いま読まれている記事

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け

article-thumbnail-200406d

1

2

3

 既存の携帯電話ゲーム市場が成熟化し、飽和状態に移行しつつあった2007年。SNSプラットフォーム上で提供され、友人とのコミュニケーションを取り入れたゲーム──いわゆる“ソーシャルゲーム”の日本における始祖と言えるゲームが、グリーよりリリースされた。

 スマホ以前の“ガラケー”の時代で登場したそれは“魚を釣る”というシンプルなテーマながら、“魚影に向けてマト当てのようにして釣る”という既存の釣りゲームとは一線を画すデザインによって、瞬く間に大ヒットタイトルとなった。

 それが、『釣り★スタ』だ。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_001
(画像は釣り★スタ – GREEより)

 そして、翌年2008年には『探検ドリランド』が登場する。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_002
(画像は探検ドリランド – GREEより)

 リリース当初は伸び悩んだ『探検ドリランド』であったが、レイドバトルをいち早くモバイルに持ち込むなど、2012年に大胆なリニューアルを施した結果、空前の爆発的大ヒットを巻き起こした。「ド・ド・ドリランド♪」という耳に残るCMソングがお茶の間を席巻し、一躍グリーの看板タイトルとなった。

 グリーという会社の舵取りをSNSからソーシャルゲームへと完全に切り替えてしまった『釣り★スタ』、そして『探検ドリランド』。

 実はこのふたつのゲーム、どちらもたった3人の同じ開発チームによって制作されたものだ。『釣り★スタ』にいたっては、入社後わずか3ヶ月で企画、その5ヶ月後にリリースというすさまじいスピード感で制作されていた。

 その2作を手がけた、グリー元取締役でありソーシャルゲーム黎明期のヒットタイトルの責任者であった吉田大成氏と、グリーにて両作品のゲームのコア部分を制作したエンジニアの比護賢之氏に、当時どのような考えでゲームを手がけたのか、どういう流れから両作品が生まれたのか、そして今それらを振り返ってなにを想うのか。詳しくお聞きした。

聞き手/TAITAI実存
文/山村智美
編集/実存

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_003
左から吉田大成氏、比護賢之氏

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_004

【第1回】『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け

【第2回】「怪盗ロワイヤル」狂想曲──ゲーム開発未経験のエンジニアが大ヒット作を作り上げるまで(仮)

「ド・ド・ドリランド♪」ユーザー数1,000万人越えの大ヒットタイトル誕生の頃

──『ドリランド』というと、やはりあの「ド・ド・ドリランド♪」というCMの歌を思い出すのですが、あれは比護さんが考案したとお聞きしました。

比護氏:
 一応そうです(笑)。当時、みんなが“『ドリランド』という名前を定着させたい”って悩んでいたので、「じゃあ歌っちゃえば? ドリドリドリドリドリランドー♪ とか」と言ったら、次に上がってきたときに本当に歌が入っていて。
 それを聴いたときには、「あの歌、本当に歌うんだ」って思いましたけどね(笑)。

──(笑)。そんな流れから生まれたんですね。

比護氏:
 みんなあのCMが大量に放送されていてうざいって言っていたよね。

──あの歌は耳に残りますしね。認知力がすごかったのでは。

比護氏:
 多かったですよね。

吉田氏:
 たしかに「うざい」とも言われたんですけど、あるマーケティング理論によると、“認知されないよりは嫌われた方がいい”と。
 どうしても認知の壁というものがあって、普通にテレビCMをやっても観た人のうち30~40%ぐらいに認知してもらえればいい方なんだそうです。
 だから、認知して欲しいからって凝ったCMを作っちゃうそうなんですよね。そうすると逆に要素が増えすぎて、認知度はさらに下がっちゃうらしいんですけど。

 なので、どんどん要素をそぎ落として、ひたすらにやり続けて、嫌いという声も出てくるぐらいの方が印象に残るという。

──なるほど。『ドリランド』はテレビCMが放映されて、ユーザー数が爆発的に伸びたわけですよね。『ドリランド』はテレビCMをやる前と後とではどれぐらいユーザー数が変わったのでしょう?

