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『D.C.~ダ・カーポ~』制作者が語る“あのころ”──いいと思うものを認めてもらうために誰もが一所懸命で、何もないところから数年でアニメになる時代だった

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成長するヒロインを見せたくて、ファンディスクを出し続けた

──話をPCゲームに戻しますと、『D.C.~ダ・カーポ~』を盛り上げるアプローチとして、積極的なファンディスク展開が始まります。本編発売からわずか半年後に、第1弾として『D.C. White Season 〜ダ・カーポ ホワイトシーズン〜』が発売されました。
 その後も平成16(2004)年に『D.C. Summer Vacation 〜ダ・カーポ サマーバケーション〜』、平成17(2005)年には『D.C. Four Seasons 〜ダ・カーポ〜 フォーシーズンズ』と、ファンディスクをリリースされています。当時、美少女ゲームのファンディスクはほかにもありましたが、ここまで本数を出すような積極的な展開は珍しかったと思います。これにはどういう理由があったのでしょう?

tororo:
 ゲームを作るとき、いちばん時間がかかるのが「世界を創ること」なんです。「せっかく創った世界だから、また利用したいな」という思いがまずありました。それと、当時とても印象に残っていたのが『とらいあんぐるハート』(JANIS)で、この作品はファンディスクがとても売れていました。しかも後にはファンディスクから『魔法少女リリカルなのは』【※】という大ヒットコンテンツまで生み出してしまうわけです。この展開を見て、「アナザーストーリー集は出していかなくては」と自然に思っていたのはあります。

 それからこれは現在のソーシャルゲームと同じ考えかたなんですが、コンテンツに対するユーザーの接触頻度を高めたかったんですね。できる限り広告も打ち続けたいし、店頭に置き続けたい。
 それを考えたときに、アナザーストーリー集を継続的に発売するという方法を採ったんです。

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※魔法少女リリカルなのは……2000年に発売された18禁のPCゲーム『とらいあんぐるハート3』のファンディスク、『とらいあんぐるハート3 リリカルおもちゃ箱』に収録されていた「魔法少女リリカルなのは」に由来するスピンオフ作品。
 2004年にはテレビアニメ化に至り、劇場アニメ化、コミカライズ、ゲーム化など、現在も続くヒットコンテンツとなっている。
(画像は 魔法少女リリカルなのは ポータルサイトより)

──当時は「やりすぎ」というような声が挙がることもありましたが、結果としてファンがより深く『D.C.~ダ・カーポ~』という作品を楽しむようになりましたよね。

tororo:
 ありがたいと思っています。これも時代性だったのかもしれませんが、この時期はファンが「キャラがかわいい」、「エロい」という単純な部分だけでなく、そのキャラが紡ぐ物語やキャラクター性の深まりとサーカスがどこまで成長するのかを、とても楽しみにしてくれていたというのはありますよね。それが『D.C.~ダ・カーポ~』という作品をここまでにしてくれたのかもしれません。

──それにしてもたくさんのコンテンツがリリースされました。

tororo:
 先ほども言いましたが、リリースすることによってお客さんは「買う」か「買わない」かという選択肢を持てます。でも出し続けないと、その選択肢すら生まれない。「ならば出し続けなければいけないよね」というのが最初なんです。

 僕たちは「ヒロインが実際にいる」という前提で、彼女たちの物語を紡ぎ続ける。そうすることで、ヒロインは生き続けるだけじゃなくて成長していくんですよね。
 それを見たいかどうかは、お客さんに決めてもらえばいいんだけど、どうせなら見てほしいじゃないですか。なんならお客さんを集め、その場で物語を書いて見せたいくらいのスピード感で出したかったんです。もちろんそれは無理なので(笑)、ゲームだけじゃなく、マンガやアニメなど、さまざまなメディアで『D.C.~ダ・カーポ~』を提供し続けていたんです。

大ヒットの続編『D.C.II~ダ・カーポII~』の一方で、実感し始めた市場の悪化とセールスの限界点

──そして4年後の平成18(2006)年に『D.C.II~ダ・カーポII~』が発売されました。この年はある意味で美少女ゲーム市場のピークと言える時期ですが、現場ではピークという感触を持たれていたんですか?

