夏休みも中盤。電ファミニコゲーマーのホラーゲーム総力特集も佳境に入りつつあります。特集の軸のひとつとして据えたこの徹底レビューは、さまざまなゲーム有識者にその知見を書き記してもらう企画です。
今回は、週刊ファミ通やファミ通.comなどで長きにわたり海外発タイトル=洋ゲーを紹介し続けている、自称“洋ゲー冒険家”マスク・ド・UH氏による寄稿の第3弾。『エイリアン』、『Dead Space』、『BIOSHOCK』、『フォールアウト』など、SFホラーゲームを語ってもらいました。
血みどろSFホラー『エイリアン』の衝撃
さて、ホラーゲームという深淵なるサブジャンルの奥底に眠る、珍作、怪作、カルトなタイトルを筆者の独断的な観点で選り出すこの寄稿も3回目に突入。今回は視点を大きく変えて“SF”、すなわち“サイエンス・フィクション”を下敷きにしたホラーゲームの系譜と、その作品群についての解説を試みたいと思う。映画などのネタバレ必至なのでご注意されたい。まずは本題に入る前に、筆者の考えるSFホラーを軽く定義しておこう。
SFは前述のとおりサイエンス・フィクション、空想科学物語の略だが、マンガ大国の我が国ジャパンでは、SFといえば故藤子・F・不二雄先生の生み出されたSF=“すこし・ふしぎ”がわりと定着している感もある。もちろんそれとは別に、古くからハヤカワSFミステリー文庫などで育まれた硬派なSFの世界があり、さらに映画『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』(どちらも1978年日本公開)の上陸によって爆発的ムーブメントとなったSF映画の世代が作るシーンが絡み合い、そこにアニメや特撮ファンも合流を果たしたことで、欧米カルチャーに負けない独自のSF観が成立した。したような気がするのだが、異論は全面的に認める方向。
ともあれ筆者は『スター・ウォーズ』とF先生の直撃世代なので、基本的に映画とマンガを中心にしたボンクラ上等のSF観や宇宙観を持っている。言ってみれば何でもありの世界だ。ただ、これまで嗜んできた未来世界や宇宙を舞台にしたSFの中で、SFホラーの原体験はと聞かれれば、それは間違いなく映画『エイリアン』だと言える。
1979年の夏休みに合わせて大々的な宣伝展開を広げて日本で劇場公開された『エイリアン』は、華々しい宇宙冒険譚を期待した筆者を含む少年たちに、拭いがたいトラウマをみごとに植え付けていった。
舞台は、ヒーローたちが派手に光線銃で戦う世界とは対極にある宇宙。キャストは、日系企業が所有する薄汚い宇宙船ノストロモ号で、ブルーカラーな労働に従事するヤル気のない乗組員たち。読み捨てられた雑誌「平凡パンチ」が無造作に積まれた、怠惰で生活感丸出しの船内に突如救援信号が飛び込むのだ。……だがすべては捕食のための罠であり、異星人が作り上げた究極の生物兵器ゼノモーフ(※エイリアンの正式名称。本稿ではこの名称で統一)が乗組員を次々と餌食にしていく。
スイス出身の鬼才デザイナー、H・R・ギーガーによる性器をモチーフにした醜悪かつアブストラクトなクリーチャーのデザイン。人間の生理に訴える嫌悪感たっぷりの血みどろ描写。抵抗する術もなく、ひとりまたひとりと餌食になる乗組員たち……。最後の1分まで気が抜けない、リドリー・スコット監督による極上のSF……の体裁を借りた純然たるゴシック・ホラー映画『エイリアン』は、映画史のみならずビデオゲーム史にも多大なる影響を与えた。
これより筆者が語るSFホラーゲームは、ほぼこの『エイリアン』を題材にしたり、影響を受けていることが伝われば幸い。それでは遅ればせながら、本題であるSFホラーゲームの系譜について語っていこう。
SFホラーの礎、『エイリアン』シリーズ
考えてみれば『エイリアン』ほどビデオゲーム向きの素材はない。密閉された逃げ場のない空間に不死身の怪物が放たれ、人間たちは対抗手段もないまま餌食となっていく。映画で語られる生き残りを懸けたサバイバルゲームは、そのままホラーゲームとしてのゲームデザインに直結するからだ。
