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“セガが好きすぎるセガ社員”奥成さんってどんな人? セガのやり過ぎ(!?)企画の裏につねにこの人あり!

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 昔ながらのセガファンには、独特の“熱量”がある。

 そしてセガもまた、その熱量に応えるかのように、ファンを唸らせ、狂喜させるクラシック企画を送り出している。
 熱いファンに応えることのできるセガ社員もまた同じように──いや、それ以上に“熱い”に違いない。その一人が奥成洋輔氏だ。

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奥成洋輔氏

 中学生のときにセガ・マークIIIと出会った奥成氏は、『北斗の拳』『ファンタジーゾーン』に大ハマリ。地元の友人たちに布教をはじめ、「みんながファミコンではなくセガ・マークIIIを持っている」という世界を実現させていた。
 
 大学時代は家に友達を呼んで、徹夜でメガドライブを遊ぶという暮らしを送る。そんなセガ三昧の青春を送った奥成氏の持つこだわりと知見は、コアなセガファンを唸らせ、 “やり過ぎ(!?)”と賞賛されるものを世に送り出してきた。
 
 ニンテンドー3DS『セガ3D復刻プロジェクト』や、プレイステーション2での「SEGA AGES 2500」後期プロデューサーを務め、セガのクラシックタイトル復刻系プロジェクトで“こだわりの影に常にこの人あり”と言われる存在となっている。

 あふれるセガ愛とこだわりによって、またしても往年のゲームファンを熱狂させた「メガドライブミニ」。その収録タイトルを決めていたのは奥成氏だ。

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『メガドラタワー』を再現できるデコレーションキット『メガドラタワーミニ』まで発売!思わず笑ってしまうような“やり過ぎ”が、ゲームファンを喜ばせる
(画像は『メガドライブミニ』びっくり話 – YouTubeより)

 その“暴走っぷり”に往年のセガファンからは、「俺たちが好きだったセガ!」、「セガは頭がおかしい!(!?)」といった言葉が贈られた。

 奥成氏のセガへの強いこだわりはどこからきたのか?
 そのルーツを探るべくインタビューを行い、どんな少年時代を過ごし、いかにしてセガファンとなっていったのか、入社後の歩みから、現在の仕事に至るまで、たっぷりとお聞きした。

 “セガが好きすぎる社員” 奥成さんのヒミツに迫った!

聞き手/山村智美なかJ
文/山村智美
編集/実存


往年のセガファンを熱狂させた『メガドライブミニ』収録タイトルには、奥成氏の「これぐらいしないと!」という気持ちがこめられている

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中央が奥成洋輔氏
(画像は『メガドライブミニ』びっくり話 – YouTubeより)

──SNSを見ると、『メガドライブミニ』収録タイトルの発表を観ていたユーザーの皆さんがとても盛り上がっていて、変な言い方になってしまいますが、「メガドライブが好きな人ってこんなにいたのか!」とあらためて驚かされたほどでした。
 奥成さんは、そうしたセガのクラシックタイトルを楽しみにしているユーザーの数や、その性質について、どのように考えられているのでしょう?

奥成氏:
 以前に調べてみて面白いなと感じたことなのですが、セガサターンで発売された『SEGA AGES スペースハリアー』と、ニンテンドー3DSでのセガ3D復刻プロジェクトで『3D スペースハリアー』を出したときの販売本数は、そんなに変わらなかったんですよ。

 それを見て、「実は、同じ人たちがずっと買っているだけなんじゃないか!?」って(笑)。

──そんな(笑)。

奥成氏:
 実際は25年ほどの間に、ゲームを卒業した人もいれば、戻ってきた人もいるんですけど。本来はクラシックゲームを求めるユーザーさんって基本的に増えることはないんですよね。減ることはあっても。
 なので『スペースハリアー』ファンは不滅なんだなあと。それがセガファンなのかもしれません。

 セガは自社ハードを展開してゲームを出していた時代があり、ハードがいわばシンボルでした。そのシンボルと共に当時のセガのゲームを楽しんだ人は原体験をそのままに、今でもセガのことをどこかで気にしてくれているのかなと思うんです。

 『メガドライブミニ』の発表では、皆さんの中にあるそういう「セガ愛」がうまく蘇ってくれたのではないかなと思いますね。

──奥成さんが直接的にプロデュースに関わっている仕事は、“やり過ぎ!(!?)”と反応されるぐらいに、当時ファンだった人達の満足度が高いと感じます。どんなことを意識されているのでしょう?