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『D.C.II~ダ・カーポII~』

tororo:
 正直、限界を感じていました。PCゲームという場では、どんなに頑張っても100万本というセールスが無理なのは見えていた。だから「いまやっていることを後継者に受け渡し、次の何かを探さなければいけない」と焦っていましたね。
 たぶん僕は、つねに新しいことをやりたい人間なんです。もちろんいまになれば継続する大事さもより理解していますが、そのころは、『D.C.~ダ・カーポ~』を続けることに、言葉は悪いですが「飽きて」いて。それで現状を打破するために雨野智晴にディレクターを任せたんです。

──なるほど。とはいえ『D.C.II~ダ・カーポII~』も大枠はtororo団長が作られたんですよね?

tororo:
 そうですね。最初に決めたのは、前作のヒロインの孫世代が活躍する作品にしようということでした。子どもの世代だと、前作の登場キャラが親──つまりおじちゃん、おばちゃんとして出てきてしまうから、作品世界に没入しにくいと思ったんです。でも、「おじいちゃん、おばあちゃんなら許されるかな」と。その世代なら、出さないこともできますしね。

──なるほど、そういうことだったんですね。

tororo:
 僕の好きな歌に、谷山浩子さんの『恋するニワトリ』というものがあるんですが、風見鶏に恋したニワトリが、ひとりで卵を産む歌詞なんですね。物語としては、それがとても頭に残っていたんです。
 『D.C.~ダ・カーポ~』で純一と音夢がくっついてハッピーエンドを迎えたんだけど、やっぱりさくらはそんな世界は嫌なんです。それで自分の命を削ってまで魔法で、義之という自分と純一の子どもを生むのですが、やっぱりどうにもならないわけですよ。それでさくらは自分の魔力が尽きて死んでしまう前に、純一に義之を預ける……という話を考えたんです。

 詳しくはゲームを遊んでほしいんですけど(笑)、そうして生まれた歪んだ世界線を、ヒロインたちの愛の力で正常に戻すわけです。そこまでプレイしたときに、「もう一度さくらさんの最初のころのセリフを聞いたらどう感じるか」、「主題歌を聴いたらどう感じるか」というのが『D.C.II~ダ・カーポII~』でやりたかったことのひとつなんですね。

──飽きたと言っているわりには、いろいろ考えているじゃないですか(笑)。

tororo:
 まあ、そうなんですけどね(笑)。
 それともうひとつ、「キャラクターの横の繋がりをしっかり作ろう」と心がけました。これはディレクターの雨野智晴がいちばんこだわったところです。そういう部分が、前作のヒットでお金もあったので、きっちりやり切れたというのが『D.C.II~ダ・カーポII~』ですね。

──スタッフは本当にいい作品を作っていたと思います。そのスタッフたちの姿を見て、tororo団長はどのように思われていたんでしょう?

tororo:
 僕としては『D.C.II~ダ・カーポII~』は任せてしまったんだけど、そうやって一所懸命作っているのを見たら、「こりゃ、売らなきゃいかん!」という気持ちになりますよ。ですので「いかに売るか」を考えるようになりました。そういう意味では99%プロデューサーとして作品に向き合うようになったのは、この『D.C.II~ダ・カーポII~』からですね。

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──たとえば『D.C.II~ダ・カーポII~』では、メインヒロイン3人に新人声優を抜擢しました。作品作りだけでなく、人作りのような部分を意識されたりもしたんですか?

tororo:
 どうなのかなあ。ただ、自分の中では、サーカスの一本目から「有名なクリエイターを使って作品を作る」という意識はまったくなく、作品ごとに若い力を結集して、それでも勝ち続けるようなやりかたを考えていたんです。その意味で『D.C.II~ダ・カーポII~』は最初からアニメ化まで見えていたので、新人声優をそこまで成長させようという思いもありました。
 結果がどうなったかは、皆さんご存知だと思いますが……自分の思いだけでは難しい部分はありましたね。

──とはいえ、あの3人は発売前の全国イベントに同行するなど、さまざまな形で活躍されました。

tororo:
 その部分は考えていましたね。『D.C.II~ダ・カーポII~』では最初から全国巡業や発売前イベント、Webラジオなどに声優を起用するつもりでしたから、制限のある既存の声優ではなく、いろいろやってくれる新人を起用し、ファンも巻き込んで一緒に盛り上げていきたいというのはありました。

──『D.C.II~ダ・カーポII~』は、その後6年にわたり、さまざまな展開でファンを盛り上げていきます。しかしその時期は、美少女ゲーム市場が下り坂になっていく時期と一致しています。『D.C.~ダ・カーポ~』関連でも、そうした影響は感じられましたか?

