セガ最後のゲームハード「ドリームキャスト」がリリースされてからそろそろ21年になる。2018年には20周年を記念した公式ポータルサイトも公開されたが、新たにドリームキャストを振り返るドキュメンタリー映像「A Dream Cast」が公開された。
制作したのは日本のクリエイターやアーティストを紹介するYouTubeチャンネル「Archipel」。インタビューはドリームキャスト20周年となる2018年に実施されており、21周年目を迎える前に公開となった。
ドリームキャストは前世代のPlayStationとのシェア争いに敗北したセガサターンに代わるセガの次世代機として、1998年にリリース。約2年後に発売されたPlayStation 2とゲーム市場で競い合った。残念ながらセールス的にはPlayStation 2に敗北し、発売から3年後の2001年1月にセガは家庭用ゲーム機市場から撤退を表明。記事執筆時点でセガからリリースされた最新のゲームハードとなった。
1994年の発売から2000年まで6年間生産が続いたセガサターンと比べても、わずか3年たらずで撤退と短命だったドリームキャスト。しかし、他のセガハードと同じく、今なおファンの語り草となる挑戦的で尖ったタイトルが多数リリースされた。
ドキュメンタリーに参加したのは、『斑鳩』の井内ひろし氏、『クレイジータクシー』の菅野顕二氏、『ジェットセットラジオ』菊池正義氏、『エターナルアルカディア』の小玉理恵子氏、『スペースチャネル5』と『Rez』の水口哲也氏、『セガガガ』の岡野晢氏、『シーマン』の斎藤由多加氏、『ソウルキャリバー』の世取山宏秋氏の8名。今なおファンに愛され、後のクリエイターにも影響を与える作品を作ったクリエイターたちだ。
パート1で語られるのは、ドリームキャストや彼らが制作したゲームの開発の裏話だ。自身の制作したゲームについてはもちろんのこと、ドリームキャスト発売前の雰囲気、セガの会長だった故大川功氏の夢、さらにはセガハードの色の変遷、ハードウェアのスペックなど、各々の目から見たドリームキャストの姿も語られている。
その中でもさまざまなクリエイターから繰り返し語られていたのは、「新しいことをやろう」という意気込みだ。ファーストパーティとしてドリームキャストの全ての機能を出し切ることが義務だと語る小玉氏、初めて3Dゲームを作る場として最適だったと語る井内氏、新しい体験を作るために大好きな音楽とゲームの融合を目指した水口氏、10代20代の若者にかっこいいと思ってもらえる従来のゲーム市場になかったゲームを作ろうとした菊池氏。
ドリームキャストという土壌で育まれた作品は、分かりやすいところではゲームシステムとして今のゲームに受け継がれているものは少なくない。
そんな明るく前向きな雰囲気から一転して、パート2では最初にドリームキャストがなぜ短命に終わったのかをクリエイターたちが語っている。
ドリームキャスト時代にセガの顧問として参加していた斎藤氏は、ドリームキャストは1台につきゲームが2本以上売れなければ採算が取れないことやモデムといったハードウェアの設計やビジネス上の要因を語っている。水口氏はPlayStation 2のソニーと比べて自社でゲームが作れたこと自体がドリームキャストの失敗だったのでは?と振り返っている。
菅野氏と小玉氏は、失敗の理由をセガのクリエイターとしての視点で見つめた。両氏とも、ドリームキャストのポテンシャルに見合った遊びの提供をファーストパーティとしてできなかったことを原因として挙げている。
ドリームキャストをセールス的な失敗と見るのではなく、ハードウェアとしての存在意義を考えると失敗とは決して言えないと語るのは井内氏だ。『斑鳩』という作品を作る土壌となったコンソールには、やはり特別な思いがあるようだ。
パート2の最後には、上記の井内氏のように各クリエイターから見たドリームキャストの存在意義が語られる。前向きだが示唆に富んだ内容なので、ぜひこのドキュメンタリーを最後まで見て彼らの思いに触れてみてほしい。
ドリームキャストの生産中止以降、セガの最新のゲームハードは長らく”まだ出ていない”状態だった。しかし、時代が令和に移り変わろうとする中、セガは最新のハードである「メガドライブミニ」を発表。収録ゲームが公開されるたびに、ファン達が驚きと歓喜の声を上げるのが定番となっていた。
本来の意味でのコンソールゲームメーカーとしてのセガは20年前に消えてしまったが、ファンを楽しませるゲーム会社としてのセガは20年経っても健在だ。
ライター/古嶋誉幸