なぜ、スマホゲームはIP化するのが難しい?
──松永さんの著書【※】で、「スマホの作品はIP化するのがめちゃくちゃ難しい」と書かれていましたよね。その「IP化」という課題は、『チェンクロ』でもこれから立ち向かっていく挑戦になる思うんですが、まさにいまお話しされていた「終わり方」が重要な要素になってくると思います。
オンラインゲームやスマホゲームって、「飽きて辞める」だとか「運営が何かやらかして辞める」だとか、ユーザーさんにとって不幸な終わり方になってしまうパターンが多いですよね。逆に思い出に残るゲームって、数十時間遊び切って「あー楽しかった!」という美しい思い出として残るじゃないですか。
だからこそ、「次への期待」が生まれる。その次への期待こそが、実はIP(≒ブランド)なんじゃないかって、最近思うんです。
奈須氏:
いや、本当にその通りですよね。
松永氏:
そうなんです。運営型ゲームって「感動した!終わる!」というのはなくて、楽しかったら続けてくれるので、「飽きた」か「運営にムカついて辞める」の2パターンしか辞め方がないんですよね。
本来は万人が満足するゴールにたどり着いたとき、やっとそこで終われるんだと思うんですけど、それ以外の終わり方って本当にネガティブなものしかないので、それがきついです。
IPになるものって、ユーザーさんの中で「すごい美しいもの」というか「いい体験」であるということが、絶対の大前提だと思います。そうなると、やっぱりスマホゲームの形式って、すごくIPになりにくいですよね。
だって、ムカついて辞めた人は「新しくなったよ」って言われても多分やらないでしょう。
奈須氏:
そうですね……。『チェンクロ』も『FGO』も、最大の特徴はストーリーでキャラクターを見せて、「このキャラクターと旅がしたい」と思ってもらうことです。
なので、ガチャでキャラクターが引けたら最高に嬉しいという一方で、裏を返せば、ストーリーで本当に気に入ったのにキャラクターが引けないと逆に「憎しみ」が生まれてしまう。
松永氏:
そうですね。
奈須氏:
そこでプレイが止まってしまう人もいるでしょう。そういうネガティブな感情でストップがかかってしまうのはとても理解できます。好きなものを憎まなくてはならない、というのは多大なストレスです。……なので、「ただひとりの運命の相手に出会えた……! このキャラクターだけは来て欲しい……!」と思ってもらえたャラクターを召喚できるよう、できるだけ召喚チャンスは増やしてもらってはいるのですが……。
その点で言うと、『チェンクロ』はユーザーに「ここで俺の『チェンクロ』は終わりでいいや」みたな「区切り」を用意してくれているじゃないですか。
松永氏:
そうですね。最近ようやく、まさにその「区切り」はひとつの答えかもしれないと思ってきています。実際、奈須さんのように『チェンクロ』2部まで遊んでくださって、しばらく離れてはいたけど「良い思い出」になってきてるよ、という方は多いです。
最近、第4部を始めたんですが、それで戻ってきてくれるユーザーさんもいたりして。さっきはちょっとぼやいちゃいましたけども、ちゃんとそういう風に捉えてくれている方もすごくたくさんいるんだなと思えることが増えてきました。
奈須氏:
自分としての課題は、IP化というよりは「アーカイブ化」ですね。『FGO』は自分の時間に寄り添う、人生に寄り添うゲームであるがゆえに、3年目を越したあたりで、もう全てのカードが揃ってしまう。
そこからはもう新鮮な驚きはない。単純な「付き合い」になってくる。結婚3年目を迎えたあとの夫婦が、毎年うまくやっていくためのルーチンみたいなものになってくると思うんです。何事もはじめは楽しいものです。そういった意味では、『FGO』というゲームの真価が発揮されていたのは初めの3年だったと思うんですよね。
2016年から2018年あたりが、『FGO』が最も『なんだかよくわかんないけど、とにかく新しい何か』なころだったと思います。その時期に付き合ってくれたユーザーさんにとって、『FGO』は『一緒に成長していっている、なんか面白いもの』として記憶されたのではないでしょうか。
でも、それ以降に始めたユーザーさんにとっては「誕生から大人になるまで」の時期の空気を知らないわけで、その熱量は一段階下がってしまう。
松永氏:
それはあると思います。
奈須氏:
こうなってくるとライブラリ化がしづらい。『FGO』の一部をパッケージにして『チェンクロ』みたいに「コンシューマで出します」と言っても、これはやっぱり「別もの」になってしまう。『2017年の時間神殿』を体験したユーザーさんにとって、あの総力戦を再現できない『FGO』は『FGO』ではないでしょう。
松永氏:
そうですね。
奈須氏:
「時間と寄り添ったもの」をどうやってライブラリ化、アーカイブ化するかというのは、最後の課題だと自分はずっと思っていたんですけど、現状は全然答えがなくて。
あのころの熱狂を、永遠にパッケージングするのは不可能なんじゃないか。
そう考えると逆に、「偶然この時代に、同じ年代に生まれた、同じゲーム好きの者たちが集まった6年間」を、やっぱり大事にすべきなんだろうなと。申し訳ないけど、でもそれがスマホゲームの魅力なんだなとも思います。
松永氏:
そうですね。やっぱり、「どこまでもいってもオンライン」なんだなという。
奈須氏:
いいですね。たしかに「どこまでもいってもオンライン」ですね。
松永氏:
はい。ユーザーさん自身は「ひとりで楽しめる」という部分で楽しんでくださっていると思うんですよ。でもやっぱり、いちばん本質的部分は「オンラインで同時に共有できている」ことなんだろうと思います。
奈須氏:
そうですね。「あのころの熱狂」は伝わらないけど、とはいっても「その熱狂があった」という歴史は残るので。
その残った歴史というIPを、今度はどういうふうに他の媒体で切り出していくのか。それが唯一の道なのかなと思います。
松永氏:
スマホゲームというジャンルを抜け出して、違う媒体で表現していくということですね。
奈須氏:
それがスマホゲームの宿命だから、これからも続けていくことがあればそうするしかないのかなと思います。
テキストが読まれなくても、キャラクターの奥に用意した深みは感じ取られる
──「黄金期の『ジャンプ』やテレビアニメが持っていた熱や面白さみたいなものを、どうやって現代で再現できるのか」という課題ですよね。昔は100万人がバッと何かひとつのものを遊んでいたのが、インターネットで趣味趣向が細分化された結果、今は1万人が100個のものをバラバラに遊ぶような時代になってしまいましたよね。
以前取材したとき、奈須さんが「その断片化に対するアンチテーゼとして『FGO』をやりたいんだ」という発言をされていて、それがすごく心に残っています。
奈須氏:
『FGO』を始める前のTYPE-MOONのテーマは、「わかりやすい物語を提示して、100万人に見てもらう」よりも「コアなユーザーを20万人捕まえて、その20万人を永遠に喜ばせよう」でした。
ゲーマーにとって「文字を読む」という行為は、基本的に苦痛なんです。ゲームはインタラクティブなものだから、そういうものを求めてきたユーザーに「ひたすら文字だけ読め」というのは、キュウリが嫌いな子どもに「キュウリを食べろ!」と強要しているようなもので。なのでTYPE-MOONのゲームは「純粋なゲーマー」向けのものではなく、「映画もアニメも小説もゲームも楽しむ、雑食なひと」に向けたものでした。
システムが面白くて、話も面白いというのが一番バランスがいいんですが、『FGO』はシステム4割・物語6割なので、どうしてもテキスト重視になってしまう。
だから、当時は「『FGO』がどんなに頑張っても、多くのユーザーには届かないだろう」と思っていた。実際はこういう状況になりましたけど、それでもテキストをいちばん重視するというユーザーは、全体の10%程度です。残りの90%は、キャラクターの魅力や共有できる情報源、運営の楽しさといったものを楽しんでくれています。
そういう割合なので、ストーリー作りも大事だけど、ユーザーにとって理想的なキャラクターを生み出せるように、キャラクター作りも大事にしています。「やっぱりなんだかんだ言ってキャラクターコンテンツだから」というのは、忘れないようにしてやってきましたが、それはそれで今みたいな規模のIPになるとは思わなかったです。
キャラクターを愛してもらうのにも限度があると思っていたんですが、思いのほか、生き残っちゃったなーという。
松永氏:
「生き残る」というレベルじゃないですよ(笑)。
『チェンクロ』でも始まった当初ぐらいから、ストーリーを読まない人は、3割ぐらいはいましたし、今もこまめに遊んでくださってるユーザーさんの中でも、「昔からストーリー読んでないです」という方も少なくないですね。
