『Fate』の奈須きのこ氏の人生を“狂わせた”コンテンツがある──。
その名も『蓬莱学園の冒険!』。まだインターネットが今ほど普及していなかった1990年に、“ハガキ”を通じて全国から数千人のプレイヤーが参加した巨大ロールプレイングゲーム……PBM(Play-By-Mail)と呼ばれるジャンルの一作である。
ゲームの進行にあたっては、各プレイヤーが毎月送られてくるハガキに自分の取りたい行動を記入して運営元へ郵送する。すると月末に送られてくる会誌「蓬莱タイムス」の小説やニュース記事の形で反映され、シナリオが進行していく……という具合だ。
つまり運営側では数千ものプレイヤーから送られた内容をすべて「人力」で把握し、総合的なストーリー進行を定めたうえで、各プレイヤーの行動に対するリアクションを毎月のハガキで返さなくてはならない。……こう書いただけで、その運営方法の狂気っぷりが少なからず伝わるのではないだろうか?
1980年代にゲーム会社「遊演体」が作り出したPBMはその後も電子メールやインターネットを活用する形で進化を続け、やがてPBM出身のクリエイターが大規模オンラインゲームの制作にも携わるようになる。また冒頭で言及した奈須きのこ氏や『フルメタル・パニック!』の賀東招二氏ら、数々の著名なクリエイターにも大きな影響を残した。
その類稀なる歴史的価値を次世代に継承すべく設立されたのがNPO法人「日本PBMアーカイブス」。同団体では現在、『蓬莱学園の冒険!』の資料を広く共有するためのクラウドファンディングを行っている。
その活動の一環として、団体の公式サイトでは9月8日(金)から奈須きのこ氏へのインタビュー(全5回)を掲載中。このたび、電ファミニコゲーマーではその全文を掲載する許可をいただいた。関係者の皆様、本当にありがとうございます。
学生時代の奈須氏が『蓬莱学園の冒険!』から受けた衝撃、そして今多くのプレイヤーを惹きつける『FGO』への影響なども語られた、非常に貴重な内容となっているため、ぜひご一読いただきたい。
「奈須きのこ」の一生を狂わせた「蓬萊学園」との高校時代のニアミス
──本日はお時間をいただき、ありがとうございます。最初に、奈須さんがテーブルトークRPG(TRPG)を経由してPBMや「蓬萊学園」シリーズと接点を持った経緯から伺わせてください。奈須さんは1973年のお生まれなので、遊演体による日本初の商用PBM『ネットゲーム’88(N88)』(1988〜89年)の登場時は中学3年生だったはずで、少なくとも中学入学当時に武内崇[i]さんと出会われてから後の出来事ですよね?
[i] イラストレーター。中学時代からの友人である奈須きのこと同人サークル「竹箒」を結成。これにコンパイル時代の元同僚であるプログラマー清兵衛と作曲家Kateが加わって、2000年に同人サークル「TYPE-MOON」に発展し、『月姫』を制作。ゲーム制作会社「ノーツ」を設立し(TYPE-MOONはそのブランドに)、代表取締役。
奈須:
はい。武内とは中学時代に創作のイロハを学んだというか、一番はじめのライバルで、その影響で自分も物書きになろうとは思っていました。そんな時に、先輩というか友人のお兄さんたちが『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)[ii]』とか『トンネルズ&トロールズ(T&T)[iii]』を英語版でやっていて、「なんかしち面倒くさいことをやっているな」とか「なんで日本語版があるのに読まないのかな」とか思って見ていたのが最初のTRPG体験です。ホビットがハイ・エルフたちの所業を「何やってるのかな?」って背伸びして覗いているみたいな感覚で(笑)。
それで高校は武内とは別々になったんですが、TRPGをやる仲間が6人ぐらいに増えたので毎週やろうかということになって、それで『D&D』を始めました。自分は伝奇畑の人間だったので、伝奇もののTRPGがやりたいって思っていたんですが、当時はそういうものが無かったので自分で作るしかないと思ってオリジナルルールを作り始めて、それで今の奈須きのこの土台ができたという面があります。ただ、結局どんなルールであろうともそれは自分のやりたいシチュエーションをやるためのルールであって、本当に一つの世界を表現するためのルールである『D&D』にはかなわなくて、一周回って最後には「『D&D』が一番楽しいよね」となるんですが(笑)。
