『君と彼女と彼女の恋。』は何回でも遊べるパッケージのゲームで、一度しかできない体験を味わえる作品だった
松永氏:
さっき下倉さんはこともなげにおっしゃったんですけど、アニメにはプレイヤーがいなくて、成り行きを眺めるしかないじゃないですか。それで今回『東京24区』のように、ひとつしか正史がないというなかで、どういうオチをつけたらユーザーが納得してくれるのか。選択の積み重ねというもので、どういうストーリーの解決を図るのか、そこにすごく興味があります。
下倉氏:
あれは作ってるほうも「どうなるの、これは?」と思いながら作っていました。
松永氏:
そうなんですか(笑)。では、僕も「どうなるの、これは?」と思ったまま最後まで見ることにします。
あと、1回しかない選択をやるという意味では、下倉さんが制作された『君と彼女と彼女の恋。』【※】をプレイせていただいたんですけど……。
※『君と彼女と彼女の恋。』
2013年にニトロプラスから発売された、18禁恋愛アドベンチャーゲーム。主人公の須々木心一は、幼なじみの曽根美雪と、不思議な少女・向日アオイとの3人で時間を過ごすようになり……。一般的な恋愛ゲームとは異なり、本作でプレイヤーはふたりのヒロインのあいだで「究極の選択」を行うことになる。……のだが、その過程で本作に盛り込まれた斬新なアイデアを巡って、発売当時は賛否両論が巻き起こった。
下倉氏:
ありがとうございます。
松永氏:
あのゲームにはリリース当時、めちゃくちゃ衝撃を受けて。他のユーザーさんの感想を細かく調べてはないんですけど、あれをがんばって2周目やった人って、ほとんどいないんではと。少なくとも僕はしませんでした。しちゃいけない気がして。
ある意味あれって、何回でもやっていいはずのパッケージの作品で一度しかできない体験を、世界で最初にやった作品じゃないかとすら、個人的には思ったんですが。
下倉氏:
なるほど。
──当時、下倉さんはなぜアレをやろうと思ったんですか?
下倉氏:
美少女PCゲームのユーザーはセーブとロードを駆使してハーレムを享受しているよね、ということに対して、そのことを当のヒロインが知っちゃったらどういう話になるのかなと。それをどんどん掘り下げていったら、ああなっちゃったんです。
ですので、「このお話で最後にもう一回やり直すようなゲームシステムになったら、それは作り手としてマズイよね」と。べつに意地悪をしたかったとか、そういうわけではなくて。こういうゲームだから、こういう感じにならざるを得ない、と作っていったら、ああなったんですよね。
松永氏:
なるほど。そういう順番なんですね。
下倉氏:
逆に、ユーザーさんに負担をかけようとか、そういう意図で作ると「いいから作者を連れてこい」、「なんでオレはこれをやらされなきゃいけないんだ」みたいな話になっちゃうんです。そうじゃなくて、「自分も本当はこうしたくないんですけど、みなさんもこういう話ならこうせざるを得ないのはわかってくれますよね?」という気持ちでゲームを作っていて。
でも、それって大事なんじゃないかなと思います。理不尽な選択肢が出てくるのはなぜか、みたいなところに対しての同意の取りつけ方はキチンとしているわけで。この世界自体に反感を抱くんじゃなくて、「この物語にコミットしたら、どちらかを選ばざるを得ないのはわかってくれますよね?」といった作りには、いつもしたいなと思っています。
松永氏:
そこは下倉さんがこだわっている部分、ということなんですか? ゲームならではの構造というか。
下倉氏:
そうですね。このアイデアが最初に出たら、こういうゲームにしかならざるを得ないよね、というものばかりやっていますし。アニメでこういうお題が出たら、こういう建て付けだとおもしろくなりそうだよね、とか。
自分の作家性みたいなものって、どうしても滲み出ちゃうものだとは思うんですけど、基本的にはフラットに、何でも球を打ち返して適切なものを作りたい、という意識ではあります。
松永氏:
まず物語のアイデアありきなんですね。「ゲームだからできる物語の構造」にけっこうこだわっていらっしゃるのかなと、勝手ながら思っていたので。逆なんですね。アイデアをやりきるために、独自の構造を提案されてるんですね。
下倉氏:
まぁ、ゲームであればゲームであることにこだわらなきゃ、という意識はやっぱりありますね。
松永氏:
ちなみに、下倉さんの名前を私がいちばん最初に拝見したのは、『STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)』で林直孝さんと一緒にやられていた時だったんです。
『シュタゲ』はSF的なタイムリープの構造を褒めるよりも先に、「めちゃくちゃ感情移入できておもしろい」ことが一番すごいと思っていて。大事なシーンでは没入感があって、自分の主観でそれを体験しているような感覚がありつつも、でもじつはほぼ一本道の構造になっている。あの作品の構成に下倉さんが入っていたと聞いていたので、選択することに対してユーザーがどれぐらい没入を感じられるかを、どのタイトルでもこだわっているように勝手に感じていました。
──ちなみに下倉さんは、『STEINS;GATE』ではどう携わられていたんですか?
