カプコンさんはズルイ。
おじさんと少女が偶然出会って、お互い完璧じゃなくってどこか不器用だけれど、手を取り合って困難を克服するゲーム──
こんなん絶対に最後、泣くヤツじゃん!
正直言うとオープニングで、主人公の人間のおじさん「ヒュー」がロボットに襲われる大ピンチを、もう一人の主人公アンドロイド少女の「ディアナ」が救うところから筆者はすでにウルっと来ているのだ。

「なんで!?」と思うかもしれない。泣くのが早すぎる。
でも、大人になって結婚して子どもが生まれて、しかもそれが娘だったりすると、映画やドラマ、CMなどに出てくる”子ども”の姿にめちゃくちゃ涙腺が緩くなるんですよ。少なくとも筆者と前の職場にいた同僚は同じ意見だった。
そんな筆者がカプコンの東京支社で試遊してきたのが、SFアクションアドベンチャーの『プラグマタ(Pragmata)』だ。

とかくディアナのかわいさに話題が集まりがちな本作だが、実は独特な戦闘システムも魅力的すぎる意欲作。まさかのパズルとシューティングを組み合わせた、三人称視点のアクションアドベンチャーだった。
脳汁がズビズバ出まくりの、気持ち良さ200%の戦闘を一度体験してしまうと、「もうこれじゃなきゃ嫌なの…」と後戻りできないほどの面白さ。特盛級のカタルシスでプレイヤーを翻弄する。

果たして、切なさを”予感”させる2人の物語の先にはなにが待ち受けるのか。製品版で筆者の涙腺が耐えられるかは保証できない。
なぜディアナはこんなにもかわいいのか
『プラグマタ』は2026年にリリースが予定されているファン待望のカプコンの新規IPだ。
プレイヤーは連絡の途絶えた月面施設の調査に訪れたシステム監査員「ヒュー・ウィリアムズ」と、偶然出会ったアンドロイドの少女「ディアナ」の2人を操作し、施設からの脱出を目指す。
本作でまず目を惹くのはディアナのかわいさ。一挙手一投足がとにかくかわいい。

特筆すべきは、そのかわいさを”あざとさ”や”媚び”ではなく、子どもであることからくる純真さに全振りしているところ。筆者は声を大にしてカプコンさんに言いたい。
「なぜアンドロイドをこんなにも愛おしい幼子(おさなご)の姿にしたのか!?」
ディアナの前に攻撃的なロボットが出現しようものなら、誰だって守護者としてガーディアン魂に火が着いてしまう。筆者みたいな弩級の意気地なしにだって、横断歩道を渡る子どもにトラックが猛スピードで突っ込んできたら、実際にそうするかは別として、思わず身を乗り出して助けようとするくらいの気概はあるのだ。
ディアナのかわいさは、弱い立場の者を守りたいと思う人間の本能的な気持ちである「庇護欲」に直接訴え掛けてくる。そんなピュアな感情が伴う可愛さなのだ。

誤解を恐れずに例えるのなら本作は、「サツキを背負ってメイの行方を探すトトロのような圧倒的な保護者感」を堪能できるゲームだ。子どもを公園に連れていく「休日のお父さん」気分を味わうなら、世界一しっくりくる作品であることは間違いない。
切なさを予感させる、”エモい”2人の行く末は
この奇妙な凸凹コンビが繰り広げる冒険譚を開発陣は、作品全体に愛おしさと切なさを予感させる、”エモい”作品に仕上げている。なぜそこまでエモさを感じるのか?それは──ふたりが不完全すぎる主人公たちだから。

プレイヤーは2人を同時に操作する。切り替えてどちらかを操作するのではなく”同時”であることが本作最大の特徴だ。つまり、彼らはお互いが助け合って初めて月面の脅威に対抗できる存在ってわけ。互いに協力しなければ生き残れない「弱者×弱者=やっと普通」の関係性。筆者はそこにグッときててしまう。
ディアナの守護者のつもりでプレイを開始しても、ほどなくしてヒューだけでは太刀打ちできないとプレイヤーは理解する。そしてプレイを重ねるたびに、守るべき対象であったディアナとの関係性が、一緒に戦いをくぐり抜けてきたバディ(相棒)へと変化していく。

