2018年12月13日にリリースされた『JUDGE EYES:死神の遺言』(以下、ジャッジアイズ)。過去作とさほど変わらないシステムと環境で戦う国民的スターの物語は、ただ大物有名人を起用した注目作に収まらず、「神室町」という存在を浮き彫りにする傑作の風格を漂わせている。
発表から3ヶ月前、「龍が如くスタジオ」が木村拓哉氏をゲームの主演に迎えるという衝撃の発表は衆目を集め、大きな話題を呼んだ。当初の体験版からゲーム内で「キムタクを動かせる」ということへの抗いがたい愉悦は大いに喧伝され、『ジャッジアイズ』という正式名称ではなく“キムタクが如く”という通称がまたたく間に認知されたのは記憶に新しい。
発表直後に書いた記事でも所感を述べたように、「キムタクを動かす」ということへの楽しさは当初の体験版で十二分に味わうことができた。実際に本作の発売以降も、SNS上ではキムタクがコンビニを破壊し、有料ダウンロードコンテンツで仙人のごとく戦うシーンが多数アップロードされ注目を集めており、本編でもその魅力は失われていないことがわかる。
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ただし、そのことは魅力のひとつではあれど、ゲームそのものの評価へと直結はしない。発売してひと月以上が経過し、キムタクという名の暴風が過ぎたあとに、あらためて本作のエンターテイメント作品としての質を問う時間が必要だろう。
実際にプレイを終えたいま、『ジャッジアイズ』でプレイできる要素の多くは『龍が如く』のメインシリーズと本質的に変わりがないとの評価に至った。抜本的にモダンなUIや丁寧なシステムが本作にあわせて作られたわけでもなく、細かい箇所に幾ばくかのストレスを覚えたのも事実である。
だが、それらはけっして全体のゲーム体験そのものを損なうほどではない。むしろ、過去のメインシリーズとそれほど変わらない環境で新鮮な体験を提供できていることは、本作の物語が練り上げられ高いクオリティを有していることを証明している。おそらくシリーズ経験者であればあるほど新鮮に映る『ジャッジアイズ』では、どのような方程式が用いられているのだろうか。
文/Nobuhiko Nakanihisi
編集/ishigenn
神室町に存在するふたりの主人公
その前に、『ジャッジアイズ』と同じ神室町を舞台とする『龍が如く』メインシリーズの主人公を思い返してみよう。主人公、桐生一馬は関東最大の極道組織、東城会の元構成員だ。友のために殺人の罪を被り、破門され堅気の身分となったはずが服役後も数々の抗争や陰謀に巻き込まれ、やがて“伝説の極道”と呼ばれていくようになる。
彼は自己の存在の在り方を常に模索しながらも、各作品の物語を結末に導く“主人公”という存在として暴力を振るっていく。一般人が持つ幸せを模索する苦悩を孕みつつも、ときに破天荒なまでにエネルギッシュな彼の生き様は、独自の魅力とユーモアを放っており、その牽引力によって『龍が如く』がシリーズは10年以上にわたり続いてきたと言える。
対して『ジャッジアイズ』の主人公である八神隆之は、ある事件をきっかけに敏腕弁護士という座から転げ落ち、現在は何でも屋のような仕事を続けている探偵だ。
同じく極道の世界と繋がりを持ちつつも、過去にどこかの組に所属していたという経験はなく、そちら側とは線引きがなされた存在である。弁護士として過去に担当した弁護への悔恨と贖罪意識を強く持っているものの、それは社会システムで裁かれる類のものではない。
ありていに言えば、このふたりは規律が守られた「一般社会」と、暴力や犯罪にまみれた「極道」のどちらにも関係を持つ人物である。
ただし桐生一馬が「限りなく黒に近いグレー」だとしたら、八神隆之は「限りなく白に近いグレー」だ。主人公が出自も含めより一般社会に属するという、一見些細とも思える設定の違いは、実はゲーム全般に強い影響を及ぼしている。
「限りなく白に近いグレー」側で示される神室町
一般社会に親しい主人公であることのもっとも大きな効果としては、ストーリーの自由さに顕著に見られるように、物語の展開の可能性を切り開いた点が挙げられる。端的に言ってしまえば、本作は『龍が如く』のメインシリーズと同じ神室町を舞台にしながら、桐生一馬が持っていた「極道」という社会的背景の呪縛から解き放たれている。
これまでのメインシリーズで桐生一馬という強烈な個性によって展開されてきた神室町の物語は、逆に言えば良くも悪くも桐生一馬という世界観に縛られていたとも言える。その世界観は、極道を題材にした物語として成立するためにもっとも重要な要素であり、なおかつ舞台をその闇社会に限定させ続ける要素でもあった。
