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え? 日本からチェコへ聖地巡礼に? 開発スタジオとチェコ政府観光局公認の「Kingdom Come Deliverance LIVE」ツアーに参加してチェコに行ってみた

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15世紀のチェコ・ボヘミア王国を舞台にしたRPG『キングダムカム・デリバランス』(以下、『KCD』)。2025年2月に続編となる『キングダムカム・デリバランスⅡ』(以下、『KCD2』)が発売され、シリーズの世界累計販売本数は1000万本を突破している。

チェコのゲームスタジオWarhorse Studiosが開発した『KCD』シリーズは、徹底した歴史考証で15世紀のチェコを忠実に再現した重厚なRPG。その再現度の高さから、ゲーム発売後は世界各国からチェコへの観光客が増えているという。

そういった状況を受け、じつは現在『KCD』開発元のWarhorse Studios、そしてチェコ政府観光局公認の「Kingdom Come Deliverance LIVE」という聖地巡礼ツアーが開催されている。

『KCD2』に登場する街や城を訪れることができるこのツアー。上記のサイトは英語なのだが、日本からの応募も可能。行程はチェコの首都、プラハ発着の3日間で、プラハ→トロスキー城→マレショフ砦→クトナー・ホラ→プラハを巡る内容になっている。

プラハに到着したあとは、『KCD2』に登場したトロスキー城、マレショフ砦、クトナー・ホラを送迎&ガイド付きで観光できるというもの。

5月〜9月までの各月1回(6月のみ2回)実施されるツアーとなっているのだが、このたびチェコ政府観光局より電ファミニコゲーマーにプレス体験の打診をいただいた。というわけで、本稿ではツアーの模様をお伝えしていく。

取材・文/豊田恵吾
取材協力/チェコ政府観光局、駐日チェコ共和国大使館


開発者と巡る『KCD2』聖地

最初に訪れたのはクトナー・ホラ。ボヘミア王国の揺籃時代、銀の宝庫であったことから「王国の宝石」と呼ばれる街だ。1300年には造幣局が設立され、中世ヨーロッパで重要な役割をはたした通貨、プラハ・グロッシェン銀貨を生産。王国の繁栄に大きく貢献したこの街では、多彩な建築様式の建造物を目にすることができる。クトナー・ホラの歴史地区は、聖バルボラ教会、セドレツの聖母マリア大聖堂とともに世界遺産に登録されている。

ゲーム画面と実際の街並みの違いについては、ガイドからの説明があるほか、今回は特別にWarhorse StudiosのPRマネージャー、トビアス・シュトルツ=ツヴィリング氏と『KCD2』のシニアゲームデザイナーを務めるオンドジェイ・ビトネル氏にも同行いただき解説いただいた。

クトナー・ホラ街並

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造幣局の風景。ゲーム画面との比較を示すトビアス氏。
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こちらが造幣局のゲーム画面。現代に残した部分、15世紀の再現度のそれぞれが絶妙なバランスでデザインされていることがわかる。
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聖バルボラ教会の比較。ゲームでは周囲が水に覆われている。
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街の中央部にある井戸。現在は周囲に装飾が施されている。
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こちらがゲーム中の井戸。飾り気のないシンプルな作りなのがわかる。また、街全体の傾斜が再現されていることもわかるだろう。
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こちらは15世紀に市庁舎があった場所。火災で消失し、現在はピザ屋となっている。
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ゲーム中の市庁舎。建物の資料も残っていないため、歴史専門家と打ち合わせを重ねて、「この時代にあり得た」デザインをゼロから作り上げたそうだ。

聖バルボラ教会

旧市街地のランドマークといえる聖バルボラ教会。“聖バルバラ”は鉱夫や石工、砲手、囚人たちの守護聖人であり、銀で栄えたクトナー・ホラではとくに敬われている。

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13世紀より教会の建築が着手されたが、フス戦争により中断。15世紀後半になってから建築が再開され、完成したのは1905年。建築期間はおよそ500年。さまざまな時代をまたぐように建築されたため,ゴシックやルネサンスといったあらゆる様式による装飾を目にすることができる。

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ちなみに、Kingdom Come Deliverance LIVEツアーでは昼食も用意されている。クトナー・ホラでは中世の気分にどっぷりと浸れる、雰囲気満点のレストランでチェコ料理が味わえた。

