2023年10月12日、神谷英樹氏がプラチナゲームズを退社した。
『デビルメイクライ』『大神』『ベヨネッタ』など、数々の名作タイトルを生み出した同氏が、盟友であるプラチナゲームズ社長・稲葉敦志氏と袂を分かったというニュースは、ゲーム業界に激震をもたらした。
あれから1年。次なる動向を注目されていた神谷氏が、新たなゲームスタジオ「CLOVERS株式会社」を設立したとの報せが入ってきた。同社は既に20名ほどのスタッフを擁し、新作タイトルの開発に着手しているという。
こう聞くと「当初から独立を視野に入れて退社したのでは?」と勘ぐってしまいそうなものだが、神谷氏が退社を決意した当時、その後の進退に関しては全くのノープランだったそうだ。
それではなぜ、神谷氏は新会社を設立するに至ったのか? そこにはひとりのキーパーソンの存在がある。神谷氏と共にCLOVERSを立ち上げた小山兼人氏だ。
小山氏は神谷氏同様、もともとプラチナゲームズに在籍していたクリエイターで、神谷氏の元でゲームデザイナーとして活躍していた人物。
そんな小山氏が、退社を決意し「次の働き口が決まらなければ実家に帰ろうか」とすら考えていた神谷氏を誘い、新会社の設立を持ちかけたのだという。
「CLOVERS」という社名には、四つ葉のクローバーになぞらえて4つの「Cから始まる言葉」を大切にするという思いが込められている。
「4つのC」は、会社が掲げるチャレンジ・クリエイティビティ・クラフトマンシップの「3つのC」と、社員それぞれが自分自身で決める「自分だけのC」から構成されており、スタジオ全体の「クリエイティブさを大切にする」という共通認識と、メンバーひとりひとりの「個を重んじる」姿勢が表現されている。
今回弊誌では、そんなCLOVERS株式会社を立ち上げたおふたりにインタビューを敢行。残念ながら開発中の新タイトルについては話を聞けなかったものの、プラチナゲームズ退社や、新会社を立ち上げた経緯、会社として大切にするビジョンや、これから先の展望について伺うことができた。
〇インタビュイープロフィール
============================神谷英樹氏 CLOVERS株式会社 スタジオヘッド/チーフ・ゲームデザイナー
小山兼人氏 CLOVERS株式会社 代表取締役============================
プラチナゲームズ退社から、新会社設立を決意した経緯。「実家に帰る」ことまで考えていた神谷氏に声を掛けたのが小山氏だった
──おふたりが新会社「CLOVERS株式会社」を設立するに至った経緯をお伺いできればと思います。神谷さんがプラチナゲームズからの退社を決意された時には、すでに新たなゲームスタジオを設立するという構想はあったのでしょうか。
神谷氏:
いえ、全くそんなことはありませんでした。むしろ、退社後のことはほとんど何も決めていなかったんです。
僕がプラチナゲームズを退社することが公表されたのは去年の9月26日でしたが、会社の内部では7月の中ごろにはすでに決定していました。そのころ、僕のクリエイティブに対する考え方と、会社としての今後の方針が食い違う状態になっていたため、代表取締役社長の稲葉(敦志)とも3ヵ月ほど協議を続けていたのですが、どうしても折り合いがつかなかったんです。
稲葉と僕の主張が平行になりはじめた4月か5月ごろからじっくりと話し合いを重ねて、どこかで折り合いをつけられないかという協議を続けてきたのですが、最終的に僕としてはどこにも着地できないような形になったんです。終始冷静に話し合いを重ねた結果なので、喧嘩別れをしたわけでもありませんし、意見が拮抗してお互いに怒鳴り合ったようなこともありません。
個人的に気を付けていたのは、「だったら辞めるよ」という言葉についてです。そうした言葉は、軽々に使ってしまえば脅しになってしまうし、それによって相手の考えを変えさせるというのもアンフェアですよね。ですから、僕がこの言葉を使うときは、本当にそれを決断したときだろうなと考えて話し合いをしていました。
おそらくですが、稲葉も同じことを考えていたんじゃないかと思います。「辞める」という言葉が出た時は、もう覆りようがない時だという認識があった上で、お互いに納得するまで話し合ったので。いざ決断をした時に、そこから更に揉めるようなことはありませんでしたね。
