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「マリオ」はなぜ人気なのか? 「成長しないキャラ」であるにもかかわらず、魅力を感じずにはいられないそのキャラクター性を考察する

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 4月28日、スーパーマリオブラザーズの最新作が公開される。そしてそれはゲームではなく、映画だ。

 スーパーマリオブラザーズの映画と言えばデニス・ホッパーがクッパを演じる1993年公開の『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』を思い出す人も少なくないのだろうが、それから30年の時を経て、今度の映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を手掛けるのは世界最高峰のCGスタジオであるイルミネーションである。

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(画像はザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー | 任天堂より)

 同スタジオは、すでに日本でも大人気キャラクターとなっているミニオンが活躍する『怪盗グルー』シリーズや、日本人キャストによるハイクオリティな吹き替え&熱唱も話題となった『SING』シリーズを制作してきた。さらにマリオの生みの親である宮本茂が制作にがっつり関与しているともなれば、期待はいやがおうにも高まる。

 さらに本作はアメリカをはじめとして世界各国ですでに公開されており、公開初週にして累興行収入が500億円を突破するなど圧倒的な結果を叩き出し、マリオというキャラクターの世界的な人気というものを改めて見せつける形になっている。

 というわけで日本での映画公開直前ということで、今回は銀幕のスターとしてのマリオについて、マリオというキャラクターとはどのような存在なのか。改めて考えてみよう。 

文/hamatsu


全てが可能で、全てに失敗するキャラ

 そもそもマリオとはどのようなキャラクターか。

 結論から言ってしまえば、マリオとは「なんでも出来てしまうキャラクター」である。

 そこら中を駆け巡って飛んだり跳ねたりすることであらゆる障害を突破することを始め、さまざまな乗り物の運転やゴルフやテニスなどのあらゆるスポーツにも長けている、自身の身体を使ったアクションならば大抵のことはなんでも出来てしまう万能キャラ、それがマリオである。

 そんな何でも出来てしまうマリオは、同時にそのあらゆる状況、あらゆるアクションに失敗をしてしまうキャラクターでもある。なぜなら彼はプレイヤーの操作によって初めて自身を駆動出来る、ゲームキャラクターだからだ。マリオはプレイヤーの力量に応じて、成功もするし失敗もする。

 あらゆる困難をものともせずに鮮やかに突破していくカッコよさ、華麗さと、あらゆる局面で躓き失敗する無様さ、滑稽さの両方を体現し、その両極を表現するために必要な「愛嬌」を常に失わないキャラクター。
 それがマリオというキャラクターがもっている最大の特徴であり、最大の魅力であると私は考えている。

 そんな特徴はたとえば、マリオの生みの親である、任天堂のゲームクリエイター、宮本茂が初めてディレクターを努めたタイトルである『ドンキーコング』というタイトルのネーミングにも現われている。このゲームにおける最大の脅威であるボスキャラクターの名前に「まぬけ」という意味を持つ「ドンキー」という名称をつけてしまうそのどこかとぼけたセンス。そこに私は宮本茂の作家性を感じるのだ。

 ではマリオと双璧を為す任天堂の看板タイトルのひとつである『ゼルダの伝説』の主人公リンクとはどのようなキャラクターなのかといえば、ほとんどのことが「出来ない」ことから始まるキャラクターなのである。

 初代『ゼルダの伝説』において、ゲーム開始時点においてリンクは敵と戦うための「剣」すらもっていない。だからリンクはまず「剣」を獲得し、敵と戦うための新しい力を得る必要が生まれる。
 そのようにして常に自身の外側からなんらかの力を獲得することを繰り返すことで障害を突破し、やがて伝説の勇者へと「成長」していくゲーム、それがリンクというキャラクターであり、『ゼルダの伝説』というゲームなのである。

 『スーパーマリオブラザーズ』におけるマリオはゲーム開始時点ですでにゲームクリアに必要な力を全て備えている。『ゼルダの伝説』におけるリンクはゲーム開始時点では敵と満足に戦うことすら出来ない。

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『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

 そのようにして『スーパーマリオブラザーズ』と『ゼルダの伝説』は「成長」というキーワードを軸に表裏一体の関係にあるタイトルであり、マリオとリンクというキャラクターはお互いが対の関係にあると言ってもいいだろう。
 お互いがそれぞれの領分の可能性を追求し、互いに浸食し合わないからこそこの二大タイトルは並び立つことが出来ているのである。このふたつが任天堂にとって非常に重要な二枚看板になっているのは、そうした必然性があってのことなのだ。

 ゲーム開始時点において充分に成熟し、それ以上の成長する必要のないマリオというキャラクターはその道中でスーパーキノコやファイアーフラワーなどさまざまなパワーアップアイテムを獲得することでより強い力を得ることが出来るが、それはふとした拍子に失われるものであり、それを経てしまったらもう元の自分には戻れない不可逆な「成長」ではなく、あくまでも可逆性のある「パワーアップ」なのである。

