緻密かつ大胆な歴史考証と、リアルな「合戦」の描写が話題を呼び、累計1000万部を超える人気歴史漫画『センゴク』シリーズ。しかし驚くべきことに、作者の宮下英樹氏(以下、宮下氏)は連載を開始するまで、歴史に関する知識がほとんどなかったという。
そんな宮下氏の「歴史もの」の原点にして、最大の影響を与えた作品は、なんとゲーム『信長の野望』シリーズ。言わずと知れた、コーエーテクモゲームスを代表する歴史シミュレーションゲームである。
古今東西、「歴史もの」のコンテンツは無数に存在してきた。小説、ドラマ、映画、漫画……しかし、宮下氏にとっては「ゲーム」こそが原点であり、他のコンテンツが物足らなく感じてしまうほど価値あるものであり、今もなお、目指し続けている表現の形でもあるというのだ。
なぜ『信長の野望』というゲームが、他の歴史ものでは満たされなくなるほど宮下氏を刺激したのか。そして、幼き日の宮下氏が感じ取った『信長の野望』のすさまじさとは、いったいどこから生まれてきたものなのか?
今回、そんな宮下氏の『センゴク』シリーズ連載に関する裏話やトークが収録された書籍「歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間 歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?」が刊行。それに合わせて、宮下氏と『信長の野望』シリーズのエグゼクティブプロデューサーであり、コーエーテクモホールディングス代表取締役社長の襟川陽一(シブサワ・コウ)氏(以下、襟川氏)の特別対談が実施された。
対談には、「歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間 歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?」の出版元・星海社の代表であり、同じく『信長の野望』ファンの太田克史氏(以下、太田氏)も同席。3名の間で『センゴク』や『信長の野望』の面白さ・漫画やゲームというそれぞれの媒体で歴史を描くことの魅力や共通点について存分に語っていただいた。
宮下氏の『信長の野望』を代表とする「ゲーム」への深いリスペクト、そして襟川氏が40年も前から取り組んできた歴史ゲームへの取り組みについて聞くことができた非常に貴重な記録となっているため、ぜひお目通しいただきたい。
〇インタビュイープロフィール
コーエーテクモホールディングス代表取締役社長 襟川陽一(シブサワ・コウ)氏
漫画『センゴク』シリーズ著者 宮下英樹氏
星海社代表取締役社長 太田克史氏
『信長の野望』は宮下氏の歴史ものの原点。『センゴク』連載開始時は、なんと“歴史知識ゼロ”……!?
襟川氏:
宮下さんは、20年以上「歴史もの」の作品を描かれていますが、最初は歴史にあまり関心がなかったそうですね。
今回、いくつか作品を読ませて頂いたのですが、描き始めたきっかけのひとつに『信長の野望』があったということで。非常に光栄に思いました。
宮下氏:
本当ですか(…恐縮)ありがとうございます。『信長の野望』は「きっかけのひとつ」と言うよりは、「すべて」と言ってもいいくらいです。小学5年生のころに『信長の野望』から「歴史もの」に入ったので。小説とかドラマは、僕の求めている戦略の描写とかがないし、失礼なんですけど、当時は「ぜんぜん面白くないな」って思っていました(笑)。
一同:
(笑)。
襟川氏:
たとえば、NHKの大河ドラマなんかもご覧にならなかったんですか。あの頃は結構、歴史もののドラマも多かったですけど。
宮下氏:
僕が『信長の野望』に出会った頃に放送されていたのが『独眼竜政宗』【※1】で。「ちょっと難しいし、よくわからないな」という感じでした。その次に『武田信玄』【※2】が放送された時に、1話目でいろいろな大名を見せてくれたのは「群雄っぽさ」があってワクワクしたのですが、それ以降はやっぱり「ちょっと違う」というか。
もっとゲームのような「全国の大名が一斉に動く感じ」を出してくれないか、ってずっとモヤモヤしていて。そこから大人になって「自分で描けばいいんだ」となりました。でも、やっぱりゲームのような「全部がワッと来る」感じは表現しきれないんですよね。
※1独眼竜政宗:1987年に放送されたNHKの大河ドラマ。
※2武田信玄:『独眼竜政宗』の翌年、1988年に放送された同じくNHKの大河ドラマ。
太田氏:
宮下さんに歴史を教えた「親のような作品」が『信長の野望』になるわけですよね。そして今でも、漫画で『信長の野望』のような表現を突き詰めようとしている。
宮下氏:
そうですね。だから小説を読んでも「これじゃないんだよな」って感想になっちゃいまして。
太田氏:
僕は宮下さんと10年以上のお付き合いがあるんですが、『信長の野望』から歴史ものに入ったというのは、今回「歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間 歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?」という本を作るにあたって、初めて教えてくれたんですよ。
宮下氏:
最初はやっぱり「ゲームから入りました」とはなかなか言いづらかったですね。
太田氏:
「『信長の野望』をコミカライズするようなつもりでやろう」として生まれたのが『センゴク』だと聞いて、すごく腑に落ちた部分があって。それがある種、『センゴク』という漫画の発明だったんだと思います。
ドラマや小説では描き切れない「歴史のうねり」の表現。でも、ゲームならできる
──「歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間 歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?」にも書かれていましたが、『センゴク』では当初、「戦国時代の一代記」が描かれていたのが、途中から「歴史のうねりそのもの」を描くような方向に向かったそうですね。
先ほどお話されていた「全国の大名が一斉に動く感じを表現したい」というのをお聞きして、宮下さんの「戦国観」みたいなものが、ドラマや小説などではなく『信長の野望』から来ているんだなということを非常に感じました。
宮下氏:
僕は『信長の野望・全国版【※】』からシリーズに入ったのですが、プレイをはじめた瞬間、全国の大名のニュースが表示されるじゃないですか。あれがもう、「この戦国世界がはじまった」って感じがあって。あの感じはドラマや小説では出しにくいですよね。それを表現したい、と思って『センゴク』を描いていました。
※『信長の野望・全国版』……1986年に発売された『信長の野望』シリーズ第2作。17ヶ国が舞台だった前作から、50ヶ国を選択してプレイできるようになった。
襟川氏:
確かに、そうですね。ドラマだと、ひとつのストーリーで進んで、登場人物もひとつの側面で掘り下げて……という形になりますから。時代の全体的な動きとか、「歴史のうねり」みたいなところは、表現しづらいところがありますよね。
宮下氏:
『信長の野望』のニュースに関しても、実際はプログラム的な処理の待ち時間なんでしょうけど、プレイヤーとしては全国のニュースが入ってきて「うわっ」と圧倒されます。あれって「こうしたら面白いはずだ」と狙ったものなのでしょうか?