下倉氏:
構成の補佐をやっていました。シナリオはぜんぜん書いていないので、キャラクターなどは林直孝さんのお力でできています。
いろいろディスカッションには参加させていただいたのですけれども、自分が「ここ協力できたかな」と思っているのは大きく2点で、タイムマシンを使って好き勝手やっていたら、どんどんとしっぺ返しを喰らって元の世界線に戻っていくっていう、物語の構造を提案したのと、あとは「スケール感を秋葉原の仲間の話にしましょう」と強く言ったぐらいかなと。
『STEINS;GATE』は、自分が話を受けた時には「第三次世界大戦を阻止するか、ディストピアか」という話だったんですね。それに対して「もうちょっと秋葉原のサークルの話にしましょう」と。
つまりあの話は「第三次世界大戦を選ぶか、ディストピアを選ぶか」というのではなくて、「紅莉栖を選ぶか、まゆりを選ぶか」っていう、キャラクターのどちらを選ぶかという形に、ストーリーの意味上はなっているんです。そういうのって大事ですよね。
松永氏:
おお、さっきの話に戻ってきた。やっぱり自分が感情を持って接している何かに対してじゃないと、選ぶ意味がないなってことですね。下倉さん的にも、やはり身近な選択のほうが没入感や納得感が上がる、みたいな判断だったんですか?
下倉氏:
まぁ、一種の詐欺のテクニックです(笑)。「女の子と仲良くなりたいわけじゃないけれども、世界を救うと仲良くなっちゃう」みたいな(笑)。
松永氏:
結果、どちらも成し遂げられたという満足感が得られると。たしかになぁ。
主人公が没個性だと、感情移入しやすい代わりに物語を語りにくくなる
松永氏:
さっきアニメの話で「群像劇というオーダーで」という話がありましたけど、下倉さんの作品は群像劇のように濃いキャラクターがたくさん出てくる場合でも、主人公の視点が定まっていると感じていて。一般的な群像劇だと、誰もが主人公で、その人たちがたまたまこう交わったから熱い、みたいなものだったりするじゃないですか。
それに対して下倉さんの場合は、主人公性みたいなところに対して、一本筋の通った作家性みたいなものを感じていて、そこが個人的に共感できたんですけれども。
下倉氏:
それを心がけてはいるんですけど、毎回うまくいっているかどうかは……。ちょっと難しいと思いながら、いつもやってはいるんです。
松永氏:
下倉さんが以前、別のインタビューで「主人公に没入性を持たせていくのは、面倒くさいわりに効率が良くない」とおっしゃられていて。先日、『ドラクエ』の藤澤仁さんともお話しをさせていただいたんですけども、藤澤さんも「『ドラクエ』型の主人公を作るのはすごく大変だ」というお話をされていて。
実際、全員のキャラが濃くて、キャラクターたちがわちゃわちゃやっていて……というほうが、全員のキャラクターを作っていって、そのキャラクターが歩き出して交わるところをキチンと見せるだけで、ドラマとしてはおもしろくなりますよね。それに対して、主人公というものをキチンと設定していくと、視点がかなり制限されることになる。主人公の個性が強すぎると、受け手から「これは自分じゃないな」と思われちゃいますし。そのへんのバランスをちゃんと取っていらっしゃる方って、じつは業界にそんなにいないなと、個人的には思っているんですけど。