tororo:
 たとえばアニメのDVDの売り上げなどはから、「やはり落ちてきているな」という実感はありました。リーマンショックが平成20(2008)年にあり、『D.C.II~ダ・カーポII~』への影響はそこまで大きくありませんでしたが、それ以外のサーカス作品の売り上げを見ていると、「やはり落ちているな」と。

──リーマンショックは、サーカスにまでも陰を落としていたんですね。

tororo:
 逆に言えば、そのまま『D.C.~ダ・カーポ~』を作り続けていればお客さんとの循環を続けられたと思うんです。
 でも、僕が市場の流れに焦ってしまい、「これからはオンラインの時代だ」と、ドワンゴさんと一緒に作ったメタバースの『ai sp@ce』【※】に『D.C.II~ダ・カーポII~』のメインスタッフをつぎ込んでしまったんですね。
 結果としてこの判断が状況を悪くしてしまったのかもしれません。ブレずに『D.C.~ダ・カーポ~』シリーズの制作は続けるべきでした。

※ai sp@ce
ドワンゴ、ヘッドロック、ビジュアルアーツ、サーカスが協業して設けたメタバース(仮想空間)で生活を楽しむサービス。2008年にサービスを開始し、2011年に終了している。

──危機感を、過剰に感じてしまったと。

tororo:
 じわじわと追い込まれているような焦りを感じていたことと、やっぱり『D.C.II~ダ・カーポII~』で僕がパッケージソフトというものに飽きを感じていたというのも影響したんだと思います。
 プロデューサー募集などをしたのですが、そう簡単には人材は見つかりませんよね。敏腕社長が引っ張る大企業だって、後継者問題に悩んでいるところは多いですから。

──tororo団長が考える美少女ゲームのプロデューサーとはどんなものなのでしょう?

tororo:
 言葉にするのは難しいんですが……僕のスタイルで言えば、「どうやってコンテンツの価値を上げるか」を考える人だと思います。価値を上げるためには、「供給を減らす」方法と「需要を増やして拡大する」方法がありますが、僕の基本的な考えかたとしては「拡大しながら、価値を上げる」というところになるんだと思います。

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──それはかなり難しいお仕事ですよね。

tororo:
 とくに難しいのは、「僕は新しいことをやりたいけれど、お客さんは安定感を求める」というところなんですよ。
 実際に『D.C.~ダ・カーポ~』以外のコンテンツもいろいろと作ってはみましたが、やはり同じようなものが人気になるわけです。だから「『D.C.~ダ・カーポ~』というコンテンツを広げたい」という自分と、「新しいことをしたい」という自分が乖離してしまっていたのかもしれません。

──その乖離を整合させることはなかなか難しいそうです。

tororo:
 そこに「とことん金儲けをする」みたいな目標があれば溝は埋まるんでしょうけど、僕の場合はそこまででもなかったんですよね。だから新しいことにチャレンジしたくなる。

 でも、たとえば喫茶店でいちばん大事なのはおいしいコーヒーなんですよ。突飛なメニューを用意して、一時的にお客さんが増えても、最終的に評価されるのはおいしいコーヒーを出し続けているかどうか。いまなら理解できる理屈なんですけど、当時は若く、そういうことが解っているようで解っていなかったんです。

──とはいえ、『D.C.~ダ・カーポ~』や『D.C.II~ダ・カーポII~』は、大きなヒットとなった作品であることに間違いありません。この2作の発売が、美少女ゲーム業界、一般アニメやゲーム業界に与えた影響は少なくないと思います。

tororo:
 「埼玉の僻地で、まったくお金がないところから数年でアニメになるようなものが出来る!」 そんな夢を後輩のクリエイターに示せたのかなと思います。そこからはインターネットの時代になり、よりその流れは加速していることでしょう。

 ただ、ネガティブな影響を与えてしまったとも感じています。というのも、『D.C.~ダ・カーポ~』のフォーマットはわりと真似やすいものだったので、その後の美少女ゲーム市場で「学園ものならなんでもいける!」というような風潮を作ってしまった印象があるんですよね。
 それを感じたときに、「これはよくないな」と。「この流れが強くなりすぎると、結果的に自分たちの首を絞めるんじゃないかな」と感じていました。

やりきれなかった『D.C.III~ダ・カーポIII~』──シリーズ展開にいまも感じる後悔とは……

──そして平成24(2012)年に『D.C.III~ダ・カーポIII~』が発売になります。この作品が、tororo団長のシリーズ最後のプロデュース作品となるわけですね。

