2022年3月23日の配信が発表されたセガのiOS/Android用ソフト『シン・クロニクル』(以下『シンクロ』)は、『チェインクロニクル』の開発スタッフによる同作の後継作となるファンタジーRPGだ。
「あなただけの、一度きりの物語を。」と銘打たれている『シンクロ』では、各章のクライマックスでプレイヤーに「究極の2択」が迫られる。やり直しできないこの選択によって、その後の物語の展開はもちろんのこと、仲間にできるキャラクターも変わってくるという。
「一度きりの物語」「究極の2択」といったこれらの要素は、先日行われたクローズドベータテストのプレイヤーには比較的好評だったものの、その新しさゆえに具体的な展開がややイメージしづらいのか、多くのゲームファンにはまだあまり上手く伝わっていない様子が見受けられる。
そこで今回は、株式会社ストーリーノート代表の藤澤仁氏が、『シンクロ』の総合ディレクターである松永純氏と直接語り合う対談を企画した。
『ドラゴンクエスト』シリーズにシナリオスタッフとして携わり、『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』や『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン』(Ver.1)ではディレクターを担当した、RPGシナリオの第一人者である藤澤氏は、『シンクロ』のストーリー展開が挑戦しようとしている革新的な部分を、いったいどのように見ているのだろうか。
ちなみに藤澤氏は、同時に1万人が参加した国内最大級のSNSミステリーARG(代替現実ゲーム)『Project:;COLD』で総監督を務めている。
『ドラクエ』堀井雄二から受け継いだゲームデザイナーの血筋と物語体験 ― 同時に1万人が参加したミステリーARG『Project:;COLD』の舞台裏
そんな藤澤氏だけに、松永氏との対話はRPGにおいてストーリーや選択肢の持つ意味、さらには現代のエンターテインメントが果たしている役割など、『シンクロ』を基点にして幅広い話題へと広がっている。
『シンクロ』やスマホRPGはもちろんのこと、物語やエンタメに広く関心のある人にとって、示唆に富んだ内容となっているはずだ。
メインストーリーとキャラ個別のストーリーを分離したところに、『チェインクロニクル』の発明があった
──対談に入る前に、まずは藤澤さんに向けて、『シンクロ』でどういうことをやろうとしているのかを説明させてください。総合ディレクターの松永さんがいる前で、僕が説明するのもヘンな話ですけど(笑)。
『シンクロ』では、一回の選択の価値を上げるためのストーリーテリングやゲームデザインを志向していて。一回限りの選択というと、普通に連想するのは分岐がたくさんあって、その結果がどんどんと広がっていくパターンですよね。『Detroit: Become Human』とか、ああいうものをイメージされるかもしれませんが、そうではなくて。
『シンクロ』では、メインのストーリーはあくまで一本道なんです。なんだけど、その一本道のストーリーをプレイヤーのパーティだったり、あるいは仲良くなったキャラクターによって、受け取り方が変わってくる。
たとえば集団同士が対立しているようなストーリーがあったとして、自分の味方に攻撃する側が多いのか、それとも攻撃される側が多いのかといったプレイヤーの状況に応じて、最後に提示される選択肢の意味や文脈が変わってくるんです。
もちろんAとB、どちらを選ぶかという判断にも影響するし。同じAを選ぶにしても、個々のプレイヤーによって微妙に異なる考え方が生まれてくる……ということでいいんですよね?
