フィーチャーフォン全盛期のジー・モード黄金時代を振り返る
──2000年代は、旧ジー・モードのまさに黄金時代と言ってもいい時代ではなかったかと思います。当時の会社の熱気、あるいは景気感を、皆さんどのようにお感じになっていたのでしょうか?
桑原氏:
私個人の視点になりますが、ジー・モードの第1世代、2000年~2003年までは、過去にゲームを作ったことがある人が、引き続きiアプリでもゲームを作っていた時代だと認識しています。
当初は、かつてアーケードやコンシューマー用のゲームを作っていた、上田さんや宮路武さん、それからゲームスタジオ【※】の遠藤さんや黒須(一雄)さんにも携帯用ゲームを作っていただいていました。
ゲームスタジオは、ほぼフルリソースでジー・モードのゲームを作っていただいてましたし、上田さんと窪田俊幸さんの『ソロモンの鍵』を作ったゴールデンコンビも参加してくださいました。
※ゲームスタジオ
同社は2004年4月に、新たに設立されたモバイル&ゲームスタジオに営業権を譲渡する形で社名が変更となり、2015年に再び社名をゲームスタジオに変更して現在に至る。
私は当初、コンシューマーゲームを作れる人材を探していたのですが、求人サイトを通じてスカウトしたのが河上さんでした。その河上さんの人脈で、中途採用で入社してくれる人が増えたのですが、そのあたりが第1世代にあたるコンシューマーゲームの経験者ですね。
その後、新卒の正社員や携帯用ゲームしか作ったことがない第2世代が、ジー・モードにも入社するようになりました。その第2世代のひとりが『空気読み。』を作った栗田祐介さんですね。彼はもともと、ジー・モードの外注先であるゲームのデベロッパーにいて、携帯用ゲームしか作ったことがなかったと思います。
今の「G-MODEアーカイブス」の話にもつながるところでは、栗田さんが『空気読み。』『史上最強 宮本ジュリア』といったヒット作をだしているのですが、彼はジー・モードを辞めてからも、スマホ用ゲームの『Q』【※】も作って大ヒットさせているんです。携帯ゲームのネイティブ世代がクリエイターとして、ゲームの内容も含めて新たに出てきたというのが、すごく変わったところでした。
※『Q』
2015年にリイカが発売した、物理演算を用いて謎を解くパズルゲーム。
桑原氏:
『空気読み。』の開発は半年以上掛かったと思いますが、普通の会社では、なかなか通らない企画だと思います。なにしろ問題数が100問ですから、予算がかかります。私も全面賛成派ではなかったはずです(苦笑)。
それでも作っちゃったのは、ジー・モードにはそれだけの売上と予算があった、ある意味バブルな時代で、このクリエイターに賭けてみようという考え方もあったんでしょうね。
──過去に配信したゲームのラインナップを拝見すると、『空気読み。』のような独特な雰囲気を放つゲームが、カジュアルゲーム以外にもいろいろ出ていましたよね。
桑原氏:
ジー・モードではキャリアごとに担当プロデューサーを付けていたことで、幅広くいろいろなゲームが出せていましたので、そこはまあ良かったなと思います。
『空気読み。』以外でも、容量が大きいメガアプリ端末が最初に出たボーダフォンで、長木さんが作った『ケータイ少女』とかも面白かったですよね。モーションコントロールセンサーで画面を動かして、女の子の好きなところをじっくりと見るなんて、わたしには思いつきません(笑)。
容量が大きくなったし、ボイスも出せるようになったので、「『ケータイ少女』にはボイスも付けて!」とつよくお願いしたことを覚えています。ほかにも河上さんとか、後にドコモの担当をわたしから引き継いだ森泰樹さんとか3、4人のプロデューサーがいて、それぞれのチームにディレクターを配置するという体制で作っていました。森さんには特にスポーツゲーム専門サイト『Get!!Sports』を中心に担当して頂きました。もうその頃にはかなりの社員がいて、たしか60人以上いたと思います。
上田氏:
そうそう。あの頃は、すごい勢いで人数が増えたよね。
──『空気読み。』は2008年の配信ですね。当時のジー・モードのユーザーは、主にどの辺りの年齢層が多かったのでしょうか? また、カジュアルゲームを利用して女性層もうまく取り込めていたのでしょうか?
