「殺るか、殺られるか」の連続なのに遊び続けてしまうのは、圧倒的な“生の実感”にあり!?
とにかく、容赦も慈悲もなく殺されるFPSなのは、前述の体験談とシステム的な特徴が物語る通りである。繰り返しになるが、常時「殺るか、殺られるか」だ。体力が十分残っているから力押ししよう、などと考えてはいけない。本気で頭が飛ぶ。
この厳しさには躊躇いが生じてしまうのも無理はない。
だが、このゲーム……大変不思議なことに、容赦も慈悲もない展開ばかりなのに続けて進めたくなってしまう。「まだ終わっちゃいない!」「もう一回だ!」「打開策がある!」との執念が何度かの戦闘を重ねていくうちに醸成されていき、(個人差はあるが)気づいた頃には闘争を繰り返す身に変わり果てるのである。
なぜ「殺るか、殺られるか」の連続なのに続けてしまうかは、圧倒的な“生の実感”が得られることにある。具体的には、戦いに勝つたびに装備の充実化という名の強化をどんどん実施できることだ。
本作は手持ちの武器、回復アイテムなどは敵を倒し、その遺体からはぎ取る形で調達するのが基本。つまり、戦闘で敵を倒せば倒すほど、プレイヤー側の装備が充実すると同時に、戦術とフィールド探索の幅が広がっていくのである。
回復アイテムと止血用の包帯が多ければ、生存時間が稼げるし、被ばく対策のアイテムもあれば汚染地帯やアノマリーの脅威も多少は軽減できる。銃火器も性能的に優れたものが手に入れば敵に対処しやすくなるし、銃弾も相当量あればなおのこと安定。特に強い敵は大半が火力が高く、性能的にも秀でた銃火器を装備しているので、倒した時の見返りも大きめだ。
こうした敵を倒すたびに強くなっていくRPGを思わせる成長感と、それで打開できるかもとの余地が備わっていることが、続けて遊んでしまう魅力を作り上げている。
いわゆる経験値(XP)、スキルなどの強化要素はなく、本当にアイテムや武器を充実させるだけという単純な構造なのだが、それでRPG的な手応えを表現しているのは非常に面白い。
どことなく「ハック&スラッシュ」(ハクスラ)的な探求心をくすぐる面もあることから、同ジャンルのゲームが好きな人なら沼にハマってしまうかもしれない。
何より、こうした結果が得られるのは闘争で生き残れた瞬間のみ。その意味では、この一連の仕組みは闘争と生存の醍醐味と本質をこれ以上なく表していて、本作のサバイバルFPSたる所以と個性を際立たせている。
ゲームとしての遊びやすさをいじり倒せるのも、地味ながら熱中度を高めている。中でもほぼ好きなタイミングで可能なセーブとロード。戦闘中であろうが、殺られかけの瞬間だろうが自由に記録可能で、気軽にやり直しては再挑戦できるのだ。この自由なセーブ自体は、昔のPC向けFPSに見られたもので、それをそのまま採用しているのだが、おかげで過度に心が折れる心配もなく、生存のための闘争に身を捧げられる。
もちろん、イタズラに使いすぎると最悪詰む恐れもある。だが、工夫次第でプレイヤー好みの加減で楽しめるのはありがたく、おかげで心置きなく没頭できる。同時にその心地よさに慣れるほど、何度でも何度でも闘争を繰り返すようになってしまうかもしれない。
システムやゲームプレイ周りに限らず、ストーリーと舞台設定も先へ進めたくなる欲求の刺激と動機付けに機能している。特に舞台設定は、現実世界で人間が立ち入れなくなってしまっている土地。アノマリーを始め、脚色されているところもあるが、放射性物質の危険もなくゴーストタウンと化した土地を探索できるのは、廃墟好きほど好奇心を刺激させられること請け合いだ。
ストーリーもプレイヤーの興味・感心を引き付ける要素が多く、行く末が気になりやすい。中でも記憶喪失の主人公が真実を求めて探求していく展開が描かれる1作目は、題材的に王道ながら、その面白味をバッチリ押さえた内容にまとめられている。
また、紹介が遅れたが本作には「A-Life」なるシステムが備わっている。これは本編に登場するキャラクター(NPC)たちが、プレイヤーの意志とは無関係に自律的な行動を取るもので、それがクエストの進行や友好関係を築いた仲間たちに変化を及ぼすのだ。
例えば、ミュータントに襲撃されていた仲間を助け、友好関係を結んだとする。その後、別のクエストを進行するために場を離れ、少し経ってから再び仲間に会いに行ってみると、なんと助けたはずの仲間が遺体に!場を離れてから間もなく、彼の元に再びミュータントが襲撃し、彼は数の力に押されて蹂躙されてしまったのだ。
