『FF16』、大好きです。
『FF16』、最高傑作だと思います。
でも、歴代で一番嫌な気持ちになるFFだと思います。
記事タイトルにも書いてあるんですが、実は私……ナンバリングのFFを一通り触っているんです。いや、そんなに誇るほどのことでもないし大して重要でもないので、「へぇ~FF好きなんだ」くらいの感じで素通りしてください。
でも、「ナンバリングのFFを発売日に買った」のは、今回の『FF16』が初めてなんです。
多くのゲーマーのみなさまが通っているかもしれない、「発売日にナンバリングFFを買う」というイベント……私は『FF16』が初めてなのです。だからある意味、私にとって『FF16』はお祭りのようなゲームでした。新しいFFが、いよいよ世に出る。新しいFFが、とうとう発売される。待望のタイトルが、やっと世に出る。
このドキドキ感、人生で初めてでした。
この胸の高鳴り、人生で初めてでした。
これまでFFを遊んできた多くの方が体験してきたこの気持ち……味わったことがなかった。だから「お祭り」の気持ちなのです。
発売前に流れていたCM。発売前に開発のおじさんたちがやってた生放送。発売前に都心の駅に掲載されていた広告。声優とかじゃなく開発のおじさん複数人が出ていた発売前の生放送。発売前に新宿アルタ前に出ていたイフリートの立体広告。開発のおじさんたちがただ飯を食う映像が流れていた発売前の生放送……。
どれもこれも、私にとっては……「FFが出る」というお祭りだったのです。だからもう、出る前から勝手に満足しかかっていました。もう、遠足の前の日みたいな気持ち! 寝れない! ワクワクで眠れない!!
あぁ、とうとう『FF16』が出るのか。
私も、ついに「発売日に」ナンバリングのFFを遊べる。
あ──────もう、超楽しみッ!!!!!!
これは、クリスタルを巡る探求の旅━━━━━━!
文/ジスマロック
※この記事には『FF16』本編のネタバレが含まれています。完全ネタバレ記事です。クリア前の方、ネタバレを見たくない方はお気をつけください。
少年期が最悪すぎる
oh……NAOKI YOSHIDA…………。
もう初手からフルスロットルで行かせてもらいますが、やっぱり『FF16』は「FFみたいなFF」なのです。ダークで、シリアスで、ザ・ファイナルファンタジーとでも言わんばかりの王道RPG。
まさに、「まるでFFみたいなFF」である。
ある種「パブリックイメージのFF」に対して、ものすごく忠実に作られたFF。あまりに多種多様化しているFFシリーズの中、ここまでFFド真ん中なFFが出てくると、かえって新しい。もうどういうシリーズなんだよって感じですよね。逆に新鮮味すらある。だから最序盤から、「ザ・竜騎士」が出てきたりする。
この構図!!!!!
……コイツ、よくよく考えたらネームドキャラでもなんでもないの面白いですよね。
この構図で突然ボスキャラとして出てきたら「おっ!?ネームドキャラか!?」と思うでしょうに。ただの一般兵なんだよな。一般兵のクセに豪華な演出もらいすぎだろ。なんなんだコイツ。本当に「竜騎士」としか言いようがない何かだった。おそらくFF史上最も工数とお金のかかった一般兵。
突然このイカした構図で襲いかかってきて「おおっ!?これが噂のディオン・ルサージュ!?」かと思わせておいて、実際ただの一般ザンブレク兵。
戦っていく内に「あれ、そもそもコイツネームドキャラですらないのか……?じゃあなんでコイツにこんな豪華な演出を……?」と、どんどん謎が深まっていく感覚、二度と味わえない気がする。
やっぱりこの「これは、FFである」というアピールがとにかく強烈なのが『FF16』なのです。この構図で竜騎士が現れ、カッコいい音楽と共に襲いかかってきたら、それはもうファイナルファンタジー。「もうわかったから!これがFFなのはわかったから!!」となだめたくなるくらい、「FFアピール」がすごい。
そんなにFFアピールしなくたって……タイトルにFFって書いてあるじゃないか!?
