炎に彩られたFF
ちょっと前、私は『FF16』について開発陣の人たちにインタビューをしました。その時の、一番印象に残っている言葉があります。それは、「FF16のタイトルロゴ」について。
吉田氏:
先ほど髙井が「炎で結ばれた兄弟のイメージ」と言った通り、FF16のイフリートとフェニックスが向かい合っているタイトルロゴも天野喜孝先生に「今回のFFは“炎に彩られたFF”にしたい」と、2体の炎の召喚獣のイメージをお伝えする形で制作していただきました。
「今回のFFは、“炎に彩られたFF”にしたい」。その言葉を聞いた時、なんか引っかかった。「吉田(敬称略)にしてはなんか曖昧なことを言うな」と。いやお前何様だよって感じかもですが、私は吉Pの発言の明瞭さを信じているので。「炎に彩られたFF」って、なんだか漠然としすぎている。
だけど、クリアした今……わかった。確かにこれは、「炎に彩られたFF」だった。フェニックスとイフリートが向かい合う、このタイトルロゴ。序盤の敵対するふたりの兄弟の姿でもあり、中盤の力を合わせるふたりの兄弟の姿でもあり、最後に別れを告げる……ふたりの兄弟の姿でもある。
炎に彩られた、兄弟だった。炎は、やっぱりいつか消えてしまうのがよくない。ひと時は、あんなに熱いくせに。あんなに刹那的なものは、他にない。そもそもクライヴとジョシュアは、一生「兄さん、無茶しないでね!」「了解、トランザム!」「ジョシュア、無茶はするなよ!」「了解、トランザム!」と言い合っているような兄弟だった。
なんか、素直に……「あんまりだ」と思った。
愛し合った兄弟が、目の前で分かたれるところを何度も見た。誰よりも平穏を願ったふたりが、分かたれていった。炎が消えた。刹那的に。消えた炎とは、もう二度と出会えない。一瞬だけ燃えて、またたくように綺麗で、須臾にして消え去る。炎は、そのあり方が……あんまりだと思う。あり方が、残酷だ。
クライヴは、生まれてすぐのジョシュアを、抱いたことがあった。そしてジョシュアが死ぬ時、クライヴは……彼を抱いていた。ジョシュアを生き返らせて自分が死ぬ時、クライヴは……彼を抱いていた。ずっと、彼を抱いていた。そして、炎は消えていった。何もかもがなかったかのように。……こんなのって、ないでしょ。あんまりだよ。
愛していた。抱いていた。名前を呼び合っていた。
けれど、嵐に吹かれて、消えていった。
「愛」という、刹那的な炎に彩られていた。
「死」という、悲劇的な炎で彩られていた。
この物語にエンドマークが打たれた時、クライヴはいなくなっていた。ひどいことばかり起こるこの世界で、私がただ「幸せになってほしい」と願ったあの人は、死んでしまった。せめて、あの人には自分を救ってほしかった。いや━━「クライヴにとっては」、自分を救えていたのかもしれない。
けれどこんなの、私は納得できない。さっき「良い冒険だった」なんて言ったけど……あれは照れ隠しみたいなもの。本当に良い冒険だったのだけれど、ひとつ心残りがあった。やっぱり、この「あんまりだ」という率直な気持ちだけは、忘れてはいけない気がした。無慈悲に打たれたエンドマークの前にあった、消えてしまった炎を、忘れてはいけない気がした。あの、刹那の揺らめきを。あの、確かな陽炎を。
『FF16』は、良い冒険を味わえる。
『FF16』は、忘れられない記憶になる。
けれど、彩られた炎の中にあった━━果たせなかった思いも、焦がれた願いも、私の中では、未だ焼き付いたままなのだ。
はっきりと口にしてしまえば、「こんなのは嫌だ」と思った。
「歴代で一番嫌な気持ちになるFF」って、そういうことです。
ただの、ハッピーエンドじゃない。
ただの、忘れ去られていく幸せなお話じゃない。
ただの、一夜の間だけ暖かい篝火なんかじゃない。
いちばん、嫌なFF
私は、「所詮ゲームは、ゲームでしかない」と思っています。
ゲームに、人生を変えられた人がいるかもしれない。ゲームに、日々を支えてもらっている人がいるかもしれない。ゲームに、悔いのない人生を送らせてもらった人がいるかもしれない。けれどそれは、「ゲームを遊んだ人が勝手にそうした」だけの話。ゲームは、あくまでそこに「娯楽」として存在しているだけ。それに救われるか、それに救いを見出すかは、人間が勝手にすること。
だからこそ、「日々の生活の中で、そのゲームがどうあるか」ということが大事だと思う。娯楽はあくまで、「生活の一部」。だから、「生きる中で、その作品がどんな役割を果たしてくれるのか」を、私はいつも重要視している。生活の中でそのゲームがどうあってくれるかを、いつも楽しみにしている。
そして『FF16』は、日々の生活の中にあるには……あまりに、残酷なゲームだと思った。
『FF16』は、悲惨な展開がこれでもかと続く。すぐに、ベアラーが惨たらしく殺される。クライヴの幸せが、あっさりと奪われていく。人々の願いは踏みにじられ、思いは潰える。それが『FF16』。それが、ヴァリスゼアという世界。
