葛西には子どもがたくさんいたからゲームショップをオープン
──改めての質問かもしれませんが、」ゲームズマーヤさんの“マーヤ”の由来というのは?
秋谷氏:
ぜんっぜん、何の意味もないんです、本当に。
名越氏:
そうなんですか?
秋谷氏:
ただ、私が蜂みたいにブンブン、ブンブンうるさいから、『みつばちマーヤの冒険』【※】から“マーヤ”を取って最初の“おもちゃの店 マーヤ”になった。ただそれだけ。私の名前は“秋谷まあや”でもないし(笑)。
※『みつばちマーヤの冒険』
1975年に放送されたテレビアニメ。原作は、児童文学者のワルデマル・ボンゼルスの著作。アニメでは、古城の下に巣で生まれ育った主人公、みつばちのマーヤが外の世界に飛び出し、仲間との出会いや騒動を通じて成長していく姿が描かれていく。
名越氏:
それは知りませんでした。
秋谷氏:
“おもちゃのいちばん”とか、ほかにもアイデアはいろいろあったんですけど、いちばんになれなかったら格好悪いと思って、“おもちゃの店 マーヤ”という店名にしたんです。
名越氏:
どこから名付けた店名なんだろう、と思っていましたが、そうなんだ。
秋谷氏:
大きな理由はなにもなくて。ただ、“おもちゃの店 マーヤ”から“ゲームズマーヤ”になったときは、カタカナにしようと思っていたんですね。
昔、主人が“ふぁんしーしょっぷのまーや”という全部ひらがなのお店を出していたことがあったんですが、素人でしたから見事に失敗しましたね(笑)。
──“おもちゃの店 マーヤ”をスタートさせるきっかけはあったのでしょうか?
秋谷氏:
主人が仕事の関係もあり、出張やら赴任やらであまり日本にいなくて、私がヒマというのがそもそものきっかけ。そして結婚当初、江東区北砂から葛西への引っ越しが大きな要因ですね。葛西に来てビックリしたのは、子どもさんがすごく多いこと。じゃあ子どもに何か縁のあることをやっていれば、何とかやっていけるんじゃないかなと思いました。
名越氏:
そうなんですね。
秋谷氏:
おもちゃで商売をはじめるにあたって問屋さんを通す必要があったんですけど、当然ながら問屋さんなんて知らなかったわけですね。
で、「おもちゃと言えば浅草だー」と、よくわからない発想で浅草の“おもちゃのサワダ”さんっていうお店に飛び込みで行ったの。そこでサワダさんが紹介してくださったのが、“トリイヤさん”っていう問屋さんだったんです。
トリイヤさんが「初めての商売じゃ心もとないから修行していらっしゃい」ということで、「トンボ屋さんっていう亀戸の有名なお店があるから」と紹介してくださったんですね。
そこは奥様が経営、旦那様がJRの職員後にリタイヤされてご協力と、何となく当店と共通するところがあって。奥様はイトーヨカドーを創業した伊藤雅俊さんのいとこにあたる方だったんです。
名越氏:
へぇー。
秋谷氏:
そこで私、1ヵ月くらい預かってもらっていたの。で、お店をオープンしたんですけど、おもちゃ屋って本当に不条理な世界で、問屋さんから「行って」と言われて見本市に行ったのはいいんですが、ぜんぜん欲しいものは入れてくれないんですよ。
当時流行っていた「超合金ロボットが欲しい」とお願いしても「おたくは1個ね」と、1個しかくれない。配給制みたいでしたね。
──商品が「いい」と思っても、まとまった数を仕入れられないんですね。
秋谷氏:
そう。晴海まで行ったのに「何ですかこれは?」という話ですよ。もう最初から問屋さんとバトルですよね(笑)。「じゃあ何だったらくれるんですか」って聞いたら、「この金魚すくいならいいですよ」って。
それがトミーさんの“金魚すくい”だったんです。金魚すくいのサンプルを10個もらってきて、お店の前に簡易池を置いて金魚すくいをやり始めたんですね。
ティッシュを輪っかにくるんで子どもたちに渡して、金魚すくいを毎日やっていたんです。しばらく経ってお母さんたちが「申し訳ありませんね、うちの子が毎日遊びに来て」と言って金魚すくいを買ってくださって。
