まずは以下の表をご覧いただきたい。
これは2019年1月1日以降に閉店した、あるいはこれから閉店する予定のゲームセンターやゲームコーナーを含むアミューズメント施設の一部だ。
残念なことに、ほぼ毎月どこかのお店が閉店している。
2018年も100店以上が閉店になったが、なかでも7月22日に閉店した神奈川県の「マットマウス鹿島田 新川崎店」や、8月31日に閉店した東京都の「ゲームインみとや 鶯谷店」などは、ネットの一部で話題になったので覚えている方も多いのではないだろうか。
昨年2018年は「高田馬場ゲーセンミカド」が池袋にも新店をオープンさせるという明るい話題があったとはいえ、このようなケースはまれだ。
警視庁生活安全局保安課が発表しているデータを見ても、ビデオゲームがない店を含むゲームセンターの営業店舗数は、毎年右肩下がりになっていることがわかる。
このように強い逆風が吹きすさぶなか、2019年2月に個人でゲームセンターをオープンさせた強者がいるのをご存知だろうか。
それが、東京都立川市にある「ゲームセンターWILL」の店長・渋谷幸喜氏だ。
2018年3月にクラウドファンディングで開店資金を募り、翌4月には見事目標金額を達成。
その後、さまざまな困難を乗り越えて、約1年がかりで店舗オープンにこぎつけた。
いったい、彼はなぜわざわざ個人でゲームセンターを開店させることにしたのだろうか?
電ファミニコゲーマー編集部は、渋谷さんにインタビューを申し込み、開店までの経緯や苦労、ゲームセンターに対する思いなどについて話をうかがった。
ワンオペで切り盛りするゲーセンは、行き場を失った常連ゲーマーが帰ってくる場所
──クラウドファンディングで資金を集めて立ち上げた「ゲームセンターWILL」がオープンしてから1ヵ月が経過しました。どんな1ヵ月でしたか?
渋谷氏:
あっという間の1ヵ月でしたね。ゲームの基板や設備も含めて、いろいろと物が足りていない、という課題が見えてきました。店内に手作りの喫煙ルームを作るなどの工夫をしていますが、まだまだ不足しているものがあります。
とはいえ、やっぱり「昔勤めていたゲームセンターの常連さんや、友だちが遊びに来てくれる」ことがうれしいです。
──1日あたり、何名くらいのお客さんが来店されますか?
渋谷氏:
今は来客数が落ち着いてきていて、平日は平均で20人ほど、週末はイベントをやると40人くらいいらっしゃいます。
──では、売り上げのほうは……?
渋谷氏:
今は開店したばかりでお客さんの入りがいいのですが、今後少し落ち着いてもやっていける売り上げにはなりそうです。
とはいえ、クラウドファンディングで集めたお金も、結局、資金としては充分ではなくて……。オープン準備をしているときにアルバイトを始めたんですよ。それは今も続けているんですけれど。
──ということは、夜中までゲームセンターで店長をやって、朝から開店までバイトをしていると? た、たいへんでは???
渋谷氏:
ええ。でも、朝は隣りにあるゲームセンター「WGC」の店長さんに、ウチの開店をしていただいて、私の出勤時間を遅めにしているんです。
その代わり、夜は「WGC」の店長さんに少し早めに帰っていただいて、「WGC」の閉店作業は私がやる、と。
──「WILL」は毎日営業、店員さんは渋谷さんしかいない。となると、渋谷さんの休暇はゼロ、と?
