2022年2月1日、スマホ用RPG『Fate/Grand Order』の開発・運営体制に、ある変化が起こった。同作の開発・運営を行っていたディライトワークスのゲーム事業が、会社分割により新会社「ラセングル」に承継。そしてラセングルの全株式を『FGO』の発売元であるアニプレックスが取得することで、ラセングルはアニプレックスの傘下に入っている。
『FGO』の開発・運営は、そのスタッフも含めてまるごとラセングルに承継されたため、『FGO』のサービスそのものは引き続き、これまでと変わらず行われている。
だがその一方で、かつて『FGO』のクリエイティブディレクターを務めていた塩川洋介氏は、ディライトワークスを退社。ラセングルにも合流することなく、新会社「ファーレンハイト213」の代表取締役として、新たに活動していくこととなった。
一時期、『FGO』の開発スタッフを代表して数多くのイベントにも登壇していた塩川氏が、なぜ独立して新たな道を歩むようになったのか、非常に気になるところだろう。そこで電ファミニコゲーマーでは、塩川氏がいったいどのような考えで今回の決断に至ったのか、直接お話を伺うことにした。
塩川氏はディライトワークスに入社して『FGO』に携わる以前、スクウェア・エニックスに在籍しており、『キングダム ハーツ』ではバトルプランナーとして、『ディシディア ファイナルファンタジー』ではディレクターとして活躍。その後はアメリカへと渡り、『MURDERED 魂の呼ぶ声』を手掛けている。
そして2015年にディライトワークスに入社すると、サービス開始当初は不具合の多かった『FGO』の改修に着手。ゲームシステムを刷新して安定した運営を行うなど、今日の成功へとつながる道筋を作り上げている。
今回のインタビューでは、このように多岐に渡る塩川氏のゲームクリエイターとしての業績、特にディレクターとしての側面に注目。
それを踏まえた上で、自分自身の新たな会社でいったい何を目指しているのかを聞いている。そこでは『FGO』の時とはまた違う、アクションゲームにこだわりを持つ塩川氏によるディレクションの極意が見えてくるはずだ。
「じゃあ自分でやってみるか」と、会社の株式をすべて買い取りました
──まずは今回、ディライトワークスを離れて独自に活動することになった経緯を聞かせてください。
塩川氏:
2020年の秋に『Fate/Grand Order Waltz in the MOONLIGHT/LOSTROOM』【※】というタイトルの開発を終えたところが、自分の中でのいったんの節目になりました。そのタイミングでは『FGO』や『Fate/Grand Order Arcade』からもだいぶ離れていて『Waltz』に専念していたので、それが終わったことで自分の抱えているものが一時的になくなる瞬間があったんです。
※『Fate/Grand Order Waltz in the MOONLIGHT/LOSTROOM』
『FGO』5周年の特別企画として、2020年8月より期間限定で配信されたiOS/Android用アプリ。マシュやアルトリアとのダンスが楽しめる「Fateアンサンブルアクション」となっている。現在は配信を終了している。
そんな機会はなかなかないので、ここでまったく新規のタイトルを立ち上げることに挑戦しようと思ったんです。そこから2021年いっぱいまでは、新規タイトルの企画提案だったり、プロトタイピングだったり、いわゆる仕込みをいろいろとやっていました。
ただ、そこでは思うようにいかなかった部分があって。その間にディライトワークス自体の環境も劇的に変わってきて、自分がやっていきたいことと、会社として大事にしていきたいことの差がどんどん大きくなってきたんです。そういうなかで「じゃあ自分でやってみるか」というのが、独立に傾いた大きな流れですね。
自分はもともと、創業者である庄司顕仁さんに請われてディライトワークスへとやって来たし、庄司さんを慕って会社にいたという思いもありました。そんななかで庄司さんが社長を退き、そこからさらにゲーム事業自体が庄司さんの元からアニプレックスに譲渡されることになって、それもあって自分の気持ち的には一段落したというか。
──塩川さんが仕込んでいたタイトルは、オリジナルだったのですか?
