「子どもたちがどんなものを好きなのか」を考えたクリエイティブを作らなければいけない
──おふたりはクリエイターとしてはもちろん、会社の代表として経営という面でも25年間、力を発揮されてきたと思います。ご自身で設立当時から変わらずやり続けたことや信念などはありますか?
須田氏:
僕の場合は「給料の遅配をしない」ことです(笑)。というのも、ヒューマン時代に遅配があって「会社がヤバいんじゃないの?」と社内がザワついたことがあったんです。そうすると、先々の不安もあってスタッフの気持ちが離れていってしまった、という経験があって。
それだけはとにかくやらないように、毎月の給料を払うことを徹底しました。「スタッフの生活、人生を自分が背負っている」というのを忘れないようにしています。
日野氏:
須田さんの場合は作られるゲームが尖っていて冒険的ですけども、にもかかわらず「スタッフの生活、人生を自分が背負っている」というのがはじめに出てくるなんて、覚悟がすごいですね。
須田氏:
ビデオゲームって、売れるかどうかがわからない、博打のような業界ですから。でも、彼らはそれぞれの人生をかけて、僕が作るゲームに付き合ってくれている。
だからこそ、スタッフの人生を自分は背負っていると、心に刻み込んでいます。若い新卒のスタッフが入ってきた時は、特に感じますね。可愛い息子さん、娘さんをうちの会社で預かるということですから。
浜村氏:
須田さんの作風とイメージが違いすぎませんか!? (笑)。
一同:
(爆笑)。
須田氏:
というのも、すごく影響を受けた出来事があって。新卒の子の初出社の日、朝一番に会社の玄関前にオフィスの前をウロウロする男性がいて、社内が「なんか怪しい人が来ていないか……?」とザワついて。
管理部のスタッフが意を決して見に行ってくれたら、その人はなんと新卒の子のお父さんで、「娘をよろしくお願いします!」と菓子折りを持ってきてくれたんです。
お父さんが子供を心配する気持ちは、海よりも深いことがすごくよくわかりました。
日野氏:
ゲームの作風だけを見たら、お父さんからすれば荒くれ者しかいないような会社に行ったんじゃないのか、という心配はありますよね。
須田氏:
親の反対を押し切って、入社してくれたのでしょうね。そのとき、本当に「ああ、やっぱり自分は大事なお子さんを預かっているんだな」と痛感したんです。
浜村氏:
いやいやいや、ギャップがすご過ぎますよ……! ゲームでは「殺し屋」を扱っているくらい、死が当たり前の作風なのに(笑)。
一同:
(爆笑)。
日野氏:
僕の場合は「一生懸命作る」という気持ちは会社を作る前からすごくあります。誰よりも働いて……って、こんな発言をするとブラック企業みたいな話になってしまいますが(笑)。あくまでも僕の話ということで聞いてください。
うちの信念としては、一番はユーザーさんをすごく見ていますね。自分たちにチャンスを与えてくれた人たち、自分たちが作るゲームを楽しみに待ってくれている人たちに対しては、真摯に向き合っていくということをポリシーとして持ち続けています。
僕がスタッフに怒るときも、大概はそれが理由なんです。お客さんを無視している、誰も求めていないであろうアイデアを「面白いでしょ、これ?」みたいに言われると、イラっとしてしまって。
「子どもたちのために作っている」としたら、「子どもたちがどんなものを好きなのか」を考えたクリエイティブをやらなくちゃいけない。だからこそ、お客さんを見ながらものを作っていくのは、会社全体のポリシーとして持っています。
浜村氏:
日野さんは動画、それこそ実況配信の動画でもユーザーさんの反応やコメントをすごく見ていますよね。「こんなことを言っていた」と全部チェックされていて、ユーザーさんに対して真摯に応えられていると思います。
日野氏:
ただ、ネガティブなものを含めて、ユーザーさんの声をそのまま直接スタッフに伝えるわけではないです。その意見を少し変換して、「これは変えたほうがいいんじゃないの?」という風に伝えています。
