『シンクロ』のアドベンチャーパートの演出を見たら、PCのノベルゲームを作っていた僕らもやる気が出てくる
下倉氏:
ちょっと話がズレるんですけど、『シン・クロニクル』の演出は、やる気が出ますね。
松永氏:
そう言ってもらえると、演出班がよろこびます。
下倉氏:
ソーシャルゲームをやっていて、僕はノベルを読ませるパートの演出が物足りなくて、やる気がなくなるところが正直あるんです。やっぱり我々は、2000年代に美少女PCゲームを作っていたメーカーの人間なので、ノベルを読ませる演出に対しては、ものすごく思い入れがあるんですね。
PC版の『Fate/stay night』を見て「こんなことができるんだ!」って衝撃を受けて。他にも『マブラヴ』とか演出に凝ったゲームがどんどん続いて。そんな中で、テキストを読ませるうえで、立ち絵と背景のシステムを使っていかにコスパ良く、どうやってお客さんに感動を与えるかというのを、我々はものすごく考えていたんです。
そういう意味でこれまでのソーシャルゲームでは、お話を語ること自体のプライオリティがそんなに高くなかったので、そこに力を入れていたゲームがあまりなかったと思うんです。でも『シン・クロニクル』のアドベンチャーパートを見ていて「ウチの演出陣が、こういうゲームを作りたいと思うぞ」と感じました。
松永氏:
正直、ニトロプラスのスタッフさんにそう思ってもらえるなら、開発陣みんな満面の笑みですよ。本当に嬉しいな。
実際、そこはかなりこだわっていて。スマホのゲームって、当時のPCゲームと比べると作るコストがぜんぜん違いますよね。ネットワークの仕組みとか、いろんなところにお金がかかっているなかで、ストーリーが大事なゲームなのに演出にお金がかかってないのはおかしいので、かなりたくさんのスタッフがここには関わってくれています。
とはいえ今のトレンドだと、「3Dのモデルでやらないの」と言われることがけっこう多くて。でも、どう作業のフローを見積もっても、5万字とかのストーリーをクライマックスでやろうとしたり、ここから先の更新で1万字とか2万字の文字数でキャラクターのストーリーを追加していったとしたら、そのボリュームを3Dでやれるわけはないんですよね。
下倉氏:
そうですよね。
松永氏:
モーションをつけて、表情をつけて、カメラをつけてっていうのをやっていったら、お金の問題だけじゃなくて、どうやったらスタッフが毎月それをスケジュールどおり提供できるのか。いったい何人のチームだったらできるのか、といった話になってしまい、コントロールできないだろうと。棒立ちの3Dキャラでドラマをやることは避けたいし、でも動きも表情もしっかりしたもので、1ヶ月とか2か月でストーリーを更新していくことはとても難しい。
だから、ストーリーのボリューム感をきちんとした分量で語りたいんだという本作は、効率的な2Dの形でやったうえで、その演出でユーザーさんが「おっ!」と思ってもらえるものにしなきゃ、と思ったんです。なので「おっ!」と思ってもらえたんだとしたら、すごくうれしいです。
下倉氏:
画面のリッチさを背景のパーティクルで担保したり、どこを省力化してリッチに見せるのかっていうのをちゃんとやられていて、すごく印象的でしたね。
松永氏:
ありがたいです。きっと気づかれないだろう調整を、本当にたくさん、スタッフはやってくれてたので。まさかこんなに早く気づいてもらえるとは(笑)。
下倉氏:
たとえば、シナリオライターから「演出を入れてください」みたいな指示があるじゃないですか。でも演出をちゃんとやろうとしたら、シナリオライターの指示だけでそれをがコントロールできるわけがないんですよ。画面を実際に作って、ここをこう動かすことでこういう感情を動かすのが適切だとか、ここにこういうエフェクトを使うとさらに効果的みたいなことを「演出」という立場で見る人間がいないと、どうしても適切なものにはならなくて。
松永氏:
ならないですね。
下倉氏:
そこにきちんと意識を向けて、お金をかけられるかどうかが、次のステップなんだろうなという気がしていたんです。でも『シン・クロニクル』のように、それをできるタイトルが出てきたんだとしたら、我々もソーシャルゲームでノベルを読ませるような体験をさせたいと、正直思いました。