桑原氏:
女性ユーザーの方は最初から多かったです。全体の半数が女性でしたし、「この世代の集客力が弱かった」というのも特になかったですね。そもそも、『テトリス』を遊んでくれる方も女性のほうが多かったと思いますし。
上田氏:
そうそう。『ペンシルパズルだよ。』のユーザーも女性が多かったよね。
──今の30代前半ぐらいの人たちが、まさに当時のジー・モードのゲームにハマった世代でしょうね。親の携帯を借りて『テトリス』を遊んでいた人もいたりして。
なぜこの頃、ジー・モードさんは業界トップを走り続けられていたんでしょうか。
桑原氏:
よそのメーカーがやっていなかったことを、ジー・モードでは先に出せていたのが大きかったですね。「通信対戦ゲームを出そうと思ったけど、ジー・モードが先に出していたので作れなかった」という話を他のメーカーの担当者からお聞きしたことがあります。
会員数という意味でも、パケット代をなるべく抑えるという技術的な意味でも、「今から始めても、ジー・モードに追い付くのは厳しいね……」と。お世辞の意味もあったかとは思いますが。
通信対戦ゲームサイトは、人がたくさんいなければ破綻してしまいますが、ジー・モードには先行者メリットがあったことと、良いクリエイターがたくさん集まり、ここで育っていったことが大きかったように思いますね。そういう意味では、たしかに黄金時代だったのかもしれません。
──2000年代半ばから後半になると、いわゆる「勝手サイト」や「勝手アプリ」がたくさん出てきましたよね。携帯ゲーム市場ではひとつの分岐点になったのではないかと思いますが、実際にお仕事をされていてどのように思われましたか?
桑原氏:
社内でも「ヤバイな」とは思っていましたよ。勝手サイトの延長線上に大手SNSの大活躍があったわけですし…。ジー・モードでも、勝手サイトやソーシャルゲームにチャレンジしたりもしました。
上田氏:
勝手サイトでもゲームをかなり作りましたよ。『数の暴力』とか、良いものをいっぱい作ったハズなんですけど、ビジネスとしてはなかなかうまくいかなかったですね。
桑原氏:
社内でも「公式サイトを使ったビジネスは永遠に続かないだろう」という想定はしていました。新しいビジネスを広げようと次の手をどんどん打つようになっていて、そのなかのひとつが勝手サイトやソーシャルゲームでした。ほかにも、PC用のオンラインゲームを作ったりもしましたね。
公式サイトでの月額課金のビジネスの場合は、売上が大きく振れないというのが、最大のメリットであり、同時にデメリットでもあるんです。売上を急に上積みするのは難しいので。実は宮路武さんが、数年先の売上まで予測できる、すごく精密な損益シミュレーションを作っていて、ユーザーの解約状況なども、ほぼ正確にわかるようになっていたんですよ。
「この時期までに、広告宣伝費を回収できれば大丈夫だな」とか、すぐに把握できるようになったので、まあだんだん焦るようになっていきましたよね。先ほど、キャリアポータルのバナー広告が販売されたという話をしましたが、大手SNSや勝手サイトにも広告出稿をする必要がでてきたので、とにかく広告宣伝費が高騰していきました。
当時の売上はすごく良かったので、現場から見ればたしかに黄金期だったかもしれませんが、経営サイドは「この先も大丈夫なのかあ」と思っていたので、ゲーム開発スタッフと経営とでは、感覚がかなり違っていたように思います。
現在のジー・モードが「G-MODEアーカイブス」によって目指すものとは
──2020年からは、ジー・モードの携帯電話用ゲームをNintendo Switchで配信する「G-MODEアーカイブス」が始まっています。間もなく5Gのサービスが本格的に始まるというタイミングで、2Gあるいは3G時代のゲームを移植しようと思ったのはなぜでしょうか?