浜村氏:
ユーザーの声を日野さんがトップで見ていて、その声を現場にポーンと持っていくのがすごくユーザーフレンドリーなんですよ。
日野氏:
「アンバサダープログラム」【※】を始めたのも、そうしてユーザーさんの声を現場に地続き的に持っていきたいからなんですよ。「アンバサダー」であるユーザーの方々と付き合いながら物を作っているんです。アンバサダーが集まる会合も開いて、そこでゲームに対する意見をもらったり。彼らは僕らが作るゲームが大好きで、いわばいちばん最初のお客様になるはずなんです。
以前、ロボットのゲームを作っているときにも機体のバランス変更に関する不満、指摘がありました。その通りだったので、僕が「こういうところをちゃんとしないといけませんね」という話をする中で、アンバサダーの彼らは「僕らはこのゲームにもの凄い時間を掛けているんです!遊んでいればこうはならないと思うので、しっかり調整をおねがいします!」というようなことを言っていたんです。
それを受けて、スタッフに「自分たちが作ったものを遊んで、その面白さを知らずしてバランス調整のデータをいじるなんてあり得ないから、俺らも最低100時間は遊ぼうぜ」と伝えました。この出来事が、「ユーザー目線の、バランスが取れたゲーム作りの方針」を決める大きなきっかけになりました。
ただ、その方針を決めたことをアンバサダーに話したら「僕、1000時間遊んでいるんですけど」と言われてしまって(笑)。
※アンバサダープログラム:レベルファイブ作品全体のファンで、情報拡散にご協力してくれるユーザーを公式アンバサダーとして認定し、魅力を発信する取り組み。2024年現在、応募受付は終了している。
https://www.level5.co.jp/ambassador/about.html
一同:
(爆笑)。
須田氏:
太刀打ちできないですね(笑)。
日野氏:
できませんよ!(笑)。でも、そんな風に自分たちのゲームを何百時間も遊んでくださっている方たちが相手なわけです。ゲームの面白さを左右する重要なパラメータを、軽々しく一気に10も下げられたりすれば怒りたくなりますよね。
全然ゲームを遊んだことのない人が調整をしていたら、何百時間も遊んでくれているユーザーは「俺にパラメータをいじらせろ!」となってしまうと思うんです。
僕自身、以前調整でやらかしたこともありまして、本当に反省しきりでした。今はすごく真摯にお客さんの意見を受け止めるようにしています。
ただ、こういったユーザー目線の作り方を始めたのって最近なんですよ。というのも、僕は「いい気になっている」時期があったんです。特に『妖怪ウォッチ』がヒットしているときはもう、病気でしたね。病んでいるというわけでは決してなくて、「自分が作ればだいたいは大丈夫なんじゃないか?」という思考に陥っていたんです。
そのあと、いっぱい失敗して「自分が間違っている」と思い知らされたんです。それを踏まえて、ちゃんと向き合って作らないと、どこかでお客さんに感じ取られて、酷ければ見放されてしまう。なので、今は自分のやりたいこと、お客さんが求めていることのバランスを取りながら、両方を満たせるようにすることを徹底しています。
須田氏:
今は本当に、1本1本のタイトルが重要な時代ですもんね……。
日野氏:
そうですね。だから僕としては、『妖怪ウォッチ』のあとの失敗を経て、心を入れ替えたつもり……いや、まだ入れ替え切れていないかもしれない。ですが、痛みを経験したことで、ユーザー重視の姿勢はこれまでにも増して強まっていると思っています。
日野氏はいつか「黒い」作品を作りたい、須田氏は「全年齢向け」を作りたい!?
──グラスホッパーさんのゲームは刺さる人に深く刺さる作品が特徴ですよね。対して、レベルファイブさんの作品は、幅広く愛される作品であるというのが特徴だと思うのですが、それぞれの独自性をお二方はどのように思われているのでしょうか? 特徴というテーマで、お互いにお聞きしたいことはありますか?
