襟川氏の考える“ゲーム”とは「楽しく充実した時間を過ごすためのもの」。そして世界中のゲームファンを楽しませる喜びはもっと大きい
宮下氏:
ゲームと他のエンタメを比較したとき、例えば小説や映画では滅ぶことが娯楽になりえますよね。シェイクスピアの悲劇だったり、黒沢明監督の『乱【※1】』とか、『影武者【※2】』のような作品だったり。
対してゲームでは、滅ぶこと、イコールゲームオーバーになってしまい、なかなかエンタメとして成立しないと思うんです。ゲームでこういった「滅ぶこと」を娯楽として扱うということはありうるんでしょうか?
※1『乱』……1985年公開の、黒沢明監督の映画。シェイクスピアの『リア王』を元にした日仏合作映画で、戦国時代の家督相続を巡った兄弟の争いが描かれる。
※2『影武者』……1980年公開の、黒沢明監督の映画。武田信玄とその影武者を題材にした戦国時代劇。
襟川氏:
それは「クリエイターが何のためにゲームを作るか」というところになるんだと思います。私の場合は、ゲームはやっぱり楽しいもので、人生を充実させていくものだという風に捉えていますので。哲学的に人生を捉えるといったところは文学や映画の役割で、ゲームの役割は一時の楽しさや、心の充実を提供することだと思っています。
中には悲しみを克服することが冒険の動機になったり、主人公が最後に倒されてしまうけど、その子どもたちが後を引き継いでいく、みたいな作品もありますが。基本はやっぱり、「ゲームは楽しく充実した時間を過ごしていくもの」という捉え方をしています。
──襟川さんは、「ゲームは人生を豊かにするもの」というお考えですが、一方でゲームは「時間を無駄にしてしまうもの」というイメージも持たれがちです。襟川さんとしては、「ゲームは時間を使うけど、こういう体験ができるから人生が豊かになるんだ」という考えってあるのでしょうか。
襟川氏:
単純な言葉ですが、自分が「やった!」と思える達成感でしょうか。ゲームをクリアするためにいろいろ苦労をして、最後にご褒美がもらえる。そういった達成感が、心の満足に繋がると思っています。
宮下氏:
襟川さんは、小さな規模から始めて、今これだけの大きな会社になった経験がおありなわけですよね。そういった現実での達成感に、ゲームで得られる達成感との違いはありますか。
襟川氏:
現実での達成感の方が大きいですね。今は社員数が3000人を超えましたので。会社が、その社員の人たちが喜んで仕事をして、新しい面白さに満ち溢れたゲームを作ることができる舞台になっているんです。
そのこと自体は、自分がゲームをプレイして感じるよりもっと大きな喜びになります。対象が私ひとりじゃなくて、世界中のゲームファンですからね。
宮下氏:
はじめて『川中島の合戦』を作った時も、一番嬉しかったのはプレイヤーからの反響だったんでしょうか?
襟川氏:
そうですね。自分でプレイしても、もちろん面白かったんですが、お客様から電話や手紙をたくさん頂いて、「面白かったよ」とか、「子どもと一緒に徹夜したよ」とか。そういう一言を頂けるのがもっと嬉しかったです。これは『信長の野望』の時も同じでした。
宮下氏:
『川中島の合戦』は1万本も出荷されたんですよね。その時点で、会社をもっと大きくしていけるという風に感じられたんですか。
襟川氏:
いえ、特に、「今年の売り上げはいくらを目指そう」みたいな壮大な目標はなくて、ただガムシャラにゲームばかり作っていました。
経営計画も、将来展望もまったくなしで。ゲームを作るプロセスも面白いけど、作ったゲームで遊ぶのも面白いし。それをお客様から褒めて頂くのはもっと嬉しかった。そのサイクル自体が良かったんです。
宮下氏:
コーエーさんと言えば、僕らは子ども心に「なんかこの会社、変わっているぞ」という印象があって。「他の、ワイワイやっているゲーム会社とはちょっと違うぞ」と。そういったブランド化みたいなものは、どういう道のりがあったんでしょうか。
襟川氏:
会社としての運営や経営の仕方が定まったのは、1986年頃にきっかけがありました。当時、40人くらいの社員数になった時に、10人以上の社員がゴソっと辞めたことがあったんですよ。
──40人中の10人というと、かなり大きいですよね。
襟川氏:
それまでは、大学のクラブ活動みたいな感じで、好きなことを一生懸命やっていればいいだろうと。社員の人たちも喜々としてゲームを作っていたので、それはそれでひとつの会社のありかただと思っていたんです。でも、現実には辞めていく人たちがいる。なぜかというと、給料や待遇の問題だとか、この会社の将来のビジョンが見えないというんです。