吉田氏:
 テレビCMをやる前だと600万人ぐらいでした。でも、テレビCMの放映後は、もう一桁変わるんですよね。
 テレビCM後は一気に1,000万人を越えていって、そこからは毎月、売上もユーザー数も異常な伸びをしていましたね。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_005
吉田大成氏

比護氏:
 あの時はみんな完全に浮き足だっていたよね。

吉田氏:
 いやぁ、浮き足だっていたというか……浮き足だっていましたね(笑)。

比護氏:
 なんか経営陣の人がどんどんスーツ姿になっていったイメージがある。

吉田氏:
 それは……みんながビジネスマンっぽくなっていったとかそういう話ではなくて、大きな会社さんにTシャツで行くのはマナー違反だということで、TPOをわきまえた格好をしていたんです(笑)。

──たしかにTシャツで行ったら、悪い印象を持たれてしまう可能性もありますしね(笑)。

比護氏:
 それは確かに(笑)。そっかー。

『釣り★スタ』、『ドリランド』プロデューサーの吉田氏、メインエンジニアの比護氏はグリーに同日入社

──今日は、まず『ドリランド』に至るまでのところからお聞きできればと思います。そもそもおふたりはグリーに同期入社されているんですよね。2006年の10月に入社ですか?

吉田氏:
 そうです。しかも同日入社なんです。

比護氏:
 同じ日だったんですよ。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_006
比護賢之氏

──そもそも、なぜグリーという会社に入ったんですか?

吉田氏:
 僕はもともとインターネットサービスがすごく好きで、インターネットを日本に広めることをしたいなと思って、2005年の4月にヤフーに新卒で入ったんです。

 でも、ヤフーで1年半ぐらい働いた頃に「0→1を生み出すような新規ビジネスをやりたいな」と感じるようになったんですよね。
 というのも、ヤフーはアメリカのサービスを日本に持ってくるってことをメインしていたのですが、やはりヤフーって業界No.1ですから、「新しいサービスを他社より少し遅れて出す」ことを厭わない空気感があって。

 僕はもっと日本のインターネットサービスを活性化させたいなと思っていたので、ベンチャーという道を選ぼうと。その中で「せっかくチャレンジするのであればユーザー基盤も何もないところ」がいいなと考えたんです。
 当時のグリーはSNSをやってはいましたが、まだ実名制でPC向けがメインでした。ミクシィさんはもう1,000万人を超えていた頃だったのですが、グリーのユーザー数はまだ20万人~30万人ぐらいしかいなかった時代です。

 まだ何もないからこそ面白いなと思ったのと同時に、タイミング的にKDDIさんとの業務提携が決まる直前みたいなところもあって、モバイルシフトしていくという時期でもありました。
 モバイル端末も通信スピードがこれから速くなっていくだろうということもあり、モバイルでインターネットサービスやSNSのようなものを普及させることがやりたいなと思ったんです。当時のグリーはまだ20人ぐらいしかいなかったんですけども、そこに入っていったという流れでしたね。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_007

比護氏:
 僕は、グリーに入る前に何社か転職していました。
 Web制作会社であったりSIer(システムインテグレーター)みたいな仕事もしていたのですが、当時に働いていた会社の雲行きが怪しくなって、転職しなきゃいけなくなっちゃって。それでまあ、何も考えなしに「SNSってちょっと流行りそう」という考えでグリーに入りました。

──同期とは言え、おふたりは年齢が少し離れている?

吉田氏:
 ですね。僕が今39歳です。

比護氏:
 僕は44歳です。

吉田氏:
 5歳ぐらい違うんですね。在籍20人ぐらいの会社に同タイミングで10人ぐらい入社して、モバイルシフトしていくためのチームがそこで新しく作られて。エンジニアは7名ぐらいいましたね。
 なので、1/3ぐらいは同日入社の新しい社員で溢れているみたいな感じしたね。

──同時入社された人は、やはり経歴も年齢もバラバラでした?

吉田氏:
 そうですね。僕が26歳で、最年少だったと思います。
 ほかには、今はウェルスナビというフィンテック系の会社でCOOをされている井上正樹さんもいまして、彼はグリーでインフラ開発部というサーバー等を扱う部署の執行役員になっていました。そのときに入社された人はそういう意味でもレンジがバラバラでしたね。

──入社前にグリーがこれから新しいことやるというのを知っていて入社したのですか? それとも、入ってみて知った?

吉田氏:
 僕はもともと入社の1年ぐらい前にグリーのCTOとエンジニア系の勉強会で知りあっていて。

 そのCTOってエンジニア界隈だと神と言われていた方なので、結構憧れていたのがあって、「今は何をやられているんですか?」とか「今後どうするんですか?」って聞いたら、「ここからアクセル踏むよ」という話をされていたんです。なので、じゃあそのタイミングで(グリーに)いきますという感じでした。

比護氏:
 僕はそんなのなにも知らなかった(笑)。SNSをやるもんだと思い込んで入ってました。

──(笑)。

比護さんはタイピングゲーム『Ozawa-Ken』の作者だった

吉田氏:
 比護さんも入社された頃ってあれですよね、『Ozawa-Ken』を作っていた話ってナイショにしていたんですか?