日野氏:
すごくあります。須田さんは『シルバー事件』、『killer7』、『NO MORE HEROES』と、毎回違ったテーマの新作を作られていますが、ああいった各作品のテーマというのは最初の企画段階で決めているんですか?
「こういうシーンを出したい」というようなシチュエーションを先に決めてから詳細な物語作りをするのか、あるいは作っていく内に筆が走って……みたいになるのか、どちらなのでしょう。
須田氏:
最初は企画書でキャラクターが生まれるか、設定で決めて走り出すか、そのどちらかという気がしますね。
日野氏:
最初から、意図的に「プレイヤーをビックリさせてやろう、ガクッとさせてやろう」という要素は入れているんですか?
須田氏:
最初に考えていることとしては、「ゲーム業界にはまだいないタイプのキャラクター、遊びを提供したい」という思いが強いですね。どこも作っていないものを作りたいんです。
それはキャラクターなのか、世界観なのか、それともシステムとの組み合わせなのかということをグルグルと考え続けて、最終的に企画になるという感じです。
日野氏:
そうなんですね。僕も一回、須田さんみたいな尖った作品をやってみたいんです。「ニッチな人たち向けにこういう作品を作りたい」というのはいっぱいあるんですけど、なかなか状況が許してくれない部分はあって(笑)。
シリーズモノをしっかり作らなくてはいけなかったり、新規IPも作らなくてはいけないとか、付き合っている人たちとともに次の作品を作るという状況が自然と用意されていく状態になりがちなので、なかなか自分のやりたいことだけというのはできないんです。
「自分のやりたいことは、こういう方向なんだ」と思い込んでしまっているからこそ、自然と尖ったものを作りたい気持ちになってくるんですね。極端に言ってしまえば……エロゲーとか、暴力的な18禁タイトルとか作りたいぐらいなんです(笑)。
一同:
(爆笑)。
──それは……いろいろと大丈夫なんですか!?(笑)
須田氏:
でも日野さんって企画のストックを相当持っているんじゃないですか?
日野氏:
そうですね。僕の中に「異常な世界」があるんですけど、そっちには行かないように正義の部分だけで作っているんですよ。ただ、本音としては「異常な世界」に行きたいんです(笑)。
須田氏:
でも多分、そんなことをしようとしたらレベルファイブが全社をあげて止めますよね……?(笑)。
──ご自身の中に「白い日野さん」と「黒い日野さん」がいらっしゃるということですか……?
日野氏:
そうです。本当は黒いところ、まさに「異常な世界」に行きたい。いや、きっとどこかでその世界に行くことになると思うんです。「レベルファイブはもう大丈夫だな」となって、自分の好きなものを作れるようになったら……やっちゃおうと(笑)。
須田氏:
それは……それは見たい! メチャクチャ見たいですね!! それこそすごく革新的な18禁ゲーを日野さんなら作っちゃうと思います。
浜村氏:
でもそれこそ、『メガトン級ムサシ』のアニメでもそれに近いことをやっていませんでしたか?