「これは自分の考えが間違っていた」と思って、今あるようなコーエーテクモの精神や経営基本方針、世界ナンバーワンのゲームソフト会社になるための戦略などをすべて明確にして、社員の人に知っていただきました。
──将来のビジョンを明確にして、方針をしっかりと定めた。目の前のことを一生懸命やるだけの状態から、より広い視野を提示したわけですね。
襟川氏:
同時に、待遇や処遇もぐっと上げて。ゲーム業界ではナンバーワンの待遇にしようと思ったんです。現在でも、当社の待遇ってゲーム業界の中ではトップクラスなんです。そうすると、会社を運営していくことに関して、自信を得た感じがして。翌年の1987年から、もともとの社員が30人だったところに、新入社員を30人入れたんです。
一同:
(笑)。
襟川氏:
一気に倍ですよね。それからは毎年30人ずつ増やしていって。今は、ワールドワイドで言うと年に300人は入っていますが、そういった自信につながったのは、1986年の大量離職の経験がきっかけだったんです。
もっと身近なものになってほしくもあり、価値が上がってほしくもある…ゲームに対する宮下氏の複雑な思い
宮下氏:
ちょっと脱線してしまうんですけど。僕は石川県出身で、能登半島で震災があったじゃないですか。あれで港が壊滅しちゃったんですよね。能登半島と、沖の能登島に小さい湾があるんですけど、港が復興したら、あそこで『大航海時代』みたいなゲームができないかって思うんです。
1~2時間で往復できるようなところなんですけど、港で町の特産品を買って、隣の港で売って、って。子どもたちが遊べたら楽しいのかなと。
襟川氏:
実際の港で交易をするわけですね。
宮下氏:
僕の時代はまだ「ゲームは有害」みたいなイメージがありましたけど、ゲームのインタラクティブな面白さを、現実世界と合わせて広められたらなって思います。
襟川氏:
『信長の野望』で言うと、プレイされた方には戦国時代や武将に対する興味が出てきますし、自然と歴史に対する親しみが湧いてきて、子どもさんが歴史に興味を覚えていくきっかけになると思います。実際にそういうお話は、いろいろな方から聞いていますよ。
宮下氏:
本当ですか。ぜひプレイしてほしいですね。
襟川氏:
私の友人のお子さんも、小学校5年生で『信長の野望』をプレイして、学校の先生より戦国時代に詳しいみたいです。そうやって興味が出てくると、学校で教える範囲をはるかに超えて、知識欲が行きつくところまで吸収していきますから。ゲームや漫画がそういったきっかけになると良いですね。
宮下氏:
個人的には、歴史学と他のメディアはだいぶ融合してきましたけど、まだまだ違うものだという感じもあって。僕はゲームから入ったので、学問・映画・小説・ゲームって本当に同列で、歴史への入り口としてあってほしいし、お互いが意識しあって欲しいんですよね。
特にゲームというものが、「フラっと美術館や映画館に行く」ような、もっと当たり前のように身近な存在になってほしくて。どうしても、コンシューマー機を用意して、スイッチ入れて……という「ゲームユーザーのもの」になっている現状が少し残念なんですよ。本当にいつか、街を歩いていてフッとできるくらいのものになってほしいんです。
太田氏:
ちょっとずつ変わってきた気はしますけどね。スマートフォンが出る前までは、毎日のようにゲームをやってるって言ったら周りから相当奇異に思われていましたけど。ここ10年くらいは、「太田さんもゲーム好きなんですか」「うん、好きだよ」ってやり取りがふつうにできるようになった気がします。
──スマートフォンゲームでいうと、『ポケモンGO』のような、日常になじむようなゲームが出てきて、より生活に浸透してきているのもあるかと思います。
宮下氏:
昔の比叡山とか、いろいろな房(ぼう)があって、房ごとにいろいろな仏教が学べたんですよね。それみたいに「今日は日曜日。することないな」って、フラっと『三國志』学ぼう、みたいな。そういうふうにゲームができたらいいな、と思ってるんです。
太田氏:
そのフットワークの軽さがゲームのある種の強さでもあると思っていて。小説や漫画って、「過去のものを知ってなきゃいけない」ってありますよね。「手塚治虫も読んでないの」って言われてしまうような。
ゲームでは、むしろ最新作を追いかけている方が偉いみたいなところがあって、そこは文化としてプラスでもあり、マイナスでもあるかもしれないですね。
宮下氏:
音楽でいうと、ジャズとかは特に過去の影響が色濃く出ているように思えますね。
太田氏:
そうですね。今でも新しいものがあるにはあるんですけど、あまりにも偉大な過去の遺産がありますからね。クラシックとかもそうですよね。過去の名曲をいかにアレンジするか、とか。どうしてもそういうところに終始しちゃって。
