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『Fate』奈須きのこが「人生を狂わせた」伝説のアナログゲーム『蓬莱学園の冒険!』を語る。数千人のプレイヤーが“ハガキ”で参加した狂気の超巨大RPGが与えた衝撃とは?

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「蓬萊学園」とPBMから学んだ大規模フィクションに不可欠な「世界への信頼」

──この流れでお伺いしたいんですが、『FGO』で全面化した「Fate」シリーズの世界観には、もともとアカシックレコード的な設定もあるし、世界各地の神話・伝承とか歴史物語とか、あるいは中世の騎士道物語や推理小説などの文芸ジャンルに至るまで、およそ人間が紡いできたあらゆる「物語」を、英霊・サーヴァントのキャラクター化を通じてアーカイブしよう、という意識があるような気がします。実際、ユーザーの側にも『FGO』で知って様々な神話を調べてみたとか、あるいは世界の歴史料理を特集した本が売れたなんて事例もありましたよね。そんな形で、人類が積み上げてきた物語文化みたいなものの総浚えを奈須さんなりの視点でやろうという意識が、どこかの段階で生まれているのではないかとも思ったのですが、いかがでしょうか。

奈須:
 一番はじめの『stay night』自体は、あちこちで話しているように山田風太郎の『魔界転生』(1989年)をワールドワイドでやろう、くらいのつもりでした。雰囲気とか言葉選びはボードゲームの『マジックマスター2 紋章使い[xxv](1989年)にめちゃくちゃ影響受けてますけど(笑)。

 ただ、そこから始まってシリーズが育っていくうちに、「Fate」のユーザーの多くが各地の英雄譚や神話の知識がなく、「あ、これって基礎教養じゃないんだ」と気がついて、特に『FGO』では各章ごとにサーヴァントのルーツとなる神話や歴史の舞台に行ってみるという構造は意識しました。もちろん「Fate」は神話や伝承の拡大解釈を楽しむものだから正しい伝達ではないんだけど、物語をきちんと広げていけば、ユーザーも少なくとも興味の取っかかりは持てるようになるだろう、と。

 人間というものは生まれた土地や環境に応じていろいろな文明の芽吹き方があって、価値観も違う。気候が厳しい北欧とかでは終末論のような神話が生まれやすいけど、温暖で生活しやすいハワイなどポリネシアとかの神話では、まず終末なんて考えないから牧歌的で平和な感じだし、いろんな想像力の形があるわけです。それは善悪とか優劣ではなく、それぞれの環境に応じた必然性があるんだということを、きちんと伝えていきたいという思いはありました。

 とはいえ、たまたま「Fate」の英霊というシステムが一生の飯の種になるくらいにブレイクしただけで、本当は『月姫』みたいなこぢんまりとした話をやりたかった人間なので本来はそんな大それたことを考えていたわけではないのですが、多くの人に受け入れてもらった責任上、この仕掛けでやれる限りの可能性は追求していければと思います。

[xxv] 翔企画から発売された対戦型カードゲーム。

中川:
 自分の頭の中の創作物だけでなく、現実に存在する様々な存在を巻き込める設定になっているのが、英霊システムの面白いところですよね。そのあたりも、『ネットゲーム’88』とか『蓬萊学園の冒険!』といった初期PBMでプレイヤーそれぞれが自分で現実の知識からもプレイングヒントを見つけていったマインドと近しいものがある気がします。

 あと、「Fate」および型月[xxvi]世界の展開とPBMで、もうひとつ似たところがあると思っているのは、1990年代までに構築された様々なジャンルフィクションを横断的に融合させながら、物語をスケーリングしていったところでしょうか。

 いま奈須さんがおっしゃったように、『月姫』『空の境界』の時代には、ユーザーにとって身近な現代社会の裏側で起こる猟奇殺人が云々という規模感の物語だったのに、『stay night』では人類史を代表するような英雄がなぜか現代人の私闘のために日本の地方都市に喚ばれる聖杯戦争という奇妙な仕掛けを介して徐々にスケールアップしていき、さらに『EXTLA』以降の月世界など、ジャンル的にも伝奇や異能力バトルから異世界ファンタジーやSFまで様々な要素が入ってきて、なんとも分類しがたい独特の世界観に育っていきましたよね。それでいて、「魔術」や「魔法」をめぐる世界観の一貫したアイデンティティや様式性のようなものは保たれていて。