比護氏:
 いや、そんなことはないよ。むしろあれでグリーに採用して頂いたというぐらいで。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_008

──『Ozawa-Ken』とは?

吉田氏:
 昔、Windows98ぐらいの頃にPC用のタイピングソフトが出始めた時に、『Ozawa-Ken』というタイピングゲームが爆発的に売れたんですよ。

比護氏:
 売れたというか、あれはフリーソフトだから(笑)。

吉田氏:
 あっ、そうか!

比護氏:
 ちょうど大成くんぐらいの世代の人が、みんな『Ozawa-Ken』を使ってタイピングの練習をしてくれたみたいで。
 『Ozawa-Ken』を作ったんですというと、やけにこの世代の人に「おぉ~!」って言われるんです。

吉田氏:
 「あれでタイピングを覚えましたよ!」みたいな。
 「あれですよね?  誰でも無料で使えて、付属のドキュメントに『500円振り込んでくれると嬉しいです』みたいな表記があるあれ!」って話になるんです(笑)。でも、誰も振り込まないんじゃないかって思うんですけど。

 でも当時は、どのパソコン雑誌を見ても、タイピングゲーム『Ozawa-Ken』が紹介されていて。
 僕も比護さんと始めて知り合ったときは「え!?  『Ozawa-Ken』を作った人なんですか!」という感じでした。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_009
(画像は自己紹介 │ higopageより)

──僕は『Ozawa-Ken』を実はプレイしたことがなくて。どんなゲームだったのですか?

比護氏:
 格闘ゲームみたいに1対1で対戦するんですよ。

吉田氏:
 例えば“ハチミツ”とか表示された文字をタイピングするんですけど、打つのが遅いと相手からバババッと攻撃されてしまう、というような。

比護氏:
 ちなみに主人公は僕なんです(笑)。

──(笑)。

比護氏:
 安い作りのゲームなんですよ(笑)。

──いやでも、シンプルに楽しめますし、やっぱりセンスを感じますよ。

吉田氏:
 これがなんと無料だったんです!

──ドキュメントに「振り込んでくれたら嬉しい」と書かれていたということですけど、実際に振込みはあったんですか?

比護氏:
 たまに、月に2000円ぐらいきていたんですよ。世の中ちょっと暖かいなぁと思えて(笑)。平和な世界だなあって。自分だったらたぶん払わないですよ。

──良い話ですね。でも、もうちょっと儲かってもよいような(苦笑)。

比護氏:
 あの頃は、2000円でも嬉しかったんですよ(笑)。

──ちなみに『Ozawa-Ken』を作ろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

比護氏:
 大学の卒業研究があって、僕が所属していた研究室だと流体力学とかそういうお題でやらなきゃいけなかったんですけど、僕はそれが辛くって。
 なので「好きなお題でやらせてほしい」って言って企画書を出したら、たまたま通ったので。それで作ったんです。

当初の『釣り★スタ』はSNS上の仮想世界の娯楽のひとつとして釣りゲームだった

──話を戻しますが、おふたりはグリーに入社して、いきなりゲーム開発のチームになったんですか?

吉田氏:
 いえ、当時は社内にはゲームのゲの字もない時代で、PC向けのSNSをモバイル向けとしてこれから推進します、と。それがまずメイン事業でしたね。
 それでミクシィさんや、Facebookもだんだんと頭角を現し始めていたので、どれだけ追い越せるかみたいなところがありました。

 同時に、SNSだけでは難しいので、当時のモバイル向けサイトにあった無料ゲームとか、無料のデコメサイトとか占いサイトみたいなコンテンツ系が多くトラフィックを集めていたので、それをやろうというものもありました。
 それが……2006年10月に入ってから2週間後ぐらいに「お前はこれとこれを作れ」みたいな感じでアサインされて。僕はそういうモバイルチームでしたね。

比護氏:
 僕はPCのSNSでしたね。

吉田氏:
 比護さんはPCのSNSで、PC向けをもう一回盛り返そうとする取り組みですよね。なので全然別々。
 それで入社してから2ヵ月後の11月頃に、KDDI向けのSNS機能と、あと無料のコンテンツサイトみたいなものをオープンさせたんです。