しかし、こうした作品全体を通して綴られるディアナの愛おしさに反して、どうしても払拭できない予感が、筆者の感情を激しく揺さぶってくる。
それは、この2人の物語が決してハッピーエンドには終わらないだろうという”予感”だ。
確かに現時点では筆者の勝手な予感でしかない。しかし、予感こそが、プレイヤーに「ゲームをクリアせねば」、「ふたりの結末を見届けなければ」という緊張感をもたらす。本作のゲーム性を、別の次元に昇華していると感じた。

まさかの組み合わせ「パズル×シューティング」
本作の戦闘は、試遊会なのに、仕事そっちのけで大興奮するほどの
想像以上の面白さだった。

ヒューは銃火器で攻撃できるが、敵の装甲をはがさなければダメージは通らない。一方ディアナはハッキングすることでその装甲をはがすことができるが、一切の攻撃手段を持たない。このジレンマこそが本作の醍醐味。
プレイヤーは左スティックでヒューを操作しつつ、右ボタンでディアナも同時に操作する。
画面右に表示されるハッキングパネルのカーソルを動かし、緑色の電源アイコンまで一筆書きの要領で辿り着けばハッキング成功。装甲がバカっと開き、敵は弱点丸見えのあられもない姿をさらけ出す。
こうなったら今度はヒューのターン。装甲が再び閉じる前に、ありったけの弾丸をしこたまぶち込んでやるのだ。

本作の戦闘はつまるところ、アクションゲームのボス戦によくある特定の手順を踏むと弱点が露見→そこに一撃をお見舞いしてダメージを与える、というお馴染みの展開と同様のプレイ感だ。
筆者はこのボス戦が大好きだ。じわじわと敵を倒すための行程を積むのが楽しくて、つい同じボスに何度も挑んでしまう。
本作はこの敵を追い詰めて撃破するボス戦を、特盛のカタルシスと共にザコ戦に持ち込んだうえで、その面倒な手順をなんとまさかのパズルに集約してしまった。

見た目からして本作がTPSだと理解していた筆者だけど、まさか左目でアクションをしながら右目でパズルをやるなんて、想像すらしていなかった。
そして、この意外性たっぷりの組み合わせがこんなにも楽しいなんて、まったくもって夢にも思っていなかったのだ。
耐えてからのズバーン!がカタルシス満点でやめられない
だけど、パズルしながらTPSだなんてめちゃくちゃ忙しそう、それにパズルも簡単すぎる気がする。
そんな不安の声が聞こえてきそうだけど、ごもっとも。だって本作は、マジでめちゃくちゃ忙しい。パズル単体で見れば、確かに簡単そうだ。

だけど「忙しい」と言いながら目前のタスクをバリバリこなしていく時って、なんだかゾーンに入るような楽しさがないだろうか。本作の忙しさはそれと同じだ。慌ただしいからこそ、それを整理していなしていくのが、ひたすらに楽しいのだ。
さらに一見、簡単そうに見えるパズルも、この忙しさの中で片手間でやるには(実際右手だけでやる)実は丁度いい塩梅。序盤でこれ以上複雑だったら、きっとストレスの方が優ってしまうだろう。
逆にこの先、どんな複雑怪奇なパズルが待ち受けているのか、楽しみにさせてくれる絶妙な調整だと筆者は感じた。

敵の攻撃を回避しながらハッキングをこなして、装甲がフルオープンした瞬間の高揚感。そして、すかさず攻撃をぶち込んで敵を粉砕したときの特大のカタルシスは本作ならではの気持ちよさ。
しかもこれがザコ戦なのだ。プレイ中に何度も押し寄せる感情の荒波にもまれて、筆者はもう他では満足できない体になってしまったかもしれない──。
本作は主人公ふたりの関係性だけでなく、戦闘もしっかりエモーショナルを揺るがす、”エモい”作品に仕上がっているのだ。
TPSとパズルを同時にこなす、右脳と左脳をフル回転させるこの心地よい感じ。何かに似ていると思ったら…そうか「ドラムの演奏」だ!
右手でハイハットを8ビートで刻みながら、足でバスドラムを4つ打ち。左手でスネアを隙間に打ち込むあの感覚。操作に慣れると、右と左を別々に打ち分けられるようになって、まるで敵の動きに合わせてジャムセッションしているような、不思議な感覚すらあった。

2020年6月の初報から本作に大注目していた筆者。もちろん理由はディアナが可愛かったから。でも、実際にプレイしたいまはその感想に大きなものが付け足された。本作はシューティングとパズルを融合させた「戦闘」が最高に面白いゲームだ。
くわえてディアナもかわいい。
筆者にとって本作はもう「大注目」なんかじゃない。2026年の「大本命」のゲームだ。