竹下氏:
私が入社したのは2018年なんですが、その頃でも「『フライハイトクラウディア』をまた遊びたい」ですとか、「『史上最強 宮本ジュリア』や『千羽鶴』はもう出さないんですか?」といったご意見を、ユーザーの皆さんからメールでたくさんいただいていました。
そこで、私も実際にガラケーを手に取って昔のゲームを遊んでみたら、「こんなに面白いものがまだまだあったんだ!」という発見がいろいろあって。過去にジー・モードが配信していた良いゲームをまた世に出したい、また遊んでもらえるようにしたいと思うようになったんです。
ただし、普通にイチから移植しようとしたり、現代風にリメイクするとなると、コスト面で全然合わなくなってしまうので、当然ながら社内の企画会議では通らないし、どうしたものかなあと。で、あるときに「一切リメイクせず、そのまま出してしまうのはどうか」。そのままであることがコンセプトである「アーカイブとして」シリーズ化するのはどうかと考えまして、社内メンバーに相談をしました。
社内にはDoJa【※】の仕様を知り尽くしているスタッフがまだおりましたので、Javaで作られたソースをより早く移植できる仕組みを作る為の研究を重ねてもらいました。その結果、DoJaがUnity上で動く独自のフレームワーク、基盤エンジンができ、事業として成立できそうな目処が立ちました。
いわゆるエミュレーターではありませんので、動作がすごくサクサクしているんですよ。
※DoJa(DoJaプロファイル)
503iシリーズから実装された、movaとFOMA対応の携帯電話に搭載されたJava実行環境の仕様のこと。
──ユーザーから移植の要望が以前からあったんですね。
竹下氏:
ええ。それならばやってみようと、私が言い出しっぺになったという次第です。その後、コスト面でも目処が立ったことで社内での承認が取れましたので、2020年の4月から配信をスタートさせることができました。
桑原氏:
黄金期の良いゲームが「G-MODEアーカイブス」で復活すると聞いてうれしいです。上田さんが作った面白いゲームが、またたくさん出てくるといいなあと。私は『大戦略』を待ってますので、ぜひよろしくお願いします。(笑)。
竹下氏:
会社としては、新しいゲームを当然作っていかなくてはいけないのですが、私としては「その前にまずやるべきことがあるだろう」と。かつて、弊社のゲームのファンになってくれた方々に対して、当時のゲームをもう一度遊べるようにすることがまず必要ではないか、それから次に進むべきではないかと考えたんですね。
それから、iモードのサービス自体を終了するとドコモが発表しましたので【※】、そうなる前に準備を始めなくてはいけないなと。
移植するためには、元のソースコードが当然必要になります。弊社にはほぼすべてのソースコードがまだ残っていますが、ほかのメーカーさんでは昔のソースコードがどんどんなくなっているところもあるのではないでしょうか。とにかく、このタイミングで何とかしてこのプロジェクトを始めたかったんです。
開発を始めて、ある程度の形が出来上がってから、桑原さんたちにも実際に見ていただきました。元のゲームを作った皆さんに対して、我々が今どんな思いで仕事をしているのか、適当に移植をしているわけではないということを、きちんとお見せしたかったんです。
※iモードのサービスは2026年3月31日に、iモード公式サイトは2021年11月30日に終了が予定されている。
──G-MODEアーカイブス版の『スケボーマン』や『くるりん☆カフェ』を遊ばせていただきましたが、操作レスポンスやスクロールの速度など、昔の携帯電話で遊んでいるときの感触にすごく近い印象を受けました。
竹下氏:
フレームレートなどに関しては、当時の思い出補正も含めて「たしか、こんな感じだったよね」という操作感を損ねないよう調整していますね。とはいえNintendo Switchという現行のプラットフォームで遊ばせるわけですから、あまりにレスポンスが悪過ぎるとただ不自由なだけで楽しめませんので、そこは注意をしながらチューニングしてもらっています。
携帯のボタン操作についても、そのままNintendo Switchのボタンに置き換えるのが一番ユーザー体験として心地いいなと思って作りました。スマホみたいに、バーチャルパッドで操作をさせる方法もあるのですが、それではちょっと合わない、うまくいかない面があるかなと思ってやめました。Nintendo Switchであれば、携帯モードで手元の画面を見ながらでも、テレビに接続しても遊べますからね。
──「G-MODEアーカイブス」の配信第1号タイトルに選ばれたのは『フライハイトクラウディア』でしたが、リリースした際のユーザーの反応はいかがでしたか?