──入社して2ヵ月でそれですか。やはりスピード感がすごいですよね。

吉田氏:
 でしたね。もうなんか、「これをやらないと駄目だから!」みたいに言われて「あ、そういうもんなんだ……」と必死に作っていた感じでした。

 コンテンツとして毎週モバイル向けのミニゲームを出さないといけなかったんですよね。当時のガラケーなので、ワンタップで1分ぐらいで遊べるようなものですけど、途中から比護さんにも無料ゲームを考えてもらっていました。
 「『Ozawa-Ken』やっていたんだからできるでしょー!」みたいな感じで(笑)。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_010

比護氏:
 「ゲームだから一緒でしょ! 作れるでしょ」なんて言うんですよ(笑)。

──(笑)。

吉田氏:
 そんなことをしていたのが、入社した年の11月から年末みたいな感じでしたね。
 でも、それをがんばった結果、30万人ぐらいだったモバイル向け会員が200万人から300万人ぐらいに増えて。年末年始で300万人を越えたんですよね。

 ただ問題は、当時はサーバーを購入してデータセンターに置かなければいけなかったのですが、KDDIさんから調達した資金もだいぶ消費してしまって。
 ユーザー数は増えたのですが、ガラケー向けの広告ビジネスってかなり単価が低かったんですよね。なので、PV数がいくら伸びても全然収益と見合わないという状況になって。

 年明けにCFOから言われましたね。今はメルペイの社長をやられている青柳(直樹氏)に呼ばれて「ユーザー数も売上も飛躍できるサービスを考えて」と言われて。

──「そんなことを入社して3ヵ月で言われても……」みたいな気持ちはなかったんですか?

吉田氏:
 「騙されたー!」というわけじゃないですけど、SNSをやるって聞いて入ったはずなのに、なんか占いサイトとかデコメサイトやらされていて、「あれ、これ違うんじゃないかな?」とは思いましたが(笑)。

 ただ、もうひとつの約束として「なにか考えたら自由にやっていいよ」ということを1月には言われたんですよね。

──そう言われてやり始めたのは、どんなことだったのでしょう?

吉田氏:
 実際にその5ヵ月後ぐらいには『釣り★スタ』をリリースをするのですが……そこに至るまでにまず、SNSがPCで多く使われていて、「モバイルでもこれは使われるよね」という確証ができていったのと、モバイルの無料ゲームサイトが凄く人気で、「みんな待ち時間に簡単に遊べるものに熱狂してくれるんだな」というのが社内で見えていたんです。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_011

 じゃあ、「これを収益化させて、さらにSNSの活性化にも繋げることができたなら、一番いいよね」と考えていたところで。
 PCでは基本無料の課金ゲームとして『スカッとゴルフ パンヤ』とかが人気になっていて。それ以前だとオンラインゲームでも月額制みたいなものしかなかったのですが、そういう課金スタイルの潮流が見えていたので、これはモバイルにも来るだろうと考えたんです。
 無料ゲームと課金の組み合わせを意識して、やり込み要素を入れるようにもして、それでいてSNSとも絡ませたいので、ユーザーさん同士の接触が起きてみんなが遊べるものにしよう……みたいなことを考え始めたのが2月か3月ぐらいです。

──それは吉田さんが考えていたんですか? それともチームがあってそこで考えていた?

吉田氏:
 それは僕が考えていたものですね。
 「こういう基本無料のゲームありますよね」と周囲に話していて、PCで順調に運営されていますし、収益性もあるんじゃないですか、これやってみませんかというのを進めていた感じです。

 その頃同時に、もともとヤフーでアバター事業をやっていた僕の先輩も同じタイミングで転職してきていたのですが、その人とグリーでも実名制のSNSから仮想世界ぽいものにして、アバター要素を入れていこうという話をしていたんです。
 すでにモバゲーは世に出ていて、ハンゲームさんもPCでアバター事業が収益源になっていましたから。

 ただ、その話はもともとグリーでPC向けで実名制のSNSをやっているチームの人からすると、「新しく入って来た奴が、俺たちのやっていることをいきなりひっくり返そうとしているぞ」みたいになってしまって、ちょっとしたハレーションが社内に起きていましたね。

 それで、まずはアバターは仕込みつつも、まずゲームの一機能として出してみようよということに決まって。それも2月か3月頃ですね。
 じゃあ作ろうということで、僕と、あと何人かだけつけていいよということで、先ほどのヤフーからの先輩と「……作れますよね?」って比護さんに(笑)。

──(笑)。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_012

比護氏:
 最初は助っ人ということで、ゲームのコアになる“釣りの画面作り”を手伝って、みたいな話だったんですよね。
 気付いたら手伝いではなく本担当になっていて、ゲームの世界観から一緒に作っていきました。