渋谷氏:
オープンしてから今までは、休みなしです。
そのうち営業が落ち着いてきたら、毎月2日ぐらいはお休みをいただくのもありかな、とは思っていますが。
──このご時世、個人でゲームセンターを開店させること自体、ハードルが高いでしょう。目的は、ビジネスではないところにあるのでしょうか。
渋谷氏:
そうですね。このゲームセンターを開いた大きな目的のひとつは、以前勤めていた「オスロー5号店」【※】の閉店によって、行き場がなくなった常連ゲーマーさんの受け皿を作ることなんです。
純粋に個人でお金儲けをしたいだけなら、他の業種のほうがいいでしょうけれど……。
本日を持ちまして当店は閉店いたしました。
— ゲームオスロー5店 (@tachikawaoslo5) August 31, 2017
長い間のご愛顧誠にありがとうございました。
皆様のお蔭で最後の最後まで愛されるゲームセンターとして営業できたのではないかと思っております。
本当にありがとうございました。
※オスロ―5号店
立川市の駅周辺に4店舗展開していたゲームセンター・オスロ―のうち、立川駅南口にあったお店の1つ。
駅から徒歩で約3分という利便性の高い立地だったが、2017年8月31日に閉店。
現在オスロ―(株式会社オスロ―インターナショナル)は、オスロ―バッティングセンターを中心に、立川、新宿、荻窪で展開をしている。
──そのような理由があったんですね。
渋谷氏:
私は今のところ、自分が生きていくのに必要なお金が稼げればいいと思っているので、これでもいいかなと。
──渋谷さんは「オスロー」でも店長を経験されたことがあるそうですが、同じ店長でも今の感覚は全然違いますか?
渋谷氏:
雇われ店長のときとは責任感の質も重みも段違いですね。日々の売り上げに目を光らせるのは同じですけれど、お金を集めてオープンしたこと、そしてそのお店を今後も続けていくことに対する責任感がまったく違うんですよ。
売り上げが自分の生活にも直結しますし。
──事業を継続していく責任、ですね。
渋谷氏:
手元の資金の関係で、クラウドファンディングのバッカーさんにまだお返しができていないこともあって、プレッシャーも大きいです。
──いずれお返しできる目途が立っているんですよね? でしたら、必要以上に負い目を感じる必要はないかと。
渋谷氏:
そうなんですが、私はけっこう心が弱いので(笑)。お店の場所が決まるまでは、厳しいご意見もいただきましたし。
──クラウドファンディングの資金を持ち逃げするとでも思われたのかしら。
渋谷氏:
そうかもしれません。でも、持ち逃げなんてしなかったからこそ、このお店をオープンできたわけですけれど(笑)。
勤めていたゲームセンターが閉まるとき、自身で経営することを決めた
──以前お勤めだった「オスロー」は、いつ頃から働いていたのでしょうか?
渋谷氏:
大学3年生のときにアルバイトで始めてからです。その後大学を中退してアルバイトから契約社員になり、店長になったのを機に社員になりました。
なので、アルバイト時代も含めると、合計で15年くらいは働いていましたね。
──「オスロー」は1969年に設立された会社で、バッティングセンターと複数のゲームセンターを営業していました。ゲームセンターだけでも30年以上は続いていたんじゃないですか?
渋谷氏:
そのぐらいは続いていたと思います。最盛期にはゲームセンターが1〜3号店と5号店の、計4店舗ありました。
──そもそもゲームセンターで働こうと思ったきっかけは?
渋谷氏:
最初はゲームセンターで働くつもりはなかったんですけどね。当時の「オスロー」は毎週金曜日にさまざまなゲームのイベントを開催していて、私は客としてそのイベントによく参加したり、運営を手伝ったりしていたんです。
ある日、イベントを主催していた人が辞めてしまって、困った店長から「アルバイトとしてイベントの開催をしてみない?」と誘われたのがきっかけですね。
──意外なところから白羽の矢が立ったと。
渋谷氏:
最初の頃は週1日ペースでアルバイトをする程度でしたけれども。
──最後にお勤めだった「5号店」は2017年8月31日に閉店してしまいましたが、かつてはイベントを積極的に開催していて、“音ゲーのメッカ”と呼ばれていたとか。
渋谷氏:
当時私が店の「イベント担当」でしたが、音ゲーも含めて活気はあったと思います。
駅前で立地も良かったですし、お客さんには濃いゲーマーが多かったんですよ。1階が音ゲー、2階がその他のビデオゲームという構成でした。
「5号店」があった場所の近くには「クラブセガ」さんがあるのですが、「5号店」には古いゲームも多かったためか、ラインナップがカブらなかったのも良かったのでしょう。
──店員さんもゲーマーが多かったのですか?
