「FFらしさ」でコーティングされた、FFへの叛逆心
マザークリスタルを、ぶっ壊す。
これは『FF16』中盤戦からの、ひとつの大きな目標。シド曰く、この世界に点在するマザークリスタルによって、ヴァリスゼアの大地を蝕む「黒の一帯」が生まれているらしい。その原因たるマザークリスタルを破壊することで、世界を救う。マザークリスタルを、ぶっ壊す。
この「マザークリスタルをぶっ壊す」という言葉の響きの良さから、なぜかLINEスタンプにも収録されている。いつ使えばいいんだよ。いや、マザークリスタルをぶっ壊す時か……。
実はFFシリーズには、「反乱軍が登場する」という伝統(?)のようなものがあるのです。
「そもそもFF自体が某映画に影響を受けているシリーズだから」というマトモな根拠もあるのですが、にしたってシリーズ全体で「反乱軍」という伝統を何かと受け継いでいます。「反乱軍」や「叛逆」といったテーマは痛快ですし、物語にも組み込みやすい。そしてカッコいい。だから個人的に、「今回のFFの反乱要素」はいつも楽しみにしています。
そして『FF16』の反乱は、「クリスタルへの反乱」だった。クリスタルこそがこの世界を蝕む原因であり、破壊しなければならない対象である。まさしく「これは、クリスタルの加護を断ち切るための物語」というキャッチコピー通り。ここで一旦思い返してほしいのが、なんだかんだ言って『FF16』は「FFらしさ」を追求したFFでもあるのです。平たく言えば、真面目。すごく真面目なFFだと思います。
ところが話の本筋は、FFの象徴たるクリスタルを破壊する話になっている。
外側を「FFらしさ」をしっかり抑えた真面目さでコーティングしつつも、その実……「FFの象徴を破壊する物語」になっている。
ここ、私はめちゃくちゃ好きです。全体的に「みんなのイメージの中にあるFF」を目指しているかのような雰囲気を纏っているくせに、実際は最もFFのアイコンとして使われている「クリスタル」をぶっ壊す。良いね、実にFFっぽい! FFっぽくて良いね!!
「クリスタルの音楽」としてお馴染みの「プレリュード」はやたらとドロドロしたアレンジで流れる。「クリスタルの導き」というお馴染みのワードも、怪しい宗教団体こと「クリスタル正教」が使う鉄板ワードになっている。『FF14』であんなに「クリスタルの導き」とか言ってたくせに! 確かに言われてみれば「クリスタルの導き」ほど怪しくてふわふわしてるワードないけども!!
そして『FF16』は「クリスタルへの反乱」でもあり、「これから魔法がなくなる世界の物語」でもあるのです。今作における「マザークリスタル」は、いわゆる「油田」のような役割を持っています。
ヴァリスゼアは「エーテルを使った魔法」に支えられている国が多く、その「魔法」はマザークリスタルから産出された小さなクリスタルを使って発動します。
火をつける、なにかを冷やす、井戸水を組み上げる……我々の世界では電気などの「エネルギー」が役割を果たしている大半のことを、ヴァリスゼアでは「クリスタル(エーテル)」によって供給しています。
そして「マザークリスタルを破壊する」ということは、魔法の発動に必要なクリスタルが産出されなくなるということ。ひいては、「この世界から、魔法がなくなる」ことに繋がります。だからこれは、「これから魔法がなくなるお話」なのだと思います。「魔法」という名のファンタジーへの反乱……っていうのは、ちょっと言いすぎかもしれませんね。
ここで、『FF16』を「ファンタジーたらしめているもの」についても考えてみます。魔法、召喚獣、モンスター、古代の飛空艇、クリスタル……まぁ、基本的にはありとあらゆるものが「ファンタジー」の要素ではあります。ですが、これらの要素は私たちが暮らしている世界にも置き換えられるものだと思います。
人がいる。国がある。それぞれの国は兵器を保有している。そして戦争が起きている。差別がある。人以外の生き物もいる。太古から続く歴史が、今も現存している。これらは、私たちの世界と何ら変わらないのだと思います。
そこの「兵器」が「召喚獣(ドミナント)」に置き換わったり、「動物」が「モンスター」に置き換わったりするだけ。
……あ、別に今から政治の話する訳じゃないですからね!?
なんか説教臭いコトとか書かないですよ!?