日野氏:
ああ……(笑)。『メガトン級ムサシ』の展開は、僕の中のレベルとしては「ちょっとだけやった」ぐらいなんですよ。須田さんのほうがもっとヤバいというか、そういった危ないものを知っているかもしれません。
須田氏:
その点でいうと、僕は逆に子ども向けのゲームを作りたいですけどね。全年齢対象のゲームを一度は作ってみたいんです。
日野氏:
子ども向けのゲームを作っても平気でキャラクターの首を飛ばしたり……(笑)。
須田氏:
いやいやいや! それをやっちゃったらアウトですから! 全年齢じゃなくてCERO D(17歳以上対象)になっちゃいますから! ……でも人間じゃなければ大丈夫かな……?(笑)。
日野氏:
それについては僕、ひとつ思い出すことがあって。『妖怪ウォッチ』でぬいぐるみの首を飛ばしてお叱りが殺到したことがあったんです。しゃべるぬいぐるみが出てきて、最後に罠にかかって首がポーンと飛んでしまうという。そのシーンに対して、「子どもが泣き出した!」とお叱りをいただいたんですよ。
ちょっとブラックな表現だけどもぬいぐるみですから、そのときは子どもがそこまで傷つくと思っていなかったんです。けど、そういうクレームをいただいたことで「勉強が足りなかったな」と思いました。
僕らも昔、子どものころに見たアニメで、主人公が最終回で死んでしまったりすると心が抉られたじゃないですか。あれと同じで、トラウマになってしまうんです。
須田氏:
漫画版の『デビルマン』とかもトラウマはすごいですよね。ただ一方で、そういう劇薬の要素も大事というか、ちょっとは必要であるような気はします。
日野氏:
昔、富野(富野 由悠季)さんが監督されたロボットアニメ『無敵超人ザンボット3』【※】で、最終回に向けた展開が僕の中でトラウマになっているんです。
あのようなショッキングな作品作りって、富野さんが見ている人の心に何か残していくことが好きだからやっているものであると思っていて、だから憧れるんです。『メガトン級ムサシ』でも富野さんに近いことを少しだけやりました。ただ、それでも須田さんの思い切りの良さを思いますと……(笑)。
須田氏:
ザンボット! やはり日野さんとは同じハイウェイを通過していますね(笑)。
※無敵超人ザンボット3
1977年に放送されたロボットアニメ。主人公の神勝平が従兄弟の神江宇宙太、神北恵子とともに合体ロボット「ザンボット3」で敵に立ち向かっていく姿を描く。最後の戦いでメインキャラクターに衝撃的な展開が訪れ、ちびっこたちはもちろん、大人の視聴者にも大きなインパクトを残した。
──須田さんから日野さんに伺ってみたいことはありますか?
須田氏:
そうですね……。また『ギルド』を一緒にやりたいですね。
日野氏:
またいっしょに『ギルド』をやりますか? でも、これじゃなくてもいいと思うんです。お話が合いそうなので、普通にゲーム作りを一緒にやってみたいです。
須田氏:
ぜひぜひ!『ギルド』は今でいうインディーゲームの走りみたいなものでしたし、試みとしては先進的でしたね。
思ったんですが、最近は若手になかなかチャンスが巡ってこないですよね。僕らが20代のころは「ゲームを完成させる機会」がいまよりもたくさんあったんです。
日野氏:
コンパクトな形で若手スタッフの感性を試してみるとか、ゲームを完成させる経験を積ませるということですか?
須田氏:
そうです。これをインディーではなく、インハウスでやると面白いんじゃないかなと思うんです。うちの若手のスタッフや、日野さん直系の若手のディレクターさんとかで『ギルド』に収録される新しいゲームを作らせてみると面白いと思うんです。
うちの親会社であるNetEaseを巻き込んでやれるのかわからないんですけど、いっしょにできるときっと面白いだろうなと考えています。
日野氏:
それはたしかに面白いでしょうね!
須田氏:
ちなみに日野さんのところって、若手のディレクターは育ってますか?
日野氏:
もちろん、優秀なディレクターはいますが、この数十年のあいだに育ててこれたのかというと、そこまで多くはないと思います。これだけ人が行ったり来たりしていると、クリエイターを育てられたとしても、退社してどこかへ行っちゃうかもしれないんですよね。会社が発展するためなのか、単純にその子を育ててやりたいという親心でやるのか、そこは僕はあまりわからないんですよ。
なので、僕は「クリエイターを育てる」ようなことはしていないんです。もちろん、会社がいいものを作っていくために技術を教えたりはします。でも、意図的に「この子を育てよう」というようなことは難しいのでやっていません。
逆に意欲のある子がいろいろ教えてもらいながら自主的に学んで育っていって、その結果、スターになるほど育ったら会社として特別対応してでもキープしたい!ということにはなるかもしれないです。作品性とは別に、じつは須田さんよりも僕のほうがドライな考え方なんですよ(笑)。
浜村氏:
新しいIPを創って、ヒットさせて、さらにその続編を作っていくという人はなかなか出てこない。おふたりとも、いくつもの新しいIP、要は「自分の作品」を当てていますよね。結果的に自分で作れてしまうから、どんどん自分で作っているんだと思うんです。
ほかの会社はゲームを作って、売れて大きくなって、ディレクターからプロデューサーになってと、作ること以外のことを任せてしまうことが多い。新しいIPを作る機会がなかったり、それほどのエネルギー量を持っている人が少なくなってしまいがちだと思うんです。
日野氏:
新しいIPというか、「自分の作品」を作ることに対するエネルギーという観点だと、やっぱり自分のほうがそれを持っているなと思ってしまいます。須田さんもそう思いませんか?
