ニコニコ動画の登場で加速する東方
――そして2006年といえば、ニコニコ動画がオープンした年です。ここから東方の盛り上がりは一気に加速していきました。でも、当時話題になった動画って、実はほとんどが転載動画なんですよね(笑)。しかも、「Flowering Night」のライブ動画が多かったように思います。
ビートまりお:
そもそも東方関連の二次創作は、ZUNさんが「勝手にやっていいよ」って言ってくれたからこそ成立しているんです。僕たちも含め、みんなでZUNさんのゲームを遊んだり、曲アレンジしたりしてるわけで、当時からアップされるのは問題ないという認識でしたね。
「Flowering Night」も「そうやってみんなが観て楽しんでくれれば、それでいいんじゃね?」ですよ。実際、その動画を見た人が次の年にイベントに来てくれて、いい感じに盛り上がっていきましたから。
ただ、実は当時は同人活動でいっぱいいっぱいだったので、ニコ動で東方が流行ってるのは知らなかったんです。でも、ライブをやるたびにお客さんが増えていたわけで、今振り返るとニコ動で知った人が多かったんだと思いますね。
――あれ、ニコニコ動画は見てなかったんですか?
ビートまりお:
いやあ、2ちゃんねるのニュー速とかで、執拗に「ひろゆきが新しいサイトを作ったぞ」みたいなコピペがたくさんあったのを覚えてますよ。
――あれを目撃しているのは、さすがです。
ビートまりお:
で、飛んでいったら「YouTubeにタダ乗りしてるサイトかな、でもすごい楽しいな」みたいな。でも、最初はみんな使い方がよく分からなくて、確かレミオロメンの『粉雪』あたりから、「あ、サビでみんなで同じ歌詞打ち込むと楽しいね」と、楽しみ方を理解できていった気がしますね。
――その後は、東方楽曲がカラオケで配信されたり、「Flowering Night」が幕張メッセで開催されたり、さらには2009年のアニメロサマーライブ(以下、アニサマ)にも出演したり、ともう快進撃ですね。今や東方やボカロがカラオケで歌われるのは珍しくもなんともないですが、当時「Help me,ERINNNNNN!!」をカラオケで見たときは感動しました(笑)。
ビートまりお:
確か、最初は同人サークル「IOSYS(イオシス)」の『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』が火付け役になって、『レザマリでもつらくないっ!』を入れさせてもらったんです。JOYSOUNDの人も最初は懐疑的だったんですが、かなり歌われているデータがあって「もっと入れましょう」となりました。
「Flowering Night」の方は、2008年のライブが終わったあとに「どうせなら来年は幕張メッセでやりたい」と意見が出たので、やってみたらまさかの5000人が集まっちゃったんですね。まあ、あの年に勇気を出してなかったら、難しかったと思います。ドーンと盛り上がって、楽しかったですね。
——アニサマの出演依頼が来たときは、どう思いましたか?
ビートまりお:
製作とライブで手一杯だった時期で、もう規模感を知らないまま「出ます」と言っちゃったあとに、色々と判明してきて、「おい、これ、出てもいいのかな…?」となったんです。しかも、2ちゃんねるで「アニサマ本スレ」を見てたら「ビートまりおってなんだよ、知らねーんだけど」って書き込みもあって心配してたんですが、何とか当日は盛り上がってもらえました。
――しかも、JAM Project等のレジェンド級の出演者や、初音ミクが出た年でしたもんね。
ビートまりお:
錚々たるメンツですよね。思わずテンション上がったまま、共演者のみなさんを呼び捨てにしてブログを書いたら、炎上しちゃったんです。完全にファン目線で、芸能人を呼び捨てにするような気分で書いたのですが、あれは出演者としての意識が足りてなかったですね……。
「林檎華憐歌」での復活
――その後、2010年には大きめのツアーをこなしているんですが、2011年にはニコ動で特に目立った動画がないんですよね。
ビートまりお:
実は、2011年は活動が麻痺していたんですよ。myu314が抜けて、さらに東日本大震災もあって……震災後はしばらく気分が沈んでましたね。
3.11の後に代々木公園のライブで歌い手たちを炎上させてる人たちがいたじゃないですか。これは皮肉じゃなくて、「元気があっていいなあ」くらいに思ってました。
――なぜ、そこまで落ち込まれたんですか?