そしてここまで、ひとつ言及していなかったものがある。それが、「サブクエスト」。
私は、サブクエストにこのゲームの全てが集約されていると思う。
仕事で疲れた日に、ふと『FF16』を遊んだ。何気ない道で起きた、何気ないサブクエスト。そこでは「クロエ」というベアラーが、人形のように使い捨てられていた。本当に、何気ないサブクエストだった。たったの5分くらいで解決する、人生に何の影響もない……ちょっとだけのおつかい。
でも、涙が止まらなくなった。
気持ちの、タガが外れてしまった。
ふと訪れた残酷さに、心が壊れてしまうかと思った。
どうして。どうして。どうして。
なんで私は、ゲームで、こんなにも涙が止まらないのだろう。
私にとってのゲームは、「現実から逃げるためのもの」だ。
基本的に、毎日が嫌。人と接しているだけで価値観の違いに吐きそうになる。私は、周りのほとんどが敵に見える。訪れてほしくもない明日が、勝手にやってくる。だからそこから逃げるために、ゲームを遊んでいる。すごく後ろ向きな理由で、ゲームを遊んでいる。世界にありふれている「嫌なこと」から逃避するために、ゲームを遊んでいる。
ある時、「FF16ってあんま面白くないよね」と、大勢の会話の中で話題になったことがあった。私は、面白いと思っていた。でも、そこで「私は面白いと思う!」と……言い出せなかった。そこで言い出したら、大勢に殺される気がした。世界から疎外され、迫害されることが怖かった。いくらか割り切れはするけど、それに耐え続けるのは……普通に辛かった。
その日、私は奈落に落ちるように眠り続けた。私は『FF16』を裏切ってしまったかのような感覚に陥った。どうしてあそこで、自分の気持ちを殺したのだろう。私は、どうしてそれを気にし続けているのだろう。「自分は自分、他人は他人」と割り切ればいいことを、どうしてこうも悔いているのだろう。どうして、こうも無神経に他人を踏みにじれるのだろう。あぁ、世界には「嫌なこと」がありふれている。
……こんなことから逃げるために、『FF16』を遊ぼうと思っていたのに。『FF16』も、現実と変わらない「嫌なこと」を突き付けてくる。「嫌なこと」を、見せつけてくる。だから、こう思った。
「いちばん、嫌なFFだ」って。
……でも、それでいいと思った。
「嫌なこと」って、絶対あるべきことだから。「嫌なことがある」って、「好きなことがある」と同じくらい、大切なこと。「嫌なこと」は、あって当然。せめて人であるために、「自分が絶対嫌なこと」はあった方がいい。だから、「嫌いなゲーム」も、絶対にあった方がいい。「FF16を面白くない」と言ったあの人たちも、私は何も間違っていないと思う。
なにも、全て綺麗じゃなくたっていい。
全部、完璧に飲み込まなくたっていい。
「嫌なこと」は、「嫌なこと」と受け入れていい。
受け入れてから、「嫌だ」と思えばいい。それが、自分自身を救うための方法だから。自分を守るための方法だから。そこから泣けばいい。そこから辛くなればいい。そこから吐けばいい。そこから誰かを遠ざければいい。そこから世界を呪えばいい。だからまずその前に、「嫌なこと」を、ちゃんと「嫌だ」と思えるように、生きなきゃいけない。一度受け入れなければ、何も始まらない。
そしてそれこそが、ヴァリスゼアという世界を識ること。「嫌なこと」が溢れかえっているヴァリスゼアを、識る。サブクエストは、そんな「ヴァリスゼア」を識るために用意されている。自分の目で、耳で、脚で、人々の悲痛な声を聞く。救う価値のあるか分からないこの世界を━━識る。「歩けば嫌なことにぶち当たる」なんて、本当に現実みたい。だけどそれが、『FF16』というゲーム。
「ヴァリスゼアを識るために」用意された、このゲームなんだから。
識った上で、受け入れた上で、ちゃんと「嫌だ」と感じる。そういうゲームだと思った。
「嫌なこと」があるから、美しく見えるものがある。
「嫌なこと」が何もない世界で作られた美しさに、価値は見出せない。
だから私はあの兄弟を、「嫌だ」と思うと同時に、美しく感じたのかもしれません。
受け入れがたい結末だと思うと同時に、「良い冒険だった」と、肯定できたのかもしれません。
「嫌だったから」こそ、この記憶の中の陽炎を、未だ忘れずにいられるのかもしれません。
さっき、「FF16はリアリストなゲーム」だと言った。ここも、リアリストだと思った。ゲームの中でくらい、幸せでいいのに。ファンタジーの中でくらい、ハッピーでいいのに。そんなに、リアルじゃなくていいのに。だけど、それが━━この世界を、美しく思えた理由だった。綺麗じゃないから、こんなにも、こんなにも……心を焦がしたのだと。
これは、「世界を識る」ゲームだった。
そして、「嫌な世界を識る」物語だった。
そうやって、「世界の美しさを識る」冒険だった。
FF16が最高傑作の理由
みなさまに、ひとつお伝えしなければいけないことがあります。
実はこれで、「16個目」の目次に到達しました!!!
