「いちばん好きなゲームが『沙耶の唄』という作品で……」
ことの発端は、2025年9月にさかのぼる。
声優の小岩井ことりさんが、とある対談企画の席で一番好きなゲームが『沙耶の唄』であり、同作が自身の「孤独を癒やし、人生を救ってくれたゲーム」であることを明かしたのだ。
『沙耶の唄』といえば、シナリオライター・虚淵玄氏が手がけ、2003年12月26日にニトロプラス(現:ニトロオリジン)より発売されたPCゲームである。
事故をきっかけに世界がすべて醜悪な肉塊に見えるようになった青年と、そんな地獄のような世界で唯一美少女として映る謎の少女・沙耶との交流を描く本作。熱狂的なファンを生み、「純愛」と語り継がれる一方で、グロテスクな表現に満ちた18禁ゲームでもある。
そんな『沙耶の唄』に「人生を救われた」。
いったい彼女の過去に何があったのか……。その作品愛の奥底にあるものをぜひお聞きしたい。そう考えた我々は、小岩井ことりさん、そして『沙耶の唄』の生みの親である虚淵玄氏にお声をかけた。
そして驚くべきことに、このオファーは両氏の快諾を得て実現の運びとなる。
かくして令和のこの時代に、あらためて『沙耶の唄』について語りあう場がセッティングされたのである。

当初の目論見としては、小岩井さんに作品から受けた衝撃や魅力を語っていただきつつ、虚淵氏には当時の制作の裏側や作品に込めた想いをおうかがいする予定だった。
しかし、いざ対談が始まってみると、その内容は我々の予想を心地よく裏切る展開を見せた。
虚淵氏が口にしたのは、たんなる開発秘話にとどまらない。「退場シーンこそが最大の花道」と語る死に際への独自の美学や、「壊すものと壊されるものを等価に描く」という作家としてのスタンスなど、氏の創作の核となる矜持が次々と語られた。
そして、小岩井さんが告白したのは、子どものころから他者との「認識のズレ」に悩み、孤独を抱えて生きてきたという切実な過去だった。
「いまだに家族の顔がパッとわからない」という彼女が、『沙耶の唄』に救済を見出し、「私もがんばらなきゃ」と一歩を踏み出していく物語が、ゆっくりと紡がれていく。
ひとつのゲームがいかにして人の心を救いえたのか。深く、そして温かい対話の模様をお届けする。
『沙耶の唄』生みの親・虚淵玄×『沙耶の唄』に人生を救われた声優・小岩井ことりが初対面
──本日はよろしくお願いします。虚淵さんと小岩井さん、おふたりは今回が初対面になるのでしょうか?
小岩井さん:
そうなんです。以前、アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』の打ち上げの際にお見かけしたことはあるのですが、遠くから「あれが神か……!」と眺めていただけで、ご挨拶できなくて。
ですから、本日こうしてお話しできる機会をいただけてうれしいです。
虚淵氏:
ずいぶんと前になりますが、ひどい死にかたをしていただいて、ありがとうございます(笑)。
小岩井さん:
いえ、こちらこそすごく印象的な役をやらせていただきました(笑)。
虚淵さんの描かれる「死」は、たくさんの人の心をえぐり倒して、一生消えない傷を世界中に植え付けていると思うんです。私自身も死に際を演じさせていただいた際には、もう心がえぐられにえぐられました。
※小岩井さんはアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』で、主人公(常守朱)の友人、船原ゆきを演じている。彼女は作中で無残な最期を遂げる。
虚淵氏:
いや、でもあのシーンは主人公のメンタルが切り替わっていくきっかけになるので、ものすごく重要な役割だったんですよ。
──せっかくの機会なのでお聞きしたいのですが、虚淵さんがキャラクターの「死」を描く際、とくに意識されていることはなんでしょうか?