奥成氏:
 “当時、このゲームのこういうところが好きだって感じていたなぁ”から入って、それを軸に「これぐらいしないとっ!」っていうことをいつも考えていますね。
 「これぐらいしないとファンの心は動かないだろう」っていうポイントってあるじゃないですか? 限られたリソースでそこを上手く期待を越えられるようにプロデュースしていかなければと思ってやってきました。

 あとはもちろん、私のやりたいことをセガがやらせてくれていて、チャレンジさせてもらえてるところも大きいですね。「損しないならやればいいじゃん」、「それでお客様が喜ぶのならやってもいいんじゃない」という感じで。

 そういった面で他社よりもやれることの自由度が高かったんじゃないかなって思うんですよ。
 もちろん目標などノルマもありますが、それ以外の隙間のところでうまくやれば、いいものができるというか。出てきやすいのかなって思います。

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──このゲームのこういうところが好きだったと感じていたものを今も軸にできている……。その“好きだったところ”は、かつての“セガらしさ”だったり、ひいては“テレビゲームらしさ”を感じられるポイントと同じところかもしれないですよね。

奥成氏:
 ターゲットが当時の自分なのでわかりやすいですよね(笑)。でも他社で同じ仕事を任されたとしても、同じようにやれるかどうかは分からないですよね。

 そこはセガという会社が、或いは私の仕事してきた環境が、自由にやらせてくれてきたからこそなんだと思うんです。
 そのおかげで、自分がプロデューサーとしてクレジットされているタイトルについては、自信を持ってお出しできたと思っています。

──なるほど。奥成さんの今のお仕事についてですが、Nintendo Switch『SEGA AGES』ではスーパーバイザーとしての参加で、あくまで別の仕事がメインにあるんですよね? どんなお仕事なのでしょうか?

奥成氏:
 現在はアジア事業部というところにおります。台湾や香港、韓国などに、セガ以外の日本の他社さんのゲームをお借りして、ローカライズして発売する仕事です。

──それは、セガのクラシックタイトル展開とはまただいぶ違った仕事ですよね?

奥成氏:
 はい。アジアのお客さんの嗜好を理解しようと日々奮闘中です。ですがこれがまた、ひょんなことからメガドライブ関連の話が転がり込んできたんですよ。
 というのも、うちの部署では、AtGamesという海外の会社へのメガドライブのライセンスアウトの窓口もやっていたんです。

──AtGamesというと……『メガドライブミニ』以前に、海外向けのメガドライブ互換機だった『セガジェネシスフラッシュバック』を手がけていた、あの会社ですか?

奥成氏:
 そうです。で、私がアジア事業部に異動してきたのがそれの完成間近という頃で、ちょうどいいからと社内レビューを僕が書くことになりまして。それなら本気を出そうと、色々と改善要望も出しました。
 ただ、実際はもう製品の完成間際でしたので、ほとんど間に合わなくなくて。「こういう話がまたあるようなら、今度は立ち上げ時から参加させて欲しい」と部長にお願いしていたんですよ。

 そうしたら、しばらくして会長の里見治紀から、「『メガドライブミニ』をセガフェス2018で発表するぞ!」という鶴の一声がありまして、そこでうまいこと僕もプロジェクトの立ち上げに加わることになったのです。

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2019年にセガファンを熱狂させている話題と言えば、『メガドライブミニ』。こだわりと収録タイトルに、奥成氏の知見や積み重ねが集約されている
(画像はメガドライブミニ | セガより)

──『メガドライブミニ』の最初の発表時点から奥成さんは参加していたんですね。

奥成氏:
 実はそうなんです。以前のままの開発部門にいたなら、参加してなかったかもしれませんね。

──発表当初、AtGamesが『メガドライブミニ』の開発をするという噂はどこからか流れていましたよね。それで、クオリティに不安があるという声も挙がっていたと記憶しています。

奥成氏:
 