松永氏:
はい、そのとおりです。なんだかスイマセン(笑)。
──分岐していくストーリーはこれまでにもあったと思うんですけど、1本の物語を視点によって違ったものに見せるというのは、かなり挑戦的だなと。
藤澤氏:
そうですね。
──ただ現状で、それがユーザーさんに今ひとつ、ちゃんと伝わっていないという印象があって。
藤澤氏:
概念なので、難しいですよね。
──なのでこの対談では、そのへんの話を深掘りできればと思っています。というのも、先ほどお話しした『シンクロ』の概念に、これまでのゲームでいちばん近いものってきっと、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の結婚イベント【※】だと思うんですよ。
「ビアンカとフローラ、どっちを選ぶ?」という。提示される選択肢はその2択なんだけど、『ドラクエV』の場合はビアンカ側にプレイヤーとの文脈があって。
藤澤氏:
ありますね。
──みんなそっちに感情移入するわけじゃないですか。『シンクロ』はおそらくですけど、ふたつの選択肢の両方に文脈がある形で描いて、最後の2択を提示した時にそのプレイヤーにとってはどういう体験になるのか、ということをやりたいんじゃないかと、僕は理解しているんですけど。
藤澤氏:
僕もいろいろと分からないことがあるので、松永さんに質問がてら、教えてもらえればと思うんですけど。もともとキャラクターの物語とメインストーリーって、不可分なことがほとんどじゃないですか。
『チェインクロニクル』(以下『チェンクロ』)のスゴいところは、メインストーリーと個々のキャラクターの物語を明確に分離したという発明があったところだと、僕は思っていて。
今回の『シン・クロニクル』もそういった要素があって、キャラの運命がどうであってもメインストーリーは基本的に同じように流れていくんだと思うんです。そこはそういう理解でいいんですか?
松永氏:
キャラの運命がどうあっても、というと?
藤澤氏:
たとえば、このキャラがいないと物語が進まない、みたいなことがないメインストーリーになっているんですよね?
松永氏:
はい、メインストーリーはそうですね。チェンクロなどと同様、キャラの有無にかかわらず進められます。
藤澤氏:
それは、僕らがこれまで作ってきた一般的な物語とは根本的に文脈の作り方が違うというか、『チェンクロ』や『シンクロ』の文法の、大きな特徴だと思うんです。『チェンクロ』以降、そうした物語構造も増えたと思うんですけど、でもそれ以前だとあんまりないですよね。
松永氏:
そうですね。スマートフォンでは『チェンクロ』が初だと思うんですけど。でもかつてのコンシューマゲームでも、キャラクターがめちゃくちゃ増えてくると、それに近しいものはあったのかなと。たとえば『幻想水滸伝』【※】とか。
藤澤氏:
そうですね。
松永氏:
『幻想水滸伝』はキャラクターが108人いるなかで、その108人が常にメインストーリーに出続けるわけではない。でも彼らのアジトがあって、その中でキャラクターたちが日々の営みを送っていることによって、メインストーリーを108人全員で共有している感覚になれる。
そういう意味では、先ほど藤澤さんがおっしゃったメインストーリーとキャラを切り離す文法は、すでにあったのかなと。そういったものの延長線上に、『チェンクロ』や『シンクロ』はあると思います。
藤澤氏:
なるほど。
松永氏:
もともとメインストーリーとキャラクターが不可分なら、不可分なままでいいんじゃないかと思うんです。たとえば、10人くらいのキャラクターでメインストーリーを繰り広げていくのであれば、そこを切り離す必要はそもそもなくて。その10人全員がメインストーリーに登場して、毎回しっかり活躍すればそれで楽しいはずなので。
でもスマートフォンゲームが出てきて、キャラクターが50人とか100人のゲームになったとき、楽しみ方として、どのキャラクターをパーティキャラとして選ぶか?どこまでキャラを集められているか?という選択やコレクションの楽しさが生まれました。
でも極端な話、ライティングを頑張れば、その50人全員がメインストーリーに出てきて、メインストーリーとキャラクターが不可分な体で物語を進めることも、可能だとは思うんです。でもそれだとせっかくスマホで生まれた、キャラを選ぶことの楽しさがなにも活かされないですよね。あと一人当たりの出番も少なくなっちゃいますし。