事前に配信された『FF16』の体験版の時点で、この竜騎士とは戦えた。少年時代のクライヴを操作してゴブリンと戦ったり、巨大なモルボルと戦ったり……。なんかもうあの体験版から『FF16』のFFアピールがすごい。「これはファイナルファンタジーなんです。いまアナタが遊んでいるのはファイナルファンタジーなんです」とひたすら催眠術をかけてくるような体験版だった気がする。
そして『FF16』と言えば、「クライヴの少年期・青年期・壮年期」を追いかけるゲームになっているところが印象的。我々はクライヴ・ロズフィールドという男の人生を体験することになる。ゲーム序盤は少年期。
いやぁ……クライヴが……クライヴが若い!!
ごめん、もうクリア後だから「若え!クライヴが若え!!」と中学校の卒業アルバム見返してるみたいな気持ちしか湧いてこない。うわぁ……声が内田雄馬の頃のクライヴだ……。若い、若すぎる。
どっちかっていうとグラハよりカーヴェみたいな感じだったよね。まぁ内田雄馬って絶望してる時の演技メチャクチャ上手いから超適役だと思います。ナイスキャスティング!
……と、ここでひとつ、みなさまに伝えておかなければならないことがあります。
この記事、頭がおかしくなるほど長いです。
なぜなら、作中全ての「召喚獣合戦」に言及したから。
……え、目次とスクロールバーの長さでとっくにわかってる? あ、そうかも。
とにかく、お昼休みを消し飛ばしてしまうかもしれません。午後の優雅な休憩タイムをオタクの駄文で無為に帰してしまうかもしれません。でも、そのくらい全力で書きました。ってことで、一応断り入れたからよろしくね!
そして『FF16』最初の召喚獣合戦、それはフェニックスvsイフリート。
炎に包まれたファイナルファンタジーの初戦は、まさに火と火のぶつかり合い。
最初の召喚獣合戦が兄弟同士とか……訳がわからねえよ……。ジョシュアが「兄さんと約束したんだ!」って言いながら戦ってんのなんぼなんでもやろ。わかる! 私もファイズ好きだから! 勘違いバトルって最高だよね! でもこれが初戦はなんぼなんでもやろ。
フェニックスゲートの地下をウルトラマンブレーザーさんの如くピョンピョン飛び回るイフリートを、フェニックスのシューティングモードで撃ち落とす! のちのバハムート戦でもシューティング的な要素は登場しますが、これはどちらかというと「アーケード」的な趣がある気がします。なんつーんですか、巨大なフィールドの中で動き回る標的と戦うのがすごい「100円入れてる感」あるっつーんですか。
私が『FF16』を先行プレイした際、最も印象に残ったのは「これはファイナルファンタジーという名のアトラクションに乗り込むゲーム」でした。
そしてこの初戦、特にアトラクションっぽい。USJに『FF16』ライドを作ったら絶対にこんな感じになる。というか作ってくれよ。普通に遊びたいよ。いや、それをご家庭で遊べるようにしたのが『FF16』ということか!? 『FF16』、好評発売中!
ぶつかり合う炎と炎。
地獄の火炎に対する、転生の炎。
「火花を散らす」とは、まさにこのこと。
フェニックスを喰らう、火の召喚獣。眼前で大切な弟を喰らう、イフリート。お互いに「守らなければ」と思いながら、ふたりの兄弟は引き裂かれる。なんちゅう冒頭だよ。冷静に考えたらひどい冒頭ですよね。あとやっぱり内田雄馬って絶望してる時の声が一番ゾクゾクする。
そのままロザリア公国ごと人生がめちゃくちゃになるクライヴ。お母さんに捨てられ、少年期は終わりを迎える。最悪な少年期すぎる。もっとスマブラとかして過ごしてほしかった。ジョシュアとジルとマリカーとかやりなさい……ポケモンとか遊びなさい……。そして現れる『FF16』のタイトルロゴ。
この一連の流れ、ある意味「FF16ってこういうゲームですからね!」と宣言しているかのような優しさを感じる。逆に。逆にね。逆に優しさを感じる。かえって優しさを感じる。しかしこの「フェニックスとイフリートが向かい合っているタイトルロゴ」がこのフェニックスvsイフリートの次に出てくるって……今考えると中々に狡猾なことをしている気がする。『FF16』、やってるね?
