2010年代は、ゲームシナリオ業界が大きく動いた10年だった。
詳しい事情については別稿をご一読いただければ幸いだが、ようはスマートフォンの普及に伴いシナリオ面を重視したゲームが急増。これに合わせてゲームシナリオ需要が大幅に高まったことが大きな要因の一つとして挙げられる。
そして急激に上昇したゲームシナリオ需要の供給役を担ったのが、いわゆる『ゲームシナリオ制作会社』だ。
いまやゲーム業界とは切っても切れない関係にあるゲームシナリオ制作会社だが、一方で表に出ることは少なく、その実態は知られていない部分も多い。ユーザーの立場からすれば、そもそもゲームシナリオ制作会社がどんな仕事をしているのか、ということでさえあまり馴染みがないだろう。
そこで今回はその実態に迫るべく、ゲームシナリオ制作会社をリードするシナリオ工房 月光・レプトン・エレファンテ・テイルポットの4社から、それぞれの代表である重馬敬氏、真弓創氏、日暮茶坊氏、むらさきゆきや氏にお集まりいただき、座談会を開催した。
座談会では、実写やアニメのシナリオと異なるゲームシナリオ独自の文法に対する解説や、「ゲームシナリオライターの名前はなぜ出ない?」といった疑問から、ゲームシナリオ業界の生々しい実情まで、あまり表に出ることのなかった貴重な話がいくつも飛び出すことに。
長年、縁の下の力持ち(?)としてゲーム業界を支えてきたゲームシナリオ制作会社の実態について、少しでも興味を持っていただけると幸いだ。
なお、筆者自身もテイルポットとパートナー契約を結ぶゲームシナリオライターであり、今回は司会という形で参加させていただいている。ご出席頂いたゲームシナリオ制作会社とは仕事を紹介してもらったり、あるいはその逆に仕事を横からかっさらわれたりと、明瞭な利害関係にあることは追記しておきたい。
※ ゲームシナリオ制作会社には有限会社や株式会社などさまざまな形態がありますが、本記事では便宜上一律に「ゲームシナリオ制作会社」と表記しております。
シナリオチームはゲームごとに編制されて、開発が終わったら解散するのが普通だった
──まず簡単に自己紹介をお願いできればと思います。とりあえず会社の設立順ということで、月光の重馬さんからお願いできますか?
重馬敬氏(以下、重馬氏):
シナリオ工房 月光の代表を務めております重馬敬です。よろしくお願いします。会社設立は1998年で、『LUNAR シルバースターストーリー』などのシナリオを書きました。
──調べた範囲ですが、ゲームシナリオを専門的に制作する、かつ現存する会社としては一番古参ですよね。
重馬氏:
フラッグシップさんという会社が1997年にあったんですが、現存する中ではそういうことになるかもしれませんね。
──ありがとうございます。次はレプトンの真弓さんから順番にお願いします。
真弓創氏(以下、真弓氏):
株式会社レプトン代表の真弓創と申します。2008年設立で、今回のメンバーのなかでは唯一の関西勢です。スマートフォン版『実況パワフルプロ野球』、『ドラゴンボール ゼノバース』、『ファイアーエムブレム 覚醒』などに参加しています。
電ファミさんでゲームシナリオに関する歴史の記事を拝見したんですが、月光さんとかクオリアさんの名前を見て、「うちも紹介されたいなぁ」と呟いてたら今回拾っていただけました(笑)。
日暮茶坊氏(以下、日暮氏):
株式会社エレファンテ代表の日暮茶坊です。『メモリーズオフ』シリーズのシナリオが代表作になります。
元々はランアンドガンという編集プロダクションに所属していたのですが、シナリオ専門の別会社として2012年に設立しました。
むらさきゆきや氏(以下、むらさき氏):
2018年設立のテイルポットのむらさきゆきやです。
うちの会社はこの座談会に入っていいのか、というレベルで駆け出しも駆け出しなんですけども……。ゲームシナリオでは『神様のような君へ』などを担当しました。
今日は、先輩方のお話を伺わせていただければと。よろしくお願いします。
──さて、今回の企画は「シナリオ制作会社とはそもそも何か?」というのがひとつの題目です。付け加えると、みなさんの会社が設立された経緯について触れることで、ゲームシナリオ業界の歴史的な要素にも触れられるのではないかと思いまして。
たとえば、現存する最古参のゲームシナリオ制作会社は1998年に重馬さんが設立された月光です。ただそれ以前にも、たとえば脚本制作グループというのがいくつかあったみたいでして。
重馬氏:
そうですね。 ゲームシナリオに限らず、シナリオを制作する会社はいっぱいありました。
日暮氏:
ゲームに限らずシナリオ制作会社を入れると、それこそグループSNE【※】さんとか冒険企画局さんとか。
重馬氏:
うちの初期メンバーもF.E.A.R【※】さんで仕事してたライターがすごく多いです。
※グループSNE、F.E.A.R.