 僕も『セガジェネシスフラッシュバック』を発売前から見ていたので、海外の人はおおらかだなとは思っていました(笑)。
 ところが発表したら、海外からの要望の声が凄くて。結局その声に動かされるかたちで、国内版だけでなく海外版も製作することにまでなったんですよ。

──アジア事業部でライセンス品の評価をしていた結果、『メガドライブミニ』のプロジェクトにも奥成さんが加わっていけたというわけですね。

奥成氏:
 気がつくと自分でメガドライブを作れることになって。不思議な感じでしたね(笑)。ちなみに『メガドライブミニ』はひとつの部署でやっているわけではなくて、いろんな部署からのメンバーが集められているんですよ。

──精鋭というか、『アベンジャーズ』みたいな。

奥成氏:
 参加メンバーの癖の強さということでなら、ある意味そうかもしれませんね(笑)。『メガドライブミニ』では、部長とか平社員とかも関係なく、その分野に精通しているメンバーが集められているんです。

──奥成さんは『メガドライブミニ』では、どういうポジションになっているのでしょう?

奥成氏:
 『メガドライブミニ』では、“コンテンツリード”というソフトウェア側の責任者です。ハード設計やデザインの責任者は僕ではなく、別のエキスパートがおります。あくまでソフトウェア……つまりエムツーさん【※】が作っている部分の責任者です。

※エムツー
千葉県我孫子市にあるゲーム制作会社。代表の堀井直樹氏とセガの奥成氏とのコンビで、セガの数々のクラシックタイトル復刻に取り組んできた。『メガドライブミニ』の収録タイトル移植は全てエムツーが手がけている。

──なるほど。『メガドライブミニ』は、まさに奥成さんとエムツーさんがこれまでにやってきたメガドライブタイトル移植の、ひとつの集大成と言えますね。

奥成氏:
 そうですね。いろんなことをやってきたら、全部の仕事が繋がっていたというような。

──ちなみにアジア事業部での普段のお仕事も、今もあるんですよね?

奥成氏:
 それはもちろんあります。でもここ半年ぐらいはメガドライブミニの仕事しかしてなくて、上司は「早く帰ってきてー!」って言ってます(笑)。

──(笑)。奥成さんは現在はアジア事業部の人でありいろんなタイトルのアジア展開をプロデュースしつつ、『メガドライブミニ』ではコンテンツリードとしてソフト開発をして、Nintendo Switch『SEGA AGES』ではスーパーバイザーをしていて。いろんな顔があるわけですね。

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奥成氏:
 そうですね。Nintendo Switch『SEGA AGES』では、本当に部分部分で口を出しているだけなので、開発しているというのはおこがましいですけどね。あ、公式サイトの紹介文を書いたり雑用だけなら少々(笑)。

──奥成さんは、プロデューサーをどのような仕事と思われているのでしょう?

奥成氏:
 プロジェクトの支配者であり、雑用係です(笑)。どのプロジェクトでもプロデューサーがプロジェクトを興さないとスタートしませんし、プロジェクトを自分の好みで構成することができるのですが、そのためにはクリエイティブなこともそうでないことも全部決めて実行しないといけません。

 プロデューサーの仕事やパブリッシャーの名前って、ゲームファンにとっては軽視されがちな部分だと思うんですよね。「このゲームは誰が作ったの?」って話になったときに、「セガと書いてあるけど開発はエムツーだよね」って。

──デベロッパー側のディレクターが、本当の意味で作った人だ、という。

奥成氏:
 実際おおむねその通りなんですけど、例えば映画で言うと、同じ監督の映画でもプロデューサーがスピルバーグだったりすると、普段のその監督の映画とは違った作風になってたりするじゃないですか。
 ああいう感じでゲームのプロデューサーやパブリッシャーも、少しだけチェックしておいてほしいなって思います(笑)。

──エムツーの堀井さんが、メガドライブミニの収録タイトル最後の発表のあとに、まさにそのようなことを考えさせられるようなツイートをされていましたね。

奥成氏:
 これが一人なのか1つのチームなのかはともかく、今回のメガドライブミニは、セガの強い熱意に応じて、エムツーさんが素晴らしい仕事をしてくださったことは間違いないですね。

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──『メガドライブミニ』の収録タイトル選びや、3DSでの『セガ3D復刻プロジェクト』でのこだわりなど、奥成さんのセガのクラシックタイトルへのこだわりには、セガタイトルへの愛というか、セガのゲームが本当に好きなんだなと感じさせるものがあります。
 そもそも、はっきりとセガのハードやゲームが好きだなと思えるようになったのは、いつ頃だったのでしょうか?