渋谷氏:
私も含めてゲーマーだらけでしたね(笑)。同じゲーム好きだからこそ少しでも良い環境でゲームを遊んでほしくて、満足していただけるよう努力しました。
そういう点では、「オスロー」はお客さんと店員の距離が近かったと思います。お客さんに寄り添って、「一緒にゲームセンターを作っている」という実感がありました。
──ご自身でゲームセンターを経営しようと思ったのは、「オスロー5号店」の閉店が決まってすぐですか?
渋谷氏:
「5号店」の店長から、最初に「閉店する」と聞いたときに、すぐ決断しました。ただ、「やる!」とは決めていたのですが、明確な時期までは決めていなかったんです。
──「5号店」は、立川にあった「オスロー」の最後のゲームセンターだったわけですが、バッティングセンターのほうに移るとか、他のゲームセンターに転職することは考えなかったのでしょうか?
渋谷氏:
それは考えませんでした。詳細は言えませんが、同じ系列のお店では働きづらい。それに、よそのゲームセンターに転職したとしても、私たちがやってきたお客さんに寄り添うような運営はできないと思ったんですよ。
──「理想のゲームセンターを作るには、個人でやるしかない」と考えたと。
渋谷氏:
そうですね。会社の方針が変われば、今までどおりのやり方もできなくなりますから。方針に左右されないよう、脱サラして個人でやるしかないです。
──閉店からクラウドファンディングを始めた2018年の春までは、何をされていたのですか?
渋谷氏:
「オスロー」にいたときはイベントの開催で土日の休みがほとんどなく、友人と会って呑んだり、じっくり話をしたりすることもなかったんですよ。
その反動で、友だちと遊ぶことに時間を割いたり、今後のことを考えたりしていました。
──個人営業をされているゲームセンターの店長さんに、相談したりしました?
渋谷氏:
埼玉県や岡山県などに何人か知り合いがいて、オープン前にそういう方とお話をしたら「個人営業のゲームセンターはやめとけ」と言われました(笑)。
でも、ゲームセンターで働いていた経験は活かせるし、周りに支えてくれる人がいて、どうしてもやりたいのならやってみればと。みなさん苦労をされているので、説得力がありますよね。
──どんなお店を作ろうと考えていましたか?
渋谷氏:
お店は私ひとりでやろうと思っていたので、あまり広すぎない場所にしようということですね。アルバイトを雇わないと回せないような広さになると人件費がかかりますし、自分の目が隅々まで届かなくなる恐れもありましたので。
──設置するゲームのラインナップについては?
渋谷氏:
ここにも並んでいますけれど、ブラウン管を使った筐体でゲームを遊ぶのが好きなこともあって、この筐体に合う、ややレトロなゲームを中心に取り揃えたいと思っていました。
ジャンルも対戦格闘ゲームを中心にパズルやシューティングなど、ひととおり置きたいなと。
──ここにある『エヌアイン』、『アルカナハート』、『パカパカパッション』、『バトライダー』などは、元常連さん向けのものですか?
渋谷氏:
そうですね。ここにある26台の筐体は、なるべく「5号店」で人気のあったゲームにして、みんなが再び集まれる場所にしています。
これらのゲームのなかには、元常連さんの持ち込みで置かせてもらっている基板もあるんですよ。
──では、ゲームの基板はひんぱんに入れ替えながら営業しているとか?
渋谷氏:
イベントがある日とない日で入れ替えたりしていますね。だから26台しか筐体がなくても、さほど困っていません。といっても基板はまだ30種類ぐらいしかないですけれど。
──元常連のためにオープンしたということで、お店の名前にも何かそれに関連する意味を込めているのでしょうか?
