「コンシューマー」? 「コンソール」? それとも……? 「家庭用ゲーム機」を指す言葉のちょっとややこしい歴史を徹底的に調べてみた

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小型の国語辞典にまで登場した「コンシューマーゲーム」

コンシューマーゲーム機
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 今回のテーマは「コンシューマー」だ。筆者はこの連載を始めてから、国語辞典でビデオゲーム関連語を引くことが増えたのだが、その中で、昨年12月に発売されたばかりの大修館書店『明鏡国語辞典』第三版に、以下のようにあるのが目に留まった。どうやら、この版で新しく採録された項目らしい。

 コンシューマー-ゲーム【consumer game】[名]家庭用のコンピューターゲーム。テレビゲーム機・携帯型ゲーム機など。→アーケードゲーム

 「アーケードゲーム」を採録した国語辞典はいくつかあるが、この「コンシューマーゲーム」を採録したのはかなり珍しい。小型のものでは初めてかもしれない。

 ただ、筆者はこの項目を見て違和感を覚えた。ここで述べられている語釈にもっともふさわしい英訳語は「console game」で、「consumer game」はふつう出てこない。英語圏でこの表現を使う場合、文字どおり「消費者(向け)ゲーム」の意味になる。つまり「ゲーム」の意味をビデオゲームに限定したとしても、少なくともパソコンゲームが、また現在ではスマートフォン向けゲームも含まれると理解されるだろう。

 イギリスのビデオゲーム産業界の組合であるUKIEが、「Ukie UK Consumer Games Market Valuation」と題したレポートを掲載しているが、この「Consumer Games Market」にも、もちろんパソコンやスマートフォン向けのゲームが含まれている。

 一方、日本のビデオゲーム界隈での「コンシューマー(ゲーム)」は、パソコンやスマートフォンの市場を含まない意味合いで長らく使われてきた。筆者の手元にあるビデオゲーム関連用語の辞典類でも、以下のように説明されている。

「コンシューマ 本来の意味は「消費者」だが、ゲーム業界用語では「家庭用」をさす。コンシューマハードとは、家庭での利用(個人所有物ととしての利用)を主目的として開発、販売されているテレビゲーム機本体のこと。(中略)パソコンハードやアーケードハードと区別するために使われることが多い。(後略)」

(『電撃王』2002年1月号付録『2001-2002年版ゲーム業界用語辞典』)

「コンシューマゲーム機 →家庭用ゲーム機」

(『広技苑』2005年春版付録『最新ゲーム用語事典』)

 日本でも近年、主にゲーム開発や研究、ビジネスなどの専門的な領域においては、「コンシューマー(ゲーム)」を英語圏と同じ意味合いで使っているケースもみられる。とはいえ、これがプレイヤー側にまで広まっているとは言いがたい。

 もし、英語圏と同一の意味も含めて「コンシューマーゲーム」を採録する意図があったのなら、「家庭用の〜」という書き出しには疑問がある。「一般消費者向けに販売される機器を用いて遊ぶコンピューターゲーム」のように始めて、「特に、家庭用のテレビゲーム機・携帯型ゲーム機など」と日本特有の使い方につなげるのも一手だろう。これなら、上に引用した中にもある「コンシューマーゲーム機」という複合語との整合性も保てる。

 もちろん、専門的な使い方は考慮の範囲外として、語釈を現状のままとすることも理解できる。ただその場合、いわゆる和製英語、またはその類に該当する旨を示す注記が必要ではないだろうか【※】

※一方でこの『明鏡国語辞典』第三版では、やはり新しく採録された「ゲームオーバー」に、和製語である旨の注記が付けられている。本連載で以前触れたとおり、こちらは明白に誤解であり、残念と言わざるを得ない。

 さて、ではどうして日本のビデオゲーム関連でいう「コンシューマー」の指すところが変わってしまったのだろうか。ここで、先の2冊よりもう少し古いビデオゲーム関連用語の辞典をみてみよう。

「コンシューマー[consumer] 消費者。製品を購入し使用する人々。」

(ファミコン通信責任編集『ゲーム用語事典』、1993年7月)

 この『ゲーム用語事典』では一般的な意味だけを説明している一方、先に挙げた2000年代に入って制作されたものでは、言葉の位置づけが大きく変わっている。逆に言えば、『ゲーム用語事典』が制作された1990年代序盤には、「コンシューマー」のビデオゲーム界隈特有の意味合いは、まだ明確とは言えなかったことがわかる。

