね(笑)。まあね、ひとつ言えるのは、セガはずっと「新しい事にチャレンジする」っていう文化を大切にしてきたんですよ。それが行きすぎて「あそこに面白そうな場所があるぞー! いけー!」って、行ってみたら自分しか居なかった、っていうね。そういう事案が多発してましたけど(笑)。
でもそういう文化は今でも残ってますよ。今いる人たちもみんな「とにかく新しい場所に、いの一番に飛び込みたい」っていうそういうスピリットを持った人たちですから。これからもどんどん新しい事にチャレンジしていきたいと思ってます!

なるほど! 今日はありがとうございました!(終)

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 ちなみにおっさん4人で温泉旅行に行った時にメガドラミニを持ち込んだら死ぬほど盛り上がりました。いつの時代もゲームは偉大である。

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ライター
自称“無職”のボードゲーム好き。
ライターとしてさまざまな媒体で面白記事を執筆。
現在はメディア運営のアドバイザーやWEBライター塾の講師としても活動している。
Twitter:@yoppymodel
編集
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新聞配達中にトラックに跳ね飛ばされたことがきっかけで編集者になる。過去に「ロックマンエグゼ 15周年特別スタッフ座談会」「マフィア梶田がフリーライターになるまでの軌跡」などを担当し、2017年4月より電ファミニコゲーマー編集部のメンバーに。ゲームと同じぐらいアニメや漫画も好き。
Twitter:@ed_koudai

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