ビートまりお:
僕の地元は青森の内陸部で、そこまでの被害はないんです。でも、日常の風景や歴史が一瞬でなくなるのを目の当たりにしたとき、ショックを受けちゃいましたね。「日本はどうなってしまうんだ」って。でも、そういうウダウダした気持ちがあったからこそ、『林檎華憐歌』が生まれたんだと思います。
——この曲で、初めて自分でニコ動に投稿したんですよね。
ビートまりお:
それまでニコ動で楽しむどころか、インプットも出来ないほど忙しい生活だったんですね。あと、実のところ、ちょっとボカロに入り込む機会を逸してしまって、ニコ動に距離を置いていたのもあります。なんかすごい盛り上がってる飲み会に遅刻してしまって、輪に入り込めない感じというか。もちろん、自分の場合は、自分でも歌えるし、あまねさんがいるのもあるんですが……。
ただ、ニコ動が登場したときに、BMSの人たちの間で、ボカロに行くか東方に行くか、みたいな流れがあったのは覚えてますね。
――そうして『林檎華憐歌』でニコ動に投稿して、反響はありましたか?
ビートまりお:
ああ、これはRe-RiseにBMSを上げていたときと同じで、曲を投稿したら評価される場所なんだな、と思いました。
ニコ動にはランキングがあるじゃないですか。エンタメって、勝たないとダメなんですよ。自分のサイトで公開するのとは違う意味がしっかりとあるんですね。そういう「戦う場」としてのニコ動の中で、『林檎華憐歌』で戦おうと決めて、ランキングを駆け上がっていけて良かったなと思います。
――そして、2012年にはビートまりおさんのお母さんがこの曲を歌った動画がアップされて、大きな話題になりました。当時は全国ネットのテレビや地元メディアから「日本のスーザン・ボイル」と取り上げられてましたもんね。ニコニコ超パーティーにも出演しましたし。
ビートまりお:
ニコニコ超パーティーに出演したら、もう楽屋でみんな母にばっかり話しかけてるんです。「僕の母すごいでしょ?」って自慢しながら、「僕もいますよー(泣)」って思ってました。超パもかなり盛り上がりましたからね。歌ってる最中に千葉県で震度3くらいの地震が発生して、震源地はビートまりおの母じゃないかとザワついたという(笑)。
――ただ、そもそもお母さんは、なぜあんなに歌が上手いのでしょうか?
ビートまりお:
なんでですかね……。完全に素人の、ちょっと歌うのが好きな人なんですけど。
――いや、素人のビブラートではないでしょう。
ビートまりお:
なんなんでしょうね。子供の頃は比較対象がなかったので、気づかなかったですけど、やっぱり上手いですよね。僕は収録するとき、けっこう厳しく指示するんですよ。母親にもかなりレベルの高い指示をビシバシしてたんですけど、「はい、わかりました」って全部やりきってくれて、その結果があの『林檎華憐歌』なんです。
実際、あのままどんどん波に乗って行けば、下手したら紅白歌合戦にも出られたんじゃないかと思ってます。
――とんでもない露出量でしたからね。
ビートまりお:
今テレビで活躍してる方々は、ああいう流れに乗って結果を残し続けた人たちだと思うんです。母にもそのポテンシャルはあったので、「こんな機会は人生で二度とない。やれるところまでやろう」って母を引っ張り回してたんですけど、途中で地方から上京するのに疲れちゃったんですね。父からもストップが入り、それで落ち着かせることにしました。
――なるほど。そして、最近ではビートまりおさんご自身のお仕事の幅も広がっていますよね。
ビートまりお:
コナミさんの音ゲー『SOUND VOLTEX』や『太鼓の達人』に僕のアレンジ曲を入れていただくようになりました。ゲームを通して色んな方が曲に触れてくれたおかげで、今までとは全然違う層のファンが増えてるんだと思います。
東方の盛り上がりを知ってるファン層って、20代後半から30代なんですけど、音ゲーファンって10代が多くて、そこが最近のライブでの客層の変化に繋がってるんだと思います。僕としてはいろんな年代のファンがいて、嬉しい状況になってるんです。
——そして、最初にも話したように、東方の客層の幅も広がっています。例大祭でも集客は右肩上がりが続いてると聞きますよね。
ビートまりお:
この前の回も、過去最多って言ってましたからね。
女性ボーカリストに歌ってもらう男性クリエイターは、100%下心ある説
――というわけで、ようやく、「現在」までたどり着きました。ということでここからは結婚相手で、「COOL&CREATE」の仲間でもある、あまねさんに登場していただこうかと思うのですが。
あまね:
よろしくお願いします。
ビートまりお:
何しゃべっても大丈夫だよー。あ、じゃあ嫁に近づこうかな。
――いやあ、だいぶ「爆発」感に溢れてますね。で、いきなりぶっ込みますけど、そもそもお二人はいつからつきあってたんですか?