こうした予想だにしない動きをキャラクターたちが見せるのだ。まるでこの世界にいるキャラクターたちが、本物の人間として生活しているかのようなこの展開には度肝を抜かれること請け合い。同時に、これほどの凝ったシステムを持ったゲームが2007年、17年前に出ていたという事実に初見プレイの人ほど、驚愕するだろう。
そもそも、これらの特徴を持ったサバイバルFPSも滅多に見られない以前に、舞台設定からして既に強烈な個性がある。ゲームプレイもまた然りであり、まさに他では決して味わえないであろう、『S.T.A.L.K.E.R.』だけのサバイバルと闘争が凝縮されているのである。
「昔ながらの洋ゲー」そのままな部分もあるが、それを押し退ける個性と魅力が本作にはある
とは言え、全体的にゴリゴリに尖った作りであることから、合わない人にはとことん合わない側面もある。とりわけチュートリアルが最小限で、基本的に闘争での敗北と失敗を繰り返しながら仕組みを理解していく過程は、近年の懇切丁寧なゲームに慣れ親しんだ方には少々つらいかもしれない。
元が14~17年前に発売されたFPSであることから、純粋に不便だったり、行き届いていない点も多い。限定的なオートセーブとファストトラベル機能、フィールド全体を表したマップ画面の操作感の重さなどがそれに当たる。自動的に敵へと狙いを定めてくれる「エイムアシスト」は備わっているが、そもそも、銃弾の飛び方が銃火器の性質に応じて変化するというリアル仕様。恩恵は少ない。
また、UIなどはいい意味でも悪い意味でも「昔ながらの洋ゲー」そのままで、操作感、快適性ともにこなれていない点が多い。
メッセージテキストも文字フォントのサイズが非常に小さく、それなりに大きなモニターでプレイしないと視認性が大変厳しいことになる。
さらに日本語翻訳にも所々、何らかの不具合によって文字が消えている場合がたびたびある。今後、改善されることを願うばかりだ。なお、ダウンロード版の配信当時はカットシーンに日本語字幕が出ない難点もあったのだが、こちらはアップデートで解消済み。
そのようなこなれていない部分も多い本作なのだが、それでも闘争のスリルと生存できた時の高揚感、それによって成長が見込める見返りの快感には突き抜けたものがあり、好きな人ほど沼にハマって遊び続けてしまう面白さと中毒性がある。ボリュームも非常に大きく、メインのストーリーを終えるだけでも、3作それぞれ15~20時間近くはかかる規模。
家庭用ゲーム機版に合わせ、一新されたグラフィックも美しく、14~17年前の作品であることを感じさせない。筆者は本作をPlayStation 5にて遊んだのだが、ロードもほとんど気にならない速さでストレスを感じるようなことはなかった。
何より、(切り替えられている箇所はあれど)広大なオープンワールド、事実上の自律型AIが備わったNPC、現実さながらの銃火器によるリアルな戦闘など、14~17年前の作品でありながら、2024年の今に見ても新鮮味があると同時に、時代を先取りしているとすら思わせる作りになっているのが凄い。カルト的な人気を誇るとの巷の話も納得するしかなかったし、なぜ続編の発売が長年に渡って待ち望まれているかもよく分かった。
ただ、このトリロジーだけでも相当なボリュームがある。果たして、2024年9月6日の発売が報じられている続編『S.T.A.L.K.E.R. 2: Heart of Chornobyl』までに間に合うのだろうか? 特に6月27日発売のパッケージ版でデビューする人なら、ほぼ毎日没頭する勢いで取り組まないと間に合わないような気がするのだが……?
何はともあれ、多種多様なFPSが発売されている現代においても、全く色褪せないどころか、新しさすら味わえる闘争と生存の快感が詰まっている本作。殺るか殺られるかの緊張感抜群の戦闘と探索が味わえる、変わったFPSを求めているならば突撃せよ。
第1作目『S.T.A.L.K.E.R.: Shadow of Chornobyl』、第2作目『S.T.A.L.K.E.R.: Clear Sky』、第3作目『S.T.A.L.K.E.R.: Call of Prypiat』の3部作を1本に収録した『S.T.A.L.K.E.R.: Legends of the Zone Trilogy』PS4向けパッケージ版はセガより2024年6月27日に発売、価格は6,578円(税込)となっている。
興味のある方はこの機会にプレイして、9月発売予定の『S.T.A.L.K.E.R. 2: Heart of Chornobyl』に備えよう。
そして……よきハンティングを!