グラスホッパーイズムとは、オリジナルなゲームを常に創造していくこと──須田剛一氏が語る個性的なゲーム作りのこれまでとこれから

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 グラスホッパー・マニファクチュアといえば、『シルバー事件』『killer7』『NO MORE HEROES』シリーズといった数多くの個性的なゲームを生み出してきた、須田剛一氏率いるゲーム開発会社だ。
 このグラスホッパー・マニファクチュアが2021年5月31日より、中国の大手ゲーム会社NetEase Gamesの傘下に入っていたことが発表された。今後グラスホッパーはNetEaseのバックアップにより、10年で3タイトルの開発を目指すという。

 今回、電ファミニコゲーマーでは現在人材を積極募集中のグラスホッパー・マニファクチュアを訪問。代表取締役社長の須田剛一氏から直接話を伺うことができた。

グラスホッパーイズムとは、オリジナルなゲームを常に創造していくこと──須田剛一氏が語る個性的なゲーム作りのこれまでとこれから_001
須田剛一氏

 電ファミの誌面で須田氏に詳しく話を伺うのは初ということもあり、今回の記事では須田氏の人となりに改めて注目し、須田氏のこれまでのゲーム作りを踏まえたうえで、新たな体制となったグラスホッパー・マニファクチュアがこれから向かう先について聞いてみた。

 須田氏がゲーム業界に就職した経緯から、原点であるヒューマン株式会社時代、そして最新作である『No More Heroes 3』の開発エピソードまで、ゲームと同様にユーモアあふれる語り口ではあるが、その中に須田氏ならではのゲーム作りの哲学が、しっかりと感じられる内容となっている。新たな体制となったことで、グラスホッパーの個性的なゲーム作り環境がさらにパワーアップしたことを強く実感できるはずだ。

聞き手/TAITAI
文/伊藤誠之介
編集/実存
撮影/佐々木秀二


※この記事はスタジオの魅力と独自性をもっと知ってもらいたい、グラスホッパー・マニファクチュアと電ファミ編集部のタイアップ企画です。

自分自身のIPを作りたかったから、独立してグラスホッパーを起業した

──グラスホッパー・マニファクチュアがNetEase Gamesの傘下に入り、人材募集を開始したということが、今回お話を伺うきっかけになっているわけですが、そもそもで言うとグラスホッパー・マニファクチュアという会社は、いったいどういった意図で立ち上げられたのでしょうか?

須田氏:
 ヒューマン時代の僕は、「職業監督」だったと思っているんですね。『ファイヤープロレスリング』のシリーズを引き継いで、2作やらせてもらって。
 それで今度は、『トワイライトシンドローム』のチームが崩壊寸前だったのを引き継いで、その立て直しをして……というふうに、会社から与えられた仕事をとにかくキッチリこなすという。

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 でも『トワイライトシンドローム』が終わった後は『ムーンライトシンドローム』でゲーム内破壊みたいな行為をしたりとか(笑)。ヒューマンは自由な会社だったので、当時はそんなふうに本当にいろんなチャレンジをさせてもらいました。

 ヒューマンを出るきっかけは、自分の代表作、自分のIPを作れなかったことですね。オリジナルのタイトルを生み出せていないというジレンマがずっとあって。
 それに加えて、ヒューマンの中にいたままでは、なかなかそのチャンスが巡ってこないというのもわかっていたので、だったら出るしかないなと。その頃は会社自体も傾きかけていて、給与の遅配があったりして、ヤバいムードが漂っていたのもあって。

 ただ会社を出た時は、前から声がけしてもらっていたアスキーに行って、イチ社員として入ろうと思っていたんです。そうしたらアスキーの人たちから「今なら会社を作れるよ」と言われて。それでグラスホッパーができた、というのが経緯ですね。

──「自分でオリジナルのIPを作って、できれば自分の会社を持ってみたい」というのは、けっこう前から思っていたんですか?

