「ゲームが変えた日本語」の今回のテーマは、「デカキャラ」だ。これは文字どおり「デカいキャラクター」の意味で、画面上のほかのキャラクターよりも(あるいは既存のビデオゲームと比較して)大きなキャラクターのことを言う。
「デカキャラ」という言葉が広まったきっかけは、1985年末に日本ファルコムがパソコン向けに発売したアクションRPG『ザナドゥ』だと考えられる。とくに、1986年秋に登場した追加シナリオ『ザナドゥ・シナリオⅡ』の広告に「デカキャラ」とうたわれていたので、“公式用語”としての印象が強い向きもあるかもしれない。

ただ、1985年末時点でのパソコンゲーム誌の広告や記事を見てみると、意外にも「デカキャラ」は、ごく一部の例外を除きほとんど出てこない。筆者が確認したもっとも早い例は、『ログイン』1985年11月号の速報記事だ。
そこでは、「このゲームの売り物のひとつ、デカキャラ」「敵キャラには、とってもデカイのが5匹(予定)だけいる」などと紹介されている。つまり「デカキャラ」は、そもそもは日本ファルコム側の公式資料などには使われていなかったと考えられる。『ログイン』誌側で生み出された言葉という可能性も、十分あるだろう。
いずれにしても、『ザナドゥ』が日本のパソコンゲーム史上まれにみるヒットを飛ばす中、「デカキャラ」は『マイコンBASICマガジン』などの他誌にも急速に広がっていった。そして、先に触れた『ザナドゥ・シナリオⅡ』の広告にも使われるまでに “昇格” したわけだ。
この時期は、セガの “体感ゲーム” をはじめとするゲームセンター(アーケード)のビデオゲームで、大きなキャラクターを使った迫力ある映像が注目を浴びていた。このこともあって「デカキャラ」は、パソコンゲームに限らず広く使われるようになり、本連載でたびたび取り上げている『ゲーム用語事典』などにも採録されている。

しかし1990年代後半以降、「デカキャラ」は過去の言葉という印象が強まったと言えるだろう。その理由を簡単に説明すれば、仮想的な3次元空間に配置した物体を画面に投影する「3Dグラフィック」が、アーケードや家庭用ゲーム機、パソコンゲームにまで広く普及したからだ。
3Dグラフィックでは、カメラ(視点)を置く位置と向きによって、キャラクターの画面上の大きさがどうとでも変化する。つまり、キャラクターが大きく表示されることそのものには、特にインパクトはないわけだ。そのため、「デカキャラ」という言葉もその価値が大きく減じられ、使われなくなっていったのだろう。
逆に言えば「デカキャラ」は、ビデオゲームにおける3Dグラフィック普及以前の──つまり2Dのグラフィックの繁栄の中で、大きな価値を獲得した言葉だと説明できる。では日本のビデオゲームのグラフィックは、そこに至るまでにどのように進歩してきたのだろうか? 主にハードウェアの面から、それを振り返っていくことにしよう。
『スペースインベーダー』の映像機能
日本のビデオゲームの歴史の中で、1979年前半に日本に巻き起こった「インベーダーブーム」の影響の巨大さは、この連載でも何度となく触れてきた。その主役となったタイトーの『スペースインベーダー』は、1978年夏に発売された当初、白黒ブラウン管を使っていた。テーブル型の筐体などでは、ブラウン管の表示面の一部にカラーセロハンを貼り付け、これで色がついたように見える仕組みになっている。

『スペースインベーダー』のハードウェアは、当時米ミッドウェイ社が発売していたビデオゲームがベースだ。元をたどると、1975年にタイトーが開発した対戦型射撃ゲーム『ウェスタンガン』を、ミッドウェイがライセンスを受けてハードウェアごと作り直した『Gun Fight』につながっている。
『ウェスタンガン』はCPUを使わず、論理回路の組み合わせでルールなどを構築していたのに対し、『Gun Fight』はCPUを採用したのが特徴だ。

その映像回路は、画面上の1画素がメモリーの1ビットに対応する、モノクロのビットマップグラフィックだった。このために、8キロバイト(KB)弱のRAMをビデオRAM(VRAM)として使用する。『スペースインベーダー』は、1978年末ごろからカラー表示型も登場するが、これはRAMを増設し、画面上のある程度の範囲に対して白の代わりに別の色を割り付ける仕組みだ。つまり、発想としてはカラーセロハンの役割の延長上にあった。

このハードウェアは、1975年時点のものとしてはなかなかに贅沢な作りだったようだ。『スペースインベーダー』で、要塞(シェルター)が細かく崩れていく描写は、1画素単位で表示を変更できる特性を活かしたものだったと言える。しかし多数の、あるいは大きなキャラクターを動かすには、移動範囲のRAMの多くを書き換える必要があり、その処理には相応の負荷がかかった。
『スペースインベーダー』のゲーム中でも、プレイヤーのビーム砲や敵方のUFO、お互いの弾などを動かす負荷を考慮し、インベーダーは必ず1体ずつ順繰りに移動するようになっている。画面上に多数のインベーダーがいる際に、動きがうねって見えるのはこのためだ。
『ギャラクシアン』とスプライトの衝撃
さてインベーダーブームが終息したあと、1979年後半のアーケードゲーム市場には、ポストインベーダーを狙う作品が各社から投入された。そのかなりの割合が、『スペースインベーダー』そのものや模倣品・類似品のハードウェアを再利用あるいは改造したもので、これはタイトー自身の作品も例外ではなかった。
その中でひときわ注目を浴びたのが、ナムコの『ギャラクシアン』だ。1画素単位で細かく色分けされたエイリアンが、なめらかな曲線の軌道を描いてプレイヤー側に向かってくる映像は、インベーダーゲームとは明らかにレベルが違うものだった。

