トライエースは10月18日、『エンド オブ エタニティ 4K/HD EDITION』をPC(Steam)とPS4向けにリリースした。同作は2010年に発売された銃撃多重奏RPG『エンド オブ エタニティ』のビジュアルをアップグレードしたリマスター版となる。
同リマスター作は今年9月18日に突如発表された作品。メインキャラクター3人が互いに空中リプライを飛ばしながら発売日予定日を“カウントアップ”していくという迷SNSアカウントが8年ぶりに復活し、続報を心待ちにしていた一部の銃撃多重奏RPGファンにとっては福音となった。
『エンド オブ エタニティ』の舞台となるのは、大地に埋め込まれた人類救済のための装置「バーゼル」を中心に人々が営みを続ける未来の世界。プレイヤーはさまざまな依頼を受ける「PMF」のゼファー、ヴァシュロン、リーンベルの3人組の物語を追うことになる。
本作を語る上で、まず独特の戦闘システムは外せないだろう。銃撃をメインに据えた戦闘ルールは、“ルートを決めて走りながら無敵状態で攻撃を当てる”という、ゲージ消費型のシステム「インビンシブル・アクション」を軸としている。
プレイヤーはゲージ消費や立ち位置などを意識しつつ、毎ターン3人のキャラクターに半リアルタイムで行動を指示していくことになる。
ほかにも敵に大きな損害を与えるスクラッチダメージと、それを確定させるダイレクトの2種類のダメージが存在するなど、ほかのRPGでは見られない独自の戦闘デザインが特徴的だ。文章を読むだけでは概要を掴みづらいのは事実だが、本作の戦闘は基礎の派生にいくつかの約束事があるだけで実はそこまで複雑ではなく、粗削りな部分も残しながら奥深いシステムとなってる。
ただし発売当時に本作は体験版で酷評された背景があり、その最大の問題が戦闘システムにおけるとっつきづらさだった。インビジブル・アクションを多様せず棒立ちで戦い、そのまま本来のゲームデザインの意図に気づかず製品版を購入しなかったプレイヤーが多く存在したのは想像に難くない。
が、ケレン味満載の戦闘モーションのキャラクターを動かしながら、サブマシンガンでスクラッチダメージを蓄積しハンドガンで確定ダメージを与え、部位破壊を狙っていく戦略性の高い戦闘システムは、間違いなく『EoE』のストロングポイントだ。ひとたびシステムを把握すれば、プレイヤーは華麗な銃撃アクションを難しい操作なく決めることができる。
いわゆる「中二病」とも呼べる独特の空気感、世界観も、本作の魅力ポイント。『エンド オブ エタニティ』がリリースされた2010年当時は、『Call of Duty』や『Fallout』といった作品が国内でも容易にプレイできるようになり、それまでマッシブな洋ゲーを知らなかったコアなゲーマーの心を掴んでいった時代でもある。
そんななか、一見すると線の細い日本的なキャラクターのテンプレートRPGにみえるプロモーションから、前述の体験版も含め本作が発売前から一種の「地雷」扱いをされていた事実もある。
一方でユーモアを絶やさない歴戦の優男、重たい過去を背負った中二っぽい発言の多い少年、飛び跳ねながら二丁拳銃をぶん回す美少女三人組のキャラクター設定は、「中二感」が一種の様式として受け入れられている今でこそ輝く設定と言えないこともない。
ポストアポカリプス的な世界観。終わりゆく世界とそれに抗う人々の群像劇をシリアスさとコミカルさをバランス良く交えて表現したストーリーラインは、いい意味でライトノベル的でもあり、日本的な魅力に満ちた物語の作り方と言えるだろう。
このほかにも、多数存在するイベントシーン内にまで反映される“紳士要素”含む着せ替えシステム。メインウェポンとなる銃のカスタマイズが、スコープの上にスコープを装着できるほど馬鹿馬鹿しく、「ぼくがかんがえた最強のガン」レベルの自由度を有している点なども見逃せない。
※2009年に当時のパブリッシャーであるSEGAから公開されたトレイラー。
もちろん本作は良い点ばかりではない。シンプルで奥深いといった戦闘システムも、導入の悪さで理解されづらかったのは事実であり、戦闘そのものが冗長になりがちなのはマイナスポイントだろう。戦闘スタイル自体も、物語の進度や難易度である程度変えていかなければならないとはいえ、パターン化しやすいという欠点もある。すこし分かりにくい物語や、軽さの目立つシナリオ展開、非常に個性的な登場キャラクターの性格は、好みの分かれる部分ではある。
ただし、それを差し引いても新規でプレイする、あるいはプレイし直してみる価値の高いタイトルである。そして8年経った今、かつてプレイして“いない”層がどのように本作を評価するのかは興味深い。リメイク、リマスターは過去作の焼き直しではなく、今、この瞬間にゲームプレイヤーである層が、過去の作品を今の目線でどう判断を下すのかを試す意味合いもある。
2010年当時、多くのユーザーが「見えてる地雷」だとと忌避した本作。しかし、しっかりとプレイせずとも分かる「見えてる地雷」などそもそも存在しない。本作が「今」のユーザーにどう受け止められるか興味深く見守りたい。