文家はAIに文章制作の仕事を奪われるのか? 自己学習で進化し続ける海外の文章制作AI「Talk to Transfer」で実験してみよう

 「AIに仕事を奪われる!」と新聞が言っていた。ふしぎな言い回しである。これはたぶん、「AIが、必ずしもあなたがやりたいと思っているわけではない仕事をやってくれる」の誤植だろう。

 ボタンひとつでロボットが部屋を掃除してくれ、コンビニバイトに代わりに行ってくれ、電気代や通信費などの支払いも勝手にやってくれる。そのあいだに私たちは勉学に勤しむなり、創作活動に打ち込むなり、あるいは秋の紅葉なんか見に行ったりするのだ。すてきではないか。

 と、いうのはあきらかに作家の言い分である。村上春樹はかつて、芸術は奴隷制がなければ成り立たないと宣言し、「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。そして、それが僕だ」と凄絶な告白を行った。(『風の歌を聴け』、1979年)

 こういう人間にとって問題にされているのは、人間が自分の限界といかに戦ったか、の一点のみである。自分のための菜園を耕すように、私は文章を書く。それは、代替可能な行為ではないのだ。

『風の歌を聴け』
(画像はAmazon.co.jp 『風の歌を聴け』より)

 AIが私よりおもしろい文章を書いて、あるいは私のつくるものよりもはるかに上等な野菜をたくさん育てて、どんどんお金を稼いだとしても、それは私に関わりがない。私の考えていることをAIが代わりに表現してくれたり、私の菜園をAIが代わりに耕してくれたりするとしても、よけいなお世話だ。
 なぜなら、私自身が主体的になにかを達成しようとすることが大事なのであり、それこそが仕事なのだから。AIに「奪われる」ような仕事は、そもそもそのひとにとってそこまで大切な仕事ではないのである。

 たぶん、これはとても普遍的なことでもあるだろう。ものすごく大切なゲーム、心から好きだと思っているゲームをAIにやらせて、そのプレイが人間よりも優れているからといって、人々はゲームを自分でプレイすることを止めはしない。自分自身でなにかを達成すること、そのために行動すること、そのなかにこそ、法悦の体験があるのだ……(もちろん、TASのプレイ動画は見ていて面白いけれど)。

 と、いうようなことを、市井のひとびとのあいだにまでAIの話が届き、彼らがそれに反応したときに、私は考えた。そして、まあ、喋るまでもないか、と沈黙を選んだ。どうせ半年と経たずに誰も話題にしなくなるわけだから。そもそも私は専門外である。さて、きょうはなにを書こうかな。

AI文章制作ツール『Talk to Transformer』
(画像はTalk to Transformerより)

 と、呆然と仕事を続けているうちに、弊誌編集部からメッセージが届いた。それは「Talk to Transformer」という文章制作AIにかんするもので、英語ができ、文章にかかわる職についている私に、これについてなにか書いてほしいという依頼だった。このAIは、英文の二行を入力すれば、あとは人工知能が勝手に文章を創造して、つづきをやってくれるという代物であるそうだ。

 じつにすばらしい試みである。もしもAIが世の中の、ほんとうは書きたくはないのだが書かなければならない文章(町内会の回覧板の内容とか、PTAの広報誌とか、押しつけられた社内報とか)を肩代わりしてくれるのなら、私たちは自分で語りたい大切なことだけを語るようになり、すべての言葉はより美しく、洗練されることだろう。よかった、よかった。

 と、考えたところで、ふと思った。もしもAIが、人間が書いたものよりも、芸術的/美学的見地からみて何倍もすぐれた文章を書くようになったら、書き手としての私はどうでもいいと思うだろうが、読み手としての私は、どう思うのだろう? おそろしい美文で書かれた社内報に感心するのはいいとして、はじめから読み手を楽しませることを意図した文章をAIが書いたとして、そこではいったい、どんなことが起こるのだろう? 