すぐに仕入れた分が全部売れちゃったんです。それでトミーさんがビックリして、「どうやって売ったんですか?」と認めてもらえるようになりました。
──あの店に出したら全部売れたぞ、と。
秋谷氏:
「何で売れたの?」と、お店まで来てくださって。
名越氏:
なるほどね。
秋谷氏:
そうこうしているうちに、ゲーム&ウオッチ【※】が発売されて、「こんなに小さいのに5800円? こんなに大きな超合金が5800円で同じ値段なのに?」と思ったんですが、うちは15坪しかなかったので、大きなおもちゃは置けないんですよ。
そういった事情に加えて、ゲーム&ウオッチのほうがおもしろいと感じたので、売れると思って仕入れて。
そのときは取れる問屋さんからどんどん仕入れていったんですね。当時、おもちゃ屋さんでああいったものに興味があるお店は少なかったんです。
経営者が年齢的に高い方が多かった。結果としてうちでゲーム&ウオッチがすごく売れて。そこから少し間口が広がって、そのあとにファミコンが発売されたんです。ファミコンも最初、100台いくら、200台いくら、300台いくらって。たくさん買えば買うほど安く仕入れられたんですよ。
──そうだったんですね。
秋谷氏:
最初のころは、ね。でもすぐになかったことになって(笑)。
名越氏:
なるほど、へー。
──それはまだ“おもちゃの店 マーヤ”時代ですか?
秋谷氏:
“おもちゃの店 マーヤ”時代です。で、そのころには15坪の中のゲーム棚ひとつの売上が、お店の売上の9割を占めるようになったんですね。こんなにスペースを取っているのに、おもちゃの売上が1割ではダメだということで、ゲーム専門店に業態転換をするわけです。
そのときに“おもちゃの店 マーヤ”から“ゲームズマーヤ”になり、その後いまの場所に引っ越しして。でもそうするとひとりではできないので、主人に来てもらっていっしょにやるようになったんですね。
──セガハードも扱われていたのですか?
秋谷氏:
ゲームズマーヤになった翌年の1994年、セガサターンが発売されたんですが、掛け率(小売価格に対する卸値の割合)が非常に高くて困りました。でも『バーチャファイター』があったから、『バーチャファイター』のソフトと、コントローラーなどのパーツをいっしょにお客さんが買ってくれたおかげで、なんとか利益を確保できた。
一方、その当時プレイステーションは掛け率がそれよりも低く、1台売ると利益が大きい。なんてすばらしい本体なんでしょう(笑)。ですので、私たち流通は感激しましたし、喜びました。
一同:
(笑)。
──この話、大丈夫ですか? セガのご担当者を呼んだほうが……(笑)。
名越氏:
大丈夫です(笑)。
秋谷氏:
でも、SCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント。現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)は、最初、ぜんぜん契約してくれなかったんです。
うちの店はプレイステーションの発売日の12月3日には入らなくて、2回目3回目くらいにようやく数台入って。初回導入数はボロボロでした。いまなら大ブーイング。あのころは契約してもらうのがやっとで、とても文句なんて言えませんでした。
──それは意外です。
秋谷氏:
バイヤー仲間から「喧嘩するな!」、「絶対に手を出すな!」って羽交い締めされるようにみんなに言われて(笑)。我慢して我慢して、契約まで何とかこぎつけました。
そのときはいろいろ言われましたね。「ゲーム専門店のフランチャイズチェーンに入ったほうがいい。すぐに契約できるから」とか。でも、私はこういう性格だから絶対無理。「一匹狼で生きます」と言って……いつまで経ってもダメですね(笑)。
名越氏:
ひとつずつそういったことを乗り越えて……。
秋谷氏:
当時は怒りながらやっていました。でも1年経ってからそのSCEの方が「よくがんばったね」と言ってくれたときには涙がぼろぼろ出て……。その人が認めてくれたことがすごくうれしかったです。