襟川氏:
あれはコンピューターがそれぞれ担当している武将が、実際にアルゴリズムによって戦略や戦術を意思決定しているんです。今でいうAIですね。その結果の中から、重要なものを列挙しています。内部処理的には、実際にコンピューターが担当している戦国武将の行動を表示させているというだけなんです。
そういった情報を提供しないで、プレイヤーがただ待っているだけだと暇ですし、情報が見えることによってリアル感も出てきますよね。「この武将がこういう決断をして、この国に攻め入った」とか、「この武将とこの武将が友好関係で、条約を結んだ」とか。
──システム上はシンプルなものかもしれませんが、宮下さんがおっしゃっているように、自分を取り巻く「戦国時代」が動いているのが実感できて、臨場感につながっていますよね。
襟川氏:
とはいえ、情報があまり出すぎると煩わしいし、出なさすぎると世の中がどうなっているのか読みづらくなってしまいます。ですので、重要なものから優先度をつけて表示させています。
宮下氏:
そういった細かい部分から「歴史のうねり」を体感できるのが、ゲームと小説やドラマの違いだと思うんです。あの雰囲気/表現は、小説やドラマでは出せないものだと思うんですよね。
それでいうと、僕は『信長の野望』のコマンドだと「米相場」が好きで。本当は「米相場」だけをずっとやっていたいくらい(笑)。年貢率を決めたりとか、開墾したら治水が悪くなったりとか、あるいは輸送の在庫管理とか。そういう細かい、ひとつひとつの要素を本当は漫画の中で描きたいんですよ。
襟川氏:
でも、『センゴク』は「歴史のうねり」みたいなところを表現できている作品だと思いますよ。最初に『センゴク権兵衛【※1】』を読ませていただいて、今は『センゴク一統記【※2】』を読んでいて、「賤ヶ岳の戦い【※3】」のところまで来ています。
宮下さんは実際の合戦が起きた現場に取材に行かれて、自分の経験を通して「多分、こういう風になったんじゃないか」とか、「一般的にはこう言われているけど、なにか違和感を覚える」とか考えられているんじゃないでしょうか。「自分がこの武将だったらこういう風に感じただろう」みたいな、ドキュメンタリー的な表現が徹底されているので、迫力や説得力があってすごく面白いです。
※1『センゴク権兵衛』……『センゴク』シリーズ第4部にして完結編。
※2『センゴク一統記』……「本能寺の変」を中心に描かれる、『センゴク』シリーズ第3部。
※3「賤ヶ岳の戦い」……1583年、豊臣秀吉と柴田勝家が織田信長の後継者を争った戦い。
宮下氏:
本当ですか! ありがとうございます。
襟川氏:
「賤ヶ岳の戦い」もそうですが、「姉川の戦い【※】」なんかも、自分の取材体験から、「本当はこういうことが起きえたんじゃないか」というお話が展開されるのが、すごくリアリティがあるので。読ませていただいて、どんどんのめり込んでいます。
あとは、歴史学者の方だったり、郷土史家の方々が『センゴク』の執筆をサポートされているというのも、非常に興味があります。「この先生は、この戦いについてはこう考えているんだ」とか。
※「姉川の戦い」……1570年、織田信長・徳川家康の連合軍と、浅井長政・朝倉義景の連合軍が起こした戦い。
宮下氏:
戦いの表現で言うと、ゲームの合戦って最初に「ゲームとしてのルール」があるじゃないですか。対してリアルの合戦は何をやってもいいですから、なかなかルールを見出しづらい。しかしそれでも、なんとなくルールのようなものは存在しているんです。
そういった「ルールの中の戦い」の面白さを漫画で表現できないか、という狙いはありました。『信長の野望』だと、兵糧切れを狙って攻めたり、30日間ひたすら逃げ続けてしのぐといった戦術があったりしましたよね。本当は『センゴク』の僻地戦とかも、「どの進路を取るか」といったところにルールがあったら楽しかったんですけど。
──「戦い」のような派手な部分だけでなく、むしろ「米相場」のような比較的地味な部分に自分の手でインタラクトできるというのが『信長の野望』の面白いポイントのひとつですよね。壮大な戦国時代を、端々から感じ取れるような。
宮下さんのお話を聞いていると、そういった要素を漫画の中でも表現できるよう、かなりゲームを意識したアプローチを試されているように思えます。本当に『信長の野望』に強く影響を受けられたのだなと。
宮下氏:
そうなんですよ。こういう「歴史のうねり」的な面白さが小説とかドラマにはあまり見られなくて、ゲームはひとつのメディアとしてすごいと思います。他のメディアが表現できないものを、全部やってくれる。