塩川氏:
はい、オリジナルIPのゲームですね。
──それが上手くいかなかったのでしょうか。
塩川氏:
コンテンツが上手くいかないという話だけではなくて、会社ですから評価・採用・育成みたいなものも全部連結していると思うんですが、そうした中で思うように前に進めることができませんでした。
ゲーム作りはやっぱり人なので、自分ひとりが企画書を書いても何にもならない。会社のサポートはもちろんのこと、一緒にやってくれる人たち、支えてくれる人たちがいないことには、何にもできないんです。それは社員だけではなくて外の会社さんも含めて巻き込んでいけないと良いものを作れないし、新しいものも作れないしというのが、やっぱり行き着く部分ではあって。
なので、ディライトワークスという器の中で自分で部署を立ち上げたりいろいろチャレンジはしましたけど、いろんな引力やしがらみをどうしてもぬぐうことができなかったんです。だから、ゼロから仕切り直したいという思いが強かったかもしれないですね。
──現在、塩川さんが代表取締役を務めている「ファーレンハイト213」という会社は、以前から存在していたようですが?
塩川氏:
会社の登記が2021年の3月ですから、おおよそ1年半前ですね。もともとはディライトワークスが作った会社なんです。私はディライトワークスの社員でありながら、当時この会社の代表取締役を兼務しているという、いわば「ひとり部署」として作ったものだったんです。
──別の会社にすることで、ディライトワークスの文化からはいったん切り離すと。
塩川氏:
はい、そういうところからスタートしたんです。ただ先ほどもお話ししたように、ディライトワークスの方向性が自分のやりたいことと乖離していくなかで、この中途半端な状態を続けていくわけにもいかないだろうと。
それで「ファーレンハイト213を私が100パーセント買い取ります」という形にさせてもらいました。私が株式を完全に買い取ったので、今は資本面でディライトワークスともラセングルとも関係性はありません。
自分でなんでもやっていいという状況になったので、これから何をしていきたいのか改めてちゃんと考えていこうという段階になります。
──新しい会社には、塩川さん以外の社員もいらっしゃるのですか?
塩川氏:
私を含めて4人ですね。もともと一緒に仕事をしていた人たちが立ち上げに合流してくれました。
──職種としては?
塩川氏:
ひとりはメインプログラマです。ひとりはディレクションとプロデューサーを半々みたいな感じでやっていて。あとひとりはプロジェクトマネージメントをやっています。
自分のこれまでの仕事を間近で見てきた人たちなので、得意なこと・不得意なことを含めて「こいつ(塩川氏)は何者なのだ」というのを分かった上で力を貸してもらえる。私としてはその安心感がありますね。
「替えの効かないゲーム」を作るため、3Dアクションにフォーカスしたい
──そうしたメンバーが集まって、今後はいったいどういったところを目指していくのでしょうか?
塩川氏:
目標としては、「誰かにとって替えの効かないゲームを作る」を掲げています。ゲームのジャンルだとかプラットフォームがどうだというよりも、替えの効かないものを生み出す。しかもそれは万人にとってではなくて、「ある誰かにとって」替えが効かないと思ってもらえるもの。そこを突き詰めていこうというのが、中心となるコンセプトですね。
──「替えが効かない」という意味を、もう少し具体的に教えてもらえますか?
塩川氏:
そこにしかない新しさだったり独自性だったり、クセというか味というか、それが色濃く出ているコンテンツを作るということですね。
私自身としてはゲームディレクターの仕事がいちばん好きなので、それをメインに活動していこうと思っています。なかでも私は「キャラクターを描く3Dアクション」がいちばん好きなゲームジャンルなので、自分がディレクターを担当するタイトルはそのあたりにフォーカスしたいと思っています。
──具体的なプラットフォームについてはどう考えているのでしょうか? これまでの実績で言えばスマートフォンを考えられているのかと思ったのですが、3Dアクションだとコンソールも視野に入ってきますよね?
