ほぼゼロの状態から、リリース1ヶ月で広告事業と同等の売上を記録。騒然とするグリー社内
──でも、良い意味でその社内の注目を浴びる訳ですよね。その時はどのような様子だったのでしょう?
比護氏:
なんか社内が騒然となったのは、すごく覚えていますね。
吉田氏:
オフィスの端っこで働いていた僕らの席が、だんだんと中央になっていって……(笑)。
気が付いたら、社内の雰囲気がどんどん「モバイルゲームに寄せろ-!」みたいな感じで、「ゲームやれー!」みたいになっていきましたね。
比護氏:
売上が急激にビーって伸び始めて、みんなが「やべぇ!」という顔をしていましたね。
吉田氏:
モバイルでの課金って当時は毎月ほぼゼロに近い状態だったんですが、1ヵ月目でいきなり広告事業と同じぐらいの売上になったので、社内的には「何が起きているの?」みたいな、そもそも「システムがなにかおかしいんじゃないか!?」とか、そういう反応が多かったですね。
僕らもイメージとしては、「クリアまで30日ぐらいかけてゆっくりとプレイするものだろう」と思っていたんですよ。
そうしたら、1日でもう全部クリアする人が出てきそうになって。「1日何時間プレイしているの、嘘でしょ!?」みたいな。
自分たちが思っている以上にガラケーで熱狂してゲームを遊んでくれる人たちがいるということが分かったし、それに対してお金を払おうって思ってくれる人がいるのも分かって。
──グリーのSNS(以下、GREE)に広告や告知を出して、ユーザーさんにアピールしていたんですか?
吉田氏:
最初はSNSの無料ゲームのコーナーの中に入れていました。『釣り★スタ』では釣った魚を「魚拓」として画像にできたのですが、それが一番反響が良かったですね。
その魚拓画像をユーザーさんがGREEのブログにどんどん書いてくれて、ゲームをやってなかった人も「何これ?」となって入ってきてくれたんです。勢いが出てきてからは、GREEのトップにも載せてやっていこうと変わっていった感じですね。
──リリース当時は、会社やプラットフォームの後押しみたいなものはそんなに強くない状態で始まったんですね。
吉田氏:
そうです。サーバーの心配をするような自信も全くなかったぐらいでしたから。
比護氏:
でも、サーバー落ちたよね。
吉田氏:
もう頻繁に落ちてましたね。
比護氏:
「設計が悪い!」って、CTOも怒って(笑)。
吉田氏:
「なんでこんな仕組みなんだよー!」って。
比護氏:
「ちゃんと作れよー!」って言われてね(笑)。
吉田氏:
こっちからすると、「3人で2~3ヵ月で作っているんで、しょうがなくないですか」みたいな感じで(苦笑)。
しかも、リリースの1週間ぐらい前までは、ゲームが全く動いてなかったですからね。バックエンドのサーバーサイドが全くできてなくて、リリース前はずっと徹夜で作ってましたよね。
──当時、『釣り★スタ』のユーザー層などのデータは見られていたんでしょうか?
吉田氏:
いや、最初はそういうものは見られていなかったですね。1ヵ月目は売上がものすごく良かったんですけど、2ヵ月目にはガッツリ減ったので、そこで初めてデータを見ようとなったんです。
それを見て「なんだ、一瞬で終わりかー」みたいに思ったんですけど。
当時は、今だと当たり前になっている“継続して使ってもらっている割合”とか、“2ヵ月目でどれくらい遊んでいるか”といった数字を見るという考えが一切なかったんですよね。で、2ヵ月目の売上が減ったときに、そういうのをちゃんと見ないと分からないよね、と。
結果、1ヵ月目は新規ユーザーさんがついて、2ヵ月目も継続して遊んでいるユーザーさんは多いけど、2ヵ月目は新規ユーザーがあまりなかったというだけだったんです。
あと、1回ゲームをクリアしちゃうと、2ヵ月目もある程度遊べちゃうというのもあって。
なので、2ヵ月目からはユーザーさんのデータをちゃんと取るようにして、どのタイミングでゲームを始めて、どういう属性の人で、これまでにグリー関連でどのような行動をとっていたかというのを、全部データベース化してExcelにまとめて。それを見ながら「ここが課題だね」というのを話し合い始めた感じでしたね。
──2ヵ月目からそれをやり始めたんですね。
吉田氏:
そうなんです。というのも、1ヵ月目の売上を見て社内のみんなはめちゃめちゃに歓喜していたんですけど、2ヵ月目で下がったのを見ると……罵倒ですよね(笑)。
「お前らのせいで会社が潰れる」みたいなことを言われて、「いや、そういわれましても……」みたいな。