そして「魔法」も、「エネルギー」に置き換えることができる。だけどその「魔法」が、これから消える。つまり、この世界を「ファンタジー」たらしめているものが、これから消えていく。クリスタルが消え、魔法が消え、「ファンタジー」は、徐々に終わりへと向かう。それこそが、ファイナルファンタ……あ、ヤバい!
私、今だいぶ先の話してしてないですか!?
忘れて! みんな今の記憶消してください! これクライマックスに書けばよかった!
とにかく「クリスタルぶっ壊すのサイコー」ってことで、ヨロシク!!
召喚獣合戦国際条約 第一条「頭部を破壊されたものは失格となる」
クライヴの人生を追う『FF16』も、いよいよ壮年期編に突入。なんやかんやあって「シド」の名を継いだクライヴは、マザークリスタル破壊作戦の首謀者でもある「大罪人シド」として生きていきます。何気に……「シドが主人公のFF」も初なんですよね。とうとう出ちまったか、シドが主人公のFF。
この辺りから「実はジョシュアが生きていた」ことも発覚して、どんどん物語が展開されていきます。あまりに書きたいことが多すぎるのでチラ裏的な感じで書いときますが……ジョシュアの従者の子、良いよね。そして私がちょうどこの辺を進めていた頃、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』がクライマックスを迎えていたのです。
たしかアレは、グエルとラウダがディランザとシュバルゼッテで死闘を繰り広げていた最終盤だったと思います。つまり私、「グエルとラウダ」「クライヴとジョシュア」をほぼ同時期に見ていたんです。濃い兄弟関係の食いすぎで消化器官壊れそうや。あぁ、そうだ、ガンダム! ガンダムと言えばッ!!
そう、デビルタイタン戦!!!
ドミナンファイト……レディー・ゴ──────ッ!!!!!
ここ、嫌いな人いないでしょ。なにが「デビル」だよ。BGMも暴れてるし。オレ、祖堅正慶がイキイキしてて嬉しいよ。ダークファンタジーはどうしたダークファンタジーは。王道ファイナルファンタジーとは一体何だったのか。おバカだね! 本当におバカなゲームだね!!
ロボットアニメで思い出したんですが、私はあの「毎話を最終決戦にすれば面白くなる」理論って結構好きなんですよね。エヴァとかガオガイガーとか……。毎話が最終決戦くらいの緊迫感でやれば、面白くなるに決まっている。
そして『FF16』も「毎話最終決戦タイプ」のゲームだと思います。全部の召喚獣合戦にラスボス戦みたいなリソースを使おうとしている。
そして決まり手、ライダーキィィィィィィッッッック!!!!!!!!
このゲーム、バカすぎる。
なにが「ヴァリスゼアと私たちの世界は変わらない」だ。ここの前にちょっとかしこぶったこと書いてたインテリ気取りは一体誰だ。最高、最高すぎ。ゲームよ、RPGよ、常にこうあれ。
……いや、よくよく考えたら文脈的にイナズマキックの方か? どっちでもいいわ! もしかして『FF16』でスパロボ参戦狙ってる? 出たら結構嬉しい。なんかアクシズをイフリートが押してる絵面とか出てきたらメチャクチャ嬉しいかも。寺田P、どうすか?
ライダーキック決めてからまだ終わらないのもすごい。ここまで来るとおバカを通り越して「みんな疲れているんじゃないか」と心配になってくる。デビルタイタン戦、すごすぎる。やりたいこと全部入れちゃってんじゃねえか。ガンファムファイト、ライダーキック、そして締めにオラオララッシュ。
もうこれラーメン、カレー、カツ丼みたいな順番で食わされてる感じだよ。すたみな太郎か? めちゃくちゃ食いしん坊の小学生が取ってきた朝食バイキングの皿みたいなゲームだよ。肉取りすぎだって! もうこれ皿の半分くらい主食になっちゃってんだって!! サラダ取りなサラダ!!
『FF16』って、ここの「タガのハズレ方」が面白いんですよね。
普段はあんなに真面目な顔をしているのに召喚獣合戦になると、急におバカになる。いつも真面目な野球部のキャプテンと合宿に行ったら朝食バイキングでわんぱくドカ盛りプレートを持ってきたかのような二面性を感じる。キャプテン、カレー取りすぎじゃないっすか……?