塩川氏:
最終的に作りたいものは3Dアクションの中でもスケールの大きいゲームにはなっていきますが、一方で、現在はPCでインディー規模のタイトルも手掛けているところです。
PCで小規模なものもやりつつ、規模が大きい作品だと、スマートフォンや家庭用も含めたマルチプラットフォームというところにはなってくるかなと。それはそれで別途、企画していたりもしますね。
──ゲームの開発は自己資金ですか? それともどこかの会社と共同で?
塩川氏:
インディー規模で作っているものは完全に自分たちのお金で作っている状態です。
といっても、動き出してからまだ一年もたっていない話なので、開発がすごく進んでいるという段階ではないんですが。
それ以外の企画で、大きなプロジェクトになると自分たちだけではさまざまな面でハンドリングしきれないので大きなことを他の会社さんと組んでやっていくというのは、また別軸で進行している状況です。
──こうしてお話を聞いていると、仕事のアテがあって辞めたというよりは、辞めてから動き始めた感じなのでしょうか。
塩川氏:
ですね(笑)。自分ひとりが食うに困らない仕事をするぶんには、どうにでもなりますが、それが独立した目的ではないので……。
自分の性格を考えると、自分ひとりでオフィスも自宅で……となると、「この仕事さえしていれば、とりあえず死ぬことはないな」という感じになっちゃいそうだなと。
だからオフィスを借りて人も雇って、そうやって責任を背負うことで、自分に強制力を働かせているというか。
独立する1年前に、ディライトワークスを辞めようなんて思っていなかったですし、何かがイヤになったわけでもないです。『FGO』の仕事に関しても、私にできることを現在も引き続きお手伝いさせていただいています。
独立が私にとって最も前向きで能動的な選択だったということです。選択肢がいろいろあったなかで、自分としてはこれがいちばんやりたいことへの近道として納得いく形だったなと。
「あるカテゴリの中でナンバーワンを獲る」気概を持ったゲーム会社と組んでみたい
──新規のプロジェクトを考える時に、基本的には塩川さんが最初の原案を書いているのですか? それとも各々のやりたいことを書いているのですか?
塩川氏:
もちろん私も書いていますし、他の社員に「やりたいことは何?」と考えてもらうこともあります。今は自分が中心ではあるんですけど、私の作りたいゲームだけを作ればいいとは思っていなくて。何かやりたいことがあるのならむしろどんどん言ってほしいというスタンスですね。
──ゲームの開発は、どこかのディベロッパーさんと一緒にやられているのですか?
塩川氏:
そうですね。自分たちの力だけでは全部は開発できませんので、これまでのプロジェクトでお世話になった方たちを中心に、お手伝いをいただいています。
大きな企画になると、開発チームの母体となる会社さんと一緒に進めていく必要がありますが、そうした案件らは今はまだ、企画書のフェーズなので。企画内容に合っていて、タッグを組める会社さんをこれから検討していかなきゃいけないので、ちょこちょことお話をさせてもらっています。
──いま企画を進めているパブリッシャーさんはゲーム会社さんですか? それともちょっと違った業種だったりするのですか?
塩川氏:
基本的にはゲームでの実績がある会社さんですね。
今、自由な立場になって何をしたいんだろう? といくつか企画を練っているんですけど、自分の中で共通しているのは「あるカテゴリの中でナンバーワンを獲る」ということなんです。
そのカテゴリはそれぞれバラバラなんですけど、「ナンバーワンを獲ろう」というところは共通しているんです。
ナンバーワンを獲る気概や体力も含めて、この目線での話に乗っかってきてもらえる会社さんかどうかというのが、お話をしていくなかで大事な部分ではありますね。
──そう言われると、ますますどんな企画なのか、気になりますね(笑)。
塩川氏:
「あのゲームみたいなものです」と言えるのなら簡単なんですけど、先ほどお話ししたように、替えの効かないものを作ろうとしているので(笑)。
それに自分がディレクションしたいものはアクションがベースになることが多いので、「こういうバトルなのね」とか「こういう動きなのね」というのが言葉だけではイメージし難いというか、ある程度形にするまではどうしても伝わりづらいところがあるんです。
──アクションにこだわるのは、どうしてですか?