 実験してみよう。 

文/藤田翔平
編集/ishigenn


『ファイナルファンタジーVI』のオープニング

(画像は任天堂 ファイナルファンタジーVI Wii Uより)

■日本語版
魔大戦
すべてを焼き尽くした、その戦いが
終わった時、世界から
「魔法」という力が消え去った

そして1000年…
鉄、火薬、蒸気機関
人々は機械の力を使い、世界を
よみがえらせた

今またここに、伝説となった「魔法」の力を復活させ
その強大な武力によって
世界を支配しようとする者がいる…

人はまた
そのあやまちを
くりかえそうとしているのか…

■英語版
The Great Demon War…
Long ago, after this conflict ended,
The power of “magic” simply vanished.

1000 years passed…
With iron, gunpowder, steam engines,
people have used machinery
to revive this world.

But now, the legendary power of “magic”
has been revived secretly
and a group has risen that intends
to control the world with this power.

Is mankind on the verge of repeating
a terrible mistake…?

 これは『ファイナルファンタジーⅥ』のオープニング・シーンのテキストである。あまりにも美しい雪の街とそこで駆動する蒸気機関、帝国の力を誇示するような鋼鉄の城のピクセルアートに、荘厳なオーケストラの楽曲が華を添え、テキストが魅力的な世界観を提示している。

 英語版のテキストは、「すべてを焼き尽くした」という表現が取り去られているが、それ以外はわりと素直な訳になっている。この冒頭二行を入力して、つづきをAIに作成してもらった。すると、つぎのような文章ができた。

■AIが制作した文章
Our technology and abilities
increased enormously,
and began to surpass
the limits of mankind.

Thus the rediscovering of “magic”
driven people who with evil intentions,
And they started the war all over again…

■和訳
「私たちの技術と能力は
 比類のないほど発展し、
 人類の限界を
 越え始めた。

 そして再発見された「魔法」の力が
 悪の意志をもつ人々を突き動かし、
 彼らはまたしても戦争をはじめた……」

 あれっ?
 わりと、いいセンを突いているのでは……?

 言うまでもないことだが、これはAIによる自動生成であって、このAIは入力された文章が『ファイナルファンタジーⅥ』のオープニング・シーンのテキストであることを知らない。
 このAIが採用している言語エンジンは、サンフランシスコのOpen AIたる研究所が開発したGPT-2モデルで、これはインターネット上の40GBのテキスト・データをもとに、ある文章からつぎの文章を推測して構成することだけを行うエンジンだ。

 したがって、このAIは、ネット上に発現した40GBぶんの人類の集合意識から、もっとも自然なテキストを推測し、その結果を出力したことになる。にもかかわらずAIは、『ファイナルファンタジーⅥ』のオリジナル・テキストと、そこまで離れていない結果を導き出した。

 つまりそれは、このAIが、人類にとって快い美学的テキストを「創作」したということにはなるまいか。そして相互補完的に、『ファイナルファンタジーⅥ』のオリジナル・テキストが、人類にとって快いある種の美的原則/原理に近いものであったということの、証拠になるのではないか……。

 うおー、面白い。
 こうなってくると、もはや私の仕事などそっちのけである。このAIに、もっとテキストを考えさせなくてはならない。

3人の登場人物が現れる小説の書き出し

 私は熟考し、小説の書き出しにふさわしい英文をつくった。物語芸術のもっとも古い基本形、三角関係を二行であらわす、シンプルな書き出しの一例である。よっぽどひねくれた人間か、文学にどっぷりはまり込んでいるかでないかぎり、このパターンにひっかからない読者はいない(しめしめ)。

“I think he’s in love with me. But I’m in love with other.”

「私は彼と恋仲にあると思う。でも私はほかの彼と恋仲だ」

 さてさて。どんなものかな。
 数秒のローディングのあと、こんな文章が続いた。

…We are in the middle of it now. We just started movie on a Sunday and he is here now. But I do get a lot of letters from fans who say he is the only one who knows how important they are to me.

But, of course, if I didn’t have the fans, I would have no fans.

Q. You’re doing a lot more concert these days. Is that right?

A. I do about five to eight a year.

Q. Have you always loved theater?

A. Oh yes. I was always interested in it growing up. We always had an andience. My dad is a theatrical manager.

When I was really little, I always wanted to be in the show. I think there is strong emotional response when you watch a play. You don’t know what’s going to happen until the curtain goes up.