『ギャラクシアン』の映像回路は、画面上の敵のキャラクターや弾などの “移動物体(オブジェクト)【※】” を動かすにあたり、表示位置の数値を書き換えるだけでよいのが特徴だ。しかも情景や得点を表示する “文字画面” とオブジェクト、そしてオブジェクト同士の重ね合わせが、ハードウェアで自動的に行われる仕組みになっている。
これはもともと米アタリが開発した技術だったが、その時点ではオブジェクトは1色(透明色を除く)だった。アタリの日本法人を買収していたナムコは、その技術を改良したわけだ。
※移動物体(オブジェクト):アタリの特許文書では、正式には「moving object(s)」だが、単に「object(s)」と書かれている部分も多い。
『ギャラクシアン』では、文字の表示は1行あたり28文字、32行(ブラウン管を縦に置く)。1文字は8×8画素なので、画素数で換算すると横224×縦256画素となり、『スペースインベーダー』とほぼ同じだ。ところが情報量は1文字につき8ビット+α(色情報)で済むため、文字画面のVRAMは1KBに収まっていた。
そしてこの文字画面に重ねて、16×16画素・3色(透明色を除く)のオブジェクトを最大8個表示可能な仕組みになっていた【※】。画面上にはもっと多数のキャラクターがいるように見えるが、オブジェクトで描かれるエイリアンは、編隊を離れて飛来してくるものに限られる。編隊を組んで待機している状態のエイリアンや、プレイヤーが操る機体は、実は文字画面に表示されていた。
『ギャラクシアン』の映像回路は、文字画面の任意の行を水平方向(ブラウン管の短辺方向)にスクロールさせることができる。これが、エイリアンの編隊などの移動の表現に使われていたわけだ。
※16×16画素・3色(透明色を除く)のオブジェクトを最大8個表示可能な仕組み:敵やプレイヤー側が発射する幅が1画素の弾は、この数には含まれない。
少なくとも日本のアーケード業界にとって、この『ギャラクシアン』の映像機能は衝撃的で、その影響は大きかった。インベーダーブームにあやかった新参の企業が、今度は『ギャラクシアン』の回路の模倣・改造で新しいゲームを開発したケースも珍しくない。また独自のハードウェアの開発にこだわる場合でも、『ギャラクシアン』を超える機能を実現することは、当然の目標になった。
後に、オブジェクトは「スプライト」、文字画面は「BG(バックグラウンド、背景)」などとも呼ばれることになる【※】。この構成をスタンダードに押し上げたのが、『ギャラクシアン』だったと言える。
※スプライト:「スプライト」の呼び方が広まったのは、米テキサス・インスツルメンツが同社の家庭用パソコン向けに開発した映像用LSI「VDP」の機能説明で、この言葉を使ったためだと考えられる。
スプライトを贅沢に使った『ドンキーコング』
ところで、独自のハードウェアで『ギャラクシアン』を超えようとした例のひとつに、任天堂が1980年末に投入した『レーダースコープ』が挙げられる。ゲームのアイデアは『ギャラクシアン』の系譜上にあるものだが、待機状態の敵も個別の動きを見せるなど、動くキャラクターが多いのが特徴のひとつだった。その映像回路は、画面内に最大96個のスプライトを表示できたと後に説明されている【※】。

※画面内に最大96個のスプライトを表示できた:宮沢篤・駒野目裕久「アーケードゲームのテクノロジ:(1)スプライトのすべて」(『bit』1996年12月号)より。
しかしこの作品は、日本でも北米でも目立ったヒットとはならず、とくに北米では在庫が積み上がる結果になった。そこでそのハードウェアを再利用し、プログラムやグラフィックデータを入れ替えて新しいゲームに仕立て上げる企画が求められた。そんな経緯から生まれたのが、1981年夏に登場したあの『ドンキーコング』だという逸話が残っている。
このためアーケードの『ドンキーコング』は、ゲーム内容のわりにスプライトが多く使われている。たとえば最初の面(ステージ)で左上にいるドンキーコングはもちろんのこと、その後ろに積まれたタルや画面左下のドラム缶といった、動かないものまでスプライトになっていた。
またドンキーコングを表示するだけでも、16×16画素のスプライトを6個前後使っていたと考えられ、かなり贅沢なやり方だったと言える。

このようにスプライトの表示数に余裕が生まれ、大きなキャラクターを表現できるようになったことは、人間や擬人化されたキャラクターの表情・しぐさを細かく描写する機運につながる。実際、ドンキーコングの歯をむき出しにする表情や、胸を叩く様子などのしぐさの豊かさは、敵役ながらもゲームタイトルをしょって立つ “看板役者” にふさわしかった。
この後1980年代中盤になると、『ギャラクシアン』やそれに次いで模倣された『パックマン』の映像機能【※】は、過去のものになる。アーケード業界に新規に参入する企業も含め、各社とも映像や音響の強化にしのぎを削った。その中で、主人公や敵に人間型のキャラクターを採用し、それらに16×16画素よりも大きなサイズを割り当てて動きの表現にこだわった作品が、次第に増えていくことになる。
※『パックマン』の映像機能:文字画面の行数(長辺方向の画素数)が増えているなどの変更があるが、16×16画素のスプライトの表示数は『ギャラクシアン』と同じく最大8個。