──ゲームメーカーの対応は、時代によって違うものなんでしょうか? SCEさんは最初はいい対応ではなかったということですが……。
秋谷氏:
すごく変わりました。ソニーさんはけっこう私たちの声を聞くようになられました。時間が経つにつれて一体感というものを感じるようになりましたね。
「これを売りたい」、「だから協力してほしい」、「何でも遠慮なく意見してほしい」と、ハードメーカー、ソフトメーカーさんとして私たち流通に声をかけ、お互いにがんばっていこうという姿勢は、ほかのソフトメーカーさんにもいい影響を及ぼしています。
任天堂さんも前よりはずいぶんわかりやすくはなってきましたが、まだまだ「任天堂さん」の考えの理解できないことが多々あります。
ECが発展してもゲームズマーヤには絶対に勝てない
──ゲーム販売の時代の流れと言えば、マーヤさんは実店舗ですが、近年ではECが盛んです。さらには、ゲームメーカーがダウンロードで販売を行っています。そういった状況は、マーヤさんにどのような影響を与えたのでしょうか?
秋谷氏:
プレイステーション3になってから、だいぶ変わりましたね。お客さんから質問をされることが増えました。ゲームが複雑になっていく中で、小売店でしたら質問をしやすいのでしょう。
でも、最終的に買っていただかないと……一生懸命お答えしても“本当のお客様”になってもらえない。それはちょっと複雑な気持ちですよね。もちろん、閉店を告知した後に、ひさしぶりに遠方から来てくださるような方はそんなことありませんけども。
──秋谷店長は話しやすいからこそ、そういったケースが多かったんでしょうね。
秋谷氏:
お客さんのエピソードで傑作だったのは、「PS3の本体を買ったんだけど遊べない」と質問されたとき。よく聞いてみたら「同意しますか?」という質問に“いいえ”と答えられていて。
「“はい”を選ばないと先に進めませんよ」とお伝えしたら「僕はソニーの言うことを聞きたくないんだ」っておっしゃられて(笑)。「僕はソニーに負けたくない」とか、わけわかんない(笑)。
一同:
(笑)。
名越氏:
その対応をソニーさんではなくマーヤさんがやると。
秋谷氏:
そう(笑)。それがうちの店なんですよ。
──実店舗だからこそできることをやっていらっしゃったと。
秋谷氏:
そうですね。ECやダウンロード販売に負けないようにするにはどうしたらいいかっていうのは、やっぱり体験会で誰よりも早く触ってもらうということ。
いまではダウンロードも早く体験できちゃうので難しいですけども、どこよりも早く触れること、そしてお客さんの反応を見ること、お客さんの印象をつけることですね。「このソフトならここ」という印象。
『龍が如く』とか『モンスターハンター』もそうですね。そういう印象をつけていくことがものすごく大事だと思いました。
うちの最初のイベントはプレイステーション版の『ダービースタリオン』だったんです。みんな『ダビスタ』で馬を育てるんだけど、自分の馬がどのくらい強いのかわからないって言い出したの。
「じゃあ、みんなで集まって走らせる?」とはじめたのが最初ですね。
名越氏:
へぇー。
秋谷氏:
告知もポスターだけだとインパクトに欠けるので、ポスターから馬の首を出したいなと思って(笑)。
馬の首がどこかにないかと考えているときに『ファミリージョッキー』【※】を思い出して、ナムコさんに「コマーシャルに使っていた馬の首ありませんか?」と尋ねて。飾ってみたらバッチリでしたね(笑)。
一同:
(笑)。
秋谷氏:
ほかにも『ダビスタ』ではいろいろなことをやっていて、お客さんが大盛り上がりで、“『ダビスタ』と言えばゲームズマーヤ”となりましたね。
──当時、そのようなコミュニティを生み出したというのは驚きですね。
秋谷氏:
お客さん参加型のイベントは大事なんだなって学びましたね。あとは大会とかもやっていましたし、そういえば野球ゲームで彼が小さいとき、松……ピッチャーの、いま中日に行った……。
──松坂?