竹下氏:
『フライハイトクラウディア』は、元々フィーチャーフォンの頃からすごく人気がありましたからすごく反響がありました。一時期はスマホへも移植していたのですが、やがてOSのバージョンアップへの対応が難しくなってしまったため、とても人気があるのにキャリアによって出たり出ていなかったりという状況が続いていたんです。
全プラットフォームに対応して、すべての現行機種で遊べるようにできればもちろんベストなのですが、難しい状況が続いていました。
ユーザーの皆さんには、現行機種への対応は「検討中です」というお答えを続けており、本当に検討を重ねてはいたのですが、結局ずっと出せずにいたので「ジー・モードは、『フライハイトクラウディア』をもう出す気がないんだな」と思われていたかもしれません。
なので最初のリリースを出したところ、「まさか、Nintendo Switchで出すとは!」という、ファンの皆さんからの反応が非常に多かったですね。
──以前に宮路(武)社長がインタビューで、「『フライハイトクラウディア』は、シリーズ3作品合計の販売本数が85万本を超えている」と仰っていましたし、やっぱり反応は大きかったんですね。
竹下氏:
『フライハイトクラウディア』は、『4』までのシリーズ4タイトルと、それから『フライハイトフロンティア』までフィーチャーフォンでリリースしたタイトルだけで、販売本数は累計で150万本以上を超えています。
Twitterの運営も、ここ数年の間にようやく再開することができたのですが、皆さんから「『フライハイトクラウディア』シリーズを出してほしい」というご要望ツイートがとにかく多くて、もう凄い熱量なんです。
それを受け、最初に作った方にきちんと筋を通したかったので、開発中に『フライハイトクラウディア』を早貸さんご本人にもお見せしました。実際にプレイもしていただいたら、とても喜んでくださいました。「自分の作品がまた配信されるのはすごくうれしいけど、ここはもうちょっと直したかったなあ……」と遊びながら何度も仰っていましたね(笑)。
──「G-MODEアーカイブス」の各配信タイトルは、画面上部にデジタル時計を表示したり、操作説明やヘルプ画面のボタン表示を「0」とか「9」などの表記をまま残したり、フォントのデザインも昔の携帯そっくりそのままになっていますよね。
竹下氏:
そうですね。忠実に再現するというのが基本コンセプトですので、元のフォントサイズやバランスもあまり変えないようにして、できるだけ当時と同じ見た目に近付けるようにしています。
操作感については、なるべくストレスが掛からないようにしてほしいとお願いしていました。『フライハイトクラウディア』では、最初の頃はなかなかキー操作の部分がしっくりこなかったのですが、頑張って調整をしていただいたら遊びやすいものができましたね。
「G-MODEアーカイブス」は、昔の携帯で遊んだことがある人がメインのお客さんで、知らない人はほぼ買ってくれないだろうなと思っていたのですが、アンケートを実施したところ、意外なことに今まで遊んだことがない、今回初めて遊んだ人が半分以上だったことがわかったんです。携帯で配信されていたときに、名前は知っていたけど遊んだことがなかった人、あるいは「G-MODEアーカイブス」で初めて知った人がかなり多かったですね。
それから、海外のユーザーから結構な反響があったのも、意外であり、また面白かったことですよね。iモードでのみ配信したゲームは、当時は海外では遊べなかったので、すごく興味を持っていただけたみたいです。
桑原氏:
本当ですか? それはすごいことだと思いますよ!
──新規のユーザーを取り込むことができているんですね。今後も追加タイトルの配信は続けていくのでしょうか?
竹下氏:
アーケードやコンシューマーで過去遊ばれていたゲームは、すでにかなりの数の復刻版が出ていますが、フィーチャーフォンのゲームについては、一時期ハムスターが出されていたことがありましたが、それ以外にはおそらく復刻シリーズがなかったと思います。
我々の取り組みをぜひとも広く知っていただいて、いずれは「ジー・モードにソースを預けておけば、復刻をしてもらえるみたいだよ」と、よそのメーカーさんから思っていただけるようにしたいですね。実際、今の時点でもリクエストをいっぱいいただいているんですよ。
ジー・モードだけでなく、他社さんのフィーチャーフォンのタイトルにも、同じように非常に熱心なユーザーがまだたくさんいらっしゃって、そのような方々が「ジー・モードが、フィーチャーフォンゲームの配信を始めたらしいぞ」とあちこちに広めて下さったんです。そんな反響もありましたので、これからは他社さんのフィーチャーフォン用ゲームに対するリクエストとかも、どんどんお聞きしていこうと思っております。
──今後「G-MODEアーカイブス」では、かつて上田さんが開発された各種対戦ゲームの配信予定はありますか?
