多くの人にプレイされた『雫』だが、売れた本数としては多くなかった
──当時はPCの美少女ゲーム・ノベルゲームはマニアックなジャンルだったと思うのですが、なぜそのジャンルを選択されたんでしょう?
下川氏:
ひとつには敷居の低さがありますね。コンシューマーゲームになってしまうと、どんなに小さいゲームでも数千万円からスタートというような世界なので、まだ資金も経験もない僕たちには到底無理でした。
そのうえで、当時のPCアダルトゲームは「限りなく同人とメジャーの線引きが緩い世界」というか、マーケットに流通さえしてしまえば、どんなに滅茶苦茶な作品でも出せる可能性があったので。
美少女ゲーム業界を選択したというよりは、そのとき自分たちが置かれていた状況で戦える環境が美少女ゲーム業界しかなかっただけということだと思います。
──そこから『DR2ナイト雀鬼』、『Filsnown』、『雫』、『痕』と作品を作られていくわけですよね。「エロゲーだけど、エロ要素だけが売りではない」作品を作ろうと考えたのはなにかきっかけがあったんでしょうか。
下川氏:
単純に、会社に集まってくれたスタッフに恵まれていたんだと思います。シナリオ担当の髙橋のようにおもしろいストーリーを書ける人がいて、アドベンチャーゲームという枠組みの中で、「新しくて、ストーリーがおもしろい作品」を作りたいと考えていた。それに尽きます。
(画像はLeaf公式サイトより)
──そんななか、折戸さんは『雫』を最後にLeafを離れることになるわけですが、そこにはどういった経緯があったんでしょうか?
下川氏:
当時のことはすごく覚えてます。折戸はたくさん保険に入っていて「保険料が払えない」と言って辞めていったんですよ。
──たくさん保険に……どういうことですか?
折戸氏:
さっき高校卒業後に銀行系の会社に就職したといったじゃないですか。そこで「若いうちに(保険には)入っていた方がいい」と薦められて加入したものもありますし、保険料だけではなく、国民年金の支払いや家賃の支払いもありましたし。
1年ほどは高校時代にバイトをして買った機材を売ってなんとか生活していたのですが、それも限界にきてしまい、離れることになりました。そのあとは、2年くらい郵便局やゲームショップでバイトをしていましたね。
下川氏:
自分たちでゲームを作るより、アルバイトをした方が稼げたような時期でした。今では絶対にあかんことですが、昔は「タダでもいいから、ゲーム業界に入って曲を書かせてもらいたい」といった気持ちがあったとは思います。
若かったのもありますが、給料が安くてもとにかくその業界に入って仕事ができたらいいなという思いだったんですが、生活できない状況が続いて、限界がきて折戸は抜けていきました。
でも、そのあとバイトをしながら、単発で作曲の仕事もしていなかったっけ?
折戸氏:
ああ、やってたね。ときどき単発で仕事を請けていて、その流れでネクストンさんに入ったんです。
──Leafを抜けてアルバイトをしている時期も、ゲームの仕事をしたい気持ちはあったんですね。
折戸氏:
そうですね、ありました。
──それにしても、『雫』は大ブレイクした作品という印象があったので、そこで会社の状況が好転しなかったというのは驚きです。
下川氏:
『雫』がブレイクしたというのは事実なんですが、じつは数字の面で言うとあまり売れていないんです。
前作の『DR2ナイト雀鬼』や『Filsnown』よりは売れましたが、当時のエロゲーはコピーソフトが横行していました。たくさんの人にプレイはされたと思うんですが、そのほとんどがコピー品だったので……。
『雫』の次に出した『痕』は、『雫』の評判があったので、初動から売れたのですが、『雫』は売れた本数としてはそんなに多くないんです。
──な、なんと……。
下川氏:
ですので、『DR2ナイト雀鬼』から『雫』までは生活に困窮していました。
いまでもよく覚えていることなんですが、『DR2ナイト雀鬼』は当時の流通に2500本出荷したんです。「10パーセントルール」というものがあって、1年につき出荷本数の10パーセントまでしか返品できないという取り決めがあったんですが、毎年毎年ソフトが返ってくるんです。
返品されなくなった時点で計算してみたら、出荷した2500本中700本しか売れていなかったんですよ。
──最終的に数えてみたら、売れた本数より返品された本数の方が多かったという。
下川氏:
ただ、「10パーセントルール」のおかげで、それ以降の作品を作れていたという面もあるんです。あれだけの数を一度に返品されていたら、たぶん会社が潰れていたと思うので。そういう意味では感謝の気持ちがありますね。
大きなヒットを記録した『ToHeart』。開発メンバーにも恵まれ、徐々にチームが大きくなっていった
──そんな苦しい状況を経て、次に発売される『ToHeart』が大ヒットしたわけですが、『雫』や『痕』がサスペンス調の作品だったのに対し、学園ラブコメというまったく真逆の作風になった経緯はどういったものだったんですか。
下川氏:
僕は「カウンターが好き」というか、期待されているものを180度裏切りたい気持ちがあるんです。『雫』『痕』と猟奇的なサスペンスを作ってきたところが、真っ向勝負で『ときメモ』に挑んだら、みんな驚かへん? と思ったんです。
──美少女ゲーム業界を見渡してみても、いわゆる「日常系」のような概念が出てきたのって、『ToHeart』や『ONE 〜輝く季節へ〜』といった作品からのように思います。『ときメモ』にもキャラ同士の会話はありましたが、『ToHeart』はそれに輪をかけて日常シーンの描写に力を入れていますよね。
下川氏:
それに関しては単純に、髙橋の作風だと思います。僕が彼に伝えたのは「『同級生』や『ときメモ』のような、青春っぽいもので勝負してみよう」というコンセプトの部分だけだったので。


──そういったゲーム内容の方針について、社内でテストプレイをして意見を交わしたりはしなかったんでしょうか。
下川氏:
なかったですね。シナリオや音楽、プログラムなどが同時進行で組み上がっていって、納品日ギリギリの夜中2時にできあがったものを僕が静岡の工場まで車を走らせて納品しにいくようなことをしていたので。
それこそ、全体を把握していたのは、髙橋と水無月のふたりだったと思います。彼らには絶対的な才能があって、ふたりが作りたいものを作ったら当たるだろうと。そういう感覚でした。
僕はそのストーリーを盛り上げるサウンドを作っていればよかった。そういう意味でも人に恵まれていたと思いますね。
──『ToHeart』といえば、当時としては珍しくボーカル入りの主題歌がついた作品でした。この発想はどこから生まれたのですか?
下川氏:
当時は、常になにか新しいことにチャレンジしたい時期だったんです。PCエンジンのゲームには主題歌がついている作品が出てきても美少女ゲームでは珍しかった。じゃあ「美少女ゲームにも歌をつけたいよね」という勢いで作りました。
──『ToHeart』エンディング曲の『あたらしい予感』は、下川さんとしても初の「歌もの」だったわけですよね。ボーカル曲ならではの難しさや苦労はなかったのでしょうか?
下川氏:
折戸をはじめとした当時の音楽仲間の中で、技術的な能力は僕が一番低いんです。低い、イコールなにも考えていないというか、「自分の書いた曲にギターやドラムを入れてもらったらバンドサウンドになるんじゃないか」くらいの感覚でした。
折戸氏:
高校時代につるんでいたときから、行動力の強さは半端なかったですね。
下川氏:
行動力だけはあった気がする。それに僕は「めちゃくちゃ引きが強い」んですよ。先ほども言いましたが集まってくれたスタッフに恵まれているんです。
主題歌の『Brand-New Heart』とエンディングの『あたらしい予感』のボーカルを担当してくれたAKKOさんは、知り合いに紹介してもらいましたし、ギタリストもエンジニアも、みんな一発目に声をかけた人なんです。
僕自身が選んだわけじゃないんです。知り合いに声をかけて紹介してもらっていたら、いつの間にか完成していたんですよ。折戸をはじめ、Leafを立ち上げた時のメンバーも、高校時代の仲間が中心でしたからね。いい仲間に囲まれているから、僕がなにもしなくても良いものができていくんです。
『鳥の詩』のボーカルはもともと違う人だった。偶然が重なってLiaさんが歌うことに
──『ToHeart』が出た当時は歌ものが苦手で、「嫌なことをしてくれたな」と思っていた折戸さんも、その後にKey作品で主題歌などを担当することになるわけですよね。
折戸氏:
『Kanon』の企画が立ち上がった段階で「主題歌は必要」という話になったのですが、当時の自分は歌ものに関するノウハウがまったくなかったので、人づてでI’veさんを紹介してもらったんです。
OP・EDの作曲は社内で書き上げ、編曲やボーカリストを探してもらう形でご協力いただきました。