秋谷氏:
そう! 松坂大輔くんが、うちの大会に出ていました。
──え!?
秋谷氏:
野球ゲームの大会に。参加者リストを見たら「松坂大輔」と書いてあって、「これウソでしょ!?」って大騒ぎしたこともありましたね。
──まだ学生時代の松坂選手が?
秋谷氏:
中学生くらいじゃないですかね? 高校生になる前だと思います。
──どのゲームの大会だったんですか?
秋谷氏:
『ファミスタ』かなんかだったと思います。彼はうちと石川屋さんっていう駄菓子屋さんとを往ったり来たりしていました。野球の道具を抱えて、うちの大会に出ていたという。野球と言えば、栗山さん【※】がうちで野球教室をやったこともあって。
※栗山さん
栗山英樹氏。元プロ野球選手。2012年からは北海道日本ハムファイターズの監督を務める。
──ええっ!? ゲームズマーヤさんで栗山英樹が野球教室を!?
秋谷氏:
そう、ゲームで野球教室を。
名越氏:
あぁ、ゲームのね。
秋谷氏:
ゲームなのにね、バットを持ってきて子どもたちに野球を教えているんですよ。いやいやいや、あのゲームなんで、すいませんって(笑)。
──コントローラーを使ってくださいと(笑)。しかし、すごいですね。
秋谷氏:
そういった経験があったからか、イベントがすごく楽しいっていうか、自分自身がすごく楽しんでいましたね。
名越氏:
ちょっと話を戻しますが、ECが発展してもゲームズマーヤには絶対に勝てるはずがないんですね。本来、ECは物の簡単な説明と買い物かごと、決済手段さえあればいいわけじゃないから。説明の工夫がいろいろと必要になる。
場合によっちゃ動画を張り付けたりしているけど、一方通行だからやっぱり限界がある。双方向の必要性が問われたときに、「量販店がある」と言う人もいますが、量販店は量販店で細やかな商品知識に限界がある。
家電の販売ペースよりもゲームの販売ペースのほうが半端なく早いわけだから、絶対についていけるはずがないんだよね。そうなってくるとやっぱり実店舗がいちばんいい。
たとえば、音楽業界だってCDは売れないけど、やっぱりライブはいいわけじゃない。そういう意味では、人対人のイベントっていうのはエネルギーがあるし、人が集まる。
ぶっちゃけて言えばビジネスになる。話をまとめるわけじゃないけど、マーヤさんの今回の話とは別に、実店舗はなくならないと俺は思うし、お店のよさを知った人たちは通い続けると思うので、そこを再認識させてくれるお店が出てきてくれないかな、と思いますけどね。
──ゲームズマーヤさん閉店で思ったことがまさにその部分でして、ゲームズマーヤというお店があったことを後世に残したいと思ったんですね。ゲームズマーヤの志を伝えたい、といいますか。
秋谷氏:
ありがたいですね。私は普通に終わるつもりだったんですが(笑)。なんだか、どんどこどんどこ盛り上がっちゃって。お祭り騒ぎになっていてビックリなんですけど(笑)。
名越氏:
いや、そうですよ。みんなそれだけ大事に思っていた。俺のところにもいろいろなところから取材の打診がありますから。先日はウォール・ストリート・ジャーナルから連絡がありましたし。うちの社員がやめるときでもこんなに時間使わないのに(笑)。
──ゲームズマーヤと言えば『龍が如く』、と皆さんが思っているということですよね。
秋谷氏:
しつこいくらいお願いをして、しつこいくらいイベントをやらせていただいたので、印象が濃いのかもしれないですね。
──ゲームズマーヤさんで行ったイベントの回数では、『龍が如く』シリーズがもっとも多いのですか?