そうじゃなくて、自分の持っているキャラクターだけがメインストーリーに出てくるという感覚を作ってみたかったというのが、メインストーリーとキャラを切り離した理由なんです。
藤澤氏:
それで言うと今回の『シンクロ』って、決して運命に左右されずに物語に沿って生きていかなきゃいけないキャラクターがいると思うんですけど。
たとえば主人公キャラみたいなものがいて、この人は途中で脱落できないという状況がある場合、そういうキャラは今回の分岐ではどういう扱いになるのかなと。
松永氏:
そっか、そうですね。すみません、自分の選んだキャラと物語を進めて、ビアンカ・フローラのような選択があると言うと、パーティキャラが脱落することがありそうに聞こえるかもですが、主人公たちふくめて、ユーザーさんが自分の意思でパーティに入れたキャラが、選択によってパーティから脱落することは起きないです。
ビアンカ・フローラのような大きな選択については、メインストーリーに必ず、「ゲストキャラクター」が登場するようになっていまして。このゲストキャラクターは仮加入という感じでメインストーリーに加わり、最後の選択肢のどちらを選ぶかによって正式に加入する。逆に言うと、もうひとりは脱落するという状況になるんです。
藤澤氏:
あぁ、なるほど。
松永氏:
第1章では、ふたりのゲストキャラクターが登場して、クライマックスでどちらを選択するか問われます。で、選んだパーティキャラによるドラマは、チェンクロなどのようにメインとは独立しているものの、このふたりのゲストと熱く絡むので、見れば見るほど最後の選択に対して心を揺さぶってくる、というのを今回やろうとしています。
藤澤氏:
スマホ的な、メインストーリーとキャラの物語が独立した形式って、世の中に生まれてからまだ10年ぐらいしか経っていなくて。
そこではいろいろな試みができるはずなのに、まだみんな『チェンクロ』が作ったのと同じ流れでやっていて、その先の発明があんまり出てきていないと思うんです。
そのなかで、最初に発明した松永さん自身が、自ら壊しにいくというのは面白いなと(笑)。
松永氏:
そうですね(笑)。もう10年近く経つんですけど、この先にもう一歩面白い形があるんじゃないかと、改めて思っていて。いちばん大きなきっかけとして、最初に藤澤さんがおっしゃってくれた、キャラクターをメインストーリーから切り離した工夫の良さが、みんなが慣れてきたために感じられなくなってきたと思っていて。
藤澤氏:
それはそう思いますね。
松永氏:
もともとは、メインストーリーと溶け合うようにキャラの個別ストーリーが展開していると、ユーザーさんの頭の中で補完してもらうのが狙いでした。
でもキャラクターに個別ストーリーがついてるのが当たり前になったことで、その補完が効かなくなって。メインストーリーで一緒に冒険しているような意識がちょっとずつ薄れてきているなかで、もう一歩踏み込むことができないかなと。
藤澤氏:
そうですね。その作り方って、もともとは『ドラクエV』に限らず、2時間の映画にもあったんですよ。メインプロットとサブプロットという形で、1本の映画の中で別々の物語を展開していたんです。
それがスマホゲームになったことで、新しい入口を用意して、サブプロットを楽しませるみたいなところが、本当に面白かったなと。そこでさらに新たな発明が登場するのを、すごく楽しみにしているんですけど。
松永氏:
それが今回の、各キャラのドラマが最後に心を揺さぶってくる仕組みになればと思っています。要はサブプロットが、これまではメインストーリーと絡まず拡散していたのを、今回は最後の選択の瞬間に、一気にドラマとして収束することを目指しています。そしてそこに別れや喪失、逆にかけがえのない絆など、大きな決断の結果がもたらされる。
自分のパーティだからこそのサブプロットが集約した結果の、自分だけの選択、というのを感じてもらいたいなと思っています。
藤澤氏:
もともとパッケージで売っているゲームって、メタなことを言うと、「リセットして最初からやり直す」という再帰性があるわけじゃないですか。そうすると「今回はフローラを選んだけど、2周目はビアンカを選んでみよう」みたいな余地があった。
だからこそ、どちらかを選ぶといったこともやれていたわけじゃないですか。でも今回は、その再帰性はないわけですよね?