[ii] Dungeons&Dragons。1974年に制作・販売されたアメリカのファンタジー・テーブルトークRPGである。世界で最初のロールプレイングゲーム。BOXタイプで、赤箱、青箱とも呼ばれる。
[iii] 『トンネルズ&トロールズ』 (Tunnels & Trolls, T&T) は、アメリカのテーブルトークRPGのひとつ。文庫1冊に収まったルールブックと、6面ダイスのみを利用する簡素なシステムが特徴。
中川:
わかります。僕も1974年生まれで奈須さんの1学年下の世代なので、最初にTRPGの本格的なセッションを体験したのは、中学時の友達のお兄さんでした(笑)。
奈須:
そうやって自分たちでもTRPGを始めて、「RPGマガジン[iv]」とかを買って情報を集めていく中で、その極北に「どこかで大勢でやっているすごい企画があるらしい」ということを知ったんですね。それが『ネットゲーム’90 蓬萊学園の冒険!(冒険!)[v]』(1990〜1991年)だったんですが、その時は詳しい内容を知り得なくて、東京の南方に亜熱帯っぽい宇津帆島という島があって、そこに巨大学園があって……という設定だけ聞いていた。
で、お金に余裕のある先輩の一人が『冒険!』の参加者で、ある日プレイングシートを持ってきていたんです。それを見せてもらったときに「なんでここまで細かくキャラクターを設定するんだ!?」と衝撃を受けて。あの頃は「蓬萊学園」が何を目指しているのかが言語化できなかったんですけど、いま振り返ると普通のTRPGでプレイヤーが作るのは、あくまで冒険っぽいゲームをするための一時的な「キャラクター」ですよね。でも『蓬萊学園』で作るのは「自分のアバター」だったんですよ。それを先輩に見せられて、要は「お前のやってることはこれに比べればまだ子供の遊びだよ」というマウントを取られたんですが(笑)、まぁ先輩ってそういうもんですからね。
[iv] ホビージャパンが1990年から1999年にかけて刊行していた日本のテーブルトークRPG(TRPG)専門ゲーム雑誌。
[v] 遊演体が1990年にゲームマスター柳川房彦によって運営した巨大学園ものPlaybyMail。後にテーブルトークRPG版も発売される。
中川:
当時の文化系サークルあるあるですね。
奈須:
もし仮想の世界で本当にもう一人の自分がいて、もうひとつ別の人生があるなら、こういう場所でこういう冒険をしたい……という想定で細かくアバターを作りこんでそこで冒険させるという発想が、今で言うVRとかメタバースに近いというか。当時はそういう言葉はなかったと思うんですけど、たしかに現実ではないんだけれど、このハガキ一枚で遠い海の向こうにある「宇津帆島でもう一人の俺が生きてるんだ」っていうのをやるためのゲームだったんだって。
ただ、当時はそういう「仮想現実で生きるもうひとりの自分」という感覚がわからなかったし、あまりお金が無かったので、自分はPBMには手を出さなかったんです。また、武内が中学の頃から漫画家になるって強い意志があったので、彼がそうである以上、じゃあ自分も物書きにならなければ、と必死だったので、そっちの方のウェイトが重かった。なので、もし友人が武内じゃなったら僕もPBMに参加していたかもしれません。
そこで一度「蓬萊学園」の知識が止まっていたんですけど、のちに新城十馬[vi](現:カズマ)さんの小説『蓬萊学園の初恋!』(1991年)が出て、「あ、『蓬萊学園』って小説もあるんだ。じゃあ読んでみよう」ってページを開いたら、これで人生が狂ったんですよ!
[vi] 小説家。ゲームデザイナー名義は柳川房彦。代表作に「蓬莱学園」シリーズ、「サマー/タイム/トラベラー」など。
中川:
そうだったんですか!