松永氏:
あぁ、うれしい……。 僕以上にたぶん、演出チームがいちばんうれしいと思います。
イラストだからこその雰囲気の良さも出た絵作りにできているので、2Dも良いよねって思ってもらえたらと。(この対談の時点では)世の中にキチンと出ていないので、演出を含めてドラマの部分をユーザーさんからどのように評価されるのかは、まだわかっていないんですけども、今このタイミングで褒められるのは本当にうれしいです(笑)。
──『チェンクロ』が奈須きのこさんに刺激を与えて、『シンクロ』がニトロプラスさんに刺激を与えることになったらスゴイですよね。
松永氏:
そういうきっかけになったら、めちゃくちゃうれしいですね。
下倉氏:
最近だと『ヘブンバーンズレッド』さんとかも、我々がなじみのある密度でやられているなと思っていて。もちろん3Dのパートとかは、我々のPCゲームではちょっと手の届きづらいところだったんですけれど。でもお話を語るところでは立ち絵と背景があってという形で、なおかつクリック、つまりタップに合わせてちゃんとリアクションがあるというのを徹底してやられていて。「これはノレる!」っていうのがありましたね。
松永氏:
『ヘブンバーンズレッド』さんも、さっき下倉さんがおっしゃった「コスパが良い」というところを、すごく上手にやっていますよね。ちゃんとストーリーを語るなら、ノベルゲーム以来の形式がやっぱりベストで。そのうえでクオリティ感をどう出せるかが、すごく大事だなとあらためて思いますよね。
下倉氏:
でも、第1章を見て思ったんですけど、メインストーリーのボリューム自体も、やっぱりもっと欲しくなりますよね(笑)。
松永氏:
(笑)。そうですね、どんどん欲しくなると思います。2章は1章より長いですし、3章はもっと長いですから。
下倉氏:
やっぱり(笑)。
松永氏:
第1章は、今回のストーリー構造を、最小限のボリュームでやるならどうできるか、というところで作っています。それでも最初の章にしては長すぎると、会社に怒られましたが(笑)。
でも、もっと欲しいと思ってもらえたのなら良かったです。1章はキャンプのストーリーなど含めて、私が自分で全部書いたんですけど、それは構造が複雑すぎて、他の誰にも頼めなかったからなんです。ゲームシステム側の判断も同時に必要でしたし。1章ができてからは「こうやるんです」と、ようやくお願いできるようになりましたけど。
下倉氏:
あぁ、やっぱりそうなりますよね。
松永氏:
パッと遊んだ感じだと「普通じゃん」と思われるユーザーさんもけっこう多いんじゃないかなと思うんですよね。自然に受け取れることを意識してるので。でも1章ができるまでは、全然どうやったら成立するのか分からん! 説明されてもよく分からん! と言われ続けてたので(笑)。その工夫した部分をわかってくださった方がいた! というのがすでにうれしいです。ありがとうございます。
──『シン・クロニクル』のシナリオは、松永さんともうひとりの方でほぼ書いているんですよね?
松永氏:
そうですね。メインストーリー周りは、ふたりで書ききりました。これも少人数にこだわったわけではなく、1章を作ったとて、マンツーマンでやる以上の伝授ができなかったんです。
いまサービスインするにあたっては、シナリオ班をチームアップして、ストーリーをどんどん書けるような体制を作ろうとはしていますが、これはβテスト以降、ちゃんと動くゲームができたおかげですね。触ってもらって、ようやく構造を伝えられるようになりました。
ユーザーさんには自然な形で遊んでもらえればと思っているので、その苦労は伝わらなくていいと思っていたんですが、下倉さんに理解していただけたのは、めちゃくちゃうれしいですね(笑)。
シナリオの矛盾を防ぐデバッグは、ゲームシステムのデバッグよりも難しい
──ちなみに『チェインクロニクル』におけるキャラのストーリーと、『シン・クロニクル』のキャラストーリーとでは、意識を変えたところはあるんですか?