でも、そこが良い! 急にオタクになるとこ、めちゃくちゃ良い!!
バカで、素晴らしいッ!!!!!
男の子って、ホントバカ……
そして一気にバハムート戦! ここでギアを落としちゃあいけない! スピードを落としちゃあいけないンだッ!! アクセル踏んだら急ブレーキダメ! 自動車学校で習わなかったかい!? なぜならここもタイタンに続いておバカだからッ!!
さっき書いた「FF16は毎回最終決戦」を最も象徴するバトルと言っても過言ではないと思う。フェニックスが参戦し、ついにタッグバトルが実現!
「旧クリスタル領での召喚獣合戦は立派にやれるッ!
一人の超大物ドミナントが参戦し、直に戦うからな!」
「エッ……そ、その超大物とは?」
「わたしだよ。」
「それともフェニックスは超大物ではないかな?」
「ジョ……ジョッシュさん!」
ガルーダ戦が「巨大特撮的な重みのある怪獣プロレス」、デビルタイタン戦が「ロボットアニメ・少年漫画的なケレン味を効かせたハチャメチャバトル」だとしたら……これは結構「VS系怪獣映画」の味だと思います。ホラ……あの……アレですよ! 敵となる悪い怪獣がいて、それに対してタッグを組んで挑むアレ!!
ちなみに私はああいう系だと『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ対メガロ』が結構好きです。『ゴジラS.P.』が許されるなら入れてほしい。とにかく、あの「何体もの怪獣が入り乱れるVS系怪獣映画」の味わいをゴリゴリに感じます。よしんばメカイフリートが出たら絶対川北逆光やってたと思う。
そしてフェニックスの空中戦はその弾幕の応酬が「マクロス」的な気もするし、平成ガメラの空中戦らしさも感じる気がする! 特に『ガメラ3 邪神覚醒』のイリスとの空中戦! あそこ、最高!! 劇場版『閃ハサ』のペーネロペーとか絶対イリス意識してたって! 平成ガメラどんどん取り込んでけ!?
ヤバい、私もこのゲームの熱気にあてられてオタク化している。
今のとこ、全部CV上田麗奈で再生しといてもらえばあんまり違和感ないのでそんな感じでよろしくです。実際問題召喚獣とかいない方がいいよね! 忘れろ、なんとかビーム!!
そして合体ッ! イフリート・リズン!!
お前たち一つ一つは小さな火だが、二つ合わされば「炎」となる!
炎となったイフリート・リズンは無敵だ!!
またしても「FFの伝統」シリーズなのですが……FFって、何かと宇宙に行くんです。全作行くわけではないのですが、ほぼ五分五分くらいで宇宙に行くRPGなのです。だけど私……「流石にFF16は宇宙に行きようがないだろう」と思っていました。なぜなら『FF16』はダークファンタジーだから。結構しっかりしたファンタジーRPGだから。こんな真面目なRPGが、いきなり宇宙に行くわけがない。
だけど、行ってしまった。
いや、行きやがった!!!
『FF16』は「ヴァリスゼア」というひとつの大陸の中で繰り広げられるお話。クライヴたちが暮らす惑星には、おそらくヴァリスゼア以外の大陸も存在しています。だけど基本、これは「ヴァリスゼアの中」のお話。
それはそれとして、大気圏を超えて宇宙に突入する。もう惑星の話とかぶっ飛ばして、いきなり宇宙に行く。これこそ……これこそファイナルファンタジー!!!!!
そしてバハムートも宇宙にて限界を突破<リミットブレイク>。
お馴染みの「メガフレア」がギガ→テラの順で強くなっていき、まさかの最終的に「ゼタフレア」にまで到達する。いや……「ゼタ」て! これもうラスボス戦でよくない? ちなみに「ゼタフレア」、どうやら『キングダムハーツⅢ』でドナルドが一度使用を試みているそうです。まさかの逆輸入。
極論FFって、「おバカだねぇ~……」と言いながら遊んでいる時が一番面白いんです。褒めてますからね。だけど『FF16』の場合は、もう少し細分化して「男の子って、ほんとバカ……」と言いながら遊んでいる時が一番面白いゲームだと思います。あぁもう、男の子って何歳<いつ>になってもバカなんだからッ!