塩川氏:
シンプルに、作っていていちばん楽しいからです。
これまで家庭用ゲームもスマホゲームもアーケードゲームやったし、VRとかリアル脱出ゲームとかボードゲームとにかくいろんなことをやってきましたが、いざ会社を辞めて独立するとなった時、結局「何だったらこの先ずっと打ち込めるのか?」と改めて考えたんです。
そう考えた時、自分のゲーム開発者人生の7割ぐらいはアクションを作っていたことに気づいたんです。
アクションの開発なら企画も作業もまったく苦にならず自然とできるし、自分の中に知見があるぶん、気づきも多いというか。そういうところも含めてアクションで勝負するのが、私がディレクションする上ではいちばん勝算が高いだろうなと。
──塩川さんとしては、ゲームを作っていて何がいちばん楽しいですか? ゲームを遊ぶよりは作るほうが楽しいと思っているんですよね?
塩川氏:
そうですね。この仕事を選んだがゆえに、プレイヤーとしてゲームを楽しめない身体になってしまったので(笑)。作ることをすごく楽しんでやっていますね。
ゲームを作っていて何が楽しいかというと、ありきたりな言い方になっちゃいますけど、やっぱりお客さんの反応ですよね。エンタメである以上、それが映画であろうと小説であろうとマンガであろうと、お客さんの反応がいちばんだと思うんです。
でもゲームが特にスゴいと思うのは、浸れる時間もそうですし、お客さんを突き動かす力のポテンシャルが高いところです。普通人は2時間の映画を見ることはできても、同じ映画を100回とかはそうそう見ないじゃないですか。でも、ゲームにはそれができてしまう。ひとりの人が200時間を費やすエンタメってなんだろう、みたいな(笑)。
当時のスクウェアで『キングダム ハーツ』というソフトに携わらせてもらったがゆえに、日本国内だけでなくグローバルでも多くの人が遊んでくれるということを、たまたま自分が20代前半の頃に経験してしまったこともあって。「ゲームってこんなに影響力があるんだ」、「何十万人、何百万人が遊んでくれるってこういうことなんだ」ということを知ってしまった影響も大きいと思いますね。
そこから翻って、近年だとリアル脱出ゲームとかボードゲームとか、「1000人しか買えません、遊べません」みたいな規模のコンテンツにも携わりましたが、それはそれで、人の心を動かすパワーがすごくあると改めて思いましたし。
ゲーム作りの楽しさとはちょっと違うのかもしれないけど、そこがゲーム制作、ゲームビジネスの良さだと思いますね。
──とはいえゲーム制作って、作業そのものは地味じゃないですか。
塩川氏:
地味ですね(笑)。
──その地味な作業そのものに対する楽しさって、具体的にはどのような感覚なんでしょう?