じつは「下倉さんとお話ししてみたいんです」と思ったのは、そこの部分なんです。
下倉氏:
そうなんですね……じゃあ、『シン・クロニクル』の主人公を見ていて、「このシナリオを自分が書くとしたら、これは大変だな」と思った問題の話をしますか(笑)。
松永氏:
ヤバい、なにか問題が? めちゃくちゃドキドキします(笑)。
下倉氏:
いや、逆に自分はキャラクターが強くないと「どうやって作ればいいんだろうか」と悩んじゃうんですね。ソーシャルゲームでも美少女ゲームでも、それをキャラクターコンテンツとして見た場合に、主人公が立っていないとお話が安易になっちゃうんですよ。
それはなぜかというと、主人公を没個性にすると、ヒロインがトラウマを抱えている時に、主人公が当たり前のことを言ってそれを解決する話になりがちなんですよね、どうしても。主人公の色が濃ければ、見ているほうが「アッ!」というような手を使ってヒロインの問題を解決する形のドラマにできるんです。
でも、感情移入させたいがために没個性にしてしまうと、飛び抜けた才能を持たせづらい。そうすると、ヒロインが誰にでも解決できるようなトラウマを持っていて、主人公が正論を言ってヒロインがハッピーになって親密度が高まって……みたいな形になりやすいんです。
昔は美少女ゲームの主人公と言えば、「顔無し」だの「目隠れ」だのといった古式ゆかしい個性のないキャラクターでした。そんな個性のない主人公がどうやってヒロインを立てつつ、トラウマの難度を上げつつ、ドラマを作っていくのか。それは自分にはなかなかハードルの高いものだなという意識があるんです。
松永氏:
なるほど、たしかに。『シン・クロニクル』でも、その部分を工夫したことを思い出しました。
下倉さんがおっしゃったとおり、感情移入のしやすい没個性型の主人公だと、クライマックスの選択肢がどうしても軽くなるんですよね。なんかもう「はい/いいえ」みたいな感じになっちゃって。これはどうしたらいいんだろう、と悩んだ結果、本作では、ゲームを進めていくと「クロニクル」と呼ばれる本が開いて、そこからキーワードが出てくるんです。
このキーワードによって「主人公はこの内容を踏まえて話しているんだぞ」とユーザーさんに納得してもらったうえで、選択肢を選んでもらうことにしたんです。キーワードは、過去に見たドラマに紐づくので、それによって選択の重みも出るし、「はい/いいえ」を超えてくる主人公のセリフに対して「普通そんなの思いつかんだろ」ではなく「たしかにあれを踏まえるなら、こう言うのはわかる」と納得感が出るという、その両取りを狙ったんですけど。
と、自分が半年ぐらい「これはどうしたらいいんだろう……」と悩んでいたのを、逆に思い出しました。下倉さん、1回プレイしただけでその部分に気がついたんですね。やっぱりスゴイな。
──先ほど、没個性なキャラクターのほうが感情移入しやすいから、ゲームの主人公にはそういうキャラクターを使っていたという話がありましたが、『STEINS;GATE』が出てきた時は逆に、ゲームなのにすごく個性的な主人公だということに、ギャップを抱いた記憶があるんです。個性的なキャラなのに感情移入できるとか、個性的なキャラなんだけど自分だと思えるとか、あれは何を工夫したらそうなるものなんですか?