 ところで、この『ゲーム用語事典』には、「コンシューマー」で始まる項目がほかに、「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー」「コンシューマー・ソフトウエア・グループ」のふたつある。実はこの両方ともが、日本のビデオゲームにおける「コンシューマー」の意味の変化と、浅からぬ関連性を持っている。

ファミコン通信責任編集『ゲーム用語事典』内「INDEX」より引用

 しかもそれらはつまるところ、日本のアーケードゲーム業界の、一般消費者市場への進出に端を発しているのだ。今回はこの件を探っていくことにしよう。

文/タイニーP


CESにセガが最初に展示したのは、自社のゲーム機ではなかった?

 「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー」といえば、「CES」の略称が思い浮かぶ読者も少なくないはずだ。現在は「CES」が(略称ではなく)正式名称になり、世界最大のテクノロジー見本市と位置づけられているが、1990年代前半には、スーパーNES(北米版スーパーファミコン)とジェネシス(同メガドライブ)、ターボグラフィックス16(同PCエンジン)が熾烈な宣伝合戦を展開していた。また、任天堂がスーパーNES用CD-ROMドライブの開発で蘭フィリップスと提携したという、のちにソニーが独自のゲーム機の開発に進むことを決定づけた発表も、CESに合わせて行われている。日本のゲームマニアにとっても、目が離せない重大イベントだった。

 そんなCESに、セガが自らのブランドで初めて出展したのは1983年1月のこと。しかし、セガ初の家庭用ゲーム機「SG-1000」や、その姉妹機の低価格パソコン「SC-3000」を発表したわけではなかった。では何を展示したのかといえば、北米他社の家庭用ゲーム機向けのソフトだ。

 そもそもビデオゲーム隆盛以前、1970年代序盤までの日本のアーケードゲーム機のメーカーは、業者相手の商売が基本で、自社製品を一般消費者向けに販売することはそうそうなかった。もちろん、玩具業界から進出した任天堂という、明らかな例外もあったことは確かだが。

 一方北米では、『ポン』でアーケード業界にビデオゲーム旋風を巻き起こしたアタリが、家庭用ビデオゲーム機「ホームポン」を開発。1975年に大手販売店シアーズを通じて、また翌年には自社でも売り出した。さらに1977年にはカセット式の「ビデオコンピューターシステム(VCS)」を発売し、アーケードに続いて家庭用でも、ビデオゲームの盟主の座に狙いを定めていた。

 そんな中、アタリの開発者が独立して起業したアクティビジョンが、1980年以降VCS用ソフトを発売して大成功をおさめる。これによって、家庭用ゲーム機の製造・発売元でもユーザーでもない第三者──「サードパーティー」が、ソフトを販売する道が示された。裁判を起こしたアタリとアクティビジョンは1982年に和解するが、それを待ちかねたように、玩具業界やレコード業界を含むさまざまな企業が、家庭用ゲーム機向けソフトの製造・販売に乗り出した。

 しかもこのころ、北米の電子ゲーム機・家庭用ゲーム機販売元各社は、アーケードのビデオゲームの移植作を売りにするため、ライセンスの争奪戦を繰り広げていた。その中でもマテルやコレコは、獲得した権利を“有効活用”するべく、自社の家庭用ゲーム機に限らず、他社のゲーム機向けのソフトまで販売しはじめた【※】。この当時のアーケード業界では、移植の販売権を国・地域別とはしても、ゲーム機の機種別にまで分けないことも少なくなかったのだ。

※1983年には、アタリも他社のゲーム機やパソコン向けにゲームソフトを発売するようになる。

 この盛り上がりに対して、日本のアーケード業界の企業は、当初は許諾を出すのみだったものの、コナミ工業は自社で、セガは米国法人がこの市場に参入した。そのため、セガのブースがCESにも登場したわけだ。もっとも、この1983年には北米の家庭用ゲーム機市場は急速に冷え込み、その後「ビデオゲームクラッシュ」などと呼ばれる深刻な状態に陥ってしまうのだが……。