 これって、ある局面では猟奇殺人をめぐるミステリーがあり、ある局面では戦記ミリタリーみたいなものがあり、またあるところでは神話的な秘境冒険が繰り広げられていて……というかたちで展開された「蓬萊学園」のようなPBMの世界構築のあり方ともよく似ています。それが原点である一人称視点のノベルゲームや小説から、スタンドアローンのダンジョンRPGや簡易TCG型のスマホゲームへと、ゲームメカニクスとメディア環境の進化に密着して段階的に起こっていったという点が、「Fate」というIPの際立った特徴だなと思うんですけど、その核に奈須さんの思いがあるというのが、すごく腑に落ちました。

[xxvi] 「型月」はTYPE-MOONの俗称で、「Fate」シリーズ以外に『月姫』『空の境界』などにも通底する同ブランド全体の世界観は、ファンの間でこう呼称されることが少なくない。

『Fate』奈須きのこが「人生を狂わせた」伝説のアナログゲーム『蓬莱学園の冒険!』を語る。数千人のプレイヤーが“ハガキ”で参加した狂気の超巨大RPGが与えた衝撃とは?_012
「蓬萊タイムズ」2月号
(画像は「【ゲームの企画書】リアルを舞台に数千人規模でゲーム…そんなのは約30年前に存在した! 「蓬萊学園」狂気の1年を今こそ語りあおう」より)

奈須:
 個々の事件はまったく別なんだけれど、自分が関わっている出来事の外側でも何か別のことが起きているぞという認識が生まれると、その世界の信頼度が異様に上がるんですよね。いま自分がやっているこのゲームでは、たしかに身の丈レベルの小さい事件しか起こらないんだけど、その箱庭の外ではものすごい戦争の歴史があって……という図式は、現実と一緒なんですよね。

 うまく伝わるかわからないんですけど、「蓬萊学園」は明らかに嘘の世界であるにもかかわらず、でも「これは嘘じゃない」という安心感がありました。たとえば巨大ロボットが作れるのかという問題は、我々の世界では単に荒唐無稽な絵空事ですけど、その世界のあり方に信頼度があれば、今の自分にはできなくとも、うまく手続きを踏んで頑張ればできるんじゃないか、と思えるじゃないですか。そうやって自分が見方を変えたり、頑張れば頑張るほど世界が応えてくれるんだって思えたりしたときに、その世界をすごく好きになれる。ユーザーにそういう「世界の信頼」を味わってほしくて、ずっと作品づくりを続けてきたのかもしれません。

 嫌な言い方ですけど、基本的に頑張っても応えてくれないかもしれないのが現実のリアリティですよね。だからフィクションの力で、一方では現実以上に理不尽さを誇張した事件とか、一人一人の力ではどうにもならない存在とかを仄めかせることでリアリティを描きながらも、そこで頑張れば一矢報いて世界が姿を見せてくれることがある……と思えるようになるのは、一種の救いなんだと思います。

『Fate』奈須きのこが「人生を狂わせた」伝説のアナログゲーム『蓬莱学園の冒険!』を語る。数千人のプレイヤーが“ハガキ”で参加した狂気の超巨大RPGが与えた衝撃とは?_013
蓬萊学園最初期のカラーイラスト(画像は「【ゲームの企画書】リアルを舞台に数千人規模でゲーム…そんなのは約30年前に存在した! 「蓬萊学園」狂気の1年を今こそ語りあおう」より)

