「タツはなんか戻ったね」
──騒動後ストップしていたSNSですが、独立後は発信が再スタートしましたね。
鈴木さん:
ええ。フリーになったこともあり、SNSなども全部解禁して、自分のペースで動き始めようと思って再開してみました。
──再開後のXの反響もすごいですよね。やっぱりファンの方の熱量は凄いですし。
鈴木さん:
リアクションをくださるのは素直に嬉しいです。でも面白いのが、Xを再開してからずっとフォロワー数が減ってるんですよ(笑)。
「いいね」などエンゲージメントは増えているんだけど、フォロワーは減っていて。
──野次馬的にフォローしていたアカウントが減ったんでしょうかね(笑)。2023年12月には、鈴木達央コラボカフェ「35mmに魅せられて」も開催されていましたね。
鈴木さん:
ありがたいことに周囲の助けもあり、突発的に「コラボカフェをやってみないか?」とご提案をいただきました。
アニメとかではよく聞きますが、「生身の人間でコラボカフェってやれるんだ!」と思ってびっくりしたんですが(笑)。
ご縁があって夜よいちさんにミニキャラを描いていただいたり。
パッと開催するコラボカフェにしては随分な席数を用意させてもらったんですけど、それがすごい速さで埋まっていって。
おかげさまで完売になったので自分でも驚きましたし、「ああ、動いて良かったな」と思えました。
SNSで「コラボカフェには自分もちょこちょこ行きます」と言っていたように、実は何度か顔を出させていただいていました。
──そのタイミングで行った人は大当たりですね。
鈴木さん:
そうかもしれません(笑)。予告もしてないし、なんだったら行った報告もしてないですし。
そのときにカフェにお越しいただいた方たちと、直接お話ができる時間もあって。
──どんなことをお話したんですか?
鈴木さん:
「たくさん動いてくれる、この時を待っていました」と言ってもらえました。嬉しかったなぁ。
他にも「もうちょっとだけ、これからは自分のことを大事にしながら歩こうと思います」とお話したら、「私たちも何か言われるのは嫌なんですよ」って。
この言葉には堪えました。
「ごめん、それに負けないように頑張る。応えられるようなものを出していく」と約束しました。
嫌な思いをさせてしまったから、その分これからいい思いをたくさんしてほしいし、そういった活動をしていきたい……と改めて決意しましたね。
そういえば、ファンの方からいただいたもので、印象に残っていることがあって。
2023年の夏に出演した朗讀劇『極楽牢屋敷』です。
──鈴木さんが女性役を複数ご担当されていた朗読劇ですね。
鈴木さん:
ええ。でも、最初はすごく不安だったんです。「自分が出て大丈夫かな」と思っていて。
そしたら、「出てほしいから、声掛けてるんだよ」と言われて問答無用。
むしろあっちが強気で。「いや、たつ兄に話すのってそういうことでしょ(笑)」と言ってくれたんです。
そうして出演したとき、お客様にも支えられたし、その時にいただいた拍手が忘れられなくて。
同じように、かないみかさんにお呼ばれして「声優neo歌謡フェス2023」に出演させていただきました。
僕が出演した回のトリが三ツ矢雄二さんだったんですが、その直前が僕の出番だったんです。雄二さんの前ですよ?(笑)。
その時は、2曲歌わせていただいたんですが、ステージを楽しみに見に来てくださった方たちの声もめちゃくちゃ嬉しくて……。
──以前イベントにご出演されていた時とは感覚が違いますか?