奥成氏:
 セガのゲームやハードをしっかりと自分で認識して購入したのは、中学3年生の時に買ったセガ・マークIIIですね。それからはセガ・マークIIIの素晴らしさを周りの友達にも教えてあげた結果、友人みんなをセガ・マークIIIユーザーにしてしまいました(笑)。

──友達みんなをセガ派に!

奥成氏:
 メガドライブももちろん購入して。ずーっと僕の家がたまり場になっていて、徹夜してゲームで遊んでたんですよ。

──普通なら、お母さんにゲームし過ぎで怒られたり、ゲーム機を隠されたりなんていうのが「あるある」なのかと思いますが……。

奥成氏:
 そうですね。いろいろと特殊というか、遊びに理解のある親だったと思いますね。

──どんな子供だったのかが気になります。奥成さんはそもそも何年生まれですか?

奥成氏:
 1971年です。

──ご出身はどちらでしょう?

奥成氏:
 生まれは東京なんですけど、育ちは神奈川の葉山です。

──ということは、奥成さんの原体験は神奈川周辺が基本ということになりますね。最初に触れたビデオゲームというと、記憶にあるのはなんでしたか?

奥成氏:
 一番最初に遊んだゲームの記憶としてはっきりと覚えているのは、やっぱり『スペースインベーダー』ですね。7歳の時です。

──小学1年生の頃に『スペースインベーダー』の熱狂的なブームがドンピシャでやってきた世代というわけですよね。ゲームセンターの元祖と言える“インベーダーハウス”が各地にできていた頃ですね。

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(画像はSPACE INVADERS|スペースインベーダー公式サイトより)

奥成氏:
 ですね。なので、最初のゲームエンターテイメント体験というかムーブメントというのはそれでした。当時、仲良くしていた友達の家がスナックで、お店に『スペースインベーダー』があったんですよ。
 なので、たまに遊びにいって、その友達と一緒にスナックが開店する時間まで遊んでました。コインボックスを開けてクレジットを入れまくりのプレイし放題!

──最初から、筐体を持っている知人の家でタダゲー!(笑)。

奥成氏:
 夢の環境ですよね(笑)。あとは、自宅のすぐ近くが海水浴場なのですが、ある夏、海の家の中にもインベーダーハウスが出現したんです。

──えー!ゴザが敷いてあってカレーライスとかラーメンを食べるような、あの海の家ですよね?

奥成氏:
 そうです。そういう海の家が何軒か並んでいる中に『スペースインベーダー』のアップライト筐体やテーブル筐体がひしめきあっているインベーダーハウスがひと夏だけあったんですよ。あの光景は忘れられないですね。

 実際は何台あったかわかりませんが、まだ子供でしたから、そのインベーダーハウスの光景は、まるで筐体が100台ぐらいあるかのように思えて、圧倒されたんですよ。

──それが初めての“ゲームセンター的な光景”だったわけですね。それにしても夏の海水浴場にインベーダーハウスとは……。
 当時いかに大流行していたのかがわかるエピソードですね。

奥成氏:
 夢の空間でしたね。で、そこには『スペースインベーダー』だけがいっぱいあるわけですけど、その中には……普通ではない“いろんなインベーダー”があるわけですよ、タイトー以外の(笑)。

──亜種的なものが(笑)。

奥成氏:
 なにしろ子供なので、会社名なども意識せずに「このインベーダーは絵がカワイイ」とか、「このインベーダーは難易度が低い」とか思っていたんですよ。

 そして、そういういろんなインベーダーが何十台もあるうちの1番すみっこに、セガのアーケードゲームの『ヘッドオン』『スペースアタック』の2in1の筐体があったんです。