須田氏:
思いますね。だから僕も、若いクリエイターを育てることはできないと思います。一方で「僕らが育てなくても、勝手に育っていくクリエイター」は、なんとなくいる感じがします。
浜村氏:
ですよね。そういう意欲のある人がスタジオを持って、大きくしてIPを作っていくのがいいと思います。これは人を育てるのとは別の問題ですよね。
そういう人は外側から見ている人間からすると、「みんなを喜ばせるものを永遠に作っていてほしい」とファンとしては思いますし、どんどんゲームを作ってほしいですね。
須田氏:
それは本当にそう思います。僕も死ぬまでものを作り続けたいと思っています。
クリエイターとしての引退は一切考えていないし、考えない。死ぬまで作り続けたい。
須田氏:
ちなみに日野さんは引退って考えられているんですか?
日野氏:
ぜんぜん考えていないです。
須田氏:
いっしょですね。僕はコロナ禍以降、クリエイターさんとお会いする機会が少なくなっているんですけど、年齢的なことからたまに引退の話を耳にしたり、「須田さんは引退についてどう思います?」みたいに言われることがあります。
でも、僕の中では引退ってないんですね。死ぬときは会社を出入り禁止にされて「須田さんはもう来なくて大丈夫です」と言われているんだけど、オフィスビルの1階にあるスタバで新しい企画書を書いている最中に逝きたい、と思っているんですよね。
──(笑)。
須田氏:
「あなたが会社に来ると面倒くさいことになるから!」と追い出されても、会社に毎日足を運んでしまう……みたいな(笑)。
ただ、作り手としてはスタバで死にたいです。「おかわりどうですか?」と店員さんが片づけに来て声を掛けたら、「あれ、おじいさん……? おじいさん!?」と(笑)。
浜村氏:
それは店側からしたらえらい迷惑ですし、そのスタバ、誰も来なくなっちゃいますよ(笑)。ただ、おふたりとも「死ぬまでモノ作りを続ける」という姿勢でいらっしゃるのは、ファンのひとりとして嬉しく感じます。
日野氏:
そういえば須田さんは今、企画だけを提供して他の会社さんがゲームを作る、というパターンで作品を作られていますよね?
須田氏:
SWERYさんの『Hotel Barcelona(ホテルバルセロナ)』【※】ですね。あの企画はSWERYさんがうちのイベントにゲストで来てくれたときに、ふたりで即興で企画を作りましょうという話になってアイデアを出し合って出来上がったんです。それをSWERYさんが自分のスタジオのWhite Owlsさんで開発して、僕は企画提供としての参加になっています。
※Hotel Barcelona(ホテルバルセロナ):「全米中のシリアルキラーが集まったホテル」を舞台にした、2024年発売予定のホラーゲーム。プレイヤーは宿泊客として、体中の血液を全て失う前にチェックアウトを目指す。
日野氏:
『ホテルバルセロナ』を見て思ったんですが、今後須田さんは自社でゲームを作るということに限らず、企画の提供もビジネスにされないんですか?
須田氏:
まったくないです。『ホテルバルセロナ』はたまたまですね。
日野氏:
なるほど。あのように企画を提供して、「あとはお好きにどうぞ」的なこともやるんだ、と見ていて思ったんです。というのも、須田さんは作品の全てにおいてこだわりたい方ですよね?