鈴木さん:
はい。その前にもイベントで人前に立たせていただくことはありましたが、暖かい拍手がやっぱり忘れられません。本当に、心から嬉しかった。
こういうこと言うと、そりゃ「お前が撒いた種だろ」と思う方もいらっしゃると思います。
でも、改めて暖かい言葉や拍手をいただけることがどれだけ嬉しいことだったか。
この気持ちに改めて気付くことができました。
本当に感謝しています。
──フリーになるとSNS運用ひとつとっても、事務所からNGが出ることもないですよね。そういう意味ではすごく自由度が高くなり、ファンとのコミュニケーションという面ではより直接的になっていると思います。
鈴木さん:
そうですね。今は……やっぱり楽しいです。
僕は「ファンとの距離感が遠い」とか「生意気だ」と勘違いされることも多くて。
──「遠い」と言われるんですか? 逆に「近い」と言われるほうかと思ったのですが。
鈴木さん:
たまに言われますよ。どっちかと言うと、自分としても「近い」つもりでいたんですけど。
みんな実際に見たこともないのに、さも当然のように「オラついてる」って言うんですよ(笑)。
そういうのって、知っている人からすれば「笑えちゃうぐらいズレてるなぁ」と思えるんですけど、やっぱり一般的な評価としてはそういう感じなんです。
一方で、「それはそれでいいかな」と思えるようにもなりました。
声の大きい人たちが言うからそうなるのもわかるし、僕もそういうのに惑わされて「この人はこういう人なのかもしれない」と思って人を見てしまうことがあるから。
──以前に取材させていただいた時も、「オラついてる」ような印象はなかったですね。
鈴木さん:
そうでしょう?(笑)
ただ、昔はあらゆるものに対してトゲトゲしていたところがあったのは事実です。それは良くなかったなぁって思います。
これに関しては個人的な事情もあったり、もう時効だと思うので言えるのですが……。
実際にキャラ作りとして「そういう風にしてくれ」というオーダーがあったりもしました。
だから、自分のことを曲げてでも貫き通さなきゃいけなかった。
でも、当時は自分にとってマイナスに繋がるところまで考えが及ばず、そうすることによって「誰かが喜んでくれるのであればいいや」と思っていたんです。
正直、自分の心が疲れているのにも気が付かずに走り続けていました。
でも、これからはそういうことはやめようかなって。
──これからは作られた存在ではなく、“飾らない素の鈴木達央”を見せていくと。
鈴木さん:
そのつもりです。
そういえばこの前、かないみかさんをはじめ、僕がこの業界に入ってすぐぐらいからお世話になっている方々に久しぶりにお会いしたんですが、そのときに一番言われたことが「タツはなんか戻ったね~」という言葉だったんですよ。
──なるほど。鈴木さんを長く知っている人からすると、雰囲気が昔に戻ったということですね。
鈴木さん:
あはは。「やっぱり、先輩には頭が上がらないな」って本当に思いました。何にも言ってないのに、見ただけで全部理解してくれて。
うん。優しさしかないな、と思います。
そういったところで元気をもらったし、信じられるものや自分のペースみたいな、「これから大事にしなければならないもの」はこんなに近くにあるんだ、と発見できました。
SNSにはちょこちょこ書いているんですが、「自分のペースで」という言葉をよく使っていて。
事務所に所属しているときは「タツさんすみません、ここにお休みが入っているんですが先方さんが『どうしてもタツさんで行きたい』と言われているのでお願いしても良いですか?」だったり、「ここしか時間がないんですけど、収録お願いしても良いですか?」って言われる度に「分かった、そう言うのであれば」と仕事を全部入れていたんです。
でも、それによって自分の心がどうなるかなんて誰もわからないし、僕自身もわからなかった。これからは「無茶をしない自分」を作っていかなければ、と思っています。
「いろんなことがあっても、頑張ることだけはやめないようにしなさい」
──フリーへ転身したタイミングで、デビュー20周年を迎えました。この20年を振り返ってみて、いかがでしたか?
鈴木さん:
自分が歩んできた道と共に、時代や声優に求められることも大きく変化した20年だったと思います。
声優として、役者としてと考えると……。パッと出てくるのは「大変だったなぁ」です。
僕ら声優はアフレコスタジオに行ってお芝居をします。
いただいた役に誠実に向き合って、アニメーターさんと見えないキャッチボールをして、良い物を作る。それだけだ、とずっと思っていました。
でも、やり始めた頃は変なことを言われたりもしました。
たとえば服装ひとつとっても。当時から僕はゆったりとした格好が好きだったんですが、その格好をしていたら変な指摘を受けたり、とか。
今の時代では考えられないような理不尽も多かったけど、それ以上に学ぶことも楽しいこともたくさんありました。
そう考えるとやっぱり大変だったと思うことは正直あります。
──声優としての20周年を振り返って印象的なエピソードや、声優・鈴木達央としてターニングポイントになったもの、影響を受けた方はいらっしゃいますか?