「どうするんだー!!」ってすごい言われて、「わかんないですけど、売り上げ減っているんですよ」みたいな話をしてましたね。
比護氏:
あはは。みんな勝手だよねー(笑)。
日陰者から一転、『釣り★スタ』がグリーの希望の光に
吉田氏:
それで、月額課金をやっていたサイバードとかだとこういう風に継続率の数字とかを見ているんですよという話を聞きつけて、「急いで集計しろっ!」と、CTOがデータを出してまとめて。「あ、こういう状態だね」というのが分かって落ち着いて。
同時に、当時の『釣り★スタ』は「川編」だったので、「急いで続編を作れ!」みたいにも言われて。
「僕たちはこれから2ヵ月に1回のペースで続編を作り続けるのかな、それはやりたくない、そんなの嫌だ」って思って。
じゃあ、毎月やれるゲーム内イベント的なことをやって盛り上げて行きましょうと話をして。それで大会の機能とか、ツアーって呼ばれる毎月リセットされるものなど、周辺の機能を増やそうということにしていったんです。
──今のソーシャルゲームのイベント運営みたいなものができていったんですね。
吉田氏:
『釣り★スタ』がヒットしたことで、先ほど話に出たニックネーム制のSNSへの移行とアバターの導入も決まって。こっちに賭けましょうとなっていったんです。
ペットサービスの『踊り子クリノッペ』【※】というものもリリースして、仮想的な世界を作っていきましょうという流れになっていきましたね。
──全面的な風向きが変わったんですね。比護さんから見てその時の景色はどんな感じに映っていたのでしょう?
比護氏:
僕は本当にあまりにも無知だったので、誰かが「これ、グリーのキラーコンテンツじゃないすか!」みたいに言われたんですけど、「キラーコンテンツってなに……?殺し屋……?」みたいに思って(笑)。それぐらい専門用語とかも全然知らなかったんですけど。
僕からするとみんな浮き足だっていて。僕は、ゲームって娯楽だから、ひとつ上手くいっても謙虚な気持ちでやっていかなきゃいけないって思っていたんです。そんなに大騒ぎしないでほしいと思ってました。
吉田氏:
「これに賭けてみよう」みたいな空気にはなりましたよね。会社としてベットすべき案件になったというか。
普通にやっていてもライバル会社を越えることは絶対にできないし、後追いでSNSをやっていても、この先は絶対無理だという。先が見えない中で、もしかしたらここに先があるかもしれないというような空気だったんです。
比護氏:
希望の光みたいな。
吉田氏:
そうそう。ワラをも掴む気持ちでこれに賭けたいねというようなね。
比護氏:
そうなんだ。そういう状況だったのも僕はあんまりわかってなかったから。
吉田氏:
ベンチャーですからね。社内のリソースを全振りしましょうという感じになりましたね。
当時『クリノッペ』を作っていたのは、現在コロプラの社長の馬場功淳さんで、アバターをやってくれたのはコロプラの元取締役をされている吉岡祥平さんだったりして。
──マンガのトキワ荘じゃないですけど、そういうすごい人材が集中していたんですね。
比護氏:
馬場さんとのエピソードがひとつあって、一緒にすしざんまいに行ったことがあったんです。「今コロプラで位置ゲームを作っていて、サーバーを3~4台並べてやっているんだけど、これを事業として誰かに売るんだったら、100億だな」とか言っていて。
僕は全然そういう感覚が分かってないから「バカじゃねーの、この人?」って思ったんですよ。でも、あれよあれよという間に偉くなっちゃって、「僕がバカでした」となって。
──話を戻しますが、データを見るようになって、それでもチームの人数ってまだそんなに増えてないんですか?
吉田氏:
3人ですね。なので開発リソースも限られていますし、どんどん要素を追加しましょうと言われても、やっぱり全然できなくて。
ソーシャルゲームやモバイルゲームの後期はとにかく大量生産してましたけども、僕らのときはそんな方法は無理でしたね。
あと、闇雲にコンテンツやストーリーを追加して、ずっと終わらないものになるのを比護さんが嫌がっていたところもあったと思います。
比護氏:
うん。
吉田氏:
ゲームのコアの部分はシンプルでいたいと。それもあったので、「じゃあ、こういう風にしましょう」とか、「これで行きましょう」というのを3人で話し合いながらやっていましたね。
──その体制はいつぐらいまで続いたのでしょう?
吉田氏:
『釣り★スタ』に関わっていたのは、『ドリランド』を作り始めるまでですよね?