下倉氏:
うーん、難しいですね。でも共感は、べつに個性の強弱で決まるものではありません。逆に個性の弱いキャラには共感がしづらかったりもしますよね。「あんなことしてスゲェなぁ。こいつ良いヤツだなぁ」というほうが、自己没入はしにくいかもしれないけど、共感はしやすかったりするじゃないですか。あるいは弱点を持っていたほうが共感しやすかったりしますし。そういう意味では、キャラが濃くてもぜんぜん良いかなと思っています。
あともうひとつは、自分の出自はPCのノベルゲームで、ゲームシステムではなくて物語を語りたいメディアだったんですよ。その流れでストーリーが肥大化していくうえで、主人公にキチンと内面があってドラマがあって、という方向に舵を切らざるを得ない流れがあったんじゃないかと思っているんです。ヒロインたちと自分が恋愛をするだけではなくて、物語というジェットコースターに乗せるうえでは、主人公に個性があったほうが、お話を作りやすいんですね。
──『シュタゲ』をプレイして、主人公とプレイヤーの状況がかなり一致しているというのを、相当意識して作られていると思ったんですよ。普通のアドベンチャーゲームだと、物語が分岐して、それをやり直したりするなかで、主人公の知っていることとプレイヤーの知っている情報がズレていくじゃないですか。でも『シュタゲ』は分岐しているけれども、ある種一本道なので、キャラクターの知っていることとプレイヤーの持っている情報がズレないっていうのが、当時のアドベンチャーゲームの流儀からすると新しいなと思ったんです。
下倉氏:
それは主人公のキャラクターというよりは、お客さんを楽しませるうえで分岐をどう位置づけるか、という話ですね。『シュタゲ』が出た頃は、ループゲーがけっこう成熟してきた時期でした。
ループゲーにおいては、主人公の持っている情報が周囲とギャップを持ってしまうことそのものが、ストーリーの大きな肝になっていたんですよ。自分はこの1日をもう100回も繰り返しているのに、彼女はこの1日を初めて行動するというギャップから生まれる主人公の孤独、みたいなものをストーリーの中に組み込まなきゃいけなかった。そういった感情をユーザーに俯瞰させるよりも、あくまで主人公の感情に惹きつけたほうがドラマとしては作りやすいので、そういう作りになったんだと思います。
松永氏:
勉強になるなぁ。
──ものすごくロジカルに作られていますよね。
下倉氏:
いやぁ、やっぱりいろいろ考えますよ。あとは作った後から「こういう意味だったんだ」って自分で気づく場合もあります。
『シン・クロニクル』の主人公も、最初は「なんでこんな本が出てくるんだろう?」ってよくわからなかったんです。でも分岐のところで「そうか! これで没個性の問題をクリアするんだ」と気づいた時には、作り手としてのアハ体験というか、「なるほど!」という納得感がスゴくて。
松永氏:
半年あがいた結果ですね。本当に下倉さんがおっしゃるとおりの壁にぶち当たったので。
あのクロニクルには、最後の選択には関係のない言葉もいっぱい集められるようにしていて。没個性な主人公から出てくる突然の選択肢って、やっぱり遊びが難しくなりますから。関係ない言葉も集めつつ、要所要所でその言葉を使って、新しい言葉を言い出しても「たしかにな」と思ってもらえるような新しい意味合いが出せればと思ったんです。
あとやっぱりモバイルのゲームって、ユーザーさんはちょっと前の伏線とかをすぐ忘れちゃうんですね。どうしても間を空けてプレイすることになるので、当然なんですけど。そうなった時に何か、思い出すきっかけになるものがあったほうがいいだろうと。それでああいう仕組みを入れているんです。
下倉氏:
主人公って、長ゼリフを言わせづらいじゃないですか。主人公はモノローグをメインにやっていかなきゃいけないから、「自分がライターだったらどうやって……」みたいなことを考えちゃいますね、どうしても。
松永氏:
僕も今、ライターチームと一緒にやっているんですけど、やっぱり主人公の選択のところが、赤字で修正を入れるのがいちばん多くて。本当にお察しの通りだと思います。
『シンクロ』はプレイが積み重なっていけばいくほど、「このキャラを選んだ」ことが固有の体験になっていく
下倉氏:
そういう意味で、日常の会話で絆みたいなものを引っ張りつつ全体をまとめてあるという、ゲームシステムのデザインをキチンとされているから、ああいうところにシナリオが落ち着くんだなと、納得感がスゴかったんですよ。
自分の今までの感覚で言うと、クライマックスのバトルって、このキャラがいるからこういう展開になって……というのをガチガチに作ってしまっていたんです。お客さんをジェットコースターに乗せちゃうっていうのが、起承転結のある物語のあるべき姿だ、みたいな意識がどこかにあったんです。
でも『シン・クロニクル』の作りを見ていると、キーキャラクターはきちんと役割を果たしますけど、それ以外の仲間は、そこまでガチガチに決まってはいないじゃないですか。