すごい個人的なんですけど、バハムートのメガフレアに対してフェニックスがバリアを展開するとこ『FF14』で目が腐るほど見たギミックで笑いました。
「そこに入ればいいのか……!?」じゃないんだよ。光の戦士お馴染みギミックすぎて若干「クライヴの14あるあるギミック初見実況」みたいな味わいが生まれてるシーンあると思います。もしコラボアライアンスやるなら絶対あそこ再現してほしい。
そしてバハムートのドミナント、ディオン・ルサージュ卿。「みんな、余だよ♥」って感じです。大丈夫、私の頭の中ではガイナで接続してるから。
ついさっき「一番好きなキャラはベネディクタ・ハーマン」と言い切った中で恐縮なのですが……ぶっちゃけ、ルサージュ卿も捨てがたい! ダメか!? 女性部門ベネディクタ・ハーマン受賞、男性部門ディオン・ルサージュ受賞じゃダメかなぁ!?
「キャラ同士の組み合わせ」で一番好きなのは……ルサージュ卿とテランスです。
クライヴとジルが結構独特な空気感だから、ルサージュ卿とテランスの濃厚なロマンス成分がより際立っていると思います。ルサージュ卿とテランスの「FFの恋愛」っぽさがすごい。なんかどっちかって言うとルサージュ卿とテランスの方が「世界一ピュアなキス」の雰囲気を感じてしまう。
もっと、中学生とか高校生とかの頃に『FF16』を遊んでルサージュ卿に出会ってみたかった。テランスとの関係に「えっ……これ……そういうこと……?ちょっと……?」とドキドキしたかった。初めての衝撃をルサージュ卿に奪われてみたかった。私の初めての男になってほしかった。ルサージュ卿にいろいろなものを壊された世代が出てくる日が楽しみですね。
そして……「FFの中村悠一」って、いつもロクな目に遭わないのです。
まず『FF13』のシドはひどい目に遭う。サンクレッドはすぐ脱ぐ。『FF零式』のトレイはバンドをやってる。サンクレッドはすぐ脱ぐ。『FF15』のレイヴスも大体ひどい目に遭う。サンクレッドはすぐ脱ぐ。だからルサージュ卿は幸せになってほしいのですが……結構ひどい目に遭っていた気がする。でも好き。そこが良い。
薬売りの少女とルサージュ卿のあの関係も好きすぎる。ルサージュ卿で一本DLC作ってほしい。ルサージュ卿はまだやれる。ルサージュ卿は一本で終わる男じゃない。ルサージュ卿視点の『FF16』を遊ばせてくれよ。ルサージュ卿にハッピーエンドをください。ルサージュ卿に、花束を。オミアラン トゥ イサゲリス。
何気に、ルサージュ卿は「竜騎士は裏切る」という伝統も踏襲しているのです。
なんかもう意地でもFFの伝統を踏襲しようとしてて若干怖くなってきた。どんだけやるんだよ。この「竜騎士の裏切り」、そのタイトルごとに全く解釈が違うから毎回面白いポイントです。カイン、エスティニアン、アラネア、そしてルサージュ卿。全員、微妙に「裏切り」の意味合いが違う。
民を守るために国を裏切った━━━白百合<飛竜草>の騎士。
純潔にして高貴の竜騎士は、民のためにその槍を振るう。
『FF16』は、リアリストなゲーム
『FF16』は……「ゲームとしてのあり方」も他のFFと違う気がする。というかそもそも、FFは「ゲームとしてのあり方」すら毎回変えてきていると思う。一応「オープニングからエンディングまでを楽しんでもらうRPG」という大枠は変わっていないけれど、そこに至るまでの道筋や作り方が全然違う。
たとえば『FF4』『FF7』『FFX』のように世界を駆け巡って順序通りにエンディングに辿り着くタイトルもあれば、『FF12』のように広大なフィールドを探索しつつモブハントにいそしんだりするものもある。『FF2』は自由度が信じられないくらい高いし、『FF15』はオープンワールドだった。
じゃあ、『FF16』はどんな風に作られたゲームなのか?
どんなあり方をしているゲームなのか?
これまた……不思議な作られ方をしているゲームだと感じた。
極論を言えば、『FF16』は「RPGの骨組み」を極限までソリッドにしたRPGだと思う。
まず、「一般的なRPGの進行」と聞いた時、みなさんはどんなイメージを持つだろうか?