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『D.C.III ~ダ・カーポIII~』

tororo:
 じつはその前に、一度「プロデューサー引退宣言」をしているんですが、やはり「この作品まではやらなきゃダメだろう」ということで、引退を撤回するんです。宮崎駿さんみたいですね(笑)。

──確かに(笑)。tororo団長にとってそれだけ『D.C.III~ダ・カーポIII~』に思い入れがあったわけですよね?

tororo:
 『D.C.III~ダ・カーポIII~』には、「これまでのシリーズを大団円に持っていく」というテーマがあったんですが、そこをやり切れたかというと、やり切れていない思いがあるんですよね。「プロデューサーとして、これまでにやったことのないことをやろう。売り上げは落ちるけど挑戦してみよう」と、この作品は一般作としてリリースします。そこが僕にとってのモチベーションになってはいたんです。

 ただ、このとき現場は、『D.C.ZERO~ダ・カーポZERO~』という企画を進めたかったんですよね。それをプロデューサーの意向で『D.C.III~ダ・カーポIII~』にしてしまった。
 そういう部分で、ディレクターの雨野智晴にストレスを与えてしまったのかもしれません。彼からすれば「『D.C.III~ダ・カーポIII~』は違うディレクターでやるって言っていたじゃないか」という思いもあっただろうし。

──新しいスタッフで作るという約束があったんですね。

tororo:
 そうです。ただ、『D.C.III~ダ・カーポIII~』を一般作にすると決めた段階で、「売り上げを考えれば新しい人に任せるのが難しい」という判断を、プロデューサーの都合でしてしまったわけです。
 もちろん雨野智晴に一般作の『D.C.~ダ・カーポ~』を作る経験をさせたかったというのもありましたが、彼としてもいちばん作りたいものが作れなくなってしまったわけで……。

──後悔していますか?

tororo:
 いま思えばですが、『ai sp@ce』に彼らを投入せず、『D.C.ZERO~ダ・カーポZERO~』を「作らせてあげればよかったかな」と。そうすることで、『D.C.III~ダ・カーポIII~』も想定していたものになったのではないかと思うんですけどね。

──別の形をした『D.C.III~ダ・カーポIII~』の構想があったんですね。

tororo:
 いまでも第5弾くらいまでの構想はあります。現状PCゲームを作る状況にないので作りませんが。

──『D.C.~ダ・カーポ~』が平成14(2002)年です。『D.C.II~ダ・カーポII~』が平成18(2006)年。
 つまりあいだに4年ありますが、これと同じスパンで平成22(2010)年に『D.C.ZERO~ダ・カーポZERO~』を出し、平成26(2014)年に『D.C.III~ダ・カーポIII~』を出すような流れもあったのかもしれませんね……。

tororo:
 セールスがどうなるか判りませんが、そうであれば「もう少しみんな幸せに作品作りに取り組めたのかなあ……」と思います。いま思えば、自分の未熟さですね……。

──ひとつひとつの選択は、そのときに最善と思って選んでいるわけですから、選んだ道でなければ、またいまに続く形にはならなかったわけで。ただ、冒頭にお話をされていましたが、人気の高い美少女コンテンツから「生身の感覚」が希薄になっていくのは、時代の趨勢なんでしょうね。

変わりゆくアダルトソフト──ファン目線で見られる『D.C.4~ダ・カーポ4~』への期待

──そんな中で、令和の美少女ゲーム業界やそれに関わる人はどうなるんでしょうね。

tororo:
 僕自身は、小賢しくなりたくはないというか、やっぱりバカでありたい。年齢を重ねると人生の着地点を考えたりもするんですが、せっかく僕は『D.C.~ダ・カーポ~』を作って来たんだから、ちゃんと咲いてちゃんと散る桜の花のように、そういうバカでありたいと思います。

 業界全体を見ると、たぶん向こう5年や10年は、もっとコンテンツの価値が下がっていくと思います。生み出されたものがネット上で共有されることで、ほぼタダのようになっていく。
 そうなると「コンテンツ」ではなく、「体験」にお金を払うようになるわけで、3Dとバーチャルによるエロが先鋭化していくでしょうね。つまりよりリアルな欲求を満たす方向に進むのではないでしょうか。