退社の話は、『プロジェクトG.G.』【※】のプロデューサーや当時ゲームデザイナーとして重要なポジションを務めていた小山など、まず僕の近くで関わっていた人物から順に話を伝えていきました。小山には「神谷さん、これからどうするんですか」と聞かれたのですが、僕自身その時点で後先の事を何も考えていませんでした。何かをしたいから辞めたとか、事前に次の仕事を貰っていたというわけではなかったんです。
※
『プロジェクトG.G.』……プラチナゲームズ在籍時に神谷氏が監督を務め、開発が進められていた新作タイトル。『ビューティフルジョー』『The Wonderful 101』に続く神谷氏の「ヒーロー三部作完結編」として2020年にティザームービーが公開された。
──その後の事は全く白紙の状態で、あくまで会社との方向性の違いがきっかけで退社を決意されたんですね。
神谷氏:
そうですね。ただ純粋に、稲葉と協議をしていく中で決意したことなんです。小山にも「本当に何も考えていないよ」と返事をしたことを覚えています。
それに、僕がこの業界で仕事を続けられるかどうかというのは、僕が続けたいと思うだけではだめで、僕を受け入れてくれるチームがあっての話だと思うんです。それで言うと僕は、SNS上でもややこしいタイプの人間じゃないですか(笑)。
みんなおはよう…
— 無職? 神谷英樹 Unemployed? Hideki Kamiya (@HidekiKamiya_X) December 1, 2024
──(笑)。それはあくまでSNSでのバブリックイメージであって、実際の神谷さんをご存じの方ならそうは思わないと思います。
神谷氏:
僕も50歳を過ぎて、自分でも自分のことを「厄介なやつだ」と思っていたので。「こんな自分を受け入れてくれるところがあるのだろうか」という思いもありました。小山にも「受け入れてくれるところがあればゲーム作りを続けるけど、そうでなければ実家に帰ろうかな」という話をしました。そうしたら小山が「神谷さん、だったら一緒にやりませんか」と誘ってくれたんです。
ただ、その時には本気では取り合っていませんでした。ありがたいとは思いましたが、あまりにも荒唐無稽だったので、その場では特に具体的な話などはせずに終わりました。
その後は、僕が退社するという情報を全社に降ろしていきました。実際に退社するまではまだ期間があったので、その間に、何人かのスタッフが僕と個別に話をしに来てくれて、「神谷がいるからプラチナに来たんだ」と言ってくれる人もいました。自虐のようになってしまいますが、僕としては、もうただの老害だと疎ましがられているんだろうなと思っていたので驚きましたね。
──数々の名作タイトルを手がけてきた神谷さんに憧れるクリエイターはたくさんいらっしゃいますよ。
神谷氏:
そういった、熱量を持った感じで話しに来てくれた人が何人かいて、中には「またどこかで一緒に仕事がしたいです」と言ってくれる人もいました。
僕としては、どこかの会社に頼み込んで入れてもらったり、ヨコオタロウ【※】さんのようにフリーランスで働く可能性を探ったりという道を考えていたのですが……。そうした人たちと話すうちにふと思ったのが、自分ひとりで働くというよりは、退社にあたって僕に声をかけてくれたような人々と一緒にゲームを作れるような場所を作らなくてはいけないのかな、ということでした。
ただ、僕はずっと現場一本でやってきた人間なので、会社を作るといったことに関しては何もわかりません。その時に小山の言っていた言葉を思い出して、改めて声をかけたのがCLOVERS設立のきっかけだったんです。
──周囲の方々の熱意が、新会社設立のきっかけになったわけですね。それに対して、小山さんもすぐに応えられたということで、ある種の覚悟みたいなものがおありだったんでしょうか。
小山氏:
最初に声をかけたのは自分の方なので、当然覚悟はしていました。さきほど話がありましたが、神谷が「実家に帰るかも」という話をしていたのに対して「それはないだろう」という思いもありました。神谷が監督を務めていた『プロジェクト G.G.』も、すごく面白いゲームになっていると思っていたんです。
──『プロジェクト G.G.』は、神谷さんが辞められたことで開発中止になってしまったのでしょうか。
神谷氏:
そこはプラチナゲームズ側の判断になりますから、僕たちにはわかりません。ただ、少なくとも我々の手で世に送り出せないのは残念ですね。
小山氏:
そうですね。そういった思いもある中、また神谷に「一緒にゲームを作りたい」と思ってもらえる機会がくるかもしれないと考えて、「とりあえず声はかけないと」と思ってお誘いしました。
神谷氏を会社に誘った小山兼人氏とは何者なのか。任天堂製ゲームのデバッグを専門的におこなう会社「マリオクラブ」からDeNA、プラチナゲームズと渡り歩いた“デキる男”
──新しい会社を立てるというのは、中途半端な覚悟でできることではありません。神谷さんが小山さんの誘いに応じた理由には、どういった背景があったのでしょうか。
神谷氏:
僕自身、軽々に会社の設立を決めたというわけではないんです。小山と一緒にやっていくことを決意した理由については、まずは彼の経歴の話を聞いてもらうのがいいと思います。
小山氏:
僕がゲーム業界でのキャリアをスタートしたのは、任天堂のゲームのデバッグやモニターを専門とする「マリオクラブ株式会社」からでした。もともとはゲームプランナーになりたかったのですが、就職がうまくいかず「とりあえずゲーム業界に入ったら、次のステップに繋がるんじゃないか」と考えたんです。ただ、仕事をしていく中で、QA(品質保証)の仕事からはプランナーのような職種にはつながらないということもわかってきました。
そのタイミングで、DeNAが大阪に「DeNA Games Osaka」という支社を作るニュースがあって。「未経験歓迎」で求人をしていたんです。そこに応募をしたら運よく受かることができて、それがプランナーとしてのキャリアのスタートでした。
DeNAはスマートフォンゲームが主軸ですが、僕としてはもともとコンシューマーゲームの方に関心があったので、DeNAで実績を積んだ後に、プラチナゲームズに応募しました。ちょうど、『Scalebound』【※】の開発が遅延するというニュースがあった頃なので、人手が必要だろうと思ったんです。実際に僕も『Scalebound』に携わりたいという思いがあったので、面接でもそう話しました。
神谷氏:
その時の面接官の中には僕もいたらしいのですが、記憶にないんですよね。ごめん(笑)。
小山氏:
その時のことは全然覚えてらっしゃらないんですよね(笑)。
そうしてプラチナゲームズに入社したのですが、実際に配属されたのは『World of Demons – 百鬼魔道』というゲームのチームでした。
この作品は、後にApple Arcade で配信されていますが、当初は基本プレイ無料でDeNAさんから出す予定だったんです。自分のDeNAでのキャリアが活かせるということで採用されたという面もあったのかもしれません。
ただ、結果としてはDeNAさんからリリースするという話がなくなってしまって、企画自体が延期になってしまいました。そんな中、僕自身も色々と考えることがあって、一度プラチナゲームズを退社したんです。
──なるほど、一度プラチナゲームズを退社されているんですね。ただ、神谷さんの退社時に一緒に仕事をされていたということは、その後再びプラチナゲームズに戻ってきたということでしょうか。
小山氏:
そうですね。プラチナゲームズを退社したあとは、DONUTSの京都オフィスで、責任者のような立場でキャリアを積んでいきました。そんな中、ある日突然プラチナゲームズ時代の同僚から「食事に行かないか」と連絡が来たんです。あまり交流のない人だったので不思議だったのですが、実際に会ってみると「小山さん、神谷さんと仕事がしたいと言っていましたよね。それが今あるんですが、参加しませんか」と誘われたんです。
その時は既にDONUTSで責任のある立場にあったので、一度は断ったのですが……。同時に、当時の働き方に関して、自分としても思うところがありました。というのも正直なところ、責任者としての仕事は週2日の稼働でこなせてしまえる感じがしていたんです。
そういった思いもあって、DONUTSでの仕事を週2日にして、残りの3日間はフリーランスとして働く許可をもらい、そこから改めてプラチナゲームズで働くことになりました。最初は掛け持ちのフリーランスとして、そこから徐々にプラチナゲームズの方に比重を移していって、およそ3年間、神谷と一緒に仕事をさせてもらいました。