自分で書き始めて驚いているのですが、もしかしたらこの記事には「振り返り記事」的な側面があるかもしれません。特に策もないまま書き始めていることに恐れおののいてください。クリア後のみなさま、存分に振り返りましょう。
「早く戦いてェ」と思えるアクション
いかん。このままではまた「こんなのレビューじゃない」と言われる気がする。
また「こんなのお前の私日記じゃないか」と言われる気がする。
なので、今回の記事には「レビューポイント」という概念を用意してみました。
「レビューポイント」は……ちょっと真面目に『FF16』の良かったところを書くコーナーです。
いかん、せっかく用意した真面目なコーナーの定義がふわふわしている気がする。情熱吉田大陸プロデューサーはコラムで「何事も定義をハッキリさせてほしい」みたいなことを書いていた気がする。ジスロマックよ、全然定義がハッキリしていないではないか。許せ、情熱吉田大陸プロデューサー!
個人的に『FF16』の面白いと思っているところは、「完全に単独のアクションに特化したFF」であるところ。まず、『FF16』は完全なアクションゲームである。この時点でシリーズ的には結構珍しいのだけれど、そこからさらに「単独のアクション」に特化している。
端的に言えば、プレイヤーはゲームのオープニングからクリアに至るまで、(一部例外を除き)クライヴ・ロズフィールドしか操作することができない。クライヴの剣で戦い、クライヴの拳で戦い、クライヴの脚を使ってヴァリスゼアを駆け回る。
ものすごく極端に言えば、「最初から最後までクライヴひとりのアクションで遊び続けるゲーム」なのだ。
FFシリーズと言えば、やっぱり「パーティーで戦うバトル」の印象が強い人も多いはず。ターン制バトル、ATBバトル、CTBバトル……システムこそ変われど、やっぱり「パーティー全員で立ち向かっていくバトル」の印象が強い。一応『FF16』もパーティーを組まないこともないけれど、それでも操作できるのはクライヴだけ。これが「完全に単独のアクションに特化したFF」ということ。
そしてここに対して発生する問題が、「何十時間もひとりの主人公しか操作できないのは、飽きてしまうのではないか?」だと思われる。
ゲームプレイを単一のものにしないために、性能の違うキャラやジョブを用意することで“幅”を持たせるのはやっぱり大事。ところが『FF16』は、クライヴしか操作できない。私はこれ、中々にチャレンジングだと思うのです。
実際のところ、どうだったか?
私はそんなに飽きた気はしなかった。むしろ、やればやるほど味わいが出ていた気がする。少なくとも、「もうクライヴ操作するの飽きたわ」という感覚には、全然ならなかった。
個人的な感覚として、「アクションゲームの気持ち良さ」は、大体「音ゲー」だと思っている。目の前に流れてきたノーツを、テンポよくタップする。目の前に現れたエネミーを、テンポよく殺していく。息を合わせる。感覚を重ねる。人に乗り移る。音楽に入り込む。そしてその先にあるものは、「コンボの気持ち良さ」である。与えられた課題を即興かつ完璧にクリアした瞬間の、圧倒的な気持ち良さ。
そのゲームが繰り出してきた音楽<エネミー>に対して完璧に踊り狂えた時の、あのカタルシス。
クライヴのアクションとコンボを上手く乗りこなせた時に感じた気持ち良さは、まさにあの「音ゲー」の気持ち良さでした。マジックバーストの仕組みを理解した時。ガルーダエンブレイスの使い方を理解した時。ゲージを半分削り切って、そこから上手く全ての召喚獣アビリティを叩き込めた時。
それはまさしく、『FF16』という名のミュージックを乗りこなした楽しさでした。
そして、基本的に「音ゲーに飽きる」なんてこと、私の中ではあまりないのです。
いや、そりゃあもちろん24時間やり続ければ私だって飽きますとも。ただ常識の範囲内でプレイしている限り、あの「音楽に合わせてゲームを遊ぶ」という仕組みそのものに飽き飽きしてしまうことなんて、私はあまりないんです。だから、『FF16』のアクションにも全然飽きなかったのだと思います。
そしてアクションゲームにおいて最も重要なところ、それは「早く戦いてェ」と思えるかどうか。その点、『FF16』は私の内なるバーサーカーが目を覚ました。だから良いアクションなのだと思う。
バトルシステムもよくわからねェ。コンボも全然わからねェ。だけど、早く戦いてェ。そう思えるんだったら、良い“戦い”なんじゃないだろうか。気がついたら、私は蛮族になっていた。
単純であるがゆえに、耐久性が高い。
シンプルであるがゆえに、拡張性がある。
オーソドックスであるがゆえに、普遍性がある。
『FF16』のアクションって、そういうものだと思います。
……なんかまた定義がふわふわしてない?