秋谷氏:
イベントとして参加いただいたのは名越さんがいちばん多いですね。来店数は辻本さん(辻本良三氏。カプコン執行役員。『モンスターハンター』シリーズプロデューサー)。
名越氏:
良三くんは偉いなぁ。
秋谷氏:
辻本さんはご自身のタイトルの発売日には必ず来てくれてますね。イベントがあるとか関係なく、ふらっと来てふらっと帰られる(笑)。
歴代セガ代表が訪れた──ゲームズマーヤ25年の歴史
──本当にいろいろなゲーム関係者がいらっしゃっていたんですね。
秋谷氏:
ドリームキャスト発売のときには、湯川専務【※】におねだりというか、お越しいただいてチャリティーオークションを開催したことがあったんですね。そのときは私も下心ありありで、ドリームキャスト発売前のタイミングでした。
そのときに集まったお客さんに「ドリームキャストが欲しいかー!」と言って(笑)。みんな「欲しい!」って言うに決まってるじゃないですか。そこに湯川さんが登場されるわけですよ。
で、「今日湯川さんと話をする権利を買いたい人!」とオークションを行って。「一緒に2ショット撮りたい人!」とか(笑)。それを全部集めて江戸川区に寄付しました。チャリティーオークションは4年間続けて、おかげさまで江戸川区から表彰状もいただきました。
──歴代のセガの代表、社長の方には、皆さんお会いになられているのですか?
秋谷氏:
そうですね。入交さん【※1】にも、大川さん【※2】にもお会いしています。
※1 入交さん
入交昭一郎氏。1998年当時のセガ・エンタープライゼス代表取締役社長。
※2 大川さん
大川功氏。CSK創業者。1984年、セガ・エンタープライゼスに資本参加し、取締役会長に就任。
名越氏:
それはすごいですね。
秋谷氏:
あと、大川さんの紹介で藤田さん【※】にもお会いしています。本当にありがたいことです。
※藤田さん
藤田田氏。日本マクドナルド、日本トイザらス創業者。
──閉店日の4月8日には里見治紀さん(現セガゲームス代表取締役会長CEO)がいらっしゃっていたとうかがいました。
名越氏:
来ていたんですか、最終日に。
秋谷氏:
いらっしゃっていました。
──んー、すごいですね。
秋谷氏:
よくわからないでしょ、なんでそんなに偉い人が来られるのか(笑)。
名越氏:
いや、不思議はないですけどね(笑)。……お店がいまの場所に移ってからは何年ですか?
秋谷氏:
22年ですね。
名越氏:
ここは22年の歴史があるんだ。
──ちなみに、秋谷さんと名越さんはお食事をいっしょに行かれたりとかは?
秋谷氏:
ないです。
名越氏:
ないですね。
秋谷氏:
そういう関係ではない。
一同:
(笑)。
秋谷氏:
なんかそうしちゃうとダメかな、みたいなのはね。
名越氏:
そうしちゃうと(笑)。
一同:
(笑)。
──セガさんに限らず、秋谷さんはメーカーさんとお食事は行かないようにされていたんですね。
秋谷氏:
もちろん、営業の方とはしますよ。ただ、クリエイターの方とお食事に行ったことはないですね。昔、坂口さん【※】とくらいですね。
※坂口さん
坂口博信氏。ミストウォーカーCEO。『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親。
名越氏:
『ファイナルファンタジー』の坂口さん。
【新連載:田中圭一】坂口博信とFFの天才プログラマたちが歩んだ、打倒DQへの道。「毎日のようにキレてましたけど(苦笑)」【若ゲのいたり】
秋谷氏:
すごくお茶目な方だったことを覚えています。
名越氏:
なるほど。坂口さんとはそうなっちゃってもいいかなー、と思っていると。
秋谷氏:
いやいや(笑)。
一同:
(笑)。
秋谷氏:
坂口さんは18年前に私がブログを始めるにあたって、海外からわざわざ映像を送ってくださったんですね。お祝いとして。
──ブログは2000年からスタートされていらっしゃるんですね。
秋谷氏:
そうです。ひっそりと始めて。当時は、テキストを書くのに指を1本ずつ立ててキーボードを打っていましたから。そんな人がみんなに「ブログはじめました」なんて言えないじゃないですか(笑)。
黙ってやるしかなかったですよ。いまでは仕事をやりながらでもできるようになりましたけど、よくここまでできたと思います。ブログもまさか18年も続くと思わなかったですからね。
──ゲームズマーヤのアルバイトスタッフからゲームクリエイターになったり、ゲームメーカーに入られた方はいらっしゃるんですか?