事実、『エイリアン』のビデオゲームの登場は驚くほど早く、1982年の時点でATARI 2600版『ALIEN』がリリースされている。内容はモロに『パックマン』(幕間のミニゲームは『フロッガー』!)だが、不死身のゼノモーフから逃げ切るというゲーム性は映画に似ていないこともない。ただ、大量のゼノモーフが登場しているところには注目したい。エイリアンの大軍勢と戦うというコンセプトは、ジェームズ・キャメロン監督による「今度は戦争だ!」のキャッチフレーズでも有名な続編『エイリアン2』(1986年)に先駆け、ゲーム化の時点で試行されていたのだ。
続く1984年には、Commodore 64、AppleIIなどに対応した同名の『ALIEN』がリリースされた。アクションアドベンチャーゲームだが、映画の設定を完全に踏襲。そこにゲームならではの要素としてマルチエンディングを盛り込み、原作の世界観を壊すことなくゲーム化することに成功している。現在でも海外においては、このCommodore 64版を『エイリアン』ゲームの最高傑作と評価する声も多い。
それから2年後の1986年に、同じくCommodore 64(ほか多数)対応ソフトとして『ALIENS: The Computer Game』がリリースされる。これはタイトルのとおり、ジェームズ・キャメロン監督による続編のタイアップとして開発されたものだが、アクティビジョンが心血を注いで作り上げただけあって完成度が非常に高く、リプリー救出を目的にマリーンズ(宇宙海兵隊)の隊員となってエイリアンの群れに挑むもの。ステージによって大きく切り替わる画面構成なども巧みで、古さを感じさせない興奮に満ち溢れている。
このアクティビジョン版のヒットを見逃さなかったのがスクウェア(当時)だった。1987年にMSXでリリースされたスクウェア版『ALIENS』は、リプリーを主人公にゼノモーフ軍団に戦いを挑む横スクロールのアクションゲームとして映画の内容を簡潔に再現。以降のエイリアンゲームの基本的なフォーマットを確立させた感がある。しかし『エイリアン』ゲームは、映画本編『エイリアン3』の企画が二転三転した経緯とシンクロするかのように、ここで一旦停滞時期に入る。
そこで代わりに登場したのが、アメコミ原作からスピンオフする形で登場した『エイリアンVSプレデター』シリーズだ。映画化よりも先に複数のゲームがリリースされたが、こちらは厳密にはホラーゲームと分類するには無理がある内容も多い。それでも傑作タイトルは存在するので、後ほどピックアップして語りたい次第。
紆余曲折を経て完成に漕ぎ着けた映画『エイリアン3』が1992年に公開されると、翌93年にアクレイムより各コンソールから『エイリアン3』がリリースされる。こちらも映画の世界観の再現にチャレンジしており、横スクロールながらしっかりとドット絵で描かれたスキンヘッドのリプリーが大活躍。ホラーゲームのテイストよりアクション度数のほうが圧倒的に高いものの、映画本編の雰囲気はよく再現されており、とくにスーパーファミコン版は、同機のシネマゲームの中でも異彩を放っている。
そして時代は1996年。またもアクレイムより、FPSアクションゲームとして『エイリアン・トリロジー』がリリースされる。これはコロニー、刑務所、そして宇宙船内部という3つのステージを舞台に、プレイヤーがリプリー(容姿は『エイリアン3』を踏襲)となってゼノモーフ、レプリカント、そしてエイリアンの軍事利用を目論む軍産複合体企業から派遣された兵士たちと三つ巴の戦いを繰り広げるというもの。だが、ドンパチと景気よく銃撃戦が展開されるような内容だと思ったら痛い目を見る。
『エイリアン・トリロジー』のゲームデザインは、SFゴシックホラーとしての『エイリアン』への原点回帰を図っており、レーダービーコンと音によってゼノモーフの襲撃を察知して先手を打つことが生き残る鍵となるというもの。だが、ついつい足元を這い回るフェイスハガーの存在を忘れがちになり、気づけば画面いっぱいにフェイスハガーの気色悪い胴体がアップになり、卵を産みつけられて死亡するという悲惨な最期を迎えたり、無表情のレプリカントに囲まれてタコ殴りにされたりと、ホラーゲームとしてもかなり楽しめる……と言うと多少語弊があるが、『エイリアン』をテーマにしたゲームの中では、その世界観を忠実に再現しているもののひとつと言えるだろう。(その流れで言えば、故・飯野賢治氏が送り出した『エネミー・ゼロ』もまた広義では、映画『エイリアン』の影響下にあるとされている)。