ベネディクタ・ハーマン、一番好き
クライヴ・ロズフィールドって……かわいいよね。
私はこの序盤から中盤にかけての青年期クライヴが一番好きです。
クライヴ……かわいい。いや、なんか実際に虐げ……動いているところを見ていると、想像以上に愛嬌を感じてしまう。なんだか、ずっと捨てられた犬のような目をしている。降りしきる雨の中ひとりで生き続けてきた犬のような目をしている。クライヴのこと、匿ってあげたい。
「疲れた成人男性の目」って、こんなにも愛らしさを感じるものだっただろうか。あと顔も疲れている。序盤のクライヴの「キミは……早く幸せになりなさい」としか言いようのない疲れっぷり、本当に愛らしいと思う。
その上、擦り切れた声をしている。この擦り切れた声も素晴らしい。疲れている人間の声がする。良いね、最高だよ。クライヴのASMRとか売ってほしい。
なんとなく、トルガルとクライヴの顔は似ている気がする。「飼い主に似る」とは本当によくできた言葉である。青年期クライヴを一言でたとえるなら、絶対に「疲れた犬の顔」だと思う。ここだけは譲りたくない。この男の青年期は、そういう魔力がある。私、これでもさっきからずっと褒めてるつもりですからね。
冷静に考えてみると、『FF15』と『FF16』であまりにテンションが違いすぎて面白くなってくる。私はどっちも大好きだけど、あまりにテンションが違いすぎないだろうか。
ノクティスたちのパーティーに青年期のクライヴが放り込まれたら一体どうなってしまうんだ。何かの手違いで全く違う修学旅行の班に放り込まれてしまった男みたいな悲壮感を醸し出すのではないだろうか。
クライヴも一緒に写真撮ろう。一緒に花とか摘みに行かない? そんな辛気臭い顔してないで、一緒にご飯でも食べましょう。カップヌードルもあるぞ! えっ、ペヤング派? あ、そう……。
ほら。
いま私が弾き出した脳内シミュレーションではもうダメだった。やっぱりクライヴには私がいてあげなきゃダメなんだ。復讐鬼状態のクライヴには私がいてあげなきゃダメなんだ。私がリードを付けてあげなければ。とにかく『FF16』の魅力=クライヴ・ロズフィールドと言っても過言ではない気がする。良い主人公だよね。
そして私が『FF16』で一番好きなキャラって……ベネディクタ・ハーマンなのです。
どこが好きかって?
全てだよ。
序盤に死んでしまうところ。すごい噛ませっぽいところ。明らかにこじらせてしまっているところ。それでいてシドを諦めきれないところ。上に立つためなら全てを利用するドラスティックなところ。もはやベッドの召喚獣のドミナントなんじゃないかってくらい全てを利用するところ。
もう、全てだよ。
ベネディクタ・ハーマン、めちゃくちゃ良い。序盤に退場してしまったのがあまりに惜しい。『FF16』で唯一気に入っていないところがあるとすれば、「ベネディクタが最初に死んだ」ことくらいである。それくらい良い女性だと思う。ベネディクタが仲間に加わるDLCとか出してほしい。絶対無理だろ。
あともう「家畜」というワードを連打してくるのも最高。口が悪すぎる。「口は災いの元」だと言うけれど、この人は口が大災害みたいな人である。口の悪さならドミナント史上最強かもしれない。ドミナント悪口大会を開いたらぶっちぎって優勝なんじゃないだろうか。家畜に意志は必要ないッ! さっすが~、ベネ様は話がわかるッ!!
それだけでなく、やはりベネディクタはセリフのひとつひとつに「真に迫る」力があるのですよね。余裕がない人は、これだけの言葉を言うことができる。いや、必死に生きているからこその迫力。生きることにしがみつく人間の力。
私が一番好きなセリフも「私を哀れんでいるのはお前だ!シドルファス!」ですから。「私を哀れんでいるのはお前だ」って。すごいよもう。
『FFT』に出てきたアルガスもそうなのですが、やっぱりこういう「生きることに必死な人」って、どうしようもなく好きになってしまうのですよね。おい誰だいま女アルガスって言ったヤツ。おい誰だいま「ヨツユになれなかった女」って言ったヤツ! すいませんボクです……。
そしてクライヴに召喚獣ガルーダの力を奪われてしまうベネディクタ。
俺のザビーゼクター返してくれよぉぉぉぉ!!!!!