──それにしても、一度退職された小山さんの下に直接スカウトのお誘いが来たというのはなにか理由があったのでしょうか。
神谷氏:
小山のところに話が行ったのは、僕のリクエストだったんですよ。『プロジェクトG.G.』はアクション的な側面と、全く違う遊びの両軸でゲーム設計を考えていたんです。そうしたときに、アクションゲームの勘どころは自分でもわかりますが、アクションとは異なるゲーム性をもつ側面に関しては、それまでのプラチナゲームズにはない、小山のような人材が必要でした。
一度目に小山が在籍していたころは一緒のチームではありませんでしたが、彼の働きぶりを見て「すごく仕事ができる人だ」と思っていました。それが、『World of Demons – 百鬼魔道』のリリース延期と共に辞めてしまって、すごく残念に思っていたんです。
その後、『プロジェクトG.G.』を立ち上げるにあたって彼の力を借りたくて、知り合いの方にコンタクトを取ってもらったということなんですね。幸いなことに話を受けてもらって、3年間一緒に仕事をすることができました。この時の経験が、小山と会社を立てようと思ったことに繋がっているんです。
小山はフリーランスとしての活動経験もあって、一緒に仕事をする中で、彼の処理能力の高さもよくわかっていました。そんな彼の誘いは、「なにか一緒に楽しいことをやりましょう」という社交辞令のようなものではなく、より確度の高いビジョンとして期待をすることができましたし、それが小山とCLOVERSを作ろうと思った理由のひとつなんです。
──それまで一緒に仕事をしてきた経験や、その中で見た能力などが決め手のひとつになったわけですね。一方で、退社後の神谷さんは「無職宣言」をされていましたよね。ここにはやはり、契約面での縛りのようなものが関係していたのでしょうか。
小山氏:
神谷には競業避止義務が1年あったので、そこはきちんと守らなければいけません。実際に契約もせず、仕事もせず、準備だけを進めてきた形です。神谷がプラチナゲームズを退職したのが去年の10月12日でしたから、それから1年が経った今年の10月13日に入社してもらい、そこから本格的にCLOVERS株式会社が始動した、という形ですね。
神谷氏:
最初に小山と話をした時から、今後の方向性などは、頻繁にディスカッションしていました。ただ、競業避止義務を守るために、実際の会社づくりやオフィスの契約、一緒に働くメンバー集めは、全て小山に任せていました。
僕が完全に無職だということはきちんと守って、禊が済んだ後にジョインできるような形を作っていってもらったんです。
「稲葉が会社の脳だとしたら、僕は一番強力な『筋肉』でありたかった」神谷氏がプラチナゲームズを辞めるということの意味と、古巣への思いを振り返る
──神谷さんのクリエイティブに対する考え方と、会社の方針との相違が退社の理由だったということですが、プラチナゲームズに在籍したままではご自身の作家性のようなものが表現できないという思いがあったのでしょうか。
神谷氏:
そうですね。これはあくまで僕の主観ですが「このままここで仕事をしていたら、自分の作家性が死んでしまう」と思ったんです。その結果、僕自身がユーザーに対して責任が取れないような作品を送り出すようなことは、あってはならないと考えました。
ただこれは「どちらが良い、悪い」という話ではないと思います。企業としてのプラチナゲームズのあり方や理屈は理解ができますし、僕自身も副社長という立場ではありましたが、神谷英樹という個人として、そうした考え方に寄り添うことはできなかったということなんです。
──クリエイターとしての神谷さんと、副社長としての神谷さんがいて、後者の立場として動かなければならないことが増えていったのでしょうか。
神谷氏:
それで言うと、僕の軸足は90パーセント以上現場の開発に置かれていたので、もともと副社長としての神谷英樹はほとんど動いていませんでした(笑)。
僕がプラチナゲームズの副社長という立場でやっていたことというのは、なるべく現場に寄り添った「現場ファースト」の人間として、経営陣との話し合いの場で意見を出すことです。それを通じて、会社として商売を続けることと、それでも尖った作品を出していくことを両立する。いわば「バランサー」としてその場に立っていたつもりでした。