当時は何もわからなくて、「これでいいのかな……? 歌える曲なのかな……?」といった気持ちで、ビクビクしながら曲を書いたのを覚えていますね。

下川氏:
学生時代から好きだったのはインスト曲だったもんね。僕は徳永英明さんや槇原敬之さんなどのJ-POPが好きだったので、真逆のタイプなんですよ。
折戸氏:
そうそう。小室哲哉さんが好きだったので、TM NETWORKは聞いていましたが、それくらいでしたね。
下川氏:
でも歌詞として聞いているわけじゃないんでしょ? メロディーとして聞いているというか。
折戸氏:
歌も楽器の一部みたいな感覚かな? 正直なところ、歌詞はなんでもよかったというか、「トータルとしての曲」というサウンド感で判断する感じでしたね。
インスト曲にもメロディアスなものはありますが、「人が歌う」ということを考えた時に、どういったメロディーラインにしたらいいかというのがわからなかったので、手探りでした。レンタルビデオ店に行って、当時流行っていた歌もののCDを借りて聞いていました。
──手探りとおっしゃいますが、その後に制作された『鳥の詩』が大ヒット。『AIR』発売当時もそうですが、ニコニコ動画でも大きなブームになっていましたよね。
折戸氏:
自分としては、あの曲はもう僕の手を離れてひとり歩きしている曲だなと思っています。ファンの方がいろいろ拡散していただいて、カバーもたくさんあるので、把握しきれていないです。
コミュニティー系掲示板の類はほとんど見ないので、発売当時も『鳥の詩』の反響については自分は知りませんでした。知ったのは2、3年ほど経ってからでしたね。

下川氏::
本当に完成度が高い曲だと思います。歌っているLiaさんの声もハマっているし。これってオーディションのようなこともしてないんでしょ?
折戸氏:
それでいうと、じつは『鳥の詩』のボーカルはLiaさんじゃない方が歌う予定だったんだよね。でも、急遽キャンセルになってしまって。
その当時、ロサンゼルスのスタジオでレコーディングをすることは決まっていたんですが、そのスタジオでたまたま働いていたのがLiaさんだったんですよ。
──ええっ⁉
折戸氏:
現地のスタジオの人は日本語がわからないので、Liaさんが我々との間で通訳をしてくれていたんですが、やりとりの中で彼女が音大を卒業していて歌手を目指しているという話になって。デモテープを送ってもらったら、クオリティが高くてそれで……という流れでした。
──『鳥の詩』の制作にそんな背景があったとは……。初めての歌ものの収録だったと思うのですが、レコーディングされた際に手応えのようなものはあったんでしょうか。
折戸氏:
レコーディングには現地で立ち会っていたので、その場で「これはいけるな」という手応えは感じていました。
でも……自分は歌にあまり興味がない人間だったので、ああいったレコーディングの現場でのディレクションに対して苦手意識はありましたね。もう「お任せで歌ってください」と言いたくなるんです(笑)。
下川氏:
折戸に憧れているサウンドマンの人たちが聞いたらびっくりしますよ(笑)。
折戸氏:
今では何百回とレコーディングをこなしてきたのでそんなことはないですけど、当時は「ああ、明日は歌のレコーディングや……行きたくない」と思っていました(笑)。
下川氏:
でも本当に良い曲だよね。一度聴いたら耳に残るじゃないですか。「当たるべくして生まれてきた曲」な感じもしますね。
ただ『鳥の詩』のヒットによって「それを超える曲を作る」といった面では、本人としても大変なところがあったんじゃないかな。
折戸氏:
たしかにね。当時は「鳥の詩みたいな曲をお願いします」という依頼が多かったと思います。僕は社内の仕事だけでなく、外部からの仕事も請け負っているんですが、今でも依頼をいただく方のほとんどが『鳥の詩』を聞いているんですよ。
下川氏:
「あんな感じの曲を作ってください」という依頼はけっこうあるよね。
──ちなみに『AIR』のシナリオ担当の麻枝 准さんからは、曲に対してのリクエストのようなものはあったんでしょうか。
折戸氏:
うーん……。よく覚えていませんが、細かい指示はなかったと思います。あったとしても「疾走感のある曲」くらいだったんじゃないかなと。
下川氏:
もし麻枝さんから細かい指示があったら、『鳥の詩』は生まれていないんじゃないですかね。あの曲は僕が高校時代から知っている折戸のサウンドのように感じました。