本筋の『エイリアン』ゲームからは少し逸脱するが、H・R・ギーガー全面監修による歪んだ世界が炸裂した、モンドなビジュアルが秀逸な『ダークシード』も忘れてはならない。1992年にPC用タイトルとしてリリース。1995年にセガサターンならびにプレイステーションに移植され、日本版も発売された。しかもそのコンソール版は日本のみで海外では未発売というレアケース(続編もコンシューマー移植は日本のみ)。内容はアドベンチャーゲームだが、その難度が異様に高いことでも知られ、マニュアルなしでのクリアは、ほぼ不可能とされているカルトなビデオゲームだ。
同じ系統としては、ハリウッドで成功を収めた日本人特殊メイクアーティスト、スクリーミング・マッド・ジョージ氏が全面監修した変態ピンボールゲーム『パラノイア・スケープ』(1998年)が存在することも、この機会に海馬の片隅にセーブしておきたい。
時代が2000年代に差し掛かると、『エイリアン』ゲームにもハイスペックの波が押し寄せ、それまでは技術的に限界のあったモーションや毒々しいビジュアルの表現が可能となった。そこで現れたのは意外にもアーケードからの作品だった。
Play Mechanixが開発し、Global VRが販売、日本へのローカライズをKONAMIが担当した『エイリアン: エクスターミネイション』(2007年)は、スタンドアップ筐体によるガンシューティング・ゲーム。2人同時対戦でゼノモーフ、フェイスハガーなどお馴染みのエネミーから無表情のレプリカントにいたるまでバンバン撃ちまくる内容となっていた。ただし難度が高すぎ、筆者はワンコインではまずクリアできないのが辛かった。グラフィックや恐怖演出は極めて優れており、当時からコンシューマーへの移植が切望されていたが、けっきょく実現しなかったのは悔やまれる。
そして2014年。1作目の映画公開から40年近くの時を経て、ついに真打ちとも呼べる『エイリアン』ゲームがプレイステーション4とXbox ONEから登場した。その名も『AILEN: ISOLATION』(エイリアン: アイソレーション)だ。パブリッシャーはセガ・オブ・アメリカ、日本国内では2015年に、こちらもセガ(現セガゲームス)から発売されている。
プレイヤーはリプリーの娘、アマンダとなって映画の1作目と『2』のあいだのエピソードを体験することになるのだが、本作の緊迫感の高さは尋常ではなく、なんと映画のオリジナルキャストも声優として再集結! 追加シナリオのDLC(※日本版では同梱)としてリリースされた“オリジン・ミッション”は、モロに映画1作目の名シーンを再現。陰鬱とした雰囲気をドップリ味わえるデキとなっている。みずからSFサバイバル・ホラーと名乗るだけあり、たった1匹のゼノモーフに追い詰められる展開は、これまでの『エイリアン』ゲームのパターンを踏襲しながらも、未体験の恐怖演出に成功。加えて残虐描写も凄絶で、「日本にローカライズできるのかコレ?」と心配になったが、無事にリリースされて安心した次第。目下のところ、本作こそ究極かつ至高の『エイリアン』ゲームであり、SFホラーゲームの傑作として筆者は評価している。
最凶対最悪! 『エイリアンVSプレデター』シリーズ
さて、ここでもうひとつの『エイリアンゲーム』、『AVP』こと『エイリアンVSプレデター』シリーズについても触れておく必要がある。前述のとおりアメコミ原作から誕生した言わば番外編だが、その元ネタを探ると、起源は映画『プレデター2』(日本1991年公開)にあった。