いずれも日本のTRPG業界を代表する企業。
日暮氏:
作家の新井輝さんや水城正太郎さん、築地俊彦さんらが所属されていたホビー・データさんもありましたね。あそこ出身の作家さんも、いろんなところで活躍してますよね。
重馬氏:
最初に「ゲームシナリオの専業会社」と銘打ったのは『バイオハザード』シリーズのシナリオなどを担当していたフラグシップさんだったかと思います。
1997年頃に、カプコンの岡本吉起さんが特撮系や戦隊ものを書かれてた杉村升(すぎむらのぼる)さんと立ち上げた会社さんですね。ただ、2007年にカプコンに吸収合併されています。
──重馬さんが一番最初にシナリオライターとして活動したのはいつぐらいの話なんでしょうか?
重馬氏:
えーっと、ゲームアーツさんの『LUNAR ザ・シルバースター』からだから、たしか1992年ごろだったと思います。
──その時は、ゲームアーツさんのシナリオライターだったということでしょうか?
重馬氏:
いえ、富(とみ)さんという、元ファルコムのプログラマー&ゲームデザイナーの方がいらっしゃって。その富さんと一緒にスタジオアレックスという会社を設立して、そこで『LUNAR』のメインシナリオを担当しました。
日暮氏:
スタジオアレックスはシナリオ制作系の会社だったんですか?
重馬氏:
いえ、デベロッパーですね。業務としてメインシナリオも書くという感じで、ゲームアーツさんから受注を受けて『LUNAR』のシナリオを書いたんです。
で、僕は『LUNAR』が発売後に退職しまして。フラフラしながら小説など書いていたらゲームアーツさんから『LUNAR エターナルブルー』を作りたいとお声がけいただきました。今度はゲームアーツ内製ということでした。
真弓氏:
そのときもフリーだったんですか? ゲームアーツの社員になったりとかは?
重馬氏:
あくまでフリーランスのシナリオライターとして関わりました。ただ『LUNAR エターナルブルー』は規模がすごく大きくて。
前作の『LUNAR』は、僕とあともうひとり、後に『グランディア』のメインシナリオを書いた火野君とふたりで書いたんですが、とてもじゃないけど「今度は無理だ」と。それでシナリオチームを作ったんです。
──それがゲームシナリオ制作会社・月光の原型になったんでしょうか。
重馬氏:
そう言えるかもしれません。当時のシナリオチームはゲームごとに編制されて、開発が終わったら解散するというのが普通だったんです。
「これはもったいない」と思っていた矢先、フラグシップさんが実写の脚本系のライターさんを集めてゲームシナリオ専門でやるという話を聞いて。これはいいなと思ったんですけど、同時に「もし他の業界の手法を持ち込もうとしているのなら、ちょっと難しいのでは」とも思いました。
何が難しいかというと、やっぱりゲームと実写やアニメのシナリオとはかなり文法が違うからなんです。実写やアニメで優秀な脚本家さんでも、そのままの文法でゲームシナリオを作るのはけっこう難しいんですよ。これは逆もまた然りなんですが。
真弓氏:
そうですね。表現の縛りやハードの制約も大きいですしね。
重馬氏:
だから、ゲームシナリオはゲームのノウハウを蓄積した専業チームが必要だなぁと思っていたんです。もちろんフラグシップさんにもそうした方針はあったと思いますけど。
で、その後大規模シナリオ開発としてはゲームアーツさんの『グランディア』やリメイク版の『LUNAR シルバースターストーリー』がありました。
ただ、やはりそれぞれの制作が終わってしまうとシナリオチームは解散してしまう。せっかくこの「ゲームシナリオ」という新しい文法をある程度理解しているチームがあるのに、これがバラバラになっちゃうのは「すごくもったいないな」と思いました。