『チェンクロ』のキャラクターストーリーって、良い意味でメインストーリーと分離されていたじゃないですか。それに対して『シンクロ』は下倉さんのおっしゃるように分離されていない感じがありますよね。そこは何に気をつけているんですか?
松永氏:
たとえばなんですけど、『シンクロ』には章ごとにゲストキャラクターという形で、必ず核になるキャラクターが出てきて、彼らとドラマを繰り広げていく形になっています。1章では、ギュンターとアンネというキャラが登場します。そして、ダンジョンクリア後に発生するキャンプのシーンでは、パーティキャラクターを選択すると、そのパーティキャラとギュンターたちとの会話ドラマが発生するんです。
本作では、そのドラマが起きるダンジョンでは、実際にゲーム中のバトルパーティにもギュンターたちが加わるようにしています。バトルのパーティには存在していないのに物語上はいるはず、みたいなよくあるやり方より、いっしょにダンジョンで戦った後、キャンプで話が起きたほうが実在感が出るんです。そういう、ダンジョンを攻略するゲームとしての体験といかにしてつなげるかというところを、すごく意識しています。
長さもとても重要ですね。さきほど、日常のいちシーンという話がありましたが、チェンクロなどのストーリーと比べると、長さが半分以下のすごく少ないものにしています。苦しい戦いの後、自分が話しかけて生まれた、短いけれど大切な時間という感覚にしたくて。長いと、とたんにストーリーを読まされている感覚になるんです。かといって、短ければいいわけではないので、短いシーンの中に、情緒や感情の揺れが起きることを意識して書いています。
あと、感情という意味だと、メインストーリーを先導するキャラたちとの会話は、そのキャラのメインストーリー中での感情の動きと矛盾が出ないように、すごく細かい調整をしていますね。日常シーンのような内容でも、「さっきメインストーリーでこういうことが起きてたけど、それを気にせずにこういう話をする?」といった矛盾がどうしても出てくるんです。
そういう矛盾を徹底的になくして、あくまで普通のことをしゃべっているようにするんですけど、それが普通に思えるのは、じつはいろんな前提条件を満たしていないとダメなんですよ。そういうのは表からはあまり見えないんですけど、テキストだけでなく、かなり細かくフラグの管理もしていたりしますね。
下倉氏:
それってお客さんには見えませんし、そこまで手間をかけてもプラスアルファのユーザー体験としては返ってこないじゃないですか。やっぱり『チェインクロニクル』みたいに完全に分離させちゃって、それぞれでおもしろい読み物を見せるっていうのが、ひとつの正解であることはたぶん間違いないでしょうね。
松永氏:
そうですね。効率という意味では、ひとつの正解だと思います。いつ見ても、そこに好きなキャラクターのストーリーがあって、その中に起承転結が全部入っていたら、じゅうぶん楽しいですし。
下倉氏:
あと、シナリオのデバッグってすごく難しいんですよ。数字がズレているとか、いないはずのキャラがいるとかは、わりと簡単にデバッグできるんです。ところが、イベントの内容が矛盾しているとか、シナリオの流れがおかしいというのは、見つけるのがかなり難しくて。でも『シン・クロニクル』では、それをやられているんですよね。
松永氏:
はい。でも正直、100パーセント矛盾を防ぐことはできていないですね、きっと。今(サービス開始直前)でもバグ報告のチケットが送られてきますから。「これは矛盾しているのでは?」と。
下倉氏:
今までのソーシャルゲームだと「戦闘画面のこの位置に、このキャラがいてもべつにいいじゃない」とか、なぁなぁで整合性を無視していたところもあったと思うんです。でも『シン・クロニクル』は、そこをすごく丁寧にやられているなぁというのが、プレイしていても感じられたので、作り手としては「スゴイことをやっているな」と思ったんです。
松永氏:
ありがたいですね……。この場で説明しても、普通は「は?」と言われるような苦労ばっかりしています。
たとえば今、運営のスケジュールも準備してもらっているんですけど、そこでも特有の苦労があって。『チェインクロニクル』をはじめ、一般的にキャラクターを出していくゲームだと、キャラクターを出す順番を多少入れ替えても問題はないんです。でも『シンクロ』は、先ほどお話ししたキャンプのシーンがあって、メインストーリー用に用意しているキーキャラクター以外にも、キャンプのシーンがあるキャラが色々いるという仕様になっているんですね。