アーノルド・シュワルツェネッガーとガチンコで殴り合う密林プロレス映画だった1作目から一転、西海岸の大都市に舞台を移したこの続編では、プレデターの宇宙マタギとしての生態が描かれており、そこに登場するプレデターの宇宙船内に、トロフィーのようにゼノモーフ・エイリアンの頭骨が飾られていたのだ。タネを明かせば単なる特技担当スタッフによるお遊びだが、ここでまったく違う時間軸の設定だった2本の映画が劇的なクロスオーバーを果たし、後年のスピンオフ作品に大きな影響を与えたのだ。
だがCGI技術革新の過渡期だった1990年代に『AVP』を実写映画化しようとすると、途方もない予算が必要とされ、その代わりに映画よりはまだ安価に製作できた当時のビデオゲーム市場に先んじて登場することになったのだ。
ここで『AVP』のゲームといえば、過去最高傑作と名高いアーケードのベルトスクロールアクション『エイリアンVSプレデター』(カプコン・1994年)が即座に連想されるが、これは権利関係でコンシューマー移植が実現しなかった。ほかにIGSからのスーパーファミコン版、アスク講談社からのゲームボーイ版などもあるが、筆者の推し『AVP』はATARIジャガー版『Alien vs Predator』(1994年)となる。
FPSのアクションゲームとしてリリースされたジャガー版『AVP』は、プレデター、ゼノモーフ、そして海兵隊という三者三様の立場でプレイできるのがすばらしい。とくにゼノモーフの吐き出す強酸性の体液が、ゼノモーフを殺めた後にも床に残り、プレイヤーにダメージを与える仕様は秀逸だった。もっともいちばん恐ろしかったのは、プレイごとに遅いかかる強烈な3D酔いだったが……。
また海外のみでRTSとしてリリースされたPlayStation2、Xbox版『Aliens Versus Predator: Extinction』(2003年)も、地味ながら傑作として評価が高い。クイーンが卵を産む様や、ゼノモーフたちが吐き散らす体液で海兵隊がドロドロに溶ける描写は相当にエグく、ホラーゲームではないものの、『AVP』ゲームとしては熱い内容なのでオススメしておこう。
2010年には、1999年に発売されていたものをリブートした体裁となる、PlayStation3、Xbox 360、PC用の新装『Aliens vs. Predator』がセガからリリースされ(日本未発売)、薄暗く不気味な遺跡や宇宙船内で、それぞれの特色を活かしつつ三つ巴の戦いを繰り広げた。
この2010年版でもっとも熱いのはプレデターのパート。槍やブーメランといった原始的な武器でゼノモーフを駆逐するプレデターのカッチョよさは過去最高の出来栄えだ。白い血液を吹き出して悶死するレプリカントや、ゼノモーフだけが可能な排気ダクト内部を移動するステルス攻撃など、原作への愛もタップリ感じられる秀作として評価したい。なお、ホラーゲーム感があるのは海兵隊パートのみである。
『Dead Space』シリーズの出自と凋落
映画『エイリアン』がその後のSFホラーというジャンルに大きな影響を及ぼしたのは前述のとおりだが、「あのゲームが出て来てないじゃないか!」とお嘆きの諸兄、お待たせした。ここで『Dead Space』の登場だ。
2008年のハロウィンシーズンに合わせて北米で発売されるや否や、完成度の高さから圧倒的な支持を得て、その勢いが海を越えて飛び火した『Dead Space』。未発売ながら日本国内においても絶大な人気を誇った『デスペ』(と略させてもらう)は、もう、とにかくいろいろな意味で壮絶なタイトルだった。開発を担当したVisceral Gamesのスタッフたちは、プロデューサー以下全員が熱烈な『バイオハザード』シリーズ並びに三上真司氏のファンであり、そこで目指したのはまさしく宇宙版の『バイオハザード4』だ。
主人公のアイザックは海兵隊でもなければ科学者でもない、単なる宇宙船修理担当のエンジニア。ゆえにさまざまな工具をカスタマイズして、全身をバラバラにしないと倒せない恐怖の宇宙生物ネクロモーフと対決することになる。だが、そのバラバラっぷりなど残酷描写ばかりに注目してはいけない。宇宙の鉱物資源を牛耳ろうとする日系企業USGイシムラの設定や、罠だった救援信号、人間の遺骸に取り憑き増殖するネクロモーフなどなど、モロに『エイリアン』な描写が臆面もなく取り入れられている。