竹下氏:
今のところは、スタンドアローン型のタイトルだけを選んでいますが、いずれは検討していきたいですね。
上田氏:
一度始めるとキリがなくなっちゃうよね。いずれ対戦ゲームが1タイトルだけでは済まなくなるだろうしね(笑)。
竹下氏:
対戦ゲームについては、むしろリメイクしたほうがうまくいくかもしれませんね。ちょっと考えてみます。
サーバーと通信しながら遊ぶゲームについても、ぜひ移植したいと思っていますが、実現するためには内部モジュールをもっと改善する必要がありますので、まずはここを着手しないといけないですね。
上田さんが作った対戦ゲームも含め、私がハドソンにいた頃は、「面白いゲームを次から次へと出してくるなあ……」と、ジー・モードのゲームは憧れの対象でした。個人的にはそんな思い入れもありましたので、今回の「G-MODEアーカイブス」ではいいものをどんどん復活させていきたいなと、今頑張っているところです。
先程もお話ししたように、新規のユーザーさんにもかなり遊んでいただいておりまして、実況プレイの配信などもやっていただいたところ、「これ、面白いね」とか「こんなにしっかり作られた、センスのいいゲームがあったんだ」という反応が、『史上最強 宮本ジュリア』や『スケボーマン』ではすごくあって、改めて多くの皆さんに知っていただけることができました。
今のうちにアーカイブがしっかりできる体制を作っておいて、次の世代の新ハードが出てからも、皆さんにずっと遊び続けていただけるようにしていきたいですね。
桑原氏:
ジー・モードを起業した頃は、宮路武さんと「一度ネット上で配信を始めたら、そのままずっと配信が続けれられるからいいよね」などと話をしたことがありました。でも実際はサーバーをどう管理するのかという問題が常にあって、しかも端末が使えなくなったらゲームが遊べなくなってしまうんですよね。
竹下氏:
実はですね、「このゲームが遊べなくなっちゃうから、いまだにガラケーの解約ができないんですけど……」というお問い合わせが、今でもたまにあるんですよ。通話もメールも一切しない古い携帯を、ゲーム専用機としてずっと持ち続けている方からは、「早く『G-MODEアーカイブス』で出してほしい」というご要望もいただいたりしますね。
桑原氏:
iモード全盛期の時代に作ったゲームが、こうして復活するのは本当にありがたいですね。
竹下氏:
古い携帯を大事に残されていても、iモードのサービス自体が終了すると、通信や認証ができませんから、もう起動できなくなってしまうんですよね。でも、ジー・モードのタイトルに関しては、まだいくらでもやりようがあると思っておりますので、今まさに着々と復刻のラインを構築しているところです。
先ほども話にありましたが、他社さんのタイトルも「配信できないのか?」というお問い合わせも結構いただいており、検討を進めている段階です。
上田氏:
最近は、アーケードやコンシューマー用のレトロゲームブームを肌で感じるのですが、「いよいよ携帯ゲームもレトロゲームと呼ばれるような時代になったのか」とつくづく思いますね。
桑原氏:
上田さんが以前に受けていたレトロゲームのインタビュー記事を読んでいて、「ああ、昔はこんな時代だったよなあ……」と思っていたんですが、いざ自分がインタビューを受けたら「ついに自分も、レトロゲームの話をする領域に入っちゃったのか」って。たしかに、あれからもう10年以上も経ってますしね(笑)。
上田氏:
さっき『スペースインベーダー』の話をしたときも、あんまり反応する人がいなかったよね(笑)。
竹下氏:
「G-MODEアーカイブス」で出したゲームでも、「あ、生まれる前に出たゲームだ」っておっしゃってる方もいて、もうびっくりしますよね。
もし配信タイトルが100本そろったら、すべてのゲームがプリインストールされた専用のゲーム機を作れたら最高なんですけどね。難しいかもしれませんが、実はそんな野望も密かに持っています。
──「G-MODEミニ」みたいなゲーム機ができたら、たしかに楽しそうです(笑)。
上田氏:
もし対戦ゲームを復活させるのであれば、そのときはぜひ手伝わせてほしいなあ。
竹下氏:
大御所の方に手を挙げていただけるとはうれしいです(笑)!
桑原氏:
『ケイバモノガタリ』を復活させても面白いかもしれませんよ? まだ元のデータも残っているみたいですし。
上田氏:
それだけじゃなくて、新しい種牡馬のデータを作ったうえで出せたらいいですね。競馬ゲームの場合は、新しいデータが売れるのがすごくいいところなんですよ。当時も、ものすごい量の馬のデータを作ってましたね。
私に、新しい馬のデータを作るパワーが残っているかなあ。昔のリメイクだけじゃ済まないとなると、やっぱり苦労しそうですね(苦笑)。
ただ、ゲーム自体の完成度はすごく高かったなと今でも思いますよ。ジー・モードを辞める前に、何か一生遊べるゲームを作ってから辞めたいなと考えていたのですが、結局実現できませんでしたから、ぜひリメイク版を作ってみたいですね。
──楽しいお話が続いておりますが、時間が迫ってまいりましたのでそろそろ最後の質問をさせていただきます。今後の「G-MODEアーカイブス」で桑原さん、あるいは上田さんがぜひ復活させてほしいとお考えになっているタイトルは何かありますか?