虚淵氏:
役割を終えたキャラクターには「せっかくだから死んでもらう」ということはありますね。
僕自身、綺麗に死んだほうがキャラクターのためになると考えているんです。退場シーンこそが、そのキャラの最大の花道ですから。
──「死ぬことがキャラのため」というのは、虚淵さんならではの美学ですね。
虚淵氏:
一番いけないのは、どこで何をしているかわからなくなるフェードアウトです。
「あのキャラどうなったっけ?」と言われるのが、キャラクターにとって一番不憫だと思うんです。なんとなく生き残らせるより、最後まで描ききって綺麗に散らせたほうが、長く読者の心の中に生きてくれます。
ですから、雑に殺すのは一番嫌いですし、次に嫌なのが行方不明です。ベストなのは、それまでの活躍の総決算として、丁寧に意味のある死に際を与えることです。
ただ、それらが世間的には「死んで終わるのはどれも同じ」と、雑な死亡退場と一緒くたに扱われがちなのは、少し悲しいですね。
──おお……なるほど。
虚淵氏:
だからこそ、死に際を描くのには神経を使います。「なんであんな死にかたをしたんだろう?」と、疑問を持たれてしまう死にかたはダメなんですよ。
「死」を通して、そのキャラクターの生き様や、物語における意味がはっきりと伝わる退場にしなければいけない。それは常に意識していますね。
──ちなみに、虚淵さんのなかでとくに印象に残っている死に際のキャラクターはいらっしゃいますか?
虚淵氏:
普段からどのキャラにも重みのある退場を心がけているので、逆に「殺しそびれた」キャラクターならいますね。それが『PSYCHO-PASS サイコパス』の六合塚弥生です。
彼女が生き残ったのは、僕自身がシーズン1で決定的な活躍の場を用意し損ねてしまい、意味もなく死なせるわけにはいかない状態になってしまったのが理由です。共同執筆の深見(真)さんが彼女をお気に入りだったという背景もありました。
もしシーズン1だけで完結する物語だったら、まさに「死なせそびれてごめんなさい」という中途半端なキャラクターになっていたと思います。
ただその後、深見さんが見せ場を作ってキャラクターを広げてくれたおかげで、結果的にシーズン1を生き延びたことが吉と出ました。こういう展開が起きるのは、共同執筆だからこその醍醐味ですね。

『沙耶の唄』を知ったのはネット掲示板。「キラキラした青春ストーリー」と聞かされて、手にとることに
──ここから今回の対談の本題に入らせていただきます。小岩井さんは、以前のインタビューで『沙耶の唄』を「人生でいちばん好きなゲーム」だとお話しされていました。作品を知ったきっかけは何だったのでしょうか?
小岩井さん:
当時はインターネット掲示板の全盛期で、自分は書き込まずに眺めているだけだったんですが、掲示板の玄人なお兄様、お姉様方が「『沙耶の唄』をやってないのはにわか」「沙耶たんペロペロ」と盛り上がっていらっしゃって。
実際に作品を調べてみたら、沙耶のビジュアルがすごくかわいくて惹かれて、ぜひプレイしたいなと。
ネットのお兄様お姉様たちも「大学生男女4人のキラキラした青春ストーリーだよ」とおっしゃっていたんです。それなら初めてPCゲームに触れる私にもぴったりだと思って、手にとりました。
──プレイしてみて驚きませんでしたか? 話が違う……と。
小岩井さん:
もうびっくりしました! 文字化けしたテキストと、グロテスクな風景がいきなり映し出されたので。パソコンが故障したのかと思いました(笑)。
──ですよね(笑)。虚淵さんにお聞きしたいのですが、あの強烈な冒頭の演出は、どのような意図で作られたのでしょうか?