渋谷氏:
店名は意味よりもまず呼びやすさを重視して、最初は候補になる短い単語を辞書で探していたんです。パラパラとページをめくっていて目が留まったところに「WILL」があって、これなら短くて呼びやすいなと思って決めました。
そのあと単語の意味をよく考えてみたら「未来」や「意思」に関係がある単語でしたから、そういうところもいいなと。
──「ゲームセンターを未来に残していく」とか「強い意志で開店させた」という渋谷さんの思いを表しているようですね。
渋谷氏:
そうだとかっこいいのですけれど、そこまでは考えていなかったというか。だから後付けでいろいろ考えられると思います(笑)。
あと、Twitterで常連さんに「お店の名前を『WILL』にした」と言ったら「懐かしいね」と言う人がいて。何のことかと思ったら立川の昔の駅ビルの名前が「WILL」だったそうで、それも知らなかったんです。
その駅ビルがあった頃は、まだ東京に来ていませんでしたし。
──たぶん昔の立川を知っている方には刺さる単語かもしれないです。
渋谷氏:
これも偶然ですけれどね(笑)。
なかなか見つからない物件探し。意外なところから援軍が
──お店の立地は、元常連さんの受け皿になる関係上、立川から離れられなかった?
渋谷氏:
立川以外でゲームセンターを開いても良いのですけれど、それは私がやることではないなと思っていました。常連さんも集まりにくくなりますし。
──どんな物件を探していました?
渋谷氏:
最初は駅から徒歩10分以内を条件に、空いている物件を片っ端から探しました。ただ、ゲームセンターは風俗営業ですから、いいなと思った物件でも公安委員会から許可を得られないような環境だと、諦めないといけないんですよ。
たとえば、都道府県によっても内容は違いますけれど、東京都の商業地域だと半径50m以内に大学を除く学校や図書館などがあってはいけないとか、いろいろと細かく決められているんです。
──立川の場合、駅前の商業エリアから少し離れると、駅の北も南も複数の学校がありますね。
渋谷氏:
なので、実際に20〜30くらいの物件をチェックして、そのなかから「いい」と思った10ヵ所ぐらいは実際に訪れてみました。そこで学校からの距離を測ったり、周辺の環境を確認してみたりしたのですが、どれも風営法にひっかかる場所ばかりで、お店探しはしばらく難航してしまったんです。
──最終的に今の物件にした決め手は?
渋谷氏:
この物件自体はだいぶ前から知っていたのですが、自分ひとりでお店をやるには少し広すぎて諦めていたんですね。
そんななか、昨年8月の末ぐらいに「ゲームセンターWGC」の店長さんから、「この場所をふたつに分けて、別々に営業しないか」とご提案があったんですよ。
──「WGC」さんも、お店を移転する場所を探されていたんですよね。
渋谷氏:
クラウドファンディングの終了からだいぶ時間が経っていましたし、「WGC」さんからお声がけいただいたことを光栄に感じたので、「このチャンスはつかむほかない」と思ったんですよ。
なので、この物件でも半分ぐらいの広さであれば大丈夫だと考え、決断しました。
──だから今、「WGC」さんと隣りどうしなんですね。
これからのゲームセンターに求められるもの──開店を目指す人へのメッセージ
──今の時代、ゲームセンターに求められているものは何だと思いますか?
渋谷氏:
ゲームセンターの個性によって、求められるものは違うと思うのですが、私がやってきたお店の経験からすると「相互協力」だと思います。
──相互協力?
渋谷氏:
ゲームセンターが全盛の頃だったら、とりあえず最新のゲームをいち早く入荷しておけば、お客さんは足を運んで遊んでくれたんです。
ところが今はスマホも含めてゲームに触れる機会はたくさんあって、ゲームをお店に置いているだけでは、来店してもらうための動機付けにはならないんですね。
わざわざ足を運んでもらうためには、お客さんが遊びやすい、遊びに行こうと思ってもらえる環境やサービスを提供しなければいけない。
──その動機付けのひとつがイベントですよね。イベントを成功させるコツは何だと思いますか?
渋谷氏:
ゲームの人気ももちろん大事ですが、イベント自体をコツコツと継続させることでしょうね。たまに開催するのではダメだと思います。あとは、大会を運営しやすい筐体の配置にするとか、イベント中にお客さんをうまく案内・誘導して、楽しく遊んでもらうことですね。
要望があれば実況もやりますし、実況のうまいお客さんにやっていただくこともあるでしょう。
──元常連さん向けに開店をしましたけれど、当然、新規のお客さんも取り込みたいですよね?