元極道が主人公で人間の欲望渦巻く神室町が舞台であるのなら当たり前のことではあるが、その縛りが長く続くメインシリーズにある種の閉塞感を生じさせていたことも、また確かなことだろう。そしてその枷からの解放された本作は、メインストーリーを飛躍的に自由で躍動的な物語へと進化させる。
『ジャッジアイズ』のプロットをここで詳細には語らないが、本編ではシリーズお馴染みの指定暴力団同士の抗争は健在なままに、殺した人間の目を抉る連続猟奇殺人、神室町に出没する仮面の窃盗団、過去の無罪判決とその代償、法と罪、そして巨大な権益とそれぞれの正義など、けっして見慣れたとは言えないさまざまな展開が成されていく。
メインシリーズで見られた極道側からではなく、「限りなく白に近いグレー」である一般人よりの八神の視点から描かれるそれらの物語。従来の枠を脱し、いまま極道モノで外すことのできなかったお決まりから解放されたプロットは、縦横に目まぐるしく展開する。中盤以降は加速度的に熱量を増し、プレイヤーを引き付けて最後まで離さない。高度に練られながらも複雑すぎないシナリオは、エンターテインメント作品として驚くほどの高い完成度を有している。
さらに言えば、ゲームの舞台である「神室町」自体も、今までとは微妙に違う風景を見せてくれる。それは、桐生一馬のような神室町を代表する伝説の極道ではなく、あくまでも主人公が神室町のひとりの住人であるという感覚によるものだ。
角に立った大型ディスカウントショップや、どこにでもあるようなファーストフード店、怪しげなネオンで客を呼び込む風俗店。街から漏れ聞こえる会話は、過去作よりも下世話になっているように聞こえる。そこで交わされている喧噪は、桐生一馬が見たときのそれよりも猥雑で品がなく、それゆえに人間の実直な欲求を肌で感じることができる。
フレンドイベントを経て町に登場するようになる脇役キャラクターや、あるいは丁寧に掘り下げられていくサブキャラクターたちとの繋がりは、神室町を我が物顔で闊歩する街ではなく、「等身大の自分が接する街」に映す。
ただし「キムタク」に限る
ただ、では神室町を舞台にしたシリーズが「単なる一般社会寄りの人物」を用意すればこのように成功を収められたかといえば、そうではない。
桐生一馬とともに10年以上を過ごしたこの神室町は、単純にあの歴史の長い歓楽街をベースにしたものをすでに超え、彼の破天荒な域にまで一歩踏み出したキャラクター性とともに月日を重ねて拡充されてきた。その桐生一馬がいたという伝説の神室町を映えさせるには、創作物である彼のキャラクター性に対抗できうる強烈な個性を持った人物を主人公にしなければならない。
冒頭で述べたように、プレイヤーは「キムタク」という国民的スターの名前に惑わされ嬉々として彼を動かしながら、いつの間にかまんまと開発チームがこしらえた神室町に嵌っていく。まさに物語とキャラクターの幸せな邂逅と言える。もし主人公が木村拓哉というアイコンでなければ、『ジャッジアイズ』は桐生一馬というシリーズの顔の存在感に負け、そして神室町という虚構の街の深みに引きずり込まれていったかもしれない。
本作で初めて神室町と出会いその造り込みに驚いたプレイヤーでも、『龍が如く』シリーズを過去プレイしてきてひさびさに神室町へ帰るプレイヤーにも、欲望の街に沈まない「キムタク」という存在は桐生一馬に代わって物語の導き手として映え続ける。
つまり“キムタクが如く”はまるでその名が示すように、実在する主演俳優の存在感そのものがビデオゲームタイトルに見事な調和を与えている稀有な例となっている。桐生一馬という架空の存在たちが積み上げた街に埋もれず、なおかつ新しい設定の可能性を存分に練り上げた『ジャッジアイズ』には、明確に傑作の風格が備わっているのだ。
「天下一通り」の看板を仁王立ちで睥睨しながら、なにかと戦うために、誰かを守るために桐生一馬が立ち向かった暴力と金と色の街「神室町」。過去の罪の意識から逃れるためのかりそめの揺りかごとして八神隆之が甘えた、人情と絆の街「神室町」。主役の交代による視点の変化は街の違った側面を見せ、シリーズの影の主役が実はいつも「街」であったことを副次的に浮き彫りにする。
新宿にある「この街」はたった数百メートル四方の小さな箱庭だ。その狭苦しい箱の中に詰まった人間の本質的な業は、どんな荒唐無稽でも、“もしかしたらあるかもしれない”と思わせるフィクションの治外法権でもある。過去作を振り返れば『龍が如く』はメインシリーズを通じて、この街の、ただそこにある雑多で愛すべき人間群像を表現してきた。
主役が誰であれ、背景には街への愛着が連綿と繋がっている。目立たずにひっそりと、しかし常に物語に寄り添ってきた神室町なくして、この作品の成功はなかったのかもしれない。『龍が如く』という限りなく黒に近いグレーも、『ジャッジアイズ』という限りなく白に近いグレーも、全ての人生とその色を呑み込むこの街「新宿神室町」だからこそ赦されている。