吉田氏:
 最初は『釣り★スタ』のドメインも別にフィッシング(fishing.gree.jp)などではなく、“ランド”(land.gree.jp)というものだったんです。
 テーマパーク的に、仮想世界を作ろうとしていて、その中でまずは“釣りのゲーム”を入れてみようという流れだったんです。あと、誰もが知っているルールのものが良いというのがあったんですよね。

比護氏:
 日常の延長線上にある娯楽。すぐにやりたいけど、なかなかできない。けれど、みんな知っている。
 そういうものを対象にしていって、「釣り」とか「ゴルフ」とかそういうアイデアが出ていた中で、最初に「釣り」を選んだってことですね。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_013
(画像は釣り★スタ – GREEより)

──吉田さんのバックボーンが気になるのですが、入社後にいきなりそういうところにアサインされてガンガンやっていますけど、ソーシャルネットワークやコミュニティに対する知見や経験はどこから得たものだったんでしょう?

吉田氏:
 工学部出身だったというのが一番大きいですね。
 大学院で研究もしていたのですが、周囲はトヨタさんとかパナソニックさんなどのメーカーに研究職で入るパターンが多かったんですよね。でも、お話を聞くと、5年から10年ぐらいの長期スパンで研究しないとプロダクトが作れない世界だと聞いて。

 一方で、インターネットを夜な夜なテレホーダイで繋いで見ていたら、アメブロみたいなのができて、「えっ、これめっちゃ面白いじゃん!」となって。大学時代にはブログも書いたんです。
 そうしたらPVがいっぱい増えて、サイバーエージェントの藤田さんからもコメントを頂いたりして。そういうのがすごく面白くて、インターネットならすごい人とも繋がれるんだなって思って。これは絶対にインターネット業界の方が面白いだろうと思ったのが、きっかけでした。

──その空気感はよく分かります。

吉田氏:
 その中でも「ブログをやって楽しかった」という気持ちが強かったので、ヤフーに入ったときも最初はブログなどに関わりたかったのですが、アサインされたのは「ジオシティーズ」というホームページ作成サービスでした。

 あとは、当時のヤフーにはSNSサービスがなかったんですけど、実は一瞬だけ出してすぐクローズした『Yahoo! Days』というSNSがあったんですよ。あれの最初の立ち上げのメンバーに入れてもらっていたりしました。

 というわけで、基本的にはホームページ作成サービスやブログ、SNSといったあたりを、ずっと世の中の変化と共に自分でも応援しながら見ていました。そういうところからコミュニティサービスが好きだったというバックボーンになっていますね。

──ブログというのは、どういうものを書いていたんですか? 今も残っている?

吉田氏:
 いや、もう全然残っていないですね。嘘日記みたいなコンセプトで、面白おかしいことを書いているだけでした。ネタ的なテキストサイトですね。それにいろんな人が「面白いねこれ」って反応してくれて。

 当時は「バズった」という言葉はなかったですけど、たくさんアクセスしてもらえたことがあって。当時のブログって自分の日記を書いているものが多かったんですけど、だんだんとそういうのとは違う使い方をする人が出てきたんですよね。そういうもののひとつでした。

──なるほど。ゲームはどうだったんですか?

吉田氏:
 ゲームは大好きなんですけど上手くないんですよね。下手くそなんです。
 『マリオ』も何度チャレンジしても最後までクリアしたことがなかったり、『ファイナルファンタジー』も好きなんですけど難しくて。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_014

 下手でもゲームは好きだから、実は新卒の時にバンダイナムコさんを受けたりとか、スクウェア・エニックスさん、それにソニー・コンピュータ・エンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブ・エンタテインメント)さんを受けたんです。でも、全部落ちましたが(笑)。ソニーさんには企画書を出したりもしたんですよ。

──ゲーム業界に入っていた可能性もあったんですね。

吉田氏:
 受かっていたらあったと思います(笑)。ゲームが好きというのはグリーの社長とかにも話したりしていたので、「じゃあなにかやってみたら」って言われたんですよね。

比護さんは吉田さんのアイデアを一発で仕上げてきた

──一方で、『釣り★スタ』開発チームに入る前の比護さんは何をされていたんでしょう?