 もちろん当時はゲーム名もちゃんと意識できていないんですけど、『ヘッドオン』だけはインベーダーとは違うゲームが遊べるということで、「面白そう〜」と食いつきました。

 『スペースアタック』も、他のインベーダーは黒い画面だけどこれは青いなーって思っていて。グラフィックはしょぼいけど……「絵がちょっとかわいいし音もスカスカしているけど、味があっていいなぁ」って感じたのを覚えてます。

 それが僕のセガゲームの原体験です(笑)。まぁその当時はセガを全く意識してなかったですけどね。

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『ヘッドオン』
(画像はヘッドオン | 株式会社セガ・インタラクティブより)
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『スペースアタック』
(画像はスペースアタック | 株式会社セガ・インタラクティブより)

──海の家に混じっていたインベーダーハウスの片隅で……とは、意外な出会い。

奥成氏:
 その頃にはコロコロコミックで、すがやみつる先生の『ゲームセンターあらし』の連載が始まるんですよね。僕も1話からずっと連載を読んでいて、インベーダーブーム後のゲームセンターというものに興味を持ち始めるんですけど、葉山は田舎なのでその後も長いことゲームセンターはできなくて。

 通学路の途中にあった文具屋の横にプレハブの物置が立ってテーブル筐体のゲームが2〜3台だけ置かれていて大喜びしました。『クレイジークライマー』に初めて出会った記憶があります。
 すぐに無くなってしまいましたが。

 あとは、『ハイスコアガール』のように駄菓子屋の軒先にアップライト筐体があって。そういうゲームをよくギャラリーとして見ていて、たまに自分でもプレイしてみたり。

──いわゆる駄菓子屋ゲームですけど、それも出始めの初期の頃ですよね。アーケードのビデオゲームが急激に拡大していく最中で、ものすごくスピード感と刺激があった頃。

奥成氏:
 ですねー。『ゼビウス』がヒットすると、僕のところにも知人から『ゼビウス1000万点への解法』【※】のコピーがまわってきて。
 僕がもらったコピーはもう、コピーにコピーを重ねているもので表紙もなく、中扉あたりからの数ページだけみたいなものでした。「これは一体誰が書いたんだろう?」、「うまいなー、この地図!」なんて思いながら見てましたね。

 ちなみに、その時のコピーは、テレビ東京系列で放映された『ノーコン・キッド 〜ぼくらのゲーム史〜 』【※】にご協力させて頂いていたときに、「当時はこんなのもあったんですよ」って監督に見せたりしてました(笑)。

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伝説のミニコミ誌として、今も語り継がれる攻略本『ゼビウス1000万点への解法』。
※『ゼビウス1000万点への解法』……大堀康祐氏が高校生の頃に中金直彦氏と共に発行したミニコミ誌。当時のミニコミ誌としては異例の大ベストセラーとなる。その再版には株式会社ゲームフリークの代表取締役社長である田尻智氏も関わっていた
(画像はゲーメスト関係者の方から創刊号超美品や各種ゲームグッズをお譲り頂きました!|BEEPより)

※『ノーコン・キッド 〜ぼくらのゲーム史〜』
テレビ東京系列で、2013年10月4日から12月20日まで放送された、80年代のゲームを題材にしたテレビドラマ。奥成氏はSpecial thanksにクレジットされている

──『ゼビウス1000万点への解法』は1983年とかですから、35年以上前ということに。そのコピーを今も保管されているんですか!

奥成氏:
 あります(笑)。

──奥成さんは物持ちがいいというか、昔のものを驚くほどしっかり保管されていますよね。

奥成氏:
 父が著述業でして、生まれた時から本が山ほどある家だったんです。仕事柄本を捨てなかったんですよ。
 また新聞をスクラップしたりもしていました。それで、僕も気になったものは“なんでもとっておく”っていう人になったんです。

──なるほど。理解があるというか、職業的に取り扱い方や価値観が一般の家庭とは違う感じだったんですね。

奥成氏:
 ですね。“物を大事にしなさい。大事に保管しなさい”と言われていたので、雑誌とかはもちろん、ゲームソフトの箱とか付属物もできる限り保存しておきました。

 今でも、たまに当時の資料をインタビュー等に持っていったりしていますけど、その影響が開花している感じですよね(笑)。
 SEGA AGES 2500に「ギャラリー」といって当時のマニュアルやチラシを閲覧できる項目があったんですが、始めた頃はほとんど私物を使っていました。