ビートまりお:
そもそも知り合ったのは、「STG×STG」を作っていたときですよ。ゲーセン仲間の紹介で知り合ってカラオケに行ったんですけど、その時点で「わあ! この人歌が上手い! かわいい!」って思ってましたから。
あまね:
残念ながら、当時は彼氏がいたので。
ビートまりお:
まあ、そういう切ない感じでね。いや、言わせてもらうけど、同人で女性ボーカリストに歌ってもらう男性クリエイターは、100%下心ありますよ!
――こらこら、怒られますよ!
ビートまりお:
結局、僕は何度もアプローチしては振られてたんですけど。
あまね:
……そういうのを公にしちゃうと、まりおさんのファンに刺されそう。
――おお、女性ファンって多いんですか?
あまね:
いや、まりおさんの男の子のファンに……。
ビートまりお:
男なのかよ!?
いや、この際だからいいんじゃない? 俺は「東京に来ればいいじゃん」って言いながら、ずっとアプローチしてたんです。初めて歌ってもらったのが2003年ですけど、当時から俺は頭のなかに「あまねさんと手を繋ぎたい!」という欲求がずっとあったんです。ライブが終わったあと、出演者全員で手を繋いで挨拶するじゃないですか。あれで、あまねさんと手を繋ぐのがすごいドキドキしちゃって!
——いい話ですね。
ビートまりお:
ふつう、こうやって手を繋ぐじゃないですか。そのときに指を絡ませる方法で繋ごうとして、拒否されたのを覚えてます。
——あまねさんはドキドキしてましたか?
あまね:
(高速で首を振っている)
――あの……彼氏がいながらアプローチしてたみたいですし、もしかして、だいぶ執念の勝利なんですか?
「この曲はBUMP OF CHICKENの『ラフ・メイカー』のパロディで、歌詞の内容的には「何度呼びかけても答えてくれない、でも諦めずに何度もドアをたたくぜ。いつかドアを開けてくれるだろう」みたいな感じです。あくまでも魔理沙というキャラのイメージで書いた曲なんですけど、やっぱりこの時期に書いたので、そういう気分はあったし、そういう気分で歌ってましたよね」(ビートまりお)
ビートまりお:
ひとつ、すごく覚えてるんです。おれの部屋で熱帯魚を飼ってて、部屋に来たあまねさんに「熱帯魚キレイでしょ、ちょっと近くで見ない?」って言って、「これ、カージナルテトラっていうんだよ。これはコリドラスで……」って言いながら近づいて、「これは行けるんじゃないか!?」と思いながら告白したら、振られたんですよ。
あまね:
あっさりね。
――あら悲しい。
ビートまりお:
俺も「あああああ」ってしばらく落ち込んだんですよ。でも、彼女が地元に帰る日に空港まで送って、そこでおれはまた手を握ろうとしたら……なんと、あまねさんが受け入れてくれたんですよ!手をつなぎたい、と思ってから3年は経っていた気がします。 あのとき、あまねさんはついに気持ちが揺れてたんじゃないですか! わかんないけど!?
――どんな気持ちだったんですか?