塩川氏:
なんて言えばいいんでしょうね……。
端から見ると「ぜんぜんできてないんじゃないの」みたいにしか見えないんですけど、「あとはこのパラメータさえ良くすれば、すべてが良くなる」ということが分かっていて。それをこまごまといじっていると、ある時にその閾値を超える時が来るんです。すると「こんなにメチャクチャで大丈夫なの?」という状態から一気に化けるんですよ。
特にアクションだと、そこがいちばん楽しい瞬間ですね。一方で、RPGのパラメータだとその瞬間は味わいづらいんですが……。何ポイントでレベルが上がって、何をゲットして、みたいなのは理屈の世界ですから。
──アクションの手触りの良さが一気に変わる瞬間が来る、ということですか。
塩川氏:
そうですね。たとえば自分が武器を持って敵を殴るようなゲームだと、どうやって敵を倒すかは、それぞれのゲームによって色というか、「味」があると思うんですね。たとえば、ボコスカ殴って敵を倒すゲームもあれば、駆け引きで敵の攻撃を見切るタイプもあると思うんです。
いま自社で作っているものは、その味の付け方がキモになるタイトルだと思っていて。「こういう手応えってこのゲームでしかないね」みたいなことを実現できるように作っています。
たとえば『スプラトゥーン』なんかはまさにそういう手応えの「味」のあるゲームだと思うんです。あの手応えはあのゲームにしか存在しませんよね。
──たしかに。ジャンルとしてはTPSの文脈ですけど、アートも含めたすべてにおいて他のTPSゲームとは全然違いますよね。
塩川氏:
ですから、自分がやりたいのはそういう「新しい味」を作る、みたいなことなのかもしれません。「自分たちの作っているゲームのアクションはどういう味にしようか」と考えたとき、ほかにはない独自の味を作る。でもそれってまだこの世に存在しないので説明しづらいですし、それが良いかどうかも分からないというのが難しいところですよね。
おそらく『スプラトゥーン』が存在しない世の中であのアクションを口頭で説明しても、その良さはなかなか伝わらないですよね。「延々と床や壁を塗って、何が楽しいんですか」みたいな話になると思うんです。
でもそれができあがっていくと、「あっ、こういう手応えを表現したかったのか」という着地点が見えてくる。私にとってはもしかしたら、そうした瞬間が楽しいのかもしれませんね。
また昔話になっちゃいますけど、『ディシディア ファイナルファンタジー』を作った時に、「あの当時にあのようなアクションであのように対戦するゲームが他にあったか?」 というと、たぶん無かったと思うんです。
でも『ディシディア』は、「これを何かのゲームのようにしよう」と言いながら作っていたわけではなくて。「世界観やIP、キャラクターが活きる戦いって何だろう?」というところから組み立てていったら、ああいう味になったんです。そういった「アクションの味を作る」みたいなことが自分は好きなのかもしれないですね。
とにかく「早くプロになりたい」という想いがあった
──昔の話が出てきたところで、塩川さんのこれまでのキャリアについて改めて伺いたいと思います。塩川さんがゲーム業界に入ったきっかけは、そもそもどういったことだったのでしょうか?
塩川氏:
私は専門学校を卒業して、ゲーム業界に入りました。
専門学校に入る前、自分が高校生ぐらいの時から、シナリオライティングに興味がありました。それはゲームに限らず、映画やドラマやマンガやアニメ、およそストーリーのあるもの全般に興味があったんです。それでどういう進路をと考えた時に、ゲームの専門学校ではありつつ、シナリオも教えていた学校を選んだんです。
──ちなみにどちらの専門学校だったのでしょうか?
塩川氏:
バンタンという専門学校のシナリオライティング学科です。ただ、シナリオを学ぶつもりで入学したものの、そこのカリキュラムの一環として、ゲーム企画の授業があって。そこで「ゲームづくりって面白いな」と興味を持ったのがきっかけで、ゲーム業界を目指すようになりました。
ゲーム自体はもともと、有名なタイトルはプレイしていましたけど、逆に言うとそれぐらいしかやっていませんでした。ぜんぜん知識がない状態からゲームに興味を持った形ですね。
──子どもの頃は、あまりゲームに触れていなかったのですか?
塩川氏:
長い時間、ゲームをやらせてくれる家庭ではなかったんです。親からは「ファミコンを長くつけているとTVが壊れる」と言われていたので(笑)。なので、友達の家でずっと遊んだりとか、そういうことが多かったですね。
──高校の卒業後にはいろんな選択肢があったと思うのですが、なぜ専門学校に?