比護氏:
多分『釣り★スタ』は2~3年ぐらいでしたかね。2年半ぐらい。
吉田氏:
でも、『釣り★スタ』から1年後ぐらいには『ドリランド』を作り始めましたよね。
比護氏:
僕は『ドリランド』を作っていたときも『釣り★スタ』の運用を並行してやっていたから。
吉田氏:
そういえばそうでしたね。僕が『ドリランド』に行くときは誰かにプロデューサー的なことをやってもらって、僕は『ドリランド』と『釣り★スタ』を両方見ながらやっていたという感じでしたね。
──『釣り★スタ』から次に『ドリランド』を作っていくときに、『釣り★スタ』でつかんだ経験から「次はこうしよう」と考えたことはありましたか?
吉田氏:
あまりそういう余裕がなかったというか……。
当時の社内で一番大きかったのは、“ゲームそのものを大きく変えることなく横に展開できないか”という考え方だったんです。
『釣り★スタ』の場合はミニアクションゲームっぽい要素と何かを集めるというコレクション要素とでできていて、『クリノッペ』の方は育成要素とコレクション要素のある女性向けとして、というような。
僕らも、全く新しい遊びをまたもう一個生み出して、またヒットさせるなんていうのは、そんなに簡単なことではないと思っていて。
最初は「競馬ゲームを作りましょう」なんていう話もしていたのですが、それをやっても当たらないでしょ、当たる方がいいでしょみたいな、やり取りをしていました。
横に展開したからといって、そんなに簡単に上手くいくわけはないですし、ゲームをナメていたんだと思うんですよね。
もっと上手い人がやったなら、それでも上手くできたのかもしれないですけど、僕らはそうではなかったというのがありますね。
「当時の僕らはゲーム会社ではないし、本格的なものは作れないからこそ、友達同士の熱量を活性化することが大事だと思っていた」
──実は少し前に『怪盗ロワイヤル』の取材もさせて頂いたんです。そこでうかがったお話からは、当時の思考としては、まずプラットフォームがあって、その「コミュニティを活性化させるためのゲーム」だったんだなぁという印象があったんです。『釣り★スタ』もそういう位置づけでした?
吉田氏:
それはまったく同じですね。当時の僕らはゲーム会社ではなくて、SNSを中心に、その周辺を彩るような形でやっていって、最後はやっぱりSNSに集約していくようにしていました。SNS上にコミュニティをどうやって作っていくかということを大事にしていましたね。
ゲームのサイクルの中には何かしらSNSの機能を組み合わせて、コミュニティを活性化させるとか、友達同士で何かするという機能を必ず入れようというのがルールでした。
SNSのプロフィールページも、最初は写真とかブログしかなかったところが、ホーム画面のプロフィールやアバターの下に、「釣りに行く」とか「ペットを育てる」とか「探検に行く」というようなボタンをつけて。
ディズニーランドじゃないけれど、そういう仮想世界を作ろうというのが、目指していたところですね。
──昨今はプラットフォーム要素よりゲームに寄っているところがあるのかな、と思うのですが。やはり作る動機がゲーム会社とはそもそも違うな、という感じですよね。
吉田氏:
そうですね……。これは僕の個人的な意見ですが、例えば『ファイナルファンタジー』とか『ドラゴンクエスト』みたいな、ひとりで遊んで自分の妄想がどんどん膨らんで遊び込んでいけるようなものというのは、とてもじゃないけど当時の僕らには作れなかったんです。
でも、ソーシャルゲームは人が絡めば絡むだけ変動が出てくると思いますし、そういうコミュニティ性やその結果で発生するランダム性が大きく作用して、ひとりずつ体験が違っていた遊びだと思うんですね。
それら全部を含めてのゲームであれば、すごい大作ではなくても長く遊び続けられるし、人の生活の会話に入り込める要素としても、一番大きいだろうなと思うんです。
お昼ご飯のタイミングとかにサラリーマンの人とかがGREEのゲームをやって、最初はクローズドな世界でしか会話していなかったところが、それがだんだんとリアルな世界に溢れ出して、昼食を食べながら大会に参加したり、同僚とタッグを組むとかをやっているのを見かけました。
当時の僕らはゲーム会社ではないし、本格的なものは作れないからこそ、そういう友達同士の熱量を活性化することが大事かなって思っていたんです。
──なるほど。おふたりとも、オンラインゲームはやっていなかったんですか?
吉田氏:
やったことないです。
比護氏:
僕もないですね。
吉田氏:
あ、いや。ありました。『東風荘』【※】をやってました!