松永氏:
はい。その再帰性のなさも楽しんでもらえたらと。
藤澤氏:
ヘンな話、アカウントを消してやり直せば、再帰性はあるのかもしれないですけど。
松永氏:
そうですね(笑)。
藤澤氏:
結局のところプレイヤーさんって、そのゲームが好きであればあるほど、すべてのフラグを網羅したいという衝動が芽生えるわけじゃないですか。さっき言った再帰性が容易であれば、ビアンカもフローラも網羅はできる。たとえデボラ【※】が出てきたって、3周すれば済む話で。
でも今回はそうじゃなくて。たとえ最初に戻ったとしても、本当の意味で網羅するのは極めて難しい。その「網羅性がない」ところがプレイヤーにはどう見えるかというのが、この対談の主題でもあると思うんですよ。
つまるところ「物語の分岐は必要なのか?」という話が、今日の中心になるのかなと思っています。
※デボラ
2008年にスクウェア・エニックスから発売されたニンテンドーDS版『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』では、フローラの姉であるデボラを、第三の花嫁候補として選択できる要素が追加された。
松永氏:
非常に興味深い、大きなテーマですね。ぜひ、必要であるということを伝えたいです。
同時性の楽しさを採り入れるには、選択肢が「2択」であることが重要だ
──もう一個のテーマとして「エンタメのライブ性」みたいなものも、今日の主題になると思うんです。結局、さっき言われたような再帰性を失うデメリットを呑み込んででも、一回性のライブ感だとか、その瞬間の盛り上がりを作りたいってことだと思うんですよ。
それが「なぜそんなに大事なのか?」というところを、おふたりにぜひ話し合っていただけると、今のコンテンツの有様みたいなものに踏み込めるのかなと。
藤澤氏:
それは僕の中でもあまり整理されていなくて、多分に思考実験的なところもあるわけで。今日は話しながら整理できればと思って、やってきたんですよ(笑)。
──でも一方では藤澤さんも、『Project:;COLD』みたいな企画をやってこられたので。
松永氏:
本当に“一度きり”という意味では、より踏み込んだチャレンジですよね。
僕もぜんぜん言語化できていないんですけど、少なくともCDの音楽を聴くよりは、ライブを聴きに行ったほうがずっと楽しいというのは、間違いのない前提でいいですよね。
藤澤氏:
それはそうですね。
松永氏:
たぶんユーザーさんも「そりゃそうだろう」という話だと思うんですけど。
だとすれば、RPGというゲームで……それもMMORPGではなくて、いわゆるスタンドアロン的な、物語を楽しむためのRPGでそういった体験ができるところに、新しい楽しさがあるのかなと思っていて。
藤澤氏:
僕らの世代だと全員が同じTV番組を見ているわけですよ。クラス全員が『風雲!たけし城』を見ている、みたいな(笑)。
そうすると共通の話題ができるんですけど、今はみんなやっていること、見ているものが違うじゃないですか。結果的に、エンタメにおける同時性というか共時性というか、そういったものが世の中からなくなってしまった。
そこに自分たちが何かを仕掛けるんだったら、僕自身としては「同時性」というロストテクノロジーをなんとか現代に甦らせることができないか、と模索しているところが強いかもしれないです。でも僕は「分岐する」と「同時性がある」というのは、ぜんぜん別のこと、切り離されている要素だと思っていて。
松永氏:
たしかに切り離せる部分ですね。むしろ同じものを見るほうが、同時性は出しやすい。でも個人的にはどうしても、そのふたつをセットでやりたいと思っていて。同時性を楽しみながら「オレはこうだったよ!」と言ってほしくて。
藤澤氏:
なるほど。それはよく分かります。
『シンクロ』って、リリース直後に始めた人と1年後に始めた人では、同時性というのはないですよね?
松永氏:
ゲーム単体としては、ないですね。逆に言うと、後からでも楽しめます。
でも同時に始めた人同士、もしくは後から始めても最新のストーリーに追いつければ、毎章「どっちを選んだ!?」と盛り上がってもらえる、というゲームです。
藤澤氏:
そうですよね。同時性と分岐という考え方でいくと、『シンクロ』はたぶん分岐を取られていて。それに対して僕がやっていた『Project:;COLD』は、分岐よりは同時性を重視していて。
松永氏:
後から追いかけても、そこはあまり得られないってことですよね。『Project:;COLD』は独立したゲームではないですもんね。
藤澤氏:
そうです。でも後で『COLD』のブレストをやっていると「どうやったらもう一回できる?」って、未練がましい話をしているんですけど(笑)。
松永氏:
わかる気はします(笑)。スマートフォンゲームって、独立したゲームではありますが、運営による同時性を楽しむものでもあると思うので。
藤澤氏:
「新しいバージョンがリリースされたよ」って、お祭りみたいなものを楽しむという意味ではそうですね。
松永氏:
新キャラの登場ひとつ取っても、あとから復刻で取れるんだとしても、やっぱり出た瞬間が一番盛り上がって。イベントなんかもそうですよね。
で、ストーリー部分はいつでも楽しめるんですけど、やはり新ストーリー配信の時は、近しい盛り上がりがあって。でも、せっかくストーリーRPGを運営するわけですから、ストーリーを配信したとき、ユーザーさんに一番盛り上がってほしいなと思うわけです。
藤澤氏:
そうですね。
じつは僕は、ゲーム業界でも指折りのプロ野球好きだと自認しているんですけど(笑)。
松永氏:
そうなんですか!?