そう、なんとこの記事……ナンバリング16作目にかけて「16のパートにわけて紹介する」という意味のない大ボケをかましていたのです! なんでこんなボケをしようと思ってしまったのか!? だって、「16作目のFF」が出るのはこれが最初で最後でしょう!? だから……やっちゃった♥
そろそろ締めなきゃいけないので、ラストは単刀直入に「なんで最高傑作だと思ったのか」を書きましょう! まず、私がこれまでの人生で一番好きなゲームは『スーパーロボット大戦W』です! 学生時代も含めていろいろな思い入れがあるのは、TYPE-MOONのゲームです!
じゃあ、私にとって「FF」ってなんなの?
間接的どころか直接的に私の人生を変えやがった『ファイナルファンタジー』とかいうゲームは、私にとってなんなの?
……いや、変なゲームだよ!!!
変なゲームとしか言いようがないでしょう、こんなものッ!
だけど、「終わった時になんかが残ってる」のがFFなんです! それがRPGであり、それがFF! 終わった時に何も残ってないFFなんて、ないんだよ! 人生に絶対なんか残してくる! 嫌な気持ちを残してくるかもしれない。嬉しい気持ちかもしれない。忘れられない冒険の思い出かもしれない。二度と消えることのない、憧れかもしれない! もしかしたら、勝手に人生を変えてきやがるかもしれない!!
そして、その全部かもしれない!!
FFって、そういうゲームなんです!!!
『FF16』もそういうゲームだった! だから、最高傑作なんです!!
変なゲームだと思う。真面目な顔をしているくせに、急にはっちゃける。
あんなにソリッドで合理的なゲームなのに、急にネジがぶっ飛びやがる。
だけど、こんなの絶対忘れられないじゃん! こんなの、忘れたくないよ! ここで正直に書くけど……ちょっと『FF16』で仕事できたの、心の底から嬉しかったんだ! 世界最速プレイできたのも、開発の人にインタビューできたのも、ほんっとに嬉しかった!! 「光栄」とかそんな言葉じゃ、収まりきらない! だから……絶対忘れない!! 一生、覚えておく!!
生まれ変わっても、思い出せなくなっても、絶対このゲームのこと探しに行く!!
見つけてみせるから!!!
私から言わせれば、「完全に面白くないゲーム」なんてどこにもないのです。「ジスロマックこいつ……どのゲームにも“面白い”って言ってないか?」と思っているそこの方、ある意味大正解です。私がちょっとでも「面白い」と感じれば、その瞬間にはもう最高のゲームなのです。私が楽しかったのだから、「最高傑作」ということです! 以上! 超シンプルな理論でしょう!?
「最高のゲームだった」と言い放つことに、一体何を躊躇する必要があるのでしょうか?
簡単なことでしょう? 「最高のゲームだった」。ただそれだけ。
たったそれだけの、最上の誉め言葉です!
何かを求めて、ゲームを遊んでいた。
救いがほしくて、RPGを遊んでいた。
嵐<リアル>に怯える私の前に現れたのが、幻想<あなた>でよかった。
嫌な気持ちにさせてくれて。救いをくれて。幸せをくれて。
なにより……誇りをくれて。美しさをくれて、ありがとうございます。
すっごい、楽しいゲームでした。全部、忘れません。絶対に。
そして最大の賛辞を持って、締めくくらせていただきます。
『FF16』は、歴代で一番嫌な気持ちになるFFだと思います。
でも『FF16』は、歴代最高傑作だと思います。
だから『FF16』のこと、大好きです!!!!!