鈴木さん:
これはバンドのライブでも言ったことがあるんですが、ターニングポイントというか自分にとって「父だな」と思える人がひとりいらっしゃいまして。
僕の一番最初のアニメデビュー作品が、『月刊少年マガジン』で連載されていた『DEAR BOYS』というバスケットボールを題材にした作品なんですけど。
そのとき音響監督を務められていた三間雅文さんが、僕にとって声優として、マイクの前に立つときの父なんです。
以前、共演者の人に言われたことで印象に残っていることがあって。「(三間さん)本人も気付いていないかもしれないけど、三間さんはディレクションするとき、お前にだけめちゃくちゃ高度な要求してるんだよ」「たまにスゴいこと言われてるぞ」って(笑)。
僕は必死に応えることしか考えていなかったから、そのときもどうやって言われたことをやれば良いんだ、って手一杯でした。
でも、それは嬉しい話だなと思うし、そういう役者であり続けることができているんだと感じていました。
また、父ではないけれど、違うところで同じように恩義を感じる人たちもたくさんいらっしゃいます。
たとえば、僕が本当に始めたばかりの頃に『ケロロ軍曹』でガヤでもお世話になった音響監督の鶴岡陽太さん。
鶴岡さんは、自分にクリエイティブに関するいろいろなことを教えてくださいました。
僕も見ていた伝説のOVAと言われている『ジャイアントロボ』を作られている方なので、その裏話をお聞きしたり。
「実は劇伴はこんな風に取りに行ってて…………ちょっと外じゃ言えないんだけど」みたいな(笑)。そういったことをたくさん教えてくださいました。
「音作りってこんなに面白いんだよ、こういうことを気にしないといけないんだよ」ということを、ちょっとしたおかずを肴に夜通し話してくださいました。
他にも『エウレカセブン』という作品で少し入れていただいたり、シリーズでお世話になり始めた『トワノクオン』や『七つの大罪』シリーズの音響監督である若林和弘さんには、「お前はどういう役者になるかを考えなさい。僕が思うお前の道筋はきっとこうだけど、お前はどう応える?」と言ってもらえたり。
「いろんなことがあっても、頑張ることだけはやめないようにしなさい」と、まるで師のような言葉をくださる方です。
──お話を聞いていて改めて思いましたが、やっぱり鈴木さんは職人なんですね。たとえば他の声優さんに同じ質問をしたらキャラクターや先輩の声優さんの話になると思うのですが……そうではないじゃないですか。
鈴木さん:
そうですね。僕が話すなら、やっぱり一番は音響監督になってしまうと思います。
現在もお世話になっている『うたの☆プリンスさまっ♪』やその前の『となりの怪物くん』でもお世話になっている、はたしょう二さんには僕の良いところとやりすぎてしまうところに対してすごく丁寧に説明してもらいました。
逆に、僕もはたさんに「どうやって音楽や声を流れで付けているんですか?」と聞いたりして。
──そのときのキャラや現場をクリアするためのものではなく、ゆくゆくは生きてくることを教わって、それが思い出に残ってらっしゃるんですね。
鈴木さん:
全部残っていますね。古くから見ているアニメをたまに見返したりするときに、知り合いのミキサーさんの名前を見つけた時に、「この前『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見たんですけど、名前が載っていましたよ」って言ったら、「えっ、なんでいま見てるの?」って(笑)。
──『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が公開されたのは、1984年なので、鈴木さんが生まれて間もない時期ですしね。
鈴木さん:
当時、いまの自分と同い年だった人たちの仕事を見られるわけじゃないですか。
そうすることで、「自分は何ができていて、今の自分は何ができていないのか」がわかる。
それを知りたくて、よく昔の名作を見ているんです。それを伝えると「面白いことやるなぁ」って(笑)。
──本当に「職人肌」といいますか、研究に余念がないというか。
鈴木さん:
そうですね。当時はどうやって撮影していたのか、といったことを直接お聞きすることも楽しいですね。