なんと哀れ。そもそものスペックがガルーダ頼みの人だったのに、ガルーダがなくなったら本当にどうしようもない。ここまで含めて好き。
私はここの「召喚獣の力を奪い取ることができる」というギミックも結構好きなのです。クライヴは他のドミナントの召喚獣の力を奪うことで、それを自らの能力として吸収できる。もちろん「撃破したボスの力を使えるようになる」というゲームシステム的な楽しみもあるのですが、この時点で「うん?じゃあシヴァとラムウはどうなるの?」と、いろいろ妄想が膨らんだりする。これが楽しい。
……ってか、このギミックもなんか仮面ライダーっぽいですよね。コアメダルとかロックシードとかそういう概念に近い気がします。
ほら、あの「これから先に登場する新フォームがどういう流れで出てくるのかを想像する楽しさ」とでも言えばいいんでしょうかね。単純に私がニチアサオタクなのもあると思いますが、それでも『FF16』を遊んでる時の楽しさは……だいぶ仮面ライダーに近かったです。
そして火ぶたが切って落とされる召喚獣合戦の第2回、イフリートvsガルーダ!
召喚獣合戦のすごいところって……やっぱりその時によって「バトルのコンセプト」が丸っきり違うところだと思います。
初戦のフェニックスvsイフリート戦はシューティング形式だったと思いきや、次はイフリートとガルーダの怪獣プロレスを見せられる。これはウルトラマンイフリートか。それとも「大召喚獣空中戦 イフリート対ガルーダ」だろうか。
そしてここの「イフリートがのしのし歩きながら戦う重厚感のあるバトル」も、たった1回きり。これがテンプレなのかと思ったら全然そんなことはない。でもこっちの方向性ももっと見てみたかった。別にゲームになってなくてもいいからイフリートと召喚獣の怪獣プロレスを土曜の朝とかに流してほしい。ソフビとか売ろう。「クライヴファイト」みたいな感じで短編で流してもいい。
そして外せないポイントは、やっぱり「召喚獣の欠損描写」です。
このイフリートvsガルーダ戦は、「腕をちぎる」「首を絞める」といった特に生々しいアクションが印象的。そこも含めて、他の召喚獣合戦とは全く印象が違う。本当に「同じ召喚獣合戦」が全く存在しない。人間態であればちょっと描写がキツイ欠損ダメージ描写も、召喚獣になっちまえばOK!!!
ここの「欠損ダメージ描写」をしっかり見せてくれると、なんか嬉しい。深い理由はないけど「ウオオオオ腕飛んだァ!!!」って盛り上がれるから、なんとなく欠損描写は大切にしてほしい。
やっぱり怪獣プロレスと言えば部位破壊によるダメージ表現ですから。ほら、バザンガも手甲剥がされてたでしょう? 怪獣同士のバトルにはあの描写があってほしいんです!
個人的には『ゼノブレイド3』のウロボロスがバトルの際にバンバン欠損するあの描写を思い出しました。あっちの欠損描写もさぁ……良いよね……。良い……バトルの欠損描写って良い文化なのです……。
どちらかというと『ゼノブレイド3』は「フェチ」としての欠損描写だと感じましたが、『FF16』は結構「怪獣バトル」としての欠損描写な気がします。とにかく、欠損って最高。
そして明かされる衝撃の真実。ずっと復讐すべき相手だと思って追いかけていたイフリートは、本当は自分自身だった。
この時のシドの「わけが分からねえよ……」というセリフ、なんか面白い。本当にわけが分からねえよ……。やっぱつれえわ。そらそうでしょ。言えたじゃねえか。途端に終わりを迎える復讐劇。これは、復讐のファイナルファンタジーなんかじゃなかった。
『ファイアパンチ』のトガタの気持ち、ちょっとわかった気がする。
おい! これどうすんだよ!
せっかくのファイナルファンタジー……これからどうすんだよ!?