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「良い瞬間」がどんどん出てくる。『ONI – 空と風の哀歌』には、ミニマルなインディーゲームならではの「良さ」がこれでもかと詰まっていた

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 突然だが、これを読んでいるゲーマー諸賢は、「ゲームで好きな瞬間」をお持ちだろうか。私は、ゲームには「瞬間的な感動」というものがあると思う。それらは一般的な意味での面白さとは少し異なる、もっと繊細な、プレイヤー自身の感性に訴えてくるものだ。 

 私はそのような瞬間が好きだ。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のゲーム開始時、目覚めたリンクが逆光に照らされながら祠から出てゆく象徴的なシーンをプレイしたとき、『エルデンリング』で敵に初めてパリィを決めたときの感覚……。
 こうした瞬間的な感動はインタラクティブ性の高いゲームだからこそ味わえるものであり、ゲームのもっとも魅力的な側面のひとつでもある。

 閑話休題。先日、私はあるインディーゲームを遊ばせて頂く機会を得た。『ONI – 空と風の哀歌』というゲームだ。
 大手出版社である「集英社」が新たに立ち上げた会社「集英社ゲームズ」がゲーム業界に名乗りを上げたのはゲーマーの間でも記憶に新しいだろう。
 本作は、その集英社と集英社ゲームズが企画するプロジェクト「集英社ゲームクリエイターズCAMP」ならびに本作のパブリッシャーとなるクラウディッドレパードエンタテインメントの支援を受けたインディースタジオ、「KENEI DESIGN」によって開発されたものである。

『ONI 空と風の哀歌』インプレ:「良い瞬間」がどんどん出てくる_001

 その経緯からしても、日本インディーゲーム業界の中で一際注目を浴びることになるであろう本作だが、私は本作を遊んで、インディーゲームの魅力についてひとつの大きな答えを得た気がする。
 今回の記事では私が感じた「インディーゲームの魅力」、そのポイントについて語りつつ、本作の面白さについても紹介していこうと思う。

文/植田亮平


※この記事は『ONI – 空と風の哀歌』の魅力をもっと知ってもらいたいクラウディッドレパードエンタテインメントさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。

インディーゲームの規模感と親しみやすさ

 そもそもインディーゲームとは、明確な定義こそないものの、概ね一般的には「少人数、低予算で開発されたゲーム」のことを指す言葉だ。
その性質上、ほとんどの場合はメジャーのAAAタイトルや大手メーカーの大規模タイトルなどと比較する文脈で用いられることが多い。従って、インディーゲームの特徴を述べるならばまず第一に、大手スタジオ作品と比べて圧倒的に規模感が小さい点が挙げられるだろう。

 しかし、インディーゲームにおいて、その「規模感の小ささ」はデメリットではない。その点について、実際のゲームプレイを見ながら説明しよう。

『ONI 空と風の哀歌』インプレ:「良い瞬間」がどんどん出てくる_002

 『ONI – 空と風の哀歌』は非常にシンプルな作りのアクションアドベンチャーゲームだ。プレイヤーは鬼ヶ島での戦いで生き残った唯一の鬼「空太(くうた)」となって、桃太郎への復讐を果たすべく、鬼の魂が眠る島「鬼世島(きせじま)」を舞台に、数々の試練へ挑んでゆく。

 本作はアクションがメインとなっているゲームだが、アクション自体の設計は非常にシンプルな構造で出来ている。                                      
 たとえばSteam版で操作する場合、Yは「武器を振るボタン」、Aは「回避するボタン」、Bは「人物やアイテムにインタラクトするボタン」、といったワンボタンで直感的な操作ができるシステムを採用している。主人公である空太のアクションだけで言えば、従来のアクションゲームの王道を往くようなシステムであり、複雑な操作はほとんど要求されない。

 道中、空太の相棒であるコンパニオンキャラクター「風丸(かぜまる)」が仲間となる。風丸はプレイヤーが操作することが可能であり、遠距離からの攻撃や足止め、風丸がいる位置へのワープなど様々なアクションをこなすことができる。相棒である風丸を用いた多彩なアクションが、おそらく本作のゲーム部分の肝であろう。