須田氏:

 なにもかもムチャクチャだったので、ヒューマンという会社自体は好きだったんですよ。社長が破天荒なんですが、これまたゲーム嫌いで。

 ヒューマンにはヒューマン・クリエイティブ・スクールという世界初のゲーム学校も経営していて、毎年そこの卒業生が入ってくるので開発スタッフがほぼ20代なんです。僕は24歳でヒューマンに入ったんですけど、僕より年下がメチャクチャ多かったんですよ。みんな22歳とかで。もう若い人間が渦巻いて、血気盛んで、ほとんど動物園みたいな状態でした(笑)。

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 あの会社の面白さって、ゼロからイチを作れるところだったと思うんですよ。プロレスゲームの開祖でもありますし。サッカーゲームを築き上げた天野(亮司)さんと、僕の直系の師匠である増田(雅人)さんという、このふたりがクリエイティブをしっかり立ち上げて、ゼロからイチを作れる。
 そういう新しいゲームをどんどん作っていけるような雰囲気が、あの会社には満ちあふれていたし、とりわけスポーツゲームでは当時はトップメーカーだったと思うんです。だからヒューマンの中で、この会社を盛り上げていきたいなというのは、ずっと思っていました。

 でも社長が脱税で捕まって、朝起きたらテレビ局のカメラがいっぱい来ているみたいなのを経験して(笑)。そんなことを経験して、「これはもう出なきゃマズイかな」とモードが切り替わった感じですね。

──今おっしゃったような専門学校を出たばかりの人たちが、どうやってゲームを作っていたんですか?

須田氏:
 僕はヒューマン・クリエイティブ・スクールを出ていないんですけど、あの学校のスゴイところは、在籍中にゲームを作って発売しているんですよね。それが『セプテントリオン』『ドラゴンズ・アース』『ザ・ファイヤーメン』だったりですね。

 そんな感じで入ってくるスクール組たちは学生時代に1本、チームでゲームを作っているんです。だからヒューマンに入ってきた時にはすでにセミプロみたいな感じなので、学生さんというよりは「オレらはもう1本作ってるぞ」みたいな自負ムンムンの小生意気な子たちが来るんですよ。

 それで古株ヒューマン組と新卒組が、けっこうバチバチな状態で。そこに僕が中途でポロっと入って。あの頃はスゴかったですよ。

──「古株」といっても、その方々も20代なんですよね?

須田氏:
 同い年ぐらいですね。20代後半が古株です。それで新規が20代前半ですから。20代の中でも若さのぶつかり合いみたいなのがあって。

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 さっき言ったように、新卒の子でもリーダーをすぐ張れるレベルなので、チームに入ったらエース級なんですよ。だから新しいプロジェクトがポンポンすぐできあがるんですよね。今はなかなか若手でチームって作れないと思うんですけど、当時は新卒のチームがすぐにガーッと合流することがよくあって。

 それでチーム編成してどんどん作っていくんですけど、1年かけて作っていれば長いほうで、「3カ月でゲームを作れ」みたいに言われて。『わくわくスキーわんだぁシュプール』というゲームは3カ月で作ってて、もうバグだらけで(笑)。担当スタッフが気の毒で…。

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(画像はAmazon | わくわくスキーわんだぁシュプール | ゲームソフトより)

 あとは『野球王』【※】というゲームがあったんですけど、これはヒットを打ったらバッターが3塁に向かって走っちゃうという伝説のゲームで(笑)。
 ヒューマンは当時、単体のイベントもやっていたんですけど、池袋のサンシャインで、デカいスクリーンで『野球王』を実演プレイしたんです。ピッチャーがボールを投げてバッターが空振りすると、審判が「ボール!」と言って、それで会場がざわついて(笑)。そのぐらいやんちゃなゲームを作ってましたね。

※『野球王』
スーパーファミコン用ソフトとして発売が予定されていたが、発売中止となった幻のタイトル。

──最近はそういうやんちゃなゲームって、須田さんの目から見ても、出てこない感じですか?

須田氏:
 ないですよねぇ。

──それは何が原因だと思われますか?