──奥成さんの物持ちの良さは、お父さんの影響が大きかったのですね。

奥成氏:
 ですね。父は“人の繋がり”というか、コミュニケーションも大事にしていて、私が友達を家に招いて徹夜で語り合ったりテレビゲームしている……なんていうことにも肯定的で、たまに会話に加わったりしながら興味を持って見守っていました。おかげで自然と友人たちがよく集まるようになっていったんですよね。

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──最初に所有したゲームは何だったのでしょう?

奥成氏:
 そこはもうやはり、任天堂の『ゲーム&ウオッチ』ですね。いわゆる電子ゲーム、LSIゲームです。流行ってきたときに『ファイア』を買ってもらって。

 小学校内で瞬く間に流行って、「俺はボールだ」、「俺はバーミンだ」と、それぞれ分担するみたいに買っていくんですよ。他にも、その当時に流行っているものは友達の誰かしらが買ってもらっていたので、貸し借りしたりして楽しんでいましたね。

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任天堂が1980年代に販売した電子ゲーム『ゲーム&ウオッチ』より『ファイア』。奥成氏もこのラインナップから「ファイア」を購入していたそうだ
(画像は社長が訊く「ゲーム&ウオッチ」より)

──なるほどー。

奥成氏: その頃から、いよいよテレビゲームの時代がやってくるんですよね。任天堂の「テレビゲーム15」とかです。
 エポック社が1981年に発売した『カセットビジョン』もありましたけど、高かったので私が買うことはなくて。

 最初に我が家にやってきたテレビゲームは、それより少し前の任天堂の『ブロック崩し』でした。家のテレビでゲームが遊べるのすごいなーって思った記憶がありますね。ずっと遊んでました。今でも実家にあります。

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 ちなみに、この頃には家庭用パソコンブームも並行してやってきているんですよね。JR-100(松下通信工業)とか、その前にもMZ-80(シャープ)とかもあったわけですけど、さすがに小学生だったので手は出すことはなかったです。

 それで……ファミコンやSG-1000が出る直前の1983年頃になると、いろんな会社からカセット交換式の家庭用ゲーム機がいろんな会社から発売されていったわけですが、そこで僕が「これだ!」と選んだのは……バンダイの『アルカディア』【※】だったんですよ。

──アルカディア!

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※『アルカディア』……1983年3月にバンダイが19,800円で発売した家庭用ゲーム機。同年7月にファミコンが発売される。

奥成氏:
 ファミコンの発売を横目に、セガハードも眼中になく(笑)。

──(笑)。

奥成氏:
 その頃、近所の駄菓子屋に、ある難しいゲームがあって。それがなんとアルカディアなら家で遊べるということをCMで知って買ってもらったんですよね。
 そのゲームが『ジャンプバグ』だったんです。開発がアルファ電子(後のADK)とコアランド、発売はセガのアーケードゲームですね。

──ここで奥成さんとセガの繋がりが!

奥成氏:
 とは言っても当時はセガだっていうことは意識してなかったですけどね(笑)。ちなみにアルカディア版ではなぜか『ホッピーバグ』っていう名前になって発売されていました。アルカディアに移植されていたのみでファミコンには出てなくて、「これはもうアルカディアを買うしかない!」となったんですよ。

 それからアルカディアでは、『超時空要塞マクロス』とか『機動戦士ガンダム』とか、『R2D タンク』とかコナミの『ジャングラー』とか遊びましたね。アルカディアはバンダイらしいキャラ物がある一方で、アーケードのマイナーゲームの移植が結構あったんですよ。
 当時はアーケードゲームが家でできるというのは花形でしたからね。

 そんなわけで、任天堂の『ブロック崩し』から、初めてのカセット交換式の家庭用ゲーム機は『アルカディア』だったんです。

 

──その頃は、駄菓子屋とかにあったアーケードゲームも結構やっていたのでしょうか?