さらには探索を続けることで発覚するイシムラ社の恐るべき計画や、コロニー内部で行われた虐殺など、追い込まれた人間の狂気と身の毛もよだつ真実の発覚は、『バイオハザード』における謎解き要素を非常にうまく換骨奪胎することに成功している。また画面上でも体力ゲージの表示を廃止したり、ロード画面の演出を凝らしたりなど、よりゲームの世界への没入感を引き出す工夫が優れている点にも注目したい。
『デスペ』の成功によって、2009年のクリスマスには早くも続編『Dead Space 2』が登場。探索スーツや工具(武器)の種類が爆発的に増え、スーツ着脱の場面は、もうそのまんま『宇宙の騎士テッカマン』(マジで開発者がファンだとか)。巨大クリーチャーの襲撃など、ド派手な演出も前作以上だが、アイザック死亡時に代表されるグロ描写もてんこ盛り。生理的に厭な気分になる場面も多く、ホラーゲームとして『バイオ』の魂を受け継ぐ新たなタイトルと期待されたのも頷ける。
しかしながら、2012年にリリースされた『Dead Space 3』にてシリーズは失速。本企画の第1稿でも少し触れているが、『バイオハザード5』同様のタッグパートナー・システムやオンライン対戦の要素を盛り込んだものの、ストーリー面が強引な展開になったのは否めず、恐怖の演出もドンパチに重きを置きすぎて雰囲気が低減。決してつまらないというワケではないのだが、やはり1作目の衝撃と比較してしまうとパワーダウンした感があった。
そして何より残念なのは、このシリーズが3本とも日本版未発売であることだ。番外編ともいえるWii版『デッドスペース エクストラクション』(2009年)と、iOS版のみが現在日本でプレイ可能となっているが、ほかはローカライズに及んでおらず、ゲーム性に直結する残酷描写が最大の障害とされている。だが、それ含めてのSFホラーゲーム。そこにさまざまな事情があることは充分理解しているが、それでもなおこれだけのムーブメントを起こしたシリーズがリリースされなかったのは悔やまれるばかりだ。『デスペ』こそ日本製ホラーゲームが世界レベルで影響を与えた証であり、海外の開発者たちのリスペクトを日本のプレイヤーたちが感じ取れる機会だったのは間違いないと思うだけに、重ね重ね残念でならない。
『Dead Space』に影響を与えた『遊星からの物体X』
『デスペ』が影響を受けたSFホラー映画は『エイリアン』だけではない。1982年に公開されたジョン・カーペンター監督による傑作SFホラー映画『遊星からの物体X』(原題:『The Thing』)も重要なキーとなる作品だ。南極基地近くに落下した隕石から謎の宇宙生物が増殖。宿主となる生命体に寄生し擬態する性質を持ち、吹雪に足止めされた基地内の隊員たちが次々と犠牲になるという物語。この擬態描写は、まさに『デスペ』のネクロモーフそのもの。さらに突っ込んで言うなら、この『遊星からの物体X』にもビデオゲームが存在する。
2002年にプレイステーション2、Xbox、そしてPC向けタイトルとしてリリースされた『遊星からの物体X epsodeII』は、1982年版映画の正統続編として作られたFPSによるSFホラーゲームだ。『デスペ』のような派手派手なインパクトには欠けているが、ゲームには恐怖の度合いを測るパラメーターや隊員間の信頼度を測るメーターが設けられており、誰に異生物が取り憑いているかわからない状況が続くと、ほかの隊員たちがパニックに陥るというシステムなのだ。この緊張感こそこの作品独特の恐怖演出であり、こういった演出やシナリオは、ジョン・カーペンターみずからが関わったことで実現したのだ。こちらは『デスペ』とは違い、日本ローカライズ版がKONAMIから発売されている。「SFホラーゲーム好きならマストプレイ」と、カート・ラッセルっぽい武骨な笑みで断言したい。
歴史に裏打ちされた人間の狂気~『バイオショック』シリーズ
