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実際のAIって、なんだか思っていたのと違う気がする……その違和感や不安はなぜ起こる?AI開発者・三宅陽一郎が解説

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 いまや必要不可欠なインフラとして急速に広まりつつあるAI。しかし実際のAIは、「人工知能」と聞いてイメージするものとなんだか違うような気がする、という方も多いのではないだろうか。AI技術の発展によって、将来的に「シンギュラリティ」が起こるのではないか、との不安もある。
 このギャップが生まれているのは、その出自も発展過程も異なる「技術としてのAI」と「エンターテインメントとしてのAI」が、まだほとんど結びついていないためだ。それはどうすれば橋渡ししていけるのか?

 以前に電ファミでも取材したAI開発者・三宅陽一郎氏が、12月16日に発売される新著『人工知能が「生命」になるとき』にて、その問題に挑戦する。本書は、今まで機能的に扱われがちだった人工知能に、どうすれば認識や感情を持つ「生命」をもたせることができるのか?というスリリングな問いを試みたものだ。
 本稿は、電ファミの読者諸兄諸姉にも親しみやすい「ゲームAI」に関する話題を中心にして、その内容をリミックスしたものだ。「遅いインターネット」にてその一部が公開されていたが、本書を発行するPLANETS編集部のご厚意により、電ファミにその完全版を掲載させていただくこととなった。ぜひじっくりとご覧いただきたい。(編集部)


「人工知能」のイメージをめぐる違和感

 皆さんが「人工知能」という言葉を聞くときに、あるいはその説明を受けるときに、何か胸の中で違和感を抱いたことはないでしょうか?
 特に2010年代前半から現在にかけては、ディープラーニング(深層学習)技術のブレイクや「IBM Watson」などを通じて、たくさんの実用的なAIの可能性が切り拓かれてきました。けれども、多くの人にとっては「何だか思っていた人工知能と違う」「自分の直感に反する」「大筋はわかるけれど、何か違う気がする」という感想を、呼び起こしてはいないでしょうか?
 私自身も感じる、そんなちょっとした違和感の正体は、日本の持つ社会・文化の様相が、西洋の思想的土壌の上に発展した工学技術としての「人工知能」と、少なからず対立・矛盾することに起因するように思われます。そして、その違和感は、「人工知能」の社会的導入が全世界レベルで起こるにしたがって、ますます大きくなり、多くの人を不安にし、暗黙の我慢を強いているように思います。

技術としてのAI、エンターテインメントとしてのAI

 人が人工知能と聞いてまず想像するのが、一つの「生命」のような人工知能ではないでしょうか。わかりやすく言えば擬人的なキャラクターです。人は、人間や動物とよく似た外見のものには、自分たちと同じ知能を見出そうとします。
 しかし、そういったイメージに関して、人工知能の工学的な研究者の多くは、否定的な立場を取ることが多いです。人工知能は長らくアルゴリズムや情報処理に還元されることで学問の姿を取ってきており、ひとつの生物個体のような全体性をもった人工知能を構想するのは、まだまだ時期尚早だと捉えられているためです(現状、そのようなアプローチは、個体をごく単純にモデル化した「エージェント指向」と呼ばれる人工知能の一分野として限定的に探求されています)。

 一方で、ゲームのようなエンターテインメントで使われるAIは逆の立場を取ります。エンターテインメントAIは常にユーザーの主観上、体験の上に「知能」としての存在を表すことを目的とします。知的な存在、楽しませる存在、愛らしい存在など、多様性に富んでいますが、ユーザーに感じてほしい知能のイメージを確定させてから、そのための外見、振る舞い、知的能力を逆算して作っていくのです。そのような人工知能は、学問としての人工知能研究者から見れば、表層的なものを志向した、見掛けだおしで「中身」のない人形に過ぎない存在とも言えるでしょう。

二つの人工知能を橋渡しするために

 もちろんどちらも同じくコンピュータプログラムであり、まるで違う技術というわけではありません。しかし、エンターテインメントAIが想定するような生命のような人工知能は目標へのハードルが高すぎて、専門家であればあるほど否定的な態度を取らざるをえなくなる、というのが現状です。

 けれども、だからこそ私はエンターテインメントAIが目指す文字通りの「絵に描いた餅」のような人工知能と、専門的な技術分野としての人工知能を、長い時間をかけて橋渡ししていきたいと考えています。「人とそっくりな人工知能」はすぐには実現できないにしろ、我々が遠く求める究極的な人工知能の姿として、また目指すべき一つの方向として、研究開発に携わる人々が分野を超えて、さらに協働的に追求されていくことになるでしょう。
 アカデミックなAI研究が、機能的な要素を積み上げて人工知能を構築するという方向からのアプローチであるのに対し、エンターテインメントAIは、人が求める人工知能像から逆方向に遡っていくアプローチになっており、この二つは相補的な関係にあります。両者は今のところ細い橋でつながっているようなものですが、たくさんの橋を渡していくことで、やがて大きな橋となり陸となり、人工知能の姿を大きく変貌・進化させることになっていくことでしょう。しかし、現在のところ、それは細い細い橋でしかありません。

実際のAIって、なんだか思っていたのと違う気がする……その違和感や不安はなぜ起こる?AI開発者・三宅陽一郎が解説_001
▲人々が人工知能に求めるイメージと人工知能の技術を結ぶ架け橋

 そして目下、このか細い橋をかけ続けるような仕事が、私がデジタルゲームの人工知能で行おうとしていることなのです。
 たくさんのゲームのキャラクターの知能を作りながら、キャラクターの知能とアカデミックな人工知能の知識を融合させることで、少しずつですが新しい可能性が見えてきました。これは言い換えれば、日本で育まれた擬人的なキャラクター文化と、西洋で育まれた人工知能を融合させることです。西洋が技術を、東洋がイメージを提供し合うことで、生命としての人工知能という分野が躍進するのではないか。

 本稿では、ゲームAIの考察を通じて、この二つの領域を結びつけていくための道筋をご紹介したいと思います。この二つの領域の間にある空間にこそ、人工知能の本来的な、人間の知性にとって本質的で興味深い知見とテクノロジーがたくさん横たわっていると私は感じており、そしてそのいくつかを掘り起こしてみたいと思っています。

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