須田氏:
『ホテルバルセロナ』の場合は、SWERYさんだからです。彼との信頼関係があったからこそと言いますか。ゲームのアイデアも半分はSWERYさんですし、彼が作るのであれば「どうぞ、どうぞ」という感じですね。
日野氏:
そういう形の企画だったんですね。
須田氏:
ただ、僕は企画自体を若手に作らせることもあります。原案を僕が考えて「あとはどのようにアレンジしても構わないよ」というケースですね。
レベルファイブさんではどうなんでしょう? これから日野さん以外のスタッフさんから出た企画を作る可能性はあるんですか?
日野氏:
もちろんありますよ。なんとなくですが、レベルファイブの作品だと「日野の企画から出たものかな?」となっちゃうところもあると思うんです。
僕自身、自分の企画だけをやりたいわけではないんですけど、今までは周りからパッとしたものが出てくることが少なかったんです。ただ、今は実際に、僕以外から出ている企画でいくつかやろうとしているものがあります。
須田氏:
なるほど。その点でいうと、やっぱりレベルファイブさんのスタッフって「レベルファイブイズム」を継承していますよ
日野氏:
そうですね。でも僕自身は「お前に企画を託すから、なんでもいいからやってみろ」というように任せることができないんです。逆に「この企画だけはやらせてください」、「日野さんはそっちの企画を作っているんですから、俺にはこっちの企画をやらせてください」と自分を倒す勢いでグイグイ来て、「ちくしょう、面白い企画を考えやがって……!」と僕が思うことがあったら任せるかもしれません(笑)。
「お情けで企画をやらせてやる」みたいな綺麗ごとはしたくないんです。というか僕の性格上、できないんです。ですから、ガンガン食ってかかってきて「なんでこの企画をやらせてくれないんですか!?」ぐらいの勢いでくる熱意のある子がいたら、そのときは本当に許します。それを許さないのは罪だと思いますから。
須田氏:
それはまさに、若いころの日野さん自身の投影にも見えますね。
日野氏:
若いころの自分みたいな熱意と勢いのある子が来たときは、その子にやらせるのがバトンを渡すってことなのかなと思いますね。
須田氏:
それは理想ですね。
日野氏:
それを夢見ているんですが……できれば、本当にそのようなやり方で世代交代させてほしいです。
浜村氏:
そういった子がスタッフの中から出てくると面白いですよね。ただ、あまり見たことがないケースでもあります。
日野氏:
でも、きっと出てくると思います。なぜなら僕も若かりしころがそんな感じで、「なんで僕にやらせてもらえないんですか!」ぐらいのことをしていたので。
社長に「これからは絶対3Dの時代になるから、勉強させてくれ!」と言ったら、自分が社内で唯一の3Dの担当になりました。だからこそ、自分のような子が来たら、僕は認めてしまうと思うんです。
須田氏:
なるほど……。しかし、やっぱりリバーヒルソフト時代の日野さんって、暴れん坊だったんですね。
一同:
(笑)。
──25年を振り返ったときに、考え方の変化だったり、25年経った今だからこそ見えてきた「境地」のようなものってあるのでしょうか。
須田氏:
うーん……。なんか、ずっと走り続けている気がしませんか?