奥成氏:
 そこが実は残念なところで、アーケードゲームはほとんどやっていないんですよ。その後も長く、アーケードでは見てるばかり自分ではやらない方で。
 1プレイにお金を使うよりも、貯金して物理で残る方がいいと思うタイプだったんです。

──体験よりも手元に残る物にお金を使う。

奥成氏:
 そうそう。お金を貯めて電子ゲームを買った方がいいって思って。ここは多分、同年代の他のゲーム好きな人と分岐しているポイントだと思うんですよね。『ゲームセンターあらし』も読んでいたけど、我慢して貯金してゲームを買う方になってました。

──その後も、ゲームセンターにはあまり行かなかったのですか?

奥成氏:
 高校生になって小遣いもそれなりにある頃にプレイもするようになりましたね。通学途中の駅前にインベーダーハウス上がりのタイトー系列のゲームセンターがあったんですよ。そこには毎日のように行っていました。

──タイトー系列だったんですねー。ここも意外とセガ系じゃない(笑)。

奥成氏:
 『メガドライブミニ』の収録ソフトとも話が繋がってきますが、『ダライアス』がありましたね(笑)。初めて見たときには「おー!」っとなりましたね。

 タイトー系ですからセガのゲームは全然入らなくて、『ダライアス』があって、『フルスロットル』があって、テーブルゲームも、タイトー、セタ、アイレム、アルファ電子といったタイトー系列に東亜プランとかテクノスジャパンとかカプコンのゲームがありました。
 そこで『ニンジャウォーリアーズ』『1943』をクリアしたり、いろいろ遊んでましたね。

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──なるほどー。ですが、この調子で行くと、奥成さんはタイトーやバンダイに憧れて入社するという世界線に……。

奥成氏:
 ですよね(笑)。セガハードに触れるのは当時のゲーム雑誌の『Beep』の影響なんですよ。家ではアルカディアを楽しんでいたわけですが、だんだんとソフトが発売されなくなっていって。そこにファミコンがブームになり始めて、“あの『ゼビウス』も家で遊べます!”という話が出てくるんですよ。

 それで、「これはファミコンを買わなければ」となって。しょうがないから、アルカディアから宗旨替えをしてファミコンを買うんです(笑)。

 ヨドバシカメラ横浜店で最初に買ったのですが、カセット3本を一緒に買うと安いということだったので、『ベースボール』『マリオブラザーズ』『ポパイ』だったかな。やっぱりアーケードのゲームが家で遊べるっていうのに惹かれて『マリオブラザーズ』がやりたかったんですよね。

──まだファミコンが大ブームになる前ですかね?

奥成氏:
 当時としてもヒットはしていたと思いますが、本当にすごかったのは『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)が発売されたときですかね。

 買うきっかけは友達の家で遊んだ『マリオブラザーズ』をやりたいというところでしたね。

──『マリオブラザーズ』からの『ゼビウス』という流れで奥成さんの心がファミコンへ。

奥成氏:
 なぜ『Beep』を読むようになったかというのも、創刊3号だったかな?『ゼビウス』の特集記事が巻頭にあったんですよ。それがきっかけで。

 それから毎月『Beep』を買うようになったのですが、そこにはパソコンのゲームもたくさん載っていて「こういうのいいなぁ……」と思いつつ、でした。パソコンは買わなかったので友達の家で『MZ700』とか『パソピア』とかをちょっと触らせてもらった程度でしたね。

 それで……、ある月の『Beep』に『対決!! 北斗の拳 ファミコンVSマークIII』っていう記事が載るんですよ!当時は週刊少年ジャンプの黄金期ですし、僕も毎週読んでいましたしから、「北斗の拳のこのゲーム、面白そう!」っと食いついて。

 そして、ファミコンからセガ・マークIIIに乗り換えるんです。

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奥成氏の人生を変えたゲーム雑誌『Beep』。この1986年9月号に掲載されている『対決!! 北斗の拳 ファミコンVSマークIII』によって、奥成氏がセガハードへ傾倒していくことになる。
(画像はBeep 1986年9月号 ビープ | 予約 | ゲーム雑誌 | 通販ショップの駿河屋より)