中川:
 その感覚は、めちゃくちゃよくわかりますね。僕もリアルに高校生になるのと同時に、もう一つの高校として「蓬萊学園」に入った、みたいな感じでしたから。想像上の宇津帆島で、「さぁ、日本国から独立するぞ。自主憲法まとめなきゃ」とか「じゃあエネルギー問題どうすんだ? 原発とかあるぞ」とか、「月光洞の物理法則であの教授はこんな理論を唱えてるけど、もっとこうあるべきだろ」みたいな、みんなで知恵を集めて現実世界の問題を凝縮した運営シミュレーションみたいなことをやっていくさまを、全部あの1年で見せつけられたようなところがあって。

奈須:
 わあ、それはすごく羨ましいなぁ~(笑)。

中川:
 当時の自分の知見や力量ではほとんど何も貢献できなかった悔しさがあるんですけど、でも「頑張ればこの世界の複雑な現実というものをひもといてアクセスできるんだぞ」という手ざわりを、あの時のPBMが与えてくれたんですよね。最後の宿泊イベントでみんなで月光洞の物理法則を考えた体験から大学でも応用物理学科に進むことにしたし、さらに「この現実世界の問題を読み解き攻略する」という意識も強く植え付けられて、専門分野を超えて社会や文化の評論を志したという流れがありましたので。奈須さんがおっしゃるフィクションを通じた「世界への信頼」というのは、そういう感覚のことなのかなと思いました。

奈須:
 きっと陣営が違ったりウマが合わなかったりしてお互い反目しあったこととかも沢山あったんでしょうけど、プレイヤー同士が大きな意味で虚構を共有する仲間として手を取り合ったり、異なる分野の人たち同士が「そんな発想もアリなんだ」と認め合ったりして、最終的に大きな世界を構築していったというPBMならではの達成感は、本当に羨ましいなと思いますね。

中川:
 おそらく奈須さんの中で、フィクション世界の信頼度はここまで作り込めるのだという、ある種の上限値を示したのが「蓬萊学園」ということだったのかもしれませんね。

奈須:
 「ここまでやっていいんだ、ここまでやらなきゃユーザーは愛してくれないんだ」と当時は思ってたんだけど、今回30年ぶりに実際の資料を拝見して、「俺が当時記憶していたものの10倍すごいわ」となっています(笑)。いや、10倍どころじゃないか。当時の遊演体の中心人物は何人いらっしゃったんですか?

中津:
 新城さんがいて、今は欧州近世軍事史の研究者になっている有坂純さんがいて……それでも設定を考えていたのは3〜4人くらいだったはずです。「『指輪物語』は原書で読め」とか、そういう説教から始まる世界の人たちなんで(笑)。

奈須:
 原書は情報量が違うんでしょうね。自分の先輩も「『指輪』は原書で読め」というタイプの人でした。「英語は学校で習うんだから原書で読めるだろ」という人で、これはめんどくさいオタクだなと(笑)。

中川:
 でもPBM時代は現代の情報環境のおかげで集合知を寄せあうことができたので、ある意味では「原典」であるトールキン個人の作ったあの神話体系を超えている部分もあったんじゃないかと思います。

奈須:
 トールキンの「中つ国」は色々な民話や伝承とかを編纂して彼の考える理想の幻想世界を作ったと思うんですけど、「蓬萊学園」は現実に即した空想科学冒険世界ですからね。そこに鬼神のような人たちが集まって巨大な柱を作って、そこにさらに多くのユーザーが「ここに綻びがある」とそれをさらに埋めていって、あの世界が生まれた。そういう、みんなが実際に共同制作したリアリティの強さがあると思います。

 『FGO』もユーザーが参加してるけど、ユーザーの声はアンケートでしか届かないから、ユーザーの意見で世界構築が変わることはないんですよね、仮に参加できても制作タイミング的にも間に合わないですし。基本、ユーザーさんが見ているものは1年前に創られたものなので……。

AIの進歩に負けない「ゲーム」と「物語」を人が紡ぎ続けるために必要なこと

──最後に未来の話をしたいんですが、奈須さん的にはPBMの集合的に共創していくムーブメントを知っている立場として、たとえばChatGPTのような文章生成AIなど進化したテクノロジーの力を借りて、参加型ゲームなどを共同創作していくといった方向について、希望をお持ちではないですか?