それでゲームアーツの社長の宮路さんとちょっと相談したら、すごく軽いノリで「いいじゃん! うち出資してあげるよお!」と(笑)。
日暮氏:
いやホント軽いですね(笑)。
重馬氏:
「なんだったら角川の歴彦さんに言ったら、角川だって出資してくれるよおん!」とか言ってですね(笑)。
一同:
(笑)。
重馬氏:
「本当ですか?」「そうそう! 全然平気だよお!」とか言って。「あ、じゃあ会社にしますわ」というのが始まりで(笑)。まあそんな、軽い感じのノリでした。
まあ、実際は角川さんの出資はありませんでしたし、ゲームアーツさんからの出資分も後に買い取りましたけども。
──そこで月光が1998年に設立されて、主にゲームアーツさんと取引しつつ、規模を広げていった形でしょうか。
重馬氏:
そうですね、ナムコさんの『テイルズ オブ デスティニー2』とかNECインターチャネルさんの『BLACK/MATRIX 2』なども担当してました。
真弓:
いろんな会社から受注されるようになりましたよね。それはやっぱり、会社という組織になったからですかね?
重馬氏:
間接的にはそうですね。当時のウチは会社といってもライターさんを常時雇用していたわけではなくて、基本的には業務委託契約を結んでの外注という形だったんです。
そもそも月光の設立目的は、代表の僕が仕事取ってきて欲しい人に配るという、ライターの互助会みたいなものだったので。ライターってわりと営業が苦手な人が多いじゃないですか(笑)。書き物はできるけど、営業して仕事もらってくるというセンスはやっぱり別物なので。
一同:
(笑)。
重馬氏:
僕もそんなに営業センスがあるわけじゃないんですが、代表ということもあって一所懸命動いてた感じですね。当時は仲の良い社長同士の「社長会」というのがよくあったので、そこにも顔を出したりして営業していました。
──そういう意味では「会社の社長」という肩書が役に立ったということですね。
重馬氏:
『LUNAR』のような実績があった部分も大きいですね。あとはまあ、当時としては珍しいんですけど、ウチは「ゲームシナリオディレクション」という体制を取っていたんですね。
最初はメインライターとサブライターという作り方だったんですけど。こう言うと語弊があるかもですけど、ぶっちゃけゲームシナリオって面倒なんですよ(苦笑)。
真弓氏:
うんうん。
重馬氏:
じつは開発サイドが求めてることとシナリオライターが書くものの間に、ギャップがあって。
「ゲームを理解した上でライターに発注する」、「シナリオから上がってきたものをゲームに落とし込む」というディレクション業務を担う職種がどうしても必要だったんです。それが、今で言うゲームシナリオディレクターですね。
『グランディア』の開発後半ぐらいから、明確にそういうディレクター職が確立されていきそれを継承した感じですね。『神機世界エヴォリューション』ではグランディアのメインシナリオだった火野氏がゲームシナリオディレクターとして稼働しました。
それを実績として、各社にプレゼンして回りました。「『なぜか欲しいシナリオが上がらないなぁ』と思っていませんか」と。「それはなぜかというと、シナリオライターが使う言語とゲーム制作者が使う言語が違うからです、このふたつって基本的に擦り合わないんで、そこをうちが擦り合わせます」という形で営業してましたね。
とはいえ、 最初は「ディレクターひとり分余計にお金取るの?」みたいに、なかなか理解していただくのも大変でした。ただ一回お仕事し始めると、「あ、なるほど。こういう人がいることによって仕事が回っていくんだ」ということが理解していただけるようになっていきました。