日野氏:
そうですね。そこまで客観的には見れていないかもしれないです。けど、楽しかった……いや、過去形にするのはどうかと思いますが、今も含めて楽しいです。
ユーザーさんからいろいろ意見をいただいたり、本当に大変ではあるんですけど、それでも仕事をしていて楽しい。25年という時間が経った感じがしないんです。ずっと楽しんで仕事をしながら過ごせているのは本当にありがたいですし、あとで振り返ってみると大した苦労ではなかったなと思えるんですよね。
須田氏:
上積みというか、苦労の度合いが少なくなってくる感じですよね。
経営者目線で日野さんを見たときにすごいと感じるのは、自社株オンリーでやっていらっしゃること。うちはグループ会社に入っていますので、独立でずっとやられているというのがすごいと思うんです。その裏にはとんでもない努力があるんだろうなと。
僕も血を吐くような思いを何度もしたことがあるんですが、日野さんはもっとあると思っていて。
日野氏:
結構血を吐く思いはしていますね(笑)。会社がすごい金額の借金を抱えて、僕がその保証人になって返済していくことがありました。でもぶっちゃけますと、なんともなかったです。「そんなに借金しても、どうせすぐには返せないんだし」と。
須田氏:
ゲーム業界ってギャンブルなところがありますよね。「1発当てれば返せる」という自信がどこかにあるんです。
日野氏:
そうです、1発当てれば返せるのは間違いないですからね。そういう境地を乗り越えた経験が今に繋がるんじゃないですか。厳しいことがあっても「あのときは大変だったから、今の状況なんてたいしたことない」と思える。
須田氏:
たしかに「たいしたことじゃないな」と感じられますね。
浜村氏:
日野さんはデベロッパーからパブリッシャーになられましたよね。それって本当に稀有なケースなんです。プレイステーション以降で開発スタジオからパブリッシャーになって大きく成功している会社って、レベルファイブ以外にはいないんですよ。
カプコン、コーエーテクモゲームス、スクウェア・エニックス。国内ゲームメーカーを見渡すと、ほとんどが大手のメーカーで、しかも合併した会社がズラッと並んでいる。その中でレベルファイブだけが単独でパブリッシャーとして出てきて花を咲かせているんですよね。これは非常に稀な例ですから「応援しなきゃいけない」とずっと思っているんです。
須田氏:
うちも日野さんのようにパブリッシャーになりたいと思った時期があるんですけど、やっぱり難しいんですよね……。
浜村氏:
そういうふうに思う人が出てきてくれること自体が、レベルファイブの価値としてすごく大きなところだと思います。
今、インディーをやっている方にとっても、独立開発スタジオからスタートして、これほどすごく大きくなったレベルファイブはひとつの目標になるんです。
日野氏:
ありがとうございます。パブリッシャーになりたい思いがあるのでしたら、僕らは全力で協力しますよ。僕も『レイトン教授』と『イナズマイレブン』を発売する際にパブリッシュを始めたのですが、そのときにわからないことがいっぱいあったんですね。最初は「そもそも自社流通って、何から手を付けたらいいの?」という感じでした。
須田氏:
え、日野さんのところは自社流通なんですか!?
日野氏:
そうですね。といっても、当時は流通の概念すらわかっていませんでしたから。「どうやったらいいんでしょうか?」と、コーエーテクモの襟川夫妻を始め、いろいろな人たちにお話を聞いたんですよ。
でも、やってみると案外、自社流通ってたいしたことではないんですよ。もちろん、開発会社からパブリッシャーになる際には、やったことがないことを半分くらいやらなくてはならないので大変そうに感じるんですけども。ただ構造としてはとてもシンプルで、ひとつひとつは簡単に理解できることなんです。
あと、パブリッシャーになるときに大事なのは、「確実にヒットする作品を作れるか?」ということなんです。開発会社であろうとパブリッシャーであろうと「一定のヒットが出せる」という感覚ではなく、「作品のヒットに自信がある」という感覚があるのであれば、宣伝とか流通といった部分はうまくやれると思います。
──流通の話題からの流れでお聞きしたいのですが、ゲームを売るということを考えたときに、現在はデジタルでの購入割合が増加傾向にあります。また、パッケージについてはAmazonをはじめ、ECサイトが大きなシェアを持つ時代になりました。浜村さんが編集長を務めていた時代は実店舗の売上規模が大きかったこともあり、週刊ファミ通は小売店、流通に対して非常に大きな影響力を有していました。日野さんも須田さんもファミ通がとくに影響力を持っていた時代をご覧になっていたわけですが、ファミ通、ひいてはゲームメディアに対して、どのような見方をされていたのでしょうか?