──先にハードを持っていたファミコンではなく、セガ・マークIIIへいくんですね。

奥成氏:
 『Beep』の記事ではその対決は引き分けとなっていたと思うんですけど、誌面だけでも明らかにビジュアルに差があったんですよね。これはもうセガ・マークIIIを買うしかないだろうとなったんです。

──そこでセガ・マークIIIを本体ごと。

奥成氏:
 そうです。放送作家の岐部昌幸さんとお話したときにもお見せしましたが、セガ・マークIIIを買ったときのレシートもありますよ。

 あったあった、これがセガ・マークIIIを買ったときですね。1986年の8月14日で、セガ・マークIII本体とソフトが3本。
 『テディーボーイ・ブルース』と『北斗の拳』と『ファンタジーゾーン』ですね。

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1986年8月14日の購入レシート。奥成氏が中学3年生のときにセガ・マークIIIとソフト3本を購入したときのものだ

──うわあ、レシートに『テディーボーイ』って品名が書いてある……!

奥成氏:
 セガ・マークIII本体が1万2,000円で、ソフト3本で1万円ぐらいなんですけど、店員さんと交渉して5,000円ぐらい割引してもらったんですよ。

──あ、本当だ!レシートにも割引5,140円って書いてありますね!

奥成氏:
 本体とソフトをセットで買うと元々割引きがあったところを、さらに引いてもらいました。これが中学3年生の時ですね。

──ここが奥成さんの人生を大きく変えたポイントだったわけですね。

奥成氏:
 そこがきっかけでしたねー。セガ・マークIIIを買って『テディーボーイ・ブルース』はあまりプレイしなかったんですけど、『北斗の拳』と『ファンタジーゾーン』はかなりプレイしましたね。

 その2本があまりにも素晴らしかったので、家に遊びにくる友達に「お前ら、このゲームすごいぞ!」って、エバンジェリスト(伝道者)となってすすめて。その結果、みんなセガ・マークIIIと『北斗の拳』や『ファンタジーゾーン』を買ったんですよ。

──ある時期、葉山のセガハード普及率が強烈に高かった時代が……!

奥成氏:
 (笑)。そうすると、もう僕は自分で『アレックスキッド』を買わなくてもいいんですよ! 友達とお互いに貸し借りすればいいので。
 僕は『阿修羅』を買って、友達が『アレックスキッド』を買いましたし、友達が『ダブルターゲット』を買って、僕が『スペースハリアー』を買いましたね。

──ファミコンカセットの貸し借りはよくある話ですが、セガ・マークIIIではなかなか……特殊な環境ですよね。

奥成氏:
 そんなことないと思うんですけどね−……。確かに、「当時セガ好きだったけど友達とは一緒に遊べなかった」っていう話をよく聞くんですけど、僕の周りは全然そんなことなかったんですよ。

──そんな世界線が……。それにしてもこのレシート、いっぱいありますよね。どれも当時にゲームを買ったときのものですか?

奥成氏:
 そうです。ヨドバシカメラのレシートには商品名にゲームタイトルがちゃんと載っているんですよね。それが「かっこいい!」と思って、嬉しくて。それで自分のものとして取っておくことにしたんです。

──このレシートは……『プロヤキュウ』と『アウトラン』とありますね。プロヤキュウは7,000円になっていますけど、ちょっと高いような?

“セガが好きすぎるセガ社員”奥成さんってどんな人? セガのやり過ぎ(!?)企画の裏につねにこの人あり!_023
真ん中のレシートは奥成氏がセガ・マークIII用の『ザ・プロ野球 ペナントレース』と『アウトラン』を購入したときのものだが、『ザ・プロ野球 ペナントレース』は友人の分も一緒に2本購入している。布教によりセガ・マークIIIをみんなが持っていたという世界は実在したのだ

奥成氏:
 これは『ザ・プロ野球 ペナントレース』ですが、確かに高い……思い出した!これは友達のぶんも一緒に2本買ってますね!

──2本分!なるほど電車賃とかもかかるから!

奥成氏:
 葉山から横浜のヨドバシカメラに行ってますからね。友達に頼まれていたぶんもまとめて買っているんですよ。

 このレシートは、僕の周りにセガ・マークIIIユーザーがたくさんいたことの証拠ですね!!

──証明された(笑)。

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