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 この風丸の存在によって少しばかり操作量が増えることとなるが、さればとて本作のアクションが複雑かと言われるとそうとはならず、あくまで「シンプル」であると私は解釈している。

 また、本作は開けたフィールドで自由に歩き回るデザインのゲームとなっているが、実際のところ、このフィールドはそこまで広くなく、「箱庭」程度の規模感となっているのが特徴だ。
 ロケーションの変化もあるものの、いきなり砂漠になったり、雪国になったりというデザインの変化はなく、あくまでひとつの島ということを強調した環境デザインとなっている印象を受けた。

 全体的なプレイ時間もメジャータイトルと比べると比較的短めとなっており、10時間もあれば容易にクリア可能なボリュームでまとめられている。装備やコレクティブルアイテムなどの概念もあるが、これらの収集に何時間も費やすということはなかった。

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 さて、ここまで見てみると、本作は他のインディーゲーム同様かなりコンパクトな規模感であることが窺える。しかし、私はこれを「良い意味でミニマル」な作りと読んでいる。つまり、どういうことか。

 例えばこれがより予算と人手のかかったタイトルであれば、アクション部分はよりリッチに、フィールドもより広く、アイテムの種類も膨大に、ということになるだろう。
 しかしながら、ゲームにおいては「リッチであればあるほどよい」という話にはならない、と私は考えている。

 アクションのシステム部分を差別化しようとして凝ったものにすれば、それはプレイヤーにとって時に複雑で煩雑なものに映ってしまう恐れがある。
 たとえば、フィールドを広くすればするほど、次に開発者はその密度と戦わねばならない。アイテムの種類が多いからといって、それ自体がコンプリートを目指す動機とはならない……等々。ゲームが豪華になるにつれて、豪華になったがゆえの問題も当然発生するはずだ。

 あるいは伝統的なゲームシステムの模倣を嫌ってオリジナルの仕様にすることで、逆にちぐはぐになってしまったり、本当に体験させたいものが伝わらなかったりすることもあるだろう。
  想像してみてほしい。例えば『スーパーマリオブラザーズ』「スタミナゲージ」が付いた場合、そこで何が得られ、何が失われるだろうか?
 様々な答えが浮かぶが、ここで重要なのは、そうした仕様にした瞬間、おそらく『マリオ』が持っていた本来の楽しさは、いくらか失われてしまうだろうということだ。
 つまり、新しい体験をさせようとした工夫が、逆に蛇足になってしまう場合もある。

 インディーゲームはその都合上、比較的シンプルなシステムとミニマルな規模感を採用しているゲームが多い。しかしこれは予算の都合上できなかったというよりもむしろ、あえてシンプルにすることでゲーム本来の楽しさを強調するという、一種の水平思考のような理由の方が強いのではないかと思う。
 いずれにせよ、インディーゲームはその性質ゆえに、ある種の「親しみやすさ」を兼ね備えていると私は思う。少なくとも私は、本作を遊ぶ上で一度もシステムを確認するためのヘルプ機能を使うことはなかった。

 ここまでは『ONI – 空と風の哀歌』のシンプルさとそれゆえの親しみやすさについて語ったが、ではインディーゲームとは、操作もシステムもシンプルな「単なるお手軽ゲーム」なのだろうか。答えはNOである。

 ここからは、私が本作を遊んだうえで感じた「重要なテーマ」の話をしよう。インディーゲームのもっとも魅力的な部分であり、冒頭での話題に繋がる話……。
 そう、「瞬間的な感動」の話である。

私と作者が繋がる「瞬間」

 本作を起動しオープニングが流れたあと、プレイヤーはいきなり「鬼世島(きせじま)」の広いフィールドにぽつりと取り残されることになる。
 ここでプレイヤーは空太を初めて動かすことが可能になるのだが、その時の演出は私にとって忘れられないものとなっている。

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 これがそのスクリーンショットだ。画面中央には主人公である空太と本作のタイトルロゴ、背後には大きくそびえたつ鬼ヶ島の象徴的な山々が広がっている。
 タイトルロゴからシームレスにプレイ画面に移行することで本作の始まりのシーンをドラマチックに描きつつ、物語の全体像を象徴する鬼ヶ島によってプレイヤーにストーリーの流れを自然な形で語っている、粋な演出だ。