奈須:
 たしかにチャットAIの進化は本当にすごいので、もう何年かすればアーカイブからの学習に加えて、使う人間の趣味嗜好を反映した、壁打ち役にすぎないにしても充分満足のいくものが生まれてくると思います。そうなった時に、中心の構造を人間が作りながら、大量のチャットAIがオペレーターになって、10万人、20万人が常に自分のアクションに対して信頼度の高いリアクションを世界からもらえるようなTRPGライクなMMOゲームができるんじゃないかという夢はあります。っていうか、誰か作って(笑)。自分もそれに1ユーザーとして参加したいので。

中川:
 「Fate」世界で言うと、『CCC』のBBちゃんとかムーンセルみたいな設定は、わりと生成AIをめぐる現実状況と相性がいいような気がしていて、この先出てくるだろうAIデザインみたいなものを「Fate」の設定資産で捉え返しながらプレイヤーの現実を侵食してくる……みたいな何かが出てきたら面白そうだなと思うんですが(笑)。

奈須:
 まぁそういう、プロトネタの逆バージョンというか、一人のプレイヤーにお助けフェアリー的なAIがパートナーになってくれるような、要するにグーグルとスマートウォッチといろいろなものが一体化した人類管理AIが出てきて、それと一緒に冒険しながら世界を楽しむみたいなRPGが出てきてほしいですね。そういうものができたら、フィクションもノンフィクションを超えるんじゃないでしょうか。

 そうして人間同士のコミュニケーションが希薄になって、人間よりAIの方が楽だよなとなれば、ようやく我々はお役御免になって、「地球の未来はAIに任せよう、人類は汎人類史が振りまいた悪とともに滅びよう」とか言えるんですけどね(笑)。

中津:
 新城カズマさんも物語工学論[xxviii]などで「小説家はプロットだけ考えてあとは書かなくていいんだ!」とか、「もう知的生命体の活動はAIに任せて俺たちは滅びよう」とか言ってますからね(笑)。

[xxviii] 新城カズマが提唱するフィクション創作に関する知的枠組み。2009年に角川学芸出版よりその端緒として主にキャラクター類型を分析した入門編が刊行。2012年に『物語工学論 キャラクターのつくり方』として角川ソフィア文庫で文庫化。

奈須:
 一人の技術者がAIをシコシコ作ってた時代には全然ダメだったのに、ネットで世界中の人間がつながった副産物として人間がAIにエサを与え続けた結果、本来100年かかるものが1ヶ月で終わっちゃった、と。こうなると、すでに自分の世界を確立できている作家さんは揺るがないと思うんだけど、これからクリエイターして世に出ようとしている人は、今まで人類が味わってこなかった新しい苦痛、試練に耐えうる能力が必要になってしまった。

 絵師の世界ではもうそれが始まって、人間が自分のやることにどれくらい強く信念とモチベーションを保つのか、あるいは、テクノロジーと共存してさらに新しい事を生みだすのか……ということがこれからの人間とAIのテーマだなと思っていたときにチャットAIが出てきてしまって、「これは文字書きも他人事じゃないぞ」と。はじめの『人間の数値化』に戻りますけど、その作家が『何に怒り、何を悲しみ、どんな環境で育ち、どんな結末を好むのか?』は数値化できる事なので、細かくパラメータを組めれば『奈須きのこAI』だって生まれる日が来る。パラメータはそれこそ何千にも及ぶだろうけど、DNA解析よりは現実的だろうし。それがもし実現すれば不老不死の一つの在り方になりますね。このあたり、山本弘さんの「神は沈黙せず」でやってますけど。……そう夢想する一方で、「どうしても数値化できない人間性」があってくれることも、願っています。

中川:
 逆に考えると、PBMで純粋に人間同士のネットワークだけの力でああいうフィクションを共同創作していた時代には、AIにいろいろなコンテンツクリエイションのお株を取られていく中で、最後に人間の役割として何が残るのかという課題のヒントがあるのかもしれません。人間だけだからこそできる、ちゃんとそれぞれの人生にとって意味があると感じられる物語体験を生み出すには、何が必要なのかという。

奈須:
 多分、もはやフィクションとして作り出される物語の中心は空洞で、その外側で人間たちが奏でたメロディというか、絡み合ってできたセッションが、次の世代が楽しむ物語になるのかもしれない。それはゲーム実況やeスポーツなどが伸びてきたここ10年くらいで薄々感じてきたことですね、今のゲームシーンを見ていると。ゲームそのものではなく、そのゲームが生み出す付加価値的な体験やコミュニケーションを楽しんでいる。それは不健全なことではなくて、ある意味、集団で生きる生物として自然なかたちに戻ったのかもしれない。自分だけの世界から自分以外もいる世界に。『ひとりで楽しむ』から『みんなで楽しむ』という、お祭的形式に戻ったというか。

 とはいえ、僕はこじらせちゃったゲーマーなので、コンシューマのゲームは非日常のご馳走として、大きなテレビで一対一で向き合っています。ソーシャルゲームが「ゲームってみんなとつながって楽しむものでしょう?」というものであるのと対極に、「このゲーム体験は自分だけの宝物にしたい」という気持ちがある。最近でいえば『エルデンリング』(2022年)がその究極でした。宮崎英高とフロムソフトウェアが創造したあの世界と誰にも邪魔されず一対一で対峙したい、という気持ちがどうしても強いんですよね(笑)。

中川:
 ちなみに『エルデンリング[xxviiix]の宮崎さんも1975年生まれで奈須さんや僕と同世代ですから、やっぱりTRPG周辺のゲームブックとか、自分たちの想像力で物語世界を補完していく原体験を思春期の頃に通過していて、そのゴリッとしたRPGの初期の感覚をずっと追求し続けている人ですよね。その同じ出発点から言葉の表現で追求していったのが奈須さんだとしたら、宮崎さんは徹底して非言語的で身体的なナラティヴを追求していて、その古めかしい感覚が2020年代現在、どちらも世界的に開花しているのが、とても面白いと思っていました。

[xxviiix] 『ELDEN RING』は、フロム・ソフトウェアが開発し、2022年2月25日に発売されたオープンワールドのアクションRPG 。

奈須:
 昨年2月24日の竹箒日記[xxix]にも書いたんですけど、『エルデンリング』は本っ当に面白くて、発売当時、『FGO』の第2部6章が終わったご褒美に2週間の「エルデン休暇」をもらったんですね。「2月25日から2週間は休むから!」と他の仕事を前もって終わらせて家に引きこもってひたすら『エルデンリング』をやり続けたんですが、でも2週間じゃ全然終わらなくて(笑)。最後の14日目に「これで明日から仕事戻るの? まだやっと王都に来たばっかりなのに。でも約束だからしょうがないか……」って。

 でも待てよ? と。『エルデンリング』はさっき話したように、自分が小中学校の時に「こんなゲームがあったらいいな、でもあり得ないだろうな」って思っていた、まさに夢のRPGそのものです。自分が夢見てきた人生の目標のようなゲームが目の前にあるのに、目先の仕事でその体験の機会を諦めるのか? と自問自答までして。オチとして「仕事もする。褪せ人にもなる。両方やらなくちゃいけないのが社会人なんだよね」と睡眠時間を削って楽しみました(笑)。

──(笑)

奈須:
 それで「これが40過ぎた男のすることか」と思いながらも、「しょうがない、このために俺は生まれてきたんだから」と(笑)。もちろんゲームも素晴らしいんだけど、ビジュアルが本当に絵画の世界のようで、その世界を冒険するうち、これでもかこれでもかとユーザーの期待を上回ってくれる。いやあ、宮崎さんには個人的にも本当にありがとうと言いたいです。

中川:
 奈須さんも宮崎さんも、そう簡単にAIに置き換えられることがないだろう、ゲームで追求できる人間性の最後の牙城という感じがしますよね。人間であれAIであれ、遊び手として自分自身がプレイしたいと考える夢のゲームを作り手としてひたすら追求するというモチベーションの強さこそ、次の世代の知性に感染していってほしいなと改めて感じます。本日は貴重なお話をありがとうございました!

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ライター
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