比護氏:
 僕は大成くんたちが何をやっているのかはあまり知らされずに、単純にPC向けSNSの開発をずっとやっていたんです。けれども、ゲームのコア部分を作る人がいないので、「ちょっと手伝って」ということでプロトタイプを作ってあげたんです。
 そうしたら、大成くんがめちゃくちゃにテンション上がって。それで、いつの間にか僕もそちらに加わることになっていました。

──吉田さんから呼ばれてゲームのコアを作ってくださいと言われた時に、どういうオーダーを受けたのでしょう?

比護氏:
 その、先ほど話に出てきたヤフーから同期で入ったエンジニアさんとふたりでまずやっていたんですよね。
 その同期の方が作ったプロトタイプがあったのですが、それがもうどうしようもなくて。「もっとちゃんとやればいいのに」と思いましたね(笑)。

 「軽く作ってみて」とは言われたけど、具体的なオーダー内容は全くなかったですね。僕はガラケーのいろんな制約があるなかで、いかに釣りの駆け引きを演出するかみたいなところを考えて作って、できたプロトタイプを渡して。
 僕と『釣り★スタ』の付き合いはそこから始まりましたね。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_015

吉田氏:
 それまでも無料ゲームを作っていたので、ユーザーさんがどういうものを求めていて、どういうものができないというのは、なんとなく分かってきていました。
 ワンタップという制約で作ってもらって、なるべくみんなが熱狂できて、シンプルだけどやり応えがあって、しかも長くやっても飽きないものをというのを求めていましたね。

比護氏:
 最初に作ったプロトタイプを見せたときのことをすごく覚えているんですけど、大成くんが「うおぉぉ! これだよー!!」みたいになったんだよね。
 なんかもう、本当に怖いくらい。ちょっと引いちゃうくらいのもの凄いテンションになって(苦笑)。

吉田氏:
 僕も覚えてます!

比護氏:
 自分じゃ大層なものを作った覚えもないのに「なんでこの人、そんなにテンション上がるんだ? オカシイでしょ!」って(笑)。

一同:
 (爆笑)。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_016

──吉田さんの想像以上のものだったんですか?

吉田氏:
 そうなんです。「これだったら絶対いける」という確信が持てた瞬間だったんですよ……。
 僕はゲーム業界で言えば、クリエイタータイプでは絶対にないと思うのですが、その比護さんが作ってくれたものは、即座に「あ、これだ!」って思えたんです。

──比護さん自身は、もともとゲームを作ることには関心はあったんですか?

比護氏:
 そうですね。大学は情報工学科で、僕も新卒の時にはナムコさんやコナミさんを受けています。でも全滅だったので、「自分は向いてないんだ」と思っていたんです。
 大学の卒業研究で、先ほど話に出た『Ozawa-Ken』というタイピングソフトを作って、最初に作ったわりには大きなリアクションを頂けたので、自分としては「イケる!」という勘違いをしちゃっていたんですよね。
 
 なので、そこからは趣味でちょこちょこ作っていたんですが、たまたまSNSを作るつもりで入ったグリーという会社で、またゲームを作る機会が来たという感じですね。

──趣味でというのは、どういうものを作っていたのでしょう。友達とかに見せていた?

比護氏:
 僕もホームページみたいものをやっていたので、そこでウェブ上で遊べるブラウザゲームとして、脱出ゲームの元祖みたいなものを作っていました。

──そういうものを持ってゲーム会社を受けていたら、そっちに受かっていたかもしれないですよね。

比護氏:
 そうですね。そういうポートフォリオがあった上でもう一回チャレンジしていたら、もしかしたら可能性があったのかもしれないと思いますね。

吉田氏:
 グリーに入る前にいくつか転職したという話でしたけど、そのときはゲーム会社は受けなかったんですか?

比護氏:
 受けなかった。もう無理なんじゃないかって思って。
 プレイステーションとかでポリゴンのゲームが動いている時代で、こういうものは自分には作れないだろう、もっとすごい人たちの専門職なんだろうって思ったんですよね。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_017

──余談なんですけど、以前、ライトノベルのとある作家さんが「文芸やSFは俺には書けない。でも、「ここ(ライトノベルのノリ)だったら、俺が勝てるんじゃないかって思っちゃった」とおっしゃっていたのがとても印象的だったんです。そういう、「これならいけるかもしれない」という、“ある種の勘違い”というのは、なにかが生まれるタイミングに必要なものなのかなって思いますね。

比護氏:
 僕もその昔、『Ozawa-Ken』というタイピングソフトで勘違いをして、ここまできちゃいましたからね(笑)。

──でもやっぱり、それが『釣り★スタ』に繋がっていったわけですからね。

ワンボタンのガラケーで釣りを楽しめるよう、既存の釣りゲームの枠に縛られずに開発した『釣り★スタ』

──比護さんが『釣り★スタ』のプロトタイプを作って、吉田さんの反応も良かったわけですけど、そこからは比護さんもプロジェクトチームに本格的に加わって開発を進めていったわけですか?