ただ、そうしたクリエイティブのこだわりがどうしても発揮できないというところまで進行してしまったので、これ以上会社に自分の名前を置いておくことはできないという判断になったんです。
──退社を決意するまでに、3ヶ月近くも協議をされたと仰っていました。盟友と呼んでも差し支えないような関係の神谷さんと稲葉さんが、それだけ話し合われても着地点を見出せなかったというのは、方針のひとつだけでなく、全体としての複雑な事情がそうさせてしまったのかなと感じます。
神谷氏:
僕がプラチナゲームズという会社に対して当初から思っていたことは、「プラチナゲームズは稲葉の会社だ」ということです。それは「稲葉が私物化した会社だ」ということではなく、会社を人間に例えた時に「稲葉が会社の脳である」という意味です。
その中で僕は、一番強力な力を発する「筋肉」でありたいと思っていました。そのうえで、筋肉や、手の先に持つ武器を作る。そうしてプラチナゲームズという集合体がゲーム業界で戦って行けるようにしたい、という心構えだったんです。
大脳から発せられる信号というのは、筋肉にとっては絶対です。それと同時に、その信号は筋肉にとって信頼できるものでなくてはいけません。それまでは、その信号を受け取った上で、それを信頼して自身の力を最大化するつもりで働いていたのですが……。稲葉をトップとするプラチナの今後の方向性に関して、信を置いて自分が筋肉として力を発揮する、ということができなくなってしまったんです。
──とはいえ、営利企業であるゲーム会社として、取捨選択していかなければいけないものもあると思います。非常に難しい問題です。
神谷氏:
そうですね。会社でゲームを作るということは、趣味でもなければ、慈善事業でもありませんから。
僕の考え方を「わがままだ」と捉える人もいるでしょうし、実際、残してきてしまったプラチナのスタッフには申し訳ない気持ちもあります。自分自身、プラチナゲームズでは大きい部分を背負っていたという自負がありますし、実際に副社長という立場でしたから。自身がディレクターを務めるプロジェクトも途中なのにそれを放りだして出てきてしまったというのは、会社に対しても、スタッフに対しても後ろめたい気持ちはあります。
ですから、なにも「自分が正しい」とか、「これは善悪の問題だ」という観点で退社したというわけではないというのは自覚しています。
ただの「クローバースタジオ」の焼き直しではない、「CLOVERS」という社名に込められた思いと「4つのC」
──ここからは、おふたりが新たに設立された「CLOVERS株式会社」について伺っていきたいと思います。まず印象的なのは「CLOVERS」という社名についてです。
神谷さんが以前在籍し、『ビューティフルジョー』や『GOD HAND』、『大神』を生み出した「クローバースタジオ」が思い出されて、ファンとしては非常に「エモい社名」のように感じます。
小山氏:
「CLOVERS」という社名は、神谷から提案をされたんですが……。僕は正直、「クローバースタジオ」を引きずっているだけなら嫌だな、と思っていました。ただその時に、神谷がホワイトボードに「CLOVERS」と書いたのを見て「これには別の意味があるな」と直感したんです。
「CLOVERS」という単語をパッと見た時に思ったのは、この単語が「C LOVERS(シー・ラバーズ)」、つまり「Cを愛する者たち」と読み替えられることです。結果的にその読みは当たっていて、神谷にCというアルファベットの意味を尋ねたら「これはクリエイティブ(creative)のCだ」と。「なるほど」と思いました。
──なるほど、カタカナ表記からアルファベット表記になったことにも意味があったんですね。
小山氏:
これまで神谷と仕事をしてきた中でも、「クリエイティブ」という言葉はすごく大切にしている要素だと感じていましたし、それを大切にする社名はすごく良いなと思いました。そこからさらに発展して、四つ葉のクローバーになぞらえて「4つのCを大切にする会社」、というコンセプトを思い付いたんです。
会社のロゴを見ていただくとわかると思うのですが、四つ葉のクローバーの一枚一枚がアルファベットの「C」で構成されています。神谷と話していく中で、「C」から始まる単語には、とてもいい言葉が多いことに気づきました。例えば「勇気(courage)」であったり、「挑戦(challenge)」などです。
