1990年代から2000年代は、美少女ゲームにとって黄金の時代だった。X68000やPC-98シリーズなど、いわゆる「ゲームが遊べるコンピューター」の普及に伴うゲーム産業の成長は多くの美少女ゲームメーカーを生み出し、同人活動やアニメメディアなどの「オタク文化」もそれをあと押しした。
現在でも多くのファンを有する「Key」や「TYPE-MOON」などのゲームブランドが誕生したのもこの時期であり、これらのブランドが世に送り出した作品群は、いまなお多くのファンに親しまれている。
10月4日から放送がスタートしたアニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』は、そんな1990年代の美少女ゲーム業界を舞台にした意欲作だ。「若年イラストレーターが90年代にタイムリープし、美少女ゲームを制作する」という本作のストーリーラインは、若い世代への興味深い歴史的資料であると同時に、90年代当時を生きたゲームファンや開発者にとっては、みずからの青春時代を克明に描く回顧的側面も持ち合わせている。
今回、弊誌がお話を聞くのは、そんな90年代の青春を過ごしてきた開発者たちだ。過去に音楽プロダクション「I’ve」のメインクリエイターとして活動し、多数のアニソンやゲームソングを手掛けてきた中沢伴行氏。そして「Key」設立メンバーのひとりであり、あの『鳥の詩』を手掛けた作曲家でもある折戸伸治氏である。
『16bitセンセーション ANOHTER LAYER』ではエンディングテーマ『リンク〜past and future〜』を手掛け、90年代美少女ゲーム業界において、つねに最前線で活躍されてきた中沢氏と折戸氏。今回のインタビューでは90年代当時の懐かしい思い出や、華々しい経歴の裏にある多くのエピソード。そして「I’ve」が実現しようとしていたプロジェクトの真相まで、ここでしか聞けない貴重な話をうかがうことができた。ぜひ90年代の美少女ゲームを懐かしみながら楽しんでいただきたい。
時代を先取りした幻の企画「Lips~笑顔の行方~」
──本日はよろしくお願いいたします。さっそく質問に入らせていただきたいと思いますが、お二人が音楽に興味を持たれたのは何がきっかけだったのでしょうか?
折戸氏:
僕は学生の頃に出会ったゲームミュージックですかね。当時はまだアーケードゲームが主流だった時代なんですが、そこでコナミやセガ、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)のゲーム音楽にぐいぐい引き込まれていったというのが、ゲームサウンドに興味を持ったきっかけです。とくに古代祐三さんの音楽が好きでした。
そこから自分でもゲームミュージックをやってみたいと思い、X68000を購入してFM音源でいろいろな曲を打ち込みまくっていましたね。
──ゲームミュージックがきっかけだったんですね。80〜90年代はアーケードが技術の最先端でしたし、PCゲームサウンドは技術の発展にともなって表現の広がりを見せていた時代だったと思います。ちなみに、とくに気になっていたゲームは具体的にどんなタイトルだったのですか?
折戸氏:
アーケードでしたらセガの『ギャラクシーフォース』や『スーパーハングオン』、それと『アフターバーナー』です。ナムコだとやはり『ドラゴンスピリット』や『リッジレーサー』ですかね。当時はアーケード黄金期でしたから。
──そこから実際にゲームの音楽に携わるようになったのは、どういったきっかけがあったのでしょうか?
折戸氏:
きっかけは……これってどこから話したらいいんでしょうかね。業界を目指すところからだと結構長くなるかもしれないですけれど(笑)。
中沢氏:
聞いてみたいです!(笑)
──ぜひお願いします!
折戸氏:
当時はX68000を購入して打ち込みをしていたわけですけれど、まだそのころはゲームの曲を耳コピする程度で、作曲はほとんどしていなかったんです。ゲーム業界に憧れはあれど、やはり仕事にするほどスキルに自信もありませんでしたから、当初は普通の会社に就職して、音楽は趣味の範囲で行っていました。だけど、ある時期から作曲のほうも少しずつやり始めるようになってから、またゲーム業界への興味がふつふつと湧いてきまして──。
──ゲーム業界を志望しようと思ったわけですね。
折戸氏:
ただ、ゲーム業界でサウンドの募集って滅多に無いんですよ。それなら一方的にこっちから送っちゃおうと思い何社かに送ったこともありましたが、結局全部受かりませんでしたが……。
そんなとき、アクアプラスの下川社長から「ちょっとゲーム会社を立ち上げるから手伝ってくれないか」と誘いを受けまして。それが音楽を仕事にするきっかけでしたね。
──入社してすぐ音楽の仕事を任されていたんですか?
折戸氏:
そうですね、音楽の仕事一本でした。といっても、当時は自社でゲームを開発するための開発力も財力もなかったので、他社メーカーさんからの下請けで音楽を作っていました。たとえば、当時「TAKERU」【※】っていうフロッピーのソフト自販機があったんですよ。ボタンを押したらフロッピーを書き換えてくれて。
※ソフトベンダーTAKERU:ブラザー工業が開発・展開したPCソフト用の自動販売機。1986年にサービスが開始し、1997年にサービスを終了。おもにパソコンショップなどに設置されていた。
中沢氏:
あったあった、懐かしいなあ(笑)。
折戸氏:
そのTAKERUのゲーム音楽などを作っていました。
折戸氏:
MS-DOSの時代ですね。
──では続いて、中沢さんにも同じようにお聞きしてよろしいですか?