宮下氏:
僕はゲームにもっと気軽に触れてほしい気持ちと、クラシックのワインみたいに価値が上がってほしいという気持ちもあって、両方あるんです。価値があがり過ぎるとこれはこれでユーザーさんを狭めてしまいますし。
でも、今回の対談が掲載されたあと、僕みたいに「もう一度、懐かしのコーエーゲームを遊ぼう」ってなる人が現れてくれたら嬉しいですね。
世の中の変化とともに、また「新しい面白さ」が生まれていく
襟川氏:
宮下さんの港を使った交易ゲームとはまた違うんですが、去年の9月から『信長の野望 出陣』という、スマートフォンのウォークゲームをサービス開始していまして。私は今、それを一番一生懸命にやっています。1日2時間ぐらいやっていますね。
宮下氏:
毎日歩いているってことですか。
襟川氏:
歩かなくてもできる部分があるので、朝は自宅で。それで領地を広げていって、土曜日や日曜日、歩けるときに歩いて。健康にもいいし、いろいろな出会いがあるんです。
土曜日や日曜日の朝って、結構みんな、いろいろなスマホの位置情報ゲームをプレイしながら歩いているんですよ。それ、『信長の野望』にしてくれないかなって(笑)。ですからゲームも、「遊んで楽しい」にプラスして、健康志向にフィットしたものが出てきていますよね。
宮下氏:
ウォーキングもそうですし、生涯学習もすごい流行っているので、その中にゲームが入らないのはもったいないな、と思います。
襟川氏:
最近は、カルチャー講座の方面からも「ゲーム制作の舞台裏」といった講座の依頼が来ていて、ありがたいなと思います。
太田氏:
僕たちの世代が上限だと思うんですけど、幼少期からゲームを体験した人たちが社会の中でそれなりの決定権を持つポジションにつき始めているんですよね。だから、もうちょっと経つと時代が変わると思います。
以前、非常に優秀なベンチャー企業投資家の方と話していて、「太田さん、世の中を変えようって頑張る必要なんかない、必ず変わるんです」と言われたことがあって。「なんでですか」って聞いたら、「変わらないやつらはどんどん退場していきますから」って言われたんです。
「20年くらい頑張ってたら、変えようって頑張らなくても世の中は変わってきますから」って。それをちょっと思い出しました。
襟川氏:
そうですね。『信長の野望』シリーズにしても、「次の作品にはまた“新しい面白さ”を入れて作っていこう」というチャレンジ、スピリッツをもって続けています。もちろん、これだけ長く応援していただいてシリーズが続いているっていうのは、それだけ支持してくださるファンの方々がずっと存在しているからですよね。
太田氏:
そうですね、歴史漫画でも、近年で最大のヒット作のひとつが『センゴク』で。歴史漫画も変わってきているし。そういう形で、世の中ってどんどん変わっていくんだなって。
襟川氏:
『センゴク』は本当に画期的ですね。実際の合戦場を何回も自分の足で歩いて、「この坂道はどうだ」とか、「ここは後ろから攻められたら大変だ」と取材されて。すごくリアルで、説得力があります。
太田氏:
以前、一緒に史跡を巡ったことがあるんですけど、宮下さんは見えているものが違うんですよ。素人には「野原が広がってるな」としかわからないんですけど、宮下さんが「太田さん、ここには大きな門があったんです!」って言って。
「ここには礎石がある」って。その石を見ると、丸くすりつぶされたような形をしていて、「これは相当大きな柱があったから、ここには大きな門があったんです」って。ちょっと痺れました。こうした洞察が『センゴク』という漫画のあらゆるページにあるんだ、と思って。
宮下氏:
僕の根源にあったのは「なんとかルール化できないか」ということですね。ゲームにルールがあるように、実際の合戦にも、なにかルールが見つからないかと探したら、なんとなくストーリーになるという感じです。そういう意味でも、ルールに基づいて戦国時代を表現していた『信長の野望』の影響というのは、本当に大きいんです。(了)
対談中、端々で『信長の野望』や「ゲームというメディア」への憧れやリスペクトあふれる発言が見られた宮下氏。『センゴク』シリーズの主人公、「仙石権兵衛秀久」のキャッチフレーズである「史上最も失敗し、挽回した武将」というのも、挑戦を繰り返し統一を目指す、『信長の野望』プレイヤーの姿に重なるところがある。
また、特筆すべきはいち早く「戦国武将」と「社長業」の交わりを感じ取り、それを『信長の野望』というひとつのゲームとして表現した襟川氏の“センス”の鋭さであろう。宮下氏の語るように、こうしたセンスをアート的に評価する試みというものは、ゲーム界全体を通じて、もっと掘り下げていく必要があるのかもしれない。