須田氏:
 今は数を打たないというか、打てないじゃないですか。それこそスーファミあたりの時代までって、「ゲームを出せば売れる」ような時代でしたし。それこそ営業さんが強くて、どんなゲームでも問屋さんにとりあえず20万本ぶっ込む、みたいな。
 営業さんが全国を回って、とんでもない接待をしたりしていた、泥臭い時代ですよね。だからゲームの出来に関係なく、物があれば売れる時代だったというのも大きいと思いますよ。

 ゲームのクオリティを判断するものも、『ファミ通』のクロスレビューしかなかったし、たとえその点数が低くても売れていたような時代だったので。だからなんでもかんでも、“勢い”で作れた。ある意味、失敗作を作っても経験にできた時代だと思うんですよ。今は、失敗作を作ったら一発でアウトになる時代になっちゃいましたよね。

『ファイプロスペシャル』は、自分のクリエイティブを打ち出す宣言でもあった

──須田さんが自らディレクターとして個性を出していった時期があると思うんですけど、それは意図的だったんですか?

須田氏:
 意図的でしたね。自分の個性を前面に出したのは、『スーパーファイヤープロレスリング スペシャル』【※】の時です。

 その前に作った『スーパーファイヤープロレスリング3 ファイナルバウト』は、とにかく前作の『2』を踏襲して綺麗に仕上げよう、という感じだったんですが。
 その時は、当時の課長だった吉田秀司さんが会社を辞めるという、ヒューマンの中での一大事件があったんですよ。その吉田さんの置き土産で、「僕は辞めるけど、次の『ファイプロ』は須田君の思うように自由に作っていいよ」と、けっこう後押ししてくれたんです。師匠の増田さんも当時、「須田君のやりたいようにやればいいじゃん」と言ってくれて。

 じゃあ「好きに作っていいんだったら、自分のやりたいことをぶっ込もう」と思って、『ファイプロスペシャル』にストーリーモードみたいなものを搭載したのが、自分のクリエイティブを出すきっかけになったと思います。あれが始まりでもあったし、ある意味、宣言でもありましたね。

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※『スーパーファイヤープロレスリング スペシャル』……1994年にヒューマンから発売されたスーパーファミコン用ソフト。「チャンピオンロード」と銘打たれた、『ファイプロ』シリーズ初のストーリーモードが搭載されたが、その衝撃的なストーリー展開は、プレイヤーの間で賛否両論を呼んだ。
(画像はAmazon | スーパーファイヤープロレスリング スペシャル | ゲームソフトより)

──なるほど、そこからなんですね。ちなみに須田さんがディレクターになった経緯は、どういったものだったんですか?

須田氏:
 じつは僕は、ヒューマンの入社試験に面接で一度落ちているんです(笑)。ところが、たまたまそのタイミングで『ファイプロ』の前任者だった浅古(大輔)さんが退職届を出して辞めるというので、当時の企画課でプロレスに詳しい人間が誰もいなくなったんです。

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 それで僕のことを覚えてくれていた方がもう一回面接に呼んでくれて、それで入社することになったんですよ。前任者の浅古さんとは3日間だけ時間があったので、その3日間を引き継ぎにして浅古さんは辞めていったんですけど。そこからもうディレクターでしたね。

──えっ!? 最初からディレクターだったんですか。その前にはどういう経験があったんですか?

須田氏:
 僕はいろんな仕事をしてきていて。ゲーム業界に関わるようになったきっかけは、グラフィックデザインの仕事をしていた時に、出入り業者としてセガさんの会社案内や広告を作ったことですね。それで『バーチャレーシング』の広告を作るというので、鈴木裕さんがAM2研の中に入れてくれたんですよ。その時に初めてゲームの開発現場を見た時に、衝撃を受けて。

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(画像はSEGA AGES バーチャレーシング|SEGA AGES(セガエイジス)|セガアーカイブス|セガより)

 僕はそれまで、「博士がゲームを作っている」と思っていたんです。コンピュータの得意な人たちが白衣を着てゲームを作っているとずーっと思っていたら、普通のお兄ちゃんとか女の子がゲームを作っていて。しかも自分の机の上にニルヴァーナのCDとかを積み上げていたりして。

 「えーっ、普通の人じゃん」と思って。それで「オレにもできるんじゃないかな」という甘い考えを持ったんです(笑)。
 でもそこで、すごく遠かったゲーム業界が、急に自分の視野に入ってきたんですよ。急に現実感が増したと言いますか。「ゲームを仕事にできるんなら、こんな最高なことはないよな」と思って。

──それまでにプログラミングを勉強したとかいうことはまったくなく?

須田氏:
 まったくないですね。ノースキルで。スキルがあるとしたら、「誰にも負けないぐらいプロレスの知識がある」という、この一点ですかね。そこの一点突破です。

──その前に「ゲームっていいな」と思うことは何かあったんですか?