松永氏:
そうですね。そこは緩めにしています。キャンプですこしの会話があって、ラストも演出には出てくるけど、ガチっとしたシーンは無しという感じで。
下倉氏:
「それで大丈夫なのかな?」と思ってプレイしたんですけど、日常の会話の積み重ねがあると「これでぜんぜん大丈夫だ、むしろこのほうがいい」という気持ちになったんです。そこがスゴいなと思いました。
松永氏:
可能なものなら、そこもコストをガン無視で、全部ガチガチに紐付けてしまえたらベストなのかもしれないですけど(笑)。
下倉氏:
いやいやいや(笑)。
松永氏:
すいません(笑)。そうですね、むしろそのほうがというのはあるかなと思っています。物語とゲームのつながりの話に戻りますが、テキストのストーリー以外にも、ゲームを通してキャラクターとの日常は感じられる部分があるので。
バトルで戦ったことや、ダンジョンを3Dのキャラが並んで走っていることも、日常の中に入ってくるのが、RPGの良さかなと思うんですよね。いい武器手に入れたから、キャラを入れ替えようとか。その感覚と、テキストとしての物語のバランスが、自由度を作るのではとも思うんです。コストの話は別として。
下倉氏:
そこは自分もクリエイターなので、システムを見るとどうしてもコストのことを考えちゃうわけです。松永さんのこれまでのインタビューなどを読ませていただいて、「これは真面目にやったら膨大なコストがかかるけど、どうするんだろう?」と思っていたんですね。
一回性の選択肢がどんどん積まれていったら、膨大な量の分岐になっていくわけじゃないですか。「それは大変すぎないか?」っていう気持ちがあったんですけど、そこをこういうシステムでクリアされようとしているんだなと。もちろん、今でも大変だとは思うんですけど。
松永氏:
たしかに大変ですね。でも長く運営していくにはギリギリというか、これがベストアンサーかなと思います。
下倉氏:
なおかつ、それがソーシャルゲームの日常感、一緒に過ごしていく感と紐付いていて。何度もこの話になっちゃいますけど、「この解決法があったのか」と、目からウロコな感じでしたね。
これって、続いていけばいくほど共感が増していくというか、そこがさらに効果的に出るような作りになっているはずなので。
松永氏:
そうですね。先のほうの章には、そこが強まる仕掛けなんかも入れたいと思っています。
下倉氏:
ソーシャルゲームで「同時性と固有性を活かしたシステム」のゲームが出ないのなんでだろう? というのが、昔から疑問だったんですよ。
セーブデータをひとつしか持たないんだったら、そこから論理的に導き出されるのは同じ時間に体験していることと、「自分が唯一誇れる点は何だ?」っていうユニークな点があること、プレイヤーとしてはそこが利点になるはずなのに、もちろんポツポツやっているゲームもありますけど、そこにキチンと踏み込んだゲームって思ったほどなくて。すごく不思議だなと思っていたんです。
『シン・クロニクル』は積み重なっていけばいくほど、「このキャラクターを選んだ」ということが固有の体験になっていくし、この作りだと共時性の体験にもなっていくので、そこはすごく期待しています。
松永氏:
ありがとうございます! 本当にそこがいちばんやりたかったところで、ぜひたくさんの人に体験してもらえたらなと思っています。
同じ時間に体験している中で「自分が誇れる点は何だ?」という問いに対し、それが単純なパラメータの強さではなく、「自分が辿った物語」なんですと誇ってもらえるゲームを、今回用意したつもりです。そして、そこに紐づくキャラクターたちとの日常の積み重ねを、大事にできるゲームになれればと思いますね。
下倉氏:
本当に期待しています。(了)
『シン・クロニクル』は、各章のクライマックスに用意されている「究極の二択」が、ゲームの大きなポイントとなっている。しかしこの対談で語られたように、選択肢そのものが重要なのではなく、あくまでも現在のソーシャルゲームで中心となっている「キャラクター」をフォーカスしており、キャラクターに対する想いによってメインストーリーに没入できるという構造が意図されている。自分が選んだキャラクターたちと、より密度の濃いゲーム体験が味わえるという意味で、『シンクロ』は現在のソーシャルゲームならではのタイトルになっていると言えるだろう。
対談でも話題に挙がっていたように、『シンクロ』では運営型のゲームならではの同時性を活かした、リアルタイムの盛り上がりが考慮されている。この記事を読んで『シンクロ』に興味を持った人、そして『シンクロ』をプレイしようか迷っている人は、ぜひ今このタイミングでプレイすることをお薦めしたい。
自分が選んだキャラクターたちとともに自分だけの冒険を繰り広げ、それを他のプレイヤーと語り合えるという、今この瞬間だけの体験が味わえるはずだ。