そうするとたとえばキャラクターを出す順番がちょっと後ろにズレると、「もうクリアした章のストーリーがついていても意味がない」ってなるんです。逆に、早く出てしまっても手前の章にはストーリーを用意してないので「あれ、何もない?」となってしまう。ですので、ちょうどいいタイミングでちょうどいいストーリーが入っているキャラを、ちょうどよく運営をし続けないといけないという苦労があるんです。
下倉氏:
そういう「シナリオのシステム構築」みたいなものが必要になりますよね。これから章が増えていって、キャラクターが増えていった時のことを考えると、やることが膨大に増えていきますから。
松永氏:
そうなんですよね。スタートしてもぜんぜん油断できないなって感じなんですけども。そういう独自の、しなくてもよかったかも知れないけどあえて踏み込んだ苦労を、今は確かにしていますね。
……いやぁ、こんなに地味な苦労をわかってもらえるとは(笑)。
「選択肢」ではなく、その選択肢に関わる「キャラクター」を選ぶ形であれば、納得感がある
松永氏:
下倉さんは今、アニメの『東京24区』【※】の脚本を執筆されているじゃないですか。『東京24区』って、キャラクターが運命の選択を行うシチュエーションとか、カギを握っているキャラクターの構図など、『シン・クロニクル』と近しい構造でやられているな、と思うところがけっこうあって。テーマとして見せたいものがけっこう近しいと、構造が似てくるのかな? と勝手に思っていたんですけど、どうなんでしょうか。
※『東京24区』
TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズなどを手がけた津田尚克氏が監督を務め、下倉バイオ氏がシリーズ構成・脚本を担当した、オリジナルTVアニメーション。東京湾に浮かぶ人工島、通称「24区」で生まれ育った3人の幼なじみは、死んだはずの仲間からかかってきた電話によって、「未来の選択」を迫られる……。
下倉氏:
じつは自分としては、ああいうものを積極的に作りたいという意識があったわけでもなくて。こういう作りの未来が見える話で、群像劇をやりたいって言われた時に、企画に合わせたものとして「こういう形のお話になるよね」って出しているんですけれども。
アニメって、リアルタイムに放映が進んで行くという意味では、ソーシャルゲームと似ているところもあるんですけど、それをいかに活かすかと考えた結果「じゃあ来週はどっちを選ぶの?」という選択を、視聴者に対してきちんと投げかけられるようなシナリオ構造はどうだろう、と提案させてもらったんです。
でもアニメの場合、選択の可能性は見えても正史はひとつなので。そこはラクなところがあります。視聴者のひとりがこっちを選びたいと思っても、「キャラクターたちはこう考えてこう行動したんだから、こっちになるのが今回のお話ですよ」という持っていき方に納得感があると思うんです。
でもそれがゲームという媒体になると、「どっちを選ぶの?」という選択の動機をユーザーが引き受けなくちゃいけないじゃないですか。その時に、「こっちを選んでいたらどうなったの?」という感情の持っていきどころですよね。「どっちも選びたいのに、なんでどっちも見せてくれないの」っていう、その責任の所在をどう処理するのか。それはすごく難しいと思っていたんです。
『シン・クロニクル』はそこをいったいどう処理しているのか、すごく気になっていたんですよ、プレイするまでは。でも実際にプレイしてみたら、「キャラクターに惹きつけて克服する」という形を採っていて、すごく納得できました。
松永氏:
そうなんです。とにかくキャラクター愛に立脚して構成しているので。
下倉氏:
多くを救うか、ひとりを救うかっていう、有名な選択肢があるじゃないですか。あれって結局、どちらを選ぶかはそれぞれ別の正義だから、どちらを選んでも自分の選択を肯定的に捉えさせるのは難しいと思うんですよ。どちらにも分がある以上、それをお話として語った場合には、「そんな選択肢を作るほうが悪い」といった方向に意識が向きやすい。それが人情だと思うので。