塩川氏:
これはかなり明確な理由があって。高校を卒業したら、なるべく早くプロになりたいと思っていたんです。ただ、さすがに何もできない状態で仕事ができるとは思っていませんでした。今でもそうなんですけど、バンタンという専門学校は、講師の方が全員その道のプロで、本業と兼業で教えているというのがウリの学校なんです。つまり「プロから学べば早くプロになれるんじゃないか」というのが、高校生の時の短絡的な考え方で(笑)。それがいちばんの理由でしたね。
──実際に通ってみて、思った通りだったのですか?
塩川氏:
思い描いていた通りというわけではありませんでした。もちろん先生はちゃんと教えてくれましたし、授業はすごく役立つんですけど、生徒には温度差がありましたね。私の通っていたクラスでは、すごく真面目にやっているのは1割、2割ぐらいで。あとはなんとなくやっていたり、いつの間にか来なくなったりして。「お金を払ってわざわざ専門学校に来ているのに、なんでサボってるんだろう」と、当時の自分にはその感覚が分からなくて。
ただ、それに流されてもしょうがないから、自分は自分でしっかりやろうと思って、在学中に先生の仕事を手伝わせてもらったり、「企画書を出す」という課題があれば、普通の人がひとつ出すところを自分はふたつ出したり、そんな感じでかなり意欲的にやっていましたね。それはもともとの動機として「早くプロになりたい」というのがあったので。
──「先生の仕事を手伝う」というのは、プロの業務を手伝ったのですか?
塩川氏:
そうです。パソコンのテキストアドベンチャーゲームみたいな仕事をしていた先生の、シナリオを書くのをちょっと手伝ったりとか。あとは1学年上の上級生が働いているゲーム会社で手伝いをしたり。じつは専門学校を卒業して、そのままその会社で働くことになったんですけど。そんな感じで在学中からも、ゲーム開発に携わっていました。
──「早くプロになりたい」というのは、何か理由があったのですか?
塩川氏:
たぶん家庭の影響というか、父親の影響ですね。比較的厳しい父親だったので、親を頼らずに自分の足で生きていきたいという意識が、わりと早い時期からあったと思います。
──親御さんが厳しい方だと、「大学に行け」と言われたりもしたのでは?
塩川氏:
ありましたね。中学生の時は比較的勉強ができていたので、「良い大学に入って、良い会社に入って」みたいな、普通の親が描く道筋への期待をされていたと思います。それは自分にとってはプレッシャーではないですけど、大きなお世話というか(笑)、そんな感じでしたね。
でも高校生になると、朝「行ってきます」と家を出たら、学校に行かずに映画を観たり、漫画喫茶に行って一日中漫画を読んでいたりしていました。実家は埼玉なんですけど、そのまま秋葉原に行ったりして、高校生のときはあんまり真面目に学校に行ってなかったですね。
──それは反発心みたいなものですか?
塩川氏:
というよりは、やっぱりプロの話につながるんですけど、当時の私は「自分はプロになるんだから、古文とか学んでどうなるんだ」と思っちゃってたんですよね。もちろん今にして思えば授業の中で役立つことはいっぱいあったと思うんですけど、当時は「古文や化学を学ぶぐらいなら、映画を1本観るほうがいい」と思っていて(笑)。
学校で学ばなければいけないことと、自分が興味あることの優先度を、勝手に自己判断しちゃっていたんです。
──なるほど……プロの道に進もうと思ったのは、いつ頃のことなんですか?
塩川氏:
中学の時は何も考えていなくて……おそらく高校生の時だと思いますね。その当時リアルタイムで観ていた『エヴァンゲリオン』などの作品を通じてストーリーで衝撃を受けることが多くて。そういう仕事をしたいなと、ちょっとずつ思い始めた気がします。
──何か明確に、自分の中でこれがきっかけになったという作品などはありますか?