仕事をしていく中で大切な言葉に「C」から始まる単語が多いということで、「4つのCから始まる言葉」を掲げて、それを大切にする会社にしよう、となったんですね。
──非常にお洒落で素敵なコンセプトだと思います。実際には、どういった単語が「4つのC」として採用されたのでしょうか。
小山氏:
「4つのC」のうち、最初の3つはすんなりと決まりました。「チャレンジ(challenge)」「クリエイティビティ(creativity)」「クラフトマンシップ(craftsmanship)」。つまり「挑戦し続けること」、「創造し続けること」、「こだわり続けること」ですね。
困ったのは「4つめのC」を決めるときでした。というのも、ふさわしい単語が見つからないのではなく、Cから始まる大切な単語が多すぎるあまりに、どれを採用するか決めあぐねてしまったんです。
そこで思いついたのが、「4つめのCは、これから入ってくれる仲間たちそれぞれに、自分で決めてもらう」ということです。
──なるほど!「3つのC」は会社としての方向性を示した上で、「4つめのC」はメンバーそれぞれが大切にしている考えを自分で掲げるということですね。
小山氏:
そうですね。たとえば僕だったら「クリーンネス(cleanness)」という単語を「4つめのC」として掲げています。これまでの経験で、取引先やチームメンバーに対して正直に仕事をすることを大切にしてきましたし、自分自身も「4つのC」に入れたいと思っていた単語です。
神谷氏:
僕の場合は「キュリオシティ(curiosity)」、好奇心ですね。自分の中から湧き出る好奇心がこれまでのゲーム作りを牽引してくれたと思っているので、この単語にしました。
──株式会社ポケモンの社員さんが、「自分の好きなポケモン」を名刺に載せている、というのを聞いたことがあります。CLOVERSでも、「自分のC」を名刺に入れてみたりしたら素敵かもしれませんね。
小山氏:
実は、その話もすでにしているんですよね(笑)。最近名刺のデザインが出来上がったところなのですが、追加で「それぞれのC」を入れようと思っています。
神谷氏:
小山のこのアイデアで素晴らしいと思ったのは、会社として標榜するものを押し付けるだけではないところです。「3つのC」はみんなが共感できるという共通理解があった上で、そこからさらにもうひとつ、個人が大切にしていることを掲げてもらう、ということですね。
それによって責任感も生まれますし、我々としても作り手の作家性を大切にしていきたいと思っているので、個人のクリエイティビティを引き出すこのアイデアは素晴らしいと思いました。
──求人をするときの「とっかかり」にもなるかもしれませんね。「あなたのC」という話は、興味を持ってもらうきっかけになりそうです。
神谷氏:
面接をするときに聞いてもいいかもね(笑)。
小山氏:
実際、この話を「CLOVERSに来たい」という人にすると、結構楽しんで考えてくれますね。ある種の大喜利のような側面もあるので(笑)。
──たしかに。そういったところでもクリエイティビティを試される感じがします(笑)。
小山氏:
先ほど言った僕の「クリーンネス」は、「取引先や従業員に対する正直さ」という意味が込められています。このように、英語の単語に付随して、それに込められた日本語の説明や表現も考えることになりますよね。
中には「コーヒーブレイク」や「クレイジー」を掲げているメンバーもいるのですが、そうした単語に対する説明力が試されるのもクリエイティブなところです。
会社ではよく、「パーパスアンドバリュー」といって、会社としての価値観を掲げることがあると思います。我々で言うところの「3つのC」を標榜して、会社として目指すスローガンのようなものです。
ただ、CLOVERSの場合は少し違って、「3つのC」は「目指すもの」ではなく、「そもそもベースとして持っているもの」なんです。ものづくりをするときに、「意識的にそうする」のではなく、「無意識にそうなっている」べきものだということですね。
現状は幸いに、そうした価値観を共有できるメンバーが集まっています。こうしたところも、今後の採用などに影響してくるところだと思いますね。