僕は元々アーケードゲーム出身なんですが、カードゲームの『三国志大戦』を開発していたときにストーリーモードを入れようとなったんですね。
武将ごとにそれぞれのストーリーを入れていたんですが、もう7割ぐらいの人はストーリーなんか読まないんですよ。それでも対戦重視のユーザーさんからも、「このキャラすごくいいんだよ」という声が増えて。
だから、ユーザーさんにとっていちばん大事なのって「このキャラクターの奥にちゃんとストーリーやバックボーンが用意されている」ということ自体なんだと思っています。もちろん、読んでくれるのは一番ありがたいんですけども。
奈須氏:
なるほど、たしかにそうですね。
松永氏:
「バックボーンがある」という事実自体が楽しさに繋がっているところがあるんだろうな、と。
さっきのキュウリの話に例えると、刺身のツマみたいな(笑)。食べないんだけど、刺し身がツマに乗ってると、さらに美味しそうに見えるよねという。それも含めてユーザーさんが楽しんでくれているというのも、ゲームらしいといえばゲームらしいのかな、と思ったりもします。
奈須氏:
さっき「ユーザーはテキストを読まない」って言いましたけど、誤解されないように注釈すると、「読めない」んじゃなくて「読まない」んです、きっと。そこを重要視していないから読まないだけで、文脈や空気感、雰囲気を読む力が当然ある。
だから、そのキャラクターに背景設定や深みがあると、テキストを読まなくても、ゲームを遊んでいればそこから滲み出てくるものを感じ取れる。「なんとなくこのキャラが好き」というのは、受け取り方が違うだけで、実はちゃんと「読み取っている」のだと、自分は思います。
たとえ読まれなくても、世界観を作ることには意味があるのです。
松永氏:
実際『チェンクロ』を作った当時、ほかのスマホゲームにはキャラクターの絵とパラメータしかなかったんです。めっちゃかっこいいキャラクターがたくさん並んでいるけど、そこにHPと攻撃力の数字が付いているだけ、というようなゲームが当時はたくさんありました。
「キャラクターを立たせる最高の素材が揃っているのに、キャラクターになってない」という「何が起きてるんだ?」みたいな感じだったんです。
そういう状況で、まずは「キャラクターにする」ことが『チェンクロ』を作る最初の目的でした。でも、ガチャを引いたらキャラクターが出て、そのあとにそのキャラクターのストーリーが開いて……という今の構造のプロトタイプを作ったんですけど、全然面白くなかったんですね。
奈須氏:
それはなんでですか?
松永氏:
僕もなんでかな?と思ったんですけども、答えはキャラクターが登場した瞬間に「カードに見えちゃってた」ことだったんです。
だから、ガチャからキャラクターが出た瞬間にちょっと挨拶みたいに、3セリフほど喋らせるようにしたんですね。出会ったときの挨拶みたいなものです。
3セリフぐらい喋って、そのキャラクターの個性や空気感みたいなものがユーザーが感じられるようになった瞬間に、急にそいつが「キャラクター」になったんです。それが『チェンクロ』を作っていたときの、一番思い出深い瞬間ですね。
奈須氏:
あれって『チェンクロ』からだったんだ……。当たり前だと思ってた……。
でも、正しくその通りだと思います。いちばん始めの挨拶に自己紹介がないとは何事だって。だって、一番自分をアピールできるタイミングですよ。自分は『ユニット』じゃなくて『キャラクター』なんだよ、と。
松永氏:
どんなコンシューマRPGでも、新しい仲間はパーティに入る前に挨拶しますからね。自然な感覚だと思います(笑)。
奈須氏:
そう感じられたのは『チェンクロ』を遊んでいたからだったんですね……。
挨拶も短いセンテンスの中でどのくらいキャラクターの特徴を出せるかという、大切な戦いですよね。「こいつ好きになれそう」とか、「こいつ生理的にダメ」とか、「また石田彰か」とか。
一同:
(笑)。
ガチャを引くだけで、それは「運命の出会い」になる
──松永さんは昔の画一的なスマホゲームはあんまり好きじゃないけど、ガチャの「出会う」感覚はすごくいい、みたいな話をされていましたよね。あれってなんでいいと思ったのでしょうか。
奈須氏:
あれ、ズルいんですよね(笑)。
松永氏:
はい(笑)。ズルいんです。
奈須氏:
ガチャはズルいんですよ。本当に悪しき文化。もし僕が宇宙の神だったら、まずガチャを滅ぼします(笑)。
一同:
(笑)。
奈須氏:
今回、ネモを出すのにいくらかかったと思いますか!?「虹回ったー!」と思ったら、まずモーさん、ガネーシャ、それで虹回転来て「あ、キター!」って、エウロペって。「〇すぞ!!」と思ってしまいました(笑)。
でもまあ、4回目でネモが来たときの喜びときたら。さんざん酷い目に遭わされてるのにこの喜びですよ。ひどい……ガチャ、ズルい……と思って。
──『チェンクロ』でも『FGO』でもそうですが、ガチャでSSRを引くと、やっぱりそいつを軸に育てるかという気持ちになりますもんね。
奈須氏:
そうです。お気に入りのキャラクターがいるかいないで、旅の面白さは変わってくると思います。単純なんですけどね。
松永氏:
そこが良さですよね。キャラクターとの「縁」みたいなものを、よくもまあこんなに簡単に感じさせてくれちゃって……と思いますね。
奈須氏:
それそれ!! そうなんですよ……。
松永氏:
その点ですごい発明だと思うんです。まあ、悪しき発明なんですけど(笑)。
奈須氏:
あらゆるクリエイターが一生懸命頑張って頑張って頑張って作る「絆」を、「てめえ、5秒で作りやがったな!」みたいな(笑)。
──元・週間少年ジャンプの編集長の鳥嶋さんが、漫画や小説が苦労して作る「主人公を自分と思ってもらう」感覚を、「ゲームは操作してキャラクターを動かした瞬間に得られる、これはすごいことだ」とおっしゃっていたのを思い出します。
松永氏:
それに近いですね。もしガチャを使わずにキャラクターとの縁をユーザーに感じてもらうとしたら、ものすごく分岐が複雑なストーリーを描いて「お前がこの選択をしたから、このキャラクターと出会えたんだぞ」という過程を経ないといけないですよね。
でも、そんなことゲームでやろうとしたら、物量がすごくなってしまって誰もやれないですよね(笑)。
奈須氏:
ある意味、ガチャはそれだけで「運命の出会いの場」ですからね。
松永氏:
それってまさに、物語をゲームでやることの最大のメリットだと思うんです。縁や絆を感じるような運命的な出会いに、インタラクティブに立ち会うことができてしまう。
主人公と自分を重ね合わせて、一本道の物語に没入するという昔ながらの楽しみ方もわかるんですが、そこには何かが足りないんじゃないのかと思っていたんです。結局のところ、一本道の物語は誰かが書いた物語であって、自分だけの物語にはならないんじゃないかと。
でも、たとえメインストーリーが一本道だとしても「初めて引いたSSRのキャラと一緒に冒険する」というだけで、誰が読んでも同じになるはずだった物語が、自分だけの特別なものになる。やっぱり、これってすごいことだと思うんですよ。
奈須氏:
わかります。いわゆる「骨太のストーリー」って、普通のメディアだったら、本当に誰が読んでも同じになるはずなんですよ。
でも、我々の場合はしっかりと土台となるお話を用意したあとに、AさんはSSRキャラを引いた、BさんはSRキャラを引いた、という具合に、同じものを味わっているのに異なる視点が生まれているんですよね。
大きなストーリーの流れはありながらも、実質的には個人の物語になっていく。私だけの、あなただけの記録になっていくという。
松永氏:
はい。ハイブリッドですよね。
確定されたメインストーリーの体験と、ユーザーそれぞれの個人的な体験がうまく融合していく。だからこそ作れた楽しさだと思います。分岐選択型のゲーム性で、ユーザーが選択することで個人の物語を感じさせるという手法では、分岐が複雑になるほど物語の骨太感はどうしても減りますし。
正直、ガチャというものには功罪があると思いますが、少なくとも射幸心を煽る装置から、そういう価値ある体験には進化させられたのかなと思います。
奈須氏:
松永さんと話していて、『チェンクロ』にしろ『FGO』にしろ、ゲームとしてかなり優れているものだったんだなあと、ちょっと再認識しました。そりゃあ、スマホゲームって面白いよねえ。
──骨太なストーリー、『ジャンプ』的なライブ感に加えて、運命的な出会いや自分だけの特別感みたいなものの融合ですもんね。そりゃハマるよと。
松永氏:
そうですよね。だから「暇つぶしじゃないだろ!」と言いたいんです(笑)。
奈須氏:
そうですね(笑)。
松永氏:
ボタンを押してポンッと出てきたキャラクターは、データじゃなくて「お前と一緒に思い出を作っていくキャラクターだろ!」と言いたかったんです。今では、スマホゲームでもちゃんとそういう部分を大事にしている作品が増えてきていて、嬉しいです。