秋谷氏:
3人いますね。今年の春、バンダイナムコエンターテインメントさんに入った子もいます。
名越氏:
それはゲームを作るほうで?
秋谷氏:
作るほうです。その前は、アトラスさんにひとり。それからDMM.comさんに行ったのがひとり。その子は営業ですね。
名越氏:
ゲームズマーヤで働いていたんだったら、いい経験してるよね、きっと。
──秋谷さんにぜひ聞いてみたいことがあったんですが、ゲームメディアという存在をどう思っていらっしゃいましたか?
名越氏:
お、いい質問だね。日本のゲームメディアをどう思っていたのか。
秋谷氏:
いちばん最初は、週刊ファミ通に載りたいっていう夢がありました。目標でしたね。ファミ通はいつも読んでいて「こんなお店が出てるんだ」って。「うちも取り上げてほしいな」っていう思いはやっぱりありましたよ。
名越氏:
お店が紹介される形で?
秋谷氏:
そうです。自分としてすごい目標でしたよね。うちがファミ通さんに最初に載ったときは忘れもしません。
ゲームメーカー各社さんの体験会をやらせたんですよ。6社くらいに参加いただいて。引っ越してきたばかりで店内がスカスカだったので、それを逆手にとって試遊台をたくさん置いたんですね。
各社さんから説明員をつけてもらって、うちもどのタイトルの人気があるのかわからないので、スタンプラリー形式でやったんです。「時間のない人は自分の好きなゲームだけ遊んで帰ってもいいよ」とお伝えしたんですが、なんだかんだで、みんな全部のタイトルをプレイするんですよ。
結果、どこのメーカーのどのソフトがいちばん人気になるかという形になったんですが、それがものすごくお客さんに喜ばれて大盛況だったんですね。それをファミ通さんが取り上げてくださった。すごくうれしかったですね。
──何年前くらいのことですか?
秋谷氏:
引っ越してきてちょっとしてからですから、20年前くらいですね。イベントで記憶に残っているのは、内藤寛さんが『ランナバウト』というゲームを作られたんですが、クルマをぶつけて遊ぶゲームなんですよ。
だからそれをわかりやすくするために、「お店にクルマをぶつけよう」と企画して、内藤寛さんがホンダのNSXを持ってきたんですけど、大きすぎてお店に入らなかったんです(笑)。
それでミニクーパーをわざわざ持ってきていただいたら、うまい状態が作れて。警察署にイベントの届けを出してやりました(笑)。
──ゲームなんだからと、レースゲームのイベントでお酒を提供されたことがあると聞いたことがありますが……。
秋谷氏:
それもやった! 実施したのはずっと後ですね。ドリームキャストの『首都高バトル』のイベントのときです。ドリームキャストがあまり売れてないときで。
一同:
(笑)。
秋谷氏:
何とかして売るアイデアはないかって言われて。それがミッションだったんです私の。うーんどうしようかなって思って。
名越氏:
秋谷さんは、いい思い出がないですよね、セガのハードに(笑)。
──セガでのいい思い出をお願いします!(笑)
名越氏:
いやべつに大丈夫です(笑)。真実だからね、それが。
秋谷氏:
『首都高バトル』のときは営業担当さんと話し合って、「ゲームだからこそできる酔っ払い運転は?」とお酒を出してイベントをやったんですね。そうしたらみんな呑むわ呑むわ(笑)。