須田氏:
 ずっとゲームセンターに入り浸っていたゲームっ子でしたから。

──それはアーケードからですか?

須田氏:
 アーケード直撃世代です。『スペースインベーダー』の直後から街中にゲーセンがたくさんあって。国道のちょっと奥に行くと1プレイ20円のゲーセンがあって、休みの日はそこに入り浸るという学生時代でしたね。

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(画像はSPACE INVADERS|スペースインベーダーとはより)

──グラフィックデザインのお仕事をされていたとのことですが、何かクリエイティブな仕事に就きたいという想いはあったのですか?

須田氏:
 うーん、明確にあったわけではないですね。東京で生きていくために日々仕事をして、結婚も早かったので、次はもっと稼ぎの良い仕事を、という感じだったので。そうやって自分が生きていくために見ていた職種の中に、ゲーム業界はなかったんです。

 ただ、妻が後押ししてくれたんです。グラフィックデザインの仕事の後に、葬儀屋の派遣の仕事をしていまして。葬儀屋は稼ぎが良いんですよ。自分と同世代の人が独立して会社をやって、幹部の人たちはみんな外車で倉庫に乗り付けて、ルノー5ターボとか憧れの車に乗ってるのが、まあ格好良くて…。
 自分も葬儀屋の仕事をしているうちにだんだんランクが上がって、数社から「須田君、そろそろ社員にならない?」といろんなところから声をかけてもらったんです。

 自分も「この業界なら食っていけるな」と思って腹をくくろうと、妻に「社員になろうと思う」と話したら、妻からは「そのために東京に出てきたの? あなたのやりたいことって別にあるんじゃないの」と言われて。
 「なんだろう? ……ゲームの仕事とか、したいなぁ」「じゃあ受ければいいじゃん」と。それでたまたま買った雑誌に、ヒューマンとアトラスの募集があって。この2社だけが未経験者オッケーだったんですよ。それで送ったら、ヒューマンのほうだけ、なんとか引っかかった感じで。

──東京に出てきたきっかけは?

須田氏:
 ただ単に東京に出てきたかった、田舎から出たかっただけですね。それだけの理由です。

──グラフィックデザインや葬儀屋さんの仕事をしていた時も、ゲームはずっとやられていたんですか?

須田氏:
 はい。でもゲームって当時はけっこう高いじゃないですか。1本、7000円〜8000円とかした時代なので。でもだんだん値段が落ちてきて3000円ぐらいになったら、CDを1枚買うか、ゲームソフトを買うかの2択ぐらいになってましたね。ただ『週刊ファミ通』はほぼ毎週買ってました。

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──それはなぜですか?

須田氏:
 やっぱりゲームが好きだったからですね。あわよくば何か良いゲームをやりたいなという。あとは、妻にアピールできるじゃないですか。クロスレビューの点数が良いゲームをやりたいとか(笑)。

自分の範囲を超えた仕事をすることで、周囲のスタッフがディレクターだと認めてくれる

──ヒューマンで面接を受けた時は、ディレクターだグラフィッカーだというのは特に頭にないわけですよね?

須田氏:
 はい。入れれば何でもやる覚悟でしたね。

──それで入社していきなりディレクターというのは、縁みたいな感じですか?

須田氏:
  プロレスの神様からの贈り物みたいな感じですよね。3日間だけの引き継ぎで。一応、僕のお目付役でひとり、企画のスタッフがついてくれて。
 最初は彼がディレクター代理みたいな感じだったんですけど、途中で「須田さん、もう自分でやんなよ」みたいに、僕に任せてくれて。そこからは僕がひとりで面倒を見た感じですね。

──今振り返って、「なんで自分が任されたんだろう?」と思うことはありますか?