それが2005~2006年ごろですかね、そこからだんだん仕事が広がっていったという感じです。
日暮氏:
いや実際、そこは重馬さんにレールを敷いていただいたおかげでホントに助かってます(笑)。
「この材料で八宝菜を作ってください」という注文に答えるのがゲームシナリオライター
──いま重馬さんがお話しされていた、「ゲームシナリオ独自の文法」について詳しくお聞きできればと思います。やっぱり、ゲームシナリオの作り方って実写やアニメなどの他のシナリオとはかなり作り方が違うと思うので。
重馬氏:
言うまでもないことですが、ゲームシナリオって構造が「ゲーム的」なんですよ。大前提としてゲームの構造にキャラクター性を寄り添わせなければいけないので、「キャラを可愛く書ければいい」ってわけじゃないんです。
たとえばギャルゲーのADVで「クリームパフェが好き」という設定の女の子がいたとします。だからといって「クリームパフェおいしい!」というネタだけで一本書くことはできない。キャラとキャラの関係性やストーリー分岐、好感度やプレイヤーの干渉へのリアクションなどいろいろな要素を融合させないといけないので。
むらさき氏:
まず「そのキャラクターらしさ」を出すところに高い精度が要求されますよね。
台詞ひとつで、プレイヤーから見たキャラの好感度って変わっちゃうじゃないですか。だから、キャラクター性とその子の内面の感情の精度の要求水準が非常に高いんですよ。
重馬氏:
そうですね。
むらさき氏:
その子のファンが多くなると、いよいよごまかしがきかなくなりますし。
例は変わりますが、ゲームシナリオだと「主人公がしゃべらない」ってケースも多いので、その場合はある種のひとり芝居という、ゲームでしかやらない文法が要求されるんですよね。
たとえば女の子のキャラクターの話だったとしたら、言ってみれば「かわいい女の子の日記」を書けなきゃいけないんですよ。
──なるほど。それはたしかに難度が高そうですね。
むらさき氏:
一方で、ラノベなんかだと主人公が濃いんですよ。ヒロインがプレーンだったら、主人公を濃くして話を書く。
たとえば主人公が寒いギャグを言って、ヒロインがツッコミを入れるみたいな掛け合いをすれば話が一区切りできたりするんですけど、ゲームシナリオだとそういうテクニックが使えなくて。
だから、純粋にかわいい女の子の日記が書けないと成立しないんですよね。ごまかしが効かない。
真弓氏:
キャラの立て方については、最近は表情や動きでの演出指定もありますし、場合によっては物語の分岐もライターが業務として管理することもありますよね。そこはもうディレクションに関わる領域で、独自のノウハウが要る部分かなとも思います。
日暮氏:
小説家みたいにガーッとこう書くんじゃなくて、ゲーム画面へのアウトプットを前提とした形で書かなきゃいけないんですよね。そのためには、ゲームの仕様や使える素材ははまず把握しておかなければいけない。
グラフィックひとつにしても、ADVが一番わかりやすいですけど、「背景は何枚まで使える」「表情が何パターンある」だとか。RPGなら、何体までキャラを同時に表示できるのか、何体まで同時にアクションできるのかだとか。
だからもう最近のスマホゲームでは、全体を見ている演出担当の方がいらっしゃるケースが多いですね。なので、「セリフでは『笑っている』と書いてあるけれども、表情は『泣き』にして欲しい」みたいな特殊な場合はこちら側で演出指示を入れますけど、そういうところ以外は演出担当の方にお任せしてますね。
真弓氏:
ゲームは集団作業でひとつのモノを作るので、要望が必ずあるんですよね。