予約もすごく入ったんですね。みんなべろんべろんの状態だったから、お客さんがソフトを取りに来たときに「オレ、なんで『首都高バトル』を予約したんだろう……」って(笑)。
名越氏:
記憶はなくても記録には残っていたと(笑)。
秋谷氏:
「ご予約されてましたよー!」って(笑)。
名越氏:
よくそんなことやりましたね(笑)。
秋谷氏:
酔っ払ってても、予約した用紙をちゃんと持たせて帰らせましたから。「これ大事なものよ」って。
名越氏:
ペンを持たせて予約の申し込みを書かせたんだろうね(笑)。
秋谷氏:
セガさんからはあまりにも売ったので表彰状をいただいたんですよ。でも、「このやり方はゲームズマーヤさんにしかできません」って書いてあって(笑)。
一同:
(笑)。
秋谷氏:
あと覚えているのが、EAさんの『ぐーちょDEパーク テーマパークものがたり』。
プレイステーション初のボードゲームだったんですが、メーカーさんから「店長これ、100個買ってくれたらぬいぐるみを50個つけます」と言われて。でっかいぬいぐるみだったので、クリスマスプレゼントにもなるし、と100個仕入れたんです。
ところが、ぜんぜん売れないの(笑)。半分も売れなくて、ぬいぐるみも残ってるし、どうしようとなって。
そこで思い付いたのが、さくまあきらさん。このゲーム、さくまあきらさんが監修していたんですね。
“『桃鉄』のさくまあきらが監修したボードゲーム”って書いてお店に貼り出したら、またちょこちょこ売れるようになって(笑)。
──秋谷さんだからこそのアイデアと実行力ですね。
秋谷氏:
年が明けてもまだソフトが残っていたんですけど、ゲームにかわいらしい女の子の声が入っていることに気づいたんです。
「誰が出てる?」と出演声優さんを調べて、その声優さんを起用しているメーカーさんに片っ端から電話して、サインやノベルティグッズを「いいから黙って持ってきて!」と超強引に集めて。「いま買ったらこれがついてきますよ」と売ったらやっと完売しました(笑)。
名越氏:
聞けば聞くほど、ECサイトではできないことをやってますよね(笑)。
秋谷氏:
馬鹿ですよね(笑)。そんなことばっかりやっていました。
名越氏:
いや、すごい。執念ですよ。
秋谷氏:
ゲームソフトを絶対に安く売りたくないんです。うちは絶対安くしない。かわいそうだもん。作った人にも失礼だし、いちばん最初に買った人にも失礼じゃない。
あとで安くなる……もちろん3年とか5年経ったらそりゃしょうがないかもしれないけど、でもやっぱり中古じゃない限り、新品を安くするのはすごく嫌で。
──ゲームズマーヤを閉められると発表されてから「メディアで連載をやってほしい」ですとか、ゲームメーカーから「コンサルティング、アドバイザーをやってほしい」といった打診があったんじゃないですか?
秋谷氏:
よく言われるんですけど、ありませんよ。本当にないです。それにお店に立っていないと……。
──お客様の声が聞けない、と。
秋谷氏:
そうそう、そうです。お客さんの反応は本当に大事。お客さんから教えてもらったことがいっぱいありますから。だって、ここにいなかったら何にも言えない人ですよ、私。ふつうのおばちゃんです。
みんな「ブログも続けて書いてよ」って言うんですけど、病状報告したってつまらないですよ、本当に。「今日は病院に行ってきました」とか、つまらない。そんなブログ誰が読みますかって(笑)。
──この機会に名越さんから秋谷さんにお聞きしたいことはありますか?