そんなふうに、僕がクリエイティブに対して興味を持つきっかけとなった作品は2008年の『図書館戦争』なんです。
浜名孝行監督さんをはじめとした音響の平光琢也さん、原作者の有川浩さんたち含めてみんな仲が良くて──これを読んでいる方がご存知のない交友関係の代表格かもしれないんですけど、実は有川さんとはすごく親しくさせていただいています。
それこそ、電話したときなんかも僕がちょっと敬語を使うと怒られたり。「何で敬語使ってんの、気持ち悪いからやめて」って(笑)。「すごく久し振りに電話したから、こっちも気を遣ってるのに!(笑)」みたいなお話ができる方なんです。
そうしたなかで、Production I.G(以下、I.G)の方とお話する機会があって……当時はまだI.Gのスタジオが八王子にあったんですけど、そこにも三鷹に引っ越してからも行ったし、その後の作品である『BLOOD-C』でもお世話になって遊びに行きました。
当時はスタジオの近くにピザ屋さんがあったんですけど、そこの壁には押井守さんや庵野秀明さんたちといったそうそうたる方々の落書きが飾ってあって。僕もそのお店に行ったら「サイン書け」って言われたりとか(笑)。
──そうそうたるメンバーの中に並ぶ形で(笑)。
鈴木さん:
そのときに石川さん(IGポート代表取締役社長・石川光久氏)とお話させていただきました。
石川さんがどんな風に作品を作っているか、みんなにどうやって任せているのかなどお聞きしました。
他にも、後藤隆幸さん(I.G所属アニメーター)や黄瀬和哉さん(I.G取締役)ともよくつるんでいました。いつかの打ち上げのとき、どうやら黄瀬さんが『黒子のバスケ』第二期のOP作画作業をサボって飲みに来られてたらしくて(笑)。
僕はそれを知らなくて、「黄瀬さんと飲みたい」と言って三鷹の駅前の居酒屋で、みんなで飲んでいたんですよ。たしか三次会だったかな。
そうこうしていたら、制作さんたちが三鷹中を駆けずり回って、黄瀬さんが行きそうな店を探し回っていたらしく(笑)。「ごめん、多分俺が連れ回してるわ」って謝って(笑)。
打ち上げってよく役者同士で固まりがちなんですけど、僕はずっと後藤さんの隣で、アニメーターさんたちの輪にいたんです。そこで後藤さんに絵の話を教えてもらったり……そういう思い出は、いまでも印象に残っていますね。
『となりの怪物くん』のときは作画監督の岸友洋さんがいたこともあって、制作会社のブレインズ・ベースの忘年会に行きました。
そうそう。そのときは、今やもうトップスターとなられた種崎敦美さんも一緒にいましたね。この頃から絵描きさんたちのところによく行くようになって……そのきっかけがI.Gの方々との出会いでした。
──クリエイターの方たちとお話するのが本当にお好きなんですね。
鈴木さん:
そうですね。止まらないです(笑)。
──(鈴木さんが満面の笑みを浮かべているので)まだまだエピソードがありそうですね?
鈴木さん:
せっかくの機会だからいいですか?
──どうぞ(笑)。
鈴木さん:
「本来はそういうのはうちはやらないんです」と言われていた京都アニメーションさんの第1スタジオから第2スタジオ、アニメーションDoも全てお邪魔させていただきました。
そのときに出会ったのが、後に『劇場版 Free! – the Final Stroke-』で作画監督を務められた岡村公平さんでした。
あとになって再会したときに「実はあのときに会っていたんです、そこからのご縁なんですよ」って言っていただけたことがすごく嬉しくて。やっぱり繋がるんだなぁと思って。物作りをしていて、こういうことがあるとやっぱり楽しいですね。
それからは、LINEのIDを交換したり。お互いにプロですから、実作業の話は全然話題に出ません。
「描いているときにこういうことを思いながら描いているんですけど、タツさんは声を当てるときはどう思いますか?」っていう話ばっかり。「僕はこういうところを大切にしているよ」と意見交換したり。
そうこうやり取りしていると、「ベテランって全部軽々しくやってくるから、なんかズルいよね」ってお互いベテランの文句を言って終わることが多いんです(笑)。