シアトルから南に約10キロほど離れたワシントン州タクウィラの自宅で、Mario A. Segale氏(マリオ・セガール氏)が家族に看取られながら息を引き取った。享年84歳。
不動産開発業で名を馳せたSegale氏は一方で、今なお世界中で愛されている任天堂の『スーパーマリオ』シリーズの主人公、マリオの名前の由来となった人物としても知られている。
1981年にリリースされたアーケードゲーム『ドンキーコング』の主役として初登場したマリオは、同作ではまだ名前が正式に決定しておらず、開発者たちからは単純に「プレイヤー」や「ジャンプマン」、あるいは「ミスタービデオゲーム」といった通称で呼ばれていた。
主人公がマリオと名付けられたのは、82年にリリースされた『ドンキーコングJR.』からだ。
任天堂とSegale氏の出会いは、Nintendo of America(以下、NOA)の本社をニューヨークからシアトルへ移転させようとしていたころだった。日本からゲームを輸入するには西海岸のほうが都合が良いと判断した同社が、NOA本社社屋となる倉庫を貸りることになったのだが、その物件の所有者こそほかならぬSegale氏だった。
マリオの名前が採用された理由は諸説伝えられている。曰く、当時のNOAの社長であった荒川實氏が、『ドンキーコング』の主人公の見た目とSegale氏が似ていることに気が付き、主役に名前を欲しがっていた宮本茂氏に伝えたという説がある。あるいは、まだヒット作のないNOAは家賃が払えず、怒鳴り込んできたSegale氏をなだめるため氏の名前をキャラクターに付けたとも言われている。もしかしたらその両方なのかもしれないし、まったく別の理由なのかもしれない。
完全にわかっていることは、Nintendo UKが2015年に公開したマリオのウワサを検証する公式動画「Mario Myths with Mr Miyamoto」内で、「マリオの名前の由来はNOAの大家さんMario Segaleさんだったって本当?」という質問に宮本氏が「Yes」と答えたことだけだ。
世界でシリーズ累計5億本以上を売り上げる『スーパーマリオ』シリーズだが、Segale氏は公の場で『スーパーマリオ』について話すことをまずしなかった。海外メディアTechnologizerがSegale氏について調査を行ったが直接接触することは叶わず、氏の部下など氏の周りにいる人々に匿名でインタビューを行うにとどまったという。お金よりもプライバシーを重視し、メディアへの不必要な露出を避けたのだと言われている。
なお、インタビューに答えたあるひとりの匿名の人物は、『スーパーマリオ』のファンがSegale氏を見たらきっと失望するだろうと答えている。その理由は「なぜなら彼はオーバーオールを着ていないから」だそうだ。
Segale氏が公の場でシリーズについて語ったのは、93年に発行されたシアトル・タイムズの短い記事だけだ。
(93年当時で)1億本売れたシリーズの主役の名前になったことについてどう思っているか、というシアトル・タイムズの質問に対し、「私はまだ著作権料の支払いを待っていると言えるでしょう」と冗談めかして答えている。
Segale氏の訃報を伝えたシアトル・タイムズの記事では、氏はハンティングや釣り、自家用機、楽しい冗談、赤色、偉大なイタリア料理(チーズ抜き!)、葉巻、そしてシアトルのピュージェット湾を愛した人物だと伝えられている。
また、Segale氏の家族は氏に花を送る代わりに、Catholic Community Services of King Countyかフレッド・ハッチンソン癌研究センター、あるいは地元の慈善事業へ寄付を行うことを提案している。
文/古嶋誉幸