中沢氏:
僕も折戸さんの話と結構かぶってるんですけども、中学生くらいのときに友人がMSXを持っていまして、それを貸りてゲームのオープニングなんかを作ったりして遊んでいたんですね。
そんな中で「音楽も作ろう」となり、MSXのFM音源で打ち込みをしたり、MSXマガジンを読んでプログラミングで音を鳴らしたりしていました。
──折戸さんと同じく、コンピューターがきっかけで音楽を始めたんですね。
中沢氏:
日本ファルコムの『イース』の曲を打ち込んだりとか、そういうことをしていたのがルーツだと思います。それと並行してバンドもやっていたのですが、バンド仲間の多くはコンピューターをいじる仲間とは違っていたので。
僕もゲームに近いところで仕事がしたいと思っていたのですが、音楽を始めたのが高校あたりからだったので、当然ゲーム会社にすんなりとは通りませんでした。そんな中「I’ve」(※正式にはFUCTORY Records)に入ることになったんですが、そのころのI’veはカラオケ事業がメインでして、カラオケのデータ制作の仕事をしていましたね。
その後、カラオケ事業は閉鎖になり、それから秋葉原のT-ZONEで1年ぐらいPC屋の店員をやってたんですが、I’veの社長から「ゲームを作るからプログラムをやってくれ」と連絡がきたんです。「プログラムなんて組んだことないですけど」って言ったら、「ツールがあるから大丈夫」って(笑)。
一同:
(笑)。
中沢氏:
スクリプトですから、いまみたいに作りやすいものではなかったんですけど、ゲーム業界に行きたいと思っていたので「じゃあやります」と答えました。北海道に来てから最初のうちは、プログラムを組みながら北海道の会社さんからの音楽制作をちょこちょこと請けつつ、という具合でしたね。
──すごい経緯ですね。ところで、I’veがビジュアルアーツを始め、多くのゲーム音楽を手がけるようになったのは何がきっかけだったのでしょうか?
中沢氏:
この話をすると長くなるんですけど、もともとI’veのベースにあった企画というのは、いまでいうところのアイドル系メディアミックス展開を美少女ゲームでやろうというものだったんですよ。
十何曲入ったアルバムを美少女ゲームのキャラクターに全部歌わせて、それをアルバム化してリリースしていこう、というのが当時の高瀬(高瀬一矢氏。 I’ve、FUCTORY recordsの代表取締役)さんの考えていたものでした。じつは楽曲も何曲かは完成してたんですよ。
──そんなお話が!
中沢氏:
その企画が「Lips~笑顔の行方~」という企画だったんですけども高瀬さんが馬場(馬場隆博氏。株式会社ビジュアルアーツの前代表取締役)社長に持っていったら、「これはすごく良い企画だし、ちゃんとやったほうが良いから、まずは簡易的なゲームを作ってこの企画のための資金作りをしなはれ」となりまして。じつはそれがゲーム作りの背景にあったんですね。
なのでまずはゲーム開発にリソースを割くことになって、その簡易的なゲームの2本目を作るタイミングで僕がI’veに入ったという次第です。ただ、資金集めの為に始めた2本目のゲームが全然うまくいかず(笑)。結果的に「I’veさんにはゲームを作る才能はない」となってしまって(笑)。
──「Lips~笑顔の行方~」の企画自体もなくなってしまったのですよね。
中沢氏:
そうです、企画もぽしゃっちゃったんです。I’ve自体は音楽方面で評価されたので、引き続きビジュアルアーツさんの仕事を請けてはいたんですけど、そうしているうちに高瀬さんも「Lips~笑顔の行方~」で作っていた楽曲ストックをどんどん出していっちゃって(笑)。
僕がいた段階では楽曲ストックは結構あったんですけれど、いろいろなメーカーさんからお話をいただいたときに「これ、いまちょうど作ってたんですけど、どうですか」「良いですね、それでいきましょう」みたいな感じでどんどんストックがなくなっていっちゃって。企画自体はなくなってしまったけど、結果的に作った曲はたくさん世に出せましたね(笑)。
──そのころの美少女ゲームというと、オープニングとエンディングに主題歌が付いているだけでも「すごい」と言われていた時代だったと思うんですよ。それをひとりのキャラクターに1曲づつ、十何曲も出してアルバム化するという発想は相当すごいと思います。
中沢氏:
3人のゲーム内ヒロインが実際にデビューした、という見せ方でアルバムを出す予定でした。ゲーム内の架空のアルバムを実際に出す。そういう企画だったんです。
20年以上前にそういったプロジェクトを美少女ゲームでやろうというのを高瀬さんは考えていたんですよね。