※『東風荘』
1997年にフリープラグラマーのmjman氏よりリリースされたオンライン麻雀ゲーム。ダイヤルアップ接続の時代に人気を博したが、2018年末にサービスを終了した。
──オンライン麻雀の『東風荘』! 懐かしいですね。では、吉田さんも比護さんもオンラインゲームに課金した経験はなかった?
吉田氏:
ないです。当時はクレジットカードとかも持ってなかったですから。本当に安い給料でしたからね(笑)。
──となると、先ほどの“友達同士の熱量を活性化する”というイメージはどういう体験をベースにして生まれてきたのかが興味深いですね。
吉田氏:
僕だと、ゲームボーイで最初の『ポケットモンスター』が発売されたときに友達と通信ケーブルで繋いで対戦したりして。その様子って背中越しから見ているだけでも面白かったんですよね。
家でひとりでコソコソやっていたゲームボーイの世界が、『ポケモン』によって、ワッと広がった感じがしたんです。『ポケモン』はそこから日本中でブームになっていきましたし、ゲームって単体でひとりで満足するものよりも、話のネタになるみたいなものの方が、遊んでいて楽しいんじゃないかと思うんです。
僕たちが作ったゲームは、そのネタの提供だと思っています。
──『ポケモン』を友達と遊んでいた原体験からの発想だったんですね。
吉田氏:
そうだと思います。でも実は、学生時代にソニー・コンピュータ・エンタテインメントを受けたときに送った企画書は、オンラインゲームだったんですよ。レゴをオンラインでやれるようにしましょうみたいな。
──『マインクラフト』じゃないですか。
比護氏:
さすが。
吉田氏:
そうなんですよ(苦笑)。
比護氏:
でも、「俺もマイクラみたいなの考えていたんだよ!」という人、世の中に死ぬほどいるよ、きっと。
吉田氏:
たしかに(笑)。でも、多分そういうジャンルが当時から好きだったんだろうなって思うんですよ。
いろんな街を作って、そこに人がたくさん行き交っているとか。だからSNSとかブログとかコミュニティが好きでしたしね。
比護氏:
大成くんは『釣り★スタ』を出してすぐに、「大会」とかの“人と一緒に遊ぶ機能”にすごくこだわっていたんですよ。
僕はあんまりそういう感覚が分からなかったので、「こいつ、ただのリア充なんじゃないか」って思っていて。
吉田氏:
違う違う、全然そんなことないですよ!
比護氏:
何でもかんでもみんなで楽しもうみたいな。「良い人生を送ってきたんですね!」なんて思っていたんですけど、今の話を聞いて、ちゃんとそういう意図があったんだなって。感動しました(笑)。
吉田氏:
『釣り★スタ』のトップページにも「○万人参加中」という表示を出したんですよね。大会とかを始めると瞬間に劇的に増えていって。
最初は200人参加中ぐらいだったんですけど、月が変わるごとに1桁ずつ増えていって。気がついたら3~4万人ぐらいになって、「これって東京ドームで全員で『釣り★スタ』やっているようなものだよね」なんて言って感動してました。
それから1年後にツアーをやっているときだと30万人とか40万人になっていて、「これはもう東京都の~」みたいな例えになっていって。それを想像しているときが気持ち良くて、楽しかったです。ネットに人が集まっているのが好きですね。
──ニコニコ動画とかでは「お茶の間感を再現しよう」みたいな考え方があったりして、リアルの面白さをテクノロジーでどう作っていくかみたいなところがありますよね。
吉田氏:
人ってやっぱり誰かと話したいはずで、それは友達同士だったら一番いいですけど、でもあんまり趣味が共通の友達がいなければ、今だったらネットでも良いわけですよね。
それを実現したかったのがグリーだったし、そのためにゲームを作ったというのが一番大きいですね。
さっき話した『ポケモン』の光景みたいなものが理想ですが、『釣り★スタ』って当時、流行っているか流行ってないかがわかりづらかったんです。
隣の人が『釣り★スタ』を遊んでいるかどうかはパッと見では分かりづらくて。プレイしている人を傍から見ていても「メールでも送っているのか?」って思っちゃう。
これは今のスマホでも同じだと思うんですけれど、やっぱり「世の中みんながやっている」というのを作りたいですよね。
後ろから見てわかるというか。『ポケモンGO』とかはかなり分かりますよね。『釣り★スタ』の頃も、ああいう光景を作りたかったんですよ。
──なるほど。同じゲームを遊んでいる人を見かけると親近感が湧いたりしますしね。