奈須:
何が衝撃だったかと言うと、漠然と思っていた「学園もの」のイメージと違って、主人公が飛び込んだ先はまるで現代のネット社会の混沌の坩堝で、天国でもあり地獄でもあるような状況の中での、超リアルなハイスクールものだった。その上でプロットも、キャラクターも、読後感もすべてが完璧だった。当時、RPG好きが読む小説はいろいろありましたけど、その大半は面白いながらも翌日には忘れてしまう、爪痕を残さないタイプのものだった。
ですが、『初恋!』は何時までも引きずってしまう小説だった。「これは読んだ人間の心に残る、何かその後の人生を左右するものだ、自分もこういう小説を書きたい」と強く思いました。それまでは娯楽寄りの話を書いていたんですけど、『初恋!』以降は「物語を書こう、小説を書こう」と考えるようになった。読んだ後にその人の人生に残るものを書きたいという第一歩のようなものが、そこで刻まれたのだと思います。
その後、影響を受けた小説は沢山ありますが、明確に意識を変えてくれたのは、氷室冴子[vii]さんから入って読んだ新井素子[viii]さんの『ひとめあなたに…』(1981年)でした。完全なバッドエンドなのに美しい話で、「えっ、こんな小説書いていいんだ!?」って。その後、現実に沿った伝奇ものを書いていた時分に綾辻行人先生の『十角館の殺人』(1987年)に出会って自分の道は決まったのですが、やはり原初にある「後に残る物語を書く」という強い衝撃を与えてくれたのは『初恋!』でした。
[vii] 1980年代から1990年代にかけて集英社コバルト文庫を代表した女性作家。現在、其の名を冠した氷室冴子青春文学書が、出身地の北見沢市で運営されている。代表作に『海がきこえる』『クララ白書』など。
[viii] 小説家。初期の集英社のコバルト文庫から活躍し、その文体はライトノベルや少女小説に多大な影響を残す。
中川:
あれは僕たち『冒険!』参加組からしてみると、自分たちが1年間楽しく波瀾万丈の学園生活を過ごせた裏に、実は「二級生徒」という不可触民のような暗部があったという話なので、僕たち自身の経験を顧みさせる点でも非常に衝撃的でした。奈須さんがおっしゃるように、蓬萊学園がPBMを通じて多くの人々が実際にそこに生きた「現実」の重みを背負っていたからこそ、それを打ち返すようにグランドマスター・柳川房彦[ix]こと新城さんが出してきた「まさか、そう来るか!?」という設定であり物語だったので、参加者でなかった奈須さんにも、その特異な空気感が伝わっていたんだなと……。
[ix] 新城カズマの別名義。
奈須:
そうですね。『初恋!』を読んで、初めてPBMというものの手ざわりを間接的に感じたところがあります。つまり、生徒全員がモブなんだけれど、何かをきっかけに『初恋!』の主人公・朝比奈くん[x]のように主役になれるチャンスが無数に転がっている。でも同時に、どんなヒロイックな話でも本来はみんなモブなんだという感覚。そんな中からユーザーがマスターを信じて、ハガキ一枚で世界を変えるかもしれないアクションをかける行為ってすごいよな、と思わされました。
同時にゲームが好きでもあったから、ゲームシステムとしても面白かったし、物語や世界観の構成としてもめちゃくちゃ惹かれるものがあった。「巨大学園」というだけでも楽しいのに個々の設定が深くて、正直「ここまでやるか?」ってレベルじゃないですか。調べれば調べるほど「これはキ◯ガイだ、キ◯ガイの所業だ」って。まず巨大な箱庭の楽園を作っておいて、それが多くのドラマを生んでいくんだと思うんですけど、これを運営しているのがマンパワーだけだっていうのが、今では考えられないですよね。たとえ同じ才能を持った人たちが、いま同じ年齢で同じことを始めても、多分これは実現できない。あの時代だからこそ、頼れるものが人間力しかなかった頃だからこそできたプロジェクトだったと思います。
ただ、今はAIが進歩してきて会話までできるようになってきた。あれがもうちょっと進化してブレイクスルーできれば、もしかしたらあの水準のことが今の環境でできるようになるかもしれないと、個人的には楽しみにしているんですけど。
[x] 小説『蓬莱学園の初恋!』の主人公・朝比奈純一。彼が蓬莱学園に転校してきた時に、名も知れぬ美少女に恋をしたことで、巨大学園を巻き込む波乱が起きる。
「困ったゲーマー」マインドを植え付けた小中学生時代のはぐれファミコン体験