 私はおもいきりのけぞった。めちゃくちゃ面白そうだったのだ。

 ちょっと専門的な話になることをお許しいただきたい。
 現代文学の状況において、私たちはすべての登場人物をファンクション(機能)として見ている。

 プログラミングみたいなものである。たとえばA、B、Cという虚構の人物が登場する。それらに属性が付記されていき、人物どうしのインタラクションが発生し、時間が進んで、物語が転結する。彼らは実在の人物ではないが、私たちはそこで行われている興味深い操作を楽しむ。私たちは物語をそういうもの(虚構)だと理解している。

 『ロビンソン・クルーソー』【※】の時代のように、新しい物語を、「実際にあった驚くべき出来事」として売り出したりする必要はない。

 大英博物館所蔵、ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』、1719年。イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説。
 じつはこの作品の正式名称は、『自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述』(Wikipedia訳)という。ま、それは置いといて、この扉でもっとも大事な部分は、Written by Himself〈ロビンソン・クルーソー自身による著作〉と但し書きされていることだ。
 これは当時、小説というものが市民権を得ておらず、嘘ごまかしのまがい物とと見なされる向きがあったからだとか、ほんとうの話だと言うほうが純粋に一般ウケが良かったからだとか、いろいろな説がある。

 だからこそ、そうした前提をかき乱すような、不安な書き出しに私たちは惹かれる。このAIが書き出した小説は決定的な単語、ほかに置き換えようがない「I」(私)という一人称代名詞の主語ではじまり、たった二文で三人の登場人物、「私と恋仲にあると思われる彼」と、「私と恋仲である彼」が登場する。なるほど、三角関係かと思う間もなく、つぎに続けられる文章は「私たち(We)」ではじまる。 

“We are in the middle of it now.”

「私たちはいまそのさなかにある」。

 ここで読者は不安に囚われる。“We” とは、いったいどちらの彼なのか。どちらの彼と、なんのさなかにあるのか。その説明を行わないまま、つぎの文が続く。

“We just started movie on a Sunday and he is here now.”

「私たちはある日曜日に映画をはじめたところで、いま彼はここにいる」。

 ここまでくると、もはや登場人物たちの存在は亡霊のように不確かなものとなる。四文目の主語「私たち」、連文の主語の「彼」は、はたして誰のことを指しているのか。いったい、誰がなにをやっているのか。この段落は、文学史上もっとも衝撃的な五文目で締めくくられる。

“But I do get a lot of letters from fans who say he is the only one who knows how important they are to me.”

「でも私はファンのひとたちからたくさんの手紙をもらう、彼らは自分こそが私にとっていちばん大切なものだと言う。」

 登場人物たちの像が、「ファンのひとたち」という分散された主体へと拡散していく。

 もういちど翻訳をつづけて読んでもらおう。

「私は彼と恋仲にあると思う。でも私はほかの彼と恋仲だ。いま私たちはそのさなかにある。私たちはある日曜日に映画をはじめたところで、いま彼はここにいる。でも私はファンのひとたちからたくさんの手紙をもらう、彼らは自分こそが私にとっていちばん大切なものだと言う。

 でも、もちろん、もしも私がファンを持たなければ、私にはファンはいなかっただろう。

 問:あなたは最近もっとたくさんのコンサートをやっています。そうですね? 

 答:一年に五回から八回ほどやります。

 問:あなたは劇場をいつも愛していましたか?

 答:はい、とても。私は成長しながらいつもそれに興味を抱いていました。私たちにはいつも観客がいました。私の父は劇場の支配人でした。

 私がとても幼かったころ、私はいつもショウに出たかった。芝居には、感情を強く動かされるものがあると私は思う。あなたはカーテンが上がるまでなにが起こるのかを知らない」

 この時点でこの小説は、錯綜した人間関係、人々の個性や性向が霧に覆われたような、不安定な世界を描くものであることが伝えられる。その伝達は説明によって成るのではなく、じつにかんたんな単語の並び、「私」とか「彼」とか「彼ら」とか「私たち」といった語の操作によって行われ、そのことが読者に深い感銘を与える。