プランナーさんなどから「こういうものが欲しい」という注文が先にあって、その注文に沿うものを、いただいた材料をもとに作っていくという感じですね。
言い換えるなら、ゲームシナリオは「この材料で八宝菜を作ってください」という注文に応えて料理する、という感じですかね。言葉だけで勝負する小説家さんと違って、毎回材料が変わりますし、調理方法も多岐にわたるというか。
日暮氏:
八宝菜のたとえは良いですね(笑)。しかも「八宝菜用の野菜だけ準備して。調理はこっちでするから」という場合もありますからね。
真弓氏:
そうですね(笑)。でまあ、用意された材料の中にうずらの卵がなくて。「すいません、うずらの卵もください」とこっちから言わないといけなかったり、逆に材料の中にメロンがあって、「あの、メロンはやめたほうがいいと思います」と提案したりとか。
日暮氏:
(笑)。レシピを向こうから渡される時もあれば、渡されない時もある。渡されたけど、明らかにこのレシピじゃ美味しくなさそう……という場合も。で、最終的には「冷めないうちに出す」ということですね。
重馬氏:
納期は守らないといけませんね。待ってる人がいるんで。自戒をこめて……。(苦笑)
日暮氏:
シナリオって、ゲーム全体の工程ではかなり上流にあることが多いので、納期はそれだけ重要なんですよね。シナリオが1カ月遅れたせいで、絵や音楽の発注まで遅れちゃったりするともうシャレになんないですから。
むらさき氏:
グラフィック、音楽、効果音がどれくらい必要なのかはシナリオに依存しますもんね。 「どんなゲームを作るか?」と「実際に作り始める」の間ぐらいにシナリオがあるってイメージです。
真弓氏:
例外として、『FGO』レベルだと「大」上流にシナリオがあるはずです(笑)。
日暮氏:
あれはもうシナリオありきで全部組んでる例外中の例外ですのであまり参考にはできませんが(笑)。
真弓氏:
ところが、シナリオが最下流になることもあるにはあるんですよ。
重馬氏:
そうですね。最初からグラフィックやらなにやら全部用意されていて「この素材を全部使える物語を書いてくれ」ということもあります。
むらさき氏:
実際、ソーシャルゲームではシナリオが下流にあることもけっこうありますね。ゲームシステムや課金へのマネタイズのほうが、設計として優先順位が高いので。
ゲームの大型化により、ゲームシナリオ専属チームの需要が増えた
──話を戻しますが、2000年代中ごろになると、日暮さんが代表を務めるエレファンテの前身となるランアンドガンも登場しますね。
日暮氏:
そうですね、ランアンドガン自体ができたのは2006年6月ぐらいだったはずです。
ただ僕は最初からランアンドガンにいたわけじゃなくて、もともとアスキーでセガサターンの本を作ってたんです。
それがある日、アスキーの大講堂みたいなところに集められたと思ったら偉い人が壇上に上がって、「何かな?」と思ったら「ごめん!全員解雇になります」と(苦笑)。
一同:
(笑)。
日暮氏:
で、「ドリームキャストの本を作る時になったら戻ってきて」と言われたんですけど、結局それも実現せず……。
そのままフリーになって、2000年ぐらいにゲームシナリオを書き始めたんです。きっかけとしては、当時お世話になっていたプロダクションの方が取ってきた『メモリーズオフ』というアドベンチャーゲームの案件で、「書いたことなくても良ければやりたいです」と、普通に手を挙げて。
「あ、そういえば君は国語の教員免許があるしやらせてみよう」という(笑)。
真弓氏:
教員免許って(笑)。そこは雑誌のライターをやってたからとかじゃないんですか?