須田氏:
 任されたからには、ここで生き残ってやるって事は意識しましたね。当時20人ぐらいの企画スタッフがいて、でも開発ラインに入れるのはその中の半分ぐらいしかいないんですよ。残りの半分は浪人状態で毎日企画書を書いたり、課長に何か提出するというのをやっていて。
 その中で僕は自分のポジションを守りたいというか、この業界の中で生き残りたいというのがありましたね。数日間いて「ここは自分にとっての生きる道だ」と直感したので。自分がこれまでやってきた仕事のノウハウもすべて活かせるかなというのもあって。

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 なので課長から「1週間でこれに目を通して仕様書を上げて」と、前作の『スーパーファイヤープロレスリング2』の資料が入った段ボールを渡されたんですけど、その資料全部に1日で目を通して、3日で仕様書を提出して。とにかく言われたよりも早くやる。
 赤い彗星じゃないですけど、他の人よりも3倍早い仕事というのを意識して、企画課の中で勝ち残ろうという意識がありましたね。

──ディレクターの仕事というのは、そういう資料を見て、見よう見まねからのスタートということですか?

須田氏:
 そうですね、はい。ただ、PCでデータを入力したり、レイアウトのデザインを組んだりというのは、他のスタッフよりも上手かったとは思います。これまでの仕事の経験の差みたいなものでけっこう勝負できるな、というのはありましたね。
 あとはスピードですかね。他人よりもとにかく早く仕事をする、仕事量をこなすというのは、徹底的に見せつけないとマズいなというのは感じていました。

──ディレクターって「育てようと思っても育たない職種」だと思うんです。だから、すごく貴重な人材なんですよ。
 今、第一線で働いているディレクターの人って、最初からディレクターだったり、何か事件があっていきなりディレクターをやったらできちゃった、という人が多いんですね。そういう意味で言うと、須田さんはどうやってディレクターとしての意識が芽吹いていったんだろうか、と。

須田氏:
 「とにかく生き残りたい」という意識がまずありましたかね。ディレクターでやっていきたいというよりは、この「ヒューマンという会社でゲームの仕事をやっていきたい」、「企画課でトップになりたい」という。目の前の目標を一個一個達成していこうという意識は、明確にあったかもしれません。

──他の人と自分を差別化するための工夫は、何かありましたか?

須田氏:
 うーん、特別何かしたというよりは、やっぱり一歩一歩仕上げることで評価されていった気がします。

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──今の須田さんの立場だと、誰かにディレクターを任せることもあるじゃないですか。その時に、何があればその人にディレクターを任せられると思うのか。あるいは何が足りないとディレクターとして難しいのか。そのあたりは須田さんとしてはどういう感覚でしょうか?

須田氏:
 「与えられた仕事をはみ出る人」が、ディレクターとして向いていると思いますね。与えられた以上のことをやりたがったり、自分から手を突っ込んでいったりとか。あとはムチャ振りを全部こなしていくとか。
 たとえば僕は、シナリオを書いたことのないスタッフに「このシナリオを書いてみなよ」とやらせたりするんですけど、そうすると喜んでやってくれるスタッフもいるので、こういう子はディレクターに向いているなと。あとは、絵を描くのが得意な人は、デザイナーが動かないときは自分で絵を描いたりとか。そういう人のほうが向いているんじゃないかな。

 言い換えれば、「作品のためだったら自分の範囲を超えてでも仕事をする」という姿勢ですかね。たぶんそれは周りも見ているはずなんです。そうすると周りも認めてくれる、といいますか。
 自分で「ディレクターです」と言ってもなかなか認めてくれないと思うんですけど、周りのスタッフたちが「この人とならもう一回やってみよう」と思ってもらえることに価値があるので。

 最初は一切会話してくれないプログラマーとかも、たくさんいるんですよ。それこそ徹夜も一緒に付き合って、彼らが仮眠している時に朝マックを買いに行って、起きたら一緒に食べながらいろんなムダ話をして。そういうものの積み重ねだった気がしますね。
 そこでやっと、どこの馬の骨とも分からない僕のことをディレクターとして認めてくれて。そうやってひとりひとりに認めてもらう。本当に草の根みたいにやってましたね。

──なるほど。そういう意味では自分がディレクターとしてやっていくために、できることをなんでもやろう、といった感じですね。

須田氏:
 そうですね。雑用係もいとわない、ということですね。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
編集
ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a
ライター
過去には『電撃王』『電撃姫』で、クリエイターインタビューや業界分析記事などを担当。現在は『電撃オンライン』『サンデーGX』などでゲーム記事を執筆中。また、アニメに関する著作も。
Twitter:@ito_seinosuke
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