虚淵氏:
そもそも『沙耶の唄』は、制作の動機として「短期間で小さい作品を作ろう」というところから始まったプロジェクトだったんです。
当時、ほかの開発ラインがどんどん長期化して、重い作品ばかりを手がけるようになっていました。『デモンベイン』の制作も大騒ぎでしたし。
その直後だったので、「いかにリソースを絞ってコンテンツを出せるか」というチャレンジが最初の題目としてありました。
尺が短く話を濃縮しなければいけない分、インパクトのあるシーンを片っ端から出していくという構成にしました。前置きをしている時間なんてありませんから。
小岩井さん:
いまでいうインディーゲームみたいですね。
虚淵氏:
まさにそうです。ですから、すべて逆算で制作しました。
現代日本を舞台にしたホラーにして、登場人物を絞り、テキストの分量はこのくらいにして……と、その枠内でできることを考えていったんです。発想としては、自主制作映画を作るような感覚ですね。
小岩井さん:
虚淵さんが手がけられた作品を調べたとき、『沙耶の唄』はかなり異質な作品だったのだと気づきました。インディーゲームのような作りかたも含めて、『沙耶の唄』は少し毛色の違う作品だったんですね。
虚淵氏:
どこまで開発を圧縮して作れるかというチャレンジでした。じつは、キャラクターの塗りも大幅に省力化されているんです。
──そうなんですか!?
虚淵氏:
これは彩色担当(2Dグラフィックディレクション )のなまにくATKが「これでいける!」と閃いた発想でした。色数と工程を少なくしたうえで、見劣りしないクオリティをどう出すか。そういう工夫の産物です。
『デモンベイン』のときは全員ゼエゼエ言いながら原画を塗っていたのですが、『沙耶の唄』のときは「これなら何枚でも塗れる!」と、スピーディに彩色を進めてもらえました。
「私は孤独ではないかもしれない」。声優・小岩井ことりが『沙耶の唄』に救われた理由
──小岩井さんは『沙耶の唄』のどのようなところに、それほどまで心惹かれたのでしょうか。
小岩井さん:
『沙耶の唄』って、主人公の見ている世界が他の人とはまったく違うという事実を、冒頭からとても鮮烈に描いてくれますよね。
「自分が見ている世界と、人が見ている世界は違うのかもしれない」。そのことに気づかせてくれたこの作品に、私はすごく救われたんです。
──それは本作の根幹でもある「他者との認識のズレ」に、共感されたということですか?
小岩井さん:
はい。じつは私、人の顔を認識するのがあまり得意ではないようで、いまだに家族の顔もパッとわからないことがあるんです。大人になって周囲の人と話す中で、「みんなは家族の顔を見てわかるものなんだ」と初めて気づいたくらいで。
それに、子どものころから「私が見ている青色は、他の人にとっての青色じゃないのかもしれない」と考えていたんです。でも、そんな話ができる相手はいませんでしたし、変わった子だと思われたくなくて言えませんでした。
自分にとっての当たり前が、他の人にとっては違う。そういった「世界の見えかたのズレ」によって、人生で困ることもありました。
当時の私は周りの友達や社会というものに、うまく馴染めていなかったんです。いじめられていたわけではないのですが、自分が未熟だったこともあり、どうすればみんなの中に混ざれるのかがわからず、ひとりで悩むことが多くて……。
だからこそ、「見ている人によって世界って違うのかもしれない」という事実を突きつけてくれるあの作品が、当時の私にとっては本当に大きな救いだったんだと思います。
──この作品を通して、それまで抱いていたご自身の悩みとはどのように折り合いをつけたのでしょうか。
小岩井さん:
「こんなことを考えている人がいるなら、私は孤独ではないかもしれない」と心から思えたんです。
周囲の人たちは親切にしてくれていたのに、私は何も返せないし、返し方もわからない。「人間らしい立ち居振る舞いができない」ということにずっと悩んでいました。
だからこそ、『沙耶の唄』のような視点を描ける方がいると知り、世界には同じような孤独を感じている人がいるのかもしれないと思えたんです。私と通じ合える人がどこかにいるのかもしれないという希望をもらいました。
──とはいえ、本作はグロテスクな描写から始まりますよね。あの「世界がすべて肉塊に見える」という視点そのものに対しては、すんなりと入り込めたのでしょうか?