藤澤氏:
僕はスポーツエンタテインメントが好きで。そういう取り組みもやっていたりもするんです。
じゃあたとえばTVでプロ野球を見ているのと、スタジアムに行くのだったら、「TVのほうが見たいところをアップで見られてイイじゃん」と言う人もいるわけですよ。でもやっぱりスタジアムに行く楽しさは、格別だったりするわけで。
じゃあ、スタジアムに行くことのいったい何が興奮させるんだろう?と。
ずっと同じ視点からしか見えないし、選手は小さくしか見えないし、競技そのものを楽しむんだったら、絶対にTVのほうが良いわけです。だけど、それでもスタジアムに高いお金を払って行く理由は何か。それは、周りにいる他のお客さんなんですよ。
結局、「同じことを楽しんでいる人の存在」が価値を呼ぶんだと思うんです。同じタイミングで同じプレーに一喜一憂している人がいることに対して、お金を払っているんだなと。
そう考えると僕たちのゲームでは、これまではなかなか同時性が作れなかったけれども、メディアの進歩によってやっと同時性みたいなものができるようになったから、僕はそこを目指しているんだと思うんです。要は、ゲームで野球をやろうとしているんだなと(笑)。
松永氏:
つまり、スポーツ的な楽しみ方ですね。
──それは、MMORPGである『ドラゴンクエストX』の楽しみ方とは、どう違うんですか?
藤澤氏:
『ドラクエX』も結局、ストーリーの進行度は人によって違うじゃないですか。もちろん、同じ世界で時間を共有しているというのは、これまでの『ドラクエ』ではできなかった新しい基軸だったけれども、その世界での「存在」を共有することと、「物語」を共有するということはまた別軸だったと思うんです。
そういう意味では『ドラクエX』で半分くらい、新しい面白さの体験を作ることができたとは思いつつ、「もっとできたことがあったんじゃないか」という心残りがあったんですね。
松永氏:
MMORPGの「物語」の同時性というのは、みんなが同じ時間にログインして世界に存在していて、一斉にアップデートされて「よっしゃ、新クエストをやるぜ!」という瞬間とかですよね。
藤澤氏:
イベントってあるじゃないですか。僕らも「『ドラクエX』1周年」で花火大会とかをやったんですよ。あるエリアで花火が上がりますというので、みんなが集まってきて「おめでとう!」って盛り上がるという。
「これって本当の花火大会と一緒だね」みたいな雰囲気になるわけですよ。そういう同時性は今までのゲームにはなかったものだったので、楽しかったですけどね。
松永氏:
MMORPGは現実世界にもある同時性が、ゲームの中でも楽しめるみたいなのが強いですよね。
藤澤氏:
それに対して『Detroit: Become Human』みたいなものって、分岐性は高いけど同時性はないじゃないですか。
同時性に関することを新しくやったのは、『Project:;COLD』がそうで。同時性をここまで振り切ったものって、意外となかったのかなと思うんですよね。
──ちょっと違う例だと、『Fate/Grand Order』第1部の「終局特異点」とかが、かなり同時性を意識した仕掛けではあったのかなと。
松永氏:
運営のライブ感を大事にされていましたよね。
『Project:;COLD』はあの規模で振り切ったものは間違いなく日本で初めてですよね。そういう意味では今回、シンクロは『同時性』と『分岐』の両取りを目指している形ですね。そのために、メインストーリーはこうじゃないといけない、と思ったことがいくつかあって。まず1個目は「選択肢が2択であること」が、すごく大事なんじゃないかなと。
他の人と同時に何かを共有する時って、共通項が分かりやすくないといけなくて。
藤澤氏:
そうですね。
松永氏:
分岐が複雑になっていって「自分は98番目のルートで、あなたは24番目のルートだ」って言われても、話題としては共通性がないじゃないですか(笑)。それだと同時には楽しめない。
原体験として『ドラクエV』に回帰しますけど、「ビアンカとフローラのどっちを選んだ?」ってやっぱり、超分かりやすかったよな、と。その選択に対してどういう葛藤があったのかも想像ができて。
藤澤氏:
そうですよね。まあ、後に3択になったわけですけども(笑)。
一同:
(笑)。
松永氏:
あれは2択が熟知されていることが前提での3択なので、実質2択なのでは(笑)。
藤澤氏:
たしかに(笑)。「3人目の花嫁が出たよ」という、ある意味、わかりやすい引きでしたよね。
松永氏:
はい、「でも結局、またビアンカを選んじゃったよ!」ってやり取りも含めて楽しかったです。