あまね:
この人、本当にかわいそうだな……って。
一同:
(爆笑)
ビートまりお:
もうなんでもいいよ!
俺、人生であんなに勇気を出した瞬間はないですよ!
――きっと、そんな感じがかわいく見えてきたんですかね。
あまね:
……どうなんですかね?
ビートまりお:
あまねさん、恥ずかしがってるんですよ! 黙り込んじゃった。
――そうなんですか? でも、きっと何かほだされた瞬間があったとか……。
あまね:
……。
――……もしかすると、まだほだされてない可能性も?
ビートまりお:
ちょっとぉー(笑)! 22日のライブでほだされてもらおう。
あまね:
(笑)
――ちなみに、プロポーズの言葉とかは?
ビートまりお:
えーと、えーと、何だったかな。俺、一番ダメなやつだよ! もうあまねさん、まかせた!
あまね:
……ちゃんとされたんだっけ?
――……だ、大丈夫でしょうか。
あまね:
日々の生活のなかで「結婚したい」って、ずっと言われてたんですよ。で、私もそろそろ両親のために……。
ビートまりお:
ちょっと! もっと普通に幸せな話にしようよ!
いや、指輪を買うときに、すごい喜んでくれたのが印象に残ってます。「ダイヤが大きいと高いけど、良いかな?」って聞かれて、「もちろん良いに決まってるじゃん」って言ったら喜んでくれて、「ああ、やっぱり女性は指輪で喜ぶんだ」って思ったなあ。
――「童貞か!?」と思わずツッコみたくなりますね(笑)。リア充感がなくて大変に皆さん、むしろ好印象なんじゃないでしょうか。でも、結婚して気持ちが変わったりとかは?
ビートまりお:
いやあ。とりあえず、「もうウソをつかなくていいんだ!」っていう開放感はあったくらいですね。ビートまりおの歌って「オタクがモテない」みたいな歌詞があるんですよ。でも、「そんなのを歌ってるくせに、実は彼女いるじゃん」みたいな自分へのツッコミが心の中にずっとあったので……。
——でも、聞いてると根本的にマインドは特に変わってない気がしますけど。
ビートまりお:
そうなんですよ。今もあまねさん以外の女性と話すのあんまり好きじゃないし、そもそも何を話したらいいかわかんないし……。あまねさんの友達ならなんとなく話せるんですけど、初対面の女性とか全然話したくない。
あまね:
そもそも元々、リア充じゃないっていう。
ファンの「おめでとう」へのアンサーが披露宴ライブ
――ちなみに、あまねさんは披露宴とライブを同時にやるという話を聞いて、どう思いましたか?
あまね:
むしろ、それは私から「やろう」と言ったんです。
ビートまりお:
あれだけ多くの方から「おめでとう」と言ったもらえたし、恩返しじゃないけど、何かアンサーをしたいという気持ちがあったんです。それに俺はインターネットの歴史にビートまりおの名前をいくつか残したいと思っていて、この披露宴ライブも、10年後くらいに「こんなことをやった人がいました」って年表に残ればいいな、と思うんですね。
―—じゃあ最後に、披露宴とライブへの意気込みを聞かせてください。
ビートまりお:
俺は基本的には「ライブ」だと思ってて、あまねさんは「披露宴」だと思ってるんですよ。でもね、そんな食い違いはありつつ、上手く合わさったら、謎の盛り上がりを見せるイベントになると思うので、楽しみです。みんなが笑って終われたらいいな、と思ってます!
――あまねさんは?
あまね:
普通、結婚披露宴ってヘトヘトになるくらい疲れるらしいんです。でも、ライブとしては曲数が普段より少ないから、いつもよりは疲れないんじゃないかなって思うので、たぶん良い感じにできるんじゃないかと……。
ビートまりお:
(爆笑)。
あまね:
え、そういうことじゃない……?
ビートまりお:
もっと普通に「がんばります!」でいいじゃん。あまねさんは、こういう空気を読まないところがあるから、大好きなんだけど!
――こういうところはやっぱり「リア充爆発しろ」って感じですかね(笑)。披露宴ライブ頑張って下さい!
(了)