自国の消費者市場に目を向けた日本のアーケード業界

 さて、同じころ日本の状況はどうだったか。1982年の秋以降、折からのパソコンブームと電子ゲーム機の隆盛の流れをくんで、大手玩具メーカーが低価格パソコンを発売した。トミーの「ぴゅう太」、タカラの「ゲームパソコン」がそれだ。電子ゲーム機の分野では、北米でのライセンス獲得の動きが日本にまで波及しており【※】、これらのパソコンも、正規許諾でのアーケードの移植作を売りとした。どうやらソフトの開発まで、許諾元となるコナミやナムコといった、アーケード業界の企業が行うケースもあったようだ。

※そもそも電子ゲーム機の場合、欧米企業の商品でも、日本企業が開発・製造に関わっているものが相当数あった。

 しかし日本の玩具業界では、サードパーティーがゲームソフトを販売することに、まだなじみがなかった。そのため、ぴゅう太とゲームパソコンにおいては、アーケード業界の企業が直接、ユーザー向けにソフトを発売するには至らなかった。

 一方で、同じ時期にはコナミが、NECの家庭向けパソコン「PC-6001」用にゲームソフトを発売した。また日本物産が関東電子(のちのシネックスジャパン)と提携して開発した、麻雀など大人向けゲームの需要を狙った家庭用ゲーム機「マイビジョン」を発表。アーケードゲーム業界から日本の一般消費者市場への進出の機運が、日増しに高まっていたと言える。

 セガがこの市場に真正面から取り組むべく、SC-3000を発表したのも、まさにそんな1983年春のことだ。SG-1000とともに、夏休み直前の7月中旬に発売となった。

 もっとも、アーケード業界の期待をより集めたのは、同じ1983年の夏に正式発表された家庭向けパソコンの統一規格「MSX」だろう。MSXは、日本のパソコンの開発と発展に多大な影響力を持っていた、アスキーと米マイクロソフトが主導。家電メーカー10社以上の参入が報じられたうえ、対応ソフトの開発販売の際の権利使用料(ロイヤリティー)は不要と、従来のパソコン業界の慣例を踏襲した。そこで市場の拡大を見込んだ各社が、ソフトの開発や許諾契約に続々と乗り出した。

 新聞報道によれば、コナミは20人体制の開発部隊を編成。ナムコやタイトーは、パソコンソフト卸を手掛けていた電波新聞社、ニデコといった企業と手を組んでいる。またMSXパソコン本体の発売元の中でも、特にソニーは、アーケード業界の中堅どころから許諾を受けた作品をいくつも販売した。

 その過程で、各社は相応の社内体制の整備を行っており、たとえばタイトーは「コンシューマープロダクツ部」を設置した。とはいえ、この時点での「コンシューマー」は、あくまで「一般消費者(市場)」の意味でしかなかった。

ファミコンでのサードパーティーの成立

 ところで、そんなアーケード業界の“MSX特需”の目論見を、根本からひっくり返した家庭用ゲーム機があった。言うまでもなく、やはり1983年の夏に発売された任天堂の「ファミリーコンピュータ」だ。本体1万4,800円、カセット3,800円(当初)というカタログ価格は、当時並み居る家庭用ゲーム機の新製品群【※】の中で1、2を争う安さでありながら、性能では他を圧倒。それを活かした『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』といったアーケードのヒット作の移植を武器に、1983年末までに50万台、同年の日本の家庭用ゲーム機販売台数の45%を占めたと報じられた。

Evan-Amos – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンク

※1983年5月の「アタリ2800」(VCSの日本版)発売に対抗するべく、同年春から夏の日本の玩具業界では、家庭用ゲーム機の新製品ラッシュが起きていた。

 ただ、セガはこの年のうちに、SC-3000とSG-1000にアーケード業界他社の作品の移植作を投入していたのに対し、任天堂はそのような動きは見せていない。電子ゲーム機の「ゲーム&ウオッチ」で、他社のゲームのライセンスを取らずとも(ポパイやスヌーピーなどのキャラクターは使用したが)トップクラスの人気を誇った任天堂だけに、ファミコンでもその路線を堅持してもおかしくはなかった。

 そこに風穴を開けたのがナムコだ。同社がファミコン用ソフトを独自に開発・製造・販売する承認を、任天堂から取り付けたと報じられたのは1984年2月。ファミコン発売から半年ほど、MSX仕様のパソコンが出回りだしてからも3ヵ月というタイミングのことだった。