小岩井さん:
最初は驚きましたが、私にとってはあの世界の見えかたが、なんだか普通に感じられたんです。
究極的には、人のことを完全に理解することはできないし、同じ立場に立つこともできないけれど、それでも人と寄り添って生きていけたらいいなという、すごく大きな希望をもらったんです。私にとって、見たことのない視点でした。
ただ、物語を進めていくと、沙耶を守るためとはいえ、友達を手にかけてしまう展開があるじゃないですか。さすがにそこはちょっと共感できないですけれども(笑)。
虚淵氏:
そこに共感されては大変ですからね(笑)。
小岩井さん:
そうですよね。行動そのものには共感できないけれど、私自身、そこに至るまでの「世界の見えかた」みたいなものに共感できたんです。
『沙耶の唄』は救いにもなれば、ナイフにもなる。「受け手しだい」と語る虚淵玄の創作スタンス
──ここまでの小岩井さんのお話を聞いて、結果的にプレイヤーを救済してしまったことについて、ご自身ではどう思われますか?
虚淵氏:
いやね、そういう意図はないんです。極論を言えば「人の救いというのは、その人の中に埋まっているもの」だと考えていますから。それを「どんなスコップで掘り起こすか」というだけなんです。
そのときたまたま手に取ってもらったスコップが、僕のシナリオだったということであれば、すごくうれしいです。むしろ、遊んでいただいた僕のほうが感謝したいくらいです。
──そもそも虚淵さんは、作品にメッセージを込めて作るタイプではない、ということでしょうか?
虚淵氏:
届けたいメッセージを持って作る方もいると思いますが、僕はその時々の直感で突っ走ってしまうタイプなんです。だからこそ、作品が受け手に何をもたらすかは、完全に受け手しだいだと考えています。
この作品に触れて世の中が嫌いになってしまった人もいるかもしれないし、一方で救いになったという人もいる。受け取った人がスコップをどう使うかは、その人の中に何が埋まっているかで決まるんです。
わりとそういうスタンスで、ある意味では無責任に作っているので、「結果的に誰かの役に立てたのなら光栄です」というのが本音ですね。
──以前のインタビューで小岩井さんが「『沙耶の唄』に救われた」とお話しされたとき、ものすごい反響がありましたよね。そうした虚淵さんのスタンスが根底にある作品だからこそ、小岩井さんの思いに共感があったのかもしれません。
小岩井さん:
大人になって声優という仕事をさせていただいている今、「こういう作品が好き」とお話ししても、周囲が喜んで受け入れてくれる環境があることが、すごく幸せなことだなと感じています。
虚淵氏:
いやあ、ありがたい限りです。
──とはいえ、『沙耶の唄』はグロテスクな描写もあるPCゲームです。SNSでは驚きの反応もありましたよね。
小岩井さん:
そうですね。反応は「すごくわかる!」と共感してくれる人と、困惑する人で極端にわかれるんですよね。みなさんの反応の違いがとても興味深いです。
でも、「『沙耶の唄』を義務教育にしよう」と言っている方がいましたが……それはちょっとダメかな(笑)。
虚淵氏:
やっぱりね、スコップにもなるし、ナイフにもなりますから。
小岩井さん:
そうですね。同じものであっても、その人の使いかたや受け取りかたしだいで「救うこともあれば、危険なものにもなる」という本質は、昔から変わらないのかもしれませんね。
──ちなみに、もともと周囲の方は小岩井さんが『沙耶の唄』を好きなことはご存じだったのですか?
小岩井さん:
はい。周りの人にはお話ししていたんです。それこそ、以前インタビューを一緒に受けてくださった杉田(智和)さんにもお話ししていました。
ただ杉田さんは、私に触手大好き癖があるとずっと思っていらっしゃるんですよね。「違いますよ、先輩!」ってずっと言ってるんですけど、永遠にいじってくださるんです(笑)。 前回のインタビューで杉田さんとだからこそ「沙耶の唄」のお話が出来て今日に繋がったので本当に感謝しています。
最近はVTuber関連でご一緒してる若いスタッフさんにも『沙耶の唄』が好きな方がいて、そうやって語り合えるのはうれしいですね。