名越氏:
本当にお世話になりっぱなしだったので。お店に対するリクエストや質問っていうのはほぼなくて、いつも場所をちゃんとお借りする以上は、「貢献させてもらえてるのかな」っていうのは気になっていました。
ゲームズマーヤでイベントをやるということは、体験会やサイン会の運営方法をまずここで作るということ。それをフォーマットにして、ほかでもやるわけですよ。
すべての店でまったく同じ条件ではやれないし、場合によってはうるさいお店だと、「この時間に仕込み。この時間でイベントが終了」と、判で押したように時間やテイクが決まっている。
時間がこぼれると怒られたり、嫌味も言われる。だから時間を守ってやるんだけど、集まった人に少しでも触らせたいし、ひとりでも多くの人にサインを書きたいと思うじゃない。
イベントって単純なものではなくて、試遊台とゲーム、ペンとサイン色紙があればいいわけじゃない。どう人を流すかとか、名前を書くときに誰が聞くとか、しかも俺は老眼だからどういうペースになるとか、いろいろあるわけ。
それをね、見にきてるんですよ、どこかのメーカーさんが。「セガさんはこうしていた」とか、「名越さんのイベントはこうだとか」っていうのをね。
結局うちがマーヤさんでやって、マーヤさんのフォーマットを量販店でやって、量販店のやり方を別のメーカーが見ている。
そういう意味では我々もゲームズマーヤで実験させてもらっていたときもあった。秋谷さんに対しての信頼、信用があるし、愛されキャラだし、時間がこぼれても決して怒らないし。
俺が乗ったタクシーが渋滞に巻き込まれて遅れても、ゲームズマーヤさんはフォローしてくれましたし(笑)。
秋谷氏:
うちとしては「もうすぐですよー。道が混んでるそうですけど、いま高速に入りましたー。はーい、もうすぐだからねー、はーい、高速出ましたー!」とか言っていればお客様は皆さん待ってくださるので、ぜんぜん平気(笑)。
名越氏:
その臨機応変な対応は、ふつうなかなかできませんよ(笑)。38年間、本当にお疲れ様でした。また本当にお世話になりました。お店を通じたコミュニティというかコミュニケーションは続けていきたいので、がんばります。
そこをがんばっていくことが、まさにゲームズマーヤの意思を受け継ぐことになるので。粘って粘って、東京だけじゃなくて各地津々浦々も行かせていただこうと思いますね。(了)
「葛西には子どもが多いから」──。地域を意識して38年前に立ち上がった個人経営のおもちゃ屋は、25年前にゲームショップとなった。
どんなときでも店頭に立ち続け、現場で家庭用ゲームビジネスを支え続けてきた秋谷店長。
その存在は、ゲームメーカーとゲーマーをつなぐ、かけがえのない結び目となり、いつしかゲームズマーヤは日本でいちばん有名なゲームショップと呼ばれるようになった……。
つねにお客さんの声を聞き、ゲームメーカーにその声を届ける。ゲームメーカーが必死に作り上げたタイトルをリスペクトし、「作った人に失礼だから」と決して安く売らない。
取材を通じて、家庭用ゲーム、そしてメーカーもお客さんも含めた、業界全体に対しての深い愛情が秋谷店長の根底にあると感じた。
惜しまれつつもゲームズマーヤは閉店をむかえた。残念ながら、新しいゲームハードやゲームソフトが発売されても、葛西のこの場所でイベントが開かれることはない。
だから、多くのゲーマーにお願いしたい。葛西にゲームズマーヤというゲームショップがあったこと、そしてゲーマーとメーカーの架け橋となった秋谷店長という人物がいたことを、語り継いでいってほしい。
ファミコン時代から現在にいたるまで、家庭用ゲーム機の歴史を売り場で見続けてきたゲームズマーヤと秋谷店長。いままで本当にありがとうございました。
最後に、秋谷店長からご提供いただいた、ゲームズマーヤ思い出の写真を掲載して本稿を締めたい。
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また今回の生放送では、視聴者からのメッセージも受け付け、65人から合計で1万文字を超える熱いメッセージが届いた。本稿では、そのメッセージと、番組で紹介しきれなかった閉店後の店内の様子をお届けする。