上田氏:
『ケイバモノガタリ』と、あとは『数独』や『お絵かきロジック』ですね。今のスマホアプリで、ゆっくり遊べる良いものがいくら探しても見つからないので。
以前にジー・モードで作ったものは、問題自体の出来も含めて、すごく良くできていたんです。『お絵かきロジック』では、オリジナル問題を西尾(徹也)さん【※】に作っていただいたんですよ。
桑原氏:
たしかに、あの問題はできが良かったですよね。
※西尾徹也
「お絵かきロジック」を考案したパズル作家。日本パズル連盟代表理事を務め、『ナンプレ』シリーズなど多数の著書がある。
上田氏:
『お絵かきロジック』は、絵の元になるヒントの数字が小さいことがネックで大きな絵の問題が作れないんです。それを、カーソルを合わせた部分が拡大表示されるようにしたのがナイスアイデアでした。
竹下氏:
つまり、問題が解けたときの心地良さが違うわけですね。
上田氏:
うーーん。「解き味サイコー!」ってパズルゲームの最高の誉め言葉かもですね。
竹下氏:
たしか、フィーチャーフォン時代の『ケイバモノガタリ』のソースはまだ残っていたと思います。
桑原氏:
それと、私からリクエストをお願いしたいのは『三国志年代記』ですね。シミュレーションのカテゴリーに入るゲームが欲しかったので、私がプロデュースして、倉林(健治)さんがディレクター、そしてゲームスタジオの遠藤さんに監修してもらって作りました。
当時は宮路武さんが、「面白かった。15分で統一出来るシミュレーションゲームが今までになかったし、なんといっても三国志をやった気分が残るというのはすごくいいと思う。特に、脳みその中でオリジナルの三国志ストーリーがなぜか動いている気がする!」と言ってやり込んでいましたね。
リールが回って、目押しで絶対にバトルが勝てるようになるとか、カジュアル的な要素を遠藤さんが考えて入れてくださったり、その一方でリアルなシミュレーションの要素もあったりして、ほかにはない面白いゲームだったと思います。
桑原氏:
昔のジー・モードでも、毎月新しいゲームを追加することで、ユーザーに対して「次は何が出るんだろう?」というワクワク感を提供できていたと思っていますが、「G-MODEアーカイブス」でもたくさんタイトル追加することで、あの頃と同じようなワクワク感を再現していただけているのもすごくうれしかったですね。
今日、お話を聞いていて、「G-MODEアーカイブス」をきちんとビジネスとして考えながら配信をされていることがよくわかりました。復刻されたゲームを作ったメンバーも、きっとみんな喜んでいると思いますよ。今後の展開も楽しみにしています。
──本日は長時間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。また機会がございましたら、ぜひ「日本モバイルゲーム産業史」に残るお話をお聞かせください。(了)
携帯電話向けゲームの歴史を知り尽くした面々から語られる数々の証言は、今日のモバイルゲーム市場にまでつながる、貴重な歴史的資料と言えるだろう。
コンシューマ市場に不安が見えたころに突如現れた、携帯電話という新しいプラットフォーム。性能は一段階落ちるうえに、画面サイズやスペックの仕様さえもわからない。しかし、ジー・モードはその未知の大海に可能性を夢見て漕ぎ出していき、成功を収めたのだ。日本のモバイルゲームの黎明には、まさしくビデオゲームの黎明と負けず劣らずの熱量が存在していた。
ガラケー全盛期の作品を復刻させる「G-MODEアーカイブス」という取り組みは、いずれ他社作品の復刻にも着手していくという。その姿勢には、日本のモバイルゲームの歴史とともに歩んだジー・モードという企業の矜持が感じられた。こうした温故知新の取り組みが、未来のモバイルゲーム業界のさらなる発展へと繋がっていくことを願ってやまない。
「日本モバイルゲーム産業史」とは、約20年にわたるモバイルゲーム業界の歴史を、当事者たちにきちんと話を聞いていって、その証言/記録を、これからの時代に向けた“共有すべき知見”としてまとめていこうというもの。がむしゃらだった時代を振り返ってもらいながら、笑いあり涙あり、そして学びあり(?)な記事を作ってければと思う次第です。
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