──具体的にはどういうことでしょう。

tororo:
 これまで美少女ゲームは、二次元の美少女がいて、そこに物語があり、そしてエロがあった。でも、その物語とエロが分離し、オタク趣味は物語とキャラ性で充足され、エロはバーチャル風俗のようなものになるのかなと思うんです。
 たとえばいまのアイドルのファンって、かわいい女の子が頑張っている物語を愛でているわけですよね。もちろん裏ではエッチな気持ちもあるんでしょうけど、そこはそれほどダイレクトには繋がっていないわけです。

──その結果、切り離されたエロの部分が、よりリアルな欲求を満たすものになっていくというわけですね。

tororo:
 だから今後エロがデジタルで生き残るとすれば、3Dしかないわけです。2Dはどちらかと言えば、アートとして生き残るようになる。「そういう時代になるかな」と思っています。

──令和の今後、tororo団長は美少女ゲームに関わる予定はあるのでしょうか? そして……もう一度『D.C.~ダ・カーポ~』を作ること可能性はあるのでしょうか?

tororo:
 じつはこの度、『マブラヴ』の統括プロデューサーに就任しまして!ですので、そこから新しくいろいろ仕掛けていこうとは考えていますね。10月22日に発表したのでアーカイヴでも見てください!

 『D.C.~ダ・カーポ~』については判りませんが、今度『D.C.4~ダ・カーポ4~』が発売されますよね。この作品には主題歌でしか関わっていないので、初めてファンに近い目線で楽しむことができるんです。そうしたら、もしかすると「作りたい」という気持ちになるのかもしれません。

 たとえば『D.C.~ダ・カーポ~』は、僕の思いを込めて作りました。それは「恋8:愛2」というような割合だったわけで、いまの僕にはそういう作品は作れません。
 でも、いまは結婚して子どもも生まれ、「愛8:恋2」のような作品を作れるようになったようにも思えるんです。機会があれば、そういう作品を作りたいと思いますし、それが僕にとっての新しい『D.C.~ダ・カーポ~』になるのかもしれません。(了)

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 平成14(2002)年にシリーズがスタートした『D.C.~ダ・カーポ~』は、tororo団長の、「美少女ゲームをもっと外に広げ、たくさんの人に認めてもらいたい」という想いのままに、平成の後半を貫いて人気を獲得し続けるほど、多くのファンに愛される息の長い作品となった。

 その人気の理由は、作品の質はもちろんだが、全国を巡るプロモーションのツアーだったり、ファンとの交流会だったり、あるいはライブイベントだったりなど、tororo団長のプロデューサーとしての手腕によるところも大きい。
 またその一方で、取材が進むにつれ、作品からも滲み出るtororo団長の「自分の気持ちへの素直さ、誠実さ」にもあるのかもしれないと感じた。

 『D.C.III~ダ・カーポIII~』をもって、シリーズからは離れることになったtororo団長だが、つぎは『マブラヴ』の統括プロデューサーに就任するとのこと。過去にtororo団長によって発案され、その後の美少女ゲームのプロモーションでは定番となった仕掛けも多い。
 『マブラヴ』でも、多くのファンに長く愛される仕掛けを見せてくれることだろう。

 ただ、tororo団長の言葉の端々に、消えない『D.C.~ダ・カーポ~』への情熱を感じたのも事実。そう実感できるインタビューだからこそ、tororo団長が作り出す今後の作品から目が離せない。

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 美少女ゲーム業界参入当初はシナリオライターとプログラマーとしてゲーム制作の最前線にいた馬場氏だったが、1992年から美少女ゲーム会社としては初の試みとなるフランチャイズ制を敷くことで経営に専念。
 独自で斬新な経営アイデアで美少女ゲーム業界をリードしてきた馬場社長だからこそ見えている美少女ゲームの30年というものがあるはず。美少女ゲーム隆盛の平成年間をどのように駆け抜け、そして今後の展望をどのように考えているのか。

取材・書き手
『D.C.~ダ・カーポ~』制作者が語る“あのころ”──いいと思うものを認めてもらうために誰もが一所懸命で、何もないところから数年でアニメになる時代だった_024
1998年、美少女ゲーム業界新聞「PC NEWS」編集部へ。以降、経営者やシナリオライター、原画家、声優、シンガーなどなど美少女ゲーム関係者のインタビューをとりつづけて20年以上。現在は美少女ゲーム紹介ウェブ番組『電脳妄想開発室』の企画・制作も担当。
Twitter:@kontoshi

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