新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウンにより、我々の生活は大きく変わることを余儀なくされた。その状況に入る少し前の3月、とある学校では、新型コロナウイルスによる学校の閉鎖が噂されていた。浮き足だった学生たちにリラックスして授業が受けられるように考えた「ザック」と名乗る教師は、『スーパーマリオ オデッセイ』を教材に選ぶことを思いついた。
ザック氏はゲームを使った授業の様子をブログに記し、誰もが読めるように公開している。はたして、『スーパーマリオ オデッセイ』はどのように授業に使われたのだろうか。氏のブログから抜粋して紹介したい。
『スーパーマリオ オデッセイ』は、『スーパーマリオ』シリーズ最新作。ご存じマリオがキノコ王国を飛び出し、相棒の「キャッピー」と共にさまざまな文化を持つ国を旅するアクションゲームだ。
授業の目的は「どのようにして、我々は教えられていると気づかないまま学んでいるか」を考えること。授業だけでなく、生活の中にも学びはさまざまな形で存在しており、それは常に我々を教育し、異なる人々や文化に対する自分たちの理解を形成していることを分析するのが狙いだ。『スーパーマリオ オデッセイ』で描かれるさまざまな文化と攻撃的でないステレオタイプの描写は、楽しく異文化を学ぶための最適な手段だと考えたのだという。
「ステレオタイプ」とは広辞苑において”常套的な形式。また、型にはまった画一的なイメージ”とされている。一般にステレオタイプだという言葉は、固定概念や偏見といったマイナスイメージを持つ文脈で語られがちだ。しかし、ステレオタイプの描写は必ずしも悪いものではなく、それを元に学ぶことができるはずだとザック氏は伝えようとしている。
異文化への思い込みの多くは、ビデオゲームを含む一般的なメディアで人々がどのように描かれているかに基づいている。『スーパーマリオ オデッセイ』の中のさまざまな文化表現を観察し、ゲームがそれらの文化に敬意を払っているか、または攻撃的であるか、自分たちの目で判断してほしいとザック氏は語る。
レッスンに利用されたのは、「砂の国 アッチーニャ」、「都市の国 ニュードンクシティ」、「クッパの国 クッパ城」の3エリアだ。アッチーニャはメキシコ、ニュードンクシティはニューヨーク、そしてクッパ城は日本の文化を描いているというのは、ゲームを遊んだ方には説明不要だろう。学生たちにはそれぞれの国を7分間歩き回り、服や建築、音楽や人々といったその文化の特色となりそうな描写を書き出すように指導した。
たとえば「ニュードンクシティ」では、特徴的な黄色いタクシーが走り回り、スーツを着た人が多く、ジャズ音楽が流れていたことを書き留めている学生が多かったようだ。アッチーニャではマリオの衣装であるソンブレロを購入でき、マリアッチ音楽が流れているといったことを記録する学生が多かった。これらは確かに「ニューヨーク」や「メキシコ」と聞いたときにイメージするステレオタイプ描写であるが、決して攻撃的ではないとザック氏はいう。
授業を受けたある学生は、「あとから自分が教えられたことに気づくのは、その瞬間に何も考えていないからだ。自分の身に同じことが起きて“この間学んだんだ!”と思って立ち止まったとき、初めて何かを学んだことに気がつける」と述べたという。知らない間に学んでいることに気がつくことこそ、ザック氏が授業で伝えたかったことだ。
我々が学ぶことの多くは日々消費するメディアから来ており、それらは特定の目標を持って作られているが、作者が狙ってはいない効果を発揮してしまうこともある。たとえば、『スーパーマリオ オデッセイ』の各ワールドを作った人たちはプレイヤーを楽しませようとしただけかもしれないが、ニューヨークには黄色いタクシーばかりが走っていたり、メキシコには砂漠ばかりだという、ステレオタイプを補強してしまうかもしれない。
もちろん、任天堂が『スーパーマリオ オデッセイ』内の異国の描写でその国への認識を歪曲させようとしているわけではないのは、我々誰もが知るところだ。ここで肝要なのは、何かテクストに触れるとき、作者が何を伝えようとしているかを考えることが重要だとザック氏はブログに書いている。
この授業を経て、学生たちは日々触れるテレビや映画、ゲームといったメディアを通じ、知らず知らずのうちに何か学んでいることを意識してくれるようになったとザック氏は伝えている。
ライター/古嶋誉幸