とにかく、過程はある程度複雑であってもいいんですけど、分岐自体は複雑にしたくなくて。最後にユーザーさん同士で同時性を楽しんでもらう意味では「AとB、どっちを選んだ?」という会話で常に進行するもののほうが、より盛り上がるだろうなと思うんです。
運営型ゲームのメリットが、もっとストーリーに活かされるようにチャレンジしたい
──『シンクロ』がやろうとしていることはすごく特殊なので、ユーザーさんから見るとまだ分かりづらいんだと思うんです。
たとえば、分岐がたくさんあることでストーリーが膨らむのではなくて、メインのストーリーはあくまで1本です。でもその受け止め方が違うんです……という特徴があるじゃないですか。ゲームを作る側からすると、そのほうが一極集中してクオリティも高くなるという、いろんなメリットがあると分かるんですけど。
でも、あえて1本にしている判断のメリットというか「筋の良さ」みたいなものを、もっと上手くユーザーさんに伝えることができないのかなと。
藤澤氏:
僕なりに言語化すると、多くの人にとってエンタメには、「見るもの」なのか「触るもの」なのかという、大いなる分岐がまずあって。
映画って見るものじゃないですか。ゲームって触るものじゃないですか。だけど「ゲームを見たい層」が出てきたわけですよ。この人たちはゲームを買うお金がないからではなくて、単に見るのが好きだからゲーム実況動画を見ている。
そうなってくると「見たい人」と「触りたい人」のふたつに明確にお客さんを分けるべきだというのが、僕はあると思っていて。
最近はNetflixとかでも「結末が分岐します」みたいなことを言われるじゃないですか。でも別にそんなことは求めていない人も大勢いて。「監督が“これがいい”と言ったものを僕は見たいんです」という人と、物語に介入できることに喜びを覚える人は、完全に違う客層だと思うんです。そういう客層に対してゲームはどうあるべきか。
松永氏:
個人的には最後で2種類に分岐するドラマも、僕はアリです。ただし、どっちを選んでも感動させてくれ、と思うんですよね。
なので自分は、どちらも感動させられる、“これがいい”と言ってもらえる前提でどこまで分岐できるか、ということを目指して作っています。
藤澤氏:
どれかひとつというとどうしても、監督が選んだ究極の物語、たったひとつの究極の選択でできた物語だと、お客さんは受け取るだろうけれども。
これが「分岐がある」って言うと、「ウチはショートケーキも売ってますけど、ラーメンも売ってるんです」みたいに見えてしまって、結果的に特別感が薄まって受け取られるのかなと思うんです。
じつは僕も『Project:;COLD』みたいなことをやっていたりもするし、物語を作ることを生業にしているつもりなんですけど。でも、物語が分岐することをお客さんが本当に喜んでいるのかどうか、あまり確信を持てずにいて。だから『シンクロ』は、本当に勇気の要ることをやられているなと思うんですよ。
分岐することによって、しかも再帰性がなければないほど、結果的に網羅性が失われる。網羅性は物語の世界を好きになってもらう時に重要なファクターだとさっき言いましたけど、それを失う代わりに与えられる何か新しいものを提示できないと、お客さんは満足できないと思うんですよ。
ここが今、『シン・クロニクル』の魅力が分かりにくくなっている部分なのかなと。逆にこの部分を分かりやすく伝えることができると、「それはメチャクチャ面白いね」ってなると思うんです。
松永氏:
なるほど、そこの良さですか……。
藤澤氏:
アドベンチャーゲームなんて「全フラグ回収」とか言われるぐらい、網羅性があったら全部網羅したい層が確実にいるわけで。その気持ちはよく分かるじゃないですか。
それをできなくした代わりに、じゃあ何を得たのかという天秤が見えやすいほうがいいのかなと。
松永氏:
そういう意味では結局、スマホゲームというか運営のあるゲームは、その時点ですでに網羅性はなくて。
藤澤氏:
たしかに。みんなが全部のキャラを持っているわけでもないですから。
松永氏:
たとえばMMORPGで言うと、戦士を選ぶか、それとも魔法使いを選ぶかという選択の中から戦士を選んで、他のユーザーさんとコミュニケーションを取って楽しんでいたとすると、その時点で魔法使いとしての人生は失われているわけですよね。……中には全部の職業のアカウントを作っている方もいますけど。
でも、どうやってもはじめてログインしたそのときと、同じ冒険にはならないわけで。