日暮氏:
『メモリーズオフ』に関してで言うと、他のライターさんたちも同様で。当時は専業シナリオライターではなく、ディレクターさんたちが他から引っ張ってきた「シナリオを書きたい人たち」ぐらいの感じだったんですよね(笑)。
でまあ、『メモリーズオフ』シリーズが続いてくれたおかげで、ノベライズや他のゲームの仕事も増えていったという感じですね。その後、ゲームのシナリオを「まとめてやってくれ」と言われるようになっていきまして。
でも、このころになるとボリューム的にもスケジュール的にもひとりでは難しくなってきたんですよね。
──家庭用はもちろん、パソコン専用のアドベンチャーゲームでも年々ゲームの容量が大きくなっていった時代ですね。
日暮氏:
ボリュームでいえば、最初は1メガ【※】もないぐらいでしたけど、もう2メガ・3メガは当たり前になっていきましたよね(苦笑)。
もう4~5人とかで書かないと、納期も厳しいので最初は専属のライターチームを作ろうかなと思ってたんですけど。
であれば「会社一緒にやらない?」みたいな感じで誘いを受けて。でもいきなり社長なんか無理じゃないですか。社長なんか、って言っちゃうとあれですけど(笑)。
※単純計算で50万文字。文庫本4冊相当。
真弓氏:
ここにいる社長、みんなそう思ってそうですけど(笑)。
日暮氏:
なので最初はランアンドガンの「シナリオ制作部」を作って、人員を少しずつ増やしながら「シナリオ制作部長」みたいな感じでやってたんですね。当時はアドベンチャーゲームが多かったんで、いろいろやらせていただいていました。
ただその、2010年代に入って出版業界がどんどん落ち込んでいってですね。もう「シナリオのほうメインでやっていこうぜ」ということで、エレファンテとしてシナリオ制作会社になったんですね。
──それが2012年ですね。
日暮氏:
はい。それで「シナリオ制作会社」と名乗るのであれば、シナリオ書いてる人間が代表になったほうが営業的にも通りが良いので、僕が代表になりまして。
その代わり、経営面とか社長業はさっぱり分からんので、そこは元々の代表に今もオーナー的にお願いしている感じですね。
──みなさん元々ライターですもんね。
日暮氏:
そうなんですよ。経営なんか全然勉強したことないですし、自分の書き仕事をしていると他がどんどんおざなりになりがちですし……。そういう意味では、本当に社長っぽいことやってる重馬さんとかすごいなぁと。いつも尊敬しています(笑)。
重馬氏:
社長をいつも募集中ですよ。本当に。
日暮氏:
いやいや(笑)! でもまあ、ある程度お金払ってくれて雇ってくれるなら、もうそれが一番楽です。
──時代はちょっと前後しますが、2008年にレプトンが設立されましたね。
真弓氏:
そうですね。日暮さんのお話聞いてると、自分もだいぶ経緯が似てるなぁと思いました。
日暮氏:
あ、そうなんですか? やっぱりそういう時代だったんですかね。
真弓氏:
私は20代半ばぐらいまでフリーターとしていろんな仕事をやってたんですけど。2002年ぐらいだったと思いますが、携帯小説を書く仕事をやったんですね。
大学の時に小説を書いてたこともあってネタもあったし、どうにかいい評価もいただけて。そこの会社さんが、ある時ゲームのシナリオの仕事を受けてきて「キミ、小説書けるんだったらゲームシナリオも書けるよね」と言われて(笑)。
──同じく、「あれが書けるならこれも書けるだろう」という。
日暮氏:
やっぱり当時はそのぐらいのノリでしたね(笑)。
真弓氏:
2000年代の頭って携帯アプリのサービスがどんどん増えてた時代なんですよね。コンシューマでもDSバブルが始まりだして、いろんな企画やコンテンツが作られている時期でした。で、だんだんいただける仕事の規模も大きくなって、クライアントさんから「法人になってくれたらいいのにな」と言われて、それで2005年に起業しました。
──それはレプトンとは違う会社ですか?