塩川氏:
言われて思い返せばけっこうありますね(笑)。いろいろと積み重なってきたところではあるんですけど、当時これは本当にスゴイなと思ったのは、ウォン・カーウァイさんという映画監督の作った『天使の涙』【※】という映画があるんです。
それの製作秘話を雑誌で見た時に「シナリオを即興で作る」みたいな話が出ていて。実際ホントかどうかはわからないのですが。
映画自体も衝撃的だったんですけど、そんな映画を脚本も準備しない状態で作って撮って、という話を聞いた時に、そこで初めて「作り手の存在」を意識したんです。それまではただ「面白い作品だな」と思っていたんですけど、そこには作り手がいて、作り手の個性があって、作り手の能力が反映されて……ということを、『天使の涙』という作品とそのメイキングを見て思ったんです。それが明確なきっかけになりましたね。
※『天使の涙』
『欲望の翼』『恋する惑星』、木村拓哉主演の『2046』などで知られる香港のウォン・カーウァイ監督が、1995年に発表した作品。殺し屋とそのエージェントをはじめとする5人の男女の恋模様が、スタイリッシュな映像で描かれる。
──学生時代に体験したものは、その後の原点になると思うんです。そういうものは、他にもいろいろあったのですか?
塩川氏:
衝撃を受けたことはけっこうありますね。たとえば、好きな漫画のひとつなんですけど、楳図かずおさんの『14歳』【※】という作品がありまして。
知らない人に向けてなんて説明したらいいか分からないですけど、頭がニワトリのチキン・ジョージという人が出てきたり、いろいろと常人の想像の域を超えた……というと怒られちゃいますけど(笑)、スゴイ漫画なんですよ。どうやってこんな、ある種の天才的発想ができるんだろうというぐらいスゴイんですけど、それに衝撃を受けて。ところどころでそういう突出した何かと出会ったことが、今のような仕事に憧れる原体験になっていたのかな、と思いますね。
※『14歳』
『漂流教室』などの楳図かずお氏により、1990〜95年にビッグコミックスピリッツで連載された、長編SF漫画。ニワトリの頭と人間の体を持つ天才科学者チキン・ジョージは、その年に生まれた子どもが14歳になった段階で地球が滅亡することを知り……。現在のところ、楳図かずお氏が執筆した最後の長編漫画となっている。
──専門学校で学んだことの中で、今に生きているものはありますか?
塩川氏:
授業で直接的に学んだことも、専門学校で体験したことも含めて、それはすごく多いですね。その中であえてひとつだけ挙げるとするならば、自分の中ですごく印象に残っている話があって。
学校に入学して、まだ右も左も分からない状態の時に、ある先生に「これからいろんな課題をやったり、いろんな相談をしたりした時に、A先生とB先生で言うことが真逆の場合がある。その時はどちらの先生の言うことを信じるかではなく、自分を信じるんだ」と言われたんです。
入学してすぐの4月や5月にそんなことをいきなり言われても、その時点では分かるわけがないんです。でも実際に、言われたとおりのことが起きて。あるとき、課題でゲームの企画書を作って、A先生に見せたら「いいじゃん」と言われましたと。同じ企画書をB先生に見せたら、「いいね。でもここをちょっと直したらもっと良くなるよ」と、それぞれの観点で指摘されて。
それを受けて企画書をブラッシュアップしてもう一度持って行くと、A先生からは「あそこが良かったのに、なんで変えちゃったの?」と言われて、そこで「ん?」となったわけです。
その時に、入学してすぐに言われたことを思い出しました。「みんなそれぞれ違うことを言って、それぞれ正解のことを言う。だけど全員の言うことを全部叶えようとするのも間違っているし、“◯◯先生が言うから”と誰かを信じるのも間違っている。最終的には、自分がどうするのかは自分自身で決めなさい」と。いま思えば当たり前のことかもしれませんが、当時の自分にとってはかなり衝撃的でしたね。
同じことは、プロになってもやっぱり起こるんです。仕事の上長がひとりだったらいいですけど、何人か上長がいて、それぞれにぜんぜん違うことを言われたりして。
そうなった時に、あれも採り入れよう、これも採り入れようとして、みんなの意見を採り入れた結果、誰も望まないものになってしまう……ということはよくあるものです。だからあの時に教わったことは、今でも役に立っていますね。