でもそこをキャラクターに惹きつけると、わりと納得感があって。どちらも平等に価値があって、尊重しなきゃいけないキャラクターなんだけど、「彼を選びます」、「彼女を選びます」っていうのは、人間の感情としてすごく納得感があると思うんですよ。『シン・クロニクル』をプレイして、「あぁ、そういうふうにクリアされてるんだな」と、すごく納得しました。
松永氏:
そうですね。構造としての選択肢のジレンマみたいなものは、おっしゃるとおり、じつはそこはあんまり重要ではないというか、そこに立脚しようとするとハマるな、と思ったんです。なので、とにかくキャラクターに対する愛着形成というか、「どちらのキャラクターを選びますか?」というところに集約させています。
下倉氏:
『タクティクスオウガ』のロウとカオスのような選択が1回しかできないのは、ユーザーとしてはすごくストレスだと思います。それはどっちの正義も見たいから。でも「どちらかのキャラクターを選べ」だったら、「私はこのキャラクターにコミットします」という形で乗れると思うんですね。そこですよね、違いは。
松永氏:
クライマックスで運命の扉を選ぶ時に「これを選ぶとこのキャラクターとの運命は失われます」って、思いっきり出しているんですけども、あれも開発中は賛否両論があって。「この先のストーリーが読めちゃうじゃん」と。当たり前なんですけど、「こいつが仲間になって、こいつとの運命が消えるというのはどういうことだろう?」と考えると、ある程度の話の筋が見えちゃう。
でもそうやって強調しておかないと「1回しか選べないのに、思っていたのとは違うヤツが仲間になった!」となったら、もう絶対に許せないと思ったんです。それって結局、どちらの選択が正しいかではなくて、どちらのキャラクターと一緒に先へ進みたいかで選んでいるからであって。それをまず尊重し、そこを絶対に間違えないようにする。選択の直前でデカデカと真っ赤なウィンドウで「こっちが仲間になるけどいいですか?」と、しつこいぐらい聞くようにして(笑)。
『シン・クロニクル』では、その人なりのキャラクターへの愛で物語が動いていくのを、楽しんでもらいたいんですよね。
下倉氏:
ソーシャルゲームが「ガチャによってキャラクターを引く」という、キャラクターをベースに駆動するものなのは間違いないので、分岐における梃子(てこ)の支点みたいなところをキャラクターに置くのは、絶対に正しいと思います。
──なるほど。下倉さんとしてはそのへんも含めて、『シン・クロニクル』を「噛み合っているな」と感じられたわけですね。
下倉氏:
そうですね。
──普通のアドベンチャーゲームならやり直しができるから、分岐ってじつは「どっちも選ぶでしょ」というものだったと思うんです。人情としてはどっちも見たいし、どっちも遊び尽くしたいから、繰り返しプレイして、両方の分岐の結果を見た先にトゥルーエンドがあるよね、というのがある種、アドベンチャーゲームの作法だったわけじゃないですか。
それをソーシャルゲームに持ってきた結果、1回しか選択できないというのは、かなりリスクがあるというか、デメリットもあるなかでどうやるんだろうというのは、正直僕はまだピンと来ていなかったんです。でも今の下倉さんの「キャラクターで解決したんですね」という説明を聞いて、「なるほどな」とすごく納得できました。
松永氏:
ちなみに、第2章はゲストキャラクターがひとりしかいないんです。なので、どっちが好き?ではないので、そこはまたひょっとしたら、感じ方が変わるかなと。とはいえ、自分が物語を共にしてきたキャラクターとどうありたいかというのが軸になるのは結局変わらないので。そういう形でいろんな選択を用意しながら、ユーザーさんに楽しんでいただけたらと思っています。
下倉氏:
結局、プレイヤーをどうやって物語にコミットさせるのかという、そこのところですよね。
松永氏:
「“究極の選択”ってどういうものがあるんだろう」と、片っ端から調べたんですね。でも、ジレンマの構造だけを見たら下倉さんがおっしゃるように、選びようがないし、どっちも間違ってるように思えて。正直、そんなにおもしろいとは思えないものが多いな、って感じたんです。
結局は、「選択肢の両脇に“誰が”立っているか」が問題なんだと。実際、人生における選択も、すべからくそうですよね。