真弓氏:
そうなんです。当時、ちょうど周りにデザイナーさんやイベントプランナーさんとか、起業したい方たちがいたので、その人たちと一緒に会社を作ったんですね。
で、それぞれ軌道に乗っていけたというのもあって、各部門ごとに別々の会社を作ることになりまして。それで2008年にシナリオ専門の会社としてレプトンを立ち上げたという経緯です。
──確かにエレファンテさんの経緯とだいぶ似てますね。
真弓氏:
そうですね。ただ日暮さんのところはアスキーのような、ライター繋がりの方が多かったと思うんですけど、うちは本当に周りが未経験者ばかりでしたね(苦笑)。ゲーム制作の経験があったのも、取締役の北岡くらいだったんじゃないかと。
日暮氏:
「ゲームが上手い人をライターにしよう」みたいな時代だったんですよ。それでライターがゲームシナリオもやるようになったという。
重馬氏:
真弓さんは僕に会いに来られたことがありましたよね。あれはいつでしたっけ。
真弓氏:
あれは2005〜2006年ぐらいですね。当時は不勉強なことに、「ゲームのシナリオを専門で書いてる会社なんて日本にうちしかいないんじゃないか」とか思ってたんですよ。関西では周りに参考になる会社も見つけられず、ギャランティの相場も分かんなくて。そんなときに月光さんのことを知って、重馬さんに色々教えてもらいました。
スマートフォン普及でさらにゲームシナリオの規模は拡大
──そして2012年にエレファンテが設立された頃には、スマートフォンも普及し始めました。ゲームシナリオ業界的にはスマートフォンの影響はどうだったのでしょうか。
真弓氏:
スマートフォンが盛り上がってからは、本当に仕事が増えた印象ですね。シナリオ会社もぞくぞくと増えましたし。
重馬氏:
単価も上がりましたね。
日暮氏:
モバイルではガラケーの頃からもお仕事もありましたけど、スマホの時代になってからは作れるものがバン!と大きくなりましたからシナリオ仕事の規模も広がりました。特に『チェンクロ』と『FGO』の影響は大きかったですね。
『FGO』奈須きのこと『チェンクロ』松永純が語る、スマホならではの物語の見せ方とは
真弓氏:
シナリオライターの名前がクレジットされるようになったのは『チェンクロ』からですかね? あと、「キャラクターごとにシナリオを置く」というシナリオの重要性を見せたのもやっぱり『チェンクロ』からじゃないかな。
日暮氏:
とくに『FGO』以後は求められるテキストの質や量もどんどん増えていきましたし、頼む側も今まで個人の方にお願いするケースも多かったんですが、それではもう賄いきれなくなって。
真弓氏:
そうですね。こうしてゲームが大型化してきたときにシナリオ制作会社の需要が増えてきたんだと思います。
重馬氏:
まあちょうど、その波に乗ったのがむらさき君のところだよね。
──『FGO』が爆発的な話題となったのが2016年末ごろと言われています。テイルポットの設立は2018年ですね。
むらさき氏:
実際は波に乗り遅れた感もありますけども(笑)。
重馬氏:
テイルポットさんは100万部作家のみなさんが集まってできたという、そもそも成り立ちが特殊ですよね。
むらさき氏:
そうですね。ウチはいろんな作家さんとパートナー契約、ようするに外部委託契約を結んで、取ってきた案件を紹介するといった形でやっています。
──公開されているパートナー作家さんのリストを見るだけでも、『天鏡のアルデラミン』の宇野朴人さんや『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』の聴猫芝居さん、今後『失格紋の最強賢者』のアニメ化が控えている進行諸島さんなど有名な作家さんが目立ちますね。
重馬氏:
あっちこっちから引っ張ってきたんだよね?
むらさき氏:
後輩作家が大手ゲームメーカーの仕事をやりたいけど窓口に会社が必要って言い出したんですよね。それで、僕が当時『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』がアニメ化するってことで会社を作る予定だったんで、「使わせて」みたいな感じで。
日暮氏:
ああー。なんか聞き覚えのある流れが(笑)。
むらさき氏:
「ああ、いいよいいよべつに。窓口ぐらいならね」と言って、気付いたら作家が10人以上集まって案件を回してて。「え?なんか会社になってる?」みたいな(笑)。
後で知ったんですが、その後輩作家は最初、重馬さんに相談したんですよね。そしたら、重馬さんが「ええ~、そんなんさあ、社長なんて誰かにやらせりゃいいんだよ」と言ったらしくて。
真弓:
どうりで聞き覚えのある話だと(笑)。
日暮氏:
重馬さんのせいじゃないですか(笑)。
重馬氏:
うちの設立もそうでしたけど、大体人のせいです(笑)。
むらさき氏:
今はいろんな人から紹介いただいて、ラノベ作家が何十人もいますね。もちろん作家だったら誰でもというわけじゃなくて、「この人は文章もしっかりしてて、ライター仕事もできる」と見込んだ人とパートナー契約を結ばせてもらってるという感じです。