 実際にナムコがファミコン用ソフトを発売するには、さらにそれから半年以上を要することになるが、その間にもファミコンは快進撃を続け、1984年夏までに累計120万台を出荷。ナムコと、一足先にファミコン用ソフトを発売したパソコン畑のハドソンには、願ってもない状況となっていた。

 もちろん先にも触れたように、玩具業界はサードパーティーがゲームソフトを販売することになじみがなかったため、ハドソンが問屋筋から理解を得るのにはひと苦労だったと、高橋名人も語っている。しかし発売後の、10万本のケタに軽々と乗る売れ行きを見れば、問屋の態度もがらりと変わったことだろう。

 ナムコのほうは、ソフト第1弾の発売こそハドソンに先んじられたが、1984年末までにアーケードの人気作4本を立て続けに投入するという力の入れよう。しかもそのひとつが『ゼビウス』だったこともあって、マニアからも注目を集めた。遅れてはならじと、1985年前半までにアーケード業界のジャレコ、タイトー、コナミ、そしてパソコン業界のデービーソフトがソフトの発売にこぎつける。サードパーティーによるファミコン向けソフトの販売は、あっという間に“当たり前”のものになってしまった。

CSGが印象づけた「コンシューマー」の意味

 こうしてサードパーティー各社は、玩具業界の問屋筋などを相手に売り込みをかけていくことになる。だが参入企業が増えるにつれ、この営業活動に課題が出てきたようだ。

 当時の営業の基本は担当者の足とはいえ、「東京おもちゃショー」など玩具業界の展示会への出展ができれば、高い効果が見込めるだけでなく、問屋や小売店にとっても効率的で、互いにメリットは大きい。ところが任天堂は玩具業界の組合に入っておらず、これらの展示会とも縁がなかった。すると単独で出展するのが難しい中小各社【※】は、それぞれが個別に商談会を開くのが精いっぱいで、足を運ぶ流通側の負担も増す。

※たとえば1987年6月の東京おもちゃショーにファミコンソフトを出展したのは、すでにソフトを発売済みだった約40のサードパーティーのうち、6社に過ぎなかった。

 このような背景から、各社の営業担当者の親睦会を発展させ、事務局をナムコに置いて1988年春に組織されたのが、「コンシューマ・ソフト・グループ(CSG)」【※】だ。当初は年3回のペースで、玩具業界の展示会と日程を合わせた合同発表会を開いたほか、夏季の海水浴場に特設ブースを設けるといった一般向けのイベントも実施。1990年からは東京おもちゃショーに大規模に出展し、メガドライブやPCエンジン用も含めた新作展示を取りそろえた。また同年以降、CSG発表会の一部に一般日を設け、これらがのちの「東京ゲームショウ」の原型のひとつとなった。

※冒頭で引用した『ゲーム用語事典』も含め、資料によっては「コンシューマー・ソフトウエア・グループ」などと記載されていることもある。

 ここで、CSGが玩具業界への営業を主目的とする団体だったことが、日本のビデオゲーム業界における「コンシューマー」の意味合いの変化を、よく表している。

1991年の東京おもちゃショーにおけるCSGブースのパンフレット。なお、記載されている企業名は出展参加社のみで、CSG加盟全社が含まれているわけではない。

 最初に示したとおり、一般消費者市場という意味では、本来はパソコン関連品もそのうちに入る。タイトーの「コンシューマープロダクツ部」も当初はそうだった。しかし日本では、玩具の流通ルートと、新興産業のパソコン関連の流通ルートは、別々に形成されており、しかも家庭用ゲーム機の市場が、MSXなど低価格パソコンのゲームソフト市場を圧倒した。このため、アーケード畑の企業にとっての「コンシューマー(市場)」からは事実上、パソコンの市場が外れてしまった。そしてその解釈に、パソコン畑の企業までもが同調したわけだ。

 また先に触れたように、CSGが一般消費者にアピールする活動を行ったことで、若年層のプレイヤーたちにもその存在が知られるようになった。CSGのイベントに展示されるのは、家庭用ゲーム機向けのソフトばかり(例外はあったかもしれないが)であった以上、CSGの名称にある「コンシューマ・ソフト」が、「家庭用ゲーム機向けゲームソフト」の意味合いでプレイヤーたちに浸透していくのも、当然の成り行きといえるだろう。

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