私の考えとして、基本的にRPGは「フィールド」「街(拠点)」「ダンジョン(ボスバトル)」の3区間に分けられるものだと思う。フィールドで冒険やモンスターとの戦闘を行う。そして街で新たな武器を購入したり、ストーリーが進んだりする。そこからダンジョンに向かい、強大なボスと戦う。これがある意味、最もオーソドックスにしてポピュラーな「RPG」のあり方な気がする。
この3区間の中で、オープニングからエンディングに至るまでのさまざまな物語が展開されたり、合間にサブクエストやミニゲームなどをこなしたりする。私はこれを「RPGの骨組み」と呼称している。することにした。今、ここで、言葉を勝手に作った。
そして『FF16』のことを思い返してみてほしい。
まず、クライヴが冒険をするフィールドが用意されている。そのフィールドを移動して、メインクエストを進行するための場所に向かう。そして「街」と「拠点」がある。隠れ家などでは、武器を強化したりサブクエストを受注したりする。さらに「ダンジョン」と「召喚獣合戦(ボスバトル)」がある。敵地やダンジョンなどで、大暴れする。
……逆に考えてみよう、この「フィールド」「街(拠点)」「ダンジョン(ボスバトル)」以外に、何かあっただろうか。いや、あんまりなかった。よくよく考えてみたら、『FF16』はこの「RPGの骨組み」にすごく忠実なゲームだった。たしかにサブクエストやモブハントはあった。別に、「物足りない」とかそういう話ではない。
けれど……あまりに「RPGの骨組み」に忠実すぎないだろうか!?
なんか……こうなるとかえって不思議なゲームな気がしてくるではないか!
なんとなく、FFは「RPGという土台の上にいろいろなものを乗せていく」作り方をされているゲームだと感じていました。あくまで私のプレイヤー目線でしかないので、実際にどう作られたのかはわかりません。
けれど、数々のミニゲームや寄り道要素など……ある種RPGという大きな土台の上に「これもやろう」「あれもやろう」といろいろなものを積み上げていくRPGだと思っていました。
ところが、『FF16』は「このゲームで出来ること」をものすごく絞り込んだ上で作られたゲームだという印象があるのです。「クレバー」とも言える。「抑制的」とも言える。「無駄がなくて美しい」と感じる人もいるはず。一方、「ちょっとバリエーションが足りない」と感じる人もいるはず。
『FF16』は、ストーリーを体験してもらうゲームである。『FF16』は、アクションを体験してもらうゲームである。『FF16』は、現行ハードの性能をフルスペックで活かした大迫力のバトルを体験してもらうゲームである。『FF16』は、街があり、フィールドがあり、サブクエがあり、ダンジョンがあり、世界を救う「RPG」を体験してもらうゲームである。この要件に、特化したゲーム。
ある意味、すごく「リアリスト」なゲームだと思う。
これまでのFFと、そもそもの「思想」がまるっきり違うゲームな気がするのです。
たとえば、目の前に一振りの剣が置かれているとしましょう。
その剣にさまざまなオプションパーツをつけていって、最終的に銃と剣が合体したものや、超巨大な剣を作り上げていくような「やったもん勝ち思想」がこれまでのFFだと思います。やれることを、やれるだけ詰め込んでみよう。それがRPG。RPGとは、どこまでも自由に作れるものである。この考え方も、素敵だと思います。
ところが『FF16』は、一振りの剣をただひたすらに研ぎ続けて、「とにかく切れ味のいい剣」を作り上げたようなゲーム。「剣とは、何かを斬りつけるものである」という目的を完全に絞り込んだ上で、そこに向かって作り上げられた業物。確かに、剣は「斬るために」あるものだ。ならば、「斬る」機能を遂行するためのものとして、「斬る」目的を果たすためのものとして、極限まで鍛えればいいではないか。
『FF16』は、そういう作られ方をしていると感じました。
……………私、例え下手じゃね?
とにかく、「これまでのFFとは考え方がまるっきり違う気がする」ということです。別にこれ、褒めてるわけでも、貶してるわけでもありません。「明らかにプレイ感が、これまでのFFと違う」という私の感覚を、淡々と書き記してみました。
なんだか、これはこれで新鮮な体験だった気がする。明らかに『FF14』に近い構造なところもあるのだけど、それでも「1本にパッケージされた大作RPG」として、中々にソリッドな考え方で作られているような気がする。毎回違うって、楽しいよね。