映像制作に関わり、MAD動画を作り、『ゼンゼロ』のプロデューサーに……李さんの独特な経歴について
──ちょうどお話が出たこともあり、ゲームクリエイターとしての李さん個人の経歴についてもお聞きできればと思います。李さんは過去にMAD動画を作られていたとお聞きしたのですが、具体的にゲームのプロデューサーになる前はなにをされていたのでしょう?
李氏:
もともと、私は映像の編集や、グラフィックのデザインに関わる仕事をしていたんです。だから、MAD動画は仕事ではなく、ただの趣味で作っていました。
あくまで自分の趣味のために、映像をどんどん作っていたんです。
──では、なにか「映像に関わる仕事をしたい」という思いなどがあったのでしょうか?
李氏:
実は、中学3年生のころから、映像制作を習っていました。
あのときは、たしかにアニメーションや映画の仕事をしたかったんです。
──え、中3で!?
李氏:
そもそもの理由として、当時の私は……いまで言う「eスポーツ」のチームに属していたんです。そのときに所属していたチームが、「チームの宣伝ビデオ」を作ろうとしていたんですね。
でも、チームにはお金がないから、メンバーが自分たちでPVを作ることになりました。そこから、自分で作り方を調べて勉強しているうちに、映像を作ること自体にどんどん興味が湧いてきて、それが趣味になったんです。
──すごい話ですね。まさか李さんの原点がそこにあったとは、かなり驚きです。
李氏:
私自身のことを言えば、学生時代はいわゆる勉強が得意なタイプではありませんでした。高校の入試のときは、美術の特長を活かして、志望していた専攻に進むことができました。美術は私の専門であり、同時に趣味でもあります。
だからこそ今の道に進むことができましたし、「面白い」と感じながら、達成感にもつながっています。
──その映像系の仕事をされていたところから、いまに至っているわけですよね。どこかのタイミングで、「ゲームを作りたい」と思うキッカケなどがあったのでしょうか?
李氏:
実は、昔は「ゲームに関わる仕事をしよう」とは全然思っていなかったんです。
それこそ、これまでゲーム業界では、主に映像関連の仕事を担当してきました。
いくつかの会社を退職した後は、もっと自分のやりたいことを追求したくなり、独立して映像制作に関わる会社を起こしたり、動画制作のアウトソーシング会社を立ち上げて、他社向けのコンテンツ制作をやろうと考えていました。
ちょうどそのときに、いまの会社から外注の仕事をもらい、そこに関わるなかで、この会社の作品のセンスやクオリティが、自分の追求したい「いいもの」に近かったんです。そこに共感したといいますか。
前の職場をやめたのも、「もっとクオリティの高い作品に携わりたい」という理由でしたので、ここだったら会社が求めているものと、自分の作りたいものが一致する……そして「ここで仕事をしたい」と思ったんです。
その時、私がこの会社のために制作したものが評価され、創業者の蔡(浩宇)さん【※】に「うちに来ないですか」という声をかけていただきました。
※「蔡浩宇(サイ・ハオユー)」
HoYoverseの創業者のひとり。『崩壊学園』『崩壊3rd』『原神』などの数々のタイトルの開発に、コアメンバーとして携わっていた。過去には、同社の会長兼最高経営責任者を務めていた。
──あの蔡さんからお声がかかるとは、それもまたすごい話ですね。
李氏:
最初は『崩壊3rd』でCGなどの映像関連の仕事をしていました。
しばらく経ってから、「自分でもゲームを作れるのではないか」という考えが芽生えました。そこから、チームのメンバーと積極的にコミュニケーションを取り、徐々にゲームの知識や作り方を習得していきました。おおまかな流れとしては、こんな感じですね。
──では、最初から「ゲームを作りたい」という考えがあったのではなく、「クオリティの高いものを作りたい」という思いから、ゲーム開発に移っていった形なんですね。
李氏:
そうですね。
ゲームに限らず、とにかくクオリティの高いものを作りたかったんです。
HoYoverseは、そういう「高いクオリティのコンテンツ」を届けられる会社であり、プラットフォームのようなものだと思っています。そこまでゲームにこだわっていたわけではないのですが、私自身もたくさんのゲームを遊んできたし、なによりゲームが好きでした。だから、「ハイクオリティなゲームを作りたい」と思ったんです。
──ちょっと細かいことをお聞きしてしまうのですが、李さんが『崩壊3rd』で関わっていた箇所は、具体的にはどのあたりになるのでしょうか?
李氏:
『崩壊3rd』に関しては、CG制作とアニメーション制作の両方に携わりました。
たとえば、キアナが戦闘機から飛び降りるオープニングのCGアニメーションは、ほぼ私ひとりで完成させました。エフェクト、合成、編集、カメラワーク、一部の背景シーンの制作まで担当しています。