それは結局、サーバー上に世界が存在していて、そこに遊びに行くタイプのゲームに関しては、全部そうなのかなと思うんです。でもそこには網羅性の代わりに、“一度きりの体験”が存在している。
なので、スマートフォンの運営があるゲームに親しんでいると、網羅性がないのは普通のことであって。
藤澤氏:
なるほど。
松永氏:
でもスマホゲームにおいて、この網羅性がないがゆえの楽しさはほとんどの場合、キャラクターが手に入るかどうかだったり、イベントを攻略できるかどうかということだったりして。運営型ゆえの“一度きりの体験”の良さがストーリーにはあまり使われていないという状況が、あるんです。
藤澤氏:
たしかにそうですね。
松永氏:
なので、運営型のゲームでストーリーRPGをお届けするなら、運営型のゲームだからこその“一度きりの体験”を、メインストーリーでも感じてほしいというのが本作です。
骨太な物語の中に、誰しもが同じにはならないプレイ結果、他の人とは違うドラマを楽しんだという想い出。そしてそれを他の人と話して盛り上がる。
藤澤氏:
生涯で一回しか遊べない『ファイアーエムブレム』みたいな(笑)。
──話をいったん整理すると、昔のTVドラマとかアニメとか『少年ジャンプ』とかって、みんなで一斉に楽しむ同時性があったじゃないですか。でも今はそれが分断されて失われてきている。
一方でソーシャルゲームが伸びてきているんだけど、そこでの同時性を実現する手法が「キャラ追加」とかだけになってしまっているのに、松永さんとしては違和感があると。そこに問題提起として、ストーリーでもう一回、かつての同時性みたいな盛り上がりをやれるんじゃないかと。
松永氏:
そうですね。『チェンクロ』で自分が提案したのも、「自分だけのパーティが組みたい」という網羅性のないがゆえの面白みを活かしつつ冒険をして、メインストーリーを辿るという形のものでした。
それでもけっこう面白かったと思っていて。でも「もう一歩ぐらい何かできるはずでしょ」とも思っていて。そこで新たにやろうとしているのが、ストーリー自体に一度きりの要素を持たせる、ということなんです。
RPGのストーリーが『チェンクロ』によって、「おかず」ではなく「デザート」になった
藤澤氏:
突き詰めていくと、プレイヤーから見ると今のストーリーって、体験じゃなくてサービスに見えているから、網羅性を求められるんでしょうね。サービスだと「全部見せてよ」って気持ちも分かるじゃないですか。逆に、体験だったら「全部は体験できないよ」というのを分かってもらえると思うんだけど。
物語というのがゲームの中で、音楽だとかキャラクターだとかBG(背景)だとか、さまざまなパーツがあるなかで、「物語は“サービス”なんでしょ」と受け取られている文化があるから、そういうふうになるのかもしれないですね。
松永氏:
そうですね、まさにそうです! 「体験として、物語を感じてほしい」それに尽きます。
サービス、つまり定期的に棚に並ぶ商品に見えてるんですよね。むしろガチャやイベントといった商売っ気の強い要素のほうが、体験として捉えられていて。それが悔しい。ぜったいストーリーが体験になってるほうが、面白いんじゃないかなって。
藤澤氏:
そうだと思うんですよ。だから「ストーリーとはサービスである」という形で定着してしまった概念を、いかにして体験のほうにもう一度戻すかってことだと思うんですよね。
だってファミコンの『ドラゴンクエスト』の時代は、ストーリーはサービスではなくて体験だったと思うんです。それがいつからか、ストーリーが体験からサービスの側に移ってしまって。結果的に「ストーリーはサービスだからお金で買うもの」みたいになってしまっている。
もしかしたら今回の『シンクロ』は、ゲームの中でストーリーが本来いる位置が変わってしまったのを、修正するという意志かもしれないですね。より体験側にする。
松永氏:
壮大な話に聞こえてきた(笑)。……いやでも、そうだと思います。スマホの良さ、運営があるからこその面白さを、ストーリーにも採り入れたいってことがスタートだったので。それを言葉として表現すると今、藤澤さんが言われたようなことだと思います。
藤澤氏:
僕も20年間、シナリオ書きの仕事をしているんですけど。この20年の中のどこかで、「物語ってサービスになっちゃったな」と思った瞬間が、知らず知らずのうちにあったんだと思うんです。それはどこかで正していかなきゃいけないことなのかもしれないですね。
──「ストーリーがサービスになった」というのを、もう少し具体的に説明してもらえますか?