渋谷氏:
そうですが、常連さんと新規のお客さんのバランスは難しいですね。常連さんはもちろん大事にしたいのですが、毎日来店されるわけではないので……。来客が少ない日は新規のお客さんに来ていただけると、売り上げも安定するわけですから。
ただ、常連・新規を問わず、単純にお店でゲームを遊んでくれる人が増えることがうれしいですね。
──今後、どんなお店にしたいですか?
渋谷氏:
とにかく長く続くゲームセンターにしたいです。「クラウドファンディングで派手にお金を集めたけれど、すぐに閉店してしまったな」と言われてしまっては意味がないですから。
──もし、渋谷さんと同じようにゲームセンターを開きたいという人がいたら、アドバイスできることは何でしょうか?
渋谷氏:
そんな人いますかね(笑)。もしいるとしたら、「ひとりでやるな」のひと言に尽きますね(笑)。
たとえば、私に開店のアドバイスを求めてきた人がいたとして、その人にゲームセンターでの勤務経験があったとしても、ひとりでやることはお勧めしません。
資金の調達、開店の準備、開店後の運営など、やらなければいけないことが多いので、誰かの協力や支援がないとまず開店は実現できないでしょう。
開店資金については、銀行から借りるのは難しいと思いますけれど、政策金融公庫に頼るという方法もありますし。まぁ、私は金融公庫の審査にパスできなかったので、クラウドファンディングに頼ったわけですが。
とはいえ、クラウドファンディングも所得税などの予想外の出費もあって、まったく問題がないわけではないと思います。ただ、私はこの方法で良かったのかなとも思っています。
いずれにせよ、支援してくれる人や縁がないと開店のハードルが一気に上がるでしょうね。
──そういった難関を乗り越えてオープンされた「WILL」、今後も注目させていただきます。
渋谷氏:
お近くにお住まいの方や、少し古いゲームに興味のある方は一度ご来店ください。昔ながらの「ゲーセン」がここにあります。(了)
だいぶ前の話になるが、筆者がお気に入りのお店として通っていたゲームセンターのなかには、立川駅北口の「オスロー1」(1号店)があった。
パチンコ屋の上、確かビルの2階にあった同店は店内が薄暗く、子どもだった自分にとってやや入りにくいお店だったが、置いてあるゲームの種類が豊富で、休日はたびたびお店に行っていたことを思い出す。
その後、このお店は筆者の「放課後に巡回するゲームセンターリスト」に組み込まれ、高校生のときには友人と良く通っていた。
社会人になってからは自然と足が遠のいたとはいえ、たまに訪れるお店でもあっただけに、閉店すると知ったときには、お店の思い出ごとなくなってしまうような気になったり、そこで遊べなくなることに寂しさを感じたりした。
また、立川ではないが学生時代にアルバイトをしていたタイトー直営の某ゲームセンターが閉店になると知ったときにも、同様の寂しさを感じたものだ。
そこはワンオペレーターで営業する小さなお店で、最新ゲームこそあまり置いていなかったが、足しげく通ってくれる常連サラリーマンたちのために、清掃や筐体の整備に力を入れていたことを思い出す。
このように、ゲームセンターについては客側・店側の両方に思い入れがあるためか、今回の取材は共感できる部分が非常に多かった。
そのうえで筆者から言えるのは、お店の存続のためにも「応援してあげたいお店には、できるだけ通ってゲームをプレイしてほしい」ということだけだ。
たとえ自分の知らない町のゲームセンターでも、そこにはそのお店をホームにしてゲームを楽しんでいる人たちがいる。
そういう人たちにとって、ホームだったゲームセンターの閉店は、やり込んでいたゲームで遊べなくなるだけではなく、そこで作り上げたコミュニティの崩壊という、辛い現実にも向き合わされることになる。
お店がなくなってからでは遅いのだ。今あるうちにゲームセンターへ行こう!
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