 以上がゲームにおけるマリオというキャラクター(それとついでにリンク)の特徴だ。では次に物語の登場人物としてのマリオとその世界観について、他の作品などもふまえつつ考えてみよう。

年をとるキャラ、とらないキャラ 

 ゲームやアニメ、漫画などのフィクションに登場するキャラクターは、ものすごく大雑把に分類すると、二種類に分けることが出来る。
 ひとつは、どれだけ時が経ち、エピソードを重ねようとも年をとらない、成長も老いもしないタイプのキャラクターである。そしてもうひとつは、作中や現実の時間に合わせて年を重ね、成長するタイプのキャラクターだ。

 前者のキャラクターが加齢や成長といった変化をしないタイプの作品の代表としては、『ドラえもん』『サザエさん』といった作品が挙げられるだろう。そして後者のキャラクターが成長、変化していく作品の代表としては『ハリー・ポッター』シリーズなどが挙げられる。
 昨年、36年ぶりの続編が公開された『トップガン』などもキャラクターが時と共に年齢を重ねていくタイプの作品だと言えるだろう。基本的には役者が時間の経過と共に年を取っていく実写作品の多くはこのタイプである(最近は実写作品でもCGの使用などで若干事情が変わりつつあるが)。

 『サザエさん』や『ドラえもん』のような年を取らない、キャラクターが変化しないタイプの作品は主要キャラクターが不変であるため、長期で作品を継続させるのに向いている。『サザエさん』で特定のキャラクターが時間を経ることでカツオが成長して家を出て自身の家庭をもうけていくというような出来事は基本的には起こらない。なぜなら物語の中での時間が止まっているからだ。

 また『ドラえもん』の主人公であるのび太とその仲間たちは何時まで経っても小学生のままで、のび太は何度も何度もドラえもんの秘密道具を使っては、同じような失敗を繰り返してまるで成長をしないし、中学や高校へと進学したりもしない。
 だが、『ドラえもん』における非常に有名なエピソードである「さようならドラえもん」において遂にのび太が決定的な成長を遂げる時、『ドラえもん』は事実上の最終回を迎えるのである。繰り返される日常において、あるキャラクターが明確な成長を遂げてしまったら、その日常もまた変わらざるを得ないからだ。

 『こち亀』こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』も長期連載作品として有名だが、主人公両津勘吉を始めとする『こち亀』のキャラクター達もまた、基本的には年を取らないタイプのキャラクターである。基本的に、キャラクターが不変であり続けるということは、常に成功と失敗を繰り返し一向に人として成長しないタイプのコメディ作品との相性が良い。

 もう一方の物語の中で時間が経過し年を重ね、成長していくタイプのキャラクターが登場する作品の特色としては、キャラクターが成長、変化していくことに伴い、作品の内容も大きく変化させることが出来るということがある。

 たとえば開始当初はまだまだあどけない少年少女たちの物語だった『ハリー・ポッター』シリーズにおいて、次第に大人へと成長するキャラクター達と共に次第にシリアスなトーンへと作風が変化していくといった具合にだ。

 話をそろそろマリオに戻そう。すでにお気づきの方もいるかもしれないが、マリオというキャラクターは典型的な、年を重ねたり成長をしないタイプのキャラクターである。
 マリオは何時まで経っても髭を生やした元気な配管工だし、ピーチ姫との仲が進展する様子は一向に見えない。そしてかれこれ40年近くの間、クッパ大王とピーチ姫を巡る攻防戦を繰り返している。

 一方、任天堂のもうひとつの看板であるゼルダの伝説はどうかと言えば、すでに述べたようにキャラクターが作中で成長をするタイプの作品なのである。
 だから、『ゼルダの伝説』は基本的にはリンクやゼルダ姫やガノンドロフといった定番のキャラクターは存在するものの、作品ごとに別のリンク、別のゼルダ姫に変化しているのである。何作品かは時間軸や世界観に継続性がある場合もあるが、基本的には世界観や人物は再設定されている。そうすることで、改めてリンクは何も出来ない状態からの「成長」を開始することが出来るのだ。

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『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

 個人的な考えを述べれば、キャラクターが成長しないタイプの作品とキャラクターが成長をしていくタイプの作品では、キャラクターが成長していくタイプの作品の方が映画には向いていると思っている。
 その作品中で登場するキャラクターが大きく変化、成長を遂げるさまを描いた方が、いわゆる「ドラマ性」みたいなものが表現しやすいからだ。キャラクターが成長しないタイプの作品の代表である『ドラえもん』だって、劇場版においてはのび太はそれぞれの作品ごとに何らかの成長を遂げているではないか。