 なぜ感銘を与えるのか? それはこの文章を読む私たち自身もまた、この文章に登場する人物たちとおなじくらい、霧のなかの影のように覚束ない、実存の分散した亡霊であるからだ。

 これこそ、文章表現である。

 ……いやいやいやいや。
 いやいやいや、AIの文章ですよこれ。

 現代文学の旗手が突如発表した中編の書き出しとかじゃないんですよ。
 はっ。
 まさかこれが、「AIに仕事を奪われる」の正体!?
 ひいいい。怖い。怖すぎる。
 うわーん、AIに仕事を奪われちゃうよお!
 どうすればいいんだあ!!!

『高慢と偏見』

 私は冷や汗をかきながら、AI文学にたいする人間の優位性を確認することにした。文学史上に燦然と輝く最高の書き出し、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』の冒頭を入力して、原文との比較を行おう。以下は原文の書き出しと最初の二段落――。

“It is a truth universally acknowledged, that a single man in posession of a good fortune must be in want of a wife.
However little known the feelings or views of such a man may be on his first entering a neighbourhood, this truth is so well fixed in the minds of the surrounding families, that he is considered as the rightful property of some one of other of their daughters.
‘my dear Mr Bennet,’ said his lady to him one day, ‘have you heard that Netherfield Park is let at last?’”

 これはひろく認められた真理だが、ひとかどの資産をもった独身の男性は、みな妻となるひとを求めているものだ。
 その男性がはじめてこの地方にやってきたとき、かれの気持ちや考え方などはまったく知られていなかったし、また近隣に住む家族にとってこの真理はあまりにも確固たるものだったので、その男性はすでにその家族の、あるいは家族の娘たちの、正当な資産として見なされた。
「ねえあなた、ベネットさん」と彼の妻が彼に言った、「ネザーフィールド・パークにとうとう借り手がついたって、ご存知でしたか?」

 じつにおもしろそうな書き出しである。ちなみにこのベネット家には男の家継ぎがおらず、娘が五人いる。イギリス摂政時代(1975年から1837年)のきまりで、ある家の資産は男子にしか相続できなかった(意味不明だが、とにかくそういう時代だったのだ)。

 そういうわけで年頃の未婚の娘を五人も抱えた田舎のアッパー・ミドルクラスのお母さんであるところのベネット夫人は、近所にそれなりの資産(すくなくともネザーフィールド・パークを借りられるくらいのお金)を持った独身男性が引っ越してくると聞いて、すでに娘を嫁に出そうと奮起し始め、夫の協力を仰ごうとしている、という描写である(ちなみに彼女の夫はあんまりそういうことに興味がない)。結婚小説の頂点であり必読だ。

 さて、つぎにAIの作品を検討しよう。

“It is a truth universally acknowledged, that a single man in posession of a good fortune must be in want of a wife.
This being the case, it follows, that the women of the state must be obliged to give up their own proper advantage in order to secure a greater share in the public happiness. The law, therefore, which endeavours to protect that which can be of no concern to itself, ought to be as little capable of benefiting any one, as it is difficult to prescribe to a man that which ought to be of importance to him.”

 これはひろく認められた真理だが、ひとかどの資産をもった独身の男性は、みな妻となるひとを求めているものだ。
 こうした例があるので――と文章はつづいた――その州の女性は彼女たちの長所を、公共の幸せを確保するために犠牲にしなければならなかった。したがって、それ自体にまったく感心がないものを守るためのこの法は、ほとんどなんの利益ももたらさないと言わねばならない、それはある男に処方をすることが彼自身にとって大切でなければならないことが難しいことのようである。

 最後のほうの構文がこんがらがっているのは原文の再現だ。よし! 読みにくい英文をAIから導き出したので、AI対ジェイン・オースティンの戦いは後者に軍配が上がり、私の勝ちとなった。

 途中まではよかったが、“ought to be as little capable of benefiting any one, as it is difficult to prescribe to a man that which ought to be of importance to him.”は文章が冗長で、関係代名詞やofの使い方(of importanceでなくimportantでいいじゃん)がこんがらがりすぎているため、こんな機会でなければ読むのをやめていただろう。