 あまりテキストで物語を語らない本作ともマッチしていると言えよう。そして私が特に気に入っているのは、このタイトルロゴが、画面の手前にあるUIとしてではなく、(接触判定はないが)空間の中にあるオブジェクトとなっている点だ。
 プレイヤーが実際に空太を動かすと、このロゴ表示もカメラに応じて角度が変わるように設定されている。バックでは男性ボーカル付きの美しいピアノ曲が流れ、プレイヤーを一気にゲームの世界に引き込んでくれる。

 この演出自体の長さは時間にしてわずか5秒ほどのことであるが、私はこのたった5秒の瞬間をかなり気に入っている。
 また、道中これと似たような演出──文字UIが空間に浮かんでおりカメラに応じて表示が変わる──が頻繁に登場するが、私はこれも大層気に入っている。かつてソニー・インタラクティブエンタテインメントが手がけたPlayStation 3ソフト『rain』にも似たような演出があるが、そちらは私の最も愛するゲームのひとつである。

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 おそらく、これが私の中の「瞬間的な感動」なのだと思う。そしてこれと同じように、そのゲームのプレイ中、ゲームが自分の感性にピッタリと合う瞬間、感覚というのは、恐らくほとんどの人に存在するのではないかと思う。

 例えば本作の「コンボ」の概念ではどうだろう。本作のバトルにおいて、敵はダウンさせると心玉を落とし、それを空太がたたき割ることで初めて敵を倒したことになる。この「たたき割る」というアクションはワンボタンで可能なのだが、ひとつの心玉を割ったあと、他にも心玉があれば、ボタン連打で続けざまに心玉を割ることが可能となっている。これが本作のコンボである。

 コンボ演出は空太が高速で敵の間を駆け抜けていくというものになっているが、これもある種の「瞬間的な感動」と言えるだろう。各戦闘のリザルト画面にわざわざ最大コンボが表示される仕様になっているのも、開発者がコンボの瞬間というものをかなり重視している証拠だろう。

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 ここで開発者という言葉が出てきたが、私はこの「開発者」という存在が、インディーゲームの最も魅力的なポイントのひとつだと感じている。

 思えば、コンボやオープニング演出についてはまだしも、「空間に浮かぶUI」など、かなりニッチな需要であろう。しかし、先ほどのオープニングやUIの演出も、コンボについても、これらはみな作者が意図的に用意したものだ。作者のゲームデザインにおいて、これらはみな「入れるべきもの」として作られ、取り入れられているのである。
 そういった開発者の感性と自分の感性が見事に合致した瞬間、私は一人のプレイヤーとして、まるで開発者と分かり合えたような気がするのである。

 そう考えると、本作の基本的なシステムがシンプルになっていることも、全てこの「瞬間」を強調するためとさえ思えてくる。インディーゲームの良さは、まさしくこの部分に詰まっているのではないだろうか。
 インディーゲームの特徴のひとつとして、大規模タイトルと比べて「開発者の作家性」が色濃く出る、という点がある。インディー作品全盛の時代と言われる今日の世界において、この記事は当然のことを改めて語っているだけなのかもしれないが、それでも本作を遊んで、私はそのことを改めて強く認識させられることとなった。

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 以上が、本作を遊んだうえで私が感じた本作の魅力であり、また冒頭で語った「インディーゲームそのものの魅力」でもある。

 余談だが、作中に登場するヒロイン、「叶渚(かんな)」ちゃんがかなり可愛い
 叶渚ちゃんもまた、先ほど述べた「開発者の感性」の象徴であろうが、これについては多くは語らないことにする。『ONI – 空と風の哀歌』は2023年3月9日にNintendo Switch、PlayStation 5、PlayStation 4、PCでリリース予定だ。

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ライター
大阪在住のゲーマー。ゲームに限らずアニメ、映画など気になったものは何でも取り込む雑食系。オープンワールドのゲームやウォーキングシミュレーターなどが大好き。最近はオンラインゲーム『League of Legends』にドハマりしているが、プレイの腕はイマイチ。

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