SFホラーゲームとしては変化球かもしれないが、筆者にとって2K GAMESの『バイオショック』(2007年)は、忘れたくても忘れられない恐怖を与えてくれた一作。ゲームとしてはアクション度数の高いFPSスタイルのRPG。アールデコで彩られたレトロな雰囲気は気品すら感じさせるが、その物語は間違いなく純SFホラーだ。しかも相当にハードコアな。
第二次世界大戦で迫害された科学者が、理想郷として築こうと試みた巨大な海底都市が舞台。だが、科学は暴走して狂乱の世界を生み出してしまった。主人公ジャックは飛行機事故で大西洋のど真ん中に墜落するも、偶然……いや必然で海底都市ラプチャーへの入り口を発見し、そこで恐るべき世界に迷い込むことになる。
海底都市は広大で、さまざまなエリアに分かれているのだが、圧倒されるのは後半戦の描写。ネタバレになるので多くは書かないが、人類の理想郷だったはずの海底都市の負の面を垣間見て衝撃を受けたのは、決して筆者だけではないはずだ。この“どんでん返し”的な演出はシリーズすべてに共通しており、身分差別、格差社会、虚実が入り乱れたギャップだらけの狂気の世界観は本作独特のものである。実際に発生した事件や、実在した歴史上の人物も数多く登場する“もしもの世界”は、我々プレイヤーにゲームを通してショッキングな人類史を教えてくれるだろう。そこがバイオ“ショック”なのだ。
THE DAY AFTER~核戦争後の生きざまと『フォールアウト3』、そして……
さまざまなSFホラータイトルを見てきたが、最後に筆者がここ10年でもっともハマったタイトルについて語りたい。そう、『フォールアウト』シリーズだ。
「人は、過ちを繰り返す」というキャッチコピーも秀逸な『フォールアウト』シリーズは、2008年にリリースされた『フォールアウト3』(ベセスダ・ソフトワークス)より初めて日本に正式上陸を果たす。いきなり3本目から登場という異例のスタイルだが、その内容はあまりにもすばらしく、恐ろしく、激しいものだった。展開する物語は、1960年代から現実と分岐した“もしもの世界”。化石燃料ではなく核燃料を選んだ人類は、そのまま全面核戦争を迎え、アメリカ大陸のほとんどが死滅。かろうじてシェルターに避難していた主人公(=プレイヤー)は、核戦争から200年以上が経過した荒みきった大地に降り立ち、そこで形成された無法の世界でサバイブする羽目になる。この『フォールアウト3』では核戦争後のワシントンD.C.が舞台となり、2010年にはラスベガスを舞台にした『フォールアウト: ニューベガス』がリリースされた。
そして2015年末に発売された『フォールアウト4』では、復興に向けて人々が集うボストンが舞台となっているが、そこにいるのは略奪とカニバリズムに明け暮れるモヒカン頭のヒャッハーな無法者たちと、脳が溶けたゾンビ、放射能の影響によって凶暴に進化した野生動物たちばかり。基本的にはFPS/TPSに切り替え可能なシューティング中心のRPGだが、そこで描かれているのは人類の狂気だ。
人々が避難していた核シェルターの内部は集団自殺、食料の奪い合いによる共倒れ、ミュータント戦士を生み出すナチス真っ青の生体実験など、背筋も凍る事情が隠されており、それが物語の本筋に直接関係ないところがいちばん恐ろしく、悲しい。金持ちしか住めない完全武装の高級マンション、奴隷商人が支配する元ショッピングモール、アメリカからの独立を勝手に宣言した家族単位の集落、そして新たな秩序を築こうとする政治勢力とそれに対抗するゲリラ集団などが入り乱れ、複雑怪奇な物語が予想外に飛び出す様相は『フォールアウト』シリーズでしか味わえない恐怖の形だ。
SFホラーというよりは核燃料を根底に置いたスチームパンクならぬ、ニュークパンク的なイメージが強いタイトルだが、この世界で味わう恐怖にはほかのタイトルでは得られない独自のグルーヴがあり、人間とは愚かな存在であることを必要以上に実感させてくれる。そして地球唯一の被爆国であり、いまなお放射能との闘いを余儀なくされている日本人にとっても、特別な存在のゲームであることは間違いない。
SFの世界は決して“絵空事”ではない。そこでも現実でも、人は過ちを繰り返す。SFは、いわば我々の生活と地続きの、まごうことなきリアルなのだ。