 やっぱり、ジェイン・オースティンの細心な仕事はすばらしかった。これでAIに仕事を奪われなくてすむ。めでたしめでたし。

 ふむ……。

 ……。

 そうだ、これはゲームメディアであった。

『リトルバスターズ!』

(画像はPlayStation 『リトルバスターズ』より)

 もうすこし、ゲームの話をしてみよう。テキストに深い関わりをもつゲームといえば、ビジュアル・ノベルだろう。なんでもいいが、比較しやすいように、公式な英語版が出ているものがいい――Keyの『リトルバスターズ!』を調べてみよう。書き出しもわりと面白いので、一石二鳥である。

■英語版
“”Kyosuke has returned!”
A distant voice has roused me from my slumber. The meaning of the word was obscured by my drowsiness.
“Finally, the time has come…”
However, the voice quivering with joy woke me up fully. With rushed breath, the owner of the voice jumped down to the floor.
“Masato… where are you going at this hour?”
I asked timidly.
“…To fight.””

■日本語版
「きょーすけが帰ってきたぞーっ!」
遠くから声がして僕は呼び覚まされる。それが指し示す意味も眠気で判然としない。
「ついにこの時が来たか……」
が……続いて聞こえてきた喜びに打ち震える声で目が覚める。
ふんと鼻息が聞こえて、それは床に飛び降りていた。
「真人……こんな時間にどこにいくのさ……」
恐る恐る聞いてみる。
「……戦いさ」

 つづいてAIによる創作。

■AIが制作した文章
“”Kyosuke has returned!”
A distant voice has roused me from my slumber. The first thing I do is turn my head, but not to look for the source of the voice. The only thing that I see is a small, white, round object floating in the sky. I can’t really tell what it is, but I feel certain that it can’t be anything good. I reach out my hand towards it with a sigh, only to find that I can’t move it in the slightest.
“Why can’t you move it?”
“I’m sure you noticed that I was lying on the ground in that way. It’s because Kyosuke is now back and is on his way to save you. Kyosuke is coming now.”
This is a lie. I had lied. ”

■和訳
「恭介が帰ってきたぞ!」
 遠い声がぼくを眠りから醒ました。ぼくが最初にやるのはあたりを見回すこと、ただし声のもとを見つけようとするのではなく。ぼくがただひとつ見るのは、小さく、白く、空中に浮かぶ丸い球体。それがなんなのかはわからない、でもそれがなにか良くないものであることはわかる。ぼくはため息をつきながらそれに手を伸ばしたが、しかしその物体はほんのわずかにも動かない。
「なぜ動かせないんだ?」
「ぼくが字面に寝っ転がっていたことにきみが気づいたと、ぼくにはわかっている。それは恭介が帰ってきたからで、彼はいまきみを助けに来ようとしているんだ。恭介が近くまで来ているよ」
 これは嘘だった。ぼくは嘘をついた。

 ……あれっ!? わりと面白そうじゃないか、これ。

 白く小さい球体はなんとなくサミュエル・ベケットを彷彿とさせるし、いずれの存在(ぼくあるいは球体)が話しているのかよくわからない会話文はポストモダンな香りがする。

 恭介はさしずめ到来すると言われていた神であろう。おそらく不条理劇の系統に属するもので、私たちの実存にメスを入れる契機となる作品なのではないか。原作への目配せも行われている? まさか。いや、しかし、恭介の帰還とともにはじまる物語という符号は保たれている。おそらく、ここでは……(以下、AIが制作したがごときパターンが延々と何十も続く)。

藤田祥平
1991年大阪府生まれ、文筆家。
Twitter : @rollstone
Website : http://shoheifujita.smvi.co/
編集
ニュースから企画まで幅広く執筆予定の編集部デスク。ペーペーのフリーライター時代からゲーム情報サイト「AUTOMATON」の二代目編集長を経て電ファミニコゲーマーにたどり着く。「インディーとか洋ゲーばっかりやってるんでしょ?」とよく言われるが、和ゲーもソシャゲもレトロも楽しくたしなむ雑食派。
Twitter:@ishigenn
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