李氏:
ちなみにムービーという意味では、現在の『ゼンゼロ』のPVで、必ず最後にロゴの演出があると思うのですが、あれも私が自分で制作したところです。

──ちなみに、その映像関係の仕事をされていた過去の知識や経験が、いまの『ゼンゼロ』の制作で活きている個所はありますか?
李氏:
ゲームを作るときに、実は昔の映像制作の技術をよく使っています。
たとえば、『ゼンゼロ』のキャラクター画面で、メニューを切り替えるたびにキャラのポーズが切り替わるUIになっていると思うのですが、開発初期にはあの画面の動画デモを作っていました。それを開発チームのUIとアニメーションスタッフに見せて、「こういった表現を実現したい」とお伝えしていましたね。

李氏:
また、キャラクターの限界突破時に表示される「心象映画」の表現も、どちらかというと映像制作の知識をもとに考えていました。
──あの画面が李さんの映像制作的な考えから出てきているのは、かなり納得感があります。ゲーム的というより、映像的に奇抜なUIですよね。

蔡さんから聞いた「あること」が、いまも生き続けている
──李さんは映像制作の経験をベースにしつつ、よりゲーム的な知識や経験が必要になる「プロデューサー」を務められているのが珍しいタイプだと思うのですが、なにかゲーム制作の知識や、作り方を教えてもらった「先輩」のような方はいらっしゃるのでしょうか?
李氏:
ゲームプロデューサーとしての先輩にあたるのは、やっぱり蔡さんだと思います。
蔡さんはもともとテクノロジー側の人間で、私は美術出身ということもあり、技術的なことを直接教えてもらうことはありませんでした。ただ、蔡さんは「道を示してくれた人」だと思っています。
なにか具体的なゲーム制作の技術などを教えてもらったわけではないのですが、「ゲームプロデューサーとして絶対に譲れない部分」といったコアの考え方は、蔡さんから影響を受けたところです。
さきほどお話した「チームでの協力の進め方」の一部は、『ゼンゼロ』の制作を通して自分なりに試行錯誤しながら見つけ出したものです。また一部は、過去に蔡さんと一緒に仕事をしていた際に、彼のやり方を観察しながら学んだものでもあります。
だから、最初にゲームプロデューサーとしての方向性や道を示してくれたのが、蔡さんでした。
──プロデューサーとして、蔡さんから受けた影響が大きいんですね。なにか、蔡さんから教えてもらったことで、印象に残っているお話などはありますか?
李氏:
過去に、ゲーム作りについて、蔡さんに意見を聞いたことがあるんです。
そのときに、蔡さんは真心を込めて、いろいろと蔡さん流のメソッドや作り方を、客観的に教えてくださいました。ただ同時に、「これが、あなたにとって必ずしもいい方法であるとは限らない」ともおっしゃられていたんです。
つまり、蔡さんには蔡さんのやり方があり、私には私のやり方がある。この言葉をきっかけに、「自分なりのやり方」を見つける必要があることに、本当の意味で気づかされました。
それは、いまも知識として活きていますね。
必ずしも、蔡さんのメソッドをみんながそのまま活かせるわけではない。だからこそ、どうやって自分なりにゲームを作るべきか……。それを模索したり、勉強し続けてきました。
李氏:
実際のゲームの知識に関しては、『崩壊3rd』を作っていたときに、自分からいろいろな人に聞いて回っていました。
たとえば、ゲームデザイナーの人に対して、制作全体の流れを直接質問したり、具体的な設定作業を自分でも学んだり、あるいは、特定の演出や効果をどうやって実装するのかという方法についても理解を深めたりしてきました。
──それは、李さんのなかで「ゲーム作りの全体の工程を知っておきたい」という思いがあったということなのでしょうか?
李氏:
そうですね。
自分が思う「クオリティの高いもの」を目指すために、具体的にどんな工程があり、どうすればよくなるのかを知っておきたかったんです。その知識があれば、もっとクオリティを高める方法がわかるはずだと。
そのために、自らいろいろな人に聞いて回っていました。