 だから『スーパーマリオブラザーズ』を再び映画化すると聞いた時は、正直意外だった。「成長」をゲームの主題に据えている『ゼルダの伝説』の方が映像化には向いているのではないかと思っていたからだ。
 マリオの映画を作るということは、たとえば、それは永遠に不変のキャラクターであろう「ミッキーマウスの新しい映画を作ること」に近しい行為ではないかと思うのである。ミッキーマウスを主人公にした新作映画……ちょっと観てみたい気もするが、短編ならまだしも長編なら相当なハードルと制約が課せられることは想像に難くない。

 同じくウォルト・ディズニー・カンパニーのアニメーションシリーズ、『トイ・ストーリー』では、主人公であるウッディやバズといったキャラクターはおもちゃのキャラクターであり、年を取らない。一方で、そのおもちゃで遊ぶ人間たちは刻々と年を重ね、成長し、変化していく。そのギャップによって生じるおもちゃたちが迎える悲喜交々の「ドラマ」を描くことで『トイ・ストーリー』シリーズは映画として高い評価を獲得してきた。

 もうひとつ、映画のマリオを制作しているイルミネーションが制作した『怪盗グルー』シリーズにおいても、レギュラーキャラクターであり、人気キャラクターであるミニオンたちは全く年をとらず、一方で主人公の怪盗グルーには一作品ごとに新しい家族を迎えたり、結婚してみたりと明確にライフステージの変化が起きている。
 この変わらないミニオンと変わっていく怪盗グルーの二層構造にすることで、スラップスティックなコメディ性とキャラクター達が変化、成長するドラマ性を共存させることに成功している。

 これらの例のように、近年(と言っても『トイ・ストーリー』は四半世紀前の作品だが)のアニメーションでは、成長するキャラクターと成長しないキャラクターが同一の作品に並列して登場するハイブリッド化が起きているのである。そうすることでテーマパークの顔にもなりうるシンボル性、定番性と、単体の映画作品としてのドラマ性、作品性の両立を図っているのだ。

 そう考えるとマリオの映画はどうだろうか。あまりにもオールドスタイルな「成長しない」キャラクターであるマリオが、すでに公開されているアメリカの批評サイトなどで厳しい評価を受けている理由も、何となく想像は出来るような気がする。

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(画像はザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー | 任天堂より)

 おそらく『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』では意外なキャラクターとの出会いや別れ、見る人誰もが衝撃をうける大どんでん返しなどは起こらないだろう。
 NETFLIXのドラマ、『クイーンズ・ギャンビット』での主人公役が印象的だったアニャ・テイラー=ジョイが声を演じるピーチ姫が予告編を見る限りに置いては「捕まらない」のはちょっとした驚きではあるが、近年のゲームにおけるピーチ姫の在り方を振り返れば、マリオと共に戦うこと自体には驚きというよりも自然な成り行きのようなものすら感じられる。

 きっとこの映画では最後にマリオは見事にクッパを倒すのだろう。そこにはなんの驚きもない。
 だが、そんな王道ど真ん中を衒いなく闊歩できるのが登場以来ゲームシーンのトップを常に全力で駆け抜けてきた、マリオというキャラクターなのである。そして私はそんな予定調和を予定調和として全力でやり切ってくれるであろうマリオの活躍こそを大スクリーンで観たいのである。

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(画像はザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー | 任天堂より)

日本公開が待ちきれない!

 日本公開前にしてすでに記録的な成功を収めている今回の映画によって、マリオが世界最高のIP、最高の人気キャラクターであることを改めて実感することとなった。

 私が初めてファミコンを買ってもらった時(ちなみにシャープのツインファミコンだった)、一緒に買ったソフトは『スーパーマリオブラザーズ』だった。そんな子どもは当時たくさんいたことだろう。
 そして今では私の子どももまた当然のように『マリオカート』『マリオオデッセイ』といったマリオのゲームで遊んでいる。そのようにして世代を超えてマリオで遊ぶ家庭だって今では珍しいものではないのだろう。まだまだ歴史の浅いゲームという文化が、マリオという希代のスターキャラクターを産み出し、それから2023年現在まで、共に歩み続けることが出来たということはとても幸せなことだと思う。

 マリオは登場した時点から成熟した大人のキャラクターである。それと同時に全ての行為に失敗し、あらゆる壁にぶつかり続けるキャラクターでもある。そしてマリオと共に歩む我々が、その歩み、その挑戦を止めない限り、何時かは必ず目指すゴールへとたどり着くことが出来るキャラクターである。

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(画像はザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー | 任天堂より)

 『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のマリオもまた、何度も何度も失敗しながら、最後は大人の余裕を見せつつきっと自身の目標を見事に達成することだろう。マリオというキャラクターは何度も立ち上がり最後は目標を達成する万能のキャラクターだからだ。

 映画が日本でも公開されたら、子どもと一緒に観に行きたいと思う。まだ幼い子どもと観る上では92分というタイトな上映時間はとても有難い。4月28日が楽しみだ。

ライター
某ゲーム会社勤務のゲーム開発者。ブログ、「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の執筆者。 ゲームというメディアにしかなしえない「面白さ」について日々考えてます。
Twitter:@hamatsu

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