吉田氏:
 そうですね、3人で。最後の方でちょっと開発が間に合わないということでもうひとり加わってもらったのですが。
 この方向で進めようとなって、ゲームのコアの部分をFlashで作っていって、あとはサーバー側の開発もしていって。
 僕は、その他もろもろの雑用を全部やるみたいな感じでしたね。

──『釣り★スタ』って、あまり語られてない気がするんですけど、実は「ゲーム的な手触りの良さ」だったり、「釣りの何を抽象化して、表現したのか?」というフォーカスポイントが特徴だったのかなと思うんですよね。なにか“こういうところに気をつけた”などあればお聞きしたいのですが。

比護氏:
 このインタビューが決まってから、何か特別なことをしたかなと調べ直してみたのですが……唯一思い出したのは、魚の移動の仕方ですね。
 基本的に座標から座標へランダムに点を打ってそこに向かって、初速は速く、だんだんと減速しながら到着するようにしたんです。

 現実の魚って、石を投げ込まれたりなどの突発的な出来事に対して、急に方向を変えたりするじゃないですか。なので、ランダムで行き先が決まったあと、移動途中にもう一回ランダムに“突発的な移動先”を計算させているんです。
 それで、魚が逃げ回るような、フェイントのような動きを作っているんです。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_018

吉田氏:
 当時のFlashのゲームなんて、そもそも容量の制限が厳しいし、携帯電話のスペックも高くないから、魚のグラフィックもキラキラさせながら泳がせるなんていうのは絶対に無理だったんですよね。

 一般的な釣りゲームでは、釣りをしているキャラクターを俯瞰で見ていて。遠くにいる魚がかかって、だんだん巻き上げていって、近くに来たら釣れたことになるという見せ方が多いですけど、自分がプレイヤーなのに自分のキャラクターが見えているのって没入感がないなと思って、それを変えたいとは思っていたんです。

 比護さんはそれを、黒い影だけで魚がいることを表現して、プレイヤーが見ているのは釣り竿の針の周辺だけにすることで、没入感を演出してくれたんです。
 色数だってそんなに使えないし、画像もあんまり使えない、計算もそんなにさせられない、古い携帯電話だと動きがもっさりしてしまうから、全部の端末で同じ動作スピードが求められるという条件があるなかで、それが全部実現できているものを一発で仕上げてくれたんです。……いや、驚きましたね。

──今のようなお話を聞くと、吉田さんがめちゃくちゃテンションが上がった!というのが分かる感じがするんです。
 というのも、例えば、ゴルフゲームなどは「ゲージが動くなかで、タイミング良くボタンを押す」という遊びになっていますよね。このように、“現実のゴルフのどこを抽出してゲームに落とし込むのか?”というのが、この手のゲームでは重要だと思っているんです。

吉田氏:
 おっしゃる通りですね。

──他の釣りゲームだと、例えば、魚ではなく釣り竿にフォーカスして、糸やリールを調整するゲーム、みたいなものも多いですけど、そこで言うと『釣り★スタ』は、針と魚にフォーカスしていて。単純なグラフィックス(魚影)と簡単な操作(ボタンを押すタイミングを計る)だけで、”釣りっぽさ”を再現しているのが地味に凄いところだと思うんです。

吉田氏:
 まさにそこだと思います。

比護氏:
 そんな風に言ってもらえると嬉しいです。

──作るにあたって、“釣りとはどういうものなのか”を観察されたりはしたのですか?

比護氏:
 釣りゲームのコアを作ってくださいと言われてから、近所の図書館で『釣り入門』みたいな本を読んだんですよ。あとは近所の公園の池とかで魚を眺めたりとか。その程度ですね。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_019

──当時の他の釣りゲームをチェックしたりは?