日野氏:
僕らは会社を立ち上げて間もない駆け出しで一番大事な時期のころでしたから、新しい情報を発表するときはファミ通さんと「何ページ掲載してもらえますか?」という話をしていた記憶があります。
浜村氏:
僕は日野さんのところへ、当時作られていた『レイトン教授』などの新作を見に行ったりしました。会議室に招かれて「これを置いておきますのでぜひ遊んでください」とゲームを渡され、周りにスタッフさんが7人ほどいる中で2時間くらい、好きに遊ばせてもらって。
すごく印象的だったので覚えていますが、「これは面白い、絶対売れる!」と。『イナズマイレブン』を最初に見せてもらったときもそうでしたね。「じゃあ、これだけのページを取りましょう」という流れだったと記憶しています。
──ファミ通に大きく載ると反響は違いましたか?
日野氏:
そうですね。特集として扱われることで、そのタイトルがゲーム業界に認められている感じがありました。特集のページ数が増えると、「お、これはいいね」「8ページか……我々も来るところまで来たね」と手応えを感じたりと、指標のようになっていましたね。
──須田さんも昔「ファミ通に載せてもらったのが大きかった」と話されていましたよね。
須田氏:
ファミ通への事前プレゼンで浜村さんに出席いただいた衝撃が大きかったんです。「あの浜村さんがプレゼンを聞いてくれている!」と。その後も相談やお願いをさせていただいたりして、そういったことが積み重なって今があるんです。
──ゲームメーカーとしてもファミ通に載せるという情報公開タイミングを設けることで、いろいろと整っていった部分もあったのでしょうか。たとえば、情報公開に合わせて「じゃあ、この要素を公開しよう」「画面写真はこのシーンを用意しよう」「載せるからにはクオリティを上げよう」とタイトルをより魅力的に伝えるべく素材を用意しますよね?
日野氏:
そうですね。みんなそうだと思うんですけど、メディアに掲載してもらったり東京ゲームショウなどに出展するときには、作っているゲームが人の目に触れるわけですからモチベーションが上がるんです。だから、スタッフのためにもそれを狙ってやらないといけないんです。
「発売までの2年先」に向かって走るよりも、「このタイミングでタイトルの情報を出す」とスタッフに告げると、ちょっとクオリティが上がるんです。
須田氏:
確かにプレイアブル出展をするたびにクオリティは上がりますよね。
日野氏:
そうなんです。やっぱりユーザーさんが作品を認識して「みんなが知っている作品を作っている」という意識を持つようになると、スタッフの開発に対するモチベーションも上がるんです。ユーザーさんの意見をいただけることもそうですが、スタッフに対しての効果も非常に大きいんですよね。
須田氏:
あとチームがダレないため、どこかで気を引き締めるという意味で、そういう情報解禁の場があってほしいですね。
日野氏:
僕らにとってはその当時、浜村さんの言葉もひとつのモチベーションになっていました。浜村さんは大概「面白い!」と言ってくれるんですけどね(笑)。
ただ、同時に「こういった懸念があるよ」ということも言ってくださることが多かったんです。ご指摘いただいた懸念も含めてちゃんと考えなきゃいけないなと感じました。
──「浜村さんへの信頼」が「メディアへの信頼」にもつながっていったのでしょうか。
日野氏:
僕個人として浜村さんは個人的に付き合っていましたし、人間的に信頼していたのでむしろ「メディア」とは思っていないんですよね。当時は「ファミ通=浜村さん」でしたけど、ある時期からそれぞれが別の存在になってしまって、以降は浜村さんは個人的な相談相手みたいな感じでした。
浜村氏:
「この人たちは伸ばさなきゃいけない」、「産業として支えなくちゃ」と思って応援していたところがありました。ただ、すべての会社に対してそうしていたわけではないんですよ。
大手メーカーでは「これは部下に任せておけばいいや」という部分が見えることもあったんですけど、日野さんや須田さんに対しては「この人たちの作品は自分たちが応援して、絶対に大きくして成功させてあげたい」という思いがあったんです。もちろん、作品のクオリティが低かったらそんなことは思えないですけどね。
そういった思いがあってお付き合いしてきましたから、ともに業界を盛り上げて、成長させていった「戦友」という気持ちをずっと持っています。