藤澤氏:
これは僕が『ドラゴンクエストX』を作っている時に、スタッフに話した「ごはんとおかず理論」というものなんですけど。バトルを繰り返してレベルを上げるのは、ある種の修行的な意味合いがあるじゃないですか。この修行を好きだという人も大勢いるんですけど、一方ではこれがイヤだという人もいて。
つまり、この修行を食べ物に例えるとごはんなんです。
ごはんだけを食べるのはシンドイので、何かおかずがほしい。そのおかずにあたるのがストーリーで。物語を先に進めるというおかずと、セットでごはんを食べると美味しいよねと。だからごはんとおかずは相性が良いよね、という。これが「ごはんとおかず理論」です。
そういう意味で言うと、ご飯は体験の部分なんだけど、ストーリーというおかずがおかずですらなくなって。ごはんと別に食べるデザートみたいなものになっちゃった。そういう感覚があるんです。……伝わりました?
松永氏:
僕は伝わりました。デザートという例えは、僕にはすごくしっくり来ます。食事という大きな体験とは別の、棚にちょんって置いてある美味しいもの、みたいな。
──それで言うと『チェンクロ』ってある意味、ごはんとおかずをあえて切り離している構造ですよね?
藤澤氏:
そこがまさにエポックだったんですけど。
ストーリーが、「がんばったあなたへのご褒美です」というものになった時に、おかずからさらに一段遠くなって、デザートになってしまった。僕は『チェンクロ』を発明だと思っているけれど、その発明に功と罪があるとしたら、これはもしかしたら『チェンクロ』が作った罪の部分かもしれない。
松永氏:
えっ、なんと(笑)。ああ、でもそうか。そういう側面はあるかも。もともとストーリーが存在していなかったキャラという場所に物語を用意したつもりでしたが、それは切り離したとも言える。
藤澤氏:
いつでも食べられる。でもデザートと一緒にごはんを食べろと言われても難しい。おかずにならない。
松永氏:
そうですね、おかずを切り離して置くことで、自由におかずを選びながらごはんを食べられるという体験を作ったつもりでしたが、この10年で、切り離していつでも見られるという利便性の部分が、スマートフォンでは加速していった部分があるかもしれないですね。
藤澤氏:
そう考えると、かつてストーリーをデザートにした松永さんが、今またストーリーをおかずに戻そうとしているってことですよね(笑)。
──分離された物語をもう一回、体験とセットにしようとしている話ではありますよね。
松永氏:
そうか、まず僕に罪があったんですね(笑)。
藤澤氏:
自覚があったのかどうかは分からないですけど、その罪の部分にたぶん、ご自身で何か感じるところがあって。だからそれを戻したいって想いが、松永さんは人一倍強いのかもしれない。
松永氏:
それはあるかもしれないです。利便性の流れの中で、コンシューマですら遊びやすさ重視でストーリーを切り離すタイトルが出てきた時に、う~ん、って思った記憶が。で、はじめのほうで話した、頭の中で補完されなくなってきたのを、つながった体験に戻したいと思ったのにつながるのかも。