比護氏:
 もちろん、参考事例として一応は見てみたんです。でも、先ほどおっしゃられたとおり“ゲージを見るゲーム”が多いですよね。
 それが僕にとってはあまり面白いものに思えなかったので、「むしろ水中の魚を見せてしまったなら、どうだろう?」とか、そういうことを考えていました。もしかしたら、そういう考え方から始まっていったのかもしれないですね。

吉田氏:
 大きい魚が釣れるかどうかとかは魚影で決まっているんですよね。

比護氏:
 そうだね。しかも、プレイしていた人は釣る前に「あ、これウナギだな」とかだんだん分かるようになっていったんですよね。
 “魚影の速さ”と“大きさ”と“釣場”とで大体種類の当たりがつくようになっていて。その感じが本物の釣りっぽいなと思えて。

 インターフェースは違うけど、釣りってかかったタイミングで「これはあの魚かも」みたいなのがあるんだと思うんですけど、そういう感覚に似ているなと。

吉田氏:
 魚ごとに魚影の大きさと動くスピードを変えていたんですよね。

比護氏:
 パラメーターをつけていましたね。逆にいうと、魚への性格付けはそれだけでした。

吉田氏:
 それだけで、あの黒い魚影からイメージさせられるようにしたというのはやっぱり大きかったんですよね。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_020

比護氏:
 『釣り★スタ』の海編をリリースした頃、帰宅途中のバスのなかで、おじさんがプレイしてくれているのを見かけたんですよね。でも、ルアーをちゃんと選んでるっぽいんですけど、魚は逃しちゃっているのが見えて。
 それを見て「僕の作りが悪かったのかな……」なんて思っていたんですけど、おじさんが急にバンバン釣り始めたんです。
 「適した魚にあたりをつける」というコツを掴んだんだと思うんですけど、すごく嬉しかったんですよ。

──釣るときに、「魚影を同心円の中心に当てる」という独特なインターフェースになっていますよね。あれはなぜそうしたのでしょう?

比護氏:
 あれは、直線的な動きだと動作の遅い端末では目押しが簡単になってしまうんです。なので、不規則にターゲットが動くマト当て方式にしたんです。

──最初からそうしようと考えていたのですか?

比護氏:
 そうですね。機種によっては動作が遅すぎてゲームにならないだろう、というのは、作る前から感じていました。

──なるほど。そのあたりの勘の鋭さというか、そこからさらりと工夫されているのは面白いですね。

吉田氏:
 なにを抽象化したのか、なにを抜き出しているのか。でも、ゲーム性は持たせているというような。
 『釣り★スタ』にはリリース後もいろんな機能が加わっていきましたが、最初に作った釣りのコアの部分は変わらなかったんですよね。
 アップデートのなかでコアな遊びも変わっていくゲームもあると思うのですが、『釣り★スタ』はコアがしっかりしているから、そこをずらさずに世界観を広げられたり、新しい遊びを加えたりできたので。あのコアは本当に優秀だって思います。

──『釣り★スタ』の課金要素の話をお聞きしたいのですが、課金をしてもらうというのは最初から決まっていたんですよね。

吉田氏:
 「このサービスだけで収益を上げられるように」というのは最初から決めていました。ただ、最初の目標では月に何千万とか何億なんていうのはまったく思い描いていなくて。

 開発期間3ヵ月間ぐらいの僕ら3人の人件費と、その後の運用のための費用と、最初に発注した魚の画像とかの費用とかを3ヵ月で回収できればいいね、くらいの感覚でした。
 なので、それらを賄えるぐらいの売上があればなんとかなるよね、みたいな感じでした。

『釣り★スタ』そして『探検ドリランド』が拓いた“ソーシャルゲーム”の時代の夜明け_021

──そのときには“デジタルデータを買ってもらえる”というのは、アバタービジネスなどでは前例がありましたが、ゲームの課金コンテンツとしてもいけるという確信はあった?

吉田氏:
 それはありましたね。アバタービジネスは実際にモバイルでもPCでもありましたし、基本的に僕らというか、当時のグリーの考え方というのは、“PCで起きたことはガラケーでも起きる”というものでした。
 ガラケーの通信速度が速くなって、通信費も安くなれば、PCでのビジネスモデルが再現されるというか、そのビジネスモデルが移植されて、「ガラケー用にカスタマイズをかけたところが勝てる」というのが一番大きな考え方だったんです。

──それは、グリー内のみんながそういう考え方をしていたのか、それとも、吉田さんが考えていたけどまわりはあまり理解していなかった感じでしょうか?

吉田氏:
 僕は思っていたけれど、最初はあまり社内には理解されなかったですね。

──(笑)。

吉田氏:
 基本僕たちはオフィスの端っこでちょこちょこと働いていて「あいつら何やっているんだろうね?」と周りから思われていたと思います。最初はそういうプロジェクトだったんです(笑)。

──愚連隊みたいな扱いだったんですね(笑)。

1

2

3

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合がございます

新着記事

新着記事

ピックアップ

連載・特集一覧

カテゴリ

その他

若ゲのいたり

カテゴリーピックアップ