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セドレツ納骨堂

セドレツ納骨堂は、伝承によるとエルサレム使節が持ち帰ったゴルゴダの丘の土が撒かれており、墓地は神聖であるとされていた。黒死病やフス戦争の犠牲者を弔うために埋葬が続いていたが、15世紀初頭に教会を建築するために墓地を縮小。その際、埋葬者の一部が掘り起こされて亡骸が教会の地下に運び込まれた。以来、地下階が納骨堂として用いられるようになる。

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教会完成後も死者の掘り起こしが続けられ、堂内には約4万人分の人骨が納められたという。その後、当時教会の所有者であったシュヴァルツェンベルク家は、積み上げられた人骨を用いて納骨堂の内装を造るよう命じた……。納骨堂内は、壁の装飾や祠、シャンデリアなど、見渡す限りが人骨製であり、訪れた人は死について考えることが確実なものとなっている。現在、納骨堂内の写真撮影は禁止となっているため、ここではチェコ政府観光局から提供いただいた写真を掲載する。

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マレショフ砦

2日目に訪れたのは、『KCD2』でハンス救出に訪れるマレショフ砦。出迎えてくれたのは、マレショフ砦の現オーナーであるオンドジェイ・スラチャーレク氏だ。

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ゲーム中のマレショフ砦。
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現在のマレショフ砦。

15世紀当時の衣装を身にまとったオンドジェイ氏は、マレショフ砦の再現に注力しており、莫大な私財と時間を費やしてマレショフ砦の修復を続けているという、一風変わった人物。砦の外観だけではなく、当時の暮らしを徹底的に調査し、内装も忠実に再現している。すでに多くの観光客を招くことができるほど修復は進んでおり、夏には屋外テントで宿泊もできるそうだ。

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砦に忍び込む際にヘンリーが使用した隠し通路……と思われる地下道。
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こちらはゲーム画面。壁の質感が再現されていることがわかる。
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『KCD2』ゲーム画面。
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取材時の写真。写真右側部分が増築されている。
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砦内には調理スペースも再現。
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用意していただいた昼食メニュー。当時の品を再現しており、ローストダックやラビット、茹でたそばの実やジャガイモのパンケーキなど、素朴ながらも豪華なメニューとなっていた。

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すぐ近くにあるバーでは、『KCD』特別ラベルのビールを味わうことができた。

トロスキー城

最終日に訪れたトロスキー城。ゲーム冒頭でハンスが驚くシーンが印象に残る、ボヘミアン・パラダイス地方(景観保護地区)のランドマークだ。

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トロスキー城はリベレツ地方トロスコヴィツェ市にある城跡で、ふたつの玄武岩の火山岩片から成る。1380年ごろに建てられたとされ、三十年戦争のころに焼損。以降は放棄され、近代的な改修をされることなく中世の築城の面影を色濃く残している。当時、ふたつの峰にはそれぞれ塔が建てられており、西側がPanna (乙女) の塔、東側がBaba (老婆) の塔と呼ばれていた。

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ゲーム中のトロスキー城では、塔が健在。
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現在のトロスキー城。華やかさはないが、荘厳な雰囲気が漂う。
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こちらはゲームで描かれている東側の老婆の塔。
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現在の東の突岩。逆光でわかりにくいが、塔の面影が残る。
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ゲームでは場内に建物が並んでいる。
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現在は場内に建物はなにもない。

いかがだっただろうか? 原稿を執筆時、写真を選ぶときに「あれ? これはゲーム画面だっけ? いやいや、現在の写真だ」と混乱することがたびたびあった。つまり、それほど『KCD2』の再現度が突き抜けていることを示しているのだろう。

海外の聖地巡礼はなかなかハードルが高いかもしれないが、このKingdom Come Deliverance LIVEは、なんといってもチェコ政府観光局公認のものであり、Warhorse Studiosががっつりと関わっているツアーなので、安心して観光ができるはずだ。

ぜひこの機会にチェコを訪れて、『KCD』の主人公、ヘンリーの気持ちをわずかでも味わってみてほしい。また、チェコは物価が安く、おおらかな人柄の方が多く、ビールも食事もおいしいので、気持ちよく滞在できることを保証したい。

副編集長
電ファミニコゲーマー副編集長。

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