──ちなみにTRPGに出会う前はどんな感じだったのでしょうか? 奈須さんの世代だと小学生時代にファミコンで「ドラクエ[xi]」なり「ファイナルファンタジー[xii](FF)」に出会ってから、もっとハイブロウなRPG文化に溯っていくというパターンが多かったと思うんですが。
[xi] 1986年にエニックスから発売されたファミリーコンピュータ用RPG『ドラゴンクエスト』のこと。シリーズ化して日本のRPGの代名詞となったが、システムに海外のパソコン用RPGパソコンのRPG『ウルティマ』や『ウィザードリィ』の影響を強く受けていることでも知られている。
[xii] 1987年にスクウェアから発売されたファミリーコンピュータ用コンピューターRPG。ストーリー性が強いのが特徴。
奈須:
たしかにファミコンからですね。自分は兄弟がいたので、兄たちが頑張ってお金貯めて頑張ってファミコン買って、兄たちがいないときにこっそりとやっていた感じです。
ちなみに、今日持ってきていただいた資料(『N88』のゲーム内雑誌「朝朝ジャーナル」掲載のコラム「今月のファミコンソフト」)に『超惑星戦記メタファイト[xiii]』(1988年)が入っていて、「俺の魂のゲームをレビューしてる、すげえな!」って。ファミコンの後期に出たSFタンクゲームなんですけど。
[xiii] サン電子発売のシューティング・アクション。サイドビューステージとトップビューの二種類のステージを行き来しながらクリア条件を探す、探索型アクションゲー
中川:
わ、そんなん載ってましたっけ。持ってきてみるもんだ(笑)。
奈須:
ちなみに『メタファイト』は、これのライセンスを取った会社から『ブラスターマスター ゼロ』(2017年)というタイトルでリブートされて、2021年にはNINTENDO Switch版も出ています。それぐらい『メタファイト』って、あの時のファミコンでやるにはオーバーテクノロジーなゲームだったんですよ。それを当時リアルタイムで押さえてあるのはすごい。ゲームへの嗅覚がハンパないです。
中川:
全然知りませんでした。
奈須:
というぐらいファミコン世代だったので、もちろん「ドラクエ」も『Ⅰ』(1986年)、『Ⅱ』(1987年)、『Ⅲ』(1988年)と体験してます。ああいう中世ファンタジーもののRPGが、もともとは『ウルティマ』から来たというのは後から知りましたが。
それとファミコン版の『ウィザードリィ[xiv]』でダンジョンものの良さというか、自分で自分の運命を左右できないシビアさに目覚めました。『ウィザードリィ』って最初のキャラクターメイキングの時にステ振り用のポイントがランダムでもらえますが、ゲーム初心者……というか、普通は最高値が出るまで何度もやり直すものです。今で言うリセマラなので。でも「いや、人生にやり直しはない。どんなに低いポイントであろうとこれでやっていくんだ」とかこじらせはじめると一発勝負で「今回は+1か。いいじゃないか。それで行こう」と、運命に翻弄されながらも、それでも生き抜くロールプレイが楽しくなってくる。その時、「ああ、ロールプレイってこういうことか」と、ゲーマーとして成長した気がしました。
とはいえ、こんなふうにシステムに翻弄される逆境を楽しむ人間はやっぱり稀で、最近のゲームのトレンドは「ノンストレスであること」なので、自分から苦労を背負って楽しむプレイスタイルは好まれないでしょうね。
[xiv] 1981年に米国で発売されたAppleⅡの3DダンジョンRPG。日本でも各ゲーム機に移植され大ヒット。
中川:
では、パソコンについてはどうでしたか? 8ビットのマイコンブーム時からWindows 95登場前夜までにPCゲームに触れていたかどうかでも、だいぶゲーマーとしての気質が変わってくると思うんですが。
奈須:
家がそう裕福ではなかったので、PCはちょっと手が届かなかったんですよ。ただ、武内が「X1」を持っていたので、たまに武内の家に遊びに行くとPCゲームもやっていたので「面白そう」と思いながら、いつか大人になったらパソコンを買おうと思っていたんですけど、コンシューマー機の進化の方が早くて、最終的にはPCがなくても気になるゲームはだいたい遊べる時代になっていた感じです。
だからちょっと時代が下りますが、『To Heart[xv]』(1997年)が流行ってた時期でもまだPCを持っていなかったので、自分にとっては『To Heart』はプレイステーション版なんですよ。
[xv] Leafから発売された学園ラブコメビジュアルノベル。前作『雫』『痕』が、伝奇小説の雰囲気を色濃くしていたのに